天使で悪魔
グレイランド 〜安らぎへの道〜
安息。
安住。
安定。
それこそが我々の目指して生活だった。
ただ、それだけを。
当たり前の日々が送りたかった、それが願い。
しかしこの世界に当たり前のモノなど、どこにもなくて。
我々が目指したモノは力がなければ成り立たないものだった。あるいは力の庇護の下でしか成り立たない平穏。その庇護が我々の
敵に廻った。だからこそ、略奪され、蹂躙され、殺された。私の最愛の人が。
……殺されたのだ。
ヴァレンウッドを離れ、我々はシロディールに移住した。
タムリエル中央にあるシロディール。
帝国のお膝元。
そのシロディールの南方都市レヤウィン近郊に我々は村を作った。グレイランドという名の村。
良い村にしよう。
良い村に……。
グレイランド。
人口300人の村。
主な産業は農業。ジャガイモ、トウモロコシが主要な農作物。
村の創設は今から3年前。
村長はマラカティ。
肥沃とは言い難い土地に村を作り、村人を鼓舞し、自ら率先して田畑を耕し、グレイランドを安定化させた人物。
レヤウィン領主の管轄にある村の中でわずか3年で繁栄した、成功した村として名高い。
領主であるマリアス・カロ伯爵はマラカティを称え、会食を交えた事もある。
そして……。
「今日も良い天気ですね」
「これは村長さん。ええ、まったくです」
田畑を耕していた初老の男性に声をかけると、快活な答えが返って来た。労働への、そして生きる事に対する喜びに満ちた笑顔。
私はそれを日課である見回りをしながら感じていた。
ヴァレンウッドでの反乱から3年。
我々は逃げるように(実際に逃げていたのだが)してヴァレンウッドを離れ、シロディールに住み着いた。
3年、か。
アイリーンがなくなって3年でもある。
あれから色々とあったものの私は、いや我々は歯を食いしばって生きてきた。その結果が今だ。
我々は安息に暮らしている。
……。
私は村長になった。
相変わらず過去が不明であるものの、村民は私を信頼して村長に選んだ。
特に問題はなく日々が過ぎた。
唯一の問題は、オーレン卿は3年前に別れたっきり所在が不明だという事だろうか。問題というか、気掛かりだな。
元気でいるといいのだが。
見回り。
これは日課だ。
村の発展を見るのは楽しい。そして知る。アイリーンが望んだ、美しい村を作ろうと。その為に努力しようと。村を見回る事はその
一環だと思うのだ。
幸い反乱者の村だという事はばれていない。過去は次第に風化しつつある。このまま忘れ去って欲しいものだ。
「兄貴」
「ああ。クレメンテ」
ネコが声をかけてくる。前掛けをしているカジートの男性の名はクレメンテ・ダール。鍛冶師だ。何故か私を《兄貴》と呼称し慕って
くれている。慕われる事に関しては悪い気はしない。慕われて悪い気がする人間はいるのだろうか?
鍛冶の腕は見事でこの村で使っている農具は彼の手製。
口やかましい姉がいる。
「さっき偵察に行った奴がいるんだけどよ」
「偵察?」
「あの家だよ、あの家」
「……誰だ、覗いた奴は」
「ユニオ」
「……あいつか」
指差す建物では現在交渉が行われている。この村の明日を左右する、大きな取引だ。
交渉はこの村でもっとも知識人であるアイスマンとカイリアスに任せた。
私?
私は村長の立場ではあるが、交渉は苦手だ。
ただの話し合いならまだ自信はあるが経済や契約が絡むとまるでお手上げ。私の領分ではないし管轄外だ。だから一任している。
今、村人がもっとも関心あるであろう一大イベント、でもある。
それにしてもユニオ、ね。
熱いんだか冷めてるんだかよく分からないボズマーの青年。
ヴァレンウッドから共に移住した人物ではあるものの、私同様に過去が不明。……まあ、私の場合は記憶喪失で過去を話しようがな
いんだが。ユニオは当時のまんま、詳細不明な人物だ。
唯一変化したのは旅人から村人へと変わった事だが、過去が謎なのは変わらない。
さて。
「それで、ユニオがなんだって?」
「交渉が終わりそうなんだってさ」
「ほう」
「調印には立ち会った方がいいんじゃないか、兄貴」
「一応は村長だしな」
「一応はね」
「……そこは否定するところだろうが肯定してどうする」
「ははは」
まったく。
「ところで兄貴、俺の従兄弟が魔術師ギルドに加盟出来たんだ。すげーだろ」
「ほう。そいつはすごいな」
「あいつはダール家の誇りだぜ。……ああ、ムラージ・ダールっていうだけどな」
「おめでとうを言わせてもらうよ」
「へへへ」
よほど誇りに思えることらしい。クレメンテは嬉しそうに笑った。
ムラージ・ダールか。
知らない名だ。
つまり元々村の出身ではないという事だ。一応村長だから村民と名と顔は分かっている。基本的に一緒にヴァレンウッドから移住し
てきた面々ではあるものの、適度にシロディールに移り住んだ際に村の一員に加わった者もいる。
当然反乱の過去は封印してあるのは言うまでもない。
「クレメンテ喋ってないで仕事しなっ!」
マデリーン・ダールの声が響く。
クレメンテの姉であり姉御肌の女性。私とクレメンテは顔を見合わせて、苦笑。彼女の姉御ぶりには閉口するものがある。同じ姉御肌
でも九大神信仰を篤く説く冒険者エルズは比較的マイルドな性格だ。
……。
ああ。今は冒険者じゃないか。
この村に建てた聖堂……と言っても比較的見映えの良い建物でしかないのだが……まあ、そこを聖堂に見立てて神の道を解いている。
通称《信心深いエルズ》。村での役目は神の道を説く事。
つまりは司祭。
「姉貴が呼んでるから、仕事に戻るぜ兄貴」
「ああ」
「……そうだ」
「……?」
「エルズが兄貴の事を好きみたいなんだが……」
「また冗談なんだろ?」
「いや。ユニオがエルズは兄貴にゾッコンだって言ってたぜ?」
「……」
最近あのボズマー、謎の人物から噂好きの覗き魔に変貌しつつあるな。まあ別にいいが。……いや、よくないか。覗きは犯罪だ。
今度一言言わなきゃな。
「エルズを口説いたらどうだい?」
「俺にはアイリーンがいるさ」
「……」
「俺にとってはそれが全てだ。……死んでしまった今でもな」
「……じゃ、じゃあ、仕事に戻るぜ」
「気にするな」
手を振って別れる。
さて。
交渉の方にも赴いてみるかな。
「ではこれで。良い契約でした」
「こちらこそ」
部屋に入ると交渉は終了していた。
銀縁眼鏡をかけた男性、秘書の女性、護衛の私設兵士3名。それが我々の交渉相手だ。交渉を担当していたのはアイスマン
とカイリアス。所属こそ違うものの2人ともインテリ。交渉には長けている。
ペコリ。
私は会釈。
「村長殿、有利な条件、ありがとうございます」
「いえ」
銀縁は私に礼を言い、お供を連れて去っていった。私が見ていなければ小躍りして帰りそうな喜びようだな。
どんな条件で妥結したのだろうか?
交渉人達の顔を見るとアイスマンは相変わらず涼しい顔をしているものの、カイリアスは仏頂面だ。どうやら意見が対立していたよ
うだがアイスマンが無理に通した、という感じだろうか。
2人の能力は拮抗している。
総合的に見て甲乙付け難いのは確かだ。
ただ、話術に関してはアイスマンの方がダントツに上なのは確かだろう。
何故ならカイリアスは魔術と知識を深める魔術師ギルドの最高峰で本部とも言える《アルケイン大学》所属。それに対してアイスマン
は知識のみを探求し続けるサマーセット島にある学術機関《至門院》の出身。
交渉などに関してはアイスマンが群を抜いているのは確かめるまでもない。
さて。
どんな交渉案で妥結したのかな?
「どんな具合だ?」
「聞いてくれよ大将。こいつ向こうの言い値で売りやがったっ!」
「権利を売ったのか?」
「ああ」
不機嫌そうに頷く。
今回の交渉は鉱山の売買。
グレイランドを創設して最初の夏に我々は手付かずの鉱脈を発見した。たまたま入った洞穴が金鉱脈に繋がっていたのだ。
そこを我々は《見捨てられし鉱山》と名付けた。
何故見捨てられしなのか。
答えは簡単だ。
我々は鉱夫ではない。金があるからと言って掘る能力がなかった。それに鉱山の類は見つけたら自分のモノに出来るが、領主に報告
する義務がある。そしてその際に莫大な申請金が必要になる。
村にそんな資金はなかった。
隠し鉱山的に扱う?
それをやってばれた場合村は潰される。
だから手付かずで捨て置いていた。
それをどこから嗅ぎ付けたのかさっきの連中がやって来たわけだ。
連中は鉱山ギルド。
各地にある鉱山は基本的に連中に権利がある。買い漁っているのだ。法的に問題はない。合法だ。各地の鉱山を掌握し、莫大な
利益を得ている組織。
……。
まあ、建前的には、だが。
実際には鉱山を買い取り、整備し、さあ運用開始だー……というところで大抵は山賊やゴブリンなどのモンスターの類に占拠される。
だからあまり儲かってないらしい。
そこで最近は都市近辺の鉱山に狙いを定めているわけだ。都市近くなら領主付きの衛兵も出張る。領主にしても領地にある鉱山は
大切な税収になるわけだから、鉱山ギルドの要請を快く引き受ける。
連中が鉱山を買い取りに来たのはそういう意味合いだ。
もちろん我々は鉱山の主導権をレヤウィンに申請していない。にも拘らずわざわざ我々の顔を立ててくれたのは、後々に問題を起
こしたくないのと、鉱山整備の為の労働力の確保の為だろう。
最初の交渉で良好なイメージの場合、地元民は鉱山ギルドに対して好意的なのは確かだ。
さて。
「どんな交渉で妥結したんだ、アイスマン」
「カイリアスさんが言った通りですよ。向こうの言い値で……ああ、いや、正確にはこちらで値切りました」
「はっ?」
「ふふふ。マラカティさんは村長としては申し分ないですけどビジネスマンではないですね。経済観念は皆無です」
「悪かったな」
経済観念がないのは確かだ。
だが、言い方ってモノがあるだろ?
私の態度が楽しかったのかアイスマンは声を立てて笑った。別に男色ではないものの、アイスマンの微笑は美しいモノがある。
種族は何だろう?
インペリアルに見えるものの、どこか違うように見える。
……。
まあ、種族なんかそんなものか。見た感じでは判別できない。
正直色黒のインペリアルはレッドガードに見える。反対に色白のレッドガードはインペリアルに見える。外観では本質は分からない。
種族でさえもな。
「それで? どうして言い値なんだ?」
不服はない。
不満はない。
鉱山ギルドとの交渉全般は二人に任せてある。カイリアスは独自の解釈を押し通したアイスマンに対して仏頂面を見せているものの、
私は別に交渉そのものには興味がない。
ビジネスマンではないしな。
ただ、気にはなる。
聞かせてもらおうじゃないか、その解釈を。
「何故言い値なんだ?」
「鉱山だからです」
「……?」
「我々は鉱山に対して何の知識もない。発掘も採掘も素人です。金の埋蔵量も知らない。例え莫大な量が埋蔵されているにしても、
鉱山として機能させるには莫大な費用を投じる必要があります。整備にも資金は掛かりますし領主の裁可の為の献金も必要です」
「それは分かる」
「では進めましょう。村長、今この村の状況は?」
「それを言われると痛いな」
「貴方の所為ではないですよ。この近辺は田畑にはあまり適さないのですからね」
グレイランドは自給自足出来ている。
食べるのには事欠かない。
税を納める事だって出来ている。だがこの辺りの土地は、それ以上の益は生まない。田畑には適していない。村を発展させるには
現状維持だけでは駄目だ。少しずつ利益を生む必要性がある。
それがこの村にはない。
±0。それがこのグレイランドの現状だ。
もちろんそれはそれでいい。
だが田畑は自然に影響される。今は自給自足が出来、税を納めれてもいつ飢饉が来るか分からない。そういう意味合いでの余裕が
必要なのは確かだ。鉱山ギルドの出現は村の発展にまさに絶好だ。
なのに何故言い値なのか?
まだ分からない。
「それで? どういう公算で言い値に?」
「不服?」
「いいや。疑問だ」
「なるほど。では話が早いですね。要は我々の分野ではない、わけです。下手な交渉など無意味。売れる内に売却するに越した事は
ないのです。村の発展にはお金が必要です。こちらでさらに値切って上げましたから、向こうは明日にでも支払いに応じますよ」
「……なるほど」
向こうは気を良くしたに違いあるまい。
それに将来発掘作業が始まった場合、グレイランドの村民を労働者として優先的に雇ってくれるだろう。割の良いアルバイトだ。
鉱山は我々の管轄外。
だから拘る必要がない、わけか。
なるほどな。
「さすがはアイスマンだ」
「ありがとうございます」
握手。
思慮深く、それでいて大胆な行動。その結果として村は潤う。下手に交渉を長引かせれば妙な展開になっていた場合もある。
そもそも向こうもこちらを立ててわざわざ交渉しているに過ぎない。
発見者は我々、しかし所有権は誰にもまだない。
向こうが交渉を望んだのは将来うるさく言ってこない為の配慮。そこに我々は感謝し、かつ利用する必要がある。
アイスマンの考えは深い。
「ちっ」
面白くなさそうのはカイリアス。
頭は良いものの、やはりアイスマンとは分野が違う。交渉は不得意らしい。もちろんそこは責めない。責める筋合いでもない。
人にはそれぞれ役目がある。
カイリアスにはカイリアスの役目がある。ただそれだけだ。
「拗ねるなよカイリアス」
「これでも餓鬼じゃねーんだ。拗ねちゃいないよ、大将」
「拗ねてるじゃないか」
ははは。
アイスマンと共に笑うと、カイリアスはさらに仏頂面に。
「ちっ。……いいかアイスマン。これで《選ばれしマラカティ》の軍師になれただなんて思う……」
「その名は言うな、カイリアス」
低い声で警告。
事の重大さに気付いたのか、口を滑らした事を恥じるように押し黙る。
選ばれしマラカティ。
三年前にヴァレンウッドで反乱を起こした農民達を総称した名称だ。つまり、我々だ。あのまま姿を消したお陰で何の災いもなく今を生
きている。このまま闇に葬り去る必要がある、名前だ。
……。
ふん。
誰が付けたのかは知らないが、わざわざマラカティを入れる意味はなんだろうな。マラカティは私の名だ。しかしアイレイド語で《運命》と
いう意味でもある。指揮した人物の名を知っての事か、洒落たつもりか。
いずれにしても厄介。
「まあ、カイリアス。そう落ち込むな」
「落ち込んじゃいねーよ」
「ははは」
その名は封じなければならない。
何故?
何故なら、平穏が逃げるからだ。
……安息は護りたい。
その為に我々は懸命に生きている。そしてそれがある女性の意思だからだ。
「アイリーン。見守っててくれ」
安息に生きよう。
それが彼女に対する手向け。
それが……。
グレイランド周辺。
レヤウィン方向に向かって歩く者達がいる。黒衣を纏った三人組。
「レヴァンタンめ。まさかシロディールに舞い戻っていたとはな。……お陰で三年、無駄に過ごす事になった」
「どうしますか?」
「どうしますか? 馬鹿か貴様は。殺すに決まってる」
三者の論議。
それは一貫しているものがある。殺意に彩られた会話。
「殺すにしても今の奴には隙がない。あの村の中で殺すのは不可能でしょう? あそこに村が出来てからレヤウィンの税収も跳ね
上がった。鉱山ギルドとも懇意。それにレヤウィン領主のマリアス・カロ伯爵も我々の介入を喜ばないと思いますが……」
「だったら仕向けりゃいいのさ」
「同意する。ジョフリー殿だってモロウウィンドの英雄を殺して出世したんだ。罪なんてでっち上げればいい」
にやりと笑う。
殺意と悪意が込められた笑み。そしてそこには自己的な欲望を秘めている。釣り込まれて他の者達も笑った。
欺瞞と偽善は自分達の組織のお家芸。
でっち上げるのは簡単だ。
「難しく考える必要なんかない。要は連中が反乱するように仕向ければいい。……だろう?」
そして。
そして、安息は破られる。