天使で悪魔
常勝の戦姫
人は心のどこかで英雄を求めている。
「……」
無言で私はペンを進める。
執務室の椅子の心地も慣れてきたところだ。執務室にいるのは私だけ。
何故?
だってここは私の部屋だもの。無断では誰も立ち入れない。
そう。
私が今いる場所はアルケイン大学、塔の最上階にあるアークメイジの私室兼執務室。私は書類の整理に追われていた。
山彦の洞穴の決戦から既に2週間が過ぎた。
何だか何年も戦ってきたような錯覚に襲われる。それだけ激しい戦いだった。
「よしっと」
ペンを置く。
これで全ての書類の整理は片付いた。
ふぅ。
疲れたなぁ。
黒蟲教団との決戦後、スキングラードで骨休め。その後は私は大学に舞い戻ってからずーっと書類の整理。
やるべき事は沢山ある。
半壊状態のバトルマージの再編。
ブルーマ支部の復興。そしてそこに赴任させるべき支部長、支部員の選出。
協力してくれた戦士ギルドへの謝礼も必要だし……つーか私は戦士ギルドのマスターでもあるのよね、戦士ギルドの損害に対しての対策も必要だ。今回
の一件だけではなくブラックウッド団絡みの損害からの脱却も必要。
……。
……物凄い忙しいぞ、これ(泣)。
執務中と言えば聞こえはいいけど何気にここに監禁されている気もする。
粛々とギルド再建しろというラミナスの無言のメッセージ?
嫌だなぁ。
魔術師ギルドがお父さんの組織じゃなかったらとっくに投げ出してる。
「一息入れようかな」
うん。
そうしよう。
まだまだやるべき事は沢山あるけど、とりあえずの仕事は終わった。紅茶でも飲んでリラックマ状態を堪能するとしよう。
うんうん、そうしよう。
コンコン。
「……」
うがーっ!
このノック音には聞き覚えがあるぞこの後に仕事が急に増える展開はこれで8回目だーっ!
コンコン。
執務室の扉は叩かれ続ける。
やれやれだ。
私がここにいるのは分かってるわけだし居留守は不可能。というかバトルマージが塔の中や敷地内を巡回しているわけだから逃げようもない。
仕方あるまい。
「どうぞ」
「失礼します」
ガチャ。バタン。
扉を開けて入ってくるラミナス・ボラス。
現在の立場は私の補佐役。
何気に魔術師ギルドのNO.2に昇格したラミナス。彼は恭しく頭を下げた。彼が両手で持っている書類の束は見たくない(泣)。
「追加の書類です、アークメイジ」
「……」
「裁可をお願いいたします。今年度の予算案、ブルーマ支部再建の為の木材等の物資の収集、新人魔術師の教育など重大な案件ばかりです」
「……」
「アークメイジ」
「はいはい。分かってるわ」
「評議会を永遠に解散させたのはアークメイジ、貴女です。権力は全てに貴女に集中、結果として即座に決裁が可能。その反面の忙しさは承知していたはずです」
「分かってるって」
机に書類の束を置くラミナスに私は頷いて見せる。
確かに。
確かにこの忙しさは私が招いたようなものだ。
黒蟲教団との最終決戦の後、私は評議会を解散させた。評議員達は一魔術師に降格……いや、降格というか本来あるべき姿に戻したと言った方が良いのかな。
政治家気取りの魔術師などいらない。
だから一魔術師にした。
もちろん私の独裁体制にしたというわけではない。
新たに委員会という枠組みを作った。委員会に属する者達にはかつての評議会のように権力を与えていない。つまり政治家気取りを出来ないようにしてある。
まあ、それなりに旨みはあるようには配慮してあるけどね。
委員会に属しても仕事増えるだけで見返りなしでは人は付いて来ない。だから普通の魔術師よりも一等上という立場にはしてある。
メンバーには元評議員もいる。実力主義で選考した面々、それが委員会。
「だけどラミナス、私最近疲れてるんだけど」
「私にどうしろと?」
「少し休憩が欲しいかな」
「……やれやれ。職務中に抱いて欲しいのか。まったく、素直にそう言えばいいものを」
「抱いていらんわーっ!」
「ちっ。生意気言いやがって。しかし分かってるな?」
「何が?」
「昼はお前がマスターでも、夜は私がマスターだという事をだっ! ふはははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
「エロの権化かお前は」
「失敬な奴だな」
はあ。
相変わらずの性格なのは……まあ、嬉しい事……なのかなぁ?
ラミナスは私がアークメイジになっても同じノリ。
まあいい。
私としてもその方が楽だ。
気が休まる時があった方がいい。気詰まりして倒れたくないしね。
「ラミナス、黒蟲教団の後始末は?」
「連中の支部は全て潰しました。判明している限りは、ですがね。もっともあの決戦の場にほとんど全ての戦力を投入して来たのは明らかです。全て討伐済み。
特に問題はないかと思われます。虎の子のリッチもあの場で出し惜しみする必要はないわけですし、あの場のリッチは全て倒しました、完全勝利かと」
「なるほど」
黒蟲教団は壊滅したと見ていいわけだ。
総勢3000にも及ぶ数のアンデッド軍団は元の死体に戻ったし、投降した死霊術師達も司法機関に引き渡した。
事実上の壊滅と見ていいわけだ。
四大弟子も全滅。
虫の王もまたこの世から去った。
完全勝利だ。
「ところでアークメイジ」
「フィッツガルドでいいわ」
「そうですか?」
「この間も言ったじゃん。妙にかしこまられると気まずい」
「おい、フィッツガルド。てめぇ図が高いんじゃないのか? 誰のお陰で楽が出来ると思ってんだ? ああん?」
「……ラミナス、あんたブルーマ左遷」
こいつ半端ねぇーっ!
確かに別にかしこまる必要はないんだけど普通アークメイジに冗談でもここまで言えるか?
ラミナスって凄いなぁ。
「さて、冗談はこれぐらいでよろしいですか、アークメイジ」
「冗談」
うーん。
本当に冗談ですかね。
まあいいですけど。
「アークメイジ」
「何?」
「実は盗難が発覚しました」
「盗難?」
「はい」
アルケイン大学には考古学的に価値のある物や魔力を帯びたアイテムが倉庫に収納されている。基本的にバトルマージが常時数人は巡回しているから
盗難は不可能に近い。いや完全に無理です。
……。
……もっとも普通の状況ではなかったんですけどね、最近。
黒蟲教団との決戦があった。
その際、最低限の警備を残して全て動員した。盗難出来るのはそのタイミングだけのはず。
「決戦の際に盗まれてた?」
「盗難に気付いたのはつい先程ですが恐らくはそのタイミングではないかと」
「ふぅん。何を盗まれたの?」
「魔力を強化したりするアイテムが主です。一番の痛手はアイレイドの王冠ですね。……問題は、厄介な代物が盗難された事です」
「厄介な代物?」
「血虫の兜です」
「……」
私は絶句する。
一番盗難されちゃまずいものだ。
血虫の兜。
それは虫の王マニマルコのかつての持ち物で魔力を格段に増幅する兜。
既に虫の王は滅びている。
それはいい。
それはいいのよ、だけどあんなものが世に出回るのだけは勘弁。虫の王マニマルコの残滓ともいうべきあんな代物が出回るのは正直目障り。
「虫の王の手下が決戦のドサクサに盗んだ?」
「そう見るのが妥当かと。ただ虫の王は兜は……」
「被ってなかった」
「決戦には間に合わなかった、というわけですね」
「そうね」
「しかし奪還はすべきですね。誰が盗んだにしても。バトルマージを特別に編成して情報収集及び奪還させます。どうかご裁可を」
「アークメイジの名の元に許可します。兜を回収次第、破壊するように」
「了解しました」
やれやれ。
厄介な展開ではあるかな。
「ところで」
「ん?」
「黒馬新聞は読まれましたか? 貴女の事が書かれていました」
「読んだ。色々と吹聴されてるみたいね」
私は苦笑する。
妙な称号を私は市民達に与えられてしまった。市民はいつでも英雄という娯楽を求めているものらしい。
私の称号。
それは……。
帝都において最大の情報量を誇る市民の愛読紙である黒馬新聞からの抜粋。
なおこの号から政府の機関紙から民間の新聞会社に独立。
黒馬新聞は情報の中立性を掲げている。
『フィッツガルド・エメラルダ。この名をご存知でしょうか?』
『この女性は戦士ギルドのマスター、魔術師ギルドのアークメイジという顔を持つ才女。今回帝国の根幹を揺るがしかねない死霊術師の侵攻を、自ら
先頭に立って防いだ救国の女性です。帝都の皆様はそんな人がいたんだと、初耳だという顔をするかもしれません』
『しかしこう言えば分かり易いかもしれませんね』
『その者、グランドチャンピオンのレディラック』
『剣術』
『魔術』
『知恵、機転、人脈、そしてその美貌。帝都の誰もが今、レディラックに魅せられていると言っても過言ではないでしょう』
『今回、彼女は伝説の死霊術師である虫の王マニマルコの不死の軍団と戦ったのです』
『雪原の決戦の際には魔術師ギルド、戦士ギルドが共同で動いた模様』
『さらに前任アークメイジと懇意にしていたシャイア子爵は財団の私兵を率いて合流、さらにスキングラード伯が親衛隊を自ら出陣、レディラックに対して
義理があるとされているシェイディンハル、ブルーマの衛兵隊もこの戦いに参戦して強大な同盟軍が結成されました』
『これはレディラックの人望と言っても過言ではないでしょう』
『百戦錬磨』
『彼女の過去を調べるとまさにその言葉が相応しくなります』
『そして熱狂的なまでに盛り上がりを見せている帝都市民達は彼女を讃えてこう呼んでいます』
『常勝の戦姫と』
※常勝の戦姫(いくさひめ)と読みます。「せんき」ではないです。
「せんき」だと戦鬼になりそうなので(苦笑)。