記事タイトル:三歳までしっかり抱きしめる 


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お名前: 松岡   
小谷さん、そうですね。

私達母親は、ある意味開き直り、自分の至らなさを素直に反省し、前進しています。
良い意味で開き直ることは大切ですね。
ある先生が「負けるが勝ち」ということを教えてくれました。
これなんですよね。
いつまでも逃げよう隠そうとしていたら、ろくな事にはなりません。

時々過去を思い返して反省をしながらも、
自分たちの苦い経験を無駄にはしないように、
他人様のために役立てるようにと願いながら生きていく・・・これが大事なことです。
[2007/10/23 22:26:46]

お名前: こたに   
異国の地・・と、大きく環境が違いますが
息子も保育園、小学校と、自信のなさやどこか不安そうな様子がありました。
そして、私も同じように心の余裕がなく、しっかり抱きしめてあげなかったから・・
とか、自分の子育てが間違っていた・・とか、グチグチ思い煩い、すっかり自信をなくしていました。
そして、なにかと主人を頼り、主人が長男を育ててくれ、小学校を卒業するころには、
私の理想の子どもに育っていました。
でも、中学に入り、潰れた。
私がなにも変わっていなかったからです。
後悔ばかりしていて、前を向いていなかったからです。
いい意味で、開き直りが必要でした。
今後は、親として堂々と明るく、さっぱりと付き合っていきたいです。
[2007/10/23 21:52:47]

お名前: 松岡   
私は、超田舎者、それに「上品」なんていう言葉とは全く関係のない「芋おばちゃん」です!
もう正体がばれてきていますよ(笑)


三歳までは「しっかり抱いて」、親に甘えて依存する母子の「愛着」形成が重要であり、母親の無条件の「受容」によって子どもの心は安定し、母親の無条件の愛情と信頼を実感することによって自尊感情が育まれる・・・これがこどもの人格形成の基礎

私の家庭は人が羨む良い家庭 私は頑張って子育てをしている 私は結構良い母親だ・・・と思っていました。
私の無自覚に気付かせてくれたのは長男でした。
[2007/10/21 16:29:00]

お名前: せつ   
息子が問題を持ったとき、対応に追われるばかりで
心の余裕などありませんでした。
ましてや異国の地であればなおさらのことと察します。

私は、田舎者ゆえテン子さんの生き方に憧れていました。
優雅に暮らし、特権階級のように思っていました。
当時、文化の違いや子育ての問題を持っている人とは思いもしない。

私の息子は、幼い頃友達と元気に遊ぶ子どもでした。小学校就学前のことです。
公園の隅にいる私のところに、時々駆け寄ってきては
おでことおでこをくっつけるんです。
そうして、私の瞳を見ます。そこに自分の顔を見た息子は
安心して遊びに興じました。

それでも、息子はヤンキーのひきこもりになりました。
あっけらかんとした心の余裕が大事だったと思っています。
いえ、それが真に難しい。
[2007/10/21 09:11:10]

お名前: みつ   
異国で3人の幼児の子育て、
大変だったんですね。
今の上品な松岡さんから想像できないです。
若い母親に心の余裕などなかったのは
当たり前のことです。
しっかり抱きしめてあげなかったことを
今になって思い煩うことができるのは、
心の余裕ができた証拠です。
いつも母親が思ってくれていること
言わなくとも、確かに伝わっているはずです。
[2007/10/20 18:04:49]

お名前: ハダノ   
知らない土地で大変な思いをしたのですね。
 
3歳まではしっかり抱きしめるというのは大切なことですよね。

私は自分の我がままで仕事を辞めることが出来ませんでした。

1年は育休を取りましたがその後は義母が見てくれました。

自分でしっかり育てなくてはいけませんね。
[2007/10/20 16:49:16]

お名前: 松岡   
長男が5歳になるまでに、3回引っ越した。
1回目の引越しは、片道約35時間かかる移動だった。
三回目は、長男が5歳、2人目の子が3歳、3人目の子が6ヶ月だったので、
引越し先まで2日間かけて行った。

長男は3つの幼稚園を経験した。
言葉は全く通じない。
周囲は全く見たこともない景色。
地理も分からない。
友達も親戚もいない。

私は、二人の妹弟の出産や引越しや病気のことで休む暇はなかった。
言葉も地理も分からない引越し先での生活に慣れるまでのストレス。
全く違う食材を使っての子供たちのお弁当作りにも気をつかっていた。
ピストルの音。
度々耳にする車の衝突音。
泥棒を追いかける警官。
三人の子どもをつれての道路横断は命がけ。
服ダンスのなかの大切にしていた服がなくなっていた。
気付かないうちに、ホームシックにもなっていたのかも知れない。
なれない土地で、子供を守ることに精一杯だった。

この経験が長男に与えた影響は・・・なんてことを以前は考えていた。
しかし今は、そんなに悪い影響を与えたとは思わない。

ただ私に心の余裕がなかっただけ。


長男や長女に毎晩本を読んであげた。
深夜にお弁当を作って、翌日は一日中外で遊んだ。
一生懸命育てているように思っていた。
しかし、私は長男をしっかり抱きしめて育ててはいない。
いつも長男にはしっかりして欲しいと思っていた。
そんななかで、長男はいつも不安だったのだと思う。

小学校では、自信のなさやどこか不安そうな様子があった。
それを長男の個性と尊重してあげるべきだった。
妹は大変利発だった。弟はすこぶる元気だった。
私は、長男のことが心配になっていった。
長男の為と思って口を出すようになっていった。

6年後に帰国した。
初めての日本の学校、初めて経験した「いじめ」・・・。
長男の顔がどんどん変わって行った。
成長のせいだと思うようにしていたが、そうではなかった。

私が小さい長男をしっかり抱きしめてあげていたら、
彼は自分に自信をもつことができただろう。
安定した精神状態で生活できただろう。
どんな逆風も適当にかわすことができたと思う。


二番目の赤ん坊を幼稚園の恩師に見せに行った時、
先生は「赤ちゃんはまだオムツを仕替えて母乳をあげていたらいいけれど、
まだ2歳になったばかりの上の子を良く見てあげなさいよ。」とおっしゃった。
先生のお言葉を忘れてはいなかったのに、しっかり実行できなかった。
[2007/10/20 11:49:03]

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