天使で悪魔





選ばれしマラカティ




  マラカティ。
  それは古代の単語。意味は運命。
  誰が選んだ?
  誰が選んだ?
  誰が選んだ?
  今、私達の目の前にある運命は誰が選んだ?
  この選ばれし運命は誰が?

  運命は神の領域。
  我々は神に人生を動かされている。
  生き方も、死に方も。
  そうなるように仕向けられているのだろうか?

  ……だとしたら神なんて……。






  「……」
  意味が分からなかった。
  意味が……。
  「……」
  私は椅子に座り、ただただアイリーンが残した日記を手にしている。遺体が所持していた革の手帳だ。
  もう生きていない。
  彼女はもうこの世の人ではない。
  今、アイスマンとカイリアスが死因を特定している。下の階で、特定している。
  遺体を運んできた帝国兵はアイリーンは反逆者だと断定した。
  突然領主であるピエット卿に斬り掛かったから返り討ちにしたのだと、そう断言した。
  「アイリーン」
  確かに。
  確かに動機はある。
  私達は追い詰められていた。
  全ての収穫を奪われ、死を宣告されたのも同義だった。
  村を離れる事も出来ず、この村での自活も出来ない。生き物が持つ最大の権利である、生きる事を領主の横暴で否定されていた。
  だから。
  だから動機は分かる。
  でもどうしてそんな軽率な事をしたのだろう?
  「……」
  ふと気付く。
  どうして領主はアイリーンに会ったのだろう?
  直訴なら追い返すはずだ。
  「……待ってもらう為に?」
  そうだ。
  以前アイリーンは言っていた。納める分を待ってもらうのだと。いつだってそうして来たのだと。
  だけどどうしてアイリーンは会ってもらえる?
  どうして?
  「日記か」
  人の日記を読む趣味はない。
  それが例え故人であったとしても読むべきではないだろう。
  私は結局アイリーンの事を何も理解してなかった。
  気の良い娘だとは思ってた。
  肌を合わせて愛し合った。しかしそれは行為であって、私は彼女の本心を知ってあげれなかった気がする。
  嫌いじゃない。
  愛してた。
  でも、だけど、私は……。
  「アイリーン」
  知り合う期間が短かったね。あの時、そう言い残した。それがこの結末だ。
  私は愚かだ。
  心を理解する努力を怠ったっ!
  肌さえ合わせれば愛している?
  ……私はなんて愚かなのだろう。彼女の本質を理解しようとはせずに、勝手に思い込んでしまった。
  それがこの結末っ!
  それが……っ!
  「それでも、私は君を愛していた。……私は君を……」
  私は軽率で愚かではあったけど、君を愛していた。
  日記を抱く手が振るえる。
  逃げるのはやめよう。
  逃げるのは……。
  「アイリーン」
  私は彼女の日記を開いた。
  彼女の声を、聞こう。
  ……心の声を。


  『旱魃が終わって三ヶ月。まだ作物は育たない』

  『帝都から来た新任の領主のピエット卿はあたし達に嫌がらせばかりする。貴族なんて大嫌い。帝国人なんて死んでしまえっ!』

  『税が一気に倍になった。父は抗議に行くものの、帰って来た時には足がなくなってた』
  『貴族だから偉い? そんな理屈、あたしは嫌い』

  『父の傷口が膿んできた。この村にお医者様はいない。どうやってお金を稼ごう?』
  『莫大な診察料がいるのは確かだ。それだけ父の状況は悪い』

  『結局、ピエット卿に頼みに行く事にする。……全部こいつの所為なのに、頭下げるのなんて嫌だけど唯一の肉親である父を
  助ける為だ。仕方ない。何とかお医者様に見せてもらうように頼もう』

  『……(濡れていて判別不能)……』


  『男なんて大嫌いっ!』

  『父が死んだ。結局、援助もしてもらえず、あたしは傷付いただけ。……もうどうでもいい』

  『作物が育たない。村長だった父が死に、あたしが引き継ぐ事になった』
  『この村はあたしの村』
  『生まれ育った村。村民は皆、あたしの家族だ。これからはみんなを護る為に生きていこうっ!』

  『村の寄り合いで農地改革の為に人を雇う事にした』
  『帝都のアルケイン大学、サマーセット島の至門院。どちらもインテリ集団だ。お金は掛かるけど、期待したい』
  『だってここはあたしの村だから。だから、期待したい』

  『深緑旅団が付近にいるらしい』
  『トロルを軍勢とするヴァレンウッド最強最悪の連中だ。だけど、トロルを仕切ってる面々は全員ボズマー。面白い事に各地に駐屯して
  いる帝都軍を襲っては壊滅させてる。深緑旅団は帝国軍嫌いでも有名だ』
  『その辺りはあたしの思考とも一致してる。インペリアルなんて皆殺してしまえっ!』
  『村を滅ぼされたくはないだろう、そう笑いながらあたしを組み敷くピエット卿も食われてしまえっ!』
  『……たまにこのまま死んでしまいたくなる』


  『深緑旅団対策にエルズを雇う。冒険者だ』
  『信心深いノルドの女性で村人からも評判はいいけど、あたしは別にどうでもいい。神様もその手先も信用してない』
  『エルズの人柄は好きだけど、信仰は嫌い』
  『だってあの時、神様はあたしを助けてくれなかった。……泣き叫び震えているあたしを見捨てた』

  『オーレン卿がこの村に流れてきた』
  『白馬将軍と称されたヴァレンウッドの名将だ。深緑旅団に恨みがあるらしい。この村を拠点にトロルを狩ってる』
  『祖父のような感じのする老人。結構好き』

  『アルケイン大学からカイリアス、至門院からアイスマン。それぞれやって来た』
  『カイリアスという人は露骨にあたしにモーションを掛けてくるものの、あたしは男なんて大嫌い。それでも愛想笑いはしてあげてる』

  『……男の人が怖い』


  『インテリなんて当てにしてなかったけど、二人は献身的に村の為に働いてくれてる。農地改革とは別の事でも色々と知識を披露し、
  活用し、助けてくれてる。良い人達だ。汚される前なら、きっと二人を好きになってたに違いない』

  『村の外で倒れている人がいた。男性だ。全身傷だらけ』
  『所持していたのは刃毀れの酷いアカヴィリ刀と、外れない深紅の指輪。指輪だけでも売れると思ったのに外れない』

  『妙なモノを拾ったと思う』
  『所持品目当てではあったものの、見捨てるのもどうかと思ったので拾った』
  『家に男がいる』
  『考えただけでもゾッとする。体が震える。今、ペンを持つ手ですら震えているのだ。男性への恐怖は治りそうもない』


  『まだ眠ったままだ。もう何日経つだろう?』
  『このまま死んでくれたら楽なのに』

  『男が目覚めた。震える体を、声を隠す為に明るく振舞う』
  『男は記憶がないのだと言った』
  『これは使えるかもしれない。恩を着せて用心棒にしよう。そしてピエットの豚を殺すように仕向けよう』
  『流れ者の犯行ならあたし達の非にはならない』


  『とりあえず色々と雑用で使ってる』
  『アイスマンが名無しの男にマラカティという名を付けた。運命という意味だそうだ。……嫌いな単語だ』
  『あたしの運命。……考えたくもない』
  『こんな世界大嫌いっ!』

  『男は従順だ』
  『礼儀正しくもある。最初は警戒して武器を手にして眠ってた。寝込みを襲われた時の対処の為だ』
  『でも男は従順。少し、冷静になって彼を観察したいと思う』

  『実に精力的に男は働く』
  『ピエットの豚を殺す為に養ってるのに、彼との生活が楽しく思えてきた。まるで昔に戻ったみたい』
  『でも実際には戻らない』
  『父も。あたしの体も。元に戻るはずなんてないのだ。今だって、あの豚に抱かれてるのに戻るはずがない』


  『決定的だった』
  『農地は戻らない。ピエットが、あの錬金術師崩れの貴族が薬を垂れ流した所為で水が汚染されていた。もう農地は蘇らない、それ
  がアイスマンとカイリアスの結論だった』
  『終わった』
  『もうあたしが生きる意味はない。村が存続出来ないなら、あたしはあの男の玩具でいる必要がない』
  『今度あの豚を殺すっ!』

  『マラカティは何をしているのだろう?』
  『運命に抗って何とかしようとしている。変な人だ』


  『深緑旅団に村が襲われた』
  『本隊ではなく、はぐれたトロルの一団だ』
  『討伐隊が編成されマラカティもそこに加わった。……無事だといいな。少しずつ自分が変わって行くのが分かる』

  『無事に帰ってきたっ!』
  『アイスマンもカイリアスも、皆無事だ。本当によかった』
  『もう少し生きてみようと思う』

  『トロルの死体から、薬を作る作業が開始された』
  『マラカティの発想だ』
  『うまく行けば村が蘇るっ!』

  『薬を売りに街に行っていた人達が戻ってくる』
  『多額の現金と大量の食料品』
  『村は潤ったものの、根本的には変わりがない。農地は死んでいるからだ。しかしいずれ村を離れる資金になった』
  『マラカティ。本当にありがとう』

  『……自分でも不思議だった』
  『あれだけ汚されたのに、あたしはまだ乙女の心を持ってるらしい。……彼が好きみたいだ』

  『信じられないっ!』
  『あたし達、相思相愛だったっ!』
  『マラカティはあたしの特別な人になった。マラカティにとっても、あたしは特別な人になった。こんなに嬉しい事はないよ』
  『久し振りに嬉しくて泣けた』
  『彼の胸の中で甘えて、泣いた』

  『男性の腕の中にいるのがこんなにも心地良いなんて知らなかった』
  『好きな人だから嬉しいのかな?』

  『……怖い』
  『好きになればなるほど怖い。いつか気付く。あたしの体には、消せない傷がある事。いつかばれるのが怖い』
  『嫌われたくない』

  『村は活気付いてる』
  『自分に余裕が出てくると、今まで見えなかったものがたくさん見えてくる。あたしの周りには良い人ばかりだ』
  『アイスマンもカイリアスもエルズも良い人だ』
  『マラカティは特別優しくて良い人♪』

  『豚の招きを蹴った。ふん、いい気味っ!』
  『もうあたしは玩具なんかじゃないっ!』
  『あたしは、生きてる人間なんだ』

  『また何もなくなった』
  『幸せになろうとすればするほど、それを奪われていく。あの豚は全ての成果を奪った』
  『もう駄目だ。終わった』

  『マラカティはあたしは優しく包み込んでくれる』
  『ひたむきな努力でこの状況を乗り越えようと懸命だ。でもあたしには分かる。例え何しても横合いから全て奪われる』
  『この夜が最後の夜』
  『あたしを愛してくれてありがとう』

  『……きっとこの日記、読んでるでしょ?』
  『あたしはもうこの世にいないけど、あたしの事は忘れないでください。我侭で自分勝手で、汚れた女だったけど、あたしはマラカティに
  会えて本当に幸せだった。ピエットさえ死ねば、後任に少しはマシな領主が来る可能性もある。だから必死に生きて』
  『お願いだから忘れないで』
  『お願いだから』
  『この先他の誰を愛しても、あたしという存在は心のどこかに住まわせておいて』

  『マラカティ。大好きだよ♪』


  「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  何だこの結末はっ!
  何だこの最後はっ!
  これが運命これが定め?
  「ふざけるなっ!」
  椅子を蹴り飛ばす。
  椅子は壁に激しくぶつかり、壊れた。叫び声を聞いたのだろう、階下から2人が駆け上がってくる。
  アイスマンとカイリアスだ。
  「どうしたんだよ大将っ!」
  「……くそ」
  「大将?」
  「……くそぅっ!」
  ガンっ!
  拳で壁を殴る。拳が、壁が血で汚れた。
  ……何なんだよ。
  何なんだよっ!
  「アイリーンが何をした一体何をしたんだっ! ちくしょうっ!」
  「落ち着け大将っ!」
  「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  「落ち着けよマラカティっ!」
  バキっ!
  力一杯私を殴るカイリアス。力なく、その場に私は崩れ落ちた。
  カイリアスの叫びは止まらない。
  「あんたがそんなんじゃアイリーンが浮かばれないだろうがっ!」
  「……アイリーン……」
  「そりゃこの結末でめでしためでたしとは言えねえよ。言えねえけど、今はここで荒れ狂ってる場合じゃねえだろうがっ!」
  「……」
  「死因をお話します」
  沈黙したのを見て、アイスマンが口を開く。
  極めて事務的に死因を話す。
  ……事務的な方がいい。その方が、感情を絡めない方が冷静に物事を考えられる。
  ……事務的な方が……。
  「首を掻っ切られたのが直接の死因です。しかしあの傷ですから数分は苦しみながら生きたはずです。介錯の後はなし。つまり放置
  されたわけですね。体には様々な痣がありました。おそらく長い間ピエット卿に……」
  「そこは言わなくていい」
  「……そうですね」
  「埋葬してあげてくれ。私にはやる事がある」
  「そうでしょうね。そう思いました。しかしその前に広場に来てくれませんかね」
  「広場?」
  「まだ時間はあります。先に埋葬してあげましょう。……平穏なる世界で永遠に生きるアイリーンさんを見送ってあげましょう。それが
  この世界に残された者の定めであり義務です。目を背けるべきではありません」
  「そう、だな」



  アイリーンは小高い丘に埋葬した。
  そう。あの貴族の屋敷が見える場所にだ。あの屋敷が邪魔だが、ここは一番景色の場所だ。
  君の愛した村も見える。
  だからどうかここで安らかに眠って欲しい。
  そして安心してくれ。
  ……あの邪魔な屋敷はすぐになくなる。君が命を賭してまでしようとした事は私が引き継ぐよ。私が全て引き継ぐ。
  「私も君を愛してるよ、アイリーン。君が私を愛してくれたよりも深く深く、永遠に」
  永遠に。



  埋葬を終え、村に戻り広場に行く。
  村人達が物々しい格好で集まっていた。私の姿を見ると、一斉に跪く。
  「何なんだ、皆?」
  「我々の命を使ってくださいっ! マラカティさんっ!」
  1人の老人がそう叫ぶ。
  おそらくその声が総意なのだろう。皆、一様に頷いた。
  「ワシも付き合おうかの。これは冒涜じゃ。戦うに値する。……いや、戦う必要がある」
  「……神の意思は分からない。何故こんな非道をしたのか。だけど神の意思だからといって黙ってるわけにも行かない」
  オーレン卿。エルズ。
  鍛冶屋のある方向から歩いてくる。2人のカジートも伴っていた。クレメンテと、初対面ではあるもののマデリーンだ。
  あまり見分けはつかないが。
  「兄貴。俺達は戦うしかないんだと思う」
  「クレメンテの言うとおりだ。私達はアイリーンが小さい頃から見守ってる。こんな結末、酷すぎるよっ!」
  カジートの姉弟は強く頷いた。
  インテリ2人組も口を開く。理知的な発言ではあるものの、内容は過激だった。
  「アイリーンは俺の嫁だったっ! ……そりゃ大将に役目は譲ったけどさ。俺だって彼女が好きだったんだ。このままじゃ済まさな
  ねぇっ! 反乱屋のアイスマン、戦略家の大将、鬼に金棒だぜ。何でも言ってくれ、俺はあんたに従う」
  「カイリアスさんの反乱屋呼ばわりは気に障りますが、既にこの村は追い詰められている。立つべきではあると思いますね」
  誰も黙って領主に盲従しようとは言わない。
  発言は過激。
  村民は200名。領主の軍勢は50名。
  数の上では勝っているものの、質の面では劣っている。錬度も遠く及ばないだろう。
  何故なら相手は兵士。
  相手を殺す事を生業としている集団だ。
  村を追い詰めて狂い死にさせようとしている領主なら、立ち向かってくる村民を根絶やしにするのも躊躇わないだろう。
  一時的な感情論か?
  私は問う。
  ここは岐路だ。
  今後の人生を変える岐路だ。
  「皆、反逆者になるんだぞっ!」
  「だから?」
  カイリアスが事も無げに言うと、村人達は大笑いした。まるで大した事のないように答えるカイリアス。
  ……これが総意か。
  「気は確かかっ!」
  誰か叫んだ。
  ユニオだ。
  村にいる素性が謎のボズマー。私を睨みつける。
  「扇動するなよっ! こいつらの人生掛かってんだぞっ!」
  「……そうだ。人生が掛かってる」
  「だったら……」
  「私達には2つの選択肢がある。戦って皆殺しにされるか、従って餓死するか。これは生きる為の戦いだっ!」
  「しかし……」
  「私は戦う。その先にある未来を信じたい。それは罪か? このまま従って死ぬのが正しい人か? ……私達は虫けらじゃあない。
  例え虫けらだとしても生きてるんだ。生きる為の戦いが罪なら、私達はどうしたらいいっ!」
  「……」
  「私は戦う。自分の為に。アイリーンの為に。……村人を救うにはこれしかない」
  「……この程度の人数でか? 戦闘が長引けば長引くほど不利になるぞ。他の砦から増援だって来るっ!」
  「……」
  「悪い事は言わないよマラカティ。今は耐えろ」
  「無理だ」
  「マラカティっ!」
  「それに時間は掛けない。準備さえすれば、あの砦は一時間で落ちる。私が陥落させて見せる」
  「なっ!」
  ユニオは黙る。
  あまりにも私が自信満々に答えたので言葉を失ったのだ。
  村人に私は宣言する。
  「最後のチャンスだ。望まぬ者は去ってくれ。村にも留まるべきではない。どう転んでも村は潰される。あるだけの金貨と食料を配布
  する。だから去る者は去ってくれ。これは今後の人生の問題でもある。遠慮せずに申し出てくれ」
  『……』
  誰も答えない。
  沈黙は賛成。私はそう受け取った。
  「分かった。我々は生きる為にピエットの砦を陥落させるっ!」






  ……アイリーンは怒るだろうか?
  すまない。
  しかし君の尊厳を護る為にはあの砦はあるべきではない。貴族もいるべきではない。
  個人的な感情でもある。
  だが村人を生かす為の戦いである事を分かって欲しい。
  君の志は私が引き継ぐ。

  私は君を愛している。
  ……だから君を侮辱した、悲しめたピエットを許せない。許せないんだ。