一一あなたの仮面が外れる時は、きっと私も此処に居ないわね。
洞窟の研究所に戻ってから、一言も口をきいていない。 吸い寄せられる様に
自分の剣へと目を落とした後、はっと気付いて立ち上がり日常へ戻ろうとする。
でも、もう出来ない。 二度忘れる事はない。
あなたは彼らを思い出し、過去へと分け入り、そうして自分の姿を再び見つける。
「サイフォス」
呼ぶ声が嗄れた。 随分長く黙っていたからでもあるし、それに喉が痛かった。
振り返り、こちらを見上げる表情はまだ変わっていない。
「お呼びですか、アーギルシャイア様」
「疲れたわ。 何か温かい飲み物、持ってきてくれないかしら」
「わかりました」
「……いえ、待って」
立ち去ろうとする背中にたまらなくなり声をかける。
「何か?」
「ここに来て」
またすぐ無言のまま引き返し、足元に跪いて私の言葉を待っている。
「いつもそうして待っているのね。 ……今あなたが私の望み通り温かいお茶を
持ってきて、私はそれを受け取り、一口だけ飲んで壁へ投げ付けるわ。
そうしたら、サイフォス、あなたは怒るかしら」
「まさか。 すぐ代わりを用意します」
「いいえ、もう要らないのよ。 次は花を持ってきて。 綺麗で香りのよい物を」
「わかりました、直ちに」
「私はそれを引きちぎる。 ねえ、どこまであなたはそうして居られるの。
小鳥を握りつぶしても笑っていられる?」
「必要ならば、今すぐにでも捕まえて参りましょう」
「嘘ね」
まだ跪く彼の髪にそっと触れた。
「そんな事は一一」
「あなたは、私がこう言ったからそうしているのよ」
手に伝わる柔らかい感触。 間に流れている沈黙は、彼が困惑しているとも
苛立っているとも取れるようで、けれどどちらも仮面の向こうに消されている。
おそらく此処で何か言って、沈黙は嫌と言えば、彼は私に向かい普段の通りに
あの優しい声で話しかけるだろう。
そうではなかった。 私は私がそれを言うより先に彼に話して欲しかった。
それすらも光景が目に見えてくるようだ。
あなたは私のあらゆる言葉に応えて、でもただそれだけ。
「試したいと思われるのなら」
不意に沈黙が破られる。
「何でも致しましょう。 どのような事でも命じて下さい」
それではまるで意味を成さなかった。 けれども、私が考えている事が
彼に伝わっていたとしても、きっとそれは無理なのだろう。
「では、その剣を頂戴」
「剣……この短剣をですか」
「そうよ。 ライジングサン、だったわね。 それを渡して」
初めて彼が躊躇している。 その剣は、彼と彼の記憶とを繋ぐ、たった
ひとつだけ私が消せないものだ。 今は灰色の薄曇りに色を変えていても
その下には白く眩い聖なる光が満ちている。
どれ程優しい言葉を聞いても、その光は一瞬で彼を遠くへ連れ去ってしまう。
こんなに近くに居るのに。 其処にいるまま、けれど仮面の下の彼は鳳凰山の
中腹にいて、対になる妖刀が共鳴し光を放つ所へと何度もかえり続ける。
「わかりました」
サイフォスは短剣に手をかけ、静かに言った。
「この剣も、今からは貴方のもの」
「嘘よ」
私は立ち上がり、その場を離れた。
「触れないわ。 知っているでしょう」
「どこへ行かれるのですか」
「喉が渇いたの。 ……放っておいて」
研究所の出口は青い夜の闇に通じている。 惹かれるように歩きながら、
聞こえる筈の無い足音を探し、それでいて聞くことなど思いもよらないと
自分にそう信じさせた。
何故って、放っておいてと言ったもの。 だから、だから……
「来る筈が、ないわ」
背後で大きく灯が揺れ、影が動く。 急いで振り返り、それが風の所為で
ある事に気付いて、思わず苦笑する。
そう、来る筈がない。 私がそう言ったのだから、彼は来ない。
洞窟から少しだけ外へ足を踏み出すと、ひやりと心地の良い風が頬に当った。
星も出ていない。 この闇に溶けてしまえたらどんなに楽になるだろう。
けれど、私は背後から伝わる気配に耳をすませていた。 聞こえる訳がないと
自分に言いながら、それでも止められなかった。
この後私はきっと風に飽き、少し退屈しながら元へと戻るのだろう。
そしてきっとサイフォスは今日の事など無かった様に振舞い、私も
私のオモチャを見失わぬように抱き締める。
そうして互いに気付かぬ振りをして顔を背けあう。
結末は既に触れる事も出来ぬ銀色の光を放っているけれど。