天使で悪魔





ある魔術師の営み





  闇の一党ダークブラザーフッド。
  個人的に、私はこの組織に感謝していた。ルシエン・ラシャンスにも。
  私は元帝都軍巡察隊所属の、帝都兵。……お遊び程度、冷やかし程度の動機なんだけどね。
  私は逮捕された。
  私は投獄された。
  元帝都軍総司令官アダマス・フィリダの策謀によって。
  私は自力で脱獄できた。
  ……でもね、私にその力がなければ?
  懲役30年。
  今頃、自分は無実だと泣きながら叫び、誰にも気付かれずに地下で腐っていたでしょうね。

  アダマス暗殺の為に、闇の一党は私に力を貸してくれた。
  家族もくれた。
  禍々しい、歪んだ家族愛ではあったものの、本物の家族だった。

  最初はそんな彼ら彼女らを軽蔑してた。
  暗殺者のくせに、馬鹿じゃないの……ってね。
  しかしいつの間にか私は家族を愛してた。家族も私を愛してくれた。血塗られてたけど、幸せだった。
  満たされてた。
  楽しかった。
  それを闇の一党は奪った。結局、上層部ブラックハンドにとって家族愛は統率の為の建前であり、自分達の利益と
  保身の為には容赦なく斬り捨てるちっぽけなもの。路肩の石ほどの価値もない、家族愛。
  家族愛は奪われた。
  ……。

  闇の一党ダークブラザーフッド。
  あんた達との関係はもうこれでお終い。……そろそろ狩るとしようか。
  さあ。浄化の始まりよ。
  ……本当の浄化の儀式は、これからよ……。






  ルシエンは寛容だった。
  ……まあ、性格には人の生き死にに対して興味がないだけだろうけどね。
  私が彼の手下を殺した事に対して、何のペナルティも科さなかった。
  私は奪いし者。
  今後はルシエン直属の暗殺者として、各地の聖域で扱えない機密性の高い、重要度の高い暗殺を受け持つ事に
  なるわけだ。

  依頼の受け方も変わった。
  ルシエンから直接受ける、のではなく間接的に指示を受ける。
  どういう事かって?
  簡単よ。ルシエンがわざわざ各地に指令状を隠し、私がそれを探して回るわけ。
  ……面倒な。
  せめてルシエンが私に使者を遣わした方が楽なんですけど。
  まあ、いい。

  指令状の隠し場所に赴き、誰を殺すのか、どこに行くのかを確認。
  これも巡り合せか。

  ……人生、面白いなぁ。

  『お前はこれよりリーフロット洞穴に向え。
  そこでお前は自らをリッチに変化させ、死を否定しようとしている死霊術師に会うはずだ。
  死霊術師の名はセレデイン。
  魔術師ギルドの、しかもアルケイン大学在籍のお前には因縁の名だろうな。

  セレデインは完全にリッチ化しているはずではないものの、半ば完了している為に強力な敵となるだろう。
  奴の研究資料を漁るといい。
  魔術師とは元来記録好きだし、奴もまた例外ではないだろう。
  弱点を探し出せ。
  直接対決は基本、避けた方が無難だな。
  お前は私の愛しい手駒、この最初の難関を越えればお前の将来の展望も開けてくる事だろう。
  栄達はお前次第だ。愛しい暗殺者よ、頼りにしているぞ。

  なおこの任務を終え次第、コロールに向え。
  コロールの有名なオークの木は知っているだろう?
  あの根元に報酬と次の依頼状を隠しておく。では楽しんできたまえ』


  ……以上っ!
  ふん。補足に、記憶したら指令状は破棄する事と書いてあったけど、当たり前じゃないの。
  不快。
  とっても不快。
  何かルシエン、私を恋人か愛人と間違えてる節がある。
  あのニヤデレ顔が脳裏に浮かぶ。
  「はぁ」
  不快よ不快。
  これはこれでセクハラとして成り立つような気がする。まあいい。奴へのお礼は出世した時だ。
  一網打尽に幹部を殺す。
  それにしても巡り合せ、怖いなぁ。
  今回の標的はアルケイン大学でもブラックリストに記載されてる死霊術師セレデイン。

  任務云々以前に、俄然やる気出てきた。
  「お仕事お仕事♪」
  今後、常に暗殺の脅威を考えなければならない。
  ルシエンがどこまで私を信じているかによるけど、もしかしたら刺客が送られる来る可能性もあるし突発的に
  幹部連中と会う可能性だってある。

  鉄の鎧に身を包み、ロングソードを腰に差してある。
  闇の一党の結末を迎えるまでは基本、この装備で行く事にしよう。
  まあ、お風呂や寝る時は脱ぐけどねぇ。

  目的地に向うとしよう。





  青い馬。
  しかしそれは人外の世界に属する馬。
  眼が真紅。
  いや別に扱いが雑だよたまには人参食べたいよと泣いてたわけでもないし、寝不足というわけでもない。
  青い毛並。
  真紅の眼。

  シャドウメアという名の、不死の馬。
  死霊術の賜物なのか、それとも別世界から召喚されたのか。
  概観は馬ではあるものの、馬の範疇とは掛け離れている気はする。もちろんそんな事はどうでもいいけど。
  「速い速い♪」
  馬に跨り、私は歓声を上げる。
  無茶苦茶速い。
  私は今まで馬に乗る事はあっても、自分で買った事はない。大抵はレンタルだ。
  世話が大変だからね、それを考慮して自分で飼う事はしなかった。
  でもこれは別。
  シャドウメア、不死属性だから基本的に生物ではない。手入れは簡単だ。
  でもさっき人参あげたらおいしそうに食べてたから、食べるには食べるのだろう。その様が可愛かった。
  ふふふ。可愛がってあげよう、これからも。
  考えてみたらアンと一緒に乗馬なんてした事もなかった。馬に乗って遠出してみたかったなぁ。
  ……。
  ……い、いえっ!
  私は基本的に性癖ノーマルなので『お姉様、抱いて♪』『甘えんぼさん♪』なんて展開はなっしんぐっ!
  ただ姉妹として遠出したら楽しいなぁ、ってだけなんだからねっ!
  ……ちくしょう。
  アンの所為で私はそっち属性だときっと色々と疑われてるぅー。
  おおぅ。
  「ここで待っててね」
  目的の場所に到着。
  洞窟の前には湖がある。なかなか見た感じ、良さげな場所。水も澄んでるし、湖の側だからか涼しい。
  もっとも。
  「死体臭いなぁ」
  洞窟の中からは死臭がする。ここまで届く。
  この奥にいるのが今回の暗殺対象。
  それにしても巡り合わせは怖いものねぇ。セレデイン、確か『ファルカーの反乱』の際の重鎮の1人。
  直接は会った事ないけど元シェイディンハル魔術師ギルド支部長ファルカーが死霊術師達を纏め上げて魔術師ギルド
  に反旗を翻した。

  結局レイリン叔母さんの行動により計画は露見、叔母さんは死に、反乱は鎮圧。
  ファルカーとセレデインは現在も逃亡中。
  「魔術師ギルドが依頼人なのかな?」
  そう考えると複雑。
  ただ闇の一党の情報網、すごいわね。魔術師ギルドが総力を挙げて探しているセレデインの居場所を知ってる
  なんてね。まあ、かと言って万能でもない。
  皇帝暗殺犯を知らなかったわけだからね。さてと、お仕事お仕事。

  冒険者の必需品、松明に火を灯す。
  ランタンでもいいけど、かなり高値だし地面に捨てて敵と相対する……なんて出来ない。
  ガラス割れて壊れるから。
  その点、松明なら投げ捨てても平気だし安い。これだって特売品だ。
  ぼぅっ。
  外の光を拒絶する、腐臭と死臭に支配された洞穴に私は足を踏み入れる。
  松明の光だけが、唯一の明かり。
  全てを照らす、と言うわけではないもののあるとないとではまるで違う。明かりで足元を照らし、私は進む。
  松明は左手に、右手は常にロングソードを抜ける体勢に。

  周囲には光は見えない。
  数分進むと、出入り口の光も届かないほど深い闇に包まれていた。そして敵意に。
  がちゃり。
  「お客さんか」
  がちゃり。
  がちゃり。
  がちゃり。
  人の足音とは違う、異質の足音。
  私の叔母は死霊術師で、私もそれなりに死霊術は叩き込まれているし、叔母の家にはこの足音が鳴り響いて
  いたので分かる。スケルトンだ。
  松明の光が骨の群れを照らす。てには錆び付いた剣。
  ……下らない。

  「煉獄っ!」
  ドカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンっ!
  お出迎えのスケルトン軍団を消し飛ばす。
  雑魚に割いてやる行数は限られてるのよ、とっとと滅びろ。とっくに死んでる分際で生意気。
  粉々となるスケルトンども。
  もちろん生まれながらにスケルトンだったわけではない。
  墓を暴かれたか、殺されてスケルトンにされたかのどちらかしかない。気の毒ね。
  ……だけどわざわざ殺されてやる気はないわ。
  それは善人じゃない。
  殺されてやるのは善人ではなく、ただのアホだ。
  「やばっ! 音が響いたわね、普通に。……まあいっかぁ」
  セレデインに気付かれたか?
  どっちにしろ消すわけだから、意味は同じだ。気付かれようが気付かれまいとね。
  「アーアーアー」
  洞穴に潜む死霊術師に気付かれる前に、半分腐った連中が現れる。ゾンビだ。
  全員丸裸。
  やん♪
  フィーちゃん恥ずかしいぃー♪
  両手で顔覆いながらも、指の間からチラリと見ちゃう♪
  きゃー恥ずかしいぃー♪
  「裁きの天雷ぃーっ!」
  バチバチバチィィィィィィィィっ!
  ……けっ、つまらん相手。
  雑魚過ぎてまったくもってつまらない。少し脳内妄想で愉しんではみたいものの、やっぱり呆気ない。
  とっとと消すに限る。
  さて。
  「丁度良い照明ね」
  ゾンビは黒焦げ、半ば焼けて、燃えている。周囲を体よく照らす。ここは……研究室?
  まあ、『室』というほどでもないけどねぇ。
  テーブルに錬金機材、大量の文献に資料、骸骨にゾンビの具材。典型的な死霊術師の研究場所だ。
  私の叔母もそうだった。
  「へー」

  錬金機材が揃っている。
  こんな辺鄙なところに、これだけの機材を持ち込むなんて大したものだ。
  机の上に置かれた一冊の本。
  ……いえ、日記帳ね。
  記録帖というべきかしら?
  ルシエンの言う通り魔術師は記録好き。私もそうだ、記録は大切な資料になるからね。不可欠だ。
  自前の脳だけで全てを把握するなんて無理。
  記録をつけておけばより正確な研究が出来るし、バックアップとしても成り立つ。
  記録は大切。
  「……誰もいない、か」

  周囲を確認するものの、生物の気配はない。
  あるのは私が薙ぎ倒してきたゾンビの肉塊と、バラバラのスケルトンの残骸。

  人の気配はしない。
  別の階層にいるのだろうか?
  ふと今更ながら気付くけど、ここには他の死霊術師はいないのね。セレデインだけが潜伏してるのかな。
  それもありえるか。
  先の『ファルカーの反乱』の失敗で手駒を全部失ってるのだろう。
  さて。
  「日記か、弱点なんか書いてあるかな?」
  弱点云々はともかく他の魔術師の研究記録を読む機会はそうそうない。魔術師は秘密主義者が多いし、私もそうだ。
  記録を読まれる=研究を盗られると同じだからね。

  日記をめくって読む。



  『今までの実験は確実性に欠けていた。
  この光も通らぬ洞穴の中で、食料、水を制限されたこの場所で私は研究を完成されるか腐って死ぬかは
  私の気力次第だろう。立ち止まるなんてありえない。
  軟弱な魔術師ならば当の昔に死ぬか発狂している事だろう。
  だが私は違うっ!
  例え我らが王への忠誠心に満ちていたとしても、他の死霊術師は献身的な忠誠を持ってはないっ!
  例えファルカーでも私のこの不屈の精神には及ばないっ!

  だが私は違うのだっ!
  ゆえに私、セレデインは我らが君主の寵愛を受ける虫の隠者の仲間入りをする日は遠くではないだろう。
  そしてそれが叶った時、愚かなるトレイブンは蛆塗れの地べたに這い蹲り我らが王に命乞いをするであろうっ!』

  
  ……はぁ。
  死霊術師は総じてハンニバル・トレイブンを毛嫌いする。
  意味は分かる。
  死霊術を禁術にしたんだからね。
  結果として魔術師ギルドの大半は、辞める事となった。でも私はそれでいいと思う。
  死霊術なんて結局死臭に満ちた悪意の術。
  最大の目的は不老不死。
  その為の、ただの独善的な術なんだから封じた方がいい。
  誰にも迷惑が掛からないのであれば問題はないんだけど、死体を弄って研究し、生きてる人間も死体にして
  研究する。それってそもそも人としてどうよ?
  まあ、私も暗殺云々してるから人間失格なんだろうけどねぇ。
  さて、続き読もう。




  『平凡な者どもはリッチを甘く見ている。
  ある御伽噺では花瓶に魂を隠したリッチの話が出てくる。花瓶が砕けれない限り、不死身だと言う戯言。
  ……愚かな。
  我らが王に仕える虫の隠者の中に後生大事に花瓶を隠し持っている者がいると?

  滑稽なほどに不条理だ。
  リッチに弱点などありはしないっ!
  しかし、リッチになる前の姿……つまり完全に安定するまでの間は、有形の代物に魂を込めてリッチ化への移行、
  その状態をリッチダム状態というのだが、確かにその際には何でもいい、花瓶でもいい。

  魂を込めて、肉体との分離の移行作業が必要となる。
  だが完全に移行してしまえば器になど要はない。完全なる、不死の存在となる。
  皮肉な事に、私はそれが出来ていない。
  食料と水が必要な、低俗な肉の器に縛られたままだ。
  肉体から魂を解き放ち、魂のみの究極で不死なる、完璧なるリッチになる事がどうしても出来ない』


  王、ね。
  アンヴィルの支部長キャラヒル曰く、虫の王マニマルコを指す言葉らしい。
  虫の隠者は虫の王に仕える、リッチの集団であり虫の王の腹心。
  昔話ね。
  マニマルコは魔術師ギルド創設者ガレリオンに300年前に五体バラバラにされて死んでる。
  虫の隠者を名乗る連中は現実逃避の、現実遊離の集団?
  そうかもしれない。
  そうでないかもしれない。
  どの道、ただの敵でしかない。だから排除するけど……何だろう、この感じ。
  もしかしたら魔術師ギルドは何か大切な事を見逃してる?
  虫の隠者ヴァンガリル。
  虫の隠者ローグレン。
  つい最近滅びたリッチ達は、自らを虫の隠者と名乗ってた。
  それに本来徒党を組まないはずの死霊術師達が組織化されているという事実。
  ……何だろう、この嫌な感覚は。




  『膨大な量の死霊術の文献を読み返したものの、決定打に欠ける。
  必読、と呼ばれる書物は存在しないのか?
  時折、自分が何故こんな事をしているのか分からなくなる時がある。
  何故ここに?
  ……そう、忘れてはならない。レイリンの愚かな先走りで反乱は未然に潰されたのだ。私は手勢を失い、ファルカー
  の居場所すら分からない。

  再起の道は虫の隠者になる事しかないのだ。
  そうする事で小奇麗なアルケイン大学の連中を汚物の底に沈めて、腐った夢を見せてやる事が出来るのだ。
  しかし私はリッチになれない。
  何故だ?
  膨大に膨れ上がった脳の中の無駄な知識と不必要で不完全な実験の魔法のスペルが私を狂わせる。
  虫の王への祈りを最近は怠っている。それが原因か?
  もしかしたら真の極意は王から直接授けられるものなのかもしれない。
  ならば写本を読み漁っても無意味ではないか?』

  読んでいると不快になる。
  ハンぞぅは何も間違った対処はしていない。法律的に見ても、死体を切り刻む&生きてる人間も死体にして切り刻む
  は犯罪だ。なのに死霊術師達はそれを理解出来ずに呪いの怨嗟を囁き続ける。
  それに死霊術師達は何がしたいのだろう?
  帝国内にありながらも、半ば独立が認められている魔術師ギルド。
  アルケイン大学評議会を束ねる評議長であるハンぞぅは帝国元老院でもあり、重鎮だ。
  魔術師ギルド潰して取って代わるにしても、それが可能か?
  ここまで来ると魔術師ギルドの内輪揉めでは終わらない。
  ただの内乱だ。
  もしかしたら死霊術師達は帝国をどうにか出来る方法も保有しているのだろうか?
  ……まあ、いい。
  私は日記を読み進める。



  『ついに奥義を得たっ!
  長い間悩み、精神が崩れかかったものの、私はなんと愚かだったのだろうっ!
  祈りだ、王への祈りが道だったのだっ!
  私は研究を中断し久し振りに王へ祈りを一昼夜捧げた。そして現れたのだ。私風情に王はご尊顔を拝させてくれた。

  王は私に伝授してくれたっ!
  私はこれでリッチになれる、虫の隠者の仲間入りを果たすのだっ!
  本当になんと愚かだったのだろうっ!
  死に物狂いで研究し、数多の文献を読み漁ってきたものの、答えはどこにもなかった。それもそのはずだ。
  真の方法は、王自らの伝授によって成されるのだから。
  書物などに記されていないわけだ。

  ……。
  私は王の期待に応えなければならない。
  真のリッチとして、虫の隠者として平伏するアルケイン大学の連中を踏み潰しながら闊歩するのは直だ。
  トレイブンは我らが王の奴隷となるのだっ!』


  だから腹が立つっ!
  ハンぞぅを悪く言う奴は誰であろうと、私は嫌いっ!
  私の恩師、私の唯一の肉親。
  血は繋がってないし、本当は赤の他人なんだけど……私の肉親だ。もしも、ハンぞぅが『もうそういう関係ではない』と
  言ったならば私はきっと壊れると思う。壊れた方が楽、何故なら私の存在価値がなくなるから。

  別に媚びたりはしないけど、仲良しでいたいと思う。
  ……。
  はぁ。
  最近、私は弱気だ。家族の抹殺から、弱気だ。
  まあ、認める。
  私は本当は、不安に弱い女なんだって認めてる。でも誰だってそうでしょう?
  大切な人に否定されたくない。
  誰だって、同じはずだ。私だけ特別な感情を抱いてるわけじゃあない。




  『ようやく魂を器に移行した。
  これで私はリッチ、虫の隠者……というわけではない。つまり今の私はリッチダム状態なのだ。
  魔力が増幅されているのが分かる。
  しかしまだ完全ではない。

  完全に真のリッチになるには、まだ時間が必要だ。今の私はこの砂時計、変化の砂と名付けたがそこに魂を
  封じ込めている。この状態は非常に曖昧で、危険だ。
  つまり変化の砂は今の私の心臓。
  これを手放せば私は死ぬ。
  もっとも変化の砂を壊されたり手放したりしない限りは不死身ではあるものの、私は大変に不安定なのだ。
  王に聞いてみたものの、安定するのは個人差があり確実な答えは返ってこなかった。
  私は今だ、魂をこの下賎な肉体に繋ぎ止めている状態なのだ。

  魂のみの完璧なる存在であるリッチに、虫の隠者になるのにはどれぐらいの時間が必要なのだろう。
  私は平穏に生きなければならない。
  完全に安定し、肉体を捨てるその時まで。
  しかし砂時計を手放す、ただそれだけの行為で今までの努力が無に帰すとは、人生とは皮肉で儚いものだ』


  砂時計、か。変化の砂と名付けてるみたいだけど。
  これを壊すか盗めばいいわけだ。
  無敵無敵と言うけど、リッチってそんなに強いかな?
  完全に幽霊なんだよなぁ。透明の骸骨の姿。まあローブを纏ってたり杖持ってたりと普通の幽霊より格が上って
  外見だけどそんなに無敵と言うほど強くはない。

  まあ私が強すぎるって事もあるけどねー♪
  ほほほー♪
  「死霊術師かぁ」
  もしも。
  もしもレイリン叔母さんが優しかったら、私も死霊術師になってたのだろうか?
  ……確かに。
  確かに、人生とは皮肉で儚いものよね。

  「そこで何しているっ!」
  「ハイ。セレデイン、でしょ?」
  「……何故私の名を……?」
  「私はフィッツガルド・エメラルダ。所属は……」
  「貴様が? ……レイリンの姪か」
  私の事を知っているらしい。
  ただ、かつての同胞の姪だからといって歓迎してくれるムードじゃないみたいだけどねぇ。
  「お前の事は知ってるよ。今はアルケインの、それも愚かなるトレイブンの養女、だな?」
  「ご明察」
  「ならば好都合っ! 貴様の苦悶と恐怖に満ちた首を愚かなるトレイブンに送りつけてやるっ!」

  「単純ばぁか」
  ありきたりな台詞吐きやがって。
  それに自分を無敵と思っている奴に限って、意外に脆いものなのよ。一撃で決めるっ!
  ゾンビを従えているセレデインに向って……。
  「煉獄っ!」
  ドカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンっ!
  ゾンビもろとも炎に包まれるセレデイン。
  呆気ない。
  何が不死身……。
  バチバチバチィィィィィィィっ!
  「きゃあっ!」
  電撃に吹き飛ばされる。
  私は種族的に生まれながらに魔法抵抗が高く、装飾品の類に魔法を掛けて魔法抵抗をさらに増幅しているから
  対魔法戦においてほぼ無敵。今の電撃よりも、倒れた際に打った腰の痛みの方が大きいぐらいだ。

  くぅぅぅぅっ。
  腰が痛い。
  バチバチバチィィィィィィィィっ!
  爆炎の中からさらに電撃。私は避け、電撃は虚空を通り過ぎる。
  「虫の隠者である私を殺す事は出来んっ! 我こそは虫の隠者セレデインなりっ!」
  「ふん。まだリッチの成り損ないの分際でよく言うわ」
  セレデイン、健在。
  あの炎の中で無傷で生きている。
  ……なるほど、本当に不死身になりつつあるわけだ。その不死身も制限付ではあるものの。
  砂時計。
  奴の命の詰まった砂時計を壊す、もしくは奪う。
  それは心臓を抉り出すと同義の行為。奴は瞬時に死ぬ。

  バチバチバチィィィィィっ!
  岩肌を奴の電撃が舐める。裁きの天雷をお返しに放ってやるものの、奴は平然と受けた。
  「くくく。効かんわぁっ!」
  「その自信過剰が死を招くわよ?」
  「自信過剰ならお前も同じだろうが。そうじゃないのか、自分が勝てると思っている」
  「それ納得。お互い様よね、自分勝手」
  「仲間になれ」
  「はあ?」
  「知っているぞ。お前はレイリンに仕込まれた死霊術師。仲間になれ」
  「……昔思い出すから、その台詞ムカつく」
  すらり。
  銀製のロングソードを抜く。研いだばかりだし、雷属性をエンチャントしているから通常の切れ味以上に斬れる。
  ふん。
  死なないにしても、首が泣き別れになれば対処なんて容易い。
  ……。
  ふむ、その場合はどうなるのだろう?

  おそらく懐に入れているであろう、自身の魂を封じ込めた砂時計である『変化の砂』の影響で奴の胴体は死なない。
  しかしその影響から離れた首は?
  首だけ死ぬのかな?
  胴体だけで永遠に生き続ける……くすくす、それも面白いかも。
  「剣で殺すか?」
  「死なないなら別に抵抗しなくてもいいんじゃない?」
  「……君は聞いていた通りの性格のようだな」
  「……叔母さんの話はやめて」
  「腕は痛まないのか? 大分深く切り込んだと言っていたぞ? ……お前ほど頭蓋骨が美しい形をしているのは珍しいと
  言っていたな。知ってるか? レイリンは悔やんでいたよ。お前を切り刻んで……」
  「やめてっ!」
  「くくく」
  私の動きが止まる。
  通称・墓荒らしのレイリン。死霊術師で、前回の『ファルカーの反乱』の際に死亡。
  私の叔母だ。
  両親が亡くなった後、親戚をたらい回しにされた挙句に彼女に引き取られた。
  優しかったわよ。
  とっても優しかったわ。
  召使いのスケルトンの腕を壊したら、笑いながら私の腕を切り取ろうとしたもの。今でも傷は残ってる。
  ……はぁ。今でも夢に見る。良い夢なはずはないわね、悪夢よ悪夢。
  泣きながら許しを乞う私。
  叔母さん許して、叔母さんごめんなさい、叔母さんもうしません、叔母さん良い子になりますから許してください。
  迫ってくる煌く刃。
  泣いて哀願しても許してもらえない、あの恐怖。そして絶望。
  ……。
  ……くそっ!
  思い出しても腹が立つ。
  他の召使いスケルトンに全身を押さえ付けられ、レイリンのナイフが腕の半ばまで刻まれたあの光景。
  ……逃げなかったらどうなってたのかな?
  ……片腕のフィーの出来上がり?
  ……それとも私も召使いのスケルトン?
  はぁ。
  たまに無性に泣きたくなる。
  たまに無性に泣けてくる。
  私そんなに悪い事したのかなぁ。生きてる事が、そもそもの悪なのかもしれない。
  ……ちくしょう。
  ……思い出したら、無性に……。
  「ふふふ」
  「……?」
  「人の古傷は触れるものじゃあないわね。……お前殺すよ」
  「やれるものなら、やってみるがいいっ!」
  「デイドロスっ!」
  バチバチバチィィィィィィィィっ!
  厚い皮膚の、二足歩行のワニの悪魔に電撃が直撃。盾代わりの召喚。……私にとってはね。
  しかしセレデインにとっては違う。
  二方向に注意が分散する。注意力散漫、私は駆けて……。
  「はあっ!」
  剣が一閃。
  胸を凪いだ。しかし血は吹き出ずに、切り裂かれた胸の傷はすぅっと消える。
  ちっ、ほんとに不死身かっ!
  「くくく。ほらね、私は不死身なんだよ」
  「それが誤算だと思うんだけどね」
  日記にも記してあった。
  条件付の不死身なのだ。まあ私が思うにリッチよりはやり辛い相手ではあるけどねぇ。
  「本当に不死身なのね、驚いた」
  剣を鞘に戻す。
  セレデインの眼は私の挙動に連動され、動く。剣を戻した時、私から視線を外しデイドロスに。
  瞬間。
  「がはぁっ!」
  「痛みはあるんだ、安心した。……無痛を相手する事ほど、つまらない事ないもの」
  居合い。
  抜き打ちに奴の腹を斬って捨てる。
  「悪いね、悲惨な生き方してると自分の力しか信じられなくなるのよ。……剣の腕もその賜物」
  「しかし殺すには至らないようだな」
  「そう? あんたの敗因を教えてあげるわ」
  「何?」
  「不死身だと思い込むからあんたは負けた。……それに服、破れてるわよ?」
  「……?」
  視線を腹に移し、セレデインはそのまま止まった。
  破れた箇所から小さな砂時計が落ちかかっている。変化の砂、今の奴の心臓そのものだ。
  落ちかかっている。
  少しでも妙な動きをしたら落ちる。俊敏にやらないと駄目だ。
  そして……。
  「さてどうする? それ落ちたらあんたは死ぬ。哀しいわね、落としただけで今までの人生無駄だもの。お前負け犬決定」
  「ま、待て」
  「待て? ……ふぅん。恐怖はあるわけ? だったら悪いわね。古傷抉られたから、私ムカついてるのよ」
  「た、頼む待ってくれ。やめてくれ」
  「いいよ」
  「た、助かる。本当に……」
  「わっ!」
  「……ひっ!」
  大声を出すと、セレデインは怯えた。根は小心者らしい。
  カタン。
  小さく渇いた音を立てて、砂時計は地に落ちた。瞬間、奴の魂も地に没する。
  「大した不死身ね。感心するわ」
  魂のない抜け殻の肉塊に、そう吐き捨てた。
  死霊術師は心底嫌い。
  ……全員、死ねばいい。死なないんだ不死身なんだ、そう喚くなら全員首でも吊ればいい。
  それが妥当だと思わない?
  私は、そう思う。







  「こんなもので永遠の命、か。……くだらない」
  ぽちゃん。
  私は湖に砂時計を投げ捨てた。
  外の空気は気持ち良い。
  死体臭いのは、嫌だ。死体の貯蔵庫に叔母に閉じ込められてた事を思い出すから。
  死体の貯蔵庫?
  ……いいえ、叔母が宛がってくれた私の部屋。子供部屋。
  死臭と腐臭とネズミと死体に湧く蛆と、暗闇の中を飛び交う見た事もない羽虫。人として扱ってもらえたのはアルケイン
  大学の召喚実験で、オブリから戻された時からだ。ハンぞぅの養女にしてもらった時、私泣いたなぁ。
  私の気持ちを理解出来る人はそうはいない。
  人として扱ってもらえる喜び、私ほど分かる奴はそうはいないだろうね。
  少なくとも不幸の代名詞であるアンでも甘い。
  私ほどは不幸ではなかった。
  叔母は獣を飼ってる、その程度の感覚でしかなかったと思う。
  獣?
  それは誰の事?
  ……ふむ。自分で鬱になる事は思い出さないほうがいいのだ。ともかく死霊術師は許せない。
  個人的なトラウマだけどね、ハンぞぅの思想とはまた異なるけど死霊術師撲滅は私の人生の大儀であり使命。
  そう思う。
  死霊術師は死を否定する。自分達は死を振り撒くくせに、自分は死にたくないらしい。
  自分勝手なエゴイストだ。
  苦笑する。
  ……私も人の事は言えないか。
  自分が善人だ何て思った事もない。私は悪人。悪人が悪人と食い合う、ただそれだけの話。
  ただそれだけの。
  今だってそうだ。殺す最大の理由は世直しなんかじゃない。
  闇の一党上層集団『ブラックハンド』の面々に近づく為だけの、暗殺なのだ。
  たまたま今回が悪人だっただけ。
  さて。
  「次の指令状の場所に、行くとしましょうか。シャドウメア」
  影の中から現れる、不死の愛馬は嘶く。
  どういう経緯で不死属性なのかは分からないけど、闇の一党にも死霊術が取り込まれているのかもしれない。
  まあいい。
  「……ふぅ」
  古傷を抉られた。
  意外に私は過去に弱い。あまり良い思い出はないし、泣いてばっかりだった。
  泣いても、何も解決しなかったけど。
  「……お前、心配してくれるの?」
  鼻を押し付けてくるシャドウメア。何がまずいのか、そう聞いているようだった。
  可愛い奴ね。
  「よしよし。良い子ね、お前。優しい良い子」
  顔を撫でてやると、気持ち良さそうに鳴く。
  ふむ。素体は馬か。
  完全に化け物ではないらしい。可愛いものじゃないの、後で新鮮な人参をたっぷりあげよう。
  「次に行くわよ」
  今回の指令状の末尾に、任務終了後にコロールに迎えと書いてあった。そこに次の指令状と報酬があると。
  今は手駒でいてあげるわルシエン。
  ……今だけね。
  ……ふふふ。






  闇の一党ダークブラザーフッド。
  私は貴方達に感謝してた。
  家族をくれた。
  でもそれを奪おうとした。私に喧嘩を売ったのよ、そして……この先、平穏でいる為にはお前達は邪魔。
  私が狩る。
  私が狩り立てる。
  ……お前達との関係は、もうお終いよ。