天使で悪魔
反転攻勢
守勢の時間は終わった。
攻めに転じよう。
攻勢だっ!
血虫の兜。奪還完了。
死霊術師のアミュレット。奪還失敗。
評議員デルマー。死亡。
評議員カラーニャ。黒蟲教団が送り込んでいた死霊術師であり大幹部。撤退。
時間は過ぎて行く。
あまり有意義な流れ方とは言えない時間が過ぎて行く。
虫の隠者、虫の従者、死霊術師達を私達は倒してきたものの損害はおそらく魔術師ギルドの方が甚大だろう。
ムシアナスの一件、デルマーの一件、カラーニャの一件でかなりの人数が死んだ。特にカラーニャは魔術師ギルド内部にいた隠れ死霊術師達を
撤退する際に引き抜いた。魔術師ギルドの人数はさらに減った。虎の子のバトルマージも半壊状態。
アークメイジの弟子達は殺され、ブルーマ支部は陥落。
評議会はこの期に及んで足の引っ張り合い。
黒蟲教団は逆に勢力を伸ばしている。
勝てるだろうか?
「以上が報告です」
アークメイジの執務室。私は直立不動のまま羊皮紙に何かを綴っていたハンぞぅに報告する。
執務室には私と彼だけだ。
2人きり。
「カラーニャが、裏切った?」
「はい。正確には黒蟲教団が送り込んだ密偵というのが正しいでしょう」
「……」
絶句するアークメイジ。
無理もない、か。
それにしても黒蟲教団の行動は迅速、それでいて気長だ。数年年も前にカラーニャを送り込み活動させていた。そして内部からジワジワと魔術師ギルド
の切り崩しをしてきたわけだ。少しずつ浸食するように。
はっきり言おう。
黒蟲教団の方が現在有利に立っている。
内部の不穏分子の大物カラーニャは退けたものの置き土産程度の密偵は残っているかもしれない。
簡単には不利な状況は覆せない。
「ハンぞぅ?」
「わ、分からない。私は彼女を信頼していました。評議会を共に運営する同志であり相談役。……まさか彼女が死霊術師だったとは……」
「対策が必要です」
「刻一刻と状況は最悪になっていく。私は破滅がそこまで来ているような気がして恐れています」
「だからこそ対策が必要なのです」
私は強い。
だけど個人としての能力にはどうしても限度というものがある。
特に黒蟲教団は一糸乱れずに組織として動いている以上、こちらも組織として対抗する必要性がある。しかしそれが可能?
「……」
「……」
沈黙を続けるハンぞぅを見て私は思う。
勝てないな、これは。
そう考えていた。
何故なら黒蟲教団では虫の王マニマルコの存在がある。絶対的なカリスマとして君臨している。
魔術師ギルドは?
魔術師ギルドは、駄目ね。指揮系統もバラバラ、利害すら一致していない。利権の為だけに正義を捨て、評議会で有利に立つ為だけにアークメイジ
に逆らう評議員達。最悪な事態になるまでおそらく評議会はこの流れが続くのだろう。
そして私は知っている。
最悪な事態が来た時に対策を講じても遅いのだと。
「……フィー」
「はい」
数分後。
もしかしたら数十分だったかもしれない。虚脱状態だったハンぞぅは私の名を呟いた。
よっぽどカラーニャを信頼していたようだ。
気持ちは分かる。
私はカラーニャの事は嫌いだったけどその実務能力の高さは認めていた。だからこそハンぞぅは腹心に任命したわけだし。
それだけにショックは大きいのだろう。でも気持ちを切り替えて貰わないといけない。
魔術師ギルドの評議長なんだから。
「フィー」
「はい」
「私はカラーニャが君を排斥するべきだと提言した時、何の疑いも持たなかった。それが魔術師ギルドの為だと思った」
「そう」
「カラーニャの提言がフィーと私の関係を絶つ為だったのか、それは分からない。しかし私はフィー、君をこの手で捨てたのと同じだ。そんな私が
君に頼むのは自分勝手なのかもしれない。都合が良過ぎるのかもしれない。しかしフィー、君に頼みがあるのだ」
「何でしょう?」
「最後にもう一度だけ力を貸して欲しい」
「最後に?」
どういう意味だろう?
聞き返したものの彼はそれには答えずに言葉を続ける。
「評議会を再度招集する。フィーも同席して欲しい、ラミナスにも声を掛ける」
「しかし私達は……」
「議席は2つ空いている。空席だ。空けて置く必要はない。君達が座ればいい」
評議員デルマーは死亡。
評議員カラーニャは敵側の密偵。
確かに2つ議席は空いてる。君達が座ればいい、それはつまり私達を評議員に抜擢するという意味?
「フィー、君の力が必要だ」
「分かった」
「よかった。では来たまえ。君の手腕を借りたいのだ」
「こんな横暴な決定、納得出来ませんっ! というか順序的に私が評議員に抜擢されるべきでしょうっ!」
「連れ出してくれて構わない」
「アークメイジっ!」
バトルマージ2人に両脇を抱えられるように色白のインペリアルは評議会の会議室からつまみ出された。
ラミナスの後任クラレンスだ。
初めて見た。
見た目で判断するのもあれなんですけど能無しに見えたなぁ。
さて。
「評議員の諸君、お集まり頂き感謝します」
ハンニバル・トレイブンは椅子に座ったまま頭を下げた。
評議員は全て招集された。
カラーニャとデルマーは当然いないけどね。そしてその空いた席に私とラミナス・ボラスが座っている。評議員の視線が痛い。まあ、黙殺するけどさ。
だって自分から座りたいと言ったわけじゃない。
評議長からのご指名なわけだし。
ともかく座っている時点で評議員認定されているのと同義。
そして勝手に座れるわけないのは評議員達も分かってる。評議長が任命したのは分かってる。
色々と文句もあるのたろうけど、分かっているからこそ評議員達は黙ってる。あまり面白くなさそうだけどさ。理屈ではなく新参者が気に食わないのだ。
1人の評議員が口を開いた。
「今回の緊急招集の目的は何でしょうか、評議長」
「シローンに対する奇襲が議題だ」
ざわざわ。
評議員達がざわめく。
シローン?
隣に座っているラミナスに小声で私は聞く。
「何の事?」
「分からん」
「分からん?」
「私は折衝役を解任、謹慎処分を受けてた身だからな。その間に起こった事は分からん」
「なるほど」
「それに謹慎処分受けた後はスキングラード城に厄介になってたしな。知ってるだろう?」
「ええ」
「だからシローンの事は知らん。ただし分かっている事もある。シローンはスキングラード近郊にあるアイレイド遺跡の名称だ」
「ふぅん」
ラミナスは知らんのか。
だけど評議員達は知っている様子だ。評議会で何らかの採決したのかもしれない。シローン関連でさ。
ハンぞぅはざわめく評議会を無視して言葉を続ける。
「時間的に我々はますます不利となり、黒蟲教団の力は増すばかり。やるべき事は多々ある。しかし全てをする時間的な余裕はない」
「評議長、シローンの案件に関しては既に棄却されましたが……」
その言葉をハンぞぅは無視した。
「ムシアナスの掴んだ情報によると黒蟲教団はアイレイドの遺跡シローンで巨大な黒魂石を作っているとのこと。虫の王に対する献上品らしいのです」
「評議長」
「何に使うのかは容易に想像が出来ます。虫の王は黒魂石を使って魔術師の魂を捕らえ、体内に取り込み、そして魔力の増幅を図るつもりなのです」
「評議長、憶測で……」
「黙らんかっ!」
一喝。
ざわめいていた評議員達は黙った。ハンぞぅが怒るところを私は初めて見た。
座が静まる。
一同の顔を見渡しながらハンぞぅは語気を和らげた。
「我々は互いに争っている場合ではないのだ。既に取り返しのつかない状況にまで達しつつある。我々は弱体化し、連中の力は増す一方。先の採決
ではシローン攻撃の案件は確かに棄却された。ムシアナスは信用するに値しない、それが多数決で決まった為だ」
「しかし評議長」
「何だね、ルザウス評議員」
「一度棄却された案件は取り上げない。それがルールのはずです。そんな基本を忘れるとは少し老いたのではありませんか?」
禿げ上がった評議員が薄ら笑いを浮かべる。
それが合図だった。
評議員達は口々に非難を始める。
……。
……ふん。政治家気取りの馬鹿どもめ。
ああやって取るに足らない事を騒ぎ立てて楽しんでるわけだ。ハンぞぅの気苦労が多い理由が分かった気がする。納得です。
こんな馬鹿ども相手にしてたら気苦労は耐えないだろう。
評議員達は騒ぎまくる。
「そもそもその2人は何なんですか? 1人は愛人、1人は謹慎者。はっきり言って評議員に任命するなどと愚の骨頂ですなっ!」
「序列というものがある。良識というものがある。2人はそれがない。特にその小娘は死霊術師の姪であり自身も死霊術師ですぞっ!」
「こう言うのもなんですが老いましたな、評議員。公私の分別を失うとは」
「この際評議長にはその職を降りて貰うべきでしょう」
「左様っ!」
「採決をお願いします。評議長の解任の採決をっ!」
「採決だ採決だっ!」
「カラーニャ、デルマー、2人の任命責任は評議長にあるっ!」
「採決をっ!」
「だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああうるさいわねーっ!」
バキィィィィィィィィィィィィっ!
立ち上がって私は椅子を蹴飛ばす。
呆気に取られて黙る評議員達。
「うるさいのよ、いちいちと」
「新参者が偉そうに何を言うっ! 我々の……っ!」
「お前殺すよ」
「な、何っ!」
「小さい頃習わなかった? 人の話は最後まで聞きましょうってね。それに、もはや議論の時間はお終い。決断の時なのよ。ハンぞぅ、続きよろしく」
話を促す。
ハンぞぅは苦笑してから続きを話した。
「スキングラード領主であるハシルドア伯爵から価値のある情報がありました。シローンに死霊術師達が集結しています。虫の王自身が出張ってくる
事はないでしょうが幹部級は何人かいるはずです。絶好の機会。反転攻勢の機会なのです」
「私もそう思う」
ハンぞぅの言葉に私は頷いた。
敵が集結する。
つまり。
つまり一気に一網打尽に出来る。
まあ、完全に展開が逆転出来るわけではないだろうけど、現状を考えるとこれぐらいの事はしなければならないだろう。
攻勢に転じる為にはシローン奇襲は是非とも実行したい。
ハンぞぅは立ち上がり私の方を向いた。
もう評議会など気にしていなかった。私だけに語り掛けてくる。
「シローン奇襲の指揮を執って貰いたい」
「私が?」
「そうです。フィーにはバトルマージ三個小隊を率いて攻撃して貰いたい。シローンを攻撃して連中が作り出した巨大な黒魂石を奪い取って貰いたい」
「奪い取る? 破壊した方がいいんじゃない?」
血虫の兜の件がある。
死霊術師のアミュレットの件がある。
魔術師ギルドの祖ガレリオンが虫の王マニマルコの工芸品を破壊しなかったばっかりに現在の厄介があると言ってもいい。
禍根は断つべきだ。
巨大な黒魂石を魔術師ギルドに持って帰ったら、黒蟲教団に大学が狙われる要因になるだろう。
破壊した方がいい、その発言にハンぞぅは慌てた。
「駄目ですっ!」
「駄目?」
「巨大な黒魂石が必要なのです。それこそが魔術師ギルドを救う最後の手段になるのだと私は考えています」
「はっ?」
そんなもん何に使うんだ?
起死回生に使用するような感じだけど、使用方法が分からない。
ハンぞぅは静かに微笑んだ。
「いずれ時が来たら話します。フィー、私は貴女に対して全幅の信頼を置いています。それだけは信じて欲しいのです」
「はい」
「シローン奇襲は評議長特権で可決とさせて頂く。異論のある者はいませんな?」
評議員、沈黙。
独裁的?
独裁的ですね。
私が思うにハンぞぅは今まで評議員達に甘かった。評議員達は自分達が出世したいばかりに議会を混乱させていただけに過ぎない。
意見の集約は評議長としての使命であり責務。
こういうやり方も必要なのだ。
さて。
「フィー、部隊を率いて直ちにシローンに向ってください。黒魂石が虫の王の元に届けられる前に」
「分かりました」
「黒魂石の作製には常にファルカーが関ってきました。彼はその第一人者と我々は認識しています。シローンにいる可能性もあります」
「ファルカーか」
まだまともに顔合わせをしてない。
楽しみだ。
死霊術師との戦いはいよいよ佳境。
「ハンぞぅ、行ってきます」
「頼りにしているよ」