天使で悪魔





微笑みは追憶に彼方に






  支配。
  この世界は完璧なる支配体制が整いつつある。
  帝国の皇帝ユリエル・セプティムの侵略戦争はとどまる事を知らない。
  帝国人にとっては英雄であっても、支配される側にしてみればただの悪役でしかない。

  国が乱立するから戦乱が起きる。
  だから。
  だから帝国が全てを潰し、帝国の管理下の元に世界を統治するのだ。
  世界的から見たらそれは偉業なのかもしれない。
  しかし支配される末端の民は?

  貴族はいつまで経っても貴族だ。
  支配されれば、敗北した国家の側の貴族の中では没落する者も出るだろう。
  しかし帝国としても全土完全統治は急務だ。
  敵側に回った全ての貴族を叩き潰せば反帝国勢力として残る可能性がある。だから敗残側の貴族を優遇する。
  それはいい。
  それはいいのだ。
  しかし支配される末端の民は?

  この世界は完全だ。
  この世界は完全……完全なる逃げ場のない檻。
  どこにも逃げ場所なんかない。
  どこにも……。






  「……」
  私達には何も出来なかった。
  見るしか出来なかった。
  「……」
  ピエット卿。
  この村を領土としている、帝国から来た新興貴族だ。
  帝国元老院は多額の献金をした者に対して惜しげもなく爵位を与えている(前歴は調査される。罪科のある者は審査の際に
  弾かれる)のだ。ピエット卿も多額の献金をして子爵になった。
  そして今、ヴァレンウッドの地に君臨する貴族の1人。
  「……」
  この地では絶対。
  我々は横暴を黙って見るしか出来ない。
  騒げば?
  叩き潰されるだけだ。
  ……。
  そう、騒ぐ以上の事は出来ない。それをすれば反乱へと発展するからだ。
  叩き潰れされるだけ?
  そこはそうは思わない。ピエット卿とその軍隊を叩き潰すのは簡単だ。
  だがそれはしない。
  したくない。
  そんな事をすれば、おそらく待つのはリスクだけだ。
  そんな事は……。
  「……」
  我々は黙って見ていた。
  ピエット卿に従って派遣されて来ている帝国軍は50名。その軍隊が村から運び出している。
  錬金術によって得た食料と財産を。
  全て運び出していく。
  「……」
  誰も言葉がなかった。

  錬金術で得た財産は違法。
  完全にただの言い掛かりだ。しかし相手は貴族。貴族=正しい……わけではない。貴族=絶対なのだ。……ある程度までは。
  追い詰められれば人は蜂起する。
  搾取されるだけではない。
  それでも。
  それでも、まだ道はある。まだ、後はある。



  3日後。
  アイリーンの経営する酒場。
  既に夜の営業時間も終わり、客は全て帰った。今日もお疲れ様でした……では終わらない。
  「アイリーン。お疲れ。先に休んでてくれ」
  「えー? 今日は愛してくれないのー?」
  「……」
  彼女は意外にオープンな性格。
  まあ、いいんだが。
  「私はまだ掛かるんだ。お休み」
  「……はーい」
  頬を膨らませながらアイリーンは二階に行く。
  仲間達はニヤニヤしていた。
  私生活を覗かれたような感じがして恥かしいな、これは。
  ……。
  さて、仲間達。
  アイスマン、カイリアスのような知識人。
  あとはエルズ、オーレン卿、といった各地を放浪し、またそれと同時に知識の深い2人。
  そしてもう1人、クレメンテ・ダール。
  カジートの彼は各地も放浪していないし知識もさほどだ。しかしこの局面を打開するには必要な人材だ。
  「さて、話に戻ろう」
  「そんでアイリーンとの夜を愉しむんだな? 羨ましいぜ大将っ!」
  「……カイリアス」
  「ああ、分かってる分かってるって。おすそ分けなんか期待してないさ。ほんとほんと、期待してないぜー?」
  「何なんだそのエロエロな眼は」
  「し、失礼な奴だなっ!」
  「はぁ」
  カイリアスがアイリーンに惚れていたのは知ってる。
  この村の男性陣は大抵アイリーンに惚れてる。女性にも人気がある。アイリーンはこの村のアイドルなのだ。
  人当たりもいいし優しい親切な彼女。
  人気があるのは当たり前か。
  「それで? 話には戻らないのですか?」
  「ああ。そうだな。戻ろう」
  アイスマンに促されて話を元に戻す。
  この会合の真意。
  「今後、この村は一時的にでも鉄工をメインにするべきだと思うんだが……」
  私は村の方向性を口にする。
  「クレメンテ。出来るか?」
  「お、俺?」
  「ああ」
  「お、俺かよ、兄貴」
  「ああ」
  「お、俺かよー」
  「ああ」
  見る限りマデリーン&クレメンテの姉弟は鍛冶師として優秀だ。
  これは使えるだろう。
  なおマデリーンはこの場には顔を出していない。徹夜の会合は美容に悪いそうだ。
  「面白い案じゃの」
  「確かに面白いとは思うけど……武器なんか作るわけ? それを売るの?」
  老練なるオーレン卿と冒険者であるエルズは難色を示した。
  カイリアスも露骨に難渋を示しているし、クレメンテは自信なさそうだ。アイスマンは無表情で次の言葉を待っている。
  座を眺めて私は口を開く。
  「武器なんか作らんさ。防具も作らない。……クレメンテ。鉄はあるか?」
  「鉄? あ、ああ、あるけど」
  「ふんだんに?」
  「ま、まあ、それなりにだよ、兄貴」
  「結構」
  「……それで? どういう意味なんですか、マラカティさん?」
  武具なんか作らない。
  防具なんか作らない。
  そんな事をしても反乱云々の濡れ衣を着せられて、再び全てを奪われるだけだ。貴族にそんな機会は与えない。
  「農具を作る」
  「農具?」
  「ああ。質の良い農具はこの辺りでは売れるだろう。……錬金術には資格がいるとか許可がいると帝国軍は言った。武具や防具を
  作れば反乱の準備と称されて叩き潰され、奪われるだろう。だが農具なら問題はあるまい」
  「なるほど。さすがは大将だな」
  カイリアスは純粋に賞賛してくれるものの、アイスマンはまだ無表情だ。
  「何か問題があるか?」
  「問題ですか。そうですね、貴族の性格の問題ですかね」
  「性格?」
  「農具作る事に制限はないでしょう。ですが、販売になると意味が変わってきます。余計な横槍が来ませんかね」
  「それは、分からん」
  私にも分からない。
  しかし農地は駄目で生きる術がないのにそこまで制限するだろうか?
  ……。
  するかもしれない。
  それでも、それしか術がないのも確かだ。
  「カイリアス」
  「おう」
  「お前は会計係とも言えるぐらい、妙に神経質な一面も持ってる」
  「……妙って……それ誉めてんのか、大将?」
  「この村の備蓄状況は?」
  「大体ピエットに奪われたが……それでも、一週間分の食料はあるだろうよ。詳しく調べて目録にしたほうがいいか?」
  「頼む」
  「よっしゃ」
  「当面は森から食料を調達しよう。キノコやら木の実やら、色々と収穫しよう。……乱獲すると今後の自然環境に影響を与えるも
  のの野生動物を食料にする事も考えるべきだな。アイスマン、意見は?」
  「まっ、当面はそれで行きましょう」
  苦肉の策。
  それでも当分はこれで切り抜けれる。
  生活が安定したら備蓄し、この土地を捨てる準備を進めよう。
  これ以上留まる地ではない。
  農民が農業出来ない地は、そもそも場違いなのだ。
  「クレメンテ」
  「おう。姉貴に言って農具作成の準備を進めるぜ、兄貴」
  「オーレン卿。エルズ」
  「極力動物の繁殖に影響を与えない程度に狩るとするよ。まっ、ワシに任せておけ」
  「森の恵みは九大神キナレスの恵み。私に任せて」
  準備は整った。
  今後はこの方針で進めよう。
  「アイスマン」
  「ええ。分かってますよ。私が仕事を振り分けましょう」
  「頼む」


  「お疲れ様」
  「起きてたのか、アイリーン」
  会合が終わり部屋に戻るとアイリーンがまだ起きて待っていた。明かりは点いている。
  明かりと言っても一本のロウソクだけだ。
  ほのかなロウソクの明かりに照らされる彼女は美しいと思った。
  「終わったの?」
  「ああ」
  「それで?」
  「それで、とは?」
  「村の再建の術は完成した?」
  「ああ。その事か。当面の危険は回避出来るよ。……一応な。それにしても君が村長だとは知らなかったよ」
  「そして貴方は村長を抱いた男♪」
  「……」
  「照れるなんてマラカティさんも初心ねー♪ ほほほ♪」
  「……」
  意外に侮れんな、この娘。
  それでも私は彼女を愛していた。最初の関係は……ま、まあ、こんな言い方は失礼かもしれないが済し崩し的だった。
  それでも今は違う。
  彼女を私は愛している。
  「あのね」
  「何だ?」
  「あたし、明日は村長としてあの砦に行かなきゃいけないのよ」
  「明日?」
  「そー。ちなみに朝一で」
  「私も付いて行こうか?」
  「いいよ別に。それよりも……」
  「……?」
  「あたしを愛して」
  微笑みは美しかった。
  私は無言で彼女を抱き締めた。






  「これ、まずいです」
  「ああ、まったくだぜ。……大将。あんたは戦術や知識には造詣深いようだが料理はやめとけ。いつかしー人が死ぬ」
  「……」
  私は沈黙。
  昼食時間になってもアイリーンはまだ戻ってない。
  戻ってない旨は昼食を頼んだ2人……アイスマンとカイリアスにも告げたのだがな。それでも空腹を訴えたから私がサンドイッチ
  を作ったのだが大いに不評だ。
  サンドイッチだぞ?
  それなのに不評。
  よほど妙な味なのだろう。……二度と作るまい……。
  「なあ大将」
  「何だ?」
  「アイリーンはどうしたんだ?」
  「ああ。アイリーンか」
  「おっ。事も無げにアイリーンか、かよ。おいおい完全に出来ちゃった宣言かー?」
  「はっ?」
  「カイリアスさんは無視してもいいですよ、どうせ妄想野郎ですから。しかし彼女も忙しいですね、まあ村長ですから仕方ないか」
  「村長?」
  アイリーンが?
  アイスマンのその言葉は私は初耳だ。アイリーンからも聞いた事がない。
  ……。
  ああ、だからか。
  ピエット卿に納める分をいつも待ってもらってるとか言ってたな。
  それでか。
  「おやマラカティさんは知らなかったのですか?」
  「ああ」
  「まあ、さっき出来た設定ですしね」
  「はっ?」
  設定って何だ?
  それもさっき出来た?
  ……まあ、いい。
  聞けば急死した父親の後を継いで村長になったらしい。私がこの村に来るより前の話。アイスマンとカイリアスが招かれるより
  前の話だ。つまり、それほど前の話ではない。ここ半年以内だ。
  さて。
  「激しいな、アイリーン」
  「何だとアイリーンは激しいのか情熱的なのかっ! ……くっそぅ。やっぱ俺が撃墜したかったぜー」
  「はっ?」
  「カイリアスさんは妄想野郎だと言ったでしょう? 無視です無視」
  「……あー、そうだな」
  溜息。
  激しい、というのは職務だ。
  酒場を経営し、村長としての責務をこなす。忙しい、激しい職務だ。
  ドタドタドタ。
  慌てる足音が聞えてくる。扉の方を見た。

  「大変だ兄貴っ!」
  「今度は何が大変なんだ?」
  飛び込んでくるカジートに私は苦笑しながら問い返す。
  農地は馬鹿貴族の為に駄目になり、錬金術を禁止され、錬金術で得た利益は全て没収。
  これ以上何か大変な事があるか?
  ……ないだろ。
  「どうした、クレメンテ」
  「アイリーンが死んだっ!」