天使で悪魔





始まりの為に 〜貴族側の場合〜





  どうか忘れないでください。
  どうか忘れないでください。
  どうか忘れないでください。

  貴方のした事。これからする事。
  全てに責任が付き纏います。
  絶対的な王者?
  絶対的な君主?
  どんなに決定的で絶対的な力を持っていたからといっても驕ってはなりません。
  いい気になって驕ったが為に断頭台に送られた者も多いのです。


  どうか忘れないでください。
  どうか忘れないでください。
  どうか忘れないでください。

  全ての行動には責任が付き纏うという事を。
  貴方は善政?
  貴方は悪政?
  それによって処方箋が変わります。

  さて、貴方はどちら?






  「くふふ」
  ゴクゴク。
  帝国中心部シロディール地方にある大都市スキングラードから直々に取り寄せたスリリー産ワインを喉に流す男性。
  味など知らない男。
  ただ、高いから。
  ただそれだけの理由で惜しげもなく大金をつぎ込み、浪費する男。
  テーブルには各地の名品珍品が所狭しと並べてある。
  全て彼のモノ。
  全部食べるわけではない。
  一口だけ口をつけて、捨てる物も多い。
  どれだけの浪費であるどれだけの散財かは言うまでもない。この男性の一食分は途方もなく高い。
  男の名はピエット。
  この辺りを仕切る領主。
  帝国から派遣されて来た貴族であり、爵位は子爵。貴族=贅沢三昧に生きるのが仕事、ではない。もちろん酒色に耽る以外の事は
  ピエット卿は何もしていないものの派遣されてくる貴族は地方の監視役の意味も兼ねている。
  つまり一軍の司令官。
  帝国は版図を侵略戦争により急速に拡大した為にまだ完全に人心を掌握し切れていない。
  そういう意味合いで各地に貴族と軍を派遣している。
  それとは別に名立たる将軍達はそれぞれの軍団を率いて各地の現地主義を粉砕している。
  世情は安定していると言うのはあくまで帝国人だけであり、現地民は今だ戦争状態が続いていると言っても過言ではない。
  「バクター。バクターっ!」
  「お呼びですか、閣下」
  ピエット卿は1人の人物を呼ぶ。
  呼ばれて現れたのはレッドガードの男性。中年にさしかかろうとしている歳ではあるものの、脂肪の下にはまだ現役でも通る筋肉が隠
  されている。精悍な顔立ちの男性であり、名をバクター。
  帝都から共に派遣されて来た人物で階級は衛兵隊長。この砦の軍の指揮を任されている。
  そんなバクターの武人の体格に対してピエット卿はまだ20代後半ながら全身はたるみきり、贅肉が垂れ下がっている。
  最近の暴飲暴食で100キロを越えた肥満体だ。
  「バクターっ!」
  「目の前に控えております、閣下」
  「女を連れて来い」
  「女、ですか」
  「そうだっ!」
  「お食事の最中ではありませんか」
  「飯は終わったっ!」
  「閣下。貴方の権限に口出す気はありませぬ。帝国に納めるべき税収とは別に己の私腹を肥やす為に村人から搾取しているのは
  自分の権限とは異なるもの。自分は己の立場を理解しています。……ですがこれだけは申し上げます。自粛すべきです」
  「何ぃっ!」
  パリィィィィィンっ!
  怒りのあまりグラスを床に叩きつける。
  しかしバクターは動じない。
  「領民とて人。追い詰められれば噛み付いてきます」
  「馬鹿な。あんな搾り取られるだけの労働力が私に歯向かえるものかっ!」
  「閣下。貴方はそれ以上の事をしたでしょう」
  「あの女の事か?」
  「はい」
  「アイリーンとか言ったか。私が仕込んでやったんだ。なのに何故私を殺そうとした? 私の女になれば贅沢な暮らしが出来たのに
  馬鹿な女だ。まあ、最後は私に返り討ちに合い喉から血を流して苦しみながら死んだぁーっ!」
  「……」
  バクターは顔をしかめる。
  職業軍人であり、数々の戦場でも武功を立てた彼にしてみれば青二才で下劣な貴族は好きではない。
  それに志願してのヴァレンウッド行きではない。
  ピエット卿からの指令だ。
  ピエット卿の祖父は軍人であり将軍。その息子(ピエットの父に当たる)は軍人を嫌い、事業に乗り出し貿易商として成功して
  巨万の富を得た。
  つまりピエット卿は祖父の名声と父親の財産で貴族になったに過ぎない。
  たまたまバクターは祖父である将軍の部下だった事から今回、ピエット卿の声が掛かったのだが貧乏くじだとバクターは思っている。
  これは軍人の仕事ではないと思っている。
  少なくとも領民の搾取の片棒担ぎは彼の自負心が許さなかった。
  それでも。
  それでも、命令は命令。
  だがやり切れない感は拭えない。
  「バクターっ! あの女の、首を掻っ切られた時の苦悶の顔覚えてるかぁっ!」
  「……」
  「あの顔、私は思わずいきそうになったぜぇーっ!」
  「……」
  やり切れない。
  ピエットは祖父の名声と父親の財産(既に両方とも他界)で成り上がり貴族の仲間入りをしたものの、元老院に献金して新興貴族に
  なった者は元々の古参貴族達には受けが悪く、帝都に居場所がない。
  だから地方に飛ばされる。
  つまり地方で実力を試され、優れているのが証明されれば帝都に返り咲ける。大抵の振興貴族は民を慰撫し、村を富ませるのを第一
  とするもののピエット卿は地方の独裁者、それもたかだか村1つの支配者である事に満足し切っている。
  だから搾取する。
  「……所詮は無能か」
  小声で馬鹿みたく笑うピエット卿を非難する。
  こんな事ならピエット同様にヴァレンウッドの領主として飛ばされて来た新興貴族であるベルウィック卿(爵位は子爵)の部下にな
  れればどんなに嬉しかっただろうとバクター思った。
  新興貴族である彼は善政を施し、統治している村は交易の重要拠点にまでなっている。
  いずれ帝都に召し返され、高い地位に付くことだろう。
  「閣下。これで失礼します」
  一礼し、踵を返し退室した。
  こんな暗愚な男に従っていても先はない。それがバクターの見識だった。
  とはいえ職務を放棄するわけにも行かない。
  苦悶の日々が続く。



  「隊長っ!」
  「どうした」
  ピエットの私室を出ると、兵士の1人が敬礼した。何か意見があるらしい。
  衛兵の考えも二つに分かれている。
  ピエットの暴虐に嬉々として従う兵士と、苦々しく思う兵士。しかし残念ながらピエットの威を借る者達の方が段然に多かった。
  今、目の前で敬礼しているのはバクターに私淑している若い兵士だ。
  少し血相を変えている。
  「どうした」
  「申し上げます」
  「うむ」
  「実は村で少し異変があります」
  「……何?」
  アイリーン死亡から3日。
  殺されただけでも村人達の憤りはあるのに、それが散々弄ばれた挙句に殺されたと知ったとすれば反乱が起きても不思議ではない。
  領民とて人。
  支配者にそこまで盲従する必要はどこにもない。
  むしろ自然な流れだと思った。
  「何が起きた?」
  「川を遡っています」
  「川?」
  「はい」
  この砦の中には、川が流れている。ピエット卿の判断で川を通した作りになっている。
  錬金術で作り出した薬を投棄する為だという。
  これにバクターは反対した。
  何故なら水攻めをされたら一発で大打撃を蒙るからだ。反乱がないにしても川が豪雨で氾濫した場合、石の壁は粉砕され砦にも被害
  が出るだろう。石の壁も概観が悪いという理由で低く、薄い。砦は香りがいいという理由で木製。
  砦ではなく屋敷。
  攻められたら落ちるだろう。
  それでも。
  それでも、ここに詰めているのは完全武装の帝国軍50名。
  農具を手にした農民200名を簡単に蹴散らせれる。
  「川で何をしている?」
  「それとなく同僚に探らせましたが魚を獲っているようです」
  「魚」
  「はい」
  「……」
  遡れば、川は2つに分かれている。
  山から流れているのと平原の方から流れているのが途中で繋がる。今、砦に流れている川は途中で1つに合流した川だ。
  バクターは少し気になった。
  「魚の獲り方は?」
  「はっ?」
  「魚の獲り方だ」
  「は、はぁ。……山から流れる方の川を塞き止め、魚を獲っているようです」
  「……1つの川だけか?」
  「はい」
  「……ふむ」
  気にはなるが、問題はないだろうとバクターは判断した。
  1つの川を塞き止めた程度なら例え水攻めをしたとしても被害はさほどではない。
  それに追い詰められた農民達が魚を糧にするのはありえる話であり、自然だ。それでもやはり何か気になる。
  「おい。君の名は?」
  「レルズであります」
  「ではレルズ。引き続き調査を続けろ」
  「かしこまりました」
  敬礼し、今与えられた任務に向かう。
  「……」
  考えすぎだろうか?
  しかし農民は追い詰められている。それだけではなく怒りにも駆られているだろう。
  だが水攻めだとしたらお粗末過ぎる。
  窓の方に行く。
  そこから空を見上げると、黒い雲がこちらに向かってきていた。
  明日には雨が降るだろう。水嵩が増せば、1本の川の威力も増すだろうか?
  「まさかな」
  いくら追い詰められているとはいえ、正気で砦を落とせるとは農民達も思うまい。
  バクターもまた農民育ちではない。どんなに好意を持っていても育ちが違う。
  だから知らない。
  農民達の暮らしは既に頑張ればどうにかなる程度ではない事に。
  そしてその怒りも理解し切れていなかった。
  「一応は報告しておくか」



  「女はどうした女はっ!」
  「……」
  深々と一礼しながら苦虫を潰した顔になるバクター。もちろん礼節は心得ている。顔を上げた時には無表情に戻っている。
  浪費癖と共に女癖の悪さもバクターには我慢できない事だった。
  ここは貴族の屋敷ではない。
  あくまで砦だ。
  女性を連れ込み、快楽に耽る事は兵の士気に関わる。
  だから普通は禁制なのだ。
  「閣下。ご報告があります」
  「報告?」
  「はい」
  「金になる事か? それとも女の話か?」
  「農民の話です」
  「下らぬ。下がれ下がれぇーっ!」
  手近にあった物を投げつける。
  それでも表情を変えずにバクターは報告を続ける。
  「村人が川を遡っています。今夜にでも豪雨が降りましょう。……水攻めをする気かもしれませぬ」
  「村人がか?」
  「はい」
  「馬鹿な。平伏し搾取されるしか……おいっ! さっきも同じような台詞を言ったぞっ! 二度手間だ馬鹿者っ!」
  「閣下の地位は危ういものなのですぞ」
  「危ういだと?」
  「はい。この地には貴方様の祖父である将軍閣下の名声、父親である貿易商の財力の権勢は届きませぬ。敵地とは言いませんが
  貴方の統べる領域は不透明な場所。帝国の権威が行き届かぬ地。貴方は既に反乱のきっかけを作られた。危険を感じるべきです」
  「もうよいもうよいっ! 下がれっ!」
  「ですが……」
  「私は気を悪くしたっ! 下がれっ!」
  「……はっ」
  一礼。
  無駄だとは分かっていたが、義務は義務。報告の義務は終わった。
  これ以上の弁論は無用。
  「……所詮は下劣な貴族か」
  こんな男の為に命を賭けるなど馬鹿馬鹿しいと思った。
 


  それから数時間後。
  日は落ち、闇に包まれる。外は既に豪雨。衛兵レルズも帰還した。報告を聞く限りでは特に怪しい点はなかった。
  だが何か気になる。
  心の中がざわついているのをバクターは認めていた。
  私室で報告書を作成していても落ち着かない。
  「誰かっ! 誰かおらぬかっ!」
  「はっ!」
  呼ばれて当直の衛兵が現れる。
  「外の状態は?」
  「豪雨です。明日の朝には止むでしょうが……」
  「兵を招集させよ」
  「……はっ?」
  「兵を招集させよ」
  「いえ、その、あの、またどうして……?」
  「命令だっ!」
  「はっ!」
  ドタドタドタ。
  衛兵は部屋から飛び出した。窓の外を見てみる。確かに豪雨だ。
  もしも自分ならこのタイミングで狙う。
  たかだか農民に戦略の知恵があるはずがない。そう思い込んでいる。しかし反乱する気ならこのタイミングで襲ってくるだろう。
  もしも反乱を企んでいるのであればだ。
  違うならそれでもいい。
  しかし反乱の下地は揃っている。
  村の農作物は全滅に追い込まれ、村の女性は玩具にされた挙句に殺され、高い税と私腹を肥やす為に村人の財産を搾取している
  暗愚な貴族がこの地に君臨している。反乱が起きても何も不思議ではない。
  ただの杞憂か。
  それとも……。
  「いずれにしても今夜が勝負だな。それによって真偽が分かるだろう」


  その夜、全兵を待機させ、警戒した。
  しかし何も起きなかった。
  雨も止み、夜が明けて朝が来た。
  そして一日が始まる。
  ……始まる……。






  「ふわぁぁぁぁぁぁ」
  砦内を巡回し欠伸をする。
  誰が?
  全兵士だ。
  ピエット卿以外は全員徹夜で警戒態勢。何の為の徹夜かを知らない兵士達もいたし、知っている者もたかが農民と高をくくっていた。
  完全武装の兵士に敵うものか。
  そう思っていた。
  だからバクターの緊急招集に面白く感じていない者も多い。
  巡回を終え、毎朝の日課であるピエット卿のご機嫌伺いの為に貴族の私室に向かう。
  「はぁ」
  溜息。
  毎朝恒例の、気鬱な任務だ。
  コンコン。
  「おはようございますピエット卿。バクターでございます」
  「下がれ」
  「……はっ?」
  「下がれ。私は女を抱くのに忙しい。……ぶほほほほ。さあて、朝一番の愛の時間だぁ♪」
  「……」
  表向きは女はこの砦にはいない。
  ただ、どこでかはバクター自身も知らないもののいつの間にかピエット卿は女を連れ込んでいた。
  浅ましい人物だと思った。
  もちろんそれに意見出来る立場ではない。
  どこか別の貴族から引き抜かれないかいつも期待しているものの、まだ声が掛からない。自分から売り込むべきか?
  ベルウィック卿なら仕えるのに値するのだが。
  律儀に扉の前で一礼し、バクターは貴族の部屋を離れた。
  「考えすぎか」
  結局、何も起きなかった。
  「また川の方に斥候に行かせるか」
  だが時期としては既に遅い。
  豪雨の時に水攻めをするのが最適だった。既に雨雲は去り、今日は晴れている。快晴だ。
  杞憂。
  「飯でも食うか」
  カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカっ!
  「な、何だっ!」
  異質な音が響いた。
  タタタタタタタっ。
  衛兵が走ってくる。レルズだ。
  「何だ今の音はっ!」
  「ほ、報告しますっ! 農民達が攻めて来ましたっ!」
  「何っ!」
  「い、今の音は屋根や壁に矢が突き刺さった音ですっ! 無数に、無数にですっ!」
  「配備に就かせろっ! 迎撃の兵士は自分が直々に抜擢するっ!」
  「無理ですっ!」
  若い兵士は完全にテンパっていた。
  パァァァァン。
  軽く頬を叩く。
  「落ち着けっ!」
  「は、はい」
  「何故無理なのだ?」
  「消火作業に手一杯ですっ! 火矢を、火矢を射かけられていますっ!」



  外に出た。
  外、といっても石の壁に囲まれた砦の敷地内だ。兵士達は川から水を汲み、火を消している。
  絶え間なく火矢は砦に突き刺さる。
  「うひゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ何とかしろーっ!」
  砦の中からピエットの声が響く。
  「……無能が」
  バクターはその声を聞いて吐き捨てた。
  せいぜい怖がるがいいと思った。いい薬だ。
  ……もっとも農民はこれでお終いだとも思い、同情した。反乱を認めるつもりはないがこれは正当な行為だろう。
  しかし反乱は反乱。
  叩き潰すまで。
  それに農民は戦略を知らない。
  「無駄な事を」
  先日は雨。
  砦の材料には木材が使用されているものの、先日の豪雨で湿っている。火の点きは悪い。
  さらにいうなら砦の敷地内には川が流れている。
  水には困らない。
  「無駄な事を」
  もう一度繰り返した。
  今は消火で手一杯でも、すぐに形勢は逆転する。
  不利なのは奇襲された事と兵士達が徹夜明けだという事だけだが、挽回は可能だ。
  「落ち着いて全員で消火に当たれっ! 叩きのめすのはその後だっ!」
  間断なく火矢は降り注ぐ。
  今のところ負傷者はいない。というのも建物メインで放たれているので、兵士達への攻撃ではない。
  所詮は素人だな、バクターは思った。
  狙う場所が建物だけなら対処もしやすい。また、先日の豪雨で建物は湿っている為に火の付きが悪い。的確に消火していけば問題は
  ないのだ。建物に水を掛けるのは造作もない。
  水は川にいくらでもある。
  いくらでもあるのだ。
  その後で打って出ればいい。
  数の面で農民は四倍を誇っているものの完全武装の帝国兵とまともにぶつかれば簡単に蹴散らされるだろう。
  農民に敗れるようでは帝国兵とは言えない。
  農民に恨みはないものの、彼らの反旗は正当ではあるものの特別扱いをするつもりはない。
  兵を指揮する人物としてやるべき事をするだけだ。
  討つ。
  それ以上でも以下でもない。
  「火を消せっ!」
  改めて声を励ます。
  帝国兵は徹夜明けでは士気は下がっているものの的確に水で火を消していく。
  その時……。
  「何の音だ?」
  ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴっ!
  近付いてくる音。
  バクターは不審そうに周囲を見渡し、兵士達も止まる。
  近付いてくる。
  近付いてくる。
  近付いて……。
  「川から離れろっ!」
  その警告は遅かった。遅すぎた。
  濁流が石の壁を突き破り、水を汲む為に川辺にいた帝国兵達はそのまま飲み込まれ、流されていく。
  直撃を避けた者達も咄嗟に判断できなかった。
  「う、迂闊っ!」
  バクターは呻く。
  水攻めだけだと思ってた。
  火攻めだけだと思ってた。
  まさか組み合わせて用いるなどとは夢にも思っていなかった。火を消させる為に、川辺に集結させる為だけに火攻めを行ったのだ。
  帝国兵達はまんまとその計略に引っ掛かり、水を汲む為に罠へと足を踏み込んだ。
  「くそぅっ!」
  今の濁流で流されたのは10名ほどでしかなかったものの士気は完全に喪失していた。
  ドゴォォォォォォォォンっ!
  爆音と共に門が吹き飛ばされる。
  兵士達は各々の判断で武器を構え、門を遠巻きに警戒する。
  煙が晴れ、現れたのは4人。
  インペリアル、ダンマー、カジート、ノルド。
  インペリアルが口を開く。
  「私の最愛の女性を奪った代価を払って貰いに来た」
  「農民風情がぁーっ!」
  兵士の一人が叫ぶ。それを合図に生き残っていた兵士達が剣を手に一斉に突き進む。
  「ま、待てっ!」
  たった四人の反乱?
  ありえない。
  バクターの警告はまた届かなかった。次の瞬間、石の壁から半身を乗り出した農民達が現れる。
  ピエット卿の、見晴らしが悪いという理由で壁は低い。
  大人なら簡単に乗り越えられる高さでしかないのが裏目に出た。
  身を乗り出した農民達は弓矢で武装していた。
  ボズマーの老人が指揮しているらしい。その老人が叫ぶ。老人自身も弓矢を携えていた。
  「射よっ!」
  次の瞬間、兵士達は全員その場に倒れた。
  帝国軍の鎧は特別製。
  矢の一本や二本には耐えられる作りではあるものの、無数の矢に突き立てられれば絶命するしかない。死なないにしても兵士達
  は全員が一気に戦闘不能に追い込まれた。
  血の臭いが鼻孔をくすぐる。
  たかが農民。
  今までそう侮ってきた。帝国兵50名いれば農民200名など簡単に鎮圧できると今まで思ってた。
  それが逆転した。
  帝国兵は刃振るう事無く壊滅し、農民は1人も欠ける事無く健在。
  残るは自分だけ。バクターだけ。
  「……次は自分か?」
  「降伏すれば危害は加えない」
  インペリアルが口を開く。
  こいつが反乱の頭目かと考えるものの……見た感じ、農民らしくない。
  「お前は何者だ?」
  「マラカティ」
  「そうか。マラカティ。……自分はバクター。衛兵隊長を務めている。先程最愛の女性と言ったな?」
  「ああ」
  「それで反乱か?」
  「それもある。……しかし生きる為の戦いだ。生きる為には、戦うしかない。そのように追い込んだのそちらだ」
  「確かに」
  バクターは認めた。
  ピエットがまともならこんな反乱は起きなかった。
  あの貴族に義理立てする気はない。
  しかし任務は任務だ。
  「お相手願おうか」
  「……正気か?」
  すらり。
  バクターは剣を引き抜く。その時、バクターはマラカティの剣がアカヴィリ刀だという事に気付いた。
  「良い剣のようだな。どこで手に入れた? ……盗品?」
  「知らない。私には記憶がないのだ」
  「ふぅん」
  「退いてくれ。あんたは敵じゃない」
  「役目は役目だ。自分はそれを果たすのみ。……それに部下全員を殺されて黙っているわけにも行かない。それに剣には自信がある」
  「……やるしかないか」
  すらり。
  マラカティはアカヴィリ刀を引き抜く。
  じりじりと間合いを詰めるバクターではあるものの、いつもとは違ってどこかプレッシャーを感じていた。
  マラカティがまるで動かないのだ。
  常に自分の真向かいの位置を崩さないだけで、それ以外には動かない。
  明鏡止水。
  マラカティの気に押されそうになるのを堪え、叫びながら切りかかる。
  「やああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  そして……。
  ドサ。
  「そ、そうか」
  自らの血溜まりに溺れながらバクターは悟った。
  この太刀筋、独特な剣術。見た事がある。
  帝都で一度だけ見た事がある。
  「そ、そうか。お前は……ブレイズ……だったのか……」
  その声はマラカティ達には届かない。
  その声は……。





  ピエット卿の砦は陥落。
  マラカティの温情……いや、思慮により本来もっとも殺したい相手であるピエット卿は放逐された。
  この後マラカティ達は蓄えられていた財宝と食糧を持ってシロディールに流れる。
  帝国の中枢の地に。
  そして後に《選ばれしマラカティ》と呼ばれる反乱組織は表舞台から消えた。






  「ぜえぜえぜえっ!」
  普段運動などせず、ひたすらに美食と美酒に酔いしれているだけのピエット卿にとって、外の世界は過酷以外の何ものでもなかった。
  それでも殺されていない。
  マラカティの温情のお陰ではあるものの、ピエット卿は賢明ではなかった。
  自分の失政が原因だとは思っていない。
  自分の圧政が原因だとは思っていない。
  あくまで村人の暴挙だと信じて疑わなかった。
  自分には非がないと信じている。
  「ぜえぜえぜえっ!」
  逃げて。
  逃げて。
  逃げて。
  マラカティが村人に厳命したからこそ殺されずにここまで落ち延びてきてはいるものの、敗残の貴族にしてみれば周囲は全て敵でし
  かなかった。見つかれば殺される。その程度の思慮は彼にもある。
  運動不足の体に鞭打って走り続けた。
  走り続ける事数十分。
  村に辿り着いた。
  それはマラカティ達が棄てた、もはや生きる事叶わぬ村。
  「おーいっ! 誰かおらんのかっ!」
  静寂。
  風の音だけだ。
  もちろん、誰かいたところでピエットを援助するわけではない。格好もパン一だし、物乞いと間違われるだけだ。
  万が一貴族だと証明できても、それはかえって危険でしかない。
  誰もいなくて良かったとピエット卿は自分の不用意を恥じた。
  既に村は放棄されている。
  砦を陥落させた後、すぐに逃亡出来るようにマラカティは村人に脱出の用意をさせてあった。
  誰もいない。
  何も残されていない。
  ただ、人が住んだ痕跡のある村だけが存在している。
  「これからどうするべきか?」
  自分に問う。
  当然、復讐する。
  新興貴族とはいえ、貴族は貴族。
  平民以下である農民が自分に喧嘩を売るなどあってはならない事なのだ。
  当然首謀者は縛り首。
  男どもは全員強制労働に駆り出して利益を上げるとしよう。
  女は……。
  「くくく。たまらんなぁ」
  村娘などと最初は軽視していたものの、アイリーンは美しく、申し分なかった。ピエットを満足させるだけの女だった。
  まだ掘り出し物もあるだろう。
  近くの領主の元に転がり込み、兵力を借り受けて反乱勢力を粉砕。その後は女達を自分のモノにしてしまおう。
  兵士の補充も、バクターの代わりも元老院に要請すればいい。
  それでいい。
  要はそれだけの結果でしかないのだ、農民どもの反乱は。
  「くくく」
  道端に座り込みニヤリと笑う。
  そう考えれば今回の敗残も悪くない。
  相手に希望を与えて、その後に粉砕、絶望を与えるのだ。
  女達の絶望に歪む顔、泣き叫ぶ顔。それが彼にはたまらなく魅力的なのだ。
  その時……。
  「……な、なんだ……?」
  顔をしかめる。
  突然臭気が辺りを覆う。臭い。ピエット卿は手で顔を覆った。
  臭いは強くなっていく。
  「うぐぅ」
  思わず胃から内容物が込み上げて来そうになるものの、何とか堪えた。いや、それよりも……。
  「……」
  胃の中身をぶちまけるという簡単な事ではなくなっていた。
  囲まれている。
  緑色に。
  「……」
  声を出さずとも、向こうは完全に自分を視認しているのは分かっていたがどうしても声が出せない。出せても悲鳴だけ。
  いずれにしても事態は変わらない。
  「……」
  緑色。
  正確な数は分からないものの、本隊なら軽く200を越えているだろう。
  ヴァレンウッドで最強最悪な集団が自分を取り囲んでいる。
  統治も人任せだったピエットでも、この悪名高き集団は知っていた。懸賞金は既に金貨10万枚を越えている。
  深緑旅団。
  今、彼を取り囲んでいるのは数え切れないほどのトロルだった。
  「……ひ、ひぃ……」
  自分がどうなるかは分かっていた。
  食われる。
  生きたまま食われる。
  それは砦で戦死するよりも残酷で悲惨な末路。
  「た、助けてくれぇっ!」
  トロル達は静止したまま動かない。
  従順な子犬のように身動き一つしない。もちろん、狼狽し錯乱しているピエットには分からない。
  気狂いしたように叫びまわる。
  「助けてっ! 助けてぇーっ! わ、私は子爵だ、元老院に顔が利くぞっ! こ、殺したらただでは済まんぞっ!」
  「……ほほほ。貴族殿ですか」
  しわがれた声。
  ……いや。
  まるで人のものとは思えないような異質な声がした。
  トロルの群れを掻き分けて緑色のローブを着込んだ面々が現れる。その中の1人だけが眼以外の全ても覆っている。
  誰かは分からない。
  誰かは分からないものの、ピエットはこの人物が深緑旅団を統べているのに気付いた。
  足元に跪く。
  「頼む殺さないでくれっ!」
  「殺しはせぬ」
  「ほ、本当かっ!」
  「……ただし実験には付き合ってもらう」
  「じ、実験?」
  「そう」
  手で合図をすると緑色のローブの面々の中でも背の高い五人組がピエットを抑え付け、自由を奪う。
  凄い力で押さえ付けられ、一瞬息が止まる。
  ピエットは知らないものの今押さえつけている五人組は人ではない。森の番人と称されるスプリガンというモンスターだ。
  深緑旅団の構成は、首領にロキサーヌ。その護衛に五名のスプリガン、トロルを分隊単位で仕切るボズマーの能力者達、そして200
  を越えるトロルという構成だ。
  ロキサーヌは死霊術師。
  ただしシロディールで活動する黒蟲教団とは何の関わりがなく、あくまで不老不死のみを追い求めている。
  トロルの軍勢も研究を円滑に進める為の手段でしかない。
  さて。
  「じ、実験とは?」
  「私は不老不死を求めている。……もっとも実験に失敗して今の私はアンデット化している。肉体を棄て、新たな肉体に寄生する必要
  があるのだがその実験を行いたい」
  「わ、私の体を乗っ取るつもりかっ!」
  「いやいやそんな脂ぎった肉体に興味などないよ」
  「で、では……」
  「精神を研究したいのだ」
  「せ、精神?」
  「そう。どの程度の苦痛で人は死ぬのか、または発狂するのか。回復魔法を施しながらの拷問を行った場合の被験者の精神は破綻
  するのかしないのか……まあ、相手の肉体を乗っ取る際に生じる、相手の精神の破壊に関係する実験だ。要は拷問だね」
  「い、嫌だっ! そんなの嫌だっ!」
  嬲り殺しだ。
  それも自ら自裁する術も与えられない。それは地獄であり悪夢だ。
  心臓が締め付けられるような感覚に襲われる。
  狂ったようにわあわあと騒ぐピエット卿に、冷たい視線を送る深緑旅団のボズマー達。民衆に害する存在ではあるものの、民衆と同じ
  立場でもある。反帝国。それが深緑旅団の思想だ。帝国の貴族に苦痛と最後を与えるのは深緑旅団の意思でもある。
  「残念ながら貴方に拒否権はない」
  「嫌だぁーっ! 金なら払う、払うからーっ! ご慈悲を、ご慈悲をーっ!」
  「散々遊びつくしたのだろう? 報いは受けなきゃね。……それが人の道だろ?」
  ロキサーヌは顔をさらした。
  それはアンデッド。
  腐りかけた肉体に魂が宿っている状態の、生ける屍。ピエットは戦慄した。
  実験に失敗してアンデッドになった。そうロキサーヌは言った。つまり、自らをも実験台にする人物なのだ。容赦などしないだろう。
  ロキサーヌは笑う。

  「是非とも私の研究に死ぬまでお付き合いくださいな。ピエット卿♪」
  「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」



  ……地獄の悪夢は口を開く……。