天使で悪魔







深遠の闇の中で





  世の中、全てが正しいとは限らない。
  真実。
  虚偽。
  さらにはその中間。

  見極める必要がある。
  痛い目に合いたくないのであれば。






  ネラスタレル邸。
  スキングラードで有名な幽霊屋敷。その最下層には死者の門と呼ばれる魂を食らう謎の門が存在している。
  門の向こうには何があるのだろう?



  「何故、その者と仲良くお喋りしているのですか?」
  「さてね」
  メイドは、メイドの霊は私にそう問い掛ける。
  この女がネラスタレルの魔術師らしい。
  ……。
  ……ジゼルが言うにはね。
  真相?
  不明です。
  正直な話、どちらが正しいのかはまだ判断出来ていない。今のところはジゼルの方を信じ掛けてるけど……別にジゼルの人となりを全面的に信じている
  わけではなく、あくまでジゼルが色々と喋ったからに過ぎない。沢山喋った、その結果情報を得た。
  だから現在はジゼルを信じてる。
  ただそれだけだ。
  どっちにしてもすぐに戦闘にはなるまい。
  ジゼルの話が本当だとしたらこのメイド、すぐには攻撃してこないはず。
  何故?
  だって死者の門はジゼルが生きている限り作動しない。一応彼の理論では『死者の門への抵抗に成功した者が存在している限り死者の門は作動しない』らし
  いからだ。つまりネラスタレルの魔術師は私を使ってジゼルを殺そうとするだろう。
  自身で殺せば、その瞬間魂を門に食われるからだ。
  そもそも私を利用しようとしたのもこのフロアに入り、ジゼルを殺せばその直後にネラスタレルの魔術師も門に魂を奪われる。
  どうあっても私を利用しようとするだろう。
  メイドがいきなり攻撃してこないという理屈は、そういう事だ。
  もちろん。
  もちろん、ジゼルが嘘を吐いている可能性もあるわけだけどさ。
  さて。
  「メイド、あんたは結局何者?」
  「言ったはずです。私はこの屋敷のご主人様、ネラスタレルの魔術師に雇われたメイド。そして、殺されたメイドです」
  「ふぅん」
  「お疑いですか?」
  「大いに」
  「何故です。そっちを信じるのですか?」
  彼女はジゼルを指差した。
  右腕失ったグールのジゼル。……いやまあ、私が斬ったんだけど。
  彼は狩神とかいう組織に属しているらしい。
  現在もその組織が存在して以下は不明。少なくともジゼルは100年前からこの屋敷に籠もってるわけだから狩神が存在しているか分からない。
  まあ、組織はどうでもいい。
  今の議題はジゼルが信じれるかどうかだ。
  答え?
  Noだ。
  特に信じてるわけではない。
  ただ、メイドよりは信じれるという事だ。
  それだけ。
  「信じてるわ」
  柔和に微笑む。
  嘘です。
  嘘つき女です、私。
  ジゼルは白い石の仮面を被っているので表情は分からないけど悪い気はしていないだろう。信じてると言われて怒る奴はいない。
  もしもグールが私を騙そうとしているならば尚都合がいい。
  信じてると私は口にした、だからジゼルは油断する。少なくとも隙は出来る。
  「何故です?」
  メイドは問い返す。
  「信じるのに理由なんて要らないわ」
  「どうしてその化け物を信じるのですか?」
  「幽霊が死体を化け物扱い。それ笑える」

  「……死体で悪かったな」

  ジゼル、呟く。
  お気に障った模様。
  こりゃ失敬。
  「信じて欲しいなら真実を口にする事ね、メイド」
  「言いました」
  「いいえ」
  「言いました」
  「それはどうかしら」
  無意味な会話。
  意味?
  ないです。
  私としてもどうしていいかよく分からない。何しろ情報が限定されている。しかもその情報が正しいのかすら分からない。
  何も分からずにこの状況に放り込まれた。
  味方はいない。
  状況的に敵もしくは敵に準じる奴しかいない。背中を預けれる人物はいない。
  ジゼル?
  信じるには値するけど全面的には信じてない。
  無意味な会話。
  無意味な言葉。
  その意図する事は時間稼ぎ。
  こうやって会話を長引かせる事によって色々と考えてる。それだけ。
  ついでに何か零れ落ちるのを期待してる。
  それだけ。
  「ねぇメイド。ジゼルが言うにはあんたのその姿は幻術で化けてるだけなのよね?」
  「失礼な言葉です。心外です」
  「屋敷に入った際に怪奇現象が起きた。あれはつまり私に対する印象付け。この屋敷には幽霊しかいない、人はいない。そういう事でしょ?」
  「あの化け物に騙されないでくださいっ!」
  「私は思い込んだ、人はいないと。だから幻術を纏って幽霊の姿で登場しても見抜けなかった」
  「あの化け物は……っ!」
  「幻術の根幹は相手に思い込ませる事にある。それは基本よね、基本。……迂闊だったわ、私。それで気になるのはもう1つ」
  「何です?」
  「どうしてあんたは死者の門に食われてないの?」
  「えっ?」
  「ネラスタレルの魔術師の目的は死者の門を開く事。その為には魂が必要。一定量魂を門に食わせる事で門が開くらしいわね。ここで問題が1つ生じ
  るわ。どうしてあんたの魂を門に食わせなかったのか。100年もこの屋敷は外界と隔離状態だったのに何故あんたは放置なわけ?」
  「……」
  「大体……」
  「あー、もう、面倒臭いなぁっ!」
  口調が変わった。
  ビンゴだ。
  適当だったけどどうやら当たりだったらしい。
  フィーちゃん賢いっ!
  メイドは指をびしぃぃぃぃぃっと私に向ける。
  「大体っ! そっちのゾンビを全面的に信じる根拠が分かりませんっ! 明確に述べてくださいっ! 学会に証明してくださいっ! 大体矛盾してるでしょ、理論がっ!」
  「はっ?」
  逆ギレだーっ!
  口調が変わったのはその為っすか。
  まあ、矛盾は理解出来ていますよ。私もそこまで馬鹿じゃない。
  メイドの魂が門に食われてないのは上の屋敷で殺されたから。つまり生贄としてこのフロアまで、生きたまま追い込まれたわけではない。何しろ死者の門はこの
  フロアに入り込んだ者の魂を無差別に取り込む物騒な代物。どれだけ強力な魔術師でも普通なら抵抗出来ない……と思う。
  例えネラスタレルの魔術師と恐れられてる奴だとしてもね。
  ジゼルが耐えれたのは仮面を被っていたから。

  「おい。それで結局は俺とこいつ、どちらを信じるんだ?」
  「ネラスタレルの魔術師を倒し私達をどうかその魔手から解放してくださいっ!」

  2人は懸命に訴える。
  どちらかが擬態。
  つまり私を騙そうとしている。
  ……。
  ……ああ。もう1つの可能性があるか。
  それはどちらも私を騙そうとしている可能性もあるわけだ。つまりグル。でもだとしたらその真意は何だ?
  「ふぅ」
  私は軽く息を吐く。
  真意は考えない事だ。
  結局のところはハシルドア伯爵の思惑でここに放り込まれただけ。伯爵の真意も分からなければこのメイドとジゼルの真意も分からない。私は心が読めない
  のであれこれと悩んでも仕方ない。悩んだところであくまで憶測であり仮定、そして与えられている情報が限定されている以上、悩むだけ損だ。
  真意は読めない。
  ただ私は空気は読める。
  伯爵は別に『死者の門の生贄になってこい』という意味合いで私を放り込んだわけではあるまい。……多分ねー。
  ともかく。
  ともかく私の特性を考慮した上で送り込んだのは確実だ。
  私の特性。
  それすなわち実力行使。
  ネラスタレルの魔術師を倒すもしくは死者の門の完全破壊。もしくはその両方か。
  何となくではあるけど今回の展開の意味もおぼろげながら分かってきている。要は虫の王の復活が確実視されているこの時勢にネラスタレルの魔術師も
  死者の門も後顧の憂いとなるから私を送り込んだのだろうね。ネラスタレルの魔術師が死霊術師と合流する気かは知らない。
  だけど存在しているという事がそもそもの厄介になりかねない。
  だから私がここにいるのだ。
  おそらくそれは正しい憶測だろう。
  ならば私は自分の判断を信じて動くまでだ。

  「どっちに付くんだ?」
  「解放してくださいっ!」

  せっつく2人。
  全ての情報を素早く頭の中で整理して私は答えを出した。
  「ジゼル」
  「何だ?」
  「お前殺すよ」
  「なっ! お前は馬鹿かっ!」
  「ジゼル殺したら私は仮面を奪って装着する。そしたらジゼルの死で再起動した死者の門に魂を食われる事もない。メイドの霊はジゼル死んだ時点で門に
  魂食われる。この展開の要は私が生き延びる事。自分本位で考えるとこんな結末かな。納得してくれると嬉しいんだけど? 全員の顔が立つし」
  『……』
  沈黙。
  そりゃそうよね。
  だけどどちらの顔も立つのは確かだ。
  メイドはネラスタレルの魔術師が死んで万々歳だし、ジゼルの視点でいけばメイドがネラスタレルの魔術師になるんだけど、ジゼルが死ねばどのみちメイドも魂が
  食われる。まあ、メイドの場合は解放ではないかもしれないけど復讐にはなるだろうさ。自分を殺したネラスタレルの魔術師へのね。
  さて。
  どう反応する?
  『……』
  双方、沈黙のまま。
  別に私はどちらも敵に回してもいいわけなのだよ。
  特に親しいわけじゃないし。
  それに。
  それにどちらが騙しているか分からない以上、牽制はしておくのは自分を護る為にどうしても必要な事だ。自衛は正当な権利。
  少なくとも私は聖人君子のように振舞った挙句に相手に裏切られて刺されたくない。

  「あっはははははははははははっ! こいつは参ったぜっ! ……だがそれもまた手だな。俺はこんな体だ。外に出て生きていこうとは思わんさっ!」

  笑ったのはジゼルだった。
  そうなるとこのグールが正論?
  まあ、いずれにせよネラスタレルの魔術師ではないのだろう。
  ジゼルは続ける。
  「俺はネラスタレルの魔術師に報復する為だけに今日まで存在して来た。弟の仇、仲間の仇、そしてこの俺自身の体の仇っ!」
  「だってさ?」
  メイドの方を見る。
  ネラスタレルの魔術師に殺されたと主張するメイドの霊は無表情で私達を見つめていた。
  まだ二転三転するかな?
  すると……。

  ブォン。

  メイドの姿が歪む。
  瞬間、そこには長身の女性が立っていた。半透明ではない。おそらく生身。
  ……。
  ……ちっ。やっぱり幻術を纏っていたのか。
  幻術は相手の思い込みを利用する代物で扱いが難しいものの、一度その術中に嵌ると見破るのは困難だ。私ほどの魔術師でもね。
  幻術のエキスパートには術の特性上、弁論が立つ者が多い。
  こいつもそうかな?
  だけどもう口先三寸でどうこうする気はないらしい。焦れてる。実力行使でこの展開を打破する気だろう。
  女は長身のアルトマー。
  年齢不詳。
  アルトマーは長命……いやいや、長命過ぎるので外観で年齢を判断するのは絶対に不可能だろう。
  アンヴィル支部長のキャラヒルなんて何百年生きてるか分からんし。
  「戯言は終わりってわけ?」
  「貴女にそのグールを殺すように仕向けるつもりでしたけどね。貴女は煩わしいほどに小賢しい。利用するのは無理。だから殺す。貴女だけね」
  「ふぅん」
  「その上で貴女を手駒にするわ。心臓が止まってても別にいいの。私が低級霊を憑依させて生き返らせてあげるから」
  「それはそれは」
  この発言で私は確信する。
  ジゼルの『死者の門は抵抗に成功した者が存在する限り機能停止する』というのは正しいのだろう。だからこそネラスタレルの魔術師は、このアルトマーの
  女は外部から来た私を利用しようとした。何故ならジゼルを直接殺せば、直後にこのフロアにいる生命体は魂を死者の門に食われる。
  外部の者を利用する。
  つまりは、そういう事なのだろう。
  ちっ。
  安く見られたものだ。
  「私の名はフィッツガルド・エメラルダ。一応、今の外の世界の魔術師としては結構高いレベルにいるわ」
  「高いレベルですか? ふふふ。外の世界の魔術師のレベルも落ちたものね」
  「それ冗談? 笑える」
  「いつまで笑えるかしらね」
  「裁きの天雷っ!」
  バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
  ブーストなしでは最高レベルの私の魔法。
  雷が相手を襲う。
  「あら? これが外の世界の今流のおもてなし?」
  「えっ!」
  効かない?
  「返礼よ。受け取って。……Σ……」
  「はっ?」

  
バジィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!

  奇妙な、意味不明な呟きと同時に私は吹っ飛ばされた。
  痛い。
  倒れた際の衝撃もそうだけど今の魔法みたいな一撃の痛みもある。
  何なんだ?
  何なんだ今日はーっ!
  フィーちゃん最強伝説はどーなったっ!
  ジゼルが叫ぶ。
  「遊んでんじゃねーぞっ!」
  「別に遊んでるわけじゃあ……」
  「奴は当時の時代では最強の魔術師だ。というか奴は500年は生きてる。相当な魔力の持ち主だ。舐めて掛かると死ぬぞっ!」
  「くっそ」
  こんな展開聞いてない。
  確かに。
  確かにハシルドア伯爵が屋敷ごと封印した意味が分かる気がする。勝てなかったのだ、伯爵でも。そして討伐を今回強行したのは虫の王と組む事を恐れ
  た為だ。もしくは別勢力を築くだけの力があるネラスタレルの魔術師が目障りなのだろう。後顧の憂いを断つ、それが今回の展開。
  ネラスタレルの魔術師も死者の門が片付けばここに留まる必要はないわけだし。
  新勢力を築かないにしても、こいつを外に出すのは危険。
  単独でも危険そうだ。
  「仕方ない。今回は本気モードで行こうかなっ!」

  そして。
  そして深遠の闇の中で戦いは始まる。