天使で悪魔
永遠の退役
因果律。
全ての物事には必ず理由があり、それに相応しい結末が待っている。
まさに、これだ。
アダマスの最後はまさにこれ。
私は運命を信じない。
でもね、因果律は信じる。何故なら、これはその人が行った行為に対する、結末であり代償。
運命とは根本的に違うと、私の中では定義されている。
私は衛兵隊長の罪を告発した。
アダマスは帝都軍の名声を守る為に、告発した私を逮捕し、結果として30年の罪。私は50のおばあちゃんになるまで、地下監獄
で腐る予定だった。許せますか?
ふん。
許せる聖人君子の方は、帝都の地下でどうぞ好きなだけ腐っていてください。
私?
私は聖人君子ではなくて、天使で悪魔。
悪魔らしく振舞い、始末してあげる。
勘違いしないでね、アダマス。これは貴方が初めた事なの。私は、悪くありません。
……自分の愚かさを呪うのが妥当よ。くすくす。
いよいよこの日が来た。
いよいよ。
……私が闇の一党ダークブラザーフッドに関わる最大の理由であり、要因となったアダマス暗殺。
……ついに。
「ああ、フィッツガルド。よく戻りましたね。いよいよアダマス・フィリダをシシスの元に送る時がきました。準備のほどは?」
「いつでもいけるわ、オチーヴァ」
「結構」
シェイディンハルの聖域。
一週間以上に及ぶスキングラードでの療養生活……というかアンとの観光は終わり、私は再びこの薄暗く血に塗れた古巣へと
舞い戻ってきた。暗殺者達の楽園に。
アダマス・フィリダ。
先の闇の一党によるシェイディンハル伯爵夫人ラザーサ暗殺の際に、失態を犯した為に既に帝国元老院は彼から帝都軍総司
令官の地位を剥奪、レヤウィンにおける治安維持の為の出向と称して、左遷した。
もはや以前ほどの鉄壁の警備体制ではない。
殺すのも容易。
「今更ですが、アダマスは我々闇の一党の排斥に血道を上げてきました。帝都における任務は何度も阻まれ、その報復としての暗殺
も何度か試みましたが全て返り討ち。貴女にとって私怨の対象でしょうが、組織としても敵なのです」
オチーヴァの語気は荒い。
今回の任務であるアダマス暗殺は私の私怨であり、私が所属する際に出した最大の条件。で、あると同時に闇の一党にとっても倒
すべき人物なのだ。役職を解任されたとはいえ、殺さなければ気がすまない相手なのだ。
オチーヴァが熱くなるのにも、それなりに理由があるわけだ。
「既にアダマスはレヤウィンに流されました。……あの豚も、それで意気消沈し既にやる気は失せています。そう、隠居爺同然となり
隠居生活を楽しんでいます。もちろんそんな逃げ方は許しません。幻想に逃げても、連れ戻して始末しなければならないのです」
「なるほどねぇ」
喧嘩売るなら相手を見てから。
私に喧嘩売ったばかりに私につけ狙われる、それも執念深くね。
私に落ち度はなかったはず。
まあ、オチーヴァ達組織の恨みは逆恨みだけど、私の恨みは正当だと認識してる。
……正当でしょう?
無実で捕まって弁解も許されず人間的権利全て剥奪されて地下監獄で30年よ30年。許してなんかやるもんか。
誰が許すか。
くすくす。どう殺してあげよっかなぁ?
「今回の任務は極めて重大です。上層部もそれを認め、今回シシスのバラの使用が許可されました」
「シシスの……何?」
「シシスのバラ。矢ですよ。呪いの矢。例え手の指であっても、かすりさえすれば相手は絶命します。ただ、鎧を貫くほど貫通力は
ありませんからそれはお忘れなきように。別に使用しなくても結構。どう殺すかは貴女の自由です」
「了解」
ピンク色の、鏃の矢。
触ろうとすると慌ててオチーヴァは止めた。
「触っては駄目です。じかに触ると呪いが降り注ぎます。……ランガワインの毒とは意味が違います。触れた者は即死です。呪われ
て即死。極めて強大な呪いです。取り扱いには注意してください」
「はーい」
……危ねぇ……。
世の中には色々と、まだ私の知らないとんでもアイテムがあるものだ。
「おお、妹よ。アントワネッタとの新婚旅行は楽しかったですか? おや、少しやつれましたか? 頑張りすぎですよ、妹よ」
……ちくしょう。
「た、ただいま」
「心待ちしてましたよ、妹」
ヴィンセンテ登場。
相変わらずにこやかだが、その笑みは今日はどこまでも作り物だ。
彼もアダマス暗殺を心待ちにしているのだろう。
闇の一党にとってアダマスほど憎い相手はいないらしい。私も憎いけど……ふむ、また憎しみの種類が違うらしい。
まあ、いい。
「妹よ、貴女にシシスの加護があらん事を」
「ありがと。お兄様」
「おう、まだいたか」
ゴグロンも激励に現れる。
なるほど、闇の一党の期待を背負ってるわけだ。
「ほぉう、そりゃシシスのバラか?」
有名らしい。
「そいつがどんなに優れたアイテムでも、それを使って暗殺する事にこだわる必要はねぇ。好きに殺せよ、効率的にな」
「了解」
驚いた。
突撃一本槍かと思えば、意外に計算高い。
豪放な性格に隠れてるわけだ、思慮深い戦法というやつがさ。
むぎゅー。
「フィー好きぃー♪」
「はいはいお姉様、私も好きですよ」
……。
……今、私は何を言った?
好き、かぁ。
何だかんだ言ってもここの家族は精一杯家族してるし、私もまた全力に家族してるわけだ。
「聞いた聞いた今の聞いた? とうとうフィーがあたしに心開いて体まで開いたよぉー♪」
なっ!
「おめでとう、妹よ」
「がっはははは。まさにめでたいな、これでアダマス殺せば結婚式まで一直線だな」
「聖域管理者として微笑ましく思いますよ」
……ちくしょう。
むぎゅー。
「フィー二人の生涯になるアダマス殺したら……くすくす、こんな事もたくさんしようねー♪ 誰も二人の愛を阻めない♪」
「すいませんお姉様お尻弄くってます私のヒップ弄んでますマジ勘弁してください」
「……むふふー……♪」
闇の一党、何て恐ろしいところっ!
おおぅ。
「さて愛しき妹達よ、任務の概要を続けます。……フィッツガルド、いちゃつくのは後にしなさい」
……私かよ。
……ちくしょう。
「今回、貴女は殺すだけです。好きに殺しなさい、好きに。ゴグロンが言うようにシシスのバラにこだわる必要もありません」
「はいな」
「テレンドリルとテイナーヴァは既にレヤウィンで待機しています」
「共同任務なんて必要……」
「最後まで聞きなさい。二人は貴女の援護、であると同時にアダマスの指を切り取る任務が受けています。貴女の私怨を晴らす任
務であると同時に一党の威信の為の任務です。切り取った指は新任の帝都軍司令官に送りつけます。警告です」
「えげつないわねぇ」
「二人と接触する必要はありません。ただ、貴女は貴女の恨みを晴らしなさい。いいですね?」
「分かったわ」
ヴィンセンテが続きを話す。
「白馬騎士団というものがレヤウィンで新設されました。出張って来たら始末……すればいいのですけどね、妹にも感傷はある
でしょう? お友達のダンマーが加入しています。出てくる前に、アダマスを殺しなさい」
お友達のダンマー?
ダンマーに友達はいない……ああ、アリスか。戦士ギルドのアリスか。
なるほど、出て来たら厄介ね。
「お心遣い感謝ですわ、お兄様」
アダマス暗殺。
聖域の全幅の信頼を受けて……歪んだ殺意の衝動を一身に受けて、行くとしようか。
……あの爺を殺しにねぇ。くすくす。
……あっ、ムラージ・ダールだけ見送りに来なかったわね。まあ、いいけど。
さて、はじめましょう。
レヤウィン。
帝都軍巡察隊にいた頃に、一度ここを通った。グレイランドへの強襲。
スクゥーマ密売人を追ってここで仕事をこなしたなぁ。
「人生とは皮肉ね」
あの時はこんな風になるとは、想像もしてなかった。私が暗殺者になるなんてね。
おかしなものね、人生ってさ。
……。
……。
……。
そ、それに同性に体を弄ばれるなんて想像もしてなかったっ!
おかしなものよね、人生ってさっ!
……ちくしょう。
「よっと」
屋根の上によじ登る。
アダマスの行動パターンは既に調べあげられているらしい。私がスキングラードで療養生活していた際に、既に調べられていた。
無駄がなくて真に結構。
私はすぐさま暗殺に移行できるわけだ。
アダマスは午後になると、市内にある湖で泳ぐらしい。最近は閑職なので太った為らしい。
……今からそんな事も関係ない体型にしてあげるわ。
……今からあなたは腐るだけなんだから。くすくす。
「さて」
黒いフードに、黒いローブ。まさに暗殺者ルック。
暗殺とかもやっぱり形から入らないとねぇ。まあ、昼間にこんな恰好したら却って目立つんだけどさ。
武器は弓矢。
矢は、シシスのバラ。かなり険悪で悪趣味な、呪いのアイテムらしい。使ってみよう。
「アダマス・フィリダ」
鎧を脱ぎ、泳ぎ始める爺。
丁度いいタイミングらしい。私は矢をつがえる。直立不動の体勢で、衛兵が二人。レヤウィンの衛兵の鎧ではなく帝都兵の鎧だ。
あいつらはアダマス子飼いの生き残り衛兵。
あいつらも同罪だ。始末しよう。
「……ふふふ」
気持ち良さそうに泳ぐアダマス。
含み笑いして、眼下のアダマスにさよならの微笑。
……こんなものかしら?
呆気ない展開、これを放てばアダマスは死ぬ。弓はそんなに得意じゃないけど、外すほどの距離でもない。
もっと焦らしたい。
這い蹲らせて、命乞いさせたい。
……その上で、冷酷な笑み浮かべて助命を拒否して、踊って殺そう。
……。
ふむ、私危ない?
まあ、いい。
幕をそろそろ引くとしよう。私に喧嘩売って生きているなんておかしな話。
さて。
「さ・よ・な・ら」
ひゅん。
シシスのバラは私の手から放たれて……。
「ぐぅっ!」
視界がぼやける。……いたぞ、屋根の上に黒いローブの女が。暗殺者……ふむ、闇の一党か。
このワシ、アダマス・フィリダを狙うとは馬鹿な奴だ。
捕らえて白日の下に晒して公開処刑してやるっ!
殺せっ!
……。
何をしている、殺せぃっ!
……。
振り返ると、帝都から連れてきたワシの子飼いの衛兵二人は後頭部を矢で貫かれて死んでいた。刺さっている場所が違う、別の暗殺
者もいるのか。レヤウィンの衛兵達が騒ぎを聞きつけて駆けて来る。
ふはははは、失敗したようだな、暗殺者っ!
ワシに矢を放った暗殺者は、屋根の上から動かずにこちらを見ている。
度肝を抜かれたのか、ワシの生命力に。
さあ、奴を殺せっ!
……。
何だ、おかしい。さっきから声が出ない。それに頬が痒い。矢がかすった場所だ。手を触れて掻き毟ると……何かが落ちた。
何だこれは?
……皮膚だ。ワシの右の頬の皮膚だっ!
もう一度触ってみる。
ワサワサワサ。
何かが右の頬に群がっている。蟲だ、蟲が肉を食い破って溢れ出てくる。全身に痛みが響く。
爪が剥がれ落ちる。
指が異様に大きく晴れ上がり、ぽぉんと妙に軽い音を立てて弾けた。
痛みはない。
血も出ない。ただ蟲が這い出てくる。体中に、皮膚の中を蟲が這いずっているっ!
ひぃぃぃぃっ!
ぽろり。
にゅるっと、右目から何かが……視界が突然、片目だけに……ひぃぃぃぃぃぃっ!
歯が全て抜け落ちる。
鼻から血が止まらないその鼻そのものがもげる毛穴から血が湧き出る発疹は全身に、そして体は風船のように膨らみ……。
い、嫌だぁっ!
こんな死に方したくない嫌だぁっ!
ぽぉん。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
体は爆発した。
異変。
湖に佇むアダマスに異変が起きた。
「……?」
外した、と思った瞬間にあの爺は佇むんだまま動かない。頬に軽くかすった程度の傷。
シシスのバラは即死の呪いのアイテム。
しかし、死んだようには見えない。
ただ、佇んでる。
「なんなの?」
瞬きしてるし、息もしてる。見た感じ、呼吸してるのは分かる。
アダマスは動いた。後ろを見る。アダマスの親衛隊で、私が帝都で殺した残りカスの二人はテレンドリルの放った矢で沈黙。
……ああ、いや、まずい。
ノルドの市民が叫ぶ。騒ぎが大きくなりつつある。レヤウィンの衛兵達も走ってくる。
「ちっ」
舌打ち。
まずい。
ちくしょう、このまま長引けば白馬騎士団とやらも出張ってくる可能性もある。出来れば、知り合い……というほどでもないけど
アリスは殺したくはない。出会えば最後、テレンドリルは援護の為に容赦なく射殺すだろう。
ふむ、それはそれで面倒ね。
「……」
どうする、私?
このまま魔法で吹き飛ばすか……そうね、それが早い。それにしてもオチーヴァめぇーっ!
何が即死系のアイテムよ、生きてるじゃないのっ!
その時。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
……何?
アダマスは絶叫。
何の外傷も……いや私が放った矢が頬にかすった以外には……外傷はない。
しかしアダマスは魂の底から迸るような絶叫を天に向って吐き出す。
パシャアアアアアンっ!
そのまま、湖に顔から突っ込んで浮かんだ。水死体の出来上がり。そのまま腐るといいわ。
でも何なの?
まあ、いい。
「バイバイ。アダマス・フィリダ。太らないようにシシスの虚無の海で精一杯泳ぐ事ね」
私は身を翻し、その場を後にした。
満足の行く結末ではなかったものの、あいつは死んだ。
……少し、期待外れだけど。
シシスのバラ。
先端に強力な幻覚の呪いの掛けられた矢。
わずかでもかすった者は脳に直接作用し、脳を狂わせ、視覚は幻覚に支配される。
対象は発狂の末に、心臓麻痺で死亡する。
別に心臓麻痺を誘発する効果はないものの、極度の恐怖により心が耐え切れず約九割の確率で命は止まる。
私はレヤウィンの外に逃げた。
追っ手はいない。
テレンドリルとテイナーヴァが追っ手を撹乱してくれてるのだろう。多分ね。まあ、楽でいいわね。
「……ふむ」
こんなもの、か。
私はフードを外し、ローブを脱ぎ捨てる。ローブの下には普段着。
ニベイ河に弓を投げ捨てる。
腰のナイフは……まあ、いっか。
帯刀は認められている。このご時世、むしろ帯刀していないほうがおかしい。例え女であったとしても、ね。
「ふぅ」
今頃は、テレンドリルとテイナーヴァがアダマスの指を切り取ってるのかしらね。
……どうでもいい事だ。
私はニベイ河を見つめながら、草の上に寝転がる。
空は青い。
今日も良い天気だ。最高の青空。
……なのに、どうして私は殺しをしているのだろう……?
別に殺しは否定しないし私の行いが間違ってるとも言わない。私は殺し屋、その呼び方を否定しても人殺しには変わらない。
まあ、呼び方はどうでもいい。
後味も別に悪くないし闇の一党の感情を抜きに考えても、アダマスは万死に値する男だった。
それはいい。
それはいいのよ。
「こんなもんかぁ」
少し意外だった。
もう少し燃えると思ってた。実に、呆気ない結末だった。
アダマス・フィリダ、私の人生弄ぼうとしてくれてありがとう、うへへー……ぶっころーすっ!
……ふん。こんなものか。
物足りない。
そう。正直物足りない。
今まで仇という者を持った事はなかったけど……こういう感情なのだろうなぁ。
例えば大切な者を奪われる。
私は悲痛を嘆き、無力感を感じ、生きている事を否定する。でも、犯人がいる。私は生きれる、その犯人をどうしても許せない必ず殺
すという感情だけが私を生かす。冷酷に、情熱的に。私は生きていられる。
でもその目標を殺せば?
その時、私も死ぬ。
例え憎い相手を殺しても大切な者は戻らないし、人はその後でも生きていかなければならないから。
別の人生だけが残る。
空虚で、燃え尽きた抜け殻だけの人生が。
「はぁ」
私にとってのアダマスは、前述のような粘着的な憎悪ではない。
確かに憎いし殺したかったけど、私の場合奪われた……のではなく、自分の人生を奪われかけただけ。
無論、それでも万死に値するけど、私の場合は抹殺したら清々する。そんな感情だ。
それでもやはり、空しい。
今までが燃えただけに、この結末は実に呆気ない。
ともかくアダマスは死んだ。
今頃は闇の神シシスの虚無の海の真っ只中を彷徨い、シシスに魂を貪られているのだろう。
……私は?
アダマス暗殺は果たした。満足感はないけど、別に良心は痛まない。あの爺はそれだけの事をした。これはその結末。
もう、闇の一党に留まる理由はない。
「アン達ともお別れかぁ」
私はこれからどうしよう?
これからどこに行こう。何をしよう。大学に戻るか、それとも……。
「ふぅ」
……さあ、私はどこに?