そして天使は舞い降りた
お気の毒ですが冒険の書は消えてしまいました
デロデロデロデロデロデロデンデロンっ!
「さあ目覚めるのだ、この電撃でぇーっ!」
バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィっ!
「おおっ! 何と成功してしまったぞっ!」
「ん?」
ゆっくりと。
ゆっくりと私は目を開いた。
Why?
どこだここ?
どこぞの決戦兵器のパイロットの台詞じゃないけど、知らない天井だ。
体が嫌に重い。
転がっているのはどこかのベッド、首を動かして様子を見ると、綺麗な白いシーツだ。何も被ってはいないけど、暑いな、ここ。下着姿とはいえ掛け布団がなくても支障はない。
どこだか知らないけど、薄汚れた安宿ではないようだ。
部屋は木製、だな。
窓から差す光から推測すると昼間ぐらいだろうか。
変なにおいが鼻につく。
薬品のにおい?
……。
……駄目だ、さっぱり分からん。
どこだろ。
お酒飲み過ぎたのかもしれないな、体が嫌に重いし、思考がまとまらない。
「よっと」
体を起こす。
腰が痛みを主張しているけど、これは、寝過ぎか?
ガチャ。
その時、扉が開いた。
見ると5歳ぐらいの男の子が立っている、呆然とした顔で。
ん?
チェックアウトなのにまだ居座っていたということか、私?
分からん。
まるで分らん。
「お姉ちゃん、死体の人、生き返ったよーっ!」
「死体?」
そのまま少年は部屋を出て行った。
何なんだ?
足で床を踏みしめる。
がくがくと足が震えた。深呼吸をし、何も問題ないと自分に言い聞かせてはみるものの、体はそれを素直に信じてはくれないようだ。
ドサ。
そのまま床に尻餅をつく。
何だ、これ。
足が萎えてる?
「大丈夫ですかっ!」
女の子、いや、少女と言うべきか。15、6の少女だ、黒髪の、ワンピースの女の子。褐色の肌がどこか神秘的に映る。
私に肩を貸し、そのままベッドに戻してくれた。
「ありがとう」
「すぐにお爺ちゃんを呼んできます。今は往診でいないんです。あっ、私はイリット、さっきのは弟のカルです」
「イリットにカルね」
「はい」
よし。覚えた。
往診、か。
となるとここは医者の家か。
診療所にご厄介になっている、ってところかな。
……。
……あれ?
そういえばど忘れしていることがある。
「あの、イリット」
「はい?」
「知り合って間もないんだけど、すごく気になることがあるんだ、頓珍漢なこと言ってたらごめんね」
「何ですか?」
「私って誰だっけ?」
眠ってしまったのだろう、再び目を覚ますと窓から差す光は弱くなっていた。
子供たちはいなくなっている。
代わりに大人がいた。
「目が覚めたか」
「どうも」
ベッドの近くに椅子を置き、初老の男性が本を片手に私に声を掛けてきた。
髪と口ひげは白く、髪も中央辺りが完全になくなっている。
結構なお歳のようだ。
この人が医者かな?
カウボーイみたいな格好してる、首にスカーフ巻いているし。
まあ、医者は白衣であるべきだという思い込みか。
……。
……にしても、私って結構理屈屋なのか?
脳内ディスカッションでは何だかんだで裏を見ようとしている気がする。
自分を知る、少し前進だ。
依然として名前が分からないけど。
誰だ、私。
「おはよう。時刻的にはこんばんは、だがね。私はドック・ミッチェルだ。ここグッド・スプリングスで医者をしている」
「グッド……」
どこだ、それ。
しかし違和感があるな、何も分からないのに私は全く焦燥感とかがない。
むしろワクワクしてる。
何だろな、この感覚。
「さっきの子たちは?」
「私の孫だ。イリットは食事の準備をしている、カルはまだ外で遊んでいるようだ。息子夫婦は、天に召している。ここで3人で暮らしているのさ。さて、ところで君のことだが」
「はい」
「記憶がないとイリットに聞いたが? 名前だけ忘れているってことかな?」
「名前だけ」
思い出してみる。
ええっと、ここで何してたんだけっけ?
これあかんやつやないですか?
完全に分かんない。
「あの、私って誰ですか?」
「さあな」
彼は本を閉じ、私の目を見ながら私の奥底にあるものを見ようとしているのか、じっと見ている。
見返す。
「君は墓場で倒れていた」
「墓場?」
「街の外れにある、小高い丘の上にある墓地だ」
「ああ」
それで死体の人か。
カル、うまいこと言うなー。
「それで死体の人ってどういう状況でそうなっていたんですか?」
「死体の人? ああ、カルがそう言ったのか。確かにここに運び込まれてすぐに死体の人になったな。それからDr.ミンチのところに運び込んで蘇生した次第だ」
「Dr.ミンチ?」
誰だそれ。
それにしても死んで生き返った?
凄い幕開けだなー。
「質問はあるだろう、疑問もな。だが今は簡潔に君の状況を話そう。議論はそれからだ。いいな?」
「ええ、お願いします」
願ったりだ。
そうしないと展開が進まない。
「墓場で君を見つけたのはイゴールだ、Dr.ミンチの助手だ。彼が君をここに運び込んだ。頭に一発弾丸が貫通していたよ、傷から総合すると9o弾だろう」
「9o」
頭を触ってみる。
どこにも傷がない。
ミッチェルは手鏡を私に差し出す、鏡に映るのは赤髪の女性。
これが、私か。
額に肌色より少し濃い色の、丸い部分がある。
ちょうど銃弾のサイズ?
「人工皮膚を使った。うまく適合したようだ。全く同じ色の人工皮膚がなかったので違和感があるかもしれないが勘弁してくれ。こんな片田舎ではこれが限界だ。気に食わないなら、ベガスの街で治すといい」
「いえ、助かりました」
鏡でもっと下を映してみる。
ほほう?
結構なボリューミーなお胸ですなー☆
今までの歴代主人公たちに比べると、豊胸、つまりは勝ち組っ!
前作ミスティとフィーさんマジざまぁwww
……。
……何考えてんだ、私は。
こういう性格なのか?
うーん。
「体が重いのは数日間眠っていたからだ。体は自分で馴らしてくれ」
「はい」
貫通して生きているのか?
生きられるものなのか?
「では続けよう。弾は重要な器官を全て逸れて貫通している。脳っていうのは繊細だが、実はタフでね。事例では片方の脳があるだけで、他の機能も補えるらしい。後々何か不都合が生じるのか
もしれないし、気付いていないだけかもしれないが、それは私には分からない。とりあえず私の見立てでは、経過は良好だ」
「どうも」
腕は確かなようだ。
ありがたいことです。
「君は運が良いのか悪いのか、それは私には判断しかねるが」
「……は、ははは」
運が良いなら撃たれる前に脱したかったですね。
「君の身元はよく分からない、というか全くわからないと言っていい。服を着ていなかった」
「服を……」
きょとんとしている私を見て、むしろ彼が慌てた。
「安心しろ、暴行された形跡はなかった。撃たれた際の硝煙反応も顔はともかく体にはなかった。撃たれた後に脱がされたのだろう、身元を隠す為に」
「この下着は?」
イリットのにしてはサイズがぴったり過ぎる。
「チェットの店で買ったのさ、サイズは知らん。さすがにそれは孫娘に任せた」
「ぴったりです、どうも」
「結構だ」
「えっと、質問いいですか」
「なんだ?」
「ここに宿って私は取ってなかったんですか?」
「トルーディ、この街の酒場兼宿屋を経営する女性に聞いたんだが、君は宿泊していなかったということだ」
「つまり通りすがりに何かに巻き込まれた?」
「それはないな」
「……?」
「墓は外れにある。小高い丘の上だ。通りすがれない。意図があってそこで何かしていたんだろう、君はな。そしてそこにいた誰かに撃たれた。顔見知りでそこで落ち合ったのか、君がそこに行くと知って
いたのか。いずれにしても君のことは街の誰も知らないようだ。撃たれたのは5日前の深夜、日中は君は目撃されていない。そして君は撃たれて今ここにいる、というわけだ」
「……つまり、私はこの街に何のお金も落とさずに、勝手に死んでいた、と?」
「平たく言うとそうだな」
「あのー」
「なんだ?」
「服着てない、宿取ってない、つまり身元が分かるものは誰かに処分されたってことですよね」
「まあ、そうだな」
「お金ないんですけど……」
「そのようだな」
彼はそう言って、立ち上がる。
それから私の手を握った。
「何?」
「立て」
「捕まったり、するんですか?」
「何馬鹿なこと言ってる。腹減ったろ、飯でも食いながら続きを話すぞ」
「……?」
「そっちは勝手に撃たれて死んでいた、私は勝手に治して蘇生させた。お互い勝手にしたことだ、それでいいだろ。イリットの飯は美味いぞ、数日はゆっくりしていけ。その間に身の振り方を考えよう」
「……ありがとう」
良い人だ。
良い人。
何て良い人なんだろう。
「ああ、服を着ていなかったな。妻のジャンプスーツだが用意しよう、数点あるしどれかあうだろう。買うのを忘れていたよ」
「ジャンプスーツ?」
「ボルトのだよ。ああ、君には分からないのか。まあいい、少し待ってろ」
「ご馳走様でした」
イリットの飯は美味いぞ、そう断言されたように、確かに美味しかった。
卵の入ったリゾットだ。
寝込んでいた私用に作られた一品で、ミッチェルさんたちは別の物を食べていたな。そっちも美味しそうでした、機会があったら今度は食べてみたいものだ。
何かのステーキとパン、スープ。
何か?
何かです。
何肉かは分からないけど、ソースがスペシャルなのかな、とても良い匂いがしました。
メニュー自体はオーソドックスなのかもしれないけど、美味しそうだった。
まあ、今の私は蘇生したばかりの死体。
胃が肉を受け付けないだろう。
「いいなぁ、卵。お姉ちゃん、僕も食べたかった」
ん?
「カルっ!」
どういうこと?
「あの、ミッチェルさん?」
「気にするな。卵はこの辺りじゃ特別な日にしか食べれないというだけだ、別に買えないわけじゃない」
「……すいません」
「記憶がないんだ、仕方ないさ。それにカルだって別に責めてるわけじゃなくて、羨ましがっているだけだ。カル、風邪ひいたら出してやるぞ。ただし、苦い薬も飲むんだぞ? この人は病人なんだ」
「ごちそうさまーっ!」
カルはそのままリビングを出て行った。
イリットはくすくすと笑いながら食器を片付け、私に微笑してこの場を後にする。
残ったのは私とミッチェルさんだけだ。
「……」
「……」
気まずいな。
気まずすぎるだろ、この雰囲気。
基本的に私は能天気で、危機感がない状態なのは分かったけど、空気は読めますぜ、旦那。
良い家族なんだ、うん。
だからこそ私は空気を読むべきだったわけですな、完全に異物なわけだから。
さすがに家族辛面して食卓は、まだ早かったなー。
うー。
「あの」
「少し待て。イリット、すまないがコーヒーをくれないか。お前も飲むだろ?」
「えっ、あっ、はい」
「2つだ」
分かった、と声がした。
食後のコーヒータイム、ですか。
「あの」
「ん?」
「その、水入らず邪魔してすいません」
「病人がそんなこと心配するな」
「でも」
「この地方は暑いが、だからといって野宿は感心しないな。ゲッコーやマンティスがいるんだ、他の地域よりは安全かもしれないが、夜の外はダメだ。ごろつきだっている、お前どうなると思う?」
「それは……」
「ここにいろ。少なくともも、リハビリまではいていい。それからは知らん。ここは診療所であって、お前さんの終の棲家ではないんだからな」
「ありがとうございます。今野宿したら第三話で打ち切り終了だと思うんで、ご厄介になります」
「第三話で……すまん、何だって? 良く聞こえなかった」
「はい、コーヒー」
イリットがコーヒーを持ってきてくれる。
砂糖とミルクもある。
「ありがとうございます、イリットさん」
「あの」
「はい?」
「私の方が見た感じ明らかに年下ですし、呼び捨てでいいですよ。敬語とかもいらないですし」
ミッチェルさんを見る。
軽く頷いた。
言い直すか。
「コーヒーご馳走になるわ、イリット」
「はい。お爺ちゃん、洗い物したら私は寝るね」
「ああ、おやすみ」
良い子だな。
撃たれないに越したことはないんだけど、良いところに運ばれたと思う。
さて。
「話を元に戻そうか」
「はい」
「お前さんはどこまで覚えてる?」
「どこまで……」
「少なくとも飯の食い方は覚えていたし、言語もしっかりしてる。礼儀とやらもある。問題はどこまで知識があるかだ」
「あの、見立て的に記憶って戻りそうですか?」
「どうだろうな。屋根から落ちて記憶を失ったやつは知っているが、お前さんの場合は脳が一部欠損しているからな。海馬がやられている。衝撃で忘れたわけでは……いや、しかし……」
「……?」
「ミンチの電撃で記憶が飛んだ可能性もあるのか、なんとも言えんな」
「ミンチ?」
ああ、Dr.ミンチって奴か。
電撃って何?
「まあいい、ともかくテストだ。ここはどこだ?」
「ミッチェルさんの診療所」
「よし、記憶力はあるな。お前の着ている服は何だ?」
「ボルトのジャンプスーツ」
「ふむ。記憶力は失われていないようだ。記憶が続かない症状だと、困るからな。一歩前進だ」
「あの、結局ボルトって何ですか?」
「そういう知識はないのだな。戦前にボルトテック社が作った地下都市だ。お前さんが着ているボルトスーツには21と記されているだろ? それがボルトのナンバリングだ。私はボルト21出身だ」
「へー」
「戦前って、分かるか?」
「戦争の前」
「では何の戦争だ?」
「中国と……あー、それは分かる」
「厄介な記憶喪失だな」
コーヒーを一口啜る医者。
私も飲み、それから砂糖をガッポガッポ入れて、ミルクも入れた。美味しいです。
「甘くないか、それ」
「丁度いいです」
「味覚障害か、いや、飯は美味そうに食ってたしな。甘党って分かったわけだ、おめでとう。しかし覚えていること覚えていないことの差があり過ぎるな、ここはどこだか分かるか? 私の家以外で」
「グッドスプリングス、ですよね? さっき聞いたの覚えているだけですけど」
「ではそれはどこにある?」
「……」
黙る。
分からないから、というのもあるけど、一問一答では埒が明かない。
辛抱強く彼は付き合ってくれているけど、私としてもそれは心苦しいし、回答も出来るだけ知識と記憶を結集して答えないと。
それが私が何者かに繋がるわけだし。
「さっき私が寝てた部屋は、誰の部屋何ですか?」
診療室には思えなかった。
家庭の空気があった。
患者用ではないだろう。
「私の妻だよ、もう亡くなったがね」
「……ごめんなさい」
「生と死はとなり合わせだ、別に謝ることではない。それで、ここはどこだ?」
「あの部屋で感じたのは暑いということ、ここも暑いですけど。気候的にウェットランドではなさそうですね、空気が乾燥してますし。キャピタルでも、ないのかな。乾燥気候の……うーん、どこだろ」
「……」
「近くに砂漠があるのかな、だとしたらザイオンでもないし、クレーター……違うな、うーん」
「凄いな」
「はい?」
「正解は出なかったがお前さんは世界を股に掛けていたのかもしれないな。ここはモハビ・ウェイストランドだ」
「ああ、それだっ!」
かつてのネバダ州だ。
となるとあの有名なモハビ砂漠があるのか。
「ここの状況は分かるのか?」
「いいえ」
「ふぅむ。頭の中に地図はあるのだな、しかしそこの状況は分からない、か。総合すると常識はある、ということだ。頭の中に地図もある、大きな前進だな」
「そうなんですかねー?」
謎だ。
気休めなのか、励ましなのか、そして私はどうも言葉をストレートに受け止めるのが苦手なようだ。
疑心暗鬼の塊なのか、記憶を失う前の私?
うーむ。
「ここモハビでは大都市ニューベガスの支配者Mr.ハウス、西から進軍してきたNCR、東から進軍してきたリージョン、三つ巴の戦争中だ。他にも勢力はいるがね。今のところMr.ハウスの調停で
停戦状態だが、バイアス・グラップラーと名乗る武装勢力はそこかしこで暴れているし、NCRもリージョンも戦力を結集している。悪い時に来たな、君も」
「あはは。私はこれ以上最悪な状態ないと思います」
笑う。
その笑いを見て、彼は苦笑した。
「記憶がないのに君は楽天的だな」
「なんと言いますか、親元から離れて一人暮らしを始めた、みたいな感じ、かな? 親は親で好きだけど、解き放たれた解放感というか、そんな感じです」
「まあ、ウジウジするよりはいいか」
「あの」
「何だ?」
「聞かせてください、私はいくら診療代掛かってるんです?」
「勝手に救っただけだ、気にするな」
「お願いします」
「3000ほどかな。大したことはしていない、君の生命力が強かったんだ、気にするな」
「3000……単位何ですか?」
「キャップだ」
「キャップ?」
「やはり厄介な状態だな、通貨を知らないのか。王冠だよ、サンセットサルバリラの。サンセットサルバリラは分かるか?」
「どちらかというとヌカ・コーラ派です」
「そういうのは分かる……ふむ、ヌカ・コーラか、甘いからこちらでは流行ってないな、主流はサンセットサルバリラだ。となると君はここより東の出身なのかもしれないな」
「ここより東」
「ともかくだ、ここは寂れた田舎町だ。大した仕事はない。3000稼ぐなんて正気の沙汰じゃないぞ」
「寂れた田舎なんですか?」
「ああ。チェットって男がやっている何でも屋がある。雑貨屋だな。あとはトルーディが経営するプロスペクター・サルーンがあるだけだ。他には何もない。住民が懸命に生きているだけさ」
「でも……」
貸し借りは作りたくない。
良い人なら尚更だ。
「私的には、目標が欲しいんです。それに、ミッチェルさんたちとは貸し借りなしでいたいんですよ。私としては、最初に知った人たちですし」
「お前さんは底抜けにお人好しなんだな。分かった、ローンにしておくよ。返しに来てくれ。いつでもいいからな。まあ、そういう奴は嫌いじゃないよ、私は」
「ありがとうございますっ!」
「お礼は、全額返してから言って欲しいものだな?」
「……は、ははは」
それからミッチェルさんは大笑いした。
お孫さんたち起きちゃうんじゃないかと心配するぐらいに。
「もう遅いな。お前も寝るといい、明日から忙しくなるぞ」
「忙しい?」
「リハビリだ。この街で暮らすにしても、出ていくにしても、サバイバル技術が欲しいからな。サニースマイルズに頼んでおいた。一通りの訓練をしてもらえ。ただし、それは明後日だ」
「明後日、じゃあ明日は?」
「イリットにはもう頼んである、この街を案内してもらえ。それで、どれだけ自分が歩けるかを確かめろ」
「ああ、体力の確認ですね」
「そうだ」
至れり尽くせりだ。
良い人がいる街だなぁ、この街で暮らすのも悪くないかも。
私が何者であろうとも、ね。
気にならないと言えば嘘になるけど、本当にそんなに焦燥感はない。このままでもいいんじゃないかなぁ。
本気でそう思う。
うーん。
脳の一部と一緒に危機感って奴も吹き飛んだのかも。
「しかし名前が分からんと不便だな」
「そうですか?」
「お前さんは別にいいだろう、しかし呼ぶ方になるとこんなに不便なことはないぞ。何か覚えてないのか? ああ、少し待ってろ」
「はい」
彼は立ち上がり、部屋を出ていく。
数分待つ。
コーヒーは全部飲んでしまった、おかわり欲しいとは……言えんな、厚かましすぎる。
だけどお金かぁ。
どうやって返そうか。
「待たせたな」
何か持って戻ってきた。
紙だ。
それとペンも。
私の前にそれを置く。
「何ですか?」
「それにアルファベットを書いてみろ」
「えっ、あっ、はい」
すらすらと書く。
ああ。
文字は書けるのか、少なくともアルファベットは覚えてる。それをどう組み合わせたら文字になるのかもわかる。
よかった、この知識は覚えておきたいランキング上位のやつだ。
「書きました」
「その中で何か思い当たるものはないか? お前さんの名前は必ずその中にある。こんな時世だ、お前さんの人種が何であろうとも、アルファベット表記の書き方ぐらい分かるはずだ」
「……」
じっと見る。
じっと。
アルファベット文字を一つずつ、じっくりと、ゆっくりと見る。
組み合わせは、分からない。
私は誰だ?
私は……。
「T」
「T、他には?」
「さあ」
「名前の一部なのか、何か大切な思い出なのか、何の一部なのか分からんな。もしかしたら何の意味もないのかもしれないが、そこから名前を作るというのはどうだ?」
「名前、作る?」
「今のお前さんと前のお前さんは別物と考えた方がいいだろう。ならば名前も新たに付けるというのはどうだ?」
「なるほど」
そういう考え方もあるか。
しかし本当に良い人だな、この人。
恩を感じる。
記憶を失って最初に知り合ったのがこの人で心底良かったと感じる。
「じゃあ、ミス・Tで」
「言いにくいな」
「そうですか?」
「それにそれは名前とは言えないんじゃないか? もっと別のにしたらどうだ? Tだから……タランチュラとか」
「……」
良い人だけどネーミングセンスはないな、うん。
「じゃあ、区切りを取って、ミスティで」
「お前さんがそれにこだわるならそれでいいだろう。まあ、私ならもっとマシな名前を付けるがね」
「例えば?」
「ターミネーターだ」
「……」
どや顔で言われましても。
おおぅ。
私はミスティ。
今日この日が、私という存在の誕生日。