天使で悪魔




我が母を称えよ



  それは必然だった。
  それは自然だった。
  人を呪わば穴二つ、闇の一党はその代価を払う事になったわけだ。
  裏切り者は復讐を願っている。
  妄執の権化として存在し、組織崩壊を自らの手と意思で行っている気でいた私すらも利用していた。
  崩壊はもう、すぐそこだ。
  夜母はもう、すぐそこだ。
  しかし私は思うのだ。
  この復讐が終わった時、一体何が残るんだろう?

  ……答えは知っている。
  ……ただ空しさだけが残るのだ。
  ……それでも人は復讐を……。






  静かな旋律が走る。
  ブルーマ近隣の個人農場アップルウォッチの、建物の中。
  ルシエンは拷問で殺され、今この場で生きているのは私を含めて5名。全員が幹部。
  おそらくこの中で最高位であろうアークエンは身構える私に淡々と語る。

  私も裏切り者としてルシエンの末路か?
  それとも……。

  「貴女に罪はありませんよ、奪いし者よ」
  「……」
  一瞬、力が抜ける。
  アークエンが怖いわけではない。この何をするか分からない思想が怖いのだ。
  殺そうと思えば残りの幹部もろとも一掃出来る。

  「ルシエンは裏切り者、貴女はただ操られていただけ。人形の時間は終わりました、おめでとう」
  「……ありがと」
  私は人を殺すし、そこに対して抵抗は持っていない。
  結局私の感性もどこか変なのだろう。
  しかし拷問して殺すのは……抵抗を覚える。クールでドライと自負してるけど……私もまだまだ甘い。
  アークエン達はルシエンを拷問の末に殺した。
  その行為は恐ろしい。
  ……。
  ま、まあ『うっわ拷問死。私の体火照っちゃうー♪』というのもおかしいだろう。
  恐怖を覚えるのはまっとうな証拠だ。
  「動機は不明ですがルシエン・ラシャンスは闇の一党に何らかの私怨を抱いていたようですね。その為に貴女を利用
  して他の幹部を始末してきた。しかしそれももうお終い。貴女は自由の身です。そして伝えし者の称号を貴女に」
  「どうも」
  静かに返答するものの、頭がズキズキする。
  考えてみればブラヴィルで聞えし者ウンゴリム始末してから寝てないし、そもそも風邪ひいている。
  ……頭痛い。
  ……もちろん、頭痛はこの状況も含まれるだろうけれども。
  こいつら裏切り者はルシエンで片付けるつもりか。
  この中の誰が裏切り者だ?
  私は裏切り者の日記を、懐に入れてある。血文字の日記など燃やしてやりたいものの、何かの利用価値が
  あると思ってだ。
  しばらく隠しておこう。
  裏切り者がルシエンで、既に死んだ事にした方が都合がいい。
  日記によると組織再建の為には夜母に会うのが伝統らしい。
  ここで要らぬ裏切り者騒動を再燃したところで意味はない。余計な騒動は回避しよう。
  私が伝えし者、ね。
  伝えてあげるわ。
  ……あなた達に訪れる、絶対的な死を。
  「さて、貴女も既にご存知のとおりブラックハンドは混乱状態です。我々5名が最後の幹部、既にブラックハンドは半減し
  ています。ルシエンの命令であり、貴女に罪はありませんが聞えし者まで貴女は殺してしまった。まさに悲劇的です」
  「……」
  「我々は組織再建の為に古来より伝わる儀式を行い、夜母を眠りから目覚めさせる事にしました」
  「目覚めさせる?」
  今、熟睡してる?
  まあ、夜だし。普通なら寝るわねー……ではないか、さすがに。
  そうなると夜母は肉体がない?
  ……。
  確かに噂の中には夜母の正体は幽霊、精霊という類もある。
  人ですらないのか。どんな奴なんだろう?
  「ルシエンの最後は?」
  後ろ手に縛られ、全裸で逆さに吊るされているルシエンの死体。
  正直、直視したくない。
  アークエンは微笑んだ。邪悪に、妖艶に。
  「気になりますか?」
  「ええ。……どんな弁解したのかなって」
  「ふふふ。笑えますよ。彼は身の保身を図ったのです、自分は潔白であり必ずそれを証明すると。……笑止っ!」
  「……」
  「裏切り者の弁解など戯言。いかにブラックハンドが半壊状態とはいえ、我々の連携の前にルシエンが生き残れるはず
  がありません。……ふふふ、ご覧なさい芸術的なまでのこの拷問を。想像なさい泣き叫び悲痛の声を上げる様を」
  「……」
  吐き気がする。
  拷問は私の範疇ではない。少なくとも痛みを引き出す為だけに人は切り刻めない。
  苦痛は専門じゃない。
  私はあくまで人を殺すだけ。
  ……まあ、あまり変わらないかな。
  「それで夜母はどこに……」
  「明日です」
  「はっ?」
  「今宵は接触出来る時間が過ぎてしまいました。我々が街を徘徊するのも考えもの。……接触出来る時間帯、距離、それを
  考慮した上で移動しますがいずれにしても明日の夜。今宵はここで待機。伝えし者の筆頭である私の判断です」
  「……」
  反対するのは容易い。
  しかし接触出来る時間帯が決まってるなら仕方ない。
  ……頭が痛い。
  ……熱が高い。
  ……セーブして今日は寝たいけど……駄目だろうなぁ……。





  「……」
  アップルウォッチの夜は続く。
  私は壁に寄りかかり、座っている。こいつに背後見せるとバッサリ殺られ兼ねない雰囲気がある。
  ……それにテーブル囲んで歓談する気ないし。

  「くしゅんっ!」
  いかん。
  また熱が上がってきた気がする。
  そうそうに夜母に会い、そのまま夜母と幹部ども一掃するつもりだったのに……少しまずいかなぁ。
  ボーっとしてきた。
  自分でも息が荒いのは分かる。
  「ほほほ」
  「いや、しかし久々にこの手を血に染めたもののやはり最高の感触だったぞ」
  「確かに。芸術そのものだったな」
  「我々が一糸乱れず剣を振るうその様、思い出しただけでも感動するな」
  ……暗殺者全開だな、こいつら。
  アルトマーのアークエン。
  残りのは名前すら聞いてない。ただ種族はインペリアル、ダンマー、ブレトン。
  嬉々としてルシエンの拷問談義に華を咲かせている。
  この農場の所有者は、クヴァッチ聖域の暗殺者に始末されたらしく無人。
  だが保存されていた食料はかなりあり……ああいや、ルシエン達がここに引き篭もる際に持ち込んだの
  かもしれない。

  ともかく、アークエン達はそれを食している。
  保存食。日持ちするように焼かれたパンに、干し肉、ドライフルーツなどなど。
  それでも足りないらしく猪まで狩って来て、生で食してる。
  ……正直ついていけない。
  ワインを酌み交わし、大分酔ったアークエンが私に声を掛ける。
  「どうしてあなたは加わらないのです?」
  「さあ?」
  加わってたまるかこのボケアルトマー。

  風邪ひいてるし、それにルシエンの拷問しようの全裸の死体が天井からぶら下がってる。
  少なくとも食事したいとは思わない。
  それも、その死体の話を肴にしたいとは思わない。

  「風邪ひいてるのよ」
  「ああ、それで」
  ……。
  今なら全員消せる。

  何の苦労もなく全員始末出来るけど……夜母の位置を知る為には生かしておく必要がある。
  「くしゅんっ!」
  あー、鼻水がぁー。
  ちーん。鼻をかむ。駄目だ、意識が朦朧としてくる。このまま寝たい。寝てしまいたい。
  寝たら殺される?
  ……。
  いや、それはないと踏んでる。
  こいつらは少なくともルシエン裏切り者で片をつけてる。無論この中に本当の犯人がいるけどね。
  犯人が幹部を一網打尽にする可能性はない。
  犯人の目的は夜母だからだ。
  つまり、私同様に絶好の機会ではあるものの、ここで全員始末すると夜母に接触出来ない。
  だから今は猫を被ってる。
  夜母の居場所を知るアークエン以外を消す?
  ……。
  それも無理ね。
  孤立無援になったアークエンが夜母に泣き付きに逃げるなんてありえない。
  ここで犯人が暴挙に出たら、それで夜母との接点が切れる。
  あの日記からすると既に頭の線が切れてるけど、少なくとも馬鹿ではない。緻密で計算高い、謀略家。
  暴挙はありえない。
  ……。
  仮にこいつらが私を殺す為の芝居なら、つまり私も裏切り者のルシエンと連座していると考えているならこんな
  小細工しないで斬りかかって来るはず。

  わざわざ私の隙を突いて寝首掻くまでもなく、今の私は衰弱……というほどではないけど、弱ってる。
  小細工なんて必要ない。
  「くしゅんっ!」
  「ほら」
  ブレトンの、色白の男性が私にカップを手渡す。
  無色透明で無臭。
  ……毒か?
  「私の名はマシウ・ベラモント。奪いし者だ」
  奪いし者。
  ……日記の主と同じ階級。
  一人称は『私』であり日記の『僕』とは違う。使い分けてる?
  それともこいつは違うのか?
  ……。
  ただ、日記の内容からすると完全に狂ってる。
  それでいて周囲の幹部に気付かれていないという事は狂っているけど、冷静なのだ。冷静に狂ってる。
  一番面倒ねぇ。
  それに内容のところどころで幼児退行している。
  人格いっちゃってる。
  ……極力お相手したくないものだ。アークエン達はこの中の1人が常軌を逸した裏切り者である事を知らないから
  歓談しているけど、知っている私は正直楽しめない。げんなりする。
  マシウ・ベラモントは淡々と語る。
  「水だ。飲みたまえ」
  「……」
  「風邪なんだろう? 体の水分の補給が肝要だ。……別に毒なんて入っていないよ」
  「そりゃ失敬」
  ごくり。
  一口含み、舌で味わってから喉に流す。
  ……。
  ただの水、かな。

  私の知る毒の味はしない。未知の毒ならお手上げだけどね。
  「君の噂は知っている。ブラックハンドの中で有名だ」
  「……」
  ごくり。

  無言で水を飲む。一口飲んで気付いたけど、確かに体が水分を欲してた。
  マシウは続ける。
  「君のこなしてきた任務を全て網羅しているが……君は時に依頼人ですら殺す。実に素晴しい」
  「……素晴しい?」
  「その行為はただの暗殺機械ではない。ただの暗殺者ではない。まさに人臭さを残しつつも、天使として悪魔として君
  は人の命の上に立っている。善でも悪でも消す。悪としてではなく正義としても人を殺すのだ」
  「……」

  「君は美しい。まさに背徳と慈愛の混沌。……正しき命の奪い方を知っている」
  くくくと笑った。
  凄惨な過去は私も持っている、裏切り者の過去も私にしてみれば理解出来るし、体験済みだ。
  賊に殺された両親。
  幼かった私はその賊を階段から突き落として殺した。

  ……。
  それから、たくさんの人を見てきた。
  だから大抵眼を見ればその人がどんな人物かが分かる。マシウは巧妙にそれを消してる。使い分けてる。
  しかし……。
  「お水、ありがとう」
  「いや、いいよ。別に大した事ではない」
  私は直感的にこいつが裏切り者だと判断した。
  眼の奥の狂気だけは消せてない。

  瞳の奥に宿る、蒼い炎のような殺意と狂気、憎悪、負の感情が宿っている。
  ……。

  私は怖い。
  一歩間違えたら、私は彼になっていた。ハンぞぅやラミナス、皆がいなければ彼のようになってた。
  ……私はなんて幸せなのだろう。

  「くしゅんっ!」
  意識が朦朧としてくる。風邪だ、本気で熱が高くなってきた。
  次第にウトウトと……。






  夢の中で私はシェイディンハル聖域の扉を、何故か思い出していた。
  刃を手にしている母親。
  その母親から逃げようとしている子供達。
  あの扉は何を意味している?
  この夢は何を意味している?
  今はまだ漠然としていて何も分からないけど、夜母に会えば全て繋がる気がする。
  ……そして全てが終わるのだ。






  かなり本気で寝ていたらしい。
  起きた時私もルシエンのような状態で縛られ、逆さ吊りだった……という事はなかった。
  ……。
  普通に私、油断してたわね。
  向こうに殺意はないと確証はしてたけど……少し油断しすぎだった。
  病気って怖いなぁ。
  まともな判断能力鈍らすし、奪うから。
  さて。
  私達はブラヴィルに来ていた。既に深夜。一応補足するけど、同じ夜じゃないからね、一日明けてる。
  人影は既にない。
  この時間帯、衛兵の交代シフトに穴があるのか衛兵が見当たらない。
  そんな闇の中を歩くブラックハンドの面々。
  全員が、私もそうだけど黒いローブを纏い目深までフードを被っている。私は鉄の鎧を中に着込んでいる。
  一応は万全の装備だ。
  ……。
  ただ、私も元帝都軍所属だけど……こんな怪しい連中がいたら問答無用で逮捕するわよ。
  それだけ怪しいでしょうに。
  街は眠りに包まれていた。しかしその眠りの中に溶け込み、暗殺者達は血塗られた歩みを続ける。
  そして……。
  「幸運の老女像?」
  そう。アークエンは幸運の老女像の前で止まった。
  あの聞えし者ウンゴリムと同じ様に恭しく跪いた。マシウを含め、他の面々は顔を見合わせた。
  ……ふーん。アークエンしか知らなかったのか。
  そりゃそうか。
  もしもマシウ(今のところ第一容疑者)がそれを知っていたらアークエンを生かしてはおかない、その必要がないからだ。
  生かしていたのは夜母の居場所を知らないから。
  しかし居場所?
  ……いや、ここで待ち合わせてしてるとか?
  分からない、何なの?
  「同胞達よ、跪きなさい。これが夜母の座する、聖域」
  えっ?
  「街の愚か者どもは幸運の老女の、本当の意味を知らない。真の幸運とは、夜母が我らにお与えくださる血への渇望っ!」
  ……。
  聞えし者は夜母の声を唯一聞く事が出来る。
  この像を通じて指令を受け、指令を伝えし者が各聖域に任務として振り分ける。機密性の高いものは奪いし者が担当する。
  しかしどうして像なのか?
  ウンゴリムはこの像を通じて……この像の地下に夜母がいるのか?
  「邪悪なる母よっ! 我々ブラックハンドにお力をっ! そして進むべき道をお与えくださいっ!」
  そのアークエンの叫びに答えるように。
  「ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ」
  異音。
  悲鳴。
  そのどちらとも取れない、異質の音が幸運の老女像から迸る。
  変化はそれだけでは留まらない。
  幸運の老女像の体の部分はねじくれ、まるで枯れ木のような骨と皮の、老女へと変化する。
  同じ老女像ではあるものの、実に禍々しい。
  ……これが何となくこの像が好きになれなかった理由?
  悪意が放たれている。私が一番嫌いなものだ。

  台座に扉が現れた。
  アークエンが皆を誘い、地下へと降りていく。
  ……悪意の源に……。






  埃っぽく、ひんやりとした空間。
  それほど広くはない。
  幹部5人が入ると狭く感じる。アークエンは松明を手に掲げているので、周囲の様子がよく分かる。
  それだけ狭い。

  第一容疑者であるマシウ・ベラモントに変わった気配はない。
  目を離さずにいる。
  ここに至ると、斬り合いになるのは眼に見えてる。例えマシウが犯人でないにしても。
  周囲の状況は把握するに限る。

  「……なるほど」
  夜母はいない。
  しかし私は悟った、ここは聖域なんかじゃない。ここは墓場、そう墓所だ。
  骨の形状からしておそらく女性、それも大人。その骸骨が一つ、石の祭壇に転がっている。5体の子供の骸骨もある。
  ここにいるはずの夜母。
  それはおそらくあの大人の女性の骸骨。
  ……正確には老女の骸骨、かな。
  ……だとすると夜母は……。
  「わらわの眠りを妨げるとは何事か。失せよ」
  ボゥ。
  1人の幽霊が現れる。
  あれが夜母。
  つまり当の昔に死んでいたわけか。……いや正確にはあれは幽霊じゃない。ただの記憶と思念の残滓。
  つまりは……。
  アークエンが縋る様に跪いた。
  「親愛なる夜母よっ! 敬愛なる夜母よっ! 我々は危機に瀕しております、叡智をお授けくださいっ!」
  卑屈なまでに平伏してる。
  自分達の親玉が幽霊だと知らなかったそれ以外の連中は戸惑い、立ち尽くすだけ。
  ちらりとマシウを私は見る。
  ……動くか、そろそろ。
  彼は自分の両脇の幹部、ダンマーとインペリアルの動作を眼で追っている。
  もちろん邪魔しない。
  ……風邪ひいて頭が痛いし体が重いので、漁夫の利で行きましょうか。
  「夜母よ、どうぞ御慈悲をっ!」
  「ああ、そういう事か。既に聞えし者はなく、伝えし者、奪いし者も幹部の半数が死に組織は半壊状態。ほほほ、随分
  と派手に逝ったものじゃな。……再建は構わぬが、毒蛇はまだ側に潜んでおるぞ?」
  からかうように囁く夜母。
  この状況を楽しんでいる節がある。
  「お戯れを。すでに裏切り者は我々の手で始末しました。……どうかお願いです、我々をお導きくださいっ!」
  「救いようのない小娘だね。ルシエン・ラシャンスは最後まで忠誠を誓っていた。裏切り者はまだ、いる」
  「えっ?」
  ザァァァァァァァァァァァっ。
  血が吹き出し、墓所を赤く染める。二人のブラックハンドはその場に倒れた。絶命。
  ……瞬時に二人を斬って捨てるとは、なかなかやるじゃない。
  残りの幹部は私を含めて3人。
  マシウ・ベラモントは叫んだ。
  「もう茶番はおしまいだっ! お前ら全員この場で始末してやるっ! 母さんと僕の人生を奪った罪で全員殺してやるっ!」
  「そ、そんな裏切り者が彼だったなんてっ! フィッツガルド、夜母をお守りしてっ!」
  私は後ろに飛び、間合いを保つ。
  ……。
  しかし実際は、夜母への道を開けてやっただけ。
  こいつの復讐は正当よ。
  だからと行言って誰一人生かしては置かないけど。こいつらは全員、どの道殺す。
  でも復讐だけは、夜母への復讐だけは彼に任せよう。
  ……無駄だけど。
  「これでブラックハンドもおしまいだっ! 闇の一党も復讐も全て終わるぅーっ!」
  「ほほほ」
  私は本質を見抜いてる。
  夜母は死なない。
  マシウの手にしているのは銀の剣、幽霊ですら切り裂ける。
  でも無駄なのよ。
  ……無駄。
  「ひゃははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
  奇声を上げ、歪んだ哄笑を響かせながら夜母に切りつける。
  ……でも手応えないでしょう?
  ……それもそのはずよ。
  夜母は既に人間やめてるんだもの。
  私は剣の柄に手を掛けたまま間合いを詰める。まだ抜いてない。
  「マシウ・ベラモントっ!」
  「……っ!」
  「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
  気合一閃。
  抜き打ちに彼の右腕を斬り飛ばす。さらにそのまま腹を薙いだ。堪らずそのまま倒れるマシウ。
  悲鳴が響く。
  倒れている彼の左腕に剣を突き刺したアークエン。
  「よくも私を欺いてくれたわね。……ルシエンのように殺してあげるわ。彼みたく大事な部分から切り落しましょうねぇ」
  「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  マシウの絶叫は拷問への恐怖ではない。
  何も出来なかった無念さだ。
  ……哀れね。
  ブン。剣を振るって血を飛ばし、私は鞘に戻した。
  「見事っ!」
  「……」
  私は殺意と血の飛沫に狂喜乱舞しているような表情をしている夜母を無言で見た。
  この老女、既に人間やめてる。
  幽霊ですらない。
  あの扉の、5人の子供に刃を持って迫る母親は、夜母自身か。
  そしてここに転がる5体の子供の骸骨は、おそらくは夜母の子供。
  夜母は殺しを愛していた。
  未来永劫、死後ですらも暗殺を愉しみ続けたかった。
  だから闇の神シシスに祈ったのだ。
  そして捧げた。自分の5人の子供、そして自分自身ですらも生贄にした。結果として得られたのは今の姿。
  人間でもない。
  幽霊でもない。
  既にその領域から逸脱した、存在へとなった。
  あれは記憶と思念の残滓。
  こちら側から介入できないし半面向こうからも介入できない。だから夜母は聞えし者に指示を出していた。
  暗殺せよと。
  おそらく夜母は全てを見通しているのだろう。全ての事象を。
  そうでなければ全ての依頼を手元で管理し、それを聞えし者に通達するなんてありえない。
  そして自らの手でリモートコントロール出来ている闇の一党を使って殺しを満喫し堪能するのだ。
  だとしたら……。
  「お前が見逃した家族の事もわらわは知っておるぞ? ……始末の命令を通達しようかのぅ。ん? どうする?」
  「ど、どうか見逃してください、家族だけはっ!」
  「ほほほ」
  「……なーんて言うわけないじゃないの。やれるならやってみなさい」
  「……ほほほ、面白いのぅ」
  静かに対峙する私と夜母。
  非難の声を上げるアークエンを、私は黙殺した。そして……。
  「黙るんだよ、小娘」
  「は、はい、偉大なる夜母」
  「ほほほ。それにしてもブレトンの小娘、お前は面白いな。ほほほっ!」
  「それはどうも」
  ハッタリだと分かっていた。
  夜母はこの場から動けない。そして今現在、彼女の意向を聞く『聞えし者』は私が殺してしまった。
  こいつに意思伝達手段はない。
  「ほほほ。お前は美しい。……気に入ったぞ、実に気に入ったっ! お前のような玩具が欲しかったのじゃよ」
  「玩具、ね」
  「お前の最後の時まで汝の母を称えよっ!」
  ……我が母を称えよ……。