私は天使なんかじゃない






下層デッキの怪物






  人は迂闊な存在だ。
  すぐ近くに怪物がいても気付かずに生活している。





  「グリン・フィス」
  「御意」

  ギギギギギ。

  軋む扉を彼に開けさせる。
  私はインフェルトレイターを、インジーはアサルトライフルを手に室内に侵入、索敵をする。
  ここはリベットシティ下層デッキの一画。
  薄暗い。
  電灯そのものはあるけど、ここは放棄されていた区画故に整備されておらず、まともに点灯する電灯も極わずか。辛うじて周囲が見える、その程度だ。
  敵はいない。
  正確にはまだ見えない。
  意外に広いな。
  見せてもらった図面ではここから壁まで50メートルほどある。
  インジーが呟く。
  「本当にいるのかい?」
  一部穴が開いていて水没している部分があるらしい。
  ミュータントワニはそこから出入りし、ここに居座っているらしいけども、ここには餌の類などない。今は外に出ているのかもしれない。
  もしくは薄暗くて見えていないのかもね。
  「グリン・フィス、気配は?」
  「何とも言えません」
  「何とも言えない?」
  「何も感じませんが、人間とは異なり動物は捕食の対象として獲物を襲います。それは敵意でも殺意でもなく、純然たるモノ。自分が読めるのは敵意であり殺意ですので」
  「ああ、なるほど」
  「腕の機械で索敵したらいかがでしょうか?」
  「そうね」
  PIPBOY3000の索敵を起動する。
  街中では基本切ってる。
  何しろこれはグリン・フィスの読み取っている殺意や敵意を感知しているのではなく、周辺の対象を探知するものだからだ。いちいち住民に反応させては騒音をまき散らしているようなものだ。
  だから街中では切ってる。

  ピピピ。

  「いるわね」
  「どこに?」
  「どこかに」
  索敵の範囲は狭い。となると本当に近くにいる。今の私たちは扉の近くにまだいるし、その周辺の安全は確保してある。
  背後から来るってことはない。
  「来た」
  前方の暗がりから現れる青いワニ。
  これがミュータントワニか。
  でかいな。
  背丈が3メートルはある。スーパーミュータントよりも若干でかい。
  ……。
  ……あ、あれ?
  背丈が3メートルって何だ?
  「えっと」
  二足歩行なんですけど。
  ワニなのに?
  ワニなのにっ!
  「何よこいつ立ってんじゃん」
  「主? デイドロスなんだから二足歩行に決まっていると思いますが?」
  「撃て撃て撃てっ!」
  一斉掃射。
  グリン・フィスの言ってることは分からんけど全面核戦争後の世界だ、変異だか進化だか知らないけど確かに二足歩行しててもおかしくはない。
  それにしてもなんちゅうデカさだ。
  Dr.リーの危惧は正しい。
  こんなのが繁殖して大量発生したらやばい、最悪リベットシティは終わるし、キャピタル中の水場がやばいことになる。
  厚い皮膚が弾丸の威力を殺すのか効きが悪い。
  二足歩行で近づいてくる。
  このままだと押し負けるだろう。
  彼がいなければ。
  「はあっ!」
  銃撃を集中させ、こちらに向かって来ていたミュータントワニの左横に肉薄したグリン・フィスがショックソードを一閃、ワニの首を両断した。

  ごとん。

  首が転がる。
  「ふぅ」
  終わった。
  さすが放射能の世界、ワニも二足歩行するとは思わなかったけど、これでお終いだ。

  バキィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!

  「ぐはぁっ!」
  ワニは大きく左手を振るい、それをまともに受けたグリン・フィスは軽く宙を浮いてその場に倒れた。即座に立ち上がり次の攻撃に備える辺りはさすがだけど、何だ、これ?
  動いてる。
  動いてるぞ、ワニっ!
  「こんのぉーっ!」
  インフェルトレイター掃射。
  インジーも続く。
  だがワニは動いている。
  何だ、こいつ?
  さっきの一撃が最後の力を振しぼって的な感じなら分からないではないけど、現在も首なし状態で平然と動いている。

  カチ。

  弾倉が空になった。
  交換し、インフェルトレイターを背負う。2丁の44マグナムを引き抜きつつ、後ろに下がる。
  「攻撃中止して」
  「はあ? こんな化け物、とっとと……っ!」
  「インジー」
  「分かったよ」
  グリン・フィスはそもそも異論がなく、頷いた。
  首を失ったミュータントワニは歩みを止め、ふらふらとし出す。
  ふぅん。
  こっちが見えてないのか。
  叩き込められた銃弾の痛みで位置を特定していたに過ぎないってわけか。
  「疑似首ってわけではないのか」
  落としたのは偽物で、別の部位からこちらを見ていたのかとも思ったけどそうでもない様子。
  大抵の生物は頭がなければ死ぬ。
  というか今まで死なない生物は見たことがない。
  「面白い」
  純粋にそう思う。
  この狂った生態系の世界ではこう言った狂った進化もあり得るものらしい。

  グググググ。

  ミュータントワニの切断された首の断面が盛り上がり、肉が増え、増殖していく。
  再生するのか?
  凄いな。
  「インジー、グレネード頂戴」
  「ああ、ほら」
  「どうも」
  44マグナムをホルスターに戻してグレネードを受け取る。
  現状は首がなく視界も聴覚もない、痛みの方向でこちらを特定していたにすぎない。つまり足音は聞こえていない。私はミュータントワニに近付き、グレネードのピンを引き抜き、首の上に置いた。
  私はその場を離れる。
  増殖し再構成されつつある頭部はそれを飲み込み、そして……。

  ドカァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンっ!

  爆発。
  数秒ほどワニはまだ立っていたものの、上半身が完全に焼失したのを悟りそのまま倒れた。
  尻尾は何とか無傷だ。
  よかった。
  「何だったんだよ、こいつはっ! こんな化け物、初めて見たよ」
  「そうね」
  「最強への道の過程で、こんなのにまだ会うとなると、正直面倒だよ」
  「最強への、道、か」
  それがインジーの求めるもの、ってわけか。
  だけどそれに果てなんてあるのか?
  頂上などあるのか?
  私が求めるものではないから考えたこともなかったけど、強さには手とか頂上とか、あるものだろうか。
  「しかし主、これは、よくあることなのでしょうか」
  「こういう生物の遭遇ってこと?」
  「はい」
  「どうかな。PIPBOY3000が反応しなかったから、少なくとも登録されていない生命体なのは確かね。何だかんだで結構登録されてるし、何らかの特異な生命体なのは確かかな」
  「まだ、同類はいるのでしょうか」
  「そこまでは分からないけど、とりあえず1匹は消えた。それで良しとしましょう」
  「御意」
  珍しい新種なのか、それとも何らかの特異な実験で生まれたのかもしれない。
  あとは薬液か何かの影響かもね。
  ここリベットシティではDr.リーの元で様々な研究が続けられている。例えば、その際に投棄された薬品の影響とかで偶発的に生まれたものかもしれないし。
  まあ、一番の正論は放射能でしょうね。
  この世界ではよくあることと言えばそれまでだ。
  さて。
  「尻尾を切って退散するわよ。グリン・フィス、Dr.リーに報告してきて。インジーはウェザリーホテルの部屋にノヴァ姉さんがいるから、私の使いだと言って明日はメガトンに帰るって先に伝えてきて」
  「御意」
  「分かったよ、了解だ」



  ずるずると尻尾を引きずって私はリベットにある酒場マディ・ラダーに到着。
  テーブル席でお酒を飲んで待っていたラッキーナに声を掛ける。
  さすがにワニの尻尾を引きずっているのでセキュリティや市民には変な目で見られたけど、Dr.リーの研究室の絡みだと問答無用で黙らせ、ここまで来た。
  まあ、嘘は言ってないですね。
  「ラッキーナ、持ってきたわ」
  彼女が気付き、こちらを見る。
  「ええっ! 本当っ! 見せてっ!」
  「これよ」
  「ああっ! これが夢にまで見た幸せの青いワニの尻尾なのねっ! ……あれ、こんなに鮮やかな色してたっけ?」
  「えっ?」
  「何でもない何でもない」
  手渡す。
  とはいえ重いので大半は床にあり、先端を彼女が握っているにすぎないけど。
  これで依頼終了だ。
  「これで私も幸せになれるのねっ!」
  「おめでとう。それで報酬なんだけど……」
  「ああ、何かもう幸せになり始めてる気がするっ! ああっ! おおっ! いぇーいっ!」
  「……」
  ラッキーナは恍惚に浸ってる。
  何なんだ、この女。
  危ない人?
  「あの、報酬は?」
  「素敵よぉーっ! あっはぁーんっ!」
  「……」
  駄目だ。
  全く反応しない。
  「報酬頂戴っ!」
  「ビバ幸せっ! あれ買おうかな、それともあれも? もう全部買っちゃうっ!」
  「報酬っ! 報酬っ! 報酬っ!」
  「何よさっきからうるさいわねっ!」
  聞こえてんじゃん。
  「私の幸せを邪魔する気っ!」
  「報酬くれたら退散するわ」
  「分かったわよ。あげればいいんでしょ、あげればっ!」
  何か切れられたし。
  嫌だなぁ。
  「チュ☆」
  「はっ?」
  キスされた。
  えっと、はい?
  「はい終わり」
  「いやいやいやっ!」
  「もう用はないでしょ。さっさと帰ってっ!」
  「……」
  何だったんだ、一体。
  地元民なんかほっとけ、今回はクリスが正しかったような?
  うーん。



  ミスティが去って30分後。
  ミスティ一行は宿にいるノヴァと合流し、明日はメガトンへの帰路につくことになっている。
  マディ・ラダーに居残る女。
  ラッキーナ。
  彼女は酒場に足早で戻ってくる男を見つけ、手を振った。
  「ああ、戻ってきたのね。はい、分け前半分頂戴。……ってあんた、その尻尾……」
  「うん? おい、何だ、その尻尾」
  市場でミスティに接触した商人は、青いペンキで斑に塗ったミュータント生物の尻尾を引きずって酒場に現れた。
  ラッキーナと商人はお互いに呆けた顔で見つめ合う。
  最初に我に返ったのはラッキーナだった。
  「ってことはこの尻尾は本物ってことっ! ワニのモノなのかは知らないけどあの赤毛の女はミュータント生物殺して切り取ってきたってことよね、あの短期間でっ! この尻尾のサイズからして
  かなりの大物よね、これ。ただの雑魚じゃなかったの、一体何者なのよ、あのミスティって奴はーっ!」
  「ちょっ! ミスティだとーっ!」
  「えっ? 知り合い?」
  「馬鹿かっ! 赤毛の冒険者だよ、赤毛の冒険者っ! そもそも何で女に色仕掛けして依頼したんだよっ!」
  「だってお金持ってそうだったし、クライムタウンのあのウルフにも名が知れてたからそこそこ強いのかなって。大体何で確実に売らなかったのよっ!」
  つまり。
  つまりラッキーナが依頼する、その依頼の品を偶然を装って仲間の男が売る、尻尾がラッキーナに渡され、詐欺の道具が戻ってくる。
  尻尾の値段は格安で抑えているものの、要はそのサイクルを繰り返すことで元手ゼロで大儲けしようという魂胆。
  「待て、少し待とうっ! 冷静になろうっ!」
  「私の演技力は完璧よ、問題なく信じてるわ、あいつ」
  「馬鹿あいつレギュレーターだぞっ!」
  「嘘っ!」
  「バレたらやべぇっ! さっさとずらかるぞっ!」
  「もうっ! どうして私はこんなに不幸なのよーっ!」