天使で悪魔




消えた住人




  酒場ロクシーでの一件。
  死霊術師の一団とのいさかいがあったけど、エイルズウェルとは関係ないと確信している。
  確かに大学の認識とは違う行動を取っていた。

  集団で動き、しかもお揃いのローブ。組織化されている可能性もあるけど……帝都の眼と鼻の先で一つの集落
  の住人を失踪させるという危なっかしい、大掛かりな事はしないはずだと私は踏んでる。

  十中八九死霊術師の一件は、別件だ。
  「やっぱ誰もいないわねぇ」
  戻ってきましたエイルズウェル。ロクシーで一泊して、ここに舞い戻ってきたけど誰もいない。
  昨日の宿屋『エイルズウェル』に入ってみたけど誰もいない。
  「……あれー?」
  昨日カウンターにあったカップがない。というか朝食セットと思われるものが並べてある。
  ナイフに手を掛ける。

  ……誰かいる……?
  少なくとも誰かがこれをここに置いた。神経を研ぎ澄ませて、周囲を睨む。
  待ち伏せ?
  ……もしかして透明人間か何かがいるのだろうか……?

  確かに透明化の魔法はある。私も使える。
  別に他に使える者がいてもおかしくないけど……村人がわざわざ透明になって暮らしてる意味が分からない。
  ミシッ。
  床が軋んだ。私は動いてない。その音は連続して聞え、そして私に近づいて……。

  「すみません」
  「うひゃっ!」
  思わず奇声を発する私。
  そりゃ驚くわよ。何もない虚空から、突然声が聞えたのだから。声に敵意はない。私は動揺を隠す為に咳払い
  をしてから声のした方を向く。誰もいない。けれどいる事に気付いた。
  息遣いもそうだけど、床に影が出来ている。
  「何者?」
  それでも私は声を押し殺し、問う。状況次第では斬る構えだ。
  「私の名前はディラム。この宿屋のオーナーです」
  「透明になって客を脅かすなんて悪趣味ね」
  「何故姿が見えないのかと疑問にお思いでしょうがお答えできません。私達にも分からないのです」
  「何が起こったの?」
  表情は分からない……見えないし。しかし声の質から嘘はついてないように思われる。
  この時私は始めて警戒を解いた。
  ……。
  ……あー、驚いたのは記憶から削除の方向で。
  「数日前から突然この集落の住民の姿が見えなくなってしまったのです。最初こそ多少は楽しんでいたものの今ではそんな
  気持ちは消えてしまいました」
  楽しむ余裕……こいつ、なかなか出来るなっ!
  「眼に見えぬ体で宿屋を切り盛りどれほど大変かお分かりでしょう? 幽霊宿という噂が一度でも立ってしまえば宿は潰れます。
  それに旅人の足が遠退けば村はすぐにでも干上がるでしょう」
  「私少し前にここに来たけど……」
  「知っています。ですが驚かせてはいけないと思い、皆でひっそりと暮らしていました。この魔法か呪いかが自然に消えるのを待
  っていたんですがその兆候すらないし、分かりません。もう我慢の限界なのです」
  「でしょうね」
  ここを通ってロクシー方面に行くのも知ってたわけか。てか見てた。
  これは魔法か、呪いか。
  しかし考えるまでもなかった。回答は透明人間が持っていた。
  「アンコターです」
  「アン……誰だって?」
  「アンコター。数年前から南のカラクタカス砦に住んでいる魔術師です」
  「……魔術師ね……」
  ラミナスの奴ーっ!
  それでバトルマージを派兵しなかったのか。多分、アンコターはギルド関係者。最低限の情報を私に与えて穏便に解決させる気
  らしい。ギルドは『正式な依頼』をしているわけではない。あくまで私の自己解決で終わらせる気らしい。
  ……あのタヌキ、最初から知ってたのか。
  ……ちくしょう。また利用された。
  「アンコターの行う実験で私達は常に迷惑を蒙ってきましたがこれほど酷いのは初めてです。もちろん我々は文句を言
  いに行きましたがいませんでした。他所に移ったのか……」
  「そいつも透明化してるか、ね」
  「そうですそうです。是非とも助けてくださいませんか? 村中が感謝します」
  引き受けるしかないでしょうに。
  ラミナスの謀略にまんまと掛かったわけだ。表沙汰にして解決させればギルドの沽券に関わる。
  かといって隠密に片付けるにも大学には人材がない。
  基本的に私のようなタイプの方が珍しく、大抵は研究一本槍の連中が多い。知識は多いのだが実戦には不向きで、その為
  のバトルマージではあるものの送り込めば事は大きくなる。帝都軍はバトルマージが行動する事をあまり好ましく思ってない。
  別に魔術師ギルドが嫌いという簡単な感情ではなく、私設部隊が動くのは治安を維持している帝都軍から見てもあまり嬉しく
  ないのだ。だからこそラミナスは私を送り込んだのだろうけど……。
  「利用された感全開なんですけど。……くっそあのタヌキめぇ……」



  カラクタカス砦。
  エイルズウェルの南に位置する、帝都軍に打ち捨てられた砦。
  ここに来るまでの間、まさに心臓どっきどきだったりする。透明化の魔法はエイルズウェルの住人だけではなくこの近辺の獣の
  姿まで消してしまったらしい。突然襲われた時は死ぬかと思った。
  結局広範囲魔法で一掃したんだけど狼やら熊やらで、一歩間違えたら……くそ、任務達成してもラミナスの笑顔だけとは。
  なお死ぬと魔法が解けるらしい。
  手っ取り早くエイルズウェル殲滅する……あー、でも特に恨みないしなぁ……
  まっ、アンコターに解かした方が早いかな。砦に入ると同時に罵声が飛んできた。
  「オブリビオンに叩き込むぞっ! 何の用だっ!」
  「……っ!」
  オブリビオン。
  過去の悪夢が蘇り一瞬陰惨な顔になるけど、私はすぐに自分を取り戻した。
  虚空からの声。
  やはりアンコター自身も透明化しているのだ。
  「あなたがアンコター? 私はアルケイン大学のフィッツガルド・エメラルダ。よろしくね」
  「おお、お仲間ですか。そうです私がアンコターですよ。ただいま透明化の魔法の実験中でしてね。見学されます?」
  突然愛想良くなった。別人かと思うほど。
  インテリはインテリ同士で仲良くなれる、ものなのだろうか?
  話が早そうだ。私はとっとと任務を達成すべく、アンコターに魔法の解き方を聞く事にした。
  「実はエイルズウェルで、透明化現象が起こっててね」
  「おや……本当ですか? 村人全員が?」
  「そっ。羊も犬もぜーんぶ」
  あの後。
  ディラムの頼みを受けるとなった途端、村人達は私を絶賛しだすわ今まで声を抑えられていたであろう羊やら犬も大合唱。
  旅人が来るたびに『幽霊村』のレッテルを貼られたくなくて死んだ振りをしていた模様。
  まっ、気持ちは分かるけどね。
  しかしアンコターは違う模様。間延びした声で応対している。
  魔術師らしいといえば魔術師らしい。一種、浮世離れしたのが大半だからね。
  ラミナスが私に愚痴をいう気持ちも分かる気がする。
  そういう魔術師と外界の橋渡しをしているんだ。ストレスもあるか。今度食事でも一緒にして愚痴でも聞いてあげよう。
  「事の重大さ、理解してくれる?」
  「なるほどなるほど。しばらく前に村人が抗議に来たのですが私は細心の注意を払わなければならない実験をしていたので。
  なるほどぉ。あの声は気のせいではなかったのですなぁ」
  「……」
  こ、こいつ魔術師の一般像を体現してるわね。
  世間知らずで、結果周りがどうなろうとも知った事じゃないタイプ。まさに世間一般の魔術師像。
  「呪文の効果を高める為にその効果範囲を広げる事で……」
  「講釈はいいのよ。解けるの? 解けないの?」
  「解けますよ。……まったく世間には困ったものですね。アルケイン大学の権威も知りはしない。そう思いませんか?」
  「はっ?」
  アルケイン……こ、こいつも出入りできるわけ?
  どっかの支部メンバーだと思ってたけど大学のメンバーか。推薦間違いじゃあ……。
  しかしアンコターは久し振りに見たであろう大学から来た私に日々の憤慨をぶつけまくる。
  妙な仲間意識を私に抱いているらしい。
  「静かに実験をする為にここに来たのに無知なエイルズウェルの住民は邪魔ばかりするっ!」
  「あの」
  「爆発音で羊が怯える、異常発生したネズミに農作物が全滅だの文句ばかり言うのですよっ!」
  「あの、私は解き方を……」
  「魔法の研究に落とし穴がある事を理解もしていないっ! そこで私は永久に透明化していれば文句も言われないし研究に専念
  できるという事に気付きこの魔法の完成させたのです」
  ……根本的な考え方が違うと思うんだけど。
  「あのね、本題に入りたいんだけど私は……」
  「分かってますとも分かってますとも。ヴァントの第三法則の事でしょう博識ですね貴女っ! 心配ご無用っ! 私はまだ知覚保存
  の法則を越えられる手法を見つけたわけではないのですっ!」」
  ……駄目だこいつ、いっちゃってる。
  ……こんなの大学の推薦許すなよ。
  「透明化の効果は永久ではないのです。村人にもそう伝えてください」
  「よ、ようやく本題に入れたわね。それで、自然に解けるわけね。どれくらい?」
  「私の計算では十年……ああもしかしたら五年ぐらい加算されるかも」
  「長いわーっ!」
  「確定する方法はありません。出たとこまかせの研究でしたから。しかしだからこそそれを解明する基礎研究は楽しいのですよっ!」
  「……早急に出来ない?」
  「早急に? 姿が見えないというのは実に楽しいですよ? 特に支障はないし」
  「……あんたはね」
  「まっ、村の連中がそれを望むならいいでしょう。……えっと……あった、これをどうぞ」
  紙片だ。何かの文字が書かれている。
  読めるけど何の羅列だ、これ?
  「これを読めば解けますよ。……ああここではやめてください。私は透明の方がいいですから。それと……」
  「それと?」
  「……いえ、なんでもありません」
  「気になるじゃない。何?」
  「この指輪をしてください、唱える時に。……いや特に害はないですけど副作用もありますから」
  「あ、あんたが唱えなさいよっ!」
  「でもそうしたら私の透明化も解けますので」
  結局、妙な指輪と呪文の紙片を受け取り私はエイルズウェルへと戻ってきた。
  指輪を嵌め、唱える。
  ポゥ。
  何の劇的な展開もなくあっさりと呪文は発動し、村を包み込んだ。そして幽霊村はただの村へと戻った。
  村人達の大歓声。
  ヒツジたんもワンコも嬉しそうだ。……多分ね。
  代表してディラムは私に深々と頭を下げた。礼金は期待してないしこれは大学の落ち度だ。もちろんそれを言えば
  大学の信頼は落ちる。私はそれでも構わないけど、ラミナスの顔を思い浮かべる。
  穏便に片付ける為におそらく胃を痛めながら考え付いた策だ。
  黙っている事にした。
  「ありがとうございますっ! 自分の姿が見えるのがこんなに嬉しいとはっ!」
  ディラムは喜び全開で私の手を握ってきた。
  ダークエルフ、ダンマーか。ここの村人はオークが一人いるだけで残りはダンマー。
  「大変嬉しいのですが……」
  「ん?」
  「姉達の姿は見えないほうがよかったかもしれませんね。口うるさいですし愛想ないですし。はははははっ!」

  全て、というわけではないけどダンマーは総じて口が悪い。
  姉達、であろう二人のダークエルフの女性は『英雄扱いしてもらえるな』とか口汚く私を罵っている。
  ……永久に消してやろうか、この世から……。

  まっ、人助けなんかこんなものだ。
  感謝される事を前提に考えてたら身動きなんか出来なくなる。
  絶賛して私を称えてくれるディラムがいるうちに私はここを後にした。人間、多くを求めると損をする。
  そして、元透明人間の村を後にした。









  フィツガルド・エメラルダの報告書。
  『……以上の方法でエイルズウェルの事件を無事処理しました。なおロクシー北の苔石の洞窟に死霊術師の一団を発見』

  『首魁と思われる女性は逃亡。虫の隠者という言葉を発していました』
  『追伸。ハンぞぅ、死霊術師への評価を変えた方がいいと思う。フィーより』

  「……虫の隠者……まさかな……」
  ハンニバル・トレイブンはそう重々しく呟き、報告書をテーブルに置いた。
  「……まさかな……」