私は天使なんかじゃない
ボルト112 〜小さなスラッシャー〜
スラッシャー。
ナイフ等で斬り付ける者の事を指す。
「はあはあっ!」
走る。
走る。
走る。
トランキルレーンは崩壊しつつあるのか、それともDrブラウンの管理下から離れたからかは分からないけど環境が変わりつつある。いや完全に変わった。
世界は漆黒の闇に包まれた。
私は闇を逃げる。
「はあはあっ!」
走る。
走る。
走る。
安全装置を解除してシステムをダウンさせた。
ブラウン以外はリンクが切断されて元の世界に、つまりは現実世界に戻る……はずだった。
目が覚めるはずだった。
だけどシステムの強制終了には時間が掛かるらしい。
私はまだ仮想世界にいる。
そして走る。
走っているのは私だけではない。今だこの世界に閉じ込められている住民達もだ。彼ら彼女らは記憶は取り戻してはおらずいたずらに騒いでいる。まあ記憶
があろうがなかろうが逃げるのには変わりないか。
人々は叫ぶ。
「小さなスラッシャーだっ! 奴が出たぞーっ!」
「小さなスラッシャーが出たわっ!」
「た、助けてーっ!」
「ひぃっ!」
小さなスラッシャー。
どうやらこの街の恐怖の存在として語られているらしい。
不気味な被り物。
鋭利なナイフ。
……。
……まあ、普通の感性持ってれば恐怖として認識するわね。そいつが追ってくる。
奴はベティ。
この世界の崩壊を招いた私を殺したくて仕方がないらしい。
そしてシステムダウンで元の世界に戻りつつある住民達も始末の対象。自分の箱庭から逃がすぐらいなら全員殺してしまえ、という発想らしい。
助ける?
助けたいのは山々だけど武器がない。
今現在の状況は私も等しく追われる身だ。立ち向かえる状況ではない。
私は万能ではないから。
だから。
だから逃げる。
ロジックとして過ちではない。
この世界の死はリアルな死として作用する。つまり小さなスラッシャーに殺されると本当に死ぬ事になる。
なのに助けない?
ええ。
正確には助けれない。
ベティは、ブラウンは、いいえ、小さなスラッシャーは逃げ惑う人々を斬り付けながら私を追ってくる。
狂世界の支配者は冷酷に振舞う。
それが自らの存在意義であるかのように。
そして。
そして直に終わるこの世界での最後のゲームを楽しむ為に。
ベティは笑う。
「鬼さんこちら☆ 手の鳴る方へ☆ ……早く逃げないと殺しちゃうよー? くすくす☆」
「……執拗な……」
荒い息を静めながら私はぼやく。
誰の家かは知らないけど、家の中を歩きながら私は使えるものがないか探している。使えるもの、要は武器だ。
包丁でもナイフでもホウキでもいい。
何でもいいから武器が欲しい。
素手じゃ勝てない。
建物の外からは悲鳴と絶叫が響いてくる。本気で殺戮してるわけだ。ここの住民達は直に元の世界に戻る。つまり夢から覚める。ただ1人Drブラウンだけ
は夢から覚めない。永遠にこの箱庭の中だ。
だから。
だから最後のゲームを楽しんでいるのだろう。
逃がすぐらいなら全員虐殺?
……。
……ふん。アナーキストめ。
高名な博士だからといって理知的ではないらしい。まあ、私の勝手な思い込みもあるんだろうけどさ。
Drブラウン、最後のお遊戯実施中。
「ないよりマシかぁ」
ローリングピンを装備。
ブン。
振ってみるものの貧弱だ。
少なくとも大型ナイフを持ってる小さなスラッシャーに比べたら戦力的に弱いだろう。それに私は子供だしそもそも力がないのだ。向うも子供の姿はしてい
るもののある意味でチート使ってる気がする。改造コードかもしれない。
ともかくズルしてる気がする。
私は息切れするしその結果として走る速度は失速した。今も疲れが蓄積している。
だけど奴はどう?
外で今も殺戮をしている。とても普通の体力ではない。
おそらくズルしているのだ。
チートや改造コードはバランスブレーカーの極み。ご使用は計画的に☆
「はぁ」
さてさて、これからどうする?
奴は殺戮を続けている。
おそらく皆が死ぬまで続けるだろう。強制終了する前に全滅しそうな勢いだ。もちろん私も他人事ではないだろう。
少なくとも奴の最大の狙いは私だからだ。
もちろん。
もちろん私と相対するまで奴は街の住民を殺し続けるだろう。
この世界での死はリアルな死。
私が奴を止めるべき?
そうかもしれない。
この世界の緩やかな崩壊を加速度的にしたのは私だ。しかし蛮勇は勇気ではない。根本的にまるで異なる行動であり思想。私は自殺志願者ではない。
まともに向って勝てるわけがない。
この展開を想定していなかったので後手に回っているけどそれは仕方ないだろうよ。
私は天使なんかじゃない。
救えないモノは救えない。全部を全部救って回る事なんて出来るはずもない。
何故?
私は天使なんかじゃないからだ。
ガチャ。
「……来たか」
扉が開く音がした。
外では既に音が何もしない。
つまり。
つまり小さなスラッシャーは外での遊びを終えたのだ。
だから来た。
「みぃーつけた☆」
「……」
無言で私は構える。
大型ナイフに対してローリングピン。リーチの差では私が勝ってるけど鋭利さでは向こうの方が上だ。打撃性では勝ってるけど……こいつはここの支配者
だもんなぁ。まともなルールでの勝負にはならないはず。誰だって自分が可愛い。ブラウンだってズルしてるはず。
構える私を見て奴は笑う。
「歯向かう気? ここでは無理よっ!」
「……っ!」
バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
小さなスラッシャーの手から雷が発せられた。
雷?
雷っ!
私は咄嗟に慌ててその場に伏せたから回避出来たけど……雷撃は私の頭上を通り過ぎてそのまま壁に直撃。壁には大穴が開いた。
冗談じゃないぞーっ!
何なんだあの攻撃は完全に反則じゃないかっ!
「避けたんだ。まだ楽しめそうねー☆」
「くっ」
ローリングピンを投げる。
奴はそれを右に避けて回避。当たるわけもないか。
バッ。
私はそのまま奴に背を見せて走った。
戦う?
冗談じゃないっ!
あんな意味不明の攻撃してくる奴と戦えるもんかっ!
ただ、連続では放てないのかすぐさま次の雷撃は放ってこなかった。……いや実際には私を弄んで遊んでいるだけかもしれない。追いかけっこを継続し
たいのかもしれない。それだけの為に私を見逃していたのかもしれないけどそれならそれでいい。
少なくとも時間稼ぎにはなるからだ。
……。
……だけど実際問題としてどうするよ?
奴は既にプログラムにアクセスする権限を失っている。つまりチート的に自分を強化出来ない。だけど誤解してしまいがちだけど『既に強化してある』状態は
当然ながら継続されるのだ。この世界の支配者として君臨する為の強化を奴は既に、最初から施してあるのだろう。
どう立ち向かう?
どう……。
勢いよく私は通りに飛び出た。
そこには死屍累々。
この世界に放り込まれた時点でDrブラウンに抵抗するという概念をそもそも削除されているのだろう、ボルト112の住民は抵抗らしい抵抗も出来ないまま死に
絶えていた。その証拠に大抵の死体は背中傷。
逃げている最中に殺されたのだ。
「くっそ」
走る。
走る。
走る。
というかとっとと強制終了してくれシステムっ!
そして私を送り返せってっ!
「殺人タイムよー☆」
後ろから無邪気な声が聞こえてくる。
見るまでもない。
小さなスラッシャーだ、ベティだ、Drブラウンだ。確認するまでもないけど、それでも走りながらちらりと見る。
「……」
私は沈黙。
あれはずるいだろ。
小さなスラッシャー、走ってない。宙に少し浮いている。わずか数センチ浮かんでいる程度だけど、その状態から滑る様にこちらを追ってくる。
あれは駄目だろ。
インチキし過ぎだろーっ!
それにしても奴はレイダーか。悪ノリした発言しやがって。
そんなに奴に殺される?
冗談っ!
殺されてやる義理なんかないっ!
「はあはあっ!」
だけど。
だけど当面は逃げるしかない。というかこのまま逃げ回って強制終了を待つしかないだろう。パパの姿はないけどどこに行ったんだろ?
リンク遮断は時間差があるらしいからパパは元の世界に戻った可能性もある。
その時……。
「あうっ!」
「捕まえた☆」
突然私の両肩に激痛が走る。
そして痛みと同時に引力が私を地面に叩きつけた。……いや引力ではない、小さなスラッシャーだ。
跳躍したのか空間を渡ったのか。
いずれにしても反則だと思う。奴は私の上に圧し掛かった。ずるーいっ!
「楽しかったけどもうお終い」
「……」
「さあ、死のうか☆」
「……」
ぐぐぐぐぐぐぐっ。
力一杯抵抗するもののビクともしない。押さえ付ける力は人の力ではない。ブラウンは自分をやはり強化しているのだ。データを弄ってる。
……。
……ここまでか。
「バイバイ☆」
ガン。
突然何かの音と同時に体が軽くなった。見ると圧し掛かってた小さなスラッシャーがいなくなっている。
地面に叩きつけられていた。
何故に?
「主、遅れました」
小さなスラッシャーを弾き飛ばしたその存在は言葉を発した。
グリン・フィスの声だ。
「……」
私は沈黙。
だってグリン・フィスはグリン・フィスではなかったからだ。
それは私同様に別のキャラクターとして存在している、という次元ですらなかった。目の前に存在しないのだ。
……。
……いや。正確にはいる。輪郭がある。
だけど透明。
体の輪郭があるのでそこに『いる』というのは分かるけど……こいつ透明人間というキャラ設定を与えられてるの?
あっ。
「何それ?」
「何の事でしょうか?」
透明人間ではあらず。
何かの透明ではあるけど表記がされている。『NO DATA』と記されている。体中にあちこちに。
データがない?
なんのこっちゃ。
「痛いじゃないかっ!」
老人の声。
ブラウンの声で非難する。しかし姿は相変わらずベティ……いや、小さなスラッシャーだ。
バッ。
大型ナイフを手にして突進してくる。
速いっ!
「死ねぇーっ!」
「排除します」
再び間に入るグリン・フィス。輪郭がうっすら見えているので動きは何となく分かる。それに『NO
DATA』と記されてるし。
ガッ。
武器を持つ右手を掴み、捻る。そしてそのまま地面に押し付けた。
小さなスラッシャーは押さえ込まれる。
その動作、わずか三秒。
体術でグリン・フィスに勝てる者はもしかしたらいないのかもしれない。剣さえあれば銃弾も斬り落とせるぐらいだしね。私も大概おかしな能力を持ってる
けどグリン・フィスも大分人類規格外の存在だと思う。まあ仲間だから強いのに越した事はないんだけどさ。
これが敵だと話は逆だけどね。強い敵はいらない。
さて。
「主、どうしますか?」
押さえ付けながらグリン・フィスは聞く。
忠実な奴。
押さえ付けられながら小さなスラッシャーは吼えた。声はベティのものに戻っている。
「私を殺すつもり? ここでは無理よっ!」
バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
「グリン・フィスっ!」
雷が小さなスラッシャーの体から発せられた。
私は叫びつつも伏せる。
間近にいたグリン・フィスは避ける術がない。それに腕を捻って押さえ付けているのだ。避けられるはずがない。
そして。
そして雷は終わる。
音は途絶え周囲は静かになる。私は顔を上げた。恐る恐るだ。
「馬鹿なっ!」
叫んだのは小さなスラッシャーだった。声は老人のものになっている。
グリン・フィスは無傷。
……。
……いや、透明だから無傷かは分からないけど普通に立っている。雷で多少驚いた程度な感じがする。びっくりしたから手を離しちゃった、程度かな。
小さなスラッシャーは尻餅をついて驚愕していた。
グリン・フィスは言う。
「その程度の雷、効くものか。フィッツガルド・エメラルダの『裁きの天雷』に比べたらクズの威力だ」
……?
フィッツガルド・エメラルダって誰?
てか裁きの天雷って何?
相変わらず謎多き奴だ。
まあいい。
無事な様子だしさ。
それにどうやら小さなスラッシャーの能力を封じる体質らしい。
あの雷の威力は知らんけど……まあ、知らんままの方がいいか。わざわざ受けるつもりはない。ともかくグリン・フィスには効かない。
ラッキー☆
「くっ」
大型ナイフをこちらに向けながら小さなスラッシャーは立ち上がって後退する。
五メートルほど離れて止まった。
老人の声のまま叫ぶ。
「お前はなんだっ!」
「自分はグリン・フィス。主の忠実なるベッドパートナー」
無視。
無視です。
大分セクハラ入ってる感じがするけど『ユーモア』の一環なのだろう。……クリスいなくてよかったなぁ。彼女がいたら血を見るぜ(泣)。
ブラウンは続ける。
「馬鹿なっ! お前のデータが存在しないっ! 人種、骨格、血液、そのどれもが既存の存在ではないっ! 白人ですらないのかっ!」
「自分はインペリアルです」
「イン……そんなのは聞いた事がないっ!」
「サマーセット島生まれでシロディール育ちです」
「くそぅっ!」
よくは分からないけどデータにない存在だから能力が通じないらしい。
ああ、だから『NO DATA』となってるのか。
私は子供になってるけど白人。そこはオリジナル通りだ。つまりトランキルレーンに入った時点でコンピューターがその人物が持つオリジナルデータを弄る形
でそれぞれのキャラクターになっているだろうけどグリン・フィスは対象外だった、という事かな。
つまり。
つまりキャピタル・ウェイストランドの存在ではないから弄りようがない。元々コンピューターに『インペリアル』というデータがないから。
そういう理屈だろうか。
まあいい。
これでさらに私達が負ける要素がなくなったってわけだ。
勝てるっ!
「……な、なんだ……?」
ヴヴヴヴヴヴヴヴ。
老人の声を発しながら小さなスラッシャーの体がぶれる。まるで調子の悪いテレビのように。体がぶれ、声にはノイズが入る。
そして。
そして次第に消えていく。
動揺の声が響いた。
「バグかっ! ま、まさか、私の開発したこの世界にバグなど……ま、まさかぁっ! お前らの仕業かっ!」
「はっ?」
「私を殺したなっ!」
「はっ?」
「い、嫌だ。消えるっ! 私の偉大な才能も、私の偉大な作品もっ! す、全て……っ!」
「はっ?」
意味が分からない。
殺したって何?
まさかクリス達がトランキルレーンにあったこいつの肉体を殺したって事だろうか?
だけど仮にそうだとしたらどういう経緯でそんな事をするのだろう。
……。
……ありえないわね。
クリス達はこの世界の状況を把握はしていない。Drブラウンを殺す動機も理由もないはずだ。
だとしたら何故?
だとしたら……。
「消えたくないよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
トランキルレーンに入った老人は眉間を撃ち抜かれていた。
額から血が噴出している。
この場所は特別室。
ボルト112内ではあるもののトランキルラウンジとはまた異なる場所だ。ここはボルト112の監督官であるDrスタニスラウス・ブラウンの私室であり研究室。
部屋の中央にはトランキルレーンのポッドがある。
その中でブラウンは死んでいた。
突然仮想世界から消滅したのは現実世界で死亡したからだった。だがその結末を紡いだのはミスティ一行ではない。
「制圧終了しました」
「ご苦労」
黒いコンバットアーマーを着込んだ1人の隊員が士官に報告する。
タロン社だ。
タロン社の部隊がボルト112の内部に展開していた。
別ルートで侵入した為にミスティ一行とは鉢合わせしていない。ブラウンの研究室にはタロン社のメンバーが10名ほどいる。
「中佐。カール中佐」
「どうした?」
「G.E.C.Kとかいうシステムですけど……かなり破損しています。どうしますか?」
「旧型だろうが傷物だろうが構わん。回収しろ」
「了解しました」
「それがダニエル爺の要求だしな。……リクソン准尉、10分で終了させろ。その後、予定通りに侵入経路から脱出する」
「了解しました」
カール中佐、ミスティとの再戦ならず。