天使で悪魔






不可解な相互関係






  人間関係は複雑怪奇。
  思っているよりも単純ではない。






  「し、仕方なかったんだ。俺には家族がいるんだよっ!」
  「マグリールぅっ!」
  「子猫ちゃん、蜘蛛の巣にかかった気分はどうかしら? あっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
  夜の闇に包まれたレヤウィンに3つの声が響く。
  がくりと私は膝を付いた。
  背後からマグリールにナイフを突き刺された。
  既に根性なしのボズマーは怯えるように後ろに下がっている為、持ち主を失ったナイフは私の背に残っている。
  貫通はしていない。
  膝を付きながらカラーニャの顔を見る。
  不敵に笑っていた。
  なるほど。
  殺すつもりはそもそもないらしい。
  少なくとも今はね。
  ナイフは根元まで刺さっておらず中途半端な状態。
  抜く?
  抜いたらおそらく出血多量。ぶわぁと血が出るでしょうね。
  体に力が入らない。
  それはナイフが刺さっているから。
  激痛ですし。
  集中力も混乱している。
  これは……激痛が理由ではないわねー……。
  「ナイフに魔封じの魔法をこめてあるわね?」
  「ご名答」
  「くっ」
  「さすがは子猫ちゃんね。愚かなるトレイブンの自慢の養女だけあるわね。良く出来ました。ふふふっ!」
  魔力が消えた。
  引き抜いたところで効力が消えるわけではない。
  ただ、どんなに長くても2分程度で効力は消える。つまりその間は抜こうが刺さっていようが効力は続く。だったら止血の意味もかねて刺したままの方がいい。
  痛いけど。
  手にあるパラケルススの魔剣を地面に突き刺したまま私は膝を付いている。
  「随分と印象変わったのね、カラーニャ。髪形弄った?」
  「……」
  「無口? 再登場だからって緊張しなくてもいいんですけど」
  「……相変わらずね」
  「……?」
  「無駄なお喋りで時間稼ぎ。相変わらずの手ね。……成長しなくてもいいのかしら? トレイブンが泣いているわよ?」
  「そりゃ失礼」
  通じない、か。
  何だかんだでこいつとは長い付き合いだ。
  私の性格も見抜かれてる。
  やり辛いな。
  やり辛い。
  ちらりと後ろを見る。マグリールは震えながら遠巻きに見ている。
  私は言う。
  「あいつは何?」
  「従順なペット。あの後、私はこいつに寄生して今に至るの。充分に魔力を取り戻した後でこの肉体を乗っ取ったってわけ」
  「ふぅん」
  ダンマーの肉体を指差すカラーニャ。
  つまりあの体は哀れな犠牲者か。
  まあ、だからといって手加減なんかしないけど。
  「だけどあんたとまた会えるなんてね」
  「意外かしら? 猊下の四大弟子筆頭の私が生きているは?」
  「意外じゃないわ。化け物だからね。むしろ嬉しいって感じかな。あんたはレイリン叔母さん殺してくれたわけだし。あいつ殺す機会を奪ったあんたには報復したいもの」
  「あらあら相変わらず屈折してるのねぇ」
  「悪いか」
  「楽しい思いでも少なからずあったでしょうに」
  「何を期待しているのかは知らないけど、そんなものはないわ。殺意だけ」
  「あらそう。それで次の話題は何かしら子猫ちゃん?」
  「さてさて」
  話をしながら私は焦っていた。
  おかしい。
  オークの殺し屋蹴散らした際にあれだけ爆音とか立ててるのに誰も来ない。
  時間稼ぎは出来てるはずだ。
  充分に。
  宿屋から人が出ないのは別にいい。
  住民が出てこないのもいい。
  関わり合いを恐れて出てこないのだろう、その心情は分かるし野次馬はいらない。
  問題は衛兵だ。
  何故来ない?
  深緑旅団戦争の爪跡が残り、さらにブラックウッド団の一件の後始末で衛兵の数が不足している(伯爵がシーリア・ドラニコスに責任を押し付けて追
  放した後に衛兵の一部は職を捨てた)からすぐには駆けつけないのは分かってた。
  その為の時間稼ぎでもあった。
  だけど来ない。
  おかしい。
  おかしいぞ、さすがに。
  笑い声が響く。
  「ふふふ。無駄よ子猫ちゃん。街のあちこちに私の糸を張り巡らせてある。衛兵はしばらく足止め。魔術師ギルドも戦士ギルドもすぐには来ないわ」
  「それはそれはご丁寧に」
  「もう1つ面白いことを教えてあげる。この街、レヤウィンの街はかなり物騒なことになってるわよ。私は手を出してないけど誰かが手を出してるわね」
  「はっ?」
  意味の分からんことを。
  「さて子猫ちゃん、魔封じはそろそろ解けたでしょ?」
  「確かにね」
  相手を見据えながら私は自分の背中に手を回す。刺さったナイフを引き抜くためだ。
  うー、体が堅っ!
  柔軟体操が必要ですな。
  ナイフを引き抜く。

  「しゃあっ!」

  その瞬間、妙な気合の声を発して小心者が向ってくるのを気配で感じる。どうやらマグリール君はあくまで私と敵対するらしい。
  元シェイディンハル聖域メンバーほどではないけど私も気配は読める。
  それにマグリールは素人同然。
  背中で殺意と敵意と気配を感じ取る。
  私は相手に位置も確認せずに鋭い蹴りを叩き込む。見事にマグリールの顎に直撃、引っくり返った。
  左手で傷跡を押さえて回復魔法を発動。
  右手にあるナイフをカラーニャ目掛けて投げた。
  「げ」
  一言発してカラーニャはその場に転がる。
  刃は寸分違わず相手の額に突き刺さっていた。
  死んだ。
  ……。
  ……普通ならね。
  「ひ、ひぃっ!」
  バタバタとマグリールは逃げる。勇ましいんだか臆病なのかよく分からん奴だ。
  まあいい。
  雑魚に用はない。
  普段なら顔見知りであろうともここまでされては私も黙ってはいない。ただ問題は相手がカラーニャだってことだ。わずかな隙も作れない。
  何だかんだでこの女は四大弟子筆頭。
  マグリールごときを相手にして隙を作るべきじゃあない。
  油断ならない女だ。
  「立ちなさいカラーニャ」
  物言わぬダンマーに冷たく言う。
  パラケルススの魔剣を地面から引き抜いて私は構える。まだ傷は塞がっていないので左手は背中に当てたまま。
  「立ちなさいカラーニャ」
  傷は消える。
  よし。
  回復魔法を解く。
  これで戦いに専念できる。
  私がもっと回復系のスキルが高ければ瞬時に治るんだろうけど……あんまり回復系は得意ではないので仕方ない。
  「カラーニャ、あんたがこの程度で死ぬなら苦労はしないわ」
  所詮この肉体は器でしかない。
  ただの入れ物。
  「きははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははぁっ!」

  ボンっ!

  カラーニャの肉体が爆発。
  血と肉と骨が弾け飛ぶ。
  爆発した瞬間に私は数歩下がり、さすがに惨劇は見たくないので手で目を覆う。
  それでもわずかに開けた視界には巨大な影が飛び込んでくる。
  蜘蛛だ。
  漆黒の巨大な蜘蛛。
  5メートルほどもある巨大な存在。
  「いきなり本性を現してくれるなんてね、カラーニャ」
  「良い子はそろそろ寝る時間よ、子猫ちゃん」
  「良い子に見える?」
  「見えないわぁっ! それじゃあ悪い子は死んで地獄に行かなきゃねぇーっ!」
  「躾って言葉知ってる?」
  蜘蛛と化したカラーニャの無数の足は鋭利な刃であり容易に人間をズタズタにするだろう。
  まあ、当たればね。
  魔力は完全ではないけど体力は申し分ない。多少血が足りないけどこの戦いを乗り切るぐらいはできる。
  既にカラーニャの正体は分かってる。
  こいつが化け物だと分かっている以上、オントゥス砦での失態はありえない。
  「はあっ!」
  一気に間合いを詰める。
  俊敏さは私の武器。
  決めるっ!

  ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!

  「なっ!」
  弾かれたっ!
  硬い表皮。
  「おやおや、どうしたのかしら子猫ちゃんっ!」
  「饒舌ね」
  無数の足で反撃。
  パラケルススの魔剣を振るって全て弾く。

  ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
  ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
  ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!

  よぉしっ!
  体が温まってきたっ!
  脚部に魔法を施して跳躍力上昇。
  私が大きく跳躍し奴の真上に到達。カラーニャの無数の足は先ほどまで私がいた場所を空しく突き刺した。

  ガッ。ガッ。ガッ。

  地面に突き刺さる音だけが響く。
  カラーニャの視界は宙に舞う、正確にはカラーニャ目掛けて急降下している私を捉えているはず。捉えているはず、という表現をしたのは蜘蛛の黒い
  眼球はガラスのように無情に存在しているだけだから。瞼も眼球の動きもない以上、捉えているはずという曖昧な表現しか出来ない。
  くわっとカラーニャはこちらに向けて口を開いた。
  「雷光の調べっ!」
  そうだった。
  蜘蛛形態でもこいつは魔法を使えたんだった。
  雷撃が落下する私に放たれる。
  私もまた放つ。
  「裁きの天雷っ!」

  バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
  バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!

  相殺っ!
  だけど余波で私は吹っ飛ばされ、カラーニャから離れた場所に空しく着地。
  カラーニャは気味の悪い走り方……いや、蜘蛛にしたら普通の歩き方なんだけどこれだけでかい蜘蛛の動きは気味が悪い。
  私の魔力は回復してる。
  完璧に近い。
  さきほどの雷撃の威力も申し分ない。
  ならばっ!
  「ブーストはさせないわよぉっ!」

  フッ。

  消えた?
  「ちっ」
  そうだった。
  空間転移するんだ、あの蜘蛛。虫の王マニマルコに様々な力を付与された蜘蛛。そのスキルの多さはかなり厄介だ。
  何より純粋にカラーニャは強い。
  面倒。
  実に面倒な展開。
  最近の敵は全部ボス級。雑魚はどうした雑魚は。
  「……」
  どこだ?
  どこから来る?
  そして……。

  ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!

  激しい音。
  崩れる家屋。
  何かがいきなり建物に突撃し、その建物を破壊した。5メートルもある蜘蛛が直撃したわけだから建物はただではすまない。
  私じゃない。
  何だ?

  ガラ。

  瓦礫を跳ね除けて蜘蛛が這い出してくる。
  大きく口を開いて雷撃を放つ。
  ただし私にではない。

  バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!

  虚空に向って放つ。
  何がある?
  私は放たれた雷撃の方向を見る。
  そこには……。
  「黒い球体」
  何だあれは?
  宙に浮かぶ黒い球体。どこかで見たような……。
  「あっ」
  デッドアイの背中から出てきた黒い球体っ!
  翁の生命力を吸収した、あれか。
  だけど何であれがここに?
  謎だ。
  私が見ていると黒い球体は人の形を形成、やがてそれは漆黒のローブを纏う人の形となった。フードを目深に被った、口元が異様に白い人物。
  黄泉っ!
  カラーニャが吼えた。
  「何者っ!」
  えっ?
  今のはどういう意味?
  巨大な蜘蛛は再び雷撃を口から放つ、しかし黄泉には届かない。魔力障壁に阻まれた。
  ……。
  ……強くなってるわね黄泉。
  あの雷撃を防ぐ障壁、か。
  憶測だけど天音の能力で消去される寸前にデッドアイの中に逃げ込んだのだろう。そうとも知らない翁が機能停止したデッドアイを回収して再利用、
  黄泉は虎視眈々と翁の隙を狙ってたと考えるべきか。そしてその隙を突いて翁の生命力を吸収して復活を遂げた。
  ただ復活したのではなくパワーアップして。
  カラーニャは再び叫ぶ。
  「何故邪魔をするのっ! 子猫ちゃんの仲間ねっ!」
  「……手を出すな、カラーニャ……」
  「雑言っ!」
  「……聞き分けのない……」

  フッ。

  蜘蛛の姿は消えた。
  次の瞬間、黄泉が浮かぶ近くの建物の屋根の上に出現、勝手に交戦してる。
  どういうこと?
  こいつら仲間じゃないの?
  少なくともカラーニャは虫の王の手下だし、黄泉もまた虫の王の手下を公言してる。
  よく分からん。
  まあいい。
  仲良く潰し合っているのであれば私が手を加えてあげるっ!
  魔力を集中。
  「はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  ブースト。
  ブースト。
  ブースト。
  ブースト。
  ブースト。
  ブースト。
  ブースト。
  魔力が爆発的に高まる。
  これでも食らえっ!
  「神罰っ!」

  
バチバチバチィィィィィィィィっ!

  夜のレヤウィンに雷撃が踊り狂う。
  雷光。
  私はその雷光の中で黄泉とカラーニャが消えるのを見た。
  「はあはあ」
  がくりと膝を付く。
  気配を読む。
  「……」
  数分、私はその場に膝を付いたまま周囲を見渡す。
  空間を渡って逃げた、か。
  だけどどういうこと?
  仲間じゃない?
  不可解な相互関係か。
  面倒ね。
  足音が無数に聞こえてくる。誰かが、複数の人々が走ってくる音だ。
  見る。
  「ようやく、か」
  戦士ギルド&魔術師ギルドの面々だ。
  衛兵は混じってない模様。
  噂に聞いてたけど衛兵はマジで仕事してないらしい。衛兵の代わりに戦士ギルドと魔術師ギルドが自警団的な動きをしているのは本当のようだ。
  後始末は任せて私は寝るとしよう。
  疲れる夜でしたなー。
  ……。
  ……たまにはまともな夜はないの?
  厄年なのかなぁ。
  んー。
  「それにしても」
  私は内心で安堵する。
  私も喋り過ぎたし油断しすぎたけどカラーニャもまた喋り過ぎたし油断しすぎた。
  お陰で命拾いした。
  自分を強いと自負しているけど結局は人間だ。今回のようにマグリール程度にだって理論上は殺されてしまう弱い人間だ。
  ある意味で今回はカラーニャの慢心で何とかなった。
  私は肩を竦める。
  「痛みわけにしておいてあげるわ、カラーニャ」