記事タイトル:これぞ食育? 


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お名前: 宮本(愛知)   
育てた人の顔が浮かぶと、
残したり、捨てたりできないですよね。

我が家も母が健在だったころ、送ってくれた野菜は
「おばあちゃんが作ってくれた」というと
ちゃんと食べていました。

生きた「食育」のように思います。
[2008/05/04 20:31:07]

お名前: あらき   
わが子が通う、学校は残飯が殆ど出ないらしい
何せ田舎ゆえ
通学路が、畑の中を通っている
だいこん、キャベツなどなど
売り物もあるし
現役を退いた、じいちゃんばあちゃん達が、それぞれ家族のために
植えてある、なす、きゅうり、だいこん、さやえんどう、おくら、玉ねぎ
じゃがいも、さつまいも、などなど
小さな苗から、大きくなるのを毎日、目で見ている
それを大事そうに、育てている、人たちを見ながら、登下校
小学校のときにも、なす、にんじん、ピーマンを
それぞれ栽培、それを給食に使うときもある
それはそれは、おいしそうに食べるとか

どうのように感じているかは定かではないけれど
肌で感じ、目で見ていることは、何か伝わっているから
食べ残しはないのだろうかと、考えるのです。
[2008/05/04 05:19:56]

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