天使で悪魔





堕落と良心




  世界には人を導く者がいる。
  人はその者達に、聖人君子を求める。
  しかしそれは土台無理な話だ。例え教える立場にあっても、人は人。生臭いし胡散臭さは普通の人間と変わらない。
  結局、人なのだから。

  人を導く者。
  その者が良心を失い、堕落した時、それは凶器になる。極めて残酷な、凶器。
  そして狂気をも生み出すだろう。
  権力は刃。
  振るう者は、それを弁えなければならない。





  「はっ?」
  私は思わず聞き返した。
  今日は色々としんどかった。
  戦士ギルドの手伝いは、まあ、それほどではなかったもののシェイディンハル聖域でのアマンダ率いる闇の一党との戦い。
  その後、ライス・ライサングスが創り出した絵の世界で冒険。
  スーパートロルやセクハラ娘のアントワネッタ・マリーといった、絵の中に具現化した連中を相手した。
  しんどかった。
  うん、とっても疲れた。『神罰』を二回も使ったし。
  それなのに……。
  「もう一度言ってみて」
  「手数料を払え」
  この街の衛兵隊長を名乗るウルリッチ・レイランドは倣岸と言い放つ。
  ダンマーの夫妻は説得する。
  ウルリッチ、ではなく私を。
  ……何なの?
  「き、君」
  「はっ? 私が悪いの?」
  さっき絵の中から救出したライス・ライサングスは、どこか私を批判するような口調だ。
  奥さんは奥さんで、ウルリッチにお金を払っている。
  お金を払う理由は、巡察中に怪しい者がここに入るのを見たからわざわざ訪ねてやった……からだそう。
  つまり気にして見に来てやったから払え、ってわけだ。
  ちなみに怪しい者が私なのか、それともここに盗みに入ったボズマーの盗賊かは不明。
  「……払った方がいい」
  「……何で?」
  コソコソと耳打ちするライス。
  どうもウルリッチ、この街で恐れられているらしい。
  別に私は怖くない。
  怖くないけど……あまり無下にすると、夫妻に迷惑が掛かる。仕方ない。私は懐から金貨の入った袋を取り出す。
  けっ、無駄な出費だ。
  「幾らなの?」
  「金貨30枚だ」
  「なっ!」
  こ、こいつ吹っ掛けすぎだろうがっ!
  推定資産金貨10万枚の私にしてみれば微々たる金額だけど、一般家庭にしてみれば大金だ。
  何なんだ、こいつ?
  どうしてこんなのがまかり通るのだろう?
  この権勢は何?
  チャリンチャリーン。
  金貨を払い、相手の目を見ながらもう一度名前を聞く。
  「貴方、名前は何だっけ?」
  「ウルリッチ・レイランド。この街の衛兵隊長。インダリス伯爵から街の治安の全権を委ねられている」
  「ふぅん」
  「ほれ」
  手を出すウルリッチ。握手、ではない。
  「何?」
  「名前を名乗ってやったから、金貨5枚だ」
  「……」
  こいつ殺す。






  ニューランド山荘。
  ダンマーのデルヴェラ・ロマレンが経営する、宿屋兼酒場。
  この間、ジェメイン兄弟の一件で立ち寄った場所だ。
  なかなか料理がおいしかったので、情報収集のついでに立ち寄った。
  イノシシの肉をふんだんに使ったハンバーガーを頼み、サラダとスープも頼む。ついでにハチミツ酒。
  陣取ってる場所は当然カウンターの席。
  そうじゃなきゃ女将と話出来ないしね。
  「ウルリッチ・レイランドって何者なの? やたら偉そうだったけど」
  賄賂要求されたし。
  面倒になるから、ライスも払えと小声で耳打ちするし。
  結局払いましたよ、ちくしょうめ。
  「ウルリッチ・レイランドね」
  嫌そうな顔で呟く。
  嫌われ者らしい。
  まあ、ライスと奥さんの顔見りゃ一目瞭然だけど。
  「あの男が衛兵隊長になってからというもの、この街も住みにくくなったよ。今じゃ外を出歩くのも怖いぐらい」
  「どういう事?」
  「旅人さんには分からないだろうね。この街の住人にとって、あいつは天敵さ。……いやいや守銭奴だね」
  「まあ、それは分かる」
  賄賂払ったし。
  「ありとあらゆる違法行為に対して高額の罰金を取り立てるの。それでも飽き足らずに次々と法律を作ってるのよ。それこそ、
  罰金を取るために法律を作っているといっても過言じゃないね」
  「もし罰金が払えないと?」
  気になったので聞いてみる。
  半ば自嘲気味に、デルヴェラ・ロマレンは吐き捨てた。
  「家財を差し押さえたり、牢獄に叩き込んだりするのよ。正直、私達には手も足も出せないわ」
  「伯爵はどうしてそんな奴に全権委ねてるの?」
  「知らないのさ。奥方亡くなってから腑抜け。息子は騎士道ごっこで忙しい。……ウルリッチが台頭する理由分かるでしょ」
  「……なるほど」
  奥方亡くなって、ね。
  これは私の責任?
  伯爵は闇の一党の存在を知ってた、この街に聖域があるとね。
  だからルシエンが口止めに多額の献金をした。
  貰うだけ貰っておいて伯爵は闇の一党撲滅を掲げた。だから闇の一党が脅しとして伯爵夫人を暗殺した。伯爵は沈黙。
  ……。
  ……となると、これは私の責任の範囲内かな?
  いや、私が直接手を下したわけじゃないけど、その時期は闇の一党に属してたしなぁ。
  色々と過去が私に祟ってる。
  ……ちくしょう。
  「もしももっと詳しい話が聞きたいのなら、レヴァーナ・ネダレンに聞くといいわ。ダンマーの女傑よ。ウルリッチに対してもっとも
  批判的で、声高に彼のやり方を批判しているから」
  「ふぅん」
  さて、どうする?
  以前帝都で衛兵隊長の不正を私は告発した事がある。帝都軍総司令官アダマス・フィリダにね。
  アダマス・フィリダは衛兵隊長の不正が明るみに出ると、士官に任命した自分の責任問題にもなりかねないので当時帝都軍巡察隊
  に所属していた私を人身御供にしやがった。
  つまり、士官を護る為に一兵卒の私を切り捨てやがった。
  ……。
  まあ、その仕官も最終的には市民の告発で逮捕されたけど。
  「んー。どうしよう?」
  このまま引っ込むのは面白くない。
  かといって、また同じ展開になる可能性もある。
  さて、どうする?






  腐敗。
  この街の衛兵達は腐っている。
  しかし声高には叫ぶ事はない。何故なら、腐敗している連中は公的機関の面々。
  権力は絶対。
  だから、権力を持つ者が腐っている時、それは民衆にとって過酷な時となる。
  「失礼しまーす」
  ガチャ。バタン。
  もちろんノックもしたし、相手の了解も得た。
  レヴァーナ・ネダレンの家。
  この街で唯一、腐敗の権化であるウルリッチ・レイランドを声高に批判する、女傑の家。
  迎えてくれたのはダンマーの女性。
  ……。
  結局、この街の腐敗に一枚噛む事にした。
  ウルリッチの事を思い出すと腹立つし。

  「貴女はウルリッチの手下じゃないわね。顔が優し過ぎる。どなたかしら?」
  「ふふふ」
  少し、嬉しくて微笑む。
  それにしても顔が優しい?
  私が?
  そんな私は闇の一党の最高幹部『聞こえし者』です♪
  てへ♪
  「それで何の用件? セールスならお断りよ」
  「聞きたい事があって」
  「聞きたい事?」
  「ウルリッチ・レイランド」
  「何故、貴女がそれを知りたがるの? 見たところ……この街の住人ではなさそうね。住人なら、聞かずとも知ってるものね」
  「金せびられたのね、ウルリッチに。どんな奴か正確なところを聞きたいの。皆怖がってるし、貴女なら話してくれると聞いたから」
  「あのイカレ男は街の住人全員が破産するか、街の住人全員を監獄送りにしないと気が済まないのさ」
  「ふーん」
  粘着質な性格は当たりみたい。
  相当嫌われている模様。
  「ウルリッチはシェイディンハルの住人から巻き上げたお金で、私腹を肥やしているのよ。その為だけに法律を作り、その為
  だけに罰金を取り立てている。ありえないっ! 私の友人は一ヶ月の間に6回も罰金を取り立てられてるのよっ!」
  「6回?」
  それは確かに多い。
  もちろん、その友人の性格次第の話だけど。つまり、本人に非がある場合かもしれない。
  「その人、何したの?」
  「アルドス・オスランは酔っ払って騒いだ、ただそれだけよっ! 誰だって酔えば騒がしくなるわっ!」
  「……」
  ハチミツ酒一本空けたら暴れる女です、私。
  この街ではあんまり呑まないようにしよう。
  おおぅ。
  「あなたウルリッチの指揮下にある衛兵隊の兵舎の前を通った事ある?」
  「いえ、ないですけど」
  「奴らは毎晩ドンチャン騒ぎよっ! なのに当然連中はお咎めなし、おかしいじゃないっ!」
  「はあ、まあ、そうですね」
  騒ぐだけで罪は、確かにおかしい。
  暴れたわけじゃないのだろうね。聞く限りでは。
  「アルドスは最近罰金を滞納したの。そしたら連中、家を差し押さえたのよっ! 可哀想なアルドスは路上生活よっ!」
  「伯爵は知らないの?」
  知らないっぽいですけどね、ニューランド山荘で聞いた限りでは。
  ダンマーの女傑は忌々しそうに高笑いした。
  「はっ! あの高貴なお方は私らのような平民がどうなろうと知った事じゃないのよ。毎晩の食卓に子豚の丸焼きが出されていれ
  ばご満悦な奴なのよ。……ただ、唯一の救いは、ギャラスね。あいつは衛兵にしては、まともな奴なのよ」
  「誰それ?」
  「ギャラス・ダレリアン。衛兵隊の副隊長でね、ウルリッチのやり方に批判的なのさ」
  「そいつ信用できるの?」
  アダマス・フィリダの事を思い出す。
  あいつは告発した私に罪を被せて、投獄したからね。
  士官が汚職で逮捕されたら体面に関わる。だから一兵卒の私に全てを被せやがった。
  ……まあ、報いは与えたけどね。
  くすくす♪
  「信用は出来るだろうけど……何故、貴女が気にするの?」
  「異邦人の私の方が動きやすいでしょう? ウルリッチにいささか不快な目に合わされたからね」
  私を敵に回した以上、不幸になってもらわないとねぇ。
  覚悟して置きなさいな、ウルリッチ隊長殿。
  ほほほー♪
  「それでレヴァーナ、ギャラスって衛兵をこちら側に引き込めばいいわけよね?」
  「そう、彼ならウルリッチの告発を手伝ってくれる」
  大きく彼女は溜息を吐いた。
  安堵からかな?
  「どうしたの?」
  「これで、アルドスを救えるわ」
  「救う?」
  「アルドスは可哀想な人なのよ」
  「可哀想?」
  頻繁にウルリッチに標的にされてるから?
  それとも家を接収されたから?
  「彼と奥さんは帝都からシェイディンハルに戻る最中にね、盗賊に襲われたのよ。奥さんは亡くなったわ。それ以来、いつも
  酒浸りなの。確かにたまに騒がしいけど、誰も傷つけた事はないわ。物を壊す事すらないのよ」
  「ふぅん」
  まあ、基本的に深酒すれば誰だって騒がしい。
  咎めたり注意したりするべき事柄ではあるものの、罰金取るほどの事でもない。少なくとも暴れてないならね。
  自宅の接収は確かに横暴以外の何物でもない。
  「伯爵がウルリッチを何処から連れてきたかは知らないけど、元いた場所に送り返してやるわ」
  ……怖い怖い。





  シェイディンハルの城。
  基本的に各都市の城も出入りは結構フリー。
  領主にも手続きさえ踏めば簡単に会える。まあ、スキングラードは除くけど。
  今回会いたいのは別に伯爵じゃない、1人の衛兵だ。
  「ギャラス・ダレリアンという衛兵はどこ?」
  「……」
  城門に歩哨に立っている衛兵に訪ねる。
  まあ、普通沈黙よね。
  探している相手は市内の治安維持を司る衛兵隊の副隊長。居場所を訪ねるにはそれなりの理由が必要か。
  「私は彼の恋人。てへ♪」
  「……」
  「……はいはい、これでどう?」
  チャリンチャリーン。
  金貨数枚を手渡す。
  「ギャラス副隊長は兵舎にいるよ。兵舎は向こうの方だ。衛兵の大半は巡察に出払っているからゆっくり逢瀬を楽しんでくれ」
  「そりゃどうも」
  金貨渡した途端に饒舌になる、か。
  お金は時間を無駄にせずに円滑に物事を進める万能の代物らしい。
  「ふぅ」
  今回は無駄な出費が多い。
  私は兵舎に向かう。



  「貴方がギャラス・ダレリアン? 副隊長の?」
  「そうだが……君は?」
  「私はフィッツガルド・エメラルダ。単刀直入に言うけど、ウルリッチ・レイランドを告発するわ」
  「何?」
  場所は兵舎。ギャラスの私室。
  副隊長なので、他の衛兵のように相部屋ではなく私室を与えられているようだ。
  私室、といっても大分狭いけど。
  それでもプライベートは保たれているし、告発のような話の場合には都合がいい。
  ギャラスは椅子に座ったまま、私を無言で見ている。
  アダマスの二の舞?
  また告発した私を闇に葬るタイプかなぁ。こいつ。
  ただ辛辣な批判をぶちまけていたレヴァーナが認めている相手だから、信用は出来ると思うけど……どうなんだろ。
  「何故、告発を?」
  「賄賂要求されたから。それに聞けば聞くほど、ウルリッチ腐ってるし」
  「誰に聞いた?」
  「それは言えないわ。貴方が何処まで信用出来るかによるわね。でも、皆言ってるわよ?」
  「君の話の大半はレヴァーナだろ?」
  「あらら。よく分かったわね」
  「ウルリッチを声高に悪く叫ぶのは彼女ぐらいのものだ。……しかし悲しい事に、彼女の言葉は真実に限りなく近い」
  疲れたような口調で溜息。
  味方になる?
  さて、それはどうか分からないけど、少なくともウルリッチには批判的だ。
  味方に引き込んでやる。
  「罰金で街を潤す計画? それにしては、あまり潤ってないように見えるけど」
  「ウルリッチが取り立てている罰金の大半は、奴の懐に流れている。帳簿に不審な点を見つけて調べあげたから間違いない。
  ただインダリス伯爵閣下に不正を立件するには確実に証言してくれる住人が必要なのだ。しかし、それも難しい」
  「帳簿の不正を見つけたんならそれで叩けばいいじゃない」
  「無理だ。奴が使い込んだという証拠はない」
  「はっ?」
  「つまり、誰が使い込んでいるかなんてこれでは分からない、という事だ」
  「ああ、なるほど」
  確かにそれはあるか。
  ウルリッチのおこぼれ貰ってる衛兵もいるようだし、そいつに罪を被せる可能性だってある。
  告発に使うには、少々甘い証拠だ。
  「レヴァーナに証言を頼めばいいんじゃない?」
  「彼女は駄目だ」
  「何故?」
  「彼女は罰金の憂き目に合ってない。ウルリッチの違法な罰金を告発するには少々適さない。それにウルリッチを嫌い抜いている。
  それ故に、証言には向かない。伯爵は私怨と見るだろう。……私が望んでいるのは、アルドス・オスランなんだ」
  「あー、家を没収された人ね」
  「彼が一番望ましい。……もちろん、5分で酔いを醒ませればの話だが」
  「はっ?」
  「実は私はまだ、アルドスと接触した事がないんだ」
  「何で?」
  「ウルリッチに警戒されている。奴の立場は隊長、私は副隊長。どうも信用されていないらしく私は内勤だ。街を警備している連中
  の大半がウルリッチの息が掛かっている。私は立場上、身動きが取れない」
  「私なら?」
  「その言葉を待ってたよ。この街の住人ではない君なら警戒される事もないだろう。どうか、頼む」
  彼は頭を下げた。
  ふぅん。こいつは真面目な奴だ、良い奴だ。
  少なくともアダマス・フィリダがこういう奴なら私は闇の一党に関わらずに済んだ。
  「証言を頼めばいいのよね?」
  「ああ。頼む」
  衛兵も住人も、治世という名のシステムに組み込まれているに過ぎない。
  この街の所属というだけで身動きが取れない事も多々ある。
  でも、私は異邦人。身動きは取れる。
  「ウルリッチを牢獄に叩き込む手助け、始めようかなぁ」



  シェイディンハルには大きな泉がある。
  街の中には植物が生い茂り、泉の中には魚。
  だからまあ、路上生活になっても飢える事も渇く事もない。
  不運の男は、泉の側で暮らしていた。
  アルドス・オスラン。ダンマーだ。
  今気付いたけど、この街の住人はダンマーやオークが多い。そもそもインダリス伯爵自身ダンマーだ。
  まあ、だからどーしたって感じだけど。
  「ハイ。貴方がアルドス?」
  「……」
  酔眼。
  おお、こいつ酔ってる。酒で失敗したんだから、控えなさいよ。
  「あんたぁ、誰だぁ?」
  「……」
  ギャラスの言葉の意味が理解できたわ。
  こいつ完全に酔ってる。出来上がってる。5分で酔い醒まさなきゃ証言なんて無理。
  「ハイ。私はフィッツガルド・エメラルダ。あなたに証言を頼みたいんだけど」
  「何の証言だぁ?」
  「ウルリッチの不正」
  その言葉を聞いた途端、彼の表情が変わった。
  石にも噛み付きそうな攻撃的な顔だ。
  喚き散らす。
  ……ああ妙なスイッチ入っちゃったー。
  「あのクソッタレっ! 俺を家から追い出しやがって。オスラン家の俺様にちょっかい出すとはいい度胸だっ!」
  「ちょ、ちょっと」
  「俺がやったのは、酒呑んで派手に転んだだけだっ! ……もしかしたら吐いたのかもしれんよ。でもだからといって罰金6回、
  払えなかったら家を没収ってどういう法律だよちくしょうめっ!」
  「まあ、気持ちは分かるわ。でも私が来た用件は……」
  「堪忍袋の緒が切れたぜっ! ついてきな、オスラン家の者が追い詰められたらどうするかを連中に教えてやるっ!」
  「はっ?」
  彼は茂みの中からわずかな私物が入っているのだろう袋からナイフを取り出し、身につける。
  なんかよくない展開じゃない?
  こいつ何処斬り込む気だ?
  「何する気?」
  「俺の男を見せてやるだけだ、来いっ!」
  一方的に言い放ち、ずんずん歩く。
  仕方なく着いて行く。
  城の方に、つまりウルリッチがいる兵舎の方に斬り込むのかと思ったらまったく逆の方向。
  少し安堵。
  事をこれ以上面倒にしたくない。
  「あれ?」
  彼が向かう先は、レヴァーナの家?
  間違いない、そっちの方向だ。まさか逆切れしてレヴァーナ襲うとか?
  んー、それはないかなぁ。
  レヴァーナの家を通り過ぎ、隣の家の前で止まった。
  隣の家の玄関には衛兵が1人直立不動で立っている。何でこんな場所に衛兵がいるんだ?
  アルドスが叫ぶ。
  「ここは俺の家だっ! どけっ! どけってんだっ!」
  嘘っ!
  ここがこいつの家……えっ、レヴァーナはそんな事一言も言わなかった。
  ……。
  そうか、2人は親密な間柄なんだ。
  だからこそレヴァーナはアルドスの為にあそこまで怒っていたんだ。
  ある意味で恋愛絡みか。
  だからこそギャラスはレヴァーナが適さないと判断したのかもしれない。
  何故なら、レヴァーナが声高に叫んでいる理由はアルドスの為に、つまり恋愛感情から出る怒りの声であり、公正な証言の場
  ではそれは適さないと判断しているのだろう。
  なるほどなぁ。
  私が納得している間に、アルドスと衛兵は言い争いを始めていた。
  衛兵にはどこか驕りが見える。
  ウルリッチの取り巻きなのかもしれない。
  「この建物はウルリッチ隊長が罰金滞納の処置として接収したもの。正規の手続きは踏んでいる。立ち去りなさい」
  「どけってんだっ! さもなきゃご先祖様の名の元に、てめぇを殴って這い蹲らせるぞっ!」
  「警告します。今すぐ金貨50枚を罰金として払いなさい。衛兵に対する侮辱罪です。払わなければ投獄します」
  高っ!
  金貨50枚って……帝都で最高級ホテル《タイバー・セプティムホテル》で豪華な食事をフルコースで食べて一泊出来る金額。
  冒険者にとっては大した額ではないものの、一般市民にとっては軽く一ヶ月の給金だ。
  こりゃ反感抱く奴多いに決まってるわ。
  金額設定ありえないって。
  「罰金を支払いなさい」
  「なんだとっ! この期に及んで罰金かよっ! ウルリッチのクソ野郎は俺の生命保険の受取人にでもなりそうな勢いだなっ!」
  「払う気がないようですね。さあ、来なさい。投獄します」
  怒りに駆られるアルドスの腕を衛兵が掴もうとした瞬間、アルドスは動いた。
  閃く刃。
  「駄目っ!」
  油断してた。
  抜くわけないと思い込んでいた。対応が間に合わない。
  私が動くより先に衛兵は剣を抜いた。そしてそのままナイフを片手に暴れたアルドスを一刀の元に斬り殺していた。
  ……ちくしょう。
  私がいながら……くそっ!
  アルドスは動かない。
  声も息も、もう発していない。見開いた目が青空を眺めていた。
  「正当防衛だ。見ていただろう? 最初に手を出したのはこいつの方だ。文句があるなら告発してみろ。まあ、無理だろうがな」
  「忘れない事ね」
  「何?」
  「今、あんたは一生を棒に振る契約書にサインしたのよ。忘れない事ね」
  「貴様、侮辱罪……っ!」
  ガン。
  金貨がぎっしり詰まった財布を衛兵の顔に叩きつけた。
  頭を押さえて倒れる衛兵。
  「釣りはいいわ、取っときなさい」



  報告しなければ。
  そう思ったものの、ギャラスに報告する前に彼女に伝えるべきだと思った。
  レヴァーナに伝えるべきだと思った。
  「ハイ」
  幾分か、抑揚のない声だと自分でも分かる。
  私は天使で悪魔。慈悲と冷酷を持つ女。
  それでも人の心も持っている。
  さすがにさっきのは辛い。
  相対しているもののしばらく無言。レヴァーナは、静かに私に問い質す。
  「何かあったの? 顔に、顔にそう書いてあるわ。何があったの?」
  「……アルドスが死んだわ」
  空虚な言葉。
  一瞬、レヴァーナは呆けたような顔になる。ただ一言、叫んだ。
  「なんでよっ!」
  「……」
  死ななければならない理由は、確かになかった。
  私が側にいたのに。
  私が常にいたのに。
  なのにアルドスは死んだ。止める事は出来た。出来たはずなのに。
  ……ちくしょう。
  「彼は奥さんが亡くなってから、ずっと不幸だったわ。どうして殺されなきゃいけないのっ!」
  「……好きだったの?」
  「最初は同情だった。でもいつの間にか彼への想いが強くなってたわ。私の家に迎えようとも思ってた。なのに、なのにっ!」
  恋愛感情は私には分からない。
  ふと、アーサン・ロシュの事を思い出す。ブラヴィルで旦那を亡くした彼女の事を。
  「……結局、同じか……」
  私はまた何も出来なかった。
  何も出来ない無力感を感じるのが嫌だから、私はいつだって懸命に選択し、生きてきたつもりだ。
  でもまた同じ結末だ。
  「……殺してやる……」
  「それはやめた方がいい」
  腐っても向こうは衛兵隊長だ。
  殺すのは容易い。私ならそうする。
  でもこの街の住人であるレヴァーナにはリスクが高過ぎる。足がつく。
  私のようにドロンするわけには行かない。
  「ギャラスに報告してくるわ」
  「待ってっ! せめて聞いてっ!」
  「レヴァーナ、貴女のやろうとしている事は無謀よ」
  「助けてちょうだい。ウルリッチをここに誘い出して。一人で来なければ、悪事の証拠をぶちまけるとでも言えば来るでしょうね。
  お願いここにウルリッチを連れてきて。……殺すのは、私の方でやるわ」
  「期待には添えないわね」
  「……」
  話題を変えよう。
  「衛兵隊の様子からして、埋葬はこちらがすべきよね。どうするの?」
  「アルドスの葬儀は私が手配するわ。……奥さんの隣に眠らせてあげようと思ってる」
  「そう」
  私に喧嘩を売った、当初はそれだけの理由だった。
  でも……。
  ウルリッチには不幸になってもらわないといけない。絶対に。確実に。永遠に。
  「レヴァーナ」
  「……何?」
  「殺すのなんて生温いわ」



  シェイディンハルの城に隣接する兵舎。
  一連の事柄をギャラスに報告した。
  「奴の不正に終止符を打たなければならないっ!」
  アルドスを殺したのは別の衛兵だ。
  でもウルリッチの横暴がなければ路頭に迷う事も、今回の悲劇もありえなかった。これはウルリッチの罪だ。
  激怒し、机の上のものを床に叩きつけてからギャラスは声を潜めた。
  「レヴァーナはこの事を知っているのか?」
  「ええ」
  「……そうか……」
  しばらく考え込む。
  熱血漢であると同時に冷静な判断も出来る……何で彼が衛兵隊長じゃないんだろ?
  まあ、あれか。政治性がないからか。
  政治性というよりはおべっか、かな。ウルリッチは伯爵に取り入るのがきっと上手なのだろう。
  「私の元に来た。それはつまりレヴァーナの血気盛んな感情のままの行動を容認できない、という事だな?」
  「彼女がどう動くか、見当ついてるわけ?」
  「ああ、大体な。だがその行動はやめた方がいい。君も彼女も投獄されることになる。事情を知っているとはいえ私も容赦しない」
  「殺しゃしないわ。そんなの生温い」
  底光りする私の瞳を見て、一瞬ギャラスは震える。
  基本、私は残酷ですし?
  それでも今回は人間性の為に戦ってると思ってる。たまには正義の味方でいないとね。
  「ウルリッチには必ず罪を償わせる。しかしそれには証拠が必要なのだ」
  「証拠? 証言ではなく?」
  「アルドスは殺された。既に多くの住人が知っているだろう。殺された、とはいえあくまで合法的にだ」
  「そうね。正当防衛は成り立つわね」
  「告発しようとしたら殺される、そう思い込んでもおかしくない。証人は無理だ。証拠を固める必要がある」
  「証拠ねぇ」
  「この兵舎にはウルリッチの私室もある。そこに忍び込んで欲しい。何かあるはずだ」
  「当の本人は?」
  「巡察という名の集金集めだ」
  「あんたはどうするの?」
  「この兵舎にいる衛兵を全て外に出す。……そうだな、副隊長からの訓示、という名目にしておこうか。……頼めるか?」
  「嫌です」
  「……」
  「冗談。ここまで来たら最後まで付き合うわ。私が始めた事だし、それにここでやめたら後味悪い」
  「頼んだぞ」
  「真っ平」
  「……」
  「冗談」



  私室で待っていろ、そうギャラスは言った。
  待つ事数分、兵舎内の人気が完全に消えた。どうやらギャラスが全員を外に連れ出したらしい。
  「さて、始めるかな」
  ウルリッチの私室の場所は聞いてある。
  外に連れ出しているとはいえ、衛兵達がいつ戻ってくるか分からない。
  あまり時間はない。
  「ここか」
  ガチャ。パタン。
  ウルリッチの私室に入る。
  さっきギャラスに聞いたところ、この部屋の主であるウルリッチは巡察に出ている。戻る前に証拠を探さないと。
  しかし証拠ねぇ。
  「んー」
  帳簿はギャラスが押さえてる。
  なら、その帳簿の不正に関わっている……と証明できる代物を探せばいい。でも、どんなものを?
  それは簡単だ。
  日記とか手紙の類を探せばいい。
  そこで何か告白しているかもしれない。
  それにしても……。
  「みすぼらしい部屋ねぇ」
  確かに治安の全権を委ねられている衛兵隊長の部屋だから広い。
  広いけど、内装は貧弱だ。
  とても民衆から巻き上げた罰金で私腹を肥やしているようには見えない。あまり金目の物はない。
  少なくとも、衛兵隊長の給金で買える代物ばかりだ。
  「不正には関わってないとか?」
  それは……ないな、うん。
  シェイディンハル住民に違法な規則をガンガン乱発して、罰金を容赦なく取り立てているのには当然理由がある。
  どう考えても私腹肥やしてると見るのが普通だ。
  この街の収入にその罰金の大半が記載されていない以上はね。
  ガサガサ。
  部屋を漁るものの、大したモノはない。
  まずい。
  あまり時間を掛けてられない。
  「ん?」
  シェイディンハルの案内書の中から、一枚の紙切れが落ちた。
  拾って、軽く眼を通す。
  ……手紙だ、それも証拠になるな、これ。
  「チェックメイトね」


  『親愛なるイザベルとジェニッタ』
  『今月中にまたお金と色々な物を小包で送れると思う』
  『この仕事は思っていたよりずっと金になるんだ』

  『インダリス伯爵がこんなに間抜けだとは思いもしなかった』
  『あの人は何も気にかけていない』
  『亡くなった夫人を想う事に日々を費やし、シェイディンハルの現状なんて何も考えていないんだ』

  『来月、また罰金を値上げする事にした』
  『これでずっと欲しかった新しい別荘を建てられるぞ』
  『また手紙を書くよ。愛する従兄弟達』


  従兄弟に対する親愛の情は切々と伝わってくるけど、やってる事は不正以外の何者でもない。
  これは証拠になる。
  完全に自白している内容だし、署名はウルリッチ・レイランド。
  内容、署名、どれをとっても言い逃れ出来ないし別の衛兵に罪を被せる事も出来ない。
  ……。
  まあ、従兄弟殿はスルーでしょうね。
  おそらく別の街だし手が出せない。それに不正を働いたのはウルリッチなわけだし。
  それにしてもこんな手紙をゲット出来た理由は、日頃の人徳の賜物だろう。
  ほほほー♪
  「まっ、従兄弟達の生活が潤ったわけだから、安心して牢獄に行ってくださいな、隊長殿♪」



  衛兵達が戻る前にウルリッチの私室を出て、ギャラスの私室で待機。
  物の数分で衛兵達は戻って来た。
  ……危ない危ない。
  ガチャ。パタン。
  ギャラスが戻ってくる。
  「何かあったか?」
  「収穫はあった。はい、これ」
  手紙を手渡す。
  この手紙と帳簿が合わされば告発は出来る。多分立件も出来るでしょうね。
  ウルリッチが逮捕されれば、当然役職は剥奪。そうなれば今まで黙ってた住民達も色々と喋るだろうし、ウルリッチの罪は
  自然重くなる。
  レヴァーナのやり方は短絡的で、一番分かり易い方法ではあったものの殺すなんて生温い。
  生かして牢獄に叩き込むのが最善だ。
  私もレヴァーナも罪にはならないし。
  「よくやってくれたっ! この手紙は、動かぬ証拠になるだろうっ! インダリス伯爵もこれで重い腰を動かすに違いないっ!
  全て君のお陰だ、本当にありがとうっ!」
  「いいわ。別に」
  元々はウルリッチが気に障ったから始めただけ。
  こんな大事になるとは思ってもなかった。
  ……1人、亡くなったしね。
  「これから伯爵に謁見し、ウルリッチと奴の子飼いの衛兵どもを一掃する。……少々時間が掛かるから、ハル・ブリッジという宿で
  待っていてくれ。これで正義が示される事になるっ!」
  「待ってっ!」
  「何だね? まだ何か重大な事が?」
  「悪いけどお金貸してくれない? ウルリッチの手下の衛兵に全額渡しちゃったから無一文」





  翌日。
  結局、昨日の内にはギャラスは来なかった。
  そりゃそうでしょうね。
  金貨50枚借りてここ『ハル・ブリッジ』で生ハム(生ハムラブ♪)を食べながら、ハチミツ酒をチビチビ呑んでのんびり過ごして
  いたものの、お客は全員エキサイトしていた。
  ウルリッチと、ウルリッチの悪事に加担していた衛兵達が一掃されたのだ。皆、祝杯を挙げていた。
  結構大事になっていたらしい。
  刃傷沙汰にはならなかったようだけど、殴り合いぐらいはあったらしい。
  腐敗は一掃。
  良心は勝利。
  ウルリッチは排斥され、ギャラスが勝ったものの……これから大変だろうなぁ、信頼回復。
  まあ、他人事ですけどねー。
  ほほほー♪
  「ごくごく。ぷはぁー♪」
  私は私でカウンターで朝っぱらからお酒呑んでる。
  座るならカウンター。昔からそう決めてる。
  「やあ。朝から祝杯かい?」
  「おはよう、ギャラス」
  ギャラス・ダレリアンは寝ていないのか、目元にクマが出来ているものの清々しそうな顔だ。
  正義が成された。
  まっ、暑苦しいけど悪くないわね。
  ……?
  あれ、ギャラスの着ている鎧が変わってる。
  「ウルリッチは役職を剥奪され、投獄されたよ。奴の手下どもも同じだ。アルドスを殺した衛兵は帝都の監獄へと送られたよ」
  「可哀想可哀想」
  帝都の地下監獄は長期囚人用だ。
  出所してくる頃には、老人でしょうね。まあ、それ以前に生きて出られるかしら?
  大抵は栄養失調や疫病で死ぬ。
  「ウルリッチは、この街の牢獄に?」
  「今のところはね。しかし奴が逮捕された事を知ると、今まで口を閉ざしていた住人達が次々と告発している。おそらくウルリッチも
  帝都へと送られるだろう。悪事の代償は、とてつもなく高かったらしいな」
  「なるほどね」
  「ただ、送金先は告発できないな。街が違うから、法律が違う。そこは諦めるしかない」
  「相手先が強要したわけじゃないんでしょ? なら、別にいいじゃない」
  「そうだな」
  「ところで武装、変わってるよね」
  「ははは。全ては君のお陰だ。私は隊長に昇格した。これからは、奴が落としたシェイディンハル衛兵隊の名誉を回復しなけれ
  ばならない。大変な事だが、君の気高き精神を学んで邁進するよ。本当にありがとう」
  「ところで借りたお金、返さなきゃ駄目?」
  「ははは。報酬として受け取っておいてくれ」
  「ありがと」
  「本当にありがとう。シェイディンハルを勝手に代表してしまうが……この街の総意を君に述べるよ、本当にありがとう」



  「ギャラスが衛兵隊長に昇格したと聞いたよ。彼なら安心だ。安心して、暮らしていける」
  レヴァーナにも、筋を通して報告に言った。
  彼女は儚げに微笑した。
  勝利は勝利でも、レヴァーナにとっては最愛の人であるアルドスを失っての勝利。
  手放しでは喜べない。
  「ウルリッチが逮捕された事は嬉しいけど、それでもやっぱりアルドスの復讐がしたかった。それだけは、寂しさを覚えるわね」
  「……悪かったわ」
  「ごめんなさい。別に貴女を非難しているわけじゃないの。貴女にはシェイディンハルの住人全てが感謝してる。もちろん私もよ」
  「……」
  心情としては理解出来る。
  別に殺してもよかった。
  でも、やっぱり最善の方法としては、この場合は逮捕だと思った。
  「レヴァーナ、死は生温い。ウルリッチはこの先、牢獄で生きていく。それでいいじゃない」
  「……そうね、いい気味」
  「そうそう」
  「ところで食事は済んだ?」
  「ううん。まだ」
  「なら食べてく? というか呑んでく?」
  「食べてく呑んでく♪」
  人は脆い。
  でも、人は強い。
  乗り越える気持ちさえあれば、それが翼となり乗り越えられるだろう。
  奇麗事は言わない。
  ……。
  でもね、人は儚いけど強いもの。
  這いずり回ってでも生きる図太さがある。レヴァーナも、生きる意志さえあれば幸福にもなれる。
  だから人は生きていけるのだ。
  ……残酷な優しい世界の中で……。