天使で悪魔





水上の墓穴




  帝国の中心地インペリアルシティ。
  まさかこんな形で帰ってくるとは思わなかった。こんな形で市中を歩くとは、誰が予想していただろう。
  少なくとも私は予測なんかしちゃいなかった。
  昼頃から小雨が降り、夕方から強い雨脚が襲ってきた。
  昼食を済ませた後は久々の街の見物を堪能したものの、雨の為人は少ない。
  途中、衛兵に止められる事はなかった。
  服装は黒いローブにフード。確かに怪しいかもしれないが、漆黒のローブ姿=暗殺者、という方程式はただの
  偏見でしかない。一応、私は肩書き魔術師だし問題ない。
  ……まぁ魔術師=ローブ、というのも偏見だけど。
  そういえば大学にはあれから戻っていない。
  あれから、というのは逮捕されてからだ。
  脱獄した後は、帝都の暗部……廃屋やら下水道やら倉庫やらに身を潜め、虎視眈々とアダマス暗殺の機会を
  窺っていた。その際に道具を調達してくれたのがジョニーというアルゴニアン。
  彼は今、どこにいるのだろうかねぇ。
  衛兵が止めない理由。
  ジョニーの調べでは私は死んだ事になっているらしい。
  だから、止められない。しかも死んだら犯罪履歴の書類は破棄される。私は、現在罪科なしだ。
  ……くすくす。書類の上ではね。
  さりげなく、アダマスの動きも探ってみた。しかし今、帝都にいないらしい。
  フードを目深に被る。
  一応、アダマス暗殺未遂犯だ。
  一応、アダマスの兵隊殺しだ。二名ほど、生き残っている。
  今回はあの総司令官絡みでここに来ているわけじゃない。んー、厳密にはそうだけどね。
  暗殺の任務は、アダマスの権威失墜の代償として行う事だ。その繋ぎ、とも言う。

  ザー。
  雨は強くなる。土砂降りだ。
  そろそろ時刻もいいだろう。それにこの雨だ、利用出来る。
  私は帝都波止場地区に足を進めた。




  帝都波止場地区。
  世界中の物産が集まる帝都の、海の玄関口だ。
  普段なら賑わっているこの場所も、この雨の所為か人影はまばらだ。
  ……ああ、いや。
  皇帝暗殺の所為かな。皇帝暗殺犯は今だ特定されず。後継者と目されていた三皇子も別々の場所で、しかし
  同じ時刻に襲撃され暗殺されている。

  現在、治世の権を振るっているのは、元老院のオカート総書記だ。彼が一時的に政権を得ている。
  しかしこのままで終わるか?
  ……ふふふ。答えは否。
  暗殺集団も特定されず、皇帝の血筋は堪え、暫定的に元老院が治世を握る。
  今にまた内紛が起こる。
  それは私の勝手な憶測だけではないだろう。だから、世情の不安定さの為に貿易もかつてほどではなくなって
  いるのだ。タムリエル全土は帝国の統治の下にある。
  しかしそもそも各地にはそれぞれの種族の国家があった。それを皇帝が重しとして、君臨していた。
  その重しは今、地に堕ち、果てた。
  ……戦争か。
  ありえない話ではない。まっ、総書記殿が優れた指導者ならば、特に問題はないけど。
  「マーティン、かぁ」
  ふと、口にした名前。それは皇帝曰く最後の後継者。
  探せ、と私に言った。
  無論、探しちゃいない。皇帝の犬になるつもりはない。
  しかし探せと、言う。つまり皇帝自身その所在を知らないのだ。知っていれば『運命の者』である私に託しただろう。
  その居場所を。
  だが皇帝は言わなかった。勝手に探せという事か。
  それとも私を信用……いや、それはない。私を暗殺者の仲間だと思っているならば、わざわざ隠し皇子の存在を口
  にする事すらなかったはずだ。言わなかった理由。簡単だ。皇帝自身知らないのだ。
  おそらくは庶子なのだろう。
  どれだけ夫人を持ってたかは知らないけど、非公式の愛人も多数いたに違いない。
  そのマーティンはおそらくは愛人の子供。
  政争になるのを避けて、どこかに匿った……ふぅ、というか厄介払いしたのだろう。
  まあ、いい。
  運命の者と言われても照れ臭いし、それ以上に面倒臭い。
  大体運命の者が怨恨で人を殺す?
  ……それだけの理由を、殺意の対象に与えられたんだけど……真の勇者ならば許すだろう。
  ふん。ただの奇麗事だ。そんなの。
  殺す。
  殺す。
  殺す。
  私はアダマスを殺す。これが私の生きてきた際に得た、心のあり方。
  あいつは舐めた事してくれたからね。それ相応の処罰を与えなくちゃ気が納まらない。
  まっ、確かに執念深いけど、その反面からっとしたところもあるつもり。私は善人で悪人、天使で悪魔だ。
  さて。
  「お仕事お仕事っと」



  船は二艘停泊していた。
  私はそもそもこの近くのスラム街にボロ家を持っていた。……逮捕された際に帝国に接収されたけど。
  だから、どちらが海賊船か分かる。
  一艘はガレオン船を酒場兼宿屋に改装した、船上ホテルだ。
  ……一度泊まったけど、お世辞にも快適な寝心地とは言えなかった。揺れるんだもん、波で。
  思わず私は洗面器に……。
  ……よそう。思い出しても気持ち悪い。あぅぅぅぅ。
  「なかなか御精が出ます事で」
  もう一隻の船を見つめる。
  船員達はせっせと物資を積み込んでいる。まさかこの雨で出航とはいかないだろうけど、あまり日を掛け
  すぎるとここを離れる可能性もあるわね。
  さすがに航海に出てる船を追ってまで暗殺はしたくない。
  もちろん……。
  「死への航海、する事になるけどね。……永遠のさぁ」
  英雄小説で使い古されたような台詞を吐いた後、私は静かに船に近づいた。
  青白い顔の女性が『俺達海賊ひゃっほぅー♪』と思いっきり主張している上半身裸の男二人の指示を出している。
  青白い……ダンマーだ。船に女性?
  なかなかに珍しい。
  基本、船員に女性を選ぶのはそうそうない。不吉だからだ。
  言うまでもないけど海は女性、その大海原に女性の船員がいると海が嫉妬し船を沈めるらしい。
  ササッ。
  わずかの隙を突き、私は木箱の脇に隠れた。
  このスリル、なかなか侮れない。
  標的に気付かれないように忍び込み、潜み、虚を狙い、その寝首を掻く。まさに殺し屋。まさに暗殺者。
  スリルはあるなぁ。
  ……うへへへへへへ……。
  ……とまあ、危険極まりない発想はおいといてー。
  「さっさと船に詰め込みなっ!」
  「へーい」
  その言葉を聞き私は……。




  「あぐぅ……っ!」
  「……っ!」
  ばたり。ばたり。
  年配の海賊と、若手の海賊が何やら言い争いをしていた部屋に私は踏み込み、有無を言わさずに始末した。
  得物はルシエンにもらったナイフ。
  別にお気に入り、というわけではないけど、暗殺には適していると思う。
  特に今回のような狭い場所ではね。
  私は今、船内にいる。
  木箱の中の一つに隠れたら、ここまで海賊達が運んでくれた。
  別にそんな小細工をして船内に忍び込まずとも、魔法で完膚なきまでに……そう。船諸共沈めてやってもよかった。
  でもまあ、一応壊し屋じゃなくて殺し屋ですから。
  基本は抑えておかないと。

  「さて、と」
  船の規模からして……船員は船長合わせても十人はいないだろう。多くても、十人だ。
  今2人始末した。
  ダンマーと海賊2人は、船外。私の入った木箱を運んだ2人の話ではまだ仕事があるらしい。船外に戻った。
  依頼を完遂するとしよう。
  闇の一党に対する忠誠なんか皆無だが、利用する価値はある。こいつらの仲間でいればアダマス殺しの小細工をし
  てくれるらしい。それに、罪も被せられる。比較的簡単にね。
  ……空手形切られれば?
  そん時はそん時。
  裏切った報いを受けさせた後で、アダマス殺す策を練るわ。それだけの事よ。ふふふ。
  「うっぷ」
  出航しているわけじゃないけど、船が揺れる。気分が悪い。
  とっとと済まそう。
  あまり長引くと……胃の中のモノ、戻しそう……。はぅぅぅぅぅ。
  船倉から上に。上に。
  眠っていた海賊1人を永眠させ、私は進む。途中、何かのカードゲームをしていた海賊3人を見つけるもののそれは
  やり過ごした。剣術も得意だけど、船酔いが酷くなってきている為、音もなく制圧する自信がなかったのだ。
  「ここ、か」
  粗末な、機能重視の船内とは対照的に一つだけ、豪奢な扉があった。
  中の音をさぐる。
  何かカチャカチャとした音……食事でもしてるのだろうか。
  がちゃり。
  ビンゴ。ガストン船長はお食事中。人生最後のお食事の邪魔をして申し訳ないですね。
  ……続きは冥府でするがいい。
  「えんごくぅっ!」

  ……あれ?
  ……き、気持ち悪い。まずい。完全に船酔いだ。げろげろげろぉー。
  「な、何だお前は? 俺の部下じゃねぇだろう?」
  「……うげぇー……」
  「おい野郎どもっ!」

  ひゅん。
  その場に蹲り……何をしているかは気かないように……と、ともかく私は蹲りながらも手にしていたナイフを投げた。
  吸い込まれるようにガストンの胸に突き刺さり、音を立てて崩れ落ちた。
  ドタドタドタ。
  拡声器の類がこの部屋にあったのだろうか。下の階層にいた連中が上がってくる。まずい。
  私は船長が絶命している事を確認し、それからナイフを抜き逃走路を目で探す。
  あったっ!
  なかなか恰好の逃げ道あるじゃない。船長室は一等豪華で、バルコニーに通じる扉が……。
  ……。
  ……そこから入れば一発で終わったじゃん……。
  「船長、何がありましたっ!」

  ちっ。舌打ち。アルゴニアンの海賊が入ってきた。後ろに二人ほどまだ控えてる。外にも三人いる。
  今の私の状態じゃあちっときつい。
  逃げる。逃げる。逃げる。
  ドアを蹴破り、私はバルコニーから海へ。服を着込んでいるから泳ぎ辛いけど、泳げないほどじゃない。
  「ごぼぅっ!」

  その時、私は海中に引きずり込まれた。暗い海の中には、何かが……人影が……ちっ、さっきのアルゴニアンか。
  水中戦はこの種族のお家芸。
  私はドザエモンになるけど、アルゴニアンは水中呼吸できる。
  足を掴んで離さない。
  ナイフで突く。しかし水中だからどうしても動きが鈍る。さらにまずい事に水中では魔法は限定される。
  浮力で、自身で浮こうとする私をアルゴニアンは許さない。
  そして、次第に私の体は力を失い……。



  水中で、にやりとアルゴニアンは笑った。
  船長を殺した女は抵抗も弱くなり、その抵抗も消え、既に力なく揺れている。
  何度も引きずり込んで殺している彼にしてみれば、この女は死んでいる事は明白だった。

  船長ガストンの仇。
  本来ならばもっと残忍な殺し方を施すべき相手であったものの、この殺し方も仕方ないだろう。生温いやり方をす
  れば逃げられていたはずだ。それに、それなりに満足のいく殺し方だ。
  アルゴニアンである自分は水中でも息が出来る。
  だからその苦しさは分からない。
  しかし今まで沈めて殺してきた連中には、常に最大限の苦悶と絶望が顔にあった。
  そう考えれば、この殺し方はもっとも残酷だったであろう。

  女の体は流れに揺れている。
  確実にもう死んでいる。例え死んだ振りをしていたにしても、五分も海中にいるのだ。肺は既に空気を失い水で満
  たされているだろう。

  アルゴニアンは女の死体を仲間の前に晒そうと、泳ぎ始める。
  船長が殺された、その犯人がこの女、そしてそれを殺したのは……。
  必ずしも次の船長にはなれないだろうが、次の船長も自分を無下には出来ないだろう。

  最大の手柄を立てたのは自分であり、今後はその為に押しが利く。
  笑えてきた。
  さて帰ろう、泳ぎ始めた彼は見た。

  笑う女の顔と、自分の顔に迫る黒い刃。そして、それが最後の光景となった。



  「ぶはぁっ!」
  水中に顔を出したのは……無様に浮かぶアルゴニアンの死体と、私、フィーちゃんの可愛い顔だけ。
  ふっ、愚か者め。
  確かに魔術師は水中ではほぼ魔法が使えないものの、『水中呼吸』と呼ばれる魔法は使えるのだ。
  魔法は万能。
  大抵の事はなんでも出来る、そして何にでもなれる万能の存在だ。
  種族による差も魔法を使えば挽回できる。
  そんなに泳いだわけじゃない。
  すぐ近くに……それでも10メートルは離れてるけど、海賊船が見える。船縁からまるで身を乗り出すように海賊達
  が事の成り行きを見つめていたものの生きている私を見て何か怒号を上げている。
  ……沈めるか?
  「まっ、いっかぁ」
  依頼以上の事をすると疲れる。騒ぐ海賊達に私は中指立ててやった。
  任務遂行。
  「さて、帰りますか」
  ……ちくしょう。
  帰りますか、だってぇー?
  何を馴染んでるの私。勝手に聖域を自分の帰る場所と間違えるとは……ふん、まだ船酔いが醒めてないらしい。
  ……まだ、船酔いが……。