私は彼女に出会えた、とあの時話した事についてふと考える。
私が出会ったのは、誰だったのだろう。
私なのか、彼女なのか。 自分の姿をみようとしても、暗い淵の底には
何も映らない。 向こう側に立つ相手の姿を確認して、ようやく自分は
相手の輪郭ではない方の、相手の微笑ではない方の者だとわかる。
けれど、それさえも段々と曖昧になってゆく。



 アンティノは、これ以降常に私を魔人として接していたし、私もそれに
異存はなかった。
カルラとは二度会い、彼女はいつもの調子で軽く笑いつつ諾と答える筈のない
引き渡しの要請をしてきた。 
「後悔するかもね……ま、今回は退いておきましょ、今回はね」
 元より彼女と対立する意思はなかった。 ディンガルの黒い鎧は、見ていると
それだけで自分を抑え切れなくなってはきたけれど。
力で押しつぶしに来るとは私も思わなかったが、アンティノのいう所のカルラの
搦手は少々気になった。
「此処を捨てる事も検討すべきね」
 何も起きぬまま数日が過ぎ、焦れた私はふとそんな事を口にした。
「あのゴブリン達のおかげで、聖杯がこちらの手の内にある事もすっかり
広まっちゃったわ。 折角、静かに過ごせていたのに」
「ここを離れる事には私も賛成です」ロイが答える。
「ですが、どこへ一一」
「そうね、人の手の届かない所、隠されている場所。 しぶきの群島とかも
素敵よ。 失われた筈の世界が残っている。 行った事はある?」
「いえ、まだ……」
「後は、ふふ……そう、ミイスとか」


 その名を出した時の、ロイの微妙な変化をみるのは面白い。
いくつか、解決しなければならない問題が残っていた。 けれど、聖杯を
追ってくる者たちの概要はわかっていたし、その対策も既にロイに命じて
取りかからせていた。
 そうだ、差し迫った事柄に片がついたら、必ずミイスへ行こう。
もう一度、自分が本当に望んでいたものを探す為に。
 洞窟を歩き、昼夜問わず灯がもれている部屋へ立ち寄る。
アンティノは古ぼけた杯を机上におき、こちらに背を向け何か調べていた。
「熱心ね」声をかける事三度、ようやく唸り声のような音が返ってくる。
「しばらく見ていたけど、もうずっと、顔もあげないでいるじゃない」
 私は気にせず話し続けた。 可哀想なアンティノ。
顔をあげたくないんじゃない、上げたいと思えなくなっている。
休まずひたすら作り続けていたいと、自分の望みから離れないと。
 いつか血を吐いて倒れたとしても、きっと彼は止められない。
幸せそうで、何よりだわ。 一一



 その後、私とロイは実際にミイスへ行ったが、それは予想していたより
もう少し経ってからになった。
 ひとつには、彼の仮面がついに外れた事で一一そして私が、もはや
アーギルシャイアの名は使わず、元のシェスターに戻ったからでもある
けれど、それが本当に元に戻ったというのかは、私には断言できない。
 そうじゃないかも、というなら幾らでも例をあげられる。
けれど、あえて言う必要はまだないだろう。 私はもう一度、ゆっくりと
過去を振り返り、最後にみたアンティノの姿を思い浮かべた。
 彼は、自分が望むものを得られたのだろうか。

 ロイが呼んでいる。 考えるのを一旦打ち切り、私は席を離れた。






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