天使で悪魔





這い寄る混沌





  這い寄る。

  邪悪な、甘美なまでの血の滴りを愛する女の悪意が迫りつつある。
  追い詰め、足掻かせる。
  それを至上とする女の視線を感じる気がする。

  その者とは夜母。
  大陸最凶最悪な暗殺集団である、闇の一党ダークブラザーフッドの創設者。
  殺しを愛した女。
  自らの死後も血と殺しの饗宴を堪能したかった夜母は闇の神シシスに願った。そして自らの肉体と、自らと同じ血肉を持つ5人の
  子供を生贄に捧げた。
  結果、夜母は未来永劫暗殺を楽しむ為に、永遠の存在となった。

  夜母の干渉は封じたはずだった。
  夜母の意思を聞き届ける唯一の存在である聞えし者を殺し、その手足である伝えし者&奪いし者も全員死んだ。
  幹部集団ブラックハンドは壊滅した。
  残ったのは何も知らない末端だけ。あとは自然消滅するものだと思っていた。

  しかし違った。
  闇の一党は再起動し私を付け狙っている。
  既に動員している人員から推察すると、その規模はただの騙りではない。本物の闇の一党が私を狙っている。
  夜母はこちらの世界に干渉出来ない。
  幹部は全滅。
  仕切る者が誰もいないのに、指揮系統が乱れていないのは何故?
  あまりにも計画的な行動だ。ただの残党じゃあない。
  指揮しているのは誰なの?
  指揮しているのは……。





  「ただいまー」
  「お帰りなさいませ。ご主人様」
  久々にスキングラードのローズソーン邸に帰りついた。
  メイドのエイジャがお出迎え。
  いやぁ。今回は寄り道多かったなぁ。
  アイレイドコレクターであるウンバカノの一件を終了させてスキングラードに帰ろうと街道をシャドウメアで爆走してたら闇の一党
  の暗殺者に何度か襲撃され、襲撃避ける為に街道を外れたのが運の尽き。
  ハックダートの騒動に巻き込まれる。
  コロール滞在中に再び闇の一党に襲われる。
  戦士ギルドのお手伝いでシェイディンハルに向かった先でまた闇の一党とドンパチするわ絵の中に閉じ込められるわ汚職衛兵と
  関わるわで大変だった。
  その後?
  アリスを追ってアンヴィルに。
  戦士ギルドの依頼を数件手伝って、依頼放棄したマグリールの尻拭いでスキングラードにやって来て、解決。
  アリスと別れて今、屋敷に帰りついたわけだ。
  ……。
  ……な、長い展開よね。
  普通なら帝都〜スキングラード間はゆっくり行っても2日の距離だ。
  今年は本気で運が悪いらしい。
  「お食事はいかがしますか? 先にお運びいたしましょうか?」
  「夕食まで待つわ」
  時間的にそろそろ夕食だ。
  お腹は空いてはいるけど、先に食べたいほどではない。
  「部屋で寛いでる」
  「かしこまりました」
  「そういえば皆は?」
  「お仕事でございます」
  「ふーん」
  元シェイディンハル聖域の面々は現在、郵便配送会社を立ち上げた。名前を《黒の乗り手》。
  既に各都市に支社がある。
  商売繁盛笹持ってこーい、的な大繁盛ぶりだ。
  さて。
  「じゃあ、部屋で寛いでるから食事になったら呼んで」
  「かしこまりました」
  ぺこり。
  恭しく一礼のエイジャ。
  有能なメイドを雇ったなぁと思う。彼女はプロだ。住み込みのメイドとしては、彼女以上の存在はいないだろう。
  給金また上げてあげなきゃ。
  それだけの余裕はあるのだから。
  「んー♪ 久々の我が家だー♪」
  大きく伸び。
  ふわぁぁぁぁぁっ。欠伸が出る。
  こういうリラックス感は我が家ならではだ。ビバ安らぎ空間♪
  「んー。少し寝るかなぁ」
  ウトウトとまどろむ程度に。
  ゴロゴロするだけでも疲れは取れる。
  階段を上がりながら久々の我が家の雰囲気を楽しんでいた。私の部屋は三階にある。ローズソーン邸で一番高い場所にある。
  その他大勢の部屋は二階。
  エイジャと吸血鬼ヴィンセンテは地下室。
  「鎧脱いで剣を片付けて、お風呂にでも入ろうかな」
  ガチャ。
  ドアノブを回し、自分の部屋の扉を開く。
  「……っ!」
  バタン。
  ドンっ!
  扉を閉めた途端、何かが扉に刺さった。
  「……ちっ」
  殺気を感じたから咄嗟に閉めたけど……何者かが私の部屋にいる。おそらくは闇の一党の暗殺者だ。
  くそっ!
  他の面々が外出中なのを狙って入り込んだか。
  ……。
  ……それとも、シェイディンハル聖域の面々が闇の一党を仕切ってる?
  今までアンが関わっているような素振りが度々あった。
  そもそもいずれの襲撃にはアンは側にいなかった。
  まあ、いい。
  考えるのは後回しだ。
  憶測や推測で物事は解決しない。
  まずは中の暗殺者を消すとしよう。……可能ならば殺す前に尋問しなきゃねぇ。
  いち、に、さんっ!
  ガチャっ!
  勢いよく私は部屋に飛び込み、暗殺者を……はい?
  「……っ!」
  室内が一回転する。
  暗殺者を見た途端に、私の殺意は戸惑いへと変わったからだ。その一瞬の隙を衝かれ、私は投げ飛ばされた。
  ドタンっ!
  床に叩きつけられる。
  グググ。
  そのまま、投げ飛ばした相手に押さえ込まれた。
  体術もそれなりに使えるようになるべきかな。もしも本当に敵なら、殺されてる。
  ま、まあ、ナイフを投げられた時点で普通なら死んでるけどさ。
  よかったぁ。
  普通の生活送ってなくて。
  ……。
  あれ?
  普通の生活送ってたらこんなことは起きない気がするぞ?
  ……ちくしょう。
  「やめてよ、アン」
  ナイフ投げたり、私を投げ飛ばしたり、挙句に体重掛けて私を押さえ込んでいるのはアントワネッタ・マリー。
  元闇の一党ダークブラザーフッドの暗殺者だ。
  最近では魔術師ギルドにも潜り込んでたりする、神出鬼没の義姉妹のお姉様。
  その表情はいつになく厳しい。
  組み敷く力も緩めない。
  ……何なの?
  「ア、アン?」
  「……」
  「けほっ! く、苦しいって」
  「……」
  結構体重あるぞこいつ。
  何とかしようと思えば、どうとでもなる展開ではあるものの……殺すのには抵抗がある。
  元々それが原因で一緒に暮らしてるわけだし。
  浄化の儀式で家族を殺せなかった。
  それが今の同居生活に繋がっている。
  「アンっ!」
  「……」
  一瞬、本気でこの子が現在の闇の一党の聞えし者(闇の一党の偽装の疑いもあり。つまり疑心暗鬼を煽る作戦だと認識してる)な
  のかと思ってしまうぐらい、アンは険しい顔をしていた。
  このままではキリがない。
  「毒蜂の針」
  「はぅっ!」
  麻痺の魔法を施す。
  コテン。
  その場に倒れるアントワネッタ・マリー。解放された私は立ち上がり、扉に突き刺さっているナイフを引き抜いた。
  本物のナイフだ。
  ……投げるか、いきなり?
  当たってたら普通に死んでるじゃないの。
  まあ、私なら避けれると踏んでたのかもしれないけど……こいつ、怖いなぁ……。
  「で? 何なの、一体?」
  「浮気してるでしょっ!」
  「はっ?」
  何言ってんだこいつ?
  何気に《浮気したら殺してやるあたしだけのモノにしてやるーっ!》的な性格かこいつは。
  おおぅ。
  「浮気って何? そもそも私はお姉様のモノでもないんですけど?」
  それは正確な答えだ。
  私達は恋人じゃない。
  一応、断っておくけど(誰によ?)私は同性愛者ではない。
  まあ、アンとは数回ほど関係は持ったけど、あくまで愛情表現の一つだと私は認識してる。私は正規の教育は受けてませんから、
  そのあたりには抵抗はないのだ。
  もちろんアンはアンで私に対して別の感情を持っていても不思議ではないし別に咎めない。
  まあ、そこはいい。
  さて。
  「あのダンマーは誰っ!」
  「あのダンマー? ……ああ、アリスね」
  「アリス?」
  「アイリス・グラスフィル。戦士ギルドの後輩よ。彼女の叔父さんに頼まれただけよ、面倒見るようにね」
  「あぁら愛称で呼ぶなんて仲が良いのねっ!」
  「……はぁ」
  感情を露にするアンを、初めて見る気がする。
  妬いてるのかなぁ。
  複雑な気分。
  ……少し苛めてやるかな。
  「そう。愛人よ。悪いわね、アン」
  「……んふふー……」
  「はっ?」
  むくり。
  麻痺の解けたアンが立ち上がり、私をまじまじと見つめた後に抱き着いてきた。
  むぎゅー。
  ……何なんだこの女……?
  行動がまったく読めない。
  この豹変は何?
  「フィー好きー♪」
  「はっ?」
  「いいよいいよ。浮気は許す。妻として、今回は許す♪」
  「はっ?」
  アンを引き剥がし、ニコニコ顔のアンの理論を聞き入る。
  何考えてたんだ、この子?
  「愛人って言葉は既婚者が使う言葉。フィーはあたしに謝った、つまりあたしが正妻。向こうは愛人。妻として、今回は許す♪」
  「……」
  こいつの理論すげぇーっ!
  アントワネッタ・マリー。絶対に、永遠に私を手放さない感全開です。
  ……ちくしょう。

  「随分と長旅だったね。心配しちゃった」
  「そりゃ悪かったわ」
  確かに長旅だった。
  アンは私より少し遅れて帝都を発ったはずだから、いつまで経ってもローズソーン邸に戻って来ない私を心配していたのは容易
  に想像出来る。まあ、その旨を書状で送ったけどさ。戦士ギルド絡みとかで遅れるって。
  「お風呂入れば?」
  「そうね」
  「あたしが背中流してあげる♪」
  「……」
  素晴しいまでに身の危険を感じるのは私の気のせいでしょうか?
  「背中を洗うあたし。突然振り向くフィー。交差する視線。交わす熱い口付け。そして芽生える愛♪」
  「いやお風呂入るのにわざわざ愛が目覚める必要ないから」
  「でも月刊桃色娘には姉妹はお風呂に一緒に入って愛を確かめ合うって書いてあったよ?」
  「だからそれはエロ本です」
  「れっつとらい♪」
  「却下」
  「えーっ!」
  「えー、じゃないっ!」
  ……ちくしょう。



  久々の晩餐。
  エイジャの作った料理はやっぱり最高♪
  旅の先々で色々とおいしいものも食べたけど、やっぱりエイジャの料理が絶品。なんというか、落ち着く。
  この席にフォルトナはいない。まだ旅立ったまま戻って来ていないのだ。
  能力失ってたけど、大丈夫かな?
  ……。
  ……。
  ……。
  ほ、本気で私ってば長旅立ったわね。
  旅立って、家に戻る間に10話ぐらい終わってる。
  「ふぅ」
  「どうしたのですか、妹よ」
  最年長の兄ヴィンセンテが血酒を飲みながら、微笑み掛けてくる。
  柔和な笑み。
  最初に会った時は《げぇっ! 吸血鬼だぁーっ!》と思ったものの最近は抵抗は何もない。そもそも抵抗感じるような奴だったら
  見逃してない。後腐れなく殺してる。
  ちなみにエイジャはヴィンセンテにゾッコンらしい。
  ……。
  考えてみれば地下の区画に一緒に寝起きしてる(部屋は違うけど)わけだから色々と大人な関係なのかな?
  ヴィンセンテ、さすがに吸血鬼としての本性は現してないだろうけど。
  勝手に屋敷に吸血鬼増やされても困るし。
  さて。
  「家だと落ち着くわ」
  「それはよかった」
  「お兄様。お仕事は順調?」
  「軌道に乗ってきたよ。私は業務を見れないから、経理を担当している。会社の規模が大きくなったので皆、役付きだよ」
  「へー」
  社長はオチーヴァらしい。
  まあ、聖域時代も彼女が仕切ってた。ヴィンセンテはその補佐。
  大体シェイディンハル聖域の序列が影響しているらしい。
  「フィッツガルド。アントワネッタ・マリーから聞きましたが……」
  最年長の長女であるオチーヴァが口を開く。
  「闇の一党が再起動したとか」
  「ええ」
  「彼女が言うには、我々が仕切っているとか」
  「ぶーっ!」
  スープを口から噴出す。
  アンめぇーっ!
  いらん事を言いやがってぇーっ!
  「フィー。俺ら信じてくれよ」
  オチーヴァの双子の……弟か兄貴かは知らないけど、ともかく双子のテイナーヴァが言う。
  あれ?
  「前はフィッツガルドって言ってなかった?」
  「そうだっけか? まあいいじゃないか」
  「別にいいけどさ」
  信じてくれ、か。
  元暗殺者が何を言ってんだか。
  ……。
  そう。
  元暗殺者だ。
  今は《黒の乗り手》という会社を興して、順風満々。わざわざ暗殺者に戻る必要がどこにある?
  どこにある?
  どこに?
  「まっ、いいわ。信じる」
  「さすがは親友ですねっ!」
  「……」
  カジートのムラージ・ダール。性格変え過ぎです。嫌い合ったのは遠い昔。
  私が奪いし者に出世し、浄化の儀式で見逃してから私に懐いてる。
  根性なしかお前は。
  一度始めたキャラ性は最後まで貫き通して欲しいものです。
  「ところで皆、アマンダって知ってる?」
  「まだ浮気してるのっ!」
  キリがないのでアンの叫びは黙殺。
  いや本当構い出したら際限ない。
  「アマンダ? ……ふむ。悪いが妹よ、私は知らない。オチーヴァ、君は知らないか?」
  「知らないねぇ」
  博識なヴィンセンテ&オチーヴァも知らないらしい。
  シェイディンハル聖域で待ち構えていた暗殺者で、おそらくは新生ブラックハンドのメンバー。階級は知らない。
  「召喚魔法を使う暗殺者なんだけど」
  「珍しいタイプですね」
  「珍しい?」
  ヴィンセンテの言う意味が一瞬、分からなかった。
  「どう珍しいの?」
  「闇の一党は暗殺集団。忍んで殺すのが暗殺。召喚魔法覚えるぐらいなら攻撃魔法を覚えるのが普通ですよ」
  「ああ。そういえば」
  例えば。
  例えば、屋内に侵入して暗殺するなら、侵入した時点で穏便に殺せばいい。わざわざオブリの彼方から悪魔を召喚する
  手間は必要ない。その手間を行う間に殺せばいいのだから。
  まあ、召喚魔法を極めた後に、何らかの理由で闇の一党に加盟したら話は別だけど。
  ともかく暗殺技能の一環として召喚魔法を習得する奴はいないわけだ。
  珍しいタイプ。
  ヴィンセンテ&オチーヴァは闇の一党生活が長いし、聖域の管理を任されてたのだからある意味で幹部。情報通でもある。
  そんな2人が珍しいタイプの暗殺者アマンダを知らないのであれば。
  この家に住む面々が闇の一党脱退した後に入った新人?
  アマンダみたいなタイプを幹部に据えるとなると、完全に私オンリーを付け狙ってるわけだ。どんなに能力に秀でても普通なら
  新人を幹部には据えない。
  要は私に対する対抗馬ってとこかな。
  正面からぶつかってくる以上、アマンダのような能力者の方が雑魚のような暗殺者よりもやり辛いのは確かだ。
  まあ、いいわ。
  相手がどんな能力者だろうが今までと同じ対処で問題ない。
  対処?
  簡単よ。殺せばいい。
  ……。
  それにしてもエイジャの前での話題ではなかったような気もする。
  ま、まあいいけど。
  「では家族の健康を祈って。乾杯」
  『乾杯』
  ヴィンセンテの乾杯に、唱和して応える面々。
  変な暗殺者達だ。
  「がっははははははっ! うまいぞうまいぞ♪ エイジャさん、お代わりだっ!」
  「ほほほ。私がしますわ。ゴグロン、貸して」
  ゴグロンとテレンドリル、仲良いけど恋人?
  前にそんな噂聞いた気がするけど……オークとボズマーの恋人……取り合わせ的に変だよなぁ。
  「フィー」
  「……」
  もぐもぐ。ぱくぱく。
  んー。スローターフィッシュのムニエルおいしー♪
  「フィー」
  「……ん?」
  隣に座るアンが静かに囁く。
  元暗殺者達にテーブルマナーは存在しない。いつの間にか、ドンチャン騒ぎになってた。
  まあ、ヴィンセンテとオチーヴァは礼儀正しく食べてるけど。
  「何?」
  「フィーって10回言って」
  「はっ?」
  10回クイズ?
  前に真に受けて答えたところ罠に引っかかった。
  アンを10回言ってと求められて真に受けたところ《あんあんあん♪》という喘ぎ声に変換され階下に響きオチーヴァに怒られた。
  フィー?
  考えてみる。
  ……。
  特に問題はないと思う。
  小声で呟く。
  何だかんだ言っても、アンが悲しむ顔は見たくないからだ。極力は期待に応えてあげたい。
  はぁ。
  相変わらず甘いなぁ。
  「フィーフィーフィーフィーフィーフィーフィーフィーフィーフィー。……で?」
  「んふふー♪」
  「それで?」
  「
フィッツガルドっ!
  ……まただ。
  オチーヴァが怒鳴る。
  今度はどのように変換されて聞えたのだろう?
  次にアンに向って怒鳴った。
  「テーブルの下で何してるかは知りませんがアントワネッタ・マリー、フィッツガルドの性格を忘れたのですかっ! 彼女は本能の
  ままに赴いて生きる人物ですよっ! 食事中に《ひぃひぃひぃひぃひぃ》言わせるなんて論外ですっ!」
  「ごっめーん♪」
  ……私、凄い事言われてます。
  ……ちくしょう。
  「オチーヴァ。前に言った事を忘れたのですか?」
  「それは……」
  静かに諭すヴィンセンテ。
  またかよこの展開。
  アンは当然計算してこの展開に持ち込んでいるのだろうけど、だとするととてつもなく頭が良いぞこの女。
  天然系だと油断した報いか。
  「フィッツガルド。私達家族は君達の関係を大いに尊重しますよ。アントワネッタ・マリー、彼女とお幸せに」
  「わーい♪」
  「すいませんそれって台本がありますよね確実に私弄る為のマニュアルもありますよね?」
  ……ちくしょう。




  「ふぅ」
  深夜。
  私は眼が醒め、夜のスキングラードの街を歩いた。
  酒場の喧騒は聞えるものの、基本的には静かな夜だ。今日は満月。
  綺麗で素敵な夜だけど、少々曇っているので月は時折姿を隠す。
  「んー♪」
  大きく伸び。
  夜の空気を肺一杯に吸い込む。
  「良い夜ねぇ」
  別に当てはない。
  ブラブラ歩いているだけ。さすがにパジャマではなく、平服に着替えているものの武装はしていない。
  ただの散歩だ。
  色々とイベント続きだったし、今日は今日でマグリールの尻拭いの為に《落盤の洞穴》で働いてた。
  ミノタウロスには求愛されるし死霊術師とはぶつかるし虫の隠者まで出張ってきた。
  疲れてる。
  疲れてるけど、熟睡は出来なかった。
  「あの女めぇ」
  アンの所為だ。
  あの子と寝ると《何かお話して》とか《今日は〜があった》とか、話が長い。私は寝たいのに色々と話し掛けて来る。
  挙句に向こうは話疲れて勝手に眠るけど、私は私で目が冴える&話し過ぎで喉が無性に渇く。
  お陰様で現在、散歩の最中っす。
  まあ、意味は分かるけどね。
  アンはアンで幼少時から悲惨だったわけだから、大人になり切れてない部分がある。
  それは分かる。
  私も正規の教育受けてない。受ける前に両親は賊に殺されたし、私は放浪生活を余儀なくされた。挙句にオブリに飛ばされた。
  似た者同時とは思う。
  ……。
  ……あの子ほど、突飛な性格ではないとは思ってるけれども。
  「あれ?」
  金髪の子が走っているのが見えた。
  走っている、しかしそれは全速力ではなく私を誘うように、ゆっくりゆっくりと。こちらを見た。
  「アン?」
  「ふふふ」
  遠目だから分からない。
  それに夜。
  しかしアンのような気がした。だとしたらあいつ、何してんだ?
  「ちょっと」
  「ふふふ」
  笑いながら金髪の少女は走り去る。
  追いかける。
  しかしどうしても追いつけない。
  誘われるように。
  「アンっ!」
  「ふふふ」
  私は走った。
  私は……。


  気付けばスキングラードの聖堂の裏にまで来ていた。
  この街の聖堂はジュリアノスを祀っている。
  九大神の1人で、知恵と論理を司る神様。文学者などが好んで崇拝している神様だ。
  まあ、そこはいい。
  「……」
  アンの姿はない。
  そもそもあれはアンだったのか?
  ただ、金髪というだけだ。
  何故か気分が高揚し、何故か何も考えずに金髪の少女を追って走って来たものの、今ではそれが軽率だと理解している。
  「誰かいないの?」
  武器はない。
  衛兵もさすがに聖堂の裏までは巡回しない。
  声を張り上げれば駆けつけてくるだろうけど……ああ、それも無理かな。多分、通りにまで声は届かない。
  ザッ。
  誰かが歩いてくる。
  闇を引き剥がし、私の前に姿を現したのは深紅のドレスを着込み、ルビーを悪趣味なほど身につけている少女。
  今宵の晩餐の話題の一つだった、アマンダだ。
  「お久し振りね」
  「取り巻きもいないのに私に喧嘩売るわけ? ……それ笑える」
  こいつも金髪。
  何気に《アンが聞えし者かも?》という流れではあるものの、アマンダの登場以来《金髪の少女が聞えし者=じゃあこいつかも》という
  方程式が成り立ち私を惑わせる。
  でもだから何?
  ここで始末すればお終い。
  それだけよ。
  「最近何気にオブリ無双みたいな流れで暗殺者蹴散らしてきたけどそろそろ疲れたわ。お前殺すよ」
  「あっははははははははっ!」
  「……?」
  「夜の母に敵うものかっ!」
  「夜の母?」
  すぅぅぅぅぅぅぅぅっ。
  問い返すと、そのままアマンダは闇に溶け込んだ。
  「き、消えた?」
  気配がない。
  あまり気配読むのは得意ではないけど……少なくとも、周囲にはいない。
  「あ、あれ?」
  足がガクガク震えてくる。
  な、何で?
  「……恐れよ……」
  「ひっ!」
  小さく悲鳴を上げた。
  しわがれた老女のような……多分正真正銘の老女なのだろう。声が響く。姿はない。
  おそらくはアマンダが言う《夜の母》とかいう奴の声なのだろう。
  夜の母?
  夜母ではなく、似た呼称なだけ?
  ……また面倒な類似が出て来たわねぇ。
  これで《夜の母ってもしかして夜母本人?》とかいう設定が増えたじゃないの。
  さて。
  「……恐れよ……」
  「ど、どこにいるのっ!」
  「……ここだよ……」
  「……ここだよ……」
  「……ここだよ……」
  声が無数にする。
  場所を特定できない。足が逃げたがってる。ここから走って逃げたがってる。
  頭が臆病。
  腕が臆病。
  足が臆病。
  何よりも心が臆病。
  「ど、どこにいるのっ!」
  ガッ。
  何かが足を掴む。
  恐る恐る視線を足元に移すと……自分影の中から腕が伸びていた。
  「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  腕は増えていく。
  足を無数の腕が掴み、やがて私は立っていられなくなる。
  ドサッ。
  「ひぃっ! やだぁっ! やだよぉーっ! 私死にたくないっ! やだ、許して許してぇーっ!」
  倒れた私を容赦なく腕は掴み、地面に縛り付ける。
  ……いや。
  ググググググッ。
  地面が泥のようにぬかるんで行くのが分かった。じ、地面の中に引きずり込まれるっ!
  「……行こうシシスの虚無の海に……」
  「……お前が殺した者達が待っている……」
  「……そこでお前は永遠に復讐され、永遠に殺され続ける……」
  「……苦痛だけが繰り返される。でも死ねない。だってお前はもう死んでるんだもの……」
  「……怨嗟の声を聞け。そして貪られろ。お前は永遠に辱められるのだ……」
  「……永遠に……」
  「……永遠に……」
  「……永遠に……」
  心が壊れそうっ!
  怖いっ!
  わ、私がこんなに簡単に負けるなんて……こんなに、こんなにっ!
  わ、私は……無力なんだ……。
  「レディラックっ! レディラックですよねっ! 俺熱狂的なファンなんすよっ!」
  「……っ!」
  突然、意識が覚醒する。
  第三者の声。
  視界が急速に広がる。夜の闇は、深遠の闇ではない。満月の光に照らされた、柔らかい闇。
  不意に気配を感じた。
  視界の先にはアマンダと、ローブの老女。
  ……。
  ……そうか。幻覚効果のある薬か。
  外に出た時深呼吸した。その際に、不用意に吸い込んでしまったのだろう。
  そんな下らない手で私が泣き叫んでた?
  実際には私は倒れてなく、ただ虚ろに立ってただけみたい。つまり全てが幻覚であり幻聴だった。もしくは幻術か。
  いずれにしても下らない手だ。
  下らない手だけに、そんな技で私を惑わした罪は万死っ!
  「裁きの天雷っ!」
  バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
  雷が襲う。
  しかしそれは届かない。
  アマンダは魔力障壁を張り巡らせて、魔法を弾いた。私は自らの雷を受けて一瞬、息が出来なくなる。
  魔法は効かないものの少々驚いた。
  「ちっ」
  次を放つ前にアマンダと夜の母は消えていた。
  少々侮ってた。
  こういう手段で来るとはね。今度は気をつけよう。精神攻撃には強い気でいたけど、少し油断した。こんな事は二度とないように
  心掛けよう。強い自分のイメージが崩れて一番嫌なのは、私自身だ。
  「ところで誰か知らないけど助か……おおっ!」
  思わず叫ぶ。
  目の前の《熱狂的なファン》を自称しているのは、ボズマーの少年だ。私はグランドチャンピオンだからそれなりに顔が売れてる。
  そこはいい。
  そこはいいのよ。
  「レディラックっ! 俺にサインくださいよー♪」
  「……」
  エルフ系は人間系とは感性が異なるのか、奇抜な髪形が多い。
  アルトマー達の中で現在流行っている髪型はソフトクリームのような髪型。ウンバカノやセリデュールもそうだった。
  たまたま帝都で眼に入ったダンマーはクワガタのような髪型をしていた。
  今、眼の前にいるボズマー。
  「タ、タマネギ」
  そう。
  まるでタマネギのような髪型だ。
  ……。
  こ、これは私を笑わそうとしているのか?
  グランドチャンピオンの心を和ませる為の作戦か?
  「肩もみましょうかそれとも靴でも磨きますか? 俺、グランドチャンピオンの為ならなんでもするっす♪」
  「タ、タマネギ」
  これは時代の最先端な髪型か。
  ……。
  私は思う。
  絶対に流行ってはいけない髪型だ。このタマネギのような髪型は殺人兵器だー。
  おおぅ。











  「……お姉様。顔近いんですけど……」
  「んふふー♪」
  同じベッドの上で一緒に寝そべっているアントワネッタ・マリー。
  ローズソーン邸の、私の部屋。
  ……。
  い、いえっ!
  別に一緒のベッドで寝そべってはいるものの『フィーどうだった?』『お姉様素敵でした♪』という展開ではない断じてないというか
  そもそも今の説明のような関係ではないですそもそも恋人じゃないです。
  しーんーじーてーっ!
  「お姉様私のベッドの上で本読まないで自分の部屋に行けば?」
  「もう、いけずー♪ 愛しいけど憎いお方♪」
  「ちびまる子はあんたは」
  あれから3日。
  体がけだるいので私は毎日ゴロゴロしてる。
  まあ、今まで色々とイベントだらけだったからたまにはいいかなぁとは思う。休息は必要だ。
  ……私にはね。
  「アン、貴女少し太ったんじゃない?」
  「そう?」
  「うん」
  「まあ、ちょっとだけだよ。最近暗殺もしてないから運動不足で五キロ太った」
  「あんた女の五キロは大きいわよ」
  「じゃあ今夜もカロリー落とす為に2人で頑張ろう♪」
  「……」
  エロかこいつは。
  ま、まあ今更確認するまでもなくエロエロなお姉様ですけどね。
  アンも少しは働けばいいのに。
  元シェイディンハル聖域の暗殺者の面々が始めたのが《黒の乗り手》と呼ばれる郵便配送会社。
  本社はスキングラードのサミットミスト邸。
  サミットミスト邸は、ここローズソーン邸と同じ通りにある豪邸だ。
  既に会社は軌道に乗り、各都市に支社がある。
  異例なまでのスピードで業績が急上昇した会社であり、暗殺者達は全員役付きになってる。
  ちなみにあたしは常務。
  アンは広報部長。
  ……。
  ま、まあ、何もしてないですけどね。
  さて。
  「フィー好きぃー♪」
  「はいはい」
  むぎゅー。
  抱きついてくる。
  この子本気で何歳なのだろう?
  コンコン。
  扉がノックされる。
  「ご主人様。お手紙でございます」
  「どうぞ」
  ガチャ。
  ぺこり。入室来るなり、一礼のエイジャ。堅いんだよなぁ、この年上のメイドさん。
  1人で全員の面倒を見るのも大変だろう。
  もう一人雇った方がいいのかな?
  「どうぞ」
  「ありがと」
  「相変わらず仲がよろしいのですね」
  くすりと笑う。
  どういう仲と認識しているかはいささか不明。イタズラっぽくエイジャは微笑んだ。
  「私も仲間に入ってよろしいですか? 年の功の技、お見せしましょうか?」
  「はっ?」
  「もっちろんだよエイジャ。あたしと2人でフィーを失神させるべくがんばろー♪」
  「はっ?」
  すいません私は一体何されるんですか?
  てか失神って何?
  ……ちくしょう。
  「では。これで」
  ぺこり。一礼して、下がるエイジャ。
  雇い主弄るってメイドとしてどうよ?
  おおぅ。
  バタン。
  扉を閉じる際にエイジャはにこりと微笑んだけど……今夜を楽しみにしているという意味か?
  ……。
  うがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!
  ちょっと前まで私は格好良かったっ!
  新人アリスを育てる、出来る女のイメージだったっ!
  それが崩れていくーっ!
  ……ちくしょう。
  「はぁ」
  「大丈夫♪ あたしの方がエイジャよりもフィーの事大好きだから♪ 好き好きー♪」
  「はいはい」
  手紙を読むとしよう。
  手紙は帝都のローランドからだった。


  『敬愛なる名誉会員殿へ』
  『わざわざ手紙を送ったりして申し訳ないとは思っているものの、事は緊急を要する為に手紙を送る事にした』
  『高潔なる血の一団はまだメンバーが少ない。腕も立ち、すぐに動けるのは君だけなのだ』
  『最近シェイディンハル方面で吸血鬼ハンターほ名乗る者がいる』
  『しかしその者は我々の同胞ではないのだ』
  『全ての吸血鬼ハンターが高潔なる血の一団に加盟しているわけではないものの、いささか気になる』
  『以前も吸血鬼ハンターを騙って殺人を正当化しようとした不届き者がいたとギレンは警告している。君には大変すまないがもしも
  この手紙を読んだのであれば直ちにシェイディンハルに向って欲しい』
  『今回の報酬を先に送っておく』
  『では、よろしく頼む』


  帝都にいるローランドは、高潔なる血の一団という吸血鬼ハンターの元締めだ。
  以前、お世話した。
  その結果として私は名誉会員となっのだ。
  報酬?
  封筒を逆さにすると紙切れが出てくる。引換証だ。
  ローランドは金貨を送ったのだろう。
  金貨や品物の配送の場合は一時《黒の乗り手》の事務所(この場合は本社)に送られる。
  確実に品物を届ける為のセキュリティーの一環だ。
  あとで引換証を持って、金貨と交換しよう。報酬は金貨500枚らしい。
  結構な額だ。
  「ふむ」
  受け取った以上はお仕事として引き受ける事になる。
  シェイディンハルかぁ。
  そういやこの間行ったばかりだけど……まあ、いいか。行くとしよう。
  「フィーまた旅に出るの?」
  「お仕事ですから」
  寂しいのか、アンは俯いた。
  ……。
  はぁ。
  こういう顔されると無下には扱えない。
  計算して行っているのか、それとも本音としてそうなのかは知らないけど……うー、このまま見捨てたら私が悪いみたいじゃないの。
  「アン。分かってるでしょ。生きる為にはお金がいるの。貰った以上は、仕事しなきゃいけない。おっけぇ?」
  「うん」
  「ならいいのよ。今夜発つわ」
  「じゃあ、それまで愛を確かめ合うんだね? ……いいよ、おいで。あたしを忘れないほど抱けばいい……」
  「すいません私のイメージ崩すの勘弁してくれませんか」
  ……分かってないこの女は何も分かってない。
  ……ちくしょう。