天使で悪魔
脱出
例え逃げても終わりではない。
何故なら……。
「えっ? えっ? えっ?」
意味が分からなかった。
ここはレヤウィン城の地下にある監獄。
呆然とするあたし。
それは別に逮捕されたことやハーたんの安否に対しての呆然ではなく(もちろんそういう意味もあるけど)目の前の牢屋にいるもの対しての驚き。
収容されている酔っ払いはレイナルドさん。
騎士団に兄弟で加盟したジェメイン兄弟の弟さんのほうだ。
「なあ、騎士団長。エール酒でも一杯持ってないかい? 気付けにやりたいんだぁ。……うー、やっぱ殴られたように頭がいてぇー……」
「……」
何故ここに?
理由は考えようによってはいくらでもある。あたしのようにでっち上げで捕まったのかもしれない。
だけど。
だけど、これはありえない。
あたしより先に入ってた。つまりこれはやはり計画的にあたし達を狙って誰かが暗躍してる。時間的に考えると彼は別れてすぐに投獄されたことになる。
……。
……ハーたんも敵の手の内にある?
そうかもしれない。
その可能性は高い。
衛兵を自由に扱えるだけの力を持つ、これはつまりレヤウィン城中枢に関係している者の仕業?
でも誰だろう?
それだけの力を持つ者の顔が思い浮かばない。
深緑旅団やブラックウッド団にはそんな力はないわけだから……あたしの知らない、でもあたしに恨みを持っている者の仕業。
そうなると難しい。
レヤウィン中枢にいて、思い浮かぶ組織とは無関係の存在。
誰だろう?
その時、ふと思い出す。
「レイナルドさん」
「何だぁ?」
「聖戦士の遺産は、その、どうしました?」
「……」
「レイナルドさん?」
「……待ってくれよぉ。今頭を検索中なんだ。……あっ、フリーズした。システムエラーだから再起動……」
「うがーっ!」
ガンっ!
鉄の檻を蹴る。
温厚で痛いとは思うけど今は一刻を争う。
「すいませんでした思い出しましたっ!」
「それで、どうしたんです?」
「確か、そう、確か衛兵みたいな奴にいきなり殴られたような。倒れる瞬間に衛兵風の奴が側にいたから多分そいつに殴られて……ここにいる、のかな」
「じゃあ没収……」
ガタン。
突然檻は不平そうな音を立てて崩れた。
えっ?
あたしを遮るものは何もない。
まさか蹴ったから?
でもあたしにはそんな脚力はないし、あったらとっくに出て……。
「まっずいっ!」
『脱獄だーっ!』
音に気付いたのだろう、看守達が現れる。
数は3名。
衛兵の正式装備をしているけど武装は棍棒。囚人を生きたまま取り押さえるのには適している。あたしは無手。牢屋の中をジリジリと下がる。
看守はゆっくりと近付いてくる。
3名が並んで近付いてくる。その内の1人は先ほどの髭の看守だった。
取り押さえる気だ。
……。
……これも仕組まれていた?
多分そうだと思う。
わざと脱獄させる気だ。ただ看守達はあくまで職務を遂行しているしてるだけだと思う。脱獄させて合法的に始末したいのであれば棍棒はおかしい。
まあ、棍棒でも当たり所が悪ければ普通に死ぬけど。
「抵抗するなっ!」
「……はい」
あたしは両手を上げた。
敵意がないという証明だ。ホッとしたように看守達は少し警戒を解いた。
間違いない。
この看守達はあくまで職務を遂行しているだけだ。あくまで脱獄→やむなく成敗を狙っているならこの場で問答無用で襲い掛かってくるはずだ。
問題はこれをどう切り抜けるかよね。
結局彼らの職務がまっとうでも(謎の敵と関係ないにしても)捕まればあたしは帝都の監獄行きになるだけ。あそこは一度収容されるとまず出られない。
長期受刑者や死刑囚専用の監獄みたいなものだ。
行けばあたしの終わりは見えてる。
どうする?
どうしよう?
「くそぉっ! あの餓鬼、何なんだぁっ!」
ドタドタと監獄に入ってきた者がいる。
誰だろ?
看守達もそちらの方を見た。
そして警告。
「誰だ貴様って……俺がいるっ! あれ俺って双子だっけっ!」
髭の看守が2人いる?
怪訝そうに残りの看守も2人を見比べていた。
叫びながら入ってきた方は我を忘れているらしく動揺していた。そして同じ顔を見つけると自分の顔をさっと撫でる。
「俺は看守長だっ!」
『……』
冷たい空気が流れる。
……。
……いやいやいやっ!
完全に我を忘れてるじゃん変な空気になってるじゃんっ!
よく分からないけどこいつ変身能力がある?
そして何かを画策していた?
そうかもしれない。
というか何度か変身したこいつと投獄される前にもされた後にも会っているのかもしれない。指輪おばさんもそうなのかもしれない。
「とりあえず、こいつも捕まえとくか」
看守の1人が呟くと2人も同意。
そうだよね。
まっとうに考えれば普通はそうだよね。
そして……。
ドカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンっ!
爆発音。
衝撃波があたし達を襲う。看守達はそのまま吹っ飛ばされて壁に叩きつけられ意識を失う。
あたし?
あたしは何とか無事。
「な、なんだこいつは、見境なさ過ぎるだろっ! 始末しようとしたら城の半分吹き飛ばしやがったっ! そしてここまで追って来やがったぁっ!」
コツ。コツ。コツ。
黒煙の中から足跡が響いてくる。
そして見えるフォルム。
背の小さな女の子がそこにいた。
ハーたんだ。
……。
……よく分からないけどこの偽物はハーたんを殺そうとしたらしい。そして変身能力駆使して保釈云々をなかったことにした、その上で帝都の監獄行きにした。
ただ誤算が一つ。
強さ。
そう、ハーたんの強さだ。
もちろん強いからってあたしの妹に変な真似しようとしたわけだから万死に値するけど。
ともかく。
ともかく逆に返り討ちにあったからここまで逃げてきた。
おそらくあたしを人質にする為に。
「よ、よせ。これ以上来るんじゃあないっ! こいつがどうなっても……っ!」
「くすくす♪」
冷たく不敵にハーたんは笑う。
冷徹で無邪気な顔。
や、やばい。
完全にあの子頭に来てるぅーっ!
「我ハーマン・グラスフィル。我が名の元に命じる。死せる者に毒蛇の報いを」
指先を偽者に向ける。
途端に……。
「ぐべばべがぁーっ!」
妙な雄叫びを上げて偽者は仰向けに引っくり返った。
あまりのおぞましさにあたしは目を背ける。
偽者の両目を食い破って毒々しい鱗を持つ蛇が這い出てきた。そしてその毒蛇の一匹は口の中に入り、もう一匹は右耳に侵入していく。
まだ死んではいないのだろう。
時折か細い息を吐きながら痙攣している。
こ、これが外法の力?
「私にちょっかい出そうだなんてした報いを受けるがいい。たかだか魔法生物の分際で生意気」
「ま、魔法生物?」
「あらお猿さん、檻の外に出たの? バナナあげよっか?」
「……」
げろげろげろーっ!
そのときレイナルドさんが盛大に……うっぷ……。
まあ、気持ちは分からなくはない。
謎の看守の体はまさに嫌悪感の塊と化している。毒蛇は腹部を突破り、また別の場所を食い破ったりと移動に移動を重ねている。
ちなみにレイナルドさんはまだ檻の中。
「……なんじゃその蛇は……完全に酔いが醒めちまったぜー……」
「毒蛇の法」
つまらなそうにハーたんは呟いた。
ドタドタと足音が近付いてくる。
看守か衛兵か。
さっきの謎の看守曰くハーたんは城の半分を吹き飛ばしたとか言ってたから……誇大にしても……うん、衛兵は完全に戦闘態勢。
ま、まずい。
あたしの完全に無手だと防具も纏ってない。
衛兵を殺す気はないけど身を守るにはこのままじゃあ心許ない。
ハーたんは手を通路に向ける。
監獄と城を繋ぐ通路。
まさか……。
「吹っ飛べ」
ドカァァァァァァァァァァァァンっ!
「つっ!」
あまりの爆音にあたしは耳を覆う。
通路は完全に崩れていた。
ここは隔離された。
唯一の通路が爆発が埋没してしまったので逃げようがない。
「完璧」
「完璧、じゃないよハーたんっ!」
「まあ確かにね。アリス巻き込むの忘れてた」
「はぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」
「冗談よ」
パチン。
彼女が指を鳴らすと檻という檻が開いた。
満室というわけじゃあないけど牢屋には他に収容者達がいる。犯罪の度合いは知らないし中には重犯罪者もいるけど……ここで生き埋めで窒息死は……。
……。
……うーん。人道的にはどうなんだろ?
パチン。
もう一度指を鳴らすとその囚人達はその場に倒れた。
えっ?
「何をしたの?」
「呪いをかけた」
「呪い?」
「全ての魂には知識と記憶が刻まれている。私はそれを見た。で、罪の度合いによって呪いをかけた。仮死状態の奴もいるし死んでる奴もいる」
「……」
「批判してみる?」
「ハーたんのやり方は、否定はしないよ。やり方には少し抵抗はあるけど……」
「ふぅん。私が思ってたよりも理解してくれて嬉しいわ。人の人権踏み躙ってのうのうとしてる奴なんて処分した方が世の為だもの。だけどまあ罪の度合いに
よっては生きてるわ、仮死状態というか……厳密には時間止めといた。半日ぐらいは無酸素でも平気。その間に掘り起こしてもらえるでしょ、多分」
「す、すごいね、ハーたんの力って」
「問題は……」
「問題?」
「そこの酔っ払いも仮死状態ってこと。思わず呪い掛けちゃった。そいつはー……残念、仮死状態だね」
「ああっ! レイナルドさんっ!」
「てへ♪」
「……」
ペロっと舌を出して誤魔化すハーたん。
凄い神経してるなぁ。
おおぅ。
「そ、それでハーたん、聞きたいことが……」
「毒蛇の法? 拷問用の外法。もっとも失敗作だけどね。……ああ、私が、じゃなくてこの外法の開発者の失敗作。相手の口を割らせるのは不可能。
嬲り殺しになっちゃうだけだから。一応蛇は食いつく際に生命力の一部を対象に与えるの。だから長い間対象者は死ねずに苦しむ」
「そ、そうなんだ」
思わず身震い。
確かに。
確かにまだ対象は生きている。
「魔法生物って何?」
「そいつが人間に見える? 姿がころころ変わるなんてありえない。少なくとも幻術は実際には変化してない、相手の視覚を騙すだけ。だけどこいつの場合は
完全に肉体を変異させている。そして相手の姿だけではなく知識も得ている。こいつはこいつで魂に刻まれた情報を読み取ってる。私には劣るけど」
「人間じゃないって、外法使いではないの?」
「外法についてどこまで知ってる?」
「……まったく知らない」
「じゃあ完結に言うけど肉体の変異なんてありえない。絶対に」
「リッチは?」
思わず疑問を口にしてしまう。
「あれは自身の肉体を干乾びさせているだけ。別に別人になっているわけじゃないわ」
そこまで言ってハーたんは黙る。
視線をめぐらせる。
「どうしたの?」
「聖戦士の聖具の魔力を感じる。魔剣ウンブラの魔力も。近くにあるね、まずそれを回収しないとね」
「ハーたん」
「何?」
「えっと、じゃあこいつは何なの?」
蛇に食い破られながらも生きている存在を指差す。
「相手の魂を読み取り、知識を得、完全に対象に成りすます。こんな芸当が出来る魔法生物は……」
「魔法生物は?」
「ドッペルゲンガー」
レヤウィン城。
壁を吹き飛ばし、天井を吹き飛ばしてハーたんは新しい通路を強制的に作り出して既存の道と繋げる。
あたしは仮死状態のレイナルドさんを背負ってその後に続く。
既に装備は取り返した。
取り返したというか押収用の箱の中に放置されていたので回収しただけなんだけど。
鉄の鎧に身を包み、魔剣ウンブラを装備。
さらにレイナルドさんを装備し、聖戦士の聖具の一部(半分はギルバード持っている)を紐付きの丈夫な袋に入れて引き摺っている。
罰当たり?
そうだと思う。
そうだと思うけどレイナルドさんを背負っているのでこれ以外の持ち方は出来ない。
ハーたんは力はないし仕方ない。
「取り押さえろーっ!」
「伯爵閣下の退避を急げっ!」
「馬鹿野郎、あのお方は最初の爆発の時点でとっくに逃げてるよっ!」
衛兵がワラワラと出てくる。
ここは大広間かな。
面白くなさそうな顔で指を鳴らすハーたん。
その瞬間……。
ドサドサドサ。
衛兵達はその場に崩れ落ちる。
気絶。
一応は手加減しているというか使う魔法のジャンルは考えてるみたい。
……。
……問答無用で吹っ飛ばされても困るもんなぁ。
何気にやりそうだし。
う、ううんっ!
駄目よあたし妹は信じてあげなきゃっ!
ガチャガチャと音を鳴らして衛兵達がが再び現れる。当然だよね。だってここは城の中、衛兵達が多いのは当然。
ハーたんは軽く舌打ち。
「ああ、もう面倒。この城ごと吹き飛ばしてやる。ついでに呪いも掛けてこの地域を住めなくしてやる。何て合理的対処法。うっとり♪」
「……」
信じれないかもやっぱりーっ!
はぅぅぅぅぅぅっ。
「冗談に決まってるじゃない。馬鹿アリス」
「……」
指を鳴らす。
現れた衛兵達はその場に気絶した。
遊ばれてる?
遊ばれてるの妹に?
「ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!」
「はいはい泣かないでお姉ちゃんでしょ。ほら飴ちゃんあげるから元気出しなって」
「えっぐ。えっぐ。ありがとー」
元凶はハーたんですけどね。
飴玉を口に入れてあたしは周囲を見る。
シーンと静まり返っている。
衛兵達も今のでおしまいなのかな?
そうかもしれない。
シーリア隊長が解任された際の経緯で衛兵の数は半減しているしあたしと合流する前にハーたんが派手に城を破壊してる。殺しはしてないみたいだけど
その際の爆風とか衝撃で行動不能の衛兵も多いだろうし今のように術で気絶させている衛兵もいる。
伯爵は真っ先に逃亡したみたいだし士気も上がらないだろう。
指揮もないに等しい。
だから。
だからこれで衛兵が終わりというのは頷ける。
でも……。
「おかしいよね」
「そうね。アリスの顔よりおかしい状況よね。……あっ、安心して。アリスの顔が壊滅的でも私は妹でいてあげるから。アリス大好きだから、私」
「あ、ありがとう」
誉められてんだか貶されてるんだか微妙?
というか喧嘩売られてる?
はぅぅぅぅぅぅっ。
「それでアリスは何がおかしいと思ったの? お姉ちゃんから考察をどうぞ」
「な、なんかそう言われると照れるね。……えっと、あたしがおかしいと思うのはこの静けさ、かな。ドッペルゲンガー? あんなのが城に紛れ込んでたのに」
「同感」
あたしはドッペルゲンガーのことをよく知らない。
というかさっきまで知らなかった。
でも<魔法生物>という意味ぐらいは分かる。本来の生物ではなく魔法の力によって生み出された生命体の総称。
ホムンクルスなんかもそのカテゴリー。
つまり魔法生物は魔法の力がない限り、もっと言うなら製作者がいない限り存在できない。
「ハーたん、魔法生物って自我はあるの?」
少なくともあのドッペルゲンガーには自我があったと思うけど専門家じゃないので聞いてみた。
「仮初の自我はあるかな」
「仮初の?」
「例えばホムンクルス、魂がないから自我がない。アリスのホムンクルスを作るとアリスと同等の能力を持ってる。というかまったく同じ。でも魂がないから
思考能力は皆無。一定の単純作業なら出来るけどその応用は無理。例を挙げると料理を教えたら料理をする、でも食材の確保は出来ないってわけ」
「じゃあドッペルゲンガーは? あの人ペラペラ喋ってたよね?」
「ドッペルゲンガーは対象の魂を読み取り、姿と記憶を得る。その際に仮初の自我、つまり対象の自我も取り込むことで自律して動く……というのが定説」
「定説?」
「そう。ドッペルゲンガーなんて魔法技術は今では存在しない。あれはアイレイド時代の技術。まあ、私が扱う外法も当時のものだから誰かが今も細々と
ドッペルゲンガーを造っているっていうのもありえるだろうけど一体製造するのに戦士ギルドの一年分の予算が吹き飛ぶかな」
「そ、そうなんだ」
一年分の予算は知らないけど凄い額になるんだろうなぁ。
「じゃあ数はそういない?」
「レヤウィンで私らに喧嘩売ったドッペルゲンガーが監獄で苛めてあげてるあいつだけとは限らないけど多くてもあと二体。維持費だけでもドッペルゲンガーは
かなりの額を要するからそれが限界かな。まあ、自我に関しての結論は<取り込んだ記憶を元に自我を真似している>程度。でも考える頭はある」
「他に気を付けることとかある?」
「相手の姿と知識をコピーする能力、使い分け可能。いつでもアリスにもなれるし私にもなれる。能力は同等。でも魔力と体力はドッペルゲンガー固有。あい
つら力は強いけど魔力は弱い。一応コピーした相手の魔法とかも使えるけどまず使わないかな」
「何で?」
「使ったら連中は死ぬから。数秒で。例えばアリスの炎の魔法は使えるだろうけど発動するまでにモーションが数秒以上かかるものは発動する前に勝手に
果てちゃう。変身しても魔力は変わらないから本来の魔力以上のものは使えない。使えなくてもそれを真似た瞬間に果てるけど」
「ふぅん」
「魔術師なら相手の本性を見分けられる。ピントが本来の視力とは異なるから<さあ見分けようっ!>という感じじゃない限り分かんないけど」
あたしは説明を受けて頷いた。
一番怖いのは変身能力かな、今の説明からするとそういう結論になる。
だったらそう怖い相手じゃないかもしれない。
例えフィッツガルドさんに変身したとしても体力と魔力はドッペルゲンガー本来のものと変わらないのであれば。
特に怖くはない。
あくまで真似事の範疇は超えていない。
ただハーたんは疑念を持った表情を浮かべていた。
「問題は私を捕えたドッペルゲンガーが気になることを言ってた」
「気になること?」
「お前ら強すぎるんだよってね。もしかしたら何かの陰謀が進行中なのかもしれない」