欲しいままに願うままに。


欲しいままに、願うままに。



とてものどかな日だ。
部屋には愛らしいブウサギの鳴き声、淡く差し込む陽光。思わず昼寝でもしたくなるじゃないか、こんな日には。
…目の前にそびえる白い山が無ければ、だが。
突風だー、などと言って閉めきった部屋の中自らの両手で机の上の山を一掃出来たら。まぁ代わりに今度は床に書類の海が出来て、結局自分が片付けるのだから絶対にしやしないが。

しかしどちらにしろ、ピオニーにはそういう横暴をする気は全く無かった。



目の前に広がる光景の一部は白い。それは良い。そんな事より、ピオニーの心を穏やかにさせる何かが、其処にはある。


ほぼ毎日皇帝の私室にやってきては、地位に不相応な仕事をせっせとこなしていく伯爵の姿。
現在もブウサギのブラッシングで彼の両手は手一杯だった。今は可愛い方のジェイドの毛を、ゆっくりと撫でている所か。



ピオニーはそんな彼を手にいれた。
だからブウサギを撫でるその手も、見つめる碧眼も、酷く愛しい笑みも、温もりも、その名を呼べばいとも簡単にこちらへ向けられる事を知っていた。
またそれらを持つガイラルディアも、心からピオニーを愛してくれている事も、自惚れではなく感じる事が出来ていた。

世界の危機を救ったあの時から、もう二年経ち、彼と関係を持ってからも二年経つ。
その日々は真実ばかりだ。互いの事を触れれば触れる程、自分の一部になっていく様な、それ程までに愛しい存在へとガイラルディアはなっていた。


しかしその分、遠退く気もしてしまうのも事実だった。そしてその原因は明らかに彼の生い立ちの所為だった。



いくら先代の犯した罪とはいえ、自分がそれを投げ出して良い事にはならないし、一生涯背負っていくべきなのだという事をピオニーは理解していた。

故に愛しい彼から全てを奪い取ったのも、皇帝そのものなのだ。その事実は、酷くこの身にのしかかる。

果たして彼を愛して良いのか。いつか彼がこの事実に苦悶する日が来るんじゃないのか。もしそうじゃなくても、たった一人となったガルディオスの気高き血は、自分が彼の傍にある限り繋がる事はない。それは、自分も。

きっと優しい彼の事だ、亡き家族の事、重い名に身を横たえる此方の事を考え、想い、どれだけ葛藤する事だろう。

ピオニーには分からなかった。どうしたら、どうしたら彼は苦しまずに、唯幸福だけを持ち得るのかを。



どうしたら……





「陛下、何をお考えで?」


ふと、悶々と渦巻く思考に囚われていた意識が一人の声に呼び戻される。その声には十分聞き覚えがあり、ピオニーの最も愛する音のそれだった。



「ガイラルディア…」
「何か悩み事ですか?いつも以上に仕事、進んでないみたいですが。」



無意識に高級なマホガニーの卓上へ沈んでいた視線を上げると、緩やかにたおやかに微笑む姿。言葉の中に含まれた気遣いと同様に口調は優しかった。
ブウサギ達のブラッシングはどうやらいつの間にか終了していたらしく、先程まで彼らの毛並みを梳いていたブラシは既に片付けられていた。



「んー?ガイラルディアが幸せになれますように、ってお祈りをな?」



嘘じゃない、しかしそういって笑う表情は何処かぎこちないかもしれない。



「急に何言い出してるんですか。俺は今で十分幸せです。そんな事で仕事に支障出さないで下さいよ。その方が頭を悩ます事がなくて助かるんですが。」



やっぱり怪訝そうにしつつ彼はわざとらしく肩を竦めて笑う。幸せだと、口にする。



本当に?



椅子に腰をおろしたまま、ゆっくりと白い肌へ手を伸ばす。指先で招く様に、彼を呼ぶ。距離はまだ遠い、けれど自分は動かずに彼がやって来るのを待つだけ。



「陛下…?」



それに応じてガイラルディアはピオニーの指先へと顔を近付ける。背を屈めて距離を埋める事が、何故かガイラルディアには自然だと思えたからだ。

無骨そうだが大きくて、小さな痛みも何もかも拾い上げてしまう掌が肌に触れると、何かの傷を拭う様な酷く優しい動きで指がなでる。頬を、愛しそうに。

しかしそれを為す本人の顔は少し後ろ暗さを秘めていた。ピオニーが時々こういう表情をするのを、ガイラルディアは知っている。粗方のその原因も。



「陛下…。」
「欲しい物と、願っている事が違うってのは、なかなかどうして難しいなぁ…。」
「……欲しい物というのは?」
「もう手に入れた。」
「…では、願っている事とは?」
「……。」



お前から一切を奪った男の息子が、お前に幸せを与えてやれるのか?欲しいと思うままにお前を手に入れて、……それでお前は?



ピオニーの願って止まぬ事といえば、愛しい愛しい彼の幸福だというのに自分の欲望がそれを邪魔しているとしか思えなかったのだ。



「陛下…、俺は貴方といる事で幸せです。何も無かった俺に、何もかもを与えてくれたのは陛下なんですよ。それを忘れないで下さい。」
「…本当に?」
「えぇもちろん。」





彼はひとつ頷いて変わらず穏やかな微笑みを浮かべるばかりだった。ピオニーにはそれにまた頬をなでて、応えるしか術を持っておらず、かといって心に巣食う闇の様な疑念と不安はきっと一生拭われないものだろうと思った。
ガイラルディアはいつか自分といた事を後悔し、束縛した自分を恨むかもしれない。



それが酷く、怖かった。



しかし欲望も留まる事を知らず、これでは相手をいつかこの身の毒で殺してしまうのではないか、と。



「陛下が望むのであれば俺は何度でも言いますよ。幸せです、って。」
「ガイラルディア…?」
「だから遠慮なく仰って下さいね。」



いっぺんの迷いも無い声色で彼は言ってみせた。ピオニーの表情などとうに笑顔が消えて、とても酷い顔をしているかもしれないというのに、それでも。
そうして根深く皇帝の闇を一言一言染み込ませる様にして取り払っていく。



「…愛しています、ピオニー陛下。」
「…また…」
「はい。」
「また、必要になる、きっと俺は、お前の言葉が。」
「はい。」
「そしたら…また同じ様に言ってくれるか?」
「…えぇ、貴方だけの為に。」



許される日を求めている訳じゃない。この身の責を誰かに押し付ける気も無い。

だけどピオニーは欲しかった。

たったひとりの青年を。

そして願っていた。

あわよくばその愛しくてどうしようもない彼に、自らが幸福を与えられる様に。





だから金色の陽光の様な暖かさをもたらす唯一の彼の、その一言が、ピオニーのすべてだった。










end.