天使で悪魔





護るべき場所





  次第に私はこの村に慣れつつあった。
  友人も出来た。
  不自由極まりない村ではあるものの、この村にはそれ以上の何かがある気がする。
  それは何だろう?

  それは形のないモノ。
  精神的な拠り所、精神的な安らぎ。
  私は安息を感じていた。
  久しく感じていなかった、安息を。
  ……しかし久しく……それはいつ頃から……?

  私には分からない。
  記憶のない私には、自分の事すら分からない。





  「ありがとうございましたー♪」
  アイリーンの明るい声が店内に響き渡る。
  この村唯一の娯楽の場所であるだけあって、広さでは村随一(他の建物が小さいだけだが)の広さを誇る店内も時間帯によっては
  狭く感じる事もある。
  特に仕事が終わった時間帯は、客(村人オンリー)が引っ切りなしに来る。
  この店が流行る理由。
  もちろんこの村唯一の酒場だから……というのが大きいものの、他にも理由がある。
  酒や料理がうまく、何より安い。
  そして一番の目的が……。
  「マラカティさん。片付けしちゃおう」
  「ああ」
  アイリーン目当ての客が多い。
  この村のアイドルだ。
  農地改革の為に雇われているアルケイン大学のカイリアスも惚れ込んでいる1人だ。
  サマーセット島から知識の伝道の為に出張って来ているアイスマンはカイリアスほど露骨ではないのでよく分からないが。
  深緑旅団の復讐を誓っているオーレン卿もアイリーンを孫娘のような扱いではあるものの労りがあるし、アイドルなのは間違いない。
  ただユニオはよく分からん。
  あいつの事は村人全員が悪く言う以前に、謎過ぎてコメントのしようがないそうだ。
  「モップで床磨いて」
  「ああ」
  「口調がぶっきらぼう」
  「すいません女将さん。すぐに床を綺麗に磨きます」
  「ん。よろしい♪」
  閉店の準備をしなきゃな。
  今夜はこれでお終いだ。


  私は村に馴染んでいた。
  ただ、その村が実は崩壊寸前なのは……今では誰もが知る事だ。既にアイスマンとカイリアスが村人に説明したからだ。
  村は死に掛けている。
  この村を統治する、帝国から派遣されて来た貴族が薬を川に垂れ流したからだ。
  貴族は錬金術師崩れ。
  彼が遺棄した薬が地下水に浸透し、農業用水は汚染されてしまった。
  別に体に害はない。
  害はないものの、作物には大きな影響だ。既に育たない。
  それでも。
  それでも、領主である貴族は年貢を徴収する。
  村は死に掛けていた。
  村は……。


  閉店。
  私はモップ掛けを終え、掃除用具を片付ける。
  アイリーンは満足そうに笑った。
  「ご苦労様」
  「いや。大した事はない」
  「そうよね。あたしが養ってあげてるんだもんね。……女に養われてるヒモ男め」
  「すいませんそう露骨に言われると身の置き場がないんだが」
  「くすくす♪」
  「はぁ」
  この娘。村のアイドルの立場ではあるものの、実は結構猫を被ってる。
  他人がいないとこんな感じだ。
  ……。
  ……。
  ……。
  い、いやっ!
  私とアイリーンは他人だぞっ!
  別に《もう他人じゃないよねマラカティさん♪》《ああ。もうお前は私のものだ♪》などという展開ではないぞ断じてないっ!
  私は心の中で弁解。
  誰に?
  そ、それは知らん。
  「マラカティさん? どうしたの?」
  「何でもない」
  「変なの」
  「はぁ」
  村が駄目になったと知っても村人達は日々の生活を懸命に生きている。……と言えば聞えはいい。
  しかし実際は違う。
  日々の生活に没頭しなければ生きていけないのだ。
  それだけこの村は貧しい。
  「夕食にしよ。……ああ。時間的には夜食かな」
  「遅くに食べると吹き出物が出来るぞ」
  「ひっどーいっ! あたしの年代では、まだニキビって言うんだからねっ!」
  「違うのか? 意味は同じだろ?」
  「全然違うっ!」
  怒るアイリーンに苦笑しながら、私はカウンターの席に座った。
  アイリーンは頬を膨らせたまま私の隣の席に座る。
  夕食は仕事が終わった後。
  それがアイリーンの生活のリズムだ。
  何でも客に細いウエストを自慢したいらしい。つまり、食事前のウエストをキープしたいのだ。そんなに変わらんと思うけどな。
  私には女心は分からん。
  ……。
  元々朴念仁なのか?
  記憶を失っているのか?
  それは知らんが。
  さて。
  「さっ。食べよ」
  コト。コト。コト。
  お皿を次々と並べていく。上に乗っているのは、まあ、売れ残りだ。
  贅沢は敵。
  お残しは許しまへんでー、という食堂のおばちゃんもいるくらいだ。この村において残飯は存在しない。
  残さず食べるのが礼儀だ。
  もちろん、さらに乗っているのは客の食べ残しでは、さすがにない。
  あくまで多く作りすぎて残っちゃった、という意味だ。
  「いただきまぁーす♪」
  「いただきます」
  この娘、元気一直線だ。
  そこは敬意に値する。
  パクパク。モグモグ。
  この村の唯一の娯楽の場であり、村人にしてもここしか行き場がないのは分かるが……流行るには意味がある。食事はうまい。
  酒も地酒だ。これまたうまい。美味だ。
  一日の締めくくりにしか酒は呑めないので、これが私にとっての楽しみだ。
  ごくごく。
  「ぷはぁー。……うー、今日も一日ご苦労様、女将さん」
  「いえいえ。用心棒がいるから助かるわぁ」
  「用心棒」
  思わず笑う。
  はっきり言って雑用係でしかない。
  もちろんそれでもいい。
  要はアイリーンの助けになれればそれでいいのだ。……実際には食い扶持が一人増えただけなんだろうがな。
  アイリーンはよく食べ、よく飲み、よく笑う。
  悩みなんてあるのだろうか?
  この明るさは天性のものなのかもしれない。
  ジッと眺める。
  「何?」
  「いや、何でもない」
  「ははぁん。あたしに惚れたなー? ……婚約指輪にはその指輪をくれたら良いからね♪」
  「この指輪、か」
  深紅の指輪。
  何なのだろう。この指輪に関してのみ、私は頑なに拒否をする。触らせる事すら嫌だ。
  何なのだろう。
  「これは駄目だな」
  「ちぇっ。高く売れると思ったのに」
  「……売るのかよ」
  「あれあれあれー? 命を助けてもらっておいてその口調? 誰が苦しい生活なのに養ってるのかなー?」
  「すいませんでしたっ!」
  「よろしい♪」
  ……結構もネチネチ来るぞこの娘。
  可愛いだけが取り柄ではないらしい。そこも村人に愛される所以なのだろうか?
  しばらく無言で食べる。飲む。
  それから私は口を開いた。
  「なあ。この村を出て行かないのか?」
  「村を? どうして?」
  「作物が……」
  「ああ。その事か。収穫率がゼロじゃないなら、離れられない」
  「何故?」
  「新しい場所に村を作る。……それで? どうやって生きていくの? 開墾して、作物を育てて……うん、良いね、賛成。でもそれま
  でどうやって生きて行けばいい? 蓄えなんてこの村にはない。出て行くにしても、準備に何年も掛かる」
  「……」
  「これが村の現状。しがみ付いてるわけじゃないの。ただ、出て行く術がないだけ」
  「……」
  「マラカティさんは甘いね。でも大丈夫だよ」
  「大丈夫?」
  「ピエット卿に納める分、待ってもらうから。いつもの事だもん、遅れるの。あたしは村の代表だしね。待ってもらえるように説得する」
  「待ってもらう?」
  「うん♪」
  私にはその笑顔の意味が分からなかった。
  その時はまだ……。


  人は建前だけでは生きられない。
  国もまた然り。
  国の大義名分も、正義面も、人とまた同じだ。……いや。権力を振りかざす国家機関は人よりも汚い。
  
  ユリエル・セプティム。
  タムリエルを統べる帝国の皇帝だ。
  善政を敷く稀代の名君として民衆から慕われている。しかしそれは帝国側の建前でしかない。帝国人の観点だ。
  皇帝の人生の大半は侵略戦争。
  国が乱立するから戦争が起こる、それを消し去る為に戦争を起こす。
  矛盾だ。
  全てを打ち破り、統一した今でも戦乱の炎は燻り続けている。
  統一を維持するには結局、軍事力が、軍隊が必要だからだ。そして抑え付け。抑制が新たな戦乱を未然に防ぐと信じて疑わない。
  この村はそんな帝国の政策の犠牲だ。
  国家を維持する為に貴族を至上として帝国の失政だ。
  しかし悲しい事にここはそんな失政の村の一つに過ぎない。
  ここはそんな悲劇の一つ。
  ここは……。
  




  翌朝。
  私は悲鳴で眼を覚ました。アイリーンが部屋に駆け込んでくる。
  「いつまで寝てるのこの愚図っ!」
  「……ぐ、愚図?」
  悲鳴はアイリーンではない。
  誰かは知らないが、男性の声だった。外からだ。
  「何かあったのか?」
  「人が、人が殺されたっ!」


  外に出てみると、村は騒然としていた。
  男の村人達は鍬や鋤を手にしているし、女子供は家に立て籠もっている。
  何があったのだろう?
  アイスマンとカイリアスが慌しく動き回り、指示を下している。
  二人は農地改革の為に雇われているに過ぎないものの、誰よりも知識が深い。知識量も豊富だ。必然的にこの状況を仕切ってる。
  村人もその指示に率先して従っていた。
  「アイスマン。西側はヤバイだろ。ここは一つアイリーンに頼んで……」
  「そうですね。西側に家を持つ方達は一時的に酒場に避難すべきですね。万が一襲われた場合、地形的に護りにくいですから」
  「ああ、そうだな」
  「アイスマン」
  私は叫ぶ。
  彼とカイリアスは私に気付くものの、アイスマンの顔にはいつもの笑みはなく、カイリアスも憎まれ口を叩かない。
  「何があったんだ?」
  「村の近くに深緑旅団が現れたんですよ」
  「深緑旅団?」
  ああ。
  この間聞いた連中か。
  トロルを軍勢にした組織で、ヴァレンウッド一帯を荒らして回っているらしい。
  つまり殺されたというのは村人の誰かが餌食になったという事か。
  こいつは大事だ。
  「カイリアスさん。私は急ぎます。……マラカティさんに事の成り行きを教えてやってください」
  「分かったぜ」
  アイスマンは足早に立ち去る。
  アイリーンに避難場所を借り受ける為にだろう。
  「マラカティ。お前いつまで寝てんだよ。大事なんだぜ?」
  「それは分かってる。寝過ごした」
  「……寝過ごした……まさかだとは思うが隣に裸のアイリーンはいないよな?」
  「はっ?」
  「昨晩は愉しんでないだろうなっ! 見た感じお前はムッツリそうだしな、俺のアイリーンが心配だぜっ!」
  「はっ?」
  「アイリーンは俺の嫁っ!」
  「……すまんカイリアス。とっとと話してくれ。大事なんだろ?」
  「おお。そうだったぜ」
  「……」
  大丈夫だろうか?
  その、色々と。あまりにも緩過ぎる展開なのだが……まあいいか。
  「それで?」
  「えっと、どこから……ああ、そうだったぜ。深緑旅団からはぐれて来たであろうトロルの一団がこの近辺に流れてきた。村を襲った
  のは深緑旅団からはぐれた一団の、さらにまたはぐれてきた一匹だ」
  「……ややこしいな」
  「俺の所為じゃねぇよ。その一匹はオーレンの爺さんが仕留めたよ。あの爺さん、燃えてるぜー?」
  「そうだろうな」
  以前住んでいた村を滅ぼされたらしいしな。
  復讐もまた正当だろう。
  「それで何をこんなに騒いでるんだ?」
  「はあ?」
  「仕留めたんだろ?」
  「この村に侵入した一匹はな。……深緑旅団の本隊は関わってちゃいないみたいだが、はぐれたトロルどもは村の近辺を徘徊して
  いる。いずれは襲ってくるだろう。襲って来ないにしてもあまり気持ちの良い展開じゃねぇだろ?」
  「ああ」
  頷く。
  意味は分かる。
  村を襲う襲わないは別にしても、近辺にトロルの群れがいるとなるとあまり気持ちの良い話ではない。
  「討伐か」
  「ああ。お前はどうする?」
  「……私か」
  どうすべきか。
  傷は癒えている。動くには支障がないものの、体力は戻ってない。……本来の体力はどの程度かは知らんが。
  その時。
  「マラカティっ!」
  ネコだ。
  この村で姉と一緒に鍛冶屋をしているクレメンテ・ダールだ。姉はマデリーン。まだ姉にはあった事がない。
  バッ。
  ネコは私に何かを投げた。
  それを咄嗟に受け取る。剣だ。……いや刀だ。一振りの刀。
  「直ったぜ。無料でいいぜ、友達だからな」
  「ありがとう」
  「久々に良い仕事させてもらったよ。……農具作りもいいが、武器は久々だ。姉貴も喜んでたよ。まともな鍛冶師に戻れたとな」
  「ははは」
  すらり。
  抜き放つ。
  太陽の光を反射するその刃紋は美しい。
  「様になってんな」
  「様に?」
  「ああ。まさかアカヴィリ刀がお前の得物とは知らなかったが……様になってるぜ。構えだけはな」
  「構えだけか?」
  「そりゃ知らねぇ。お前の腕はな。……だがこれで決まりだろ?」
  「ああ」





  草原を歩く。
  見晴らしの良い草原だ。
  「……見つけ易いが、見つけられ易い地形だな」
  トロル討伐遠征隊。
  そんなに大袈裟な事ではないか。
  メンバーは私、アイスマン、カイリアス、オーレン卿、その他大勢の農民の達20名。
  残りは村の防衛だ。
  ……。
  あの村、まともに戦える人数はせいぜい40名。
  あとの人達は老年だったり、女子供だったり、栄養失調だったりで満足に戦えない。そのまともに戦える40名だって体に
  何らかの影響がある。
  水に含まれている毒素は人体に影響はないものの、微量ずつ体に蓄積されているのかもしれない。
  さて。
  「何か言ったかの、お若いの」
  「オーレン卿」
  ヴァレンウッドで白馬将軍と謳われたかつての英雄。
  今は退役し、深緑旅団に対する復讐心を燃やしている。
  「見つけ易いとか見つけられ易いとか」
  「ああ。その事ですか。独り言ですよ」
  「そうでもないでしょう」
  小休止を口にして、アイスマンは立ち止まる。農民達も、立ち止まる。
  しばらく休憩みたいだ。
  ふぅ。
  一同、一息つく。
  私もだ。
  体力はまだ戻っていないのだ。
  その場に腰を下ろし、飲料水を入れた水袋を口に含んだ。水が喉を潤す。
  命の水だ。
  ……。
  その命の水(飲料用ではなく農業用水ではあるものの)を汚す貴族が許せない。
  さて。
  「マラカティさんはなかなか戦術眼をお持ちのようだ。ですよね?」
  カイリアスが食って掛かる。
  「おいアイスマン。あまりその謀略好きな性格を前面に出すなよ」
  「謀略とは何ですか」
  「至門院は反乱組織だろうが」
  「違います」
  ムキになって反論する。
  至門院はサマーセット島にある学術機関。しかし実は謀略機関としての側面を持つようだ。村に滞在して私もそれなりに経つ。
  色々とカイリアスから聞いている。
  ……事実かは知らんが。
  「我々はあくまで知識を提供する。それだけです。それが反乱に繋がっても知った事では……まあいいでしょう、やめましょう。今は
  そんな事を論じ合う時間ではない。……それでマラカティさん、今の状況をどう思いますか?」
  「えっ? あ、ああ」
  面食らう。
  いきなり話題を振らないで欲しい。
  「お若いの」
  オーレン卿も促す。
  元将軍だけあって戦略に精通しているのだろう。私の次の言葉を待つ。
  ……いや。
  そんなに大層な考えがあるわけではないのだが。
  自説を述べるとしよう。
  「別に大した事じゃないさ。ただここは見通しがいいから、向こうからも見つけれる……それだけさ。後は攻め易く護り難いと考えた
  だけさ。ただ視界は見通しがいいんだ。発見はし易いさ」
  「来たぞっ!」
  農民の一人が叫ぶ。
  農民達が手にしているのは鋤、もしくは鍬で武器ではない。錆びた剣を手にしている者もいるが、武器とは呼べないだろう。
  「来たか」
  オーレン卿は弓を手にして立ち上がる。
  全員身構える。
  緑色の怪物が草原を駆けて来る。気付けば周囲を囲まれていた。
  「円陣をっ!」
  私は叫んだ。
  無意識の内にだ。
  ひゅん。ひゅん。ひゅん。
  オーレン卿が矢を放つ。その矢に的確に頭を貫かれてトロルは転がった。しかし数は多い。多い。多い。
  ……多過ぎるぞこれはっ!
  「おいはぐれた一団だと言ったろっ!」
  「俺に言われても困るぜ」
  トロル、50はいる。
  これが本隊からはぐれたトロルだとしたら深緑旅団はどれだけいるんだ?
  アイスマンは冷静に呟く。
  「トロルは繁殖力強いですからね。だから深緑旅団の従えるトロルは殺しても殺してもそれ以上に増えるわけですよ」
  「冷静に分析してるんじゃねーよっ!」
  「アルケイン大学のインテリさんは気が短いですねー。私なんて余裕ですよ?」
  「この状況で余裕。それはそれでおかしいだろうが至門院めっ!」
  トロルは円を狭めていく。
  次第に。
  次第に。
  次第に。
  値踏みするように私達を睨み付けている。
  「……完全に野生じゃな。ロキサーヌは絡んでおらんようじゃな。本隊と完全にはぐれているようじゃ」
  「ロキサーヌ?」
  「まっ、こっちの事じゃ。いずれにしてもこいつは野生のトロルじゃよ」
  「それが分かってどうすんだよ爺さんっ!」
  「アルケインは短気じゃのー」
  「同感ですね」
  「うがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ野生だと分かってどーしろってんだっ!」
  農民達は怖気づく。
  ここまで数が多いとは正直思っていなかったのだろう。
  純戦士ではない農民達が怖気付くのは正しい。
  しかし私の心は落ち着いていた。
  「野生。それは間違いないのか、オーレン卿」
  「ん? おお、おそらくな」
  頭に突然知識が生まれてくる。
  確かボズマーの中には先天的に他者を支配する事が出来る者がいるという。支配した時、その人物は無個性になる。
  トロルを従えれる原理は恐らくそういう事なのだろう。
  今、トロル達は無個性ではない。個性がある。
  つまり野生のトロル。
  ならば。
  「カイリアスっ! 炎の魔法使えるかっ!」
  「魔法? よくぞ聞いてくれた。俺の炎の魔法はアルケイン随一と……」
  「御託はいいっ!」
  「御託だとっ! ……ちっ。で、何だ?」
  「そこら中に炎の魔法を放てっ! 我々が焼かれて死なない程度になっ! 一箇所に放つな、分散して放てっ!」
  「はぁ? 何言ってんだお前?」
  「いいから早くしろっ!」
  「……へいへい大将、了解だよ。……鬼火っ!」
  ドカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンっ!
  放たれる火球は草原を焼く。
  「これでいいのか?」
  「もっとだっ!」
  「へいへい。鬼火っ!」
  ドカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンっ!
  ドカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンっ!
  ドカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンっ!
  火の手は広がっていく。
  「……ああ。なるほど。その手がありましたか。マラカティさんさすがですねー」
  「うむ。感服じゃな。今じゃっ!」
  炎に巻かれてトロル達は戦意を喪失。
  野生のトロルである以上、炎を恐れるのだ。無個性なら意味がなかっただろうが。
  「……ちっ。そういう事か。だがトロルに直接叩き込めばよかったんじゃねぇのか?」
  「いや。炎の海を作る方が効率が良い」
  「……」
  「な、何だ、カイリアス?」
  「あんた頭良いな。軍師向きだぜ」
  「行くぞっ!」
  雨雲が近付いている。
  例え大火になっても自然と消せるだろう。その前に……叩くっ!
  喚声を上げて斬り込む。
  すらり。
  私はアカヴィリ刀を抜き放ち、右往左往するトロルどもの群れに飛び込み一体を切り伏せた。
  凄い切れ味だっ!
  戦いとなると自然に体が軽くなった気がする。
  「はぁっ!」
  一体。
  一体。
  また一体と、切り伏せる。オーレン卿の矢はトロルどもは的確に仕留められて行く。
  頼もしい援護だ。
  カイリアスの魔法がトロルに直撃。
  農民達もまた頼もしい。ガクブルしているトロルに切り込んでいるだけではあるものの、頼りになる。
  そして……。


  「はあはあっ!」
  「凄いな、お前っ!」
  しばらくしてカイリアスは叫んだ。賞賛の響きを込めて。
  アイスマンも頷く。
  トロル討伐の仲間達は皆等しく私を称えた。
  「ふぅ」
  ドサ。
  もっとも。
  もっとも、私にはそんな余裕はない。
  感嘆に答えるよりも先にその場に転がった。
  傷は塞がっているものの、体力は戻っていない。どの程度で本調子かは記憶のない私には分からないものの、治療の為に
  食っちゃ寝をし続けていた私は当然鈍っている。
  事実、息切れしていた。
  どうも戦闘は早過ぎたらしい。
  それでも役には立てた。
  この村の為に役に立てたのは嬉しい事だ。それが拾われた私の精一杯の恩返し。
  「よぉしっ! トロルどもの死体を片付けるとしようぜっ!」
  『おぅっ!』
  仕切るカイリアス。
  村の農地改革の為に雇われている身ではあるものの、既に村の一員として認められているし自負しているのだろう。
  村人たちは力強く叫んだ。
  「マラカティは休んでいろよ」
  「しかし」
  「あんたの出番は終わった。ここからは俺達に任せて休んどけよ」
  「じゃあ、任せる」
  「おぅっ!」
  アルケイン大学から派遣されて来たにしては血の気の多い人物だ。
  インテリ揃いという感があるアルケイン大学。
  カイリアスみたいなのもいるわけだ。
  「ふぅ」
  お言葉に甘えて私は座っているとしよう。
  カラン。
  アカヴィリ刀を転がす。
  クレメンテと姉のマデリーンに研ぎ直してもらった(どの程度の刃毀れだったかは知らない)この刀は最高の仕上がりだ。
  カジートの鍛冶師は最高の腕の持ち主のようだ。
  アカヴィリ刀を握る。
  握る部分、柄の部分は血と垢が染み付いている。随分と使い込んだ代物らしい。
  そしてこの手に馴染む感じ。
  「私は刀とともにある人生を送っていたのか?」
  自問自答。
  もちろん答えはどこにもない。誰かに聞いても無駄だ。
  全ての答えは私の頭の中にある。
  しかし悲しいかな、そこから都合よく記憶を取り出す事は出来ないのだ。
  私は誰だ?
  「隣よろしいですか?」
  「ああ」
  アイスマンの馬鹿丁寧な口調、これが普通の口調らしい。
  同じインテリでもカイリアスとは随分と違う。
  もちろん所属している組織が違う。それに人間は全てがオリジナル。完全に同じ思想や感情の者はいない。
  「私は頭脳派なので肉体労働は向かないのですよ」
  「見たら分かるよ」
  涼しげな顔立ち。
  食器より重い物を持った事のなさそうな感じの印象だ。腕も随分と細い。
  これでは剣を振り回すのは無理だろう。
  「マラカティさんは随分と戦闘慣れしていましたね」
  「そうか?」
  「ええ」
  「私には分からんよ。記憶がないんだからな」
  「でしょうね。私にも分かりません。貴方ではないので。……ただ、戦闘慣れしている。言えるのはそれだけです」
  「そうだな」
  確かに。
  確かに、戦闘の際に私は冷静でいれた。
  肝が据わっている?
  ……。
  いや。
  そういう問題ではない。気力や勇気の問題ではないと思う。
  アイスマンの言うとおり戦闘慣れしているのだろう。
  しかし本当はこう言いたかったのではないのだろうか?
  殺し慣れていると。
  話題を変えよう。
  「アイスマンは戦闘は苦手か?」
  「ええ。頭脳派ですから」
  「だったら魔法を使えばいいじゃないか。正直、最初はトロルどもに殺されるかと思ったよ。援護してくれれば良かったんだ」
  「思い違いをしては困りますね」
  「思い違い?」
  「アルケイン大学はそもそも魔法開発などを司る機関ですが、至門院はあくまで知識の探求のみです。魔法は知識ではなく力
  なので管轄が別ですね。魔法の習得はあくまで個人の趣味。私にはそんな趣味に時間を掛けるより勉学を好みますのでね」
  「魔法が使えない?」
  「ええ」
  優男なのは分かってた。見たまんまだしな。
  てっきり魔法をビシバシ使うタイプだと思い込んでいた。
  「使えないのか」
  「貴方だって使えないでしょう? 別に魔法ぐらい使えなくたって、批判される筋合いはありませんよ」
  「批判はしていないさ。意外だと……」
  「意外?」
  「いや、だから……」
  「まあやめましょう。喧嘩しても仕方ありませんしね。ただ貴方の剣術の構えは何かの書物で見た感じが……」
  「……それはどこだ?」
  「うーん。よく思い出せませんね。それより酷い臭いだ」
  「確かにな」
  トロルの悪臭は耐え難い。
  しかしこのまま放置しておけばさらに臭いの被害に悩まされるだろう。
  腐臭だ。
  このままトロルが腐っていけば、正直閉口する。
  どこかに埋めるしかない。
  むしろ焼くか?
  むしろ……。
  「あれ?」
  「どうしましたマラカティさん。急に変な声を出して」
  「なあ。あの貴族は何してここを駄目にしたんだっけ?」
  「はい?」
  「何をして大地を駄目にしたんだ?」
  意味が分からない。唐突に何を言い出すんだろうという顔をアイスマンはした。
  私にも意味が分からない。
  ただ、直感で何かを思い浮かべただけだ。
  それが何なのか?
  貴族の仕出かした事を思い出せばなにか分かる気がした。
  それは何?
  それは……。
  「アイスマンっ!」
  「聞えてますよ。耳は達者なのでね。……貴族の事ですよね、あいつは錬金術師崩れ……あっ」
  「トロルの使い道があるだろっ!」
  「……これは驚いた。その手がありましたね。機材は私が持ってます。素材さえあれば大量に作り出せますよ」
  「はははっ!」
  「やりましたね、マラカティさん。盲点でしたよ、その発想」
  私は立ち上がる。
  声高に叫んだ。
  「皆喜んでくれっ! 村を再生する目処が立つぞこれでっ! 村は助かるんだっ!」
  それは……。






  私はただ救いたかった。
  ただ、それだけ。

  ……しかしそれが皆の破滅へと繋がっている事に、まだ誰も気付いていなかった……。