あと少しで町に着くという時、大抵みえてくる家並にほっと安堵の息をつくか、いやギルドで
依頼を終えるまでが旅だとか殊勝な考えから急に気をひきしめるような真似をしたりするのだが、
今回はまるでそういった事はなかった。
それは大門をくぐってからも同じで、閉ざされたままのギルドを横目にみながら近くの
酒場に入り、無人の店内奥の方のよく座っていた席に腰をおろしてもまだ落ち着かず、
どこか居心地の悪い思いがしていた。
「当たり前でしょ、こんなリッチとデスがうろつく町のどこが落ち着くのよ」
その割には隣にふんぞり返って座っているフェティが往来をほら、ほら、と指し示す。
以前なら人々が花を眺めぽつねんと立っていたり、並んで黙々と歩いていた大通りには、今や
死神の鎌を抱えたデスが雑草ののびてきている花壇を見下ろしたり、古からさぞかし実験を
失敗して真っ黒になったのだろうリッチ達が三々五々、連れ立って浮遊している。
燦々とうららかな陽光降り注ぐ光景は、確かに奇妙ではあったが、どこか現実味がなくて
ある種の美しささえも感じられた。 ここにあの赤毛がいたら、とセラはふと思った。
セルがあの怪物達の群れの中にいたら、何の違和感もなくごく普通に歩いているだろう。
別に武器を向けたりせず、逃げもしない。 ただとても軽い足取りで通り過ぎてゆく。
フェティは答を待っている。
「奴等はああやってふらふらしているだけだ。 こちらまで来る事はないから安心しろ」
「それはもし来たって怖くもないけど」
「正直、人間が歩いていた頃とそんなに変わらん」
「そうかしら」
小さく肩をすくめ、フェティは通りを眺める。 すれ違うリッチ達。
「案外そうかもね」
変な奴だ、と思いながら共に旅をして、もう半月近くになる。 やりやすい相手だった。
もっと煩い我が儘な性格だと思っていたが、実際はそれ程でもなく、たまに突拍子もない事を
言い出すか、ひとり納得して悦に入っているくらいで、とりたてて相手にもせず放っておくと
やがてぷんぷんと怒りながらついて来た。 その様子を眺めているのは結構面白かったので、
時々わざと無視してみたが、そんな時に限って見すかされ、心底蔑んだ目を向けられる。
だが、それもそう悪い気はしなかった。 今日はずいぶんと浮かれている、とセラは他人事の
ように考えた。 どう転んでも怒るような感情は更になく、何故か楽しい。
どこまでも澄んでいる青空を見上げた時のように落ち着いて、静けさに満ちている。
隣にいる者は、それよりも驚きに満ちていなければならなかったか。 まあ、世界よりも
本人の方がよっぽど近いといえば近いが。
すぐに文句を言い出すだろうと思っていたが、そんな事もなく、こちらと目をあわせようとも
せず、フェティは黙って往来を眺めていた。
「時々、考える」
向こうをむいたままの背中が僅かに動く。
「何故この怪物どもは何もせず、町中をうろついているだけなのだろうと」
「ここは闇の勢力が強いからでしょ。 不思議じゃないわ」
「元々バロルの廃城がある所だからな。 住民が消滅した後に怪物が跋扈するのは理解できる。
だが、それなら奴等は力の向かう先を求めて、もっと広大な土地へと流れていっても構わない。
彼らはそうはしない。 まるで何かに留め置かれているように、この場所に居座り続ける」
居座る、という言葉に別の事を連想したかフェティは、一瞬こちらに顔を向けたが、すぐまた
目を伏せ、軽くあくびをしながら両腕を組んで椅子を揺らしはじめた。
「彼らもまた、待っているのだと思う。 ネメアの件もある。 より大きな闇の力が戻ってくると
いうのなら、まずはこのエンシャントからになる筈だ」
「……だから、あんたも待っているってわけ」
ぼそりと、退屈そうな声が返ってくる。
「そうだ」
「セルが来るから」
「まあ、そうとも言うな」
「じゃあ、ここにずーっと座っていればいいじゃない」
「それも思ったが、飽きるからな、流石に。 いつ来るかわかれば別だが、眠るにもどうも落ち着かん」
「だから近い町を延々廻り続けるのね、そこの哀れな怪物みたいにいつまでもぐるぐると。
……馬鹿じゃないの、来るのが明日だったらいいわ、百年後だったらどうするのよ」
「さあな。 とにかく、気がすむまではこうする積りだ」
「くだらないわね、本当にくだらない」
言いながら段々腹が立ってきたらしい、フェティは両足を床につけると、椅子を揺らすのを止めた。
「まあ、お前を付き合わせるつもりは別にない。 此処をでたら、どこへでも行くんだな。
どうせ目的地はロセンじゃないんだろう?」
「そうよ、アキュリュースだったわ!」
図星だったのが悔しかったのだろうか、相手は頬を染め勢いよく立ち上がる。
「そうか、なら丁度よかった。 ここから西に向かえば街道にでる」
正直ここまで怒らせる積りもなかったが、もう止められなかった。
「どうしてアタクシが、高貴で優雅なエルフのアタクシが、ド下等生物なんかに行き先を心配
されなくちゃならないわけ? つまらない配達しかできないつまらない冒険者なんかに一一」
「そうか。 まあ俺は結構楽しかったぞ、本当だ」
絶句するフェティを正面から見返す。 心は不思議な程凪いでいる。
「馬鹿じゃないの。 本当に、馬鹿だわ」
相手は視線をそらし、俯いたまま言い続けた。
「だから人間ってイヤなのよ。 本当、くだらない。
くだらないから大嫌いなのよ。
あんたがどうしても此処から離れられないって言うのなら、いつまでも
いつまでも同じ所をぐるぐるぐるぐる廻りたいってそれしかできないって
思ってるのなら! アタクシだって、あんたのその馬鹿みたいな話に
つきあってあげるくらいはできるのよ?」
「そういえばかなりの長寿だったな、1600年も生きてるんなら、確かにそのくらい一瞬だ」
「……そうよ、一瞬ね。 だけどもういいわ、アタクシはアキュリュースへ行くの。
乙女の鏡でハッケエの滴を採って届ける、それが今度の依頼」
顔をあげ、まっすぐ見つめてくる。 口調には、もう先程の熱は感じられず、乾いていた。
ここで別れる事になるとも思ってはいなかったが、仕方がない。 袋から瓶を取り出し、
机に置く。 瓶はごとりと音を立て、僅かに揺れた。
「持って行け。 たいして入ってはいないが、用は果たせるだろう」
フェティは黙って瓶を見下ろした。
「頂くわ」
また細く白い腕が目の前を横切る。 立ち去ろうとするその背に、ふと思い立ちセラは
もう一度声をかけた。
「待てよ」
「何」
「そういえば、思い出したが一一」
律儀に立ち止まって耳傾ける姿が何だかおかしい。
「俺がついて来ても構わないと言ったのは、これで二度目だ」
「な、何よ、それがどうしたのよ」
短い言葉に色々な意味を感じ取ろうとしているんだろう、ひどく動揺している。
「いきなり持ち上げて……いい気にさせようっての?」
「面倒はみないといったのも二度目だな」
刹那ほど間があいた後、フェティは思いきり机に拳を叩き付けた。
「あんたなんかにみてもらう面倒なんか持ち合わせてなくてよ!」
店全体が大きく揺れている。 思わず笑いだすと、今度こそ大いに怒りながら
フェティは出ていった。
一緒にいる間、以前にかえったような気がしていた。 懐かしさに、ついつい引き止めたが
どちらにせよ、ずっとこのままでいる事はできない。 早いか、遅いかだけの話だ。
「さあ、行くか」立ち上がり、荷を背負う。
怪物が彷徨う通りを抜け、大門前で振り返る。
……今度は、いつ来るだろうか。
森の道を歩き、港のある小さな村を抜けて北上するとそびえたつ城門がみえてくる。
あと一息でロセンだ。 セラは軽く安堵の息をついた。
テラネを出て遠回りの道を選び、異形の怪物が徘徊するエンシャントをひとしきり
覗いた後、ロセンのギルドへ向かう。 結局はこのコースばかりだ。
ひとり旅には慣れていたし、特に困る事もなかった。 強いていえばロセンでは
冒険者や闘技場めあての流れ者で溢れていて泊めてくれる宿屋などないのが難点だったが、
大抵は酒場で時を過し、カルラの銅像のある広場で星を眺めるか、街道筋の小さな宿まで歩くか
どちらかだった。
寂しいとは特に感じない。 危険じゃないかと云われれば、それは多少はあるかも知れない。
ともあれ、ギルドで今度こそはきちんと仕事を探して一一
「ではこんな依頼があなたの考える冒険者の仕事だというの?」
木戸を開けると真っ先に偉そうに喋りちらす声が聞こえてきた。
「やあ、いらっしゃい」奥の方で主人が手をあげる。 「今日は寒いね、まあとにかく一一」
「お待ちなさい、よくって? アタクシはテラネへ配達の依頼を探しているの。
怪物退治なんて野蛮な仕事はドワーフにやらせておけばいいのよ。 配達といっても、甲羅とか
水とかはお断りよ、採取しに行かなくちゃならないから。 高貴で崇高なエルフのアタクシには
テラネへ届ける手紙とか像とか、そんなものがふさわしいの、わかってるのかしら?」
何も言わず後ずさり、ぱたりと扉を閉める。 そそくさと降ろしかけていた荷を背負い、今来た
城門の方へまっすぐに歩きだす。
まさか来ているとは。 それはちょっと懐かしいとか、楽しいとか思ったが、それはあくまでも
時々だから大丈夫なので、こう毎日のようにあの大声を耳元でやられたら一一
「何で出て行くのよ、失礼ね」
そう、この声だ。
どうしようか一瞬迷って、結局声のした方を振り返った。
あの女は腰に手をあて、そらした顎の向こうから見下すような視線を送ってくる。
負けじとこちらも両腕を胸の前で組み、むしろ顎をしっかりと引いて真正面から見据える。
何だかよくわからぬままにお互い睨み合う。
「荷物がまだなら……いや」
「何よ」
またすぐさあ行くぞとか何とかその場の勢いで言う所だった。
冗談じゃない。 今着いたばかりだし、……まだ依頼もみてはいないのだ。
「とりあえずどこか入ろう、喉が渇いた」
投げやりだというのを、最大限に表して言ってみる。
相変わらず顎をそらした姿勢のまま、フェティは薄く笑った。 見すかされているのは
自明の理だったが、それには気付かない事にした。
「おい、宿屋は探したのか」
「そんなもの、後で決めればいいのよ」
浮き浮きした調子で頼り無い言葉が返ってくる。 満面の笑顔をみるたび気分が沈んだ。
「どうしたの、まさかみつからないなんて思ってないでしょうね、ここはロセンよ!」