天使で悪魔
監獄のアリス
その都市には何かいた。
南方都市レヤウィン。
マリアス・カロ伯爵が領主として赴任している亜熱帯気候の都市。
この街にあるゼニタール聖堂には聖戦士の遺産が眠っているというのであたし、シシリーさん、ジェメイン兄弟はやってきた。
ハーたん?
ハーたんは別行動……というか行方不明。
遠征直前に九大神修道院から姿を消した。ザギヴを消すとか何とか言ってた。まあ、一応あたし達が向った場所は知っているので気が向いたら
合流してくると思う。妹だからやっぱり心配だけど、何気にここにいる誰よりも桁違いに強いから大丈夫かな。
それでも。
それでも大切な妹だから心配だなぁ。
シシリーさん達は九大神騎士団正式装備である武具に身を包んでいるけど……あたしは鉄の鎧。今までの冒険者風の装備にしてる。
九大神の聖具に身を包むという案はあった、あったけど恥かしいし。
あたしはあくまで<いずれ現れる勇者様>の為に聖具を集めているというつもり。
ハーたんはあたしに勇者になれって勧めてくれてるけど。
うーん。
嬉しいしそうはなりたいと思うけど……あたしは勇者って柄じゃないよなぁ。少なくともまだ実力は勇者じゃないので聖戦士の聖具は装備してない。ただ
何かの役に立つ可能性も考慮して持参はしてる。ジェメイン兄弟が装備を背負ってくれている。
「ようやく到着ですね」
あたしは誰に言うでもなく呟く。
修道院からここまでの距離は3日。野宿に野宿を重ねてようやく到着したけど既に夕刻。
調査は明日から、かな。
まずは宿探し。
夕刻ということもあり人通りは閑散としている。
もっとも閑散としているのは時刻の問題だけではないけどね。
治安の問題だ。
「シシリーさん着きましたね」
「懐かしい、という印象はないけどね」
あたしの言葉にシシリーさんは呟いた。
気持ちは分かるからあえて何も言わないし言うべき言葉が見つからないのであたしは静かに頷いた。
ここでは色々とあった。
ここでは色々と。
……。
……思えばあたしにもあまり懐かしいという印象は薄い。
確かに出会いもあった。
白馬騎士団として活動していたのもここだし一時期は線ギルドのレヤウィン支部長として在籍していたこともある。
出会いはあった。
ここでの生活もあった。
(補足→現在は階級こそガーディアンではあるものの戦士ギルドに縛られずに冒険しろという叔父モドリン・オレインの意向で役職には就いていない)
ただ出会いとは真逆の別れもあった。
別離。
それも無数に。
深緑旅団戦争で騎士団は解体、ブラックウッド団との戦いでギルドメンバーの半数は死亡もしくは脱退。
ヴィラヌスも逝ってしまった。
そう。
やっぱりあたしにとってもレヤウィンはあまり良い場所ではない。
出会いや喜びを否定するつもりはないけど、やっぱりあまり好きじゃない場所、かな。
「それでぇ、これからぁ、皆で飲むんだよなぁ?」
現実に戻したのはレイナルドさん。
ジェメイン兄弟の弟さん。
兄であるギルバードさんはそんな弟さんを見て溜息。
「あはは」
思わず笑ってしまう。
2人とも以前別件の戦士ギルドの任務の際にあたしと出会い、今は九大神の騎士団としてあたしとともにいる。
シシリーさんはあたしを見た。
どうするの、と訪ねているようだ。
「今日は宿取りましょう」
急いだって仕方ない。
もちろん有史以前に存在したアイレイド文明においてもっとも名高き(有名という意味でも悪名という意味でも)奴が復活しようとしているこの現状、まったり
といこうというのは不謹慎かもしれないけど自分のキャパ以上には動き回れない。少なくとも休息は必要だ。たくさん頑張る為にも。
「魔術王ウマリルか」
呟く。
伝説のアイレイドの王の1人。
名高き王の1人。
基本的に古代アイレイド文明をよく知らない人でも十中八九その名を知っていると思われる、王の1人。
民を黄金に変化させて国を滅ぼした強欲なる<黄金帝>。
無機質な自律型魔道人形の軍勢を率いてアイレイドの国々を併呑した冷徹なる<人形姫>。
数多の魔術を操り魔王メリディアに魂を売って魔人と化した強力なる<魔術王>。
この3人の王を知らない人はまずいない。
あたし?
あたしはウマリルのことはよく知ってた。勇者ベリナルの物語に出てくる王だし。
そんな奴の野望を阻止する、か。
思えば話が大きな食ってきたなぁと思う。
人生って不思議だな。
少し前まではギルドの見習いでネズミ退治してたのに(笑)
もちろんまだ魔術王ウマリルは復活していない、現在の敵は魔術王ウマリルに加担する邪教集団<蒼天の金色>。ただこの間その邪教集団はコロール
城襲撃をした、その際に組織としては壊滅状態な間はあった。首謀者は今だ逃亡中だけど組織力は皆無に等しいと思う。
「兄貴、騎士団長がああ言ってるからぁ、まずは酒場で打ち合わせだなぁ」
「少しは真面目になれレイナルド」
「……不毛ですわ」
「あはは」
酔いどれなレイナルドさん。
真面目なギルバードさん。
そして2人のやり取りに呆れ顔のシシリーさん。
グタグダな感じ?
そうかもしれない。
ただ、あたしはこういう関係の方が楽しくて好きかなぁ。
「アリス。今夜は泊まりならそれはそれでいいけど宿が込み合う前に部屋を確保しましょ」
「そうですね」
シシリーさんの言葉にあたしは頷く。
レヤウィンには宿が少ない。
……。
……正確に言うと少なくなった、と言うべきかな。
深緑旅団戦争で街の大半は焼けた。
ブラックウッド団事件でマリアス・カロ伯爵はブラックウッド団を全面的に支持していた。でもブラックウッド団は帝都転覆を謀っていたことが発覚すると伯爵は
その責任を全て衛兵隊長シーリア・ドラニコスさんに押し付けた。結果として衛兵の半分は見限る形で辞任、治安と不安は悪化。
現在街は閑散とした状況。
観光客はレヤウィンには寄り付かず、旅人はレヤウィンを避けてる。逆に傭兵や冒険者はそんなレヤウィンを稼ぎの場にしてるみたいだけど。
ともかく。
ともかく現在のレヤウィンは税収にしても治安にしても悪化の一途。
経営難で潰れた店も数知れず。
あたしは一時期支部長として滞在してたからレヤウィンの状況がよく分かる。シシリーさんの言葉の意味も。
まあ、最悪宿がなければ戦士ギルド会館に泊まればいいけど。
「じゃあ行きましょう」
「あの」
「……?」
見知らぬ人が声をかけてきた。
女性だ。
見た感じこの街に住んでいる、というような感じ。視線はあたしに向いているからあたしに何か用なのかな?
「何か御用ですか?」
「あの、戦士ギルドの方ですよね? 以前お見掛けした事があります」
「はい、そうです。戦士ギルドです」
現在活動はしてないけど在籍している以上、あたしは戦士ギルド。その誇りと名誉は常に持ってる。
依頼かな?
たぶんあたしが支部長してた頃にあたしの顔をこの人は見知っていたのだろう。
たぶん。
シシリーさんがどうする、という顔を向けたのであたしは頷く。彼女はその意味を理解してジェメイン兄弟を連れて一足先に宿の確保に向った。
「まずはぁ、俺は一杯やってくるぞぉ。じゃあなシシリーちゃん、兄貴」
「……シシリーちゃんって……馴れ馴れしいわねあの酔っ払い」
「……あいつ財布を私に預けたままなんだが……まあいいか。手持ちじゃ大した量は飲めないだろうが好都合か。行こうかシシリー卿」
レイナルドさん相変わらずだなぁ。
途中で2人と別れて酒場を探しに行ったみたい。
そんな騎士団員3人を見送り、あたしは依頼人と思われる女性に向き直った。
「戦士ギルドにご依頼ですか?」
「ええ」
「どのような?」
戦士ギルドの看板を背負っている以上、無下には出来ないしするつもりもない。これはあたしがすべきことだから。
ネズミ退治でも何でもするよ、だってあたしは戦士ギルドだもん。
虫の王の四大弟子を倒そうが魔術王の復活を食い止めようがあたしは戦士ギルド。誰かの笑顔に懸命に働くのが務めだ。
さて。
「実は夫が婚約指輪をなくしてしまったんです」
「婚約指輪?」
「はい。なくしたことにより愛が醒めたしまうんじゃないって思いまして」
「なるほど」
あたしは頷くけど、愛はまだよく分からない。
依頼人は続ける。
「夫は指輪をなくしてから不運続きなんです。神様の祟りかもしれません。食事も作ってもらえず、お小遣いも貰えず、洗濯もしてもらえないので作業着は
もう汗の臭いが染み付いています。このままでは夫が駄目になってしまう、だから、だから指輪を探して欲しいんですっ!」
「すいません全部奥さんの祟りですよね指輪なくしたから怒ってるんですよね?」
「そんな馬鹿なっ! 私は夫を愛しています、今日だって冷や飯だけは慈悲で与えてあげたのにっ! 酷いですわっ!」
「……」
「えっ? 最近の若い人の考えでは私が悪い事になるんですか? ……世代の差、ですね」
「そ、そうですね」
全部奥さんの怒りだーっ!
こんなんばっかこんなんばっかだあたしの依頼はーっ!
はぅぅぅぅぅぅぅぅっ。
「ど、どのような指輪ですか?」
落ち着いた素振りであたしは聞く。
依頼は依頼。
半ば奥さんの理不尽な憤りの結果だとは思うけど、内心の葛藤を抑えてあたしは聞く。
「受けて、受けていただけるのですか?」
「戦士ギルドにお任せを」
久し振りに言うなぁ、このフレーズ。
「これです」
奥さんは自分の指輪を外す。あたしは手を差し出した。
よく検分したい。
指輪を奥さんはあたしの手の上に置いた。
一見何の変哲もない指輪。
「よく見てください」
「はい」
どんなのか覚えなきゃ。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ指輪泥棒よーっ!」
女性の鋭い悲鳴が夕暮れのレヤウィンに響き渡る。
治安悪いな、と思う。
……って……。
「このダンマーが指輪を盗んだわ衛兵隊のみなさーんっ!」
「ちょっ!」
ええーっ!
犯人はあたしですかって依頼の一環で見せてもらってるだけじゃんっ!
衛兵隊があたしを包囲する。
てか早っ!
「窃盗の現行犯で逮捕するっ!」
「はぅぅぅぅぅぅぅぅっ」
何だこの展開はーっ!
その頃。
レヤウィンにあるゼニタール聖堂にある部屋。
ここに九大神騎士団がしばらく前から1人の男が寝泊りしていた。名をロドリク卿。九大神騎士団の騎士団長だ。
聖堂に滞在しているのはアリスの騎士団ではなくロドリク卿が設立した九大神騎士団。
一般的にはロドリク卿の率いる騎士団を正規の九大神騎士団とする風潮が強い。
それは卿の名声によるものだ。
現在のところこちらの騎士団が所持しているの聖具はグリーブだけなのだがそれでも世間はこちらを正規と見ている。
ただ……。
「これは無理だな」
騎士団長のロドリク卿は呟いた。
この聖堂にはメイスが眠っているという情報を聞きつけて滞在しているものの入手できないでいた。
メイスが存在しない、というわけではない。
手に入れるには別の聖具が必要だというのが結論だった。少なくとも同行しているメンバーの中の1人が過去の文献を元にそう結論付けていた。
「聖戦士のブーツか」
現在はれはアリス達が持っている。ロドリク卿はそのことを知っている。
頭を下げて貸して貰うにしても向うも聖具を集めている。
貸して貰うはありえない。
「撤退するか」
1人呟く。
力で奪うというのは彼の高潔な精神の中にはない。
あくまで聖具集めは信仰心によるものであり強欲の現れでもなければ名誉の為でもなかった。動機としては純粋であり、アリスに似ている。
こんこん。
扉がノックされた。
「誰か?」
「レイソンですが」
故郷から今日まで献身的に随行してきた人物の声が扉の向こうから聞こえてきた。
現在騎士団は膨れ上がり、レイソンはスカラベの戦士として昇格、ロドリク卿を補佐する任務を与えられている。
扉を開けて迎え入れるとレイソンは一礼した。
「お寛ぎのところ申し訳ありません」
「構わん。何かあったのか?」
「実はある物を売りたいという者がおりまして」
「ふむ?」
「おおー、あんたが……ロド……まあ、名前はいいやぁ。俺の名はレイナルド・ジェメイン。酒代足りなくなっちゃってさ、聖戦士の聖具売ろうかなぁって」
その街は毒されていた。
少しずつ浸食するように何かが蝕んでいた。
耳を澄ます。
すると聞こえてくる異質な声。
「きひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひっ!」