天使で悪魔
啓示
過去からの侵略者。
過去からの意思。
終わりない戦いは現在に持ち越された。
そして……。
「けほけほっ」
咳き込む。
九大神修道院の内部は埃だらけの廃墟。
床は埃で真っ白だし蜘蛛の巣がそこら中に張っている。建物に入ってすぐに内部にある燭台全てに蝋燭を差して火を灯したので照明は問題ない。
足跡がたくさん床についてる。
多分ロドリク卿とレイソンさんの足跡だろう。
建物の中を探索したんだろうなぁ。
だけどさっき会った時、何かを得たような感じはなかったなぁ。特に何か特別な物を持っていたという感じでもなかったし。
ここには何も聖戦士の遺産についての手掛かりや遺産そのものない?
そうかもしれない。
少なくともテーブルの上にはテーブルクロスも花瓶すらもない。食器棚はあっても食器がないし衣装箪笥は全て引き出しが開いている。
うーん。
これって当の昔に全て略奪されているってこと?
その可能性が大きいなぁ。
だけどここにはかつて聖戦士の遺産があったと預言者様は言っていた。
何かあるはず。
何か。
「ふーっ!」
あたしは椅子の上の埃を息を吹きかけて払う。
白い埃は舞った。
「けほけほっ」
むせる。
かつてここには聖戦士の遺産と九大神の教えを護る騎士団がいると聞いている、つまり魔術王ウマリルに対抗する為には騎士団を再建する
必要もあると思う。きっとロドリク卿が騎士団長になるんだろうけど……ともかく、その際にここが拠点になるのが普通の流れだろう。
リフォーム大変そうだなぁ。
きっと家庭内害虫Gも大量にいそうだし(泣)。
ギシ。
椅子に腰を下ろすと、椅子が軋む。
次の瞬間……。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!
「うひゃっ!」
突然あたしは床に倒れる。盛大に。
一瞬意味が分からなかったけど、どうやら椅子が腐っていたらしい。
「もうっ!」
リフォームというか建て直した方がいいのかも。
立ち上がろうとするものの立ち上がれない。
何故?
「うーんっ!」
体に力をフルに込めて立ち上がろうとする。
だけど駄目。
何で……うにゃーっ!
「お尻が、お尻が床にはまってるーっ!」
床も腐ってたーっ!
ググググググググ。
どんなに力を込めてもお尻だけはまってて抜けない。
どんだけはまってるのよーっ!
「うー」
途方に暮れる。
どうしようか?
……。
……ちょっ、ちょっと待ってよ……?
不意にこのまま抜けなかった事を考えてあたしは蒼褪める。こんな廃墟に、しかもこんな人里離れた辺鄙なところにある場所に誰か通る?
通りません絶対にっ!
そ、それじゃあ抜けなかったらあたしは一生このままなわけっ!
このままの格好で死ぬ?
フレーズとしては『アイリス・グラスフィル、腐った床の隙間にお尻はまって身動き取れず餓死』って感じ?
そんな間抜けな結末は嫌ーっ!
誰か助けてーっ!
「何遊んでるの? 斬新な遊びね、間抜けさん」
ハーマンっ!
突然現れたのはハーマンだった。突然というかあたしがテンパってて気付かなかっただけなんだけど。
と、ともかく助かった。
「ハーマン、あたしを引っ張って助けて欲しいの」
「やだ」
「……」
「やだ」
「ちょっ!」
そう言いつつハーマンはあたしの両肩に手を当てて力を込める。体重を掛けてくる。あたしの体は少し下に沈んだ。
余計に抜けれなくなったーっ!
「な、何するのっ!」
「間抜けさんには相応しい格好じゃん。……うわ素敵な格好ね私大きくなったら貴女みたいに床が似合う女性になりたいな(棒読み)」
「鬼ぃーっ!」
何なの?
何なのこの子はーっ!
そもそもコロールに行くとか言ってなかった?
どうしてここに?
もちろん理由なんかどうでもいい。この場にいるという事はあたしのこの状況を打破する材料にもなり得るわけだし。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!
……。
……すいません訂正します状況を打破する人にはなりません逆に状況は悪化してます。
うにゃーっ!
体が、体が完全に床の下に沈んだーっ!
首だけになってしまったーっ!
生首状態です。
体は床の下です。ど、どんな罰ゲーム(号泣)。
「さてと。私はそろそろコロールに行こうかな。じゃあ間抜けさん、残り少ない余生を楽しんでね」
「見捨てないでーっ!」
「まだ間抜けさんは知り合ったばかりだし、助ける義務が私にあるかどうか微妙だよね。これは私の善意の問題よね。善意なんてないけど。皆無ですゼロ」
「はぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」
戦士たる者、戦って死ぬのは想定内。
だから。
だから死そのものはあまり恐れてない。恐れるぐらいなら最初から剣なんて取らないわけだし。だけどこういう結末は想定してないです想定外ですっ!
ハーマンは手を振る。
「成仏してね」
「ハーマンっ!」
「まあ、助けてあげてもいいけど私の子分になる?」
「こ、子分?」
「嫌ならいいけど」
「……」
「拒否れば間抜けな末路になるわけだから背に腹は変えられないよね?」
ペチペチ。
あたしの側に屈み込んでハーマンはあたしの頬を手で軽くペチペチと叩いてニコニコしてる。
こ、この子可愛いけど性格は悪魔だーっ!
はぅぅぅぅぅぅぅぅっ。
「子分にならないわけ? まあいいけど。……おやおや。ここに座り心地の良さそうな椅子があるわね」
「……っ!」
それはあたしの頭なんですけどーっ!
や、やばい。
本気でやばいですこの子っ!
このままじゃあ頭に座られる、そしたらあたしの頭も床の下に埋没するだろう。し、仕方ない、ここは……。
「こ、子分になるから助けてよ」
「ふぅん? なるんだ? 子分になるんだ?」
「う、うん」
「アイリス・グラスフィル、それでいいのよそれで」
「……?」
あたし名前を前に教えたっけ?
うーん。
記憶が曖昧だけど教えてないような……いや教えたっけ?
「子分なんだから今後は私の言う事を聞くのよ」
「……」
「返事は?」
「……はーい」
「あれダンマーの頭部の素敵な腰掛がここに……」
「すいませんでしたハーマン様っ!」
「人間素直じゃなきゃね。それが分からなかったなんて馬鹿じゃないの?」
「……」
ひーんっ!
こいつ最悪だーっ!
あの後。
何かの魔法でハーマンはあたしを引き上げてくれた。念動の類?
そうかもしれない。
ただその念動の力は、鷹の目(まだまだ制御出来てないけど)を持つあたしの目から見て四大弟子のファルカーよりも上だと思った。
この子何者なんだろ?
……。
……だけど子供らしくはあるのよね。ここにいる理由はコロールに帰る最中に迷ったから、らしい。
つまり迷子。
方向音痴みたい。何か可愛いなぁ。
現在あたし達は九大神修道院本館二階にある寝所で寝ている。綺麗な寝床。どうやったかは知らないけど、ハーマンはあたしに数分間ほど外に
出るように言った。言葉のとおりに外で待ってたら建物内部から光が放たれ、そして消えた。ハーマンに呼び戻されて入ってみると内部は新品。
掃除したのではなく魔法で新品にした、そんな感じ。
建物内部は完全なる新居と化していた。
仮にここを中心に騎士団が再建されても、調度品とか日常品とかは買い揃える必要はあるけど住めなくはない。というかいつの間にかあたしは勝手に
自分が騎士団入りする事を想定してる。自分勝手だよねこれって。騎士団が再建するかどうかという問題もまだあるし。
アンヴィル聖堂の殺人事件が伝説の聖戦士と魔術王に絡む展開になるなんて想像してなかった。
「……子分よあんたは子分よー……むにゃむにゃ……」
ご丁寧にも『むにゃむにゃ』と呟くお子様ハーマン。寝顔は歳相応。
だけど魔術の才能は群を抜いている。
ハーマンって何者?
あたしは隣のベッドで静かな寝息を立てているハーマンを見てその魔術の才能に驚愕してた。
クマの絵柄のパジャマ着て眠る小さな女の子は実はルーン文字すらも簡単に解読できる大魔術師。世の中意外性に満ちてるなぁ。
「あっ」
そうだ。
レリックドーンに追われていたクロード・マリックという男性があたしに渡したナップサックの中身まだ確認してなかった。
大学から盗んだとか言ってたなぁ。
フィッツガルドさんに帰さなきゃいけないけど……中身ぐらい確認してもいいよね。
あたしはベッドから身を起こす。
そしてナップサックの置いてあるテーブルの前まで行き、椅子に腰掛ける。ハーマンの魔法か何かでテーブルも椅子も新品同然。
どんな魔法使ったんだろ?
ガサガサ。
ナップサックの中の物をあたしは取り出してテーブルに並べる。
何これ。
「バケツ?」
一瞬バケツかとも思うけど……それは兜だった。大分古臭いフォルム。かなり昔の代物だろう。しかしまるで痛んでいなかった。錆びてないし傷すらない。
後は一冊の本と指輪が一つ。
「んー」
パラパラと本をめくる。
内容に軽く目を通すとそれは本ではなく日記のようだった。ページを何気なくめくっていく内に気になる文面が現れた。
それは……。
『この日記は失敗の記録だ。私は失敗したのだ』
『失敗した事は疑うべくもなく明らかだ』
『あなたがこれを読んでいるという事は傍らに私の死体が横たわっているはずだ。聖戦士の祠の奥で無残に殺された私の死体が』
『どうやら神々はこんな不甲斐ない私に、死ぬ前に聖なる兜をこの目で見られるという栄光にあずからせてくださったようだ』
『これを読んでいるあなたこそが聖なる騎士なのかもしれない』
『今、あなたは聖戦士の聖遺物をその手にしているのであろうから、真なる勇者はあなたなのかもしれない』
『名も知らぬ稀代の騎士殿』
『あなたにこの記録を託そう。どうか私の失敗を、あなたが私と同じ結末を辿らない為に役立てて欲しい』
『私の失敗は私の死などよりもずっと重大な意味を持っている。もとより私にとって命など惜しくはない。私の失敗、それは神の期待に応えられなかった事だ』
『そう。私は失敗したのだ』
『これを記している今、この修道院ではペンの音以外何も聞こえない』
『聖戦士の兜を求める最後の探索の準備を進めているところだ成功する可能性が低いという事は分かっている。私は歳を取りすぎた』
『カイアス卿もベリック卿も、他の騎士達も、今は一線を退き過去の栄光の物語を伝えるばかりだ』
『次の世代の九大神の騎士達が引く受けてくれれば良かったのだが残念な事に、もう次の世代などないのだ』
『ベリック卿との遺恨は深いし苦楽を共にした他の騎士達は皆死んでしまった』
『この私が崩壊した騎士団の、最後の石頭の騎士だ』
『長い間、騎士団が崩壊したのはベリック卿の所為だと思ってきた』
『しかしこの歳になって初めて自分にも責任があるという事に気付き始めた。崩壊という実がなる前に遠い昔から種が蒔かれていたという事だ』
『若く向こう見ずだった頃、カイウス卿とタロルフ卿と共に聖戦士のキュイラスを求めて旅したあの時既に私は個人の栄光を鼻にかける悪い習慣を作っ
てしまっていたのだ。私が見つけたキュイラスは私の物になった。そうだ、あの鎧を私は自分だけの物とした』
『修道院に飾られてこそいたものの戦いのたびにそれを身に付けたしキュライスを発見した功としての周りからの賞賛も当たり前のものとしていた』
『聖戦士の剣とグリーヴはベリック卿が見つけ、私に倣ってそれを彼は自分の物とした』
『聖戦士の篭手は発見したカシミール卿の物となった』
『所有権を主張するのは当然だろう?』
『戦って敵を打ち破らなければならない時に聖戦士の装備をただ飾っておくのか? そしてそれを纏うのは探索の末に持ち帰った者こそが相応しい』
『騎士達はそう主張した』
『前例を作った私も当然そう考えていた』
『しかしこれが後の全ての崩壊の引き金となったのだ』
『ベリック卿が自分の見つけた聖戦士の装備を戦争の道具に使おうとした時、私は彼を非難した』
『しかし私には何の権利がある?』
『一体私のどこに彼を非難する権利があるのだ?』
『そもそも一番最初に聖なるキュイラスを強欲に自分だけの物にしたのは、私だ』
『確かにベリック卿の考えは信仰にはそぐわない過ちではあったが最初にその過ちを犯し、悪習を作り出して強欲さを騎士達に植え付けたのは私だ』
『そう。騎士団崩壊の原因は私だったのだ』
『私は九大神騎士団の創設者であり騎士団長、本来ならば気高い振る舞いを示すべき立場にありながら真っ先に聖なる装備を私物化した』
『私が全ては悪かったのだ』
『ベリック卿がその後した事の是非については余人の判断に委ねよう』
『しかし私が騎士団崩壊を彼の所為だと思っていない事をここに明記しておく。もし彼が私と口を聞こうとしたら、私は自分でそう伝えただろう』
『騎士団にはもはや私と彼しか残っていない』
『他の者は皆死んでしまい、私は彼らの遺体を捜し、聖なる戦士に相応しい場所であるこの修道院の地下墓所に安置する為の旅を続けた』
『彼らは全員英傑であった』
『ただ残念な事に彼らは彼らに相応しい騎士団長に恵まれなかったというわけだ』
『さあ、今こそ聖戦士の兜を探して旅立つ時だ』
『もしも志半ばに私が倒れ、偶然にもこの日記をあなたが読み、私の仕事を引き継いでくださるというのであれば。その時は名も知らぬ騎士殿、修道院
の地下墓所だけはそっとしてあげて欲しい。静寂を護って欲しい。私は私の指輪でしか入れるように墓所を封印した』
『あの場所には仲間達が眠り、唯一残された聖なるキュイラスが騎士達の御霊と共に眠っている』
『騎士団は公式には完全に崩壊してしまったが私はいつの日が生まれ変わった九大神の騎士団が結成される事を願い、信じている』
『もしかしたら名も知らぬ騎士殿、あなたこそが騎士団の再生を願っている人なのかもしれない』
『もしもそうなのであれば聖なる封印を解き、墓所に入られよ』
『聖なるキュイラスがそこにある』
『そしてあなたこそが新なる騎士であれば、おのずと聖なるキュイラスはあなたの物となるだろう』
『九大神の守護と導きがあらん事を』
『さらば、永遠に』
『アミエル卿』
『スキングラード領国』
『ウェイストウィルド』
『九大神修道院』
『セプティム紀53年』
内容は前後してた。
最初の方の文面は死の間際に記したものであり後半は修道院を旅立つ前のものだ。
「九大神の騎士団の日記、か」
何かの因縁?
そうかもしれない。
クロード・マリックがこの日記と、指輪と、そしてバケツ……じゃなかった聖戦士の兜を盗み出し、あたしが偶然それを手にして九大神修道院に訪れる。
これが預言者様の言っていた奇跡なのだろうか。
それにしてもこれが聖戦士の兜かぁ。
完全にバケツじゃん(泣)。
もっと格好良いフォルムだと思ってたのに少し幻滅かも。
……。
……ま、まあ、あたしは勇者じゃないから、あたしが身に纏う事はないんだろうけど。
指輪を手にとってみる。
「あっ!」
手の中から指輪が転げ落ちて床を転がり、階段を滑り落ちる。
あたしは急いで立ち上がって階下に行く。
「えっと」
どこだろ?
目を凝らして床を見る。あっ、そこにあった。床に転がってた。というか床にめり込んでいるようにも見える。
ガコンっ!
突然大きな音がしたかと思えば床の一部がスライドし、床下に隠されていたものが現れる。床下には螺旋階段がありさらに下に続いていた。
指輪の落ちている部分を見ると綺麗に指輪ははまっていた。
そうか。
ここに地下への秘密の入り口の開閉の為の鍵である指輪をはめ込むのか。
「……すごい……」
呟く。
地下への階段があるのがすごいという意味の呟きではない。
これが偶然?
ここまで綺麗に展開が進むとそれは偶然ではなく運命だと錯覚してしまう。あたしは2階に戻って魔剣ウンブラを取ってくると、螺旋階段の下に
進むべく歩みを進めた。あたしの心は当然ながら興奮している。これは啓示にしか思えない。だけまだあたしは知らない。
ここから新しい聖戦士伝説が始まるという事を。