天使で悪魔







黒い影





  忍び寄る。
  虚空から黒い影が忍び寄る。

  無数の足でこの世界に。






  山彦の洞穴。
  スカイリム独立を掲げるスカイリム解放戦線、闇の一党再建を図る残党達がそこに根城にしていた。
  元老院直轄の諜報機関という前歴を持つエイジャは帝都軍を動かして討伐の運びとなった。
  帝国が動く、それはつまり私は楽が出来る……はずだった。
  展開は妙な方向に動く。
  誰だか知らないけどスカイリム解放戦線、闇の一党の残党、帝国が派遣した討伐隊、その全てが壊滅した。私には直接関係ないだろうけどもしかし
  たら今後関わってくる可能性もある。
  いずれにしても厄介だ。
  そして……。




  「久し振りにデートだね☆」
  「はいはい」
  アンとスキングラード市内をぶらつく。
  相変わらず暇です。
  死霊術師関連の動きはスキングラード城にいるラミナスと伯爵が懸命に追っている。2人は調べる人、私は動く人。分担は完璧。
  調査が終わっていないので私は現在暇です。
  「フィー」
  「何?」
  カフェでリラックマした私達は露天商を冷やかしたり新作の洋服を見たりして昼下がりの午後を満喫している。
  平和な午後。
  暗殺姉妹の午後にしては不自然なほどに平穏だ。
  「フィー」
  「だから何?」
  「久し振りだね」
  「まあ、そうね」
  アンはアンで『黒の乗り手』という配送会社の幹部なので忙しい。私は私で死霊術関係で飛び回ってるし。
  一緒に休養は確かに久し振りだ。
  「フィー」
  「うん?」
  「久し振りに外で出来るね☆」
  「……ま、まあ、何が外で出来るのかは聞かないでおくわ。言わないでいいからね」
  「外でえっちしようぜ☆」
  「露骨過ぎるわーっ!」
  「てへ☆」
  「……」
  はぁ。
  相変わらず爆弾娘だ。発言としてはヤバイだろ、今のは。というかそもそもアンが言った展開は今までありませんでした。
  信じてくれーっ!
  おおぅ。
  「アン、言って置きたい事があるわ」
  「何?」
  「ここは正義のサイトなの。かるーいエロネタが既にギリギリライン。そのへんを考慮して発言して」
  「えー」
  「えー、じゃないっ!」
  「はいはい。分かったよ」
  「えらく素直ね」
  「だって小説になってない部分でエロエロな関係は否定されてるわけじゃないし。色々と舞台裏で子作り頑張ろうね☆」
  「……」
  完全にダメダメです。
  こいつ最悪だーっ!
  崩れてく。
  崩れてくぞ私の高潔で潔癖な人柄と最強伝説が音を立てて崩れてくーっ!
  というかアンの発言はデタラメだーっ!
  信じてくれーっ!
  おおぅ。
  「フィー、ジュリアノス大聖堂に行ってみよう。あっちの方は静かだし。散策しよう☆」
  「はぁ」
  「フィー?」
  「分かりましたよお姉様」



  ジュリアノス大聖堂。
  九大神の1人が祀られている聖堂だ。特に興味がある場所ではない。私は神様なんて信じてないし。
  ただ静かなのは確かだ。
  落ち着く。
  静かなのは聖堂の神々しさが影響しているのかもしれないけど、それ以上に聖堂には墓地が隣接している。騒ぐのに適している場所ではない。
  信心深い人間でなくともそのあたりは空気を読んで大人しい。
  まあ、無神論者はそもそも近付かないだろうけど。
  さて。
  「静かだね、フィー」
  「そうね」
  聖堂からは賛美歌が流れてくる。
  扉は閉ざされているから歌は途切れ途切れでしか聞こえないので歌詞までは分からないけど。
  神様か。
  興味ないな。
  「ねぇねぇ、フィー、見て」
  「何を?」
  「あそこの人」
  「ん?」
  指差す方向。
  そこにはダンマーの女性がいた。
  ふぅん。美形の部類に入るだろう。ただあくまで一般的な美への感想であり別に女性に興味があるわけではないです。
  ……。
  ……うがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああいちいち面倒くせぇーっ!
  アンに言い寄られてなかったらこんな弁解いらんのにっ!
  別に私は男嫌いではないのだっ!
  ただ、まあ、何というか、たまたまアンとはそういう関係になっただけで……。
  「フィー? どうして眉間にシワを寄せてるの?」
  「内心で葛藤してた」
  「えっ?」
  「何でもないです」
  自爆です。
  「それでアン。彼女が何?」
  ダンマーの女性は墓地をゆったりと歩いていた。
  別に祈りを捧げに来たわけではなさそうだ。
  散歩かな。
  だけどどうしてわざわざ墓地の敷地の中を歩く?
  「フィー、あの人はオール・シングス錬金術店の錬金術師だよ」
  「へー」
  私は合点する。
  そうか。
  あれが最近の死体泥棒の犯人と噂されているダンマーの女性か。

  ファラーヌ・ラール。
  確かそんな名前だったと思う。
  ラールという苗字はモロウウィンドの名門の家系の苗字だった気がする。彼女はお嬢様ってわけだ。
  何故そんな高貴な人が錬金術師として店を運営してるのかは知らんけどさ。
  興味を覚えた。
  私は彼女に近づいて声をかける。
  「良い日ね」
  びっくりしたような顔で彼女は振り向いたけど、すぐに微笑に切り替わる。
  社交的な女性のようだ。
  「ファラーヌ・ラールさん、でしたよね?」
  「何故私の名前を?」
  「ご近所ですから。私とお姉様はローズソーン邸に住んでるの。よろしく」
  「私はスキングラードで唯一の錬金術師です。ここでは大した仕事もありませんがモロウウィンドには戻れません。どこへ行っても同じですから」
  「そう」
  意味不明のカミングアウト。居場所がないって意味合いなのかな?
  彼女は言葉を続ける。
  「そうそう。聞きたい事があるんですけど」
  「どうぞ」
  「シロディールで死体愛に科せられる罰金がいくらほどかご存じだったりしませんでしょうか?」
  「はっ?」
  「いえ。特に他意はありません。聞いてみたかっただけなんですが」
  「……」
  「いえ。大した事ではないんですが、どうなっているのかと思いまして」
  「……」
  何を言い出すんだ、この人。
  死霊術師?
  うーん。
  だけど錬金術師はゾンビやスケルトンの一部を薬剤に変化させる、それは法律として認められている。ぶっちゃけた話、錬金術師は限りなく死霊術師
  の側と言ってもおかしな話ではない。ただ錬金術師の場合、死体は薬の原料の一部として捉える必要がある。
  死体愛に取り付かれた錬金術師は死霊術師の範疇に含まれるだろう。
  まあ、この人がそうだとは言わないけど。
  私は聞く。
  「それは初犯?」
  「そうでないとしたら?」
  「魔道法に照らし合わせると、死体愛は死霊術の一環と見なされる。軽く引っ掛かる程度だから、まあ、罰金刑になるわ。金貨500枚ね」
  「モロウウィンドに比べれば何でもありませんね。ありがとうございます」
  「いいえ」
  「では私はこれで。さようなら」
  ファラーヌ・ラールは一礼してそのまま去って行った。
  アンは呟く。
  「変な人だねー」
  「そうね」
  「ところでフィー」
  「うん?」
  「お墓って背徳感を感じない?」
  「感じないっ!」
  「何で怒るの? 勝手にエロエロだと誤解してない? フィーってば少し想像力あり過ぎなんじゃないかな。くすくす☆」
  「……」
  決定。ラミナスとアンは同類項です。
  この世界にまともな奴はいないのかまともな奴はっ!
  疲れる展開だ。
  おおぅ。



  それから。
  それから私は3日間、墓地の周辺を監視していた。
  意味?
  特にない。
  別にラミナスや伯爵から依頼されているわけではない。あくまで私が独自で行動しているに過ぎない。ただの暇潰しという意味合いも強いけど、
  墓荒らしが街にいるのも目障りだ。
  死体弄り大好き人間=死霊術師という方程式はないけど、最近の流れからすると死霊術師の可能性もある。
  私は死体臭い奴らが嫌い。
  何故?
  だってトラウマだもん。
  死霊術師のレイリン叔母さんに幼少期に引き取られ、虐待されてたので死霊術師は大嫌い。
  ……。
  ……まあ、暇潰しの意味合いの方が強いけどね。
  今夜も墓地周辺を散歩。
  昼間はアンと散歩、夜間はヴィンセンテお兄様と散歩。現在私は楽隠居中。
  さて。
  「それにしても妹よ。3日も続けて私の月光浴に付き合うとは根気が良いですね。誤解されますよ?」
  「誤解?」
  「アントワネッタ・マリーですよ」
  「アンが何?」
  「浮気してると思っているらしいですよ。お陰で私はとばっちりを受けています。ニンニク攻撃はやめて欲しいものです」
  「……すんません」
  とりあえず謝る。
  私が悪いのか?
  まあ、多分私の責任の範疇なのだろう、ローズソーン邸の常識の中ではねー。
  嫌な責任だなぁ。
  おおぅ。
  「それにしても妹よ。スキングラードに最近は留まっているようですね。家族として嬉しい限りですよ」
  「そりゃどうも」
  ヴィンセンテお兄様は吸血鬼。
  基本的には屋内に閉じ篭ってるけど鬱屈するのだろう、月の綺麗な夜は月光浴と称して夜の街を散歩している。別に誰かの生き血を求めて夜な
  夜な出歩いているわけではなく純粋に散歩。少なくとも私が知る限りではお兄様は通販の血酒は飲むけど人は襲った事がない。
  聖堂の前まで来ると私達は物陰に潜む。
  「……」
  「……」
  無言の2人。
  ある意味で私達の方が怪しいかも(泣)。
  人影は見当たらない。
  聖堂周辺は基本的に衛兵の巡回ルートから外れている。ここだけ巡回の空白地帯。伯爵の意向なのか衛兵の怠慢なのか。どっちだろ。
  「妹よ、そのダンマーの女性が本当に犯人なのですか?」
  「さあ」
  「さあ?」
  「怪しいから張ってるだけ。誰が墓荒らしするかは不明。ただ、ファラーヌ・ラールが怪しいランキングで筆頭なだけで犯人とは思ってない」
  「大した暇潰しですね。さすが妹、器がでかい」
  「皮肉?」
  「誉めてるつもりですが」
  「ああ。そう」
  「だけど家にいればアントワネッタ・マリーがいるわけですから常に刺激的ではないですか?」
  「……そういう刺激は要らないのよ」
  ある意味でそれが怖いので外出してるようなものです。
  アンには内緒だけど。
  「妹よ」
  「あっ」
  ヴィンセンテが指を差す。
  ファラーヌ・ラールが現れた。彼女は墓地の周囲を散策しだす。
  時折墓石に顔を寄せたり、墓石にもたれかかって座ったりしてる。墓荒らしっぽくない行動だなぁと思う。
  何で墓場でリラックスしてんだ、あの人。
  予想外の行動。
  墓荒らしは犯罪であり危ない行動。彼女は墓荒らしはしてないけど、別の意味で危ない気がする。
  私は物陰から出る。
  忍び足で彼女に近付く。ヴィンセンテお兄様も付いてくる。
  「とうとう現れましたね、墓荒らしっ!」
  「はっ?」
  私の叫びではない。ファラーヌ・ラールの叫びだ。
  墓荒らし?
  誰を指している言葉?
  「そこのブレトンっ!」
  「はっ?」
  私に対しての言葉。
  ええーっ!
  「ここ最近ずっと墓場に潜んで怪しいと思ってました、貴女が墓荒らしだったんですねっ!」
  「ちょっ!」 
  「墓地の死体は皆の財産ですっ! 私は墓地の下で腐っている死体に想いを馳せます。しかし直接墓荒らしするのはただの犯罪ですっ!」
  「……あんたはあんたで犯罪っぽいけどね」
  なるほど。
  ファラーヌ・ラールは『死霊術師』というよりは『死体に憧れを持つ人』なわけか。
  確かに墓荒らしは犯罪。
  だけど、まあ、死体に想いを馳せるのは犯罪とは言わないけど犯罪予備軍程度には危ないような気がする。
  いずれにしても彼女は最近騒がせている墓荒らしではないようだ。
  死体に想いを馳せてときめいちゃってるだけだ。
  ……。
  ……それはそれで危ないんですけどねー。
  ファラーヌ・ラールは私を墓荒らしだと思って凄い剣幕で非難しているのだろう。最近私は彼女に付き纏ってた、墓場でときめき夢想してる彼女にね。
  私は彼女を墓荒らしだと思って監視していた。彼女は彼女で私に気付いていたらしい。
  ただファラーヌ・ラールの場合、自分が監視されているのだと気付いたわけではなく、私が墓荒らしするタイミングを狙っていたのだと解釈したのだろう。
  なんという結末。
  誤解を解く。
  「私はフィッツガルド・エメラルダ。魔術師ギルドの者よ。墓荒らしを調査してたの」
  「まさか私を疑ってました?」
  「いえ。ただ墓地を監視してただけです」
  正直な話は疑ってました。
  もっとも『ファラーヌ・ラールはやっぱり死霊術師で墓荒らしでしたっ!』という展開だったとしても……特に対処決めてなかったけどさ。
  何故?
  だってお兄様が言ったようにただの暇潰しだもん。
  「ファラーヌ・ラールさん」
  「何でしょう?」
  「今回の監視は魔術師ギルドの機密的扱いの任務です。どうか内密にお願いします」
  「分かりました。その、早とちりしてごめんなさい」
  「よくある事です」
  私は微笑。彼女は一礼して立ち去った。何度か振り返ったものの私はその度に手を振った。
  さて。
  「お終い。帰ろうか、お兄様」
  「本気でただの暇潰しなのですね」
  「うん」
  悪いか。
  私は暇するのが嫌い。予想してた結末とは異なるけど、まあ、よしとしよう。暇しないで済んだし。もちろんただの暇潰しだけでは終わらない、一応
  はこの街の治安に役立つ行為でもあるわけだ。結果として犯人分からなかったけど。
  ともかく今夜はこれまで。
  帰ろう。
  「あれ?」
  「どうしました、妹よ」
  「あれ見て」
  「不審ですね」
  「だね」
  コソコソとした足取りで墓地にやって来た人影がある。……まあ、物陰に隠れて墓地を見てる私達も大概怪しいけどさ。
  息を殺して私達は相手を窺う。
  何か持ってる。
  武器ではないようだ。スコップかな?
  ふぅん。
  「当りかな」
  死霊術師ではないかもしれないけど墓荒らしなのは確かだろう。
  真夜中の墓地でスコップ持ってたら疑われても仕方がない。
  ザッ。ザッ。ザッ。
  何かの音が夜の墓地に響く。墓地を掘り返しているのだ。ヴィンセンテは飛び出そうとするものの私は彼の腕を掴んで首を振った。
  まだ早い。
  もう少し様子を見るとしよう。
  ザッ。ザッ。ザッ。
  数分ほど音が響き、唐突に途切れる。土を掘り返す音の代わりに何かを開く音がする。棺桶を開いているのかな?
  死霊術師?
  さあ、それは分からない。
  私は目を凝らす。
  顔までは判別しないけど服装は麻の服、感じとしては街に暮らす一般人。もちろんそれは服装が出会って中身までは知らない。一応死霊術師のローブは
  着込んでいないけど別に死霊術師は絶対に着なければならない理由はないわけだから、死霊術師でないとは言い切れない。
  まあ、どっちにしろ犯罪者だろうけど。
  その人物、屈み込んで何かをしている。体を上下に動かしている。
  何してんだ?
  「妹よ。そろそろ見極めた方がいいのでは?」
  「そうね」
  頷く。
  私達は墓地に向って歩く。
  男だ。
  男は私達に背を向けて何かをしている。まだこちらに気付いた様子はない。……なぁんか妙な音がするのは気のせい?
  結構不吉な音がするんですけど。
  どんな音?
  むしゃむしゃって音。
  「あんた、何してるの」
  男、こちらに振り向く。
  「はあ」
  私は溜息。
  予想通りでした。この男、死体を食ってる。ボズマーの青年だ。棺桶を覗き込むとインペリアルの少女の死体があった。腕はない。それもそのはず、少女の
  腕はボズマーの両手の中に収まっているのだから。こいつはその腕をむしゃむしゃと食ってた。
  死霊術師ではなさそうだ。
  あの連中は死体を弄るけれど、あくまで魔術師であってサイコ野郎ではないのだ。
  ……。
  ……まあ、だからと言って誉められた連中でもないけど。
  ともかくこいつは死霊術師ではあるまい。
  問い質す。
  「何してるの?」
  「イリーナちゃんをいつも俺は見てたんだ。そうさ、彼女だって俺を見てたんだ。相思相愛っ! なのに世間が邪魔するから彼女は俺に告白出来ないでいたん
  だ、そして彼女は俺に告白出来ないのを悩みにして病死してしまった。そうさ、今夜俺と彼女は1つになるんだ、いーひっひっひっひっ!」
  「……」
  最悪です。
  完全にプッツンしてる。
  グラアシアもそうだったけどボズマーって変態多いの?
  嫌な種族だなぁ。
  「ひゃっはぁーっ!」
  「妹よっ!」
  瞬間、ボズマーの変態は短刀を手に突進してきた。軽く回避出来る間合だったのにヴィンセンテが間に割って入る。血の匂いが漂う。
  ヴィンセンテの腕が切り裂かれていた。
  こんのぉーっ!
  「裁きの天雷っ!」
  バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
  雷を放つ。
  絶叫をあげる間もなくボズマーは焼け焦げる。殺すつもりはなかったけど、まあ、仕方ないか。
  「お兄様、大丈夫?」
  「ええ」
  「鈍ってるんじゃない?」
  「ははは。最近はデスクワークばかりですからね」
  2人で笑い合う。
  それから少女の棺桶を閉じて土の中に再び埋める。誰にも言いはしない、少女の親(いるのかは知らないけど)が知ったら悲しむからだ。欠損した少女
  の遺体は誰の目に触れさせるわけには行かない。これが私達の判断だ。
  ボズマーの変態の死体?
  それは放置。
  「帰ろう、お兄様」
  「そうですね」
  私達は墓地に背を向けて歩き出す。
  ふわぁぁぁぁぁぁっ。
  眠い。
  帰って寝るとしよう。

  ドスン。

  「ん?」
  背後で何かが落ちたような音が響いた。
  何だろ?
  私は振り返る。
  「……」
  「……」
  私とヴィンセンテは硬直した。何か大きな、黒い影が見えた気がしたからだ。
  ごしごし。
  眼を擦る。改めて闇に目を凝らす。
  そこには何もない。
  無言で私は墓地に戻って周囲を見る。何も残っていなかった。そう、死霊術師の死体は残っていなかった。
  死体が消えたっ!
  あの変態が息を吹き返して逃げ出した、というのはありえない。
  殺したもん。
  雷で全身焼き尽くしたもん。皮膚だけ焦がしたわけじゃない。体内も焼き尽くしたわけだから生きてるはずがない。
  死んでる奴が勝手に動けるわけがない。
  じゃあ死体はどこ行った?

  「妹よっ!」

  警告の声が響く。
  次の瞬間、きっつい一撃が私に叩き込まれる。物理的な攻撃だ。私の体に黒い何かが直撃、吹っ飛ばされる。
  ガンっ!
  墓石に体を思いっきりぶけつる。
  いったぁーっ!
  「くっ!」
  意識は飛んでない。
  私は墓石にハグしながら私をぶっ飛ばしてくれた相手を見る。
  黒い巨体。
  8本の長い触手。
  ……。
  ……いや。触手じゃない。足だ。黒い8本の足だ。
  それは巨大な蜘蛛だった。
  体長5メートルもある巨大な蜘蛛だった。上半身女の蜘蛛型悪魔スパイダーデイドラではなく全体が蜘蛛。ただし蜘蛛にしては大き過ぎる。
  でか過ぎるだろっ!
  「煉獄っ!」
  ドカアアアアアアアアアアアアアンっ!
  炎が爆発。
  蜘蛛は意外に素早いステップで回避。弧を描くように軽やかなフットワークな動きで私達を翻弄する。辺りは闇夜、蜘蛛の色は漆黒、闇に同化して
  いる蜘蛛の動きを特定するのは難しい。だけど、それならそれに相応しい魔法を使うまでだ。
  「裁きの天雷っ!」
  バチバチバチィィィィィィィィィっ!
  雷が着弾した瞬間、周囲にも余波が飛び交う広範囲魔法。どんなに素早い動きでも雷の余波は回避出来ない。
  バッ。
  その時、蜘蛛は大きく後ろに飛んだ。凄い跳躍だっ!
  余波の範囲から逃げられたっ!
  タン、タン、タン、跳躍と着地の音が断続的に響き、そして遠ざかって行く。
  逃げたか。
  ヴィンセンテお兄様も雷の魔法で追撃するものの蜘蛛は後退を続けて闇に消えて行った。
  戦闘態勢は維持したまま。
  数分後。
  あの蜘蛛が完全に戻ってこないのを確認し私達はようやく肩の力を抜いた。
  「妹よ、あれは……貴女の知識の中にありますか?」
  「ない。お兄様は?」
  「ありません」
  死体が消滅。
  蜘蛛が出現。
  この流れから見て今のあの蜘蛛が最近の死体消失事件の犯人(人じゃないけど)なのだろう。
  世の中奇妙な展開が多発している模様。
  「はぁ」
  溜息。
  また厄介が増えた。
  ラミナスに報告しておくとしよう。
  それにしても……。
  「あの蜘蛛、死霊術師と関係ないでしょうね? ……関係しているとさらに厄介だなぁ……」