天使で悪魔





展望と挫折





  深緑旅団。
  トロルを兵士とするヴァレンウッドの悪魔であり、災厄。
  私達の村を襲撃した。

  全部返り討ち。
  結局、深緑旅団の本隊からはぐれ、その支配(洗脳)から逃れたトロル達の群れだった。
  あれ以来、村人は私に一目を置くようになった。
  村に貢献できた。
  それが嬉しい。

  しかしもっと嬉しい事がある。
  トロルの死体の使い道だ。
  これで村は救われるだろう。当面はこれで乗り越えられるに違いない。
  これで……。





  穀物倉庫。
  それは領主に納める分以外、つまり村の備蓄の穀物を蓄える場所だ。
  しかし旱魃に続き、領主であるピエット卿の軽率で愚かな行動により作物は育たない。だから備蓄なんて出来るはずもない。
  納める分ですら足りないのだ。
  だから。
  だから、穀物倉庫はほぼ空の状態。
  「よお。アイリーンからの差し入れを持って来たぞ」
  私はデリバリーの為に穀物倉庫に訪れる。
  中では2人のインテリが作業していた。さらにそれを取り囲むギャラリー達。
  「ああ。助かりますよ、マラカティさん。……皆さん、お昼にしましょうか」
  「へへへ。俺様は腹が減ってんだ。アイリーンが俺の為に作ってくれた昼飯だー♪」
  「相変わらずカイリアスさんは妄想が好きですね」
  「妄想とは何だ妄想とはっ!」
  ははは。
  そう笑いながらギャラリー達は……いや、2人の教え子の農民達は昼食の為にそれぞれの家に帰って行った。
  穀物倉庫は広い。
  アイリーンの酒場よりも広い。
  そこに所狭しと山積みなのはトロルの死体。悪臭が酷いものの、この悪臭に耐えれば巨万の富は目前なのだ。
  2つ大きなテーブルが穀物倉庫に用意されている。
  1つにはトロルが乗っかってる。
  「……ここで食事出来るのか?」
  「ええ」
  「おう。何か問題あるのか、大将」
  私は苦笑した。
  タイプが違えど、やはり2人は研究者なのだ。私はトロルの死体の側で食事は到底出来ない。


  トロルの使い道。
  それは錬金術の対象としての使い道だ。

  錬金術。
  元々は黄金を作ろうとした魔術であり、その為に様々な実験が行われた。
  特殊な金属を、薬品を、植物を混ぜ合わせた。
  結局は黄金は作り出せなかったものの、その実験と発想から1つの理論が確立され、学問となり知識となった。
  それが錬金術。
  錬金術という名称ではあるものの、実際には薬学なのだ。

  例えばトロルの体で使えるのはトロルの脂肪。
  そこに植物等を混ぜ合わせれば薬が完成する。こうして生み出された薬は巨万の富を生む。
  だから。
  だから、錬金術と言うのもあながち間違いではないのだ。
  アルケイン大学のカイリアス&至門院のアイスマン。2人は錬金術にも精通しており、アイスマンにいたっては簡易ながらもその
  機材をこの村に持ち込んでいた。
  元手が掛からずに儲かる方法。それがトロルの死体の再利用だ。
  ……まあ、解体している現場はさすがに見たくないが。

  村人がギャラリーな理由。
  つまりは知識の伝達。
  ある程度の錬金術の知識を教え込む為の実習だ。もちろん今後、錬金術の村にするわけではない。
  薬を精製し、街で売り、そのお金で食料を買い揃える。
  そしていずれは蓄えを持って新天地に旅立つのだ。
  これで村の救える術が立った。
  これで……。


  「やはりアイリーンの飯はうまいなー♪ さすがは俺様の花嫁候補だぜ♪」
  「……言ってて空しくありません?」
  「なんだとてめぇーっ!」
  「口にしているものを私に飛ばさないでください。汚いですから」
  小高い丘。
  さすがにトロルの解体場所(錬金術教室とはどうしても言えない。理性としてトロルの方が目に付く)で食事をするのに私は抵抗が
  あったので、場所を移して昼飯。……それはいい。それはいいのだが……。
  「ぜえぜえ」
  何故にわざわざ貴族の屋敷の見える小高い丘にまで来る必要があるっ!
  体はまだ本調子ではない。
  疲れる。
  「どうしたんだ、大将」
  「どうしました。マラカティさん」
  2人もまた部外者ではあるものの、他の村人同様に私に対して仲間内の笑顔を見せるようになっていた。
  仲間。
  恐らく2人はいずれはそれぞれの組織に戻るのだろう。
  私はどうしよう?
  私は……。
  「大将」
  「ぜえぜえ。な、何だ?」
  「剣の腕はすげぇけどだらしないなぁ。体力が不足してるのかよ?」
  「ああ。みたいだ」
  「これやろうか?」
  小さな小瓶を投げて寄越す。
  私は手のひらに収まるほど小さな小瓶をしげしげと見つめる。
  「何だこれは?」
  「……へへへ」
  途端にニヤニヤ笑いになるカイリアス。
  こいつがこういう顔するとろくな事がないと既に認識していた。
  「こいつは強力な精力剤さ」
  「はっ?」
  「一発で元気になるぜー♪」
  「……なぁ。元気になる場所違わないか?」
  「おっ。大将もそっちの話題が好きそうだなー♪ 今夜アイリーン相手に……げっへっへっ♪ たまんねぇー♪」
  「……」
  エロエロかこいつは。
  アイスマンは肩を竦めた。相手にしない方がいいという意味か。
  そんな気もする。
  小瓶をカイリアスに渡した。
  「何だよいらないのかよ」
  「ああ」
  「……大将。まさかあんた俺にアイリーン押し倒す役目を譲ってくれるのか?」
  「はっ?」
  「愛してるぜ大将♪」
  むぎゅー。
  抱きついてくるカイリアス。最初は絡んでくる嫌な奴だとは思ってたが……いや、最初の関係の方がマシだったか?
  そんな気もする。
  「ふぅ」
  カイリアスを引き剥がし、貴族の屋敷を見下ろす。
  クレメンテが前に言ったとおりだった。
  貴族は助けに来なかった。
  知らせたら深緑旅団から護ってくれた……それはそれでありえないような気がしていた。
  「なあ。貴族は何の為にいるんだ?」
  「村人を虐げる為ですよ」
  骨付きチキンを丁寧にナイフとフォークで食しているアイスマンがつまらなそうに答えた。
  至門院は反乱を推奨する組織。
  そう、カイリアスは断言していた。それが正しいかは知らないものの、帝国に対して醒めた感情を持っているのは確かなようだ。
  少なくともアイスマンは帝国に興味がないらしい。
  ……まあ、私にもないが。
  アイスマンは続ける。
  「貴族だって昔は貴族ではなかった」
  「どういう意味だ?」
  「つまり功によって貴族になるのです。だから第一世代はマシなんですよ。必ずしも立派ではないにしてもね。しかし代を重ねるごと
  に次第にそれを忘れていくものなのです。何故貴族なのかという事を忘れる。貴族の血筋だから、生まれた時から偉いのだと」
  「……」
  「だから驕る。貴族の血を引く自分は無条件に偉いと思い込む。だからあんな馬鹿な事を平然と出来るんですよ」
  「それにだ」
  カイリアスが言葉を引き継いだ。
  彼もまたインテリだ。知識人だ。蓄えている知識から、独自な理論を展開する。
  「帝国元老院は献金さえすれば爵位を売り渡している。どんな奴にもな。そういう貴族は大抵地方に行きたがるんだ」
  「何故だ?」
  「何故って? ははは、簡単さ大将。つまり家格に箔もなけりゃ功もない。シロディールで貴族面は出来ないんだよ。新興貴族は
  中央では権勢は振るえないんだ。だから地方に来る。地方の与えられた領地で、地方政権を築いたか如くに振舞うのさ」
  「あの屋敷の奴もか?」
  「ああ。ピエットも新興貴族だからな。中央では相手にされない。それが地方じゃ王様の如く君臨してるのさっ!」
  哄笑。
  カイリアスは吼えるように哄笑した。
  「笑えるぜっ! 村1つを支配領地としか与えられてる奴がここじゃ絶対君主様だっ! ピエット卿の名前聞いただけでもチビって
  しまいそうだぜ、おお怖っ! ははははははははははっ!」
  「だが、それも終わったさ」
  薬さえ出来れば村の活性化になる。
  いずれ新天地で新しい村を作る為の資金にもなる。素材さえあれば薬は大量に作れるのだ。
  元手ゼロ。
  これなら村が困窮する事はない。
  「村は救える。そうだろ?」
  「ええ。まさにその通りですよマラカティさん。村は生き返ります」


  それから5日過ぎた。
  トロルの死体から大量の薬を精製し、大きな街に売りに行った連中が帰ってきた。
  予想以上の収穫だった。
  大量の現金と大量の食料。これで一ヶ月は何もせずとも飢える事はあるまい。
  もちろん次はここまで薬の精製は無理だろう。
  今回はトロルの死体を再利用したに過ぎない。次からは森を彷徨い、野原を歩き、川辺を探索して薬に使える植物等を探す
  必要がある。
  ただアイスマンが言うには大抵のモノは錬金術に利用出来るらしい。
  適当に採取して来てくれれば勝手に振り分けるから、とりあえず素材となるであろうモノを持ち帰ってきてくれればいい。
  その断言は心強かった。
  今まで田畑を耕していた農民達も素材に集めに加わった。
  村は生き返る。
  そう、誰もが信じていた。
  

  「やあマラカティ」
  「こんにちはマラカティさん」
  「今日も良い天気だね」
  村を歩く。
  既に私は村人の一員として認められているようだ。それが嬉しい。
  自然、顔が綻んでくる。
  「何をニヤいてんだ、兄貴」
  「クレメンテ」
  鍛冶師のカジートのクレメンテ・ダール。あれ以来、深緑旅団を退けて以来私を兄貴と呼称している。
  あの時、クレメンテは村の防衛に残った。
  「アカヴィリ刀の調子はどうだい?」
  「まあ、あれから使ってないから大丈夫だ」
  「兄貴は惜しいぜー」
  「惜しい?」
  「帝都に行って闘技場で戦えば一攫千金間違いないぜ」
  「闘技場?」
  「ははは。切れ者の兄貴もたまに別人かと思うほど無知なんだな」
  「……あのなクレメンテ。俺は覚えてないだけだ、記憶がないんだからな」
  「ははは。ムキになるなって」
  「クレメンテっ! またサボってるねっ! 仕事しなっ!」
  この声の主ももう知っている。
  ……いや。まだ顔を合わせた事はないが。
  マデリーン・ダール。
  クレメンテの実の姉の声だ。
  クレメンテから聞く限りではかなり高飛車な性格らしい。口調を聞く限りでは、納得だ。
  「じゃあな、兄貴」
  「ああ」
  村は今日も平和だ。



  朝は体力を付ける為に鍛錬。
  昼は村の見回り。
  夜はアイリーンの酒場の手伝い。
  今日も疲れた。
  心地良い疲れではあるが、どんな疲れの類では等しく疲れ眠たくなるものだ。私はベッド倒れるとすぐに眠りに落ちた。

  コト。
  音がした。瞬時に眼が醒めて脳が覚醒する。部屋に誰かいる。
  暗がりに目を凝らす。
  ……。
  まるで夜闘に慣れているような感じだな。
  ともかく闇を見据える。誰かいる。次第に暗がりの中にいる人物の輪郭をはっきりと目視し、誰かが分かる。

  「アイリーン?」
  「ん」
  物音がして眼を覚ましてみれば、私の寝室にアイリーンがいた。私を見下ろしている。
  何なのだろう?
  「また深緑旅団が?」
  「違う」
  「なら……」
  「マラカティさんはずっとこの村にいてくれるの?」
  「……記憶ないしな」
  行く場所はない。当てもない。
  「記憶戻ったら?」
  「……戻らない事を祈ってるよ」
  「どうして?」
  「質問が多いな。まあ、俺にも理由はよく分からん。しかし思い出したくないと思ってる。……あまり良い記憶ではないらしい」
  「じゃあこの村にいるのね?」
  「そうだな。よろしく頼む」
  転がったままでは悪いだろうと思って私は身を起こす。
  瞬間、私はベッドに倒れた。
  いや。
  アイリーンが覆い被さってきたのだ。
  「これは何の遊びだ? ……悪い。養っててもらって悪いが今日は疲れてる……」
  「マラカティさん」
  「……?」
  「この村にいるなら先に言っておかないと気がおかしくなりそうだから、言うね。後で後悔したくないし。今のうちにハッキリさせたいの」
  「……?」
  「あたし貴方が好き」






  その日から私の人生は別の意味を持った。
  その日から。
  アイリーンとの夢のような夜を過ごしてから、私は村の為に出来るだけ懸命に働いた。
  居場所。
  記憶がない事に別に不満はないしそれでもいいと思う。
  何故なら過去を思い出そうとする事に対して恐怖と嫌悪があるからだ。おそらくろくな過去ではないのだろう。
  だから。
  だから居場所が出来たのは嬉しい。
  これで過去を思い出さずに済む。
  ここにいられる。
  それでいい。
  それで。
  「斬るっ! 斬るっ! 突きっ!」
  村人達に剣を教えた。
  この村では、脅威は自分達の手で払う必要があるからだ。貴族も帝国兵も当てには出来ない。
  正直、税を納めて連中を養い意味が分からない。
  ともかく。
  次に深緑旅団が襲ってきた場合に備えて農民達を鍛えている。
  賊だってこの近辺にいる。
  武力は必要だ。
  それに今は農民達は暇……ではないものの、田畑は完全に放置プレイ状態だ。
  既に農業用水が駄目な以上、耕す意味はさほどない。
  それよりも今は薬の精製と必要な素材を覚える事に重点を置いている。
  「今日はここまで」
  『ありがとうございました』
  農民達は頭を下げ、解散。
  汗を拭く。
  「ふぅ」
  「相変わらず精が出るね。……アイリーンのお陰?」
  「エルズ」
  ノルドの女性だ。
  信心深い女性で、この村では司祭のような立場でもある。しかしそれはあくまで彼女の信心深さから来る立場であり、実際には村
  の用心棒的な存在として雇われている冒険者だ。
  鉄のクレイモアを背負っている女傑。
  「アイリーンは元気?」
  「ああ」
  「そう。結婚する気あるなら、私が2人の結婚を取り仕切ってあげるよ」
  「そ、それはありがたい」
  「照れるな照れるな色男。あっははははははっ」
  笑いながらエルズは立ち去った。
  結婚か。
  アイリーンとの夢のような夜から既に一週間が過ぎている。いつの間にか2人は出来ている、と噂されていた。
  カイリアスは毎日《裏切り者めっ!》と愚痴をこぼしに来る。
  そのくせ酔い潰れて帰る時になると《アイリーンを幸せにしてやってくれー》と泣き叫ぶのだ。
  訳が分からん。



  翌朝。
  「……ん……」
  朝日が差し込んでくる。眩しい。
  私は瞼を薄く開け、隣を見る。アイリーンはいない。いつもアイリーンの方が早起きで、彼女の寝顔を見た事がない。
  寝顔を見た事がない?
  ああ。ない。
  愛し合った後、眠りに着く。その時だって私の方が先に寝てしまう。
  まどろむ中でアイリーンの姿を探すもののいつもいない。気付いた時には服を着て寝床に潜っている。
  ……。
  肌を見せたがらない。
  それが少し気になるところだった。
  まあ、別にいいのだが。
  「帝国兵が来たぞっ!」
  誰かが外で叫んだ。
  ガチャアアアアアアアアアンっ!
  コーヒーを持って部屋に戻ってきたアイリーンはカップを落とし、蒼褪めた顔でその場にへたり込んだ。震えている。
  「どうした、大丈夫か?」
  「う、うん。驚いただけ」
  「外に行って来る」
  「う、うん」

  帝国軍が来た。
  それを聞いて私は酒場を飛び出した。手にはアカヴィリ刀。何故か、持って外に出た。
  私は過去の自分を知らない。
  しかしもしかしたら、帝国軍に対して信頼出来ない何かがあるから、武器を手にして飛び出したのかもしれない。
  人だかりが出来ていた。
  掻き分け、前に出る。
  帝国兵は全部で5名。ピエット卿が本国から引き連れてきた兵士なのだろう。
  つまり領主付きの兵士。
  この村の支配者の尖兵であり、帝国兵もそれを心得ているらしくどこか表情に傲慢さが滲み出ていた。
  恐らく隊長なのだろう、1人の羽飾りのついた兜を被る帝国兵が書状を見せた。
  領主の刻印付き。
  正式な命令。
  ……嫌な予感がした。
  帝国兵は叫ぶ。
  「我々はピエット卿の御意思をお前らに伝える為にやって来たっ! 正式な許可もなく錬金術を行使するのは認められないっ!」
  「正式な許可だとっ!」
  気がつけばカイリアスがいた。
  アイスマンもいるし、ダール姉弟もいる。オーレン卿もいる。
  食って掛かろうとするカイリアスを止めようとするものの、袖を引かれた。ユニオだ。
  「何をする」
  「無駄だ。生殺与奪の権限は貴族にある。……楯突いても無駄だよ」
  「離せっ!」
  「今は従え。……ここで逆らえば村は潰されるぞ」
  「……」
  「後で好きにしたら良い。だが、今は得策じゃない。懸命な君になら分かるだろ?」
  「……ああ」
  ユニオは正しい。
  貴族は少なくとも村を発展させようとは思ってない。ギリギリまで搾り取る。村民の財産を搾り取りたいだけだ。
  その過程で潰れても問題ないのだろう。
  潰れたら?
  子供が壊れた玩具を捨て、新しい玩具を親から貰うような感じだろうな。
  任地が変わるだけなのだ。
  ……我々はその程度の命でしかないのだろう。
  帝国兵は続ける。
  「お前達はピエット卿を冒涜している。よって全ての財産を没収するっ!」