天使で悪魔






人魚の涙 〜後編〜






  弱体は緩やかに始まっていた。





  「アイスピックで眼を刳り貫かせろぉーっ!」
  「……っ!」
  その狂気じみた叫びと同時に木製の扉が貫かれる。
  あたしの目の高さ。
  扉を貫通したのは金属製の何か。
  叫びが正しいのならアイスピックの類なのだろう。
  目視できたのは一瞬。
  そのままあたしは後ろに倒れこんだ。
  咄嗟に体が動いた。
  咄嗟に回避した。
  ……。
  ……つもりだった。
  「つっ!」
  激しい痛みが左目を襲う。
  じわじわと熱くなる。
  視界が利かない。
  頬を何かが伝ってくる、刺す痛みが左目をガンガンと叩いているようだった。
  刺されたっ!
  左目を刺されたっ!
  左の視力がまるでない。
  アイスピックはゆっくりと引っ込む、穴だけが残っている。引っ込む際に見たアイスピックの先端にはあたしの左目、つまり眼球はなかった。
  つまり目はちゃんとあたしの眼孔に収まってる。
  それは安心。
  だけど眼を潰されたのは確かだ。
  ゆっくりとあたしは立ち上がる。
  魔剣ウンブラを抜き放って次の攻撃に備える。
  ハーたんはまだ眠っている。
  おかしい。
  どんなに疲れているにしてもこの騒動でも起きないのはおかしい。
  何かの力が働いている?
  魔法的な?
  そうかもしれない。
  「……」
  不意打ちに備える。
  だけど相手に動きはない。
  気配はする。
  だから扉の前にいるのは確かだ。
  右だけで視界を捉えるのは意外に疲れるものがある。
  ……。
  ……迂闊だったな。
  扉の前に不用意に立って不意打ちを受けてしまったことがじゃない。まさかここまで体力が落ちてたとは想定してなかった。
  回避しようとした瞬間に足の力が抜けた。
  だから刺さった。
  それでも回避行動に移れたからこそ眼を潰される程度で済んだ。見習い時代のあたしだったら眼孔から脳まで貫通していたに違いない。まあ完全に回避
  できなかったからあたしはまだまだ修行が必要なんだろうけど、修行するという可能性だけは守れた。つまり生き延びれた。
  何とか生き延びないと。
  「……」
  気配は動かない。
  そこにいる。
  穴を見る。
  扉の向こうの相手がこちらをじっと覗いているのが分かった。
  血走った眼。
  誰?
  リバービュー絡み?
  違うかもしれない。
  扉の向こうの奴が纏っている気配はまともな奴が纏えるものじゃない。腕が立つとか遣い手とかそういうカテゴリーじゃない。
  常軌を逸してるっ!

  ギィィィィィィィィッ。

  不平そうな音を立てて扉が開いた。
  そこにいたのは異様に目を大きく見開いた20歳ぐらいの青年。緑色の平服を纏ってる。腰には材質は分からないけどショートソード。
  恭しく青年は一礼した。
  誰?
  知らない。
  初めて見る顔だ。
  「誰ですか?」
  どくどくと流れる血を拭いながらあたしは訊ねる。
  ハーたんはまだ起きない、こいつが何かしたのだろうか?
  「お初にお目に掛かります。無作法はどうぞ寛大なお心でお許しください」
  「誰ですか?」
  油断ならないものを感じながらあたしはもう一度訊ねる。
  相手の言動には嘲りがある。
  「僕の名は綴(つづり)。<百目の綴>と呼ばれている外法使いですよ。以後お見知りおきを」
  「百目の……」
  微かにだけど聞いたことがある。
  確か三大外法使い<銀色><死神><白骨>の<銀色>とかいう奴の部下だ。
  能力までは知らない。
  「あたしに何か用ですか?」
  「僕は銀色に従ってここまで来たんですよ、シロディールまでね。ただ僕は銀色や翁と違って禁断の不死魔道書ネクロノミコンになど興味がないのですよ」
  「……」
  話が見えてこない。
  ウンブラを構えながら次の言葉を待つ。
  「貴女ですよ」
  「……?」
  「あなたのその瞳が欲しいのです。鷹の目。全ての魔力の波動を読む力。この世界は魔力で満ちている。その眼があれば世界の流れを読める。覇者の瞳。
  片目は潰してしまいましたがもう片方だけはください。大丈夫、欲しいのは目だけで貴女の命なんて興味がない。誓ってもいい」
  「じょ、冗談っ!」
  「確かに抉る際に暴れまわるから殺しちゃうってことが多々ありますけどね」
  「殺し……えっ、まさか……」
  「ええ。抉って殺しちゃってるエグイ犯人は僕ですよ。外法使いってのは何らかの代償を常に背負ってるものでしたね。僕の場合は眼球を適度に補給しないと
  死んじゃうんです。悪意はないんですよ、ただの食事です。マウンテンライオンに肉を食べるなっていうことと同じですよ、仕方ないんです」
  「戦士ギルドとして……っ!」
  「馬鹿だなぁ」
  そのままあたしは言葉が紡げながった。
  体が動かない。
  「どうから鷹の目の持ち主は僕の能力を知らないと見える。<百目の綴>、その名の由来はね、眼光に魔力が宿ってるんですよ。そしてそのコレクターでもある。
  体が麻痺してるでしょ、<魔眼>って能力です。僕のコレクションの1つですよ。不用意に視線を交えるからそうなるのさ」
  「……っ!」
  ゆっくりと。
  ゆっくりと奴は近付いてくる。
  血塗れたアイスピックを持っているのが嫌でも視界に飛び込んでくる。
  奴は右手にアイスピックを持ち、左手でショートソードの柄を握る。

  ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!

  ショートソードを抜き、振り向き様に横に薙いだ。
  激しい金属音を立てて斧が弾き飛ばされて天上に突き刺さった。
  「騎士団長殿っ!」
  ギルバードさんだ。
  レイナルドさん、シシリーさんもいる。じゃあ今斧を投げたのはギルバードさんか。綴はあたしに背を向けて現れた3人に向いている。
  そして気付く。
  奴の髪の中でぎょろぎょろと何かが蠢いている事に。
  まさか目?
  こいつには死角ってものがないのかもしれない。
  眼が無数にあるからこそギルバードさんの不意打ちを防げたのだろう。
  それにしても。
  それにしても凄い力だなと思った。
  斧を弾き飛ばすなんて普通の腕力じゃ無理。無手となったギルバードさんはレイナルドさんの腰にある剣を抜き放って身構える。
  レイナルドさん?
  酔ってるのでへたり込んでます(汗)
  何しに来たのーっ!
  「健気に食らい付いてくるなんて随分と仲間思いじゃないの。嫌いじゃないけど好きでもない。邪魔だよ、消えてもらおうかな」
  「雑言っ!」
  剣を手に走るギルバードさん、綴に肉薄する。
  綴は動かない。
  ショートソードをぽいっと捨てた。

  ザシュ。

  肉を刺す音。
  交差する2人の体。
  ごふっと血を吐いてその場に崩れ落ちたのはギルバードさんだった。愉快そうな綴の声が響き渡る。
  「おやおや心臓突いて来るかと思えばなかなか甘いね。腹部、か。まあのた打ち回って死ねばいいよ、君」
  「瞳写しっ!」
  シシリーさんが叫ぶ。
  意外そうな顔を綴はした。
  「おやこれは珍しい。君は<瞳写しの法>を知っているのかい? なかなか博識だね。瞳に映った者にダメージを転化する外法。奴は自滅したのさ」
  「百目の綴」
  「おやおやまたまた意外。……君、裏の世界の人間だろ? 僕という存在に当たりをつけるなんて尋常じゃないからね」
  「光よっ!」
  シシリーさんの手が光る。
  瞬間的な照明の魔法。
  閃光。
  視界を潰すことで相手の能力を潰すつもりらしい。


  ジャジャジャジャジャジャーっ!

  閃光で視界を奪われている間に何かの音が響く。
  呻き声。
  そして綴の嘲笑う声。
  「甘いね」
  「……くっ……」
  「1つ2つの目を潰したところで僕の能力は殺せやしないよ。少なくとも視界に入る攻撃に対して僕に死角はない。見えない攻撃ってんなら話は別だけどね」
  その時、あたしの戒めがようやく消える。
  だけど立っていられない。
  呪いだ。
  ステンダールの呪いだ。
  それにしてもこんな瞬間に呪いが襲ってこなくてもいいじゃないの。
  「はあはあ」
  「息が荒いね。どうしたの? ……まあいいや。反撃されそうもないし楽に済ませれそうだ。まあ、君の攻撃は僕には通じないけどね。回避するなんて容易い」

  「Fireっ!」

  「くああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  綴が突然炎上する。
  響き渡った凛とした声は……。
  「ハーたんっ!」
  「悪かったね」
  「……?」
  スッとあたしの顔を撫でるハーたん。途端に視界が開ける。
  両目がある?
  両目があるっ!
  でも途端に焼ける様な痛みが右目を襲う。さっき刺されてないほうの瞳。あたしは目を押さえてその場に崩れ落ちた。ハーたんは怪訝そうな顔、そして低く呟く。
  「片目分の能力だけ持っていかれたのか」
  「やってくれたねぇーっ!」

  ジャジャジャジャジャジャジャーっ!

  燃えながら綴は光線を放つ。
  目から光線。
  シシリーさんが倒されたのは多分これだ。
  「そんなもの効くか」

  タン。

  ハーたんは軽く足踏みする。
  光線は届くことはなかった。
  何かに阻まれる。
  魔力障壁っ!
  「そのアイスピックでアリスの能力を抽出したのね?」
  「ご名答。片目分だけ。……んー? もしかしてご同業者かな?」
  ブンブンと顔を横に振る綴。
  炎はくすぶっているもののほとんど消えている。
  焦げてすらいない。
  「返して」
  「鷹の目、片目分を?」
  「そう。ただでさえ不安定なのにより乱れてる。返しなさい」
  「断るといえば?」
  「消す」
  「……」
  「百目の綴、どれだけ攻撃の軌道が読めようとも私の能力の前には意味がない。不可視の攻撃まで避けれるほどの器用さはないでしょ」
  「まあ、ね。とりあえず片目分だけ手に入ったから今日は退くよ」
  「逃げる?」
  「左様にございますな」
  「逃がすか。Fireっ!」

  すぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ。

  炎に包まれたはずの綴の姿が半透明になっていく。
  炎は実体。
  反対に綴は実体を失っていく。
  空間を、渡った?
  「また会いましょう、鷹の目の片目分は頂いていきますよ」
  消えていく。
  消えて……。
  「アリス」
  「あたしはいいから仲間を……」
  「見た感じ誰も死んでないし3時間ぐらい放置してても大丈夫だよ。それより謝りたいの」
  「謝る?」
  「ステンダールの呪いをね、ちょっと肩代わりしてたの。私の中で呪いを消そうと思ってたんだけどね、なかなか厄介で爆睡してた」
  「それで……」
  寝てたのか。
  「消せないからとりあえず返した。なんかまどろみの外の方が騒がしかったから」
  「……」
  そうか。
  だから呪縛が解けた瞬間に立ってられなかったのか。
  なるほど。
  呪縛は関係なかった、あたしの窮地を知ってハーたんが目覚める為に呪いを返した、だから急激な呪いの力で脱力したんだ。
  何て言ったらいいのか分からなかった。
  感謝の言葉も出ない。
  何て姉想いの妹なんだろう。
  ハーたんは続ける。
  「片目分の能力が持ってかれたよ。だから能力が不安定で暴走気味。右目の分の鷹の目がコントロールを失ってる。まあ、元々扱えてないけど」
  「どうしたらいい?」
  「奴から取り戻す。左目、眼球は再生させたけど能力は失ってる。奴から取り戻さないと今のままだね。少なくとも片目だけ高出力の魔力を発してる状況だから
  扱いが難しいと思う。制御の訓練しても完全に制御するには数年掛かるだろうし、とりあえず眼帯しとこう」
  「眼帯?」
  「そう。能力のある右目を封じなきゃね」


  こうして。
  こうして猟奇殺人事件は幕を閉じて……はいないけど、犯人は絞られた。
  百目の綴。
  外法使いである奴が犯人。
  リバービュー邸に関してはシシリーさん達が調査で集めた資料を元にシェイディンハル衛兵隊に告発。
  富豪ヴォラニルはカモナ・トングとの繋がりで逮捕された。
  スクゥーマ密売の容疑。
  また使用人達は全て富豪の家を隠れ蓑にして活動していた邪教集団<深遠の暁>のメンバーだと判明。衛兵隊達との壮絶な戦いの末に討伐された。
  世界に動乱が近付いている。
  ハーたんに作って貰ったハートマークの眼帯を愛用しながら、あたしはそう思った。


  動乱は近い。