私は天使なんかじゃない








ボルト112 〜システムダウン〜







  ボルト112。
  そこは今だ稼動していた。しかし人としての暮らしはない。
  あるのは冷たい王国だけ。
  そして仮想世界。

  それが全てだ。






  黒人の女性が第一声に私を非難した。
  ここにいるべきではないと。
  ……。
  ……いやまあ、私もパパを連れて出られるのであればとっとと出ますけどね。留まる理由は特にないし。そんなパパは今は犬になってる。そして黒人の
  老女の隣にいる。老女の手には包帯が巻かれていた。
  まさかパパに噛まれた?
  何故に?
  老女は私の疑問などお構いなしに一気にまくし立てる。

  「この世界は真実じゃない、全部嘘なのさっ! 終わらせなければ。この苦しみを終わらせなければっ!」
  それは分かってる。
  聞くまでもない。
  「貴女は?」
  「ディザーズ。ボルト112の看護婦よ」
  彼女はまともだ。
  少なくとも自分がボルトの人間だと理解している。一瞬これもブラウンの演出かとも思うけど……演出する必要はないだろう。何故なら私は最初からここが
  作り物の世界だと知っている。わざわざこんな情報源の人間を差し向ける意味はなかろうよ。
  油断させる為?
  それは大丈夫。
  そこまでこの人を信用してないから。
  さて。
  「ようやく話が分かる正気な人がいたわ。どうやってここから出るの?」
  「本当は私達、ここにはいないし話してもないわ。全部作り物よ。私達は眠ってるの、夢を見ているのよ」
  「悪夢ね」
  「そう、まさに悪夢ね。悪夢に終わりが来なきゃいけないわ。でもそれは彼の仕事なの。だけど彼は私達をここに閉じ込めている。ずっと縛り付けてる。彼は
  私達に起きて欲しくはないのよ」
  「彼ってブラウンの事?」
  「今はベティと名乗ってるけど昔と変わらないわ。どんな外見に変えても中身は相変わらずの悪よ」
  「ふぅん」
  「ここを創るのに貢献したからって自分を神だと思っているの。安全装置ターミナルを利用しているのよ」
  「安全装置? それはどこに?」
  「捨てられた家があるの。見つけられたら困るから彼は私達が入らないようにプログラムしている。でも貴女はきっと入れる。何故なら貴女は制限
  を受けていないから。ブラウンが楽しむ為の道具として、自在に動けるように制限を受けていない。きっと止められる。きっと」
  「どうして記憶があるの?」
  他の住人はあくまでブラウンのゲームのキャラクターなのに。
  この人は自我がある。
  それは何故?
  彼女は犬を見た。犬、つまりはパパだ。
  ……。
  ……ソフトバンクのCMっすか?
  パパが犬、つまり私は上戸彩わけね。その設定は大いに気に入ったっ!
  ほほほ☆
  「この犬に噛まれたのよ」
  「噛まれた」
  「そうしたら痛みで我に返った。……ずっとブラウンに操られてきたけど解放された」
  「ふぅん」
  パパにしてみれば私を助ける為にこの女性を噛んだのだろう。そして自我を取り戻させた。ある意味では賭けだけど充分に役立つ事になった。
  安全装置か。
  探すしかないわね。
  このままブラウンの道具でいても無事に戻れる保証なんてないのだからね。
  私はパパに微笑み掛ける。
  「待っててね」



  廃屋に。
  厳密には廃屋ではないか。あくまで放置されている家に過ぎない。
  中に入る。
  「……?」
  特に何もない。
  ぐるっと家の中を見て回るものの安全装置などない。安全装置がどんなものかは分からないけど……多分、パソコンとかそういう類のモノがどーんと置い
  てあるのだろうと思ってたけどどこにもそんなものはない。
  あの老女はブラウンの玩具の1つ?
  偽情報?
  だけどパパは……まあ、もちろんあれが本当にパパかは分からない。すべてはブラウン情報だからだ。
  まあいい。
  とりあえずは探すとしよう、安全装置とやらを。
  多分隠してあるのだろう。
  ただ普通の隠し方ならいいんだけどここは仮想空間だ。何でもありな気がする。
  さてさて。
  どうしたもんかな。
  ゆっくりと家の中をもう一度見て回る。
  「んー」
  やはり特に何もない。
  気になるのは不自然に置かれた置物とブロックだ。これはおかしいとは思うんだけどなぁ。その周りにはラジオ、ピッチャー、空き瓶もある。
  この配置に何か意味があるのかな?
  もしろかしたら置き場所を変えたら何か起きるとか?
  ……。
  ……だとしたらやばいな。どんだけの組み合わせがあるんだって話だ。
  ヒントはなし。
  ブラウンに聞くのはそもそも却下だ。
  「うーん」
  ラジオに手を触れた。
  次の瞬間……。

  キィンっ!

  「うっわびっくりしたーっ!」
  奇妙な音がした。
  だけど澄んだ音だ。気になったのでもう一度ラジオに手を触れる。

  ブーっ!

  「……?」
  音がさっきとは異なる。なんだこれ?
  もう一度ラジオに触れる。

  キィンっ!

  「澄んだ音だ。何なの? ……あー、もしかして……」
  不自然なオブジェ群。
  それは意味があるのだ。ただし移動するのではなく触れる事に意味がある。……ラジオの二度触りは禁止か。ならば次はピッチャーに触れる。
  すると……。

  キィンっ!

  「共鳴している?」
  やっぱりだ。
  正しい順番で触れる事に意味があるんだ。もちろんその組み合わせは知らないけど置き場所を変えるよりは分かり易い。
  私は試行錯誤して触れていく。
  当然ながらすぐには順番は分からない。
  だけど。
  だけど次第に軽快に音を続けていく。
  ラジオ、ピッチャー、置物、ピッチャー、ブロック、置物、空き瓶。この順番で触れる。
  すると……。

  ブォン。

  「ビンゴっ!」
  目の前にターミナルが現れた。少しノイズが入っているというかぶれているけど、視界にはターミナルを捉えている。
  キーボードを打つ。
  ハッキングはお手の物だ。
  そして誰も触らない事が前提だったのだろう、セキュリティはザルだ。私はそれを回避してファイルを開く。
  次々とスクロールしていくファイル。
  私は眼で追っていく。
  これじゃない。
  これじゃない。
  これ……ああ、これね。
  クリック。
  ファイルが開いた。私は軽快にボードを叩いて目的のものを呼び出した。安全な強制終了の仕方だ。

  『警告します』
  『システムを遮断すると全ての被験者は強制的に仮想空間とのリンクが切断されます。それと同時にプログラムの一部が破損します』
  『時間差はありますが被験者は全員この空間に留まれなくなります』
  『また、このプログラムのホストユーザーはプログラムへ干渉するする権限を永久に失います』
  『強制的にシステムを遮断しますか?』

  「はいな」
  ポチっとな。
  これでゲーム終了だ。
  これで私達は全員元の世界に戻りブラウンだけ取り残される。それも永遠に。まさかこんなに好都合なプログラムがあるとは思ってなかったけどまさに
  万々歳のラストだと思う。結局グリン・フィスとは合流出来ずだけどさ。
  あいつ何してるんだろ?
  まあいい。
  全てが壊されたブラウン博士のお顔でも拝見しに行くとしますかね。
  逆転よね、展開は。
  展開を引っくり返すの得意。
  ボルト112のトランキルレーン、システムダウン。



  公園に戻る。
  まだ街には住民はいる。いつ強制終了されるのかは不明。まあいいさ。
  あれ、パパがいない。
  散歩してるのかな?
  私はベティに手を振る。
  「元気してる、ベティ」

  「何をしたのか分かっているのかっ!」
  それは老人の声だった。
  不安と絶望と怒りの滲ませた老人の声。
  「安全装置をお前は破壊したんだぞっ! 住民は全て強制的に元の世界に戻す事になる。つまり私だけがこの地獄に取り残されたのだっ!」

  「全てお前が壊したのよっ! 何もかもっ!」
  ベティの声になる。
  だけど誰の声にになろうともはや関係ない。
  私が勝ったのだ。
  「勝負ありね」

  「なんだと? ……ち、違うっ! この、この世界の創造主は私だっ!」
  老人の声。
  「ならばリセットすれば?」
  「そんな事は出来ないっ! お前の所為でなっ! 安全装置は防衛機能を無効にするのだ。皆解放されてしまった。何という事だっ!」

  「友達は皆消えてしまう。ここに私は永遠にただ一人っ! ……凄い喪失感と……孤独感よ……」
  少女の声。
  今更使い分ける意味はあるのだろうか?
  まあいいか。
  「聞きたい事があるわ」
  「何よっ!」

  「G.E.C.Kとは結局、何?」
  「エデンの園創造キット。核災害の後の世界を再生させる為のものだった」
  再び老人の声。
  そのままブラウンは続ける。
  「不安定な技術でこの上なくつまらんものだ。好きな現実を創り出せる今となって、何故古い世界を再生させる必要がある?」
  「ここが新しい世界? あんたの墓場よ。永劫のね」
  「違うっ! ここは、この場所は私にとって最大の偉業だったっ! 過去200年間で最高のシュミレーションだったっ!」
  「それも今日で終わりよ」

  「他の者ともゲームをしたけど退屈だったわ。今回は古びる事なく繰り返し何度でも楽しめる。……私はここから出られないのだからね」
  少女の声で寂しそうに呟いた。
  同情する?
  ふん。
  するもんか。

  「哀れね」
  「哀れだと? ……ふん、分かってるだろ、お前の所為だっ! お前が全てを破壊したのだっ! もう支配する事も出来んっ!」
  老人の声。
  「終わりよ、ブラウン」
  「いいや、まだだっ! まだ終わってないっ!」

  「貴女を殺して元通りにしましょう。……支配は出来ないけどまだ殺せるのよ、ここにいる以上はねっ!」
  殺意を秘めた少女の声。
  ざわり。
  寒気を感じて私は一歩下がる。
  「逃亡? 抵抗? いずれにしてもここでは無理よっ!」

  ブゥン。

  ベティの姿が一瞬ぶれる。
  顔の部分が揺れる。
  ぶれは数秒で消えるもののその顔は変質していた。いや正確には妙な覆面を纏っている。そして手には大型のナイフ。
  奴は笑う。
  少女の声で邪悪に笑う。
  「この世界から住民もお前も直に消える。大好きな大好きな玩具の住民が消えてしまう。全部お前の所為」
  「……」
  「だから私が全部殺してやる。今まだ元の世界に戻れていない奴らは全部殺す。お前も殺す。全て殺す」
  「……」
  「ふふふっ! 小さなスラッシャーが最高の絶望を貴女にあげるっ! ふふふっ!」
  「くっ」
  私は背を向けて走る。
  まだリンクは切れていない。それまでは逃げるしかない。
  ベティは笑う。
  「追いかけっこ? いいよ。鬼に捕まったら殺されちゃうよー? じゃあ、数を数えるね。いーち、にぃー、さーん、よぃー……」





  「……きゅー、じゅー。さあ、鬼ごっこしよっか。どこに逃げたのかなー?」

  小さなスラッシャー、出現。