記事タイトル:第一歩 


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お名前: 谷川 母   
私の「第一歩」も、まず長田百合子先生の
『子どもなんかにナメられたらアカン!』という
毎日新聞社から出されている本との出会いでした。

そして、電話して相談室に伺い、長田塾に参加させていただく中で、
「子どもから問題を持つことなんて、ない。子どもが問題を持ったのは、
親(特に子育ての中心となっている母親)が原因。
だから、親が変われば子どもも変わる」ということを知り、
何とか変わろうと努力し始めたところからでした。

「あんたが原因」と、思いっきり、はっきり言われ、
かえってスッキリしました。
家の中で偉そうにしていた自分が見えました。
ホント、その通りでした。
[2007/10/11 11:11:35]

お名前: 落合   
子育てを何よりも頑張ってやってきたのだから、
悪いのは私ではなく 主人だと 思っていました。
長田先生の事務所で 「母親のあなたが悪い」と・・・・。
それでも 自分は、悪くないと思っていました。
長田塾で勉強させて頂き、問題を持っていたのは、子供や夫ではなく 
間違いなく母親の私だとやっと気が付きました。
[2007/10/11 09:08:59]

お名前: 克典 母   
「この方の言われる通りや」
まだら登校の息子を抱えて頭を悩ましていた頃、
長田百合子先の本を私に差し出したのは、主人でした。
読んで、私も(その通りだ)と思いました。

しかし、主人を尻に敷くかの様に生活していた私にとって、
主人を立てる生活は我が許さず、本を片付けました。

その後、主人とカウンセラーや不登校の集まりに顔を出しましたが、
どこもオブラートに包んだ対応で、
そんな日々の中、欠席が増えていきました。

主人と私は本を再度手に取り、迷う事なく電話をかけました。
[2007/10/11 06:01:02]

お名前: 高田 母   
私の第1歩は長田先生を知ってから随分経ってからでした
テレビ放映で見たのがまだまだ不登校と無縁だった頃
次に本を手にしたのが不登校さなか
それでも人様に我が子を・・・考えられずそのままに
その後も本は何冊も読みました。
高校も中途半端
ヤンキーに拍車がかかりついには鑑別所
そして、とうとう少年院
もう、先生しか浮かびませんでした
我が子一人をまともに育てられない不甲斐なさ
それよりも何よりも更生させたい、それだけでした

主人に反対されようが離婚されようが私は固く決意しました
この方に助けていただこう
必ず救っていただける
どんな事があっても必ずついていこう
迷いは微塵もありませんでした

問題を持ってから4年が過ぎていました
[2007/10/10 23:51:02]

お名前: せつ   
長田先生を始めて知ったのは、新聞でした。
”学校へ行かせることが目的の人”と思い込んでいたため
お会いするまでに3年かかりました。
面会の電話を頂いた時、夢のようで心臓ドキドキドキでした。

いよいよ対面の時、思った通りのそれはきれいな人でした。
余りのきれいに、思わず見とれていました。

私をジッと見て、すぐに作文に目を落としました。
再び私を見たとき
「あんたは激しい。私、あんた嫌いだから(私が)嫌なら帰りなさい」と。

私の第一歩でした。
[2007/10/10 22:43:40]

お名前: こたに   
子どもの問題が表面化したとき、
真っ先に担任の先生に相談したけれど
頼りにならない・・・・と、感じてしまった。
そして、次に、市の相談機関に電話して、‘うちでは、難しいケースですね’
と、たらいまわしにされて
もう、どこも頼るところがないことに気が付きました。
すぐに、人を頼るところが、私の問題点のひとつです。
切羽詰って、自分で探さなくては・・・・
と、インターネットで調べたり、本屋に行ったり・・・
行動を起こしたことが、自分を強くする第一歩でした。
そして、長田百合子先生に出会ったのが、解決の第一歩でした。
[2007/10/10 22:05:28]

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