天使で悪魔





そして惨劇はやって来る





  足音はなかった。
  姿形はなかった。
  何も気付かなかった。この安息を破る物が近付くのに、私だけではなく誰1人気付かなかった。
  何も気付かない。
  誰も気付かない。
  しかしすぐそこにまで迫っていた。
  それは悪意。

  まるで忍び寄るように。
  ゆっくりと、それでいて確実に迫りつつある。もはや回避のしようがない。私達に出来るのは、受身になるだけ。
  確実に来る災厄。
  それに立ち向かうか、それとも身を寄せ合い震えるか。……だが、いずれにしても結末が同じなら。
  私は立ち向かおうと思う。

  そして。
  そして惨劇はやって来る。






  「何もする事ないって、暇だぜー」
  テーブルに突っ伏しながらカイリアスはぼやく。
  「良いご身分ですね、カイリアスさん」
  「なんだとアイスマンっ!」
  「正論を言われたら怒るのですかアルケイン大学は。大した事ないですねー」
  「ちっ。至門院の反乱屋に意見されたかねーぜ」
  「何です……」
  「何だよ……」
  言い争いを私は無視し、手にしたカップを口元に傾ける。
  んー。紅茶がうまい。
  鉱山ギルドとの交渉も終わり、鉱山引渡しの代金も受け取った。村は潤った。そのささやかなご褒美としてアンヴィルから取り
  寄せた舶来の紅茶。
  異国情緒溢れるお味……だと思う。
  高いお金使って置きながら今更だが普通の紅茶とそう味が変わらない気がする。……贅沢な文句だな。
  自分だけ私腹を肥やしている?
  いいや。そんな事はない。昨夜は酒宴を開いた。
  グレイランドを創設して初めての酒宴。皆、無礼講で愉しんでくれた。もっとも今日は二日酔いのまま畑仕事に突入だが。
  私もいつもなら畑仕事をする時間なのだが、今日は事務的な仕事があるので村人の1人と代わってもらった。
  書類に眼を通す。
  それが今日の地味ながらも大切な仕事だ。
  現在はお茶の時間で、休憩。
  さて。
  「アイスマン。決済の書類は……」
  「さっきので終わりですよ」
  「そうか」
  カイリアスとの掛け合いが嘘のようにアイスマンは優雅に紅茶を飲み干す。アイスマンの肌は白い。まるで芸術品のように白く、
  美しい。私に男色の趣味はないはずだが、アイスマンは美しいと思う。
  種族は何なのだろう?
  「なあ大将」
  「どうしたカイリアス」
  「聞いたか聞いたか、エルズはお前の事を……」
  「聞いたよ」
  「そうかそうか。それで大将、堅物女のエルズのお味はどうだった? げっへっへっ♪」
  「エロ代官かお前は」
  「ひでぇな」
  「エルズの話は噂だろ?」
  「……ちっ。大将は大将で堅物過ぎるぜ。もうあれから3年……」
  「カイリアスさん」
  静かではあるものの、アイスマンの声の響きは冷たく、有無を言わせない断固とした響きを持っていた。
  もうあれから3年。
  そう。アイリーンが死んでから、3年だ。
  「す、すまない、大将」
  「さて」
  カイリアスの気持ちは分かる。アイスマンの気遣いも。
  私は追憶を払い除けるかのように立ち上がる。
  「ユニオを探しに行くぞ。……暇だから来るだろ、カイリアス。ついでにアイスマンも一緒に行こう」


  ユニオ。
  謎のボズマー。
  私がアイリーンに拾われる前から、ヴァレンウッドにあった村に滞在していた旅人。基本的に醒めているものの、時に熱血する妙な奴。
  たまに誰かを監視している様でもあった。
  まあそこはいい。
  一昨日、ブラヴィルから衛兵隊が乗り込んできた。私をマルヴァとかいう結婚詐欺師と間違えて乗り込んで来たのだ。
  ユニオはマルヴァが既に逮捕されている事をブラヴィルの衛兵隊長に伝えた。
  そして丸く収める為、衛兵隊長を伴ってブラヴィルに言ったのだが……まだ帰って来ていない。
  しかし謎だな。
  ユニオの唐突な申し出もそうだが、どうやって丸く収めるつもりなのだろう?
  コネでもあるのだろうか?
  「あの野郎、どこに行きやがったんだ?」
  街道を北に。
  ブラヴィルに戻るのであれば街道が最も最短コースであり、安全だ。街道通らずとも当然戻れるものの、その場合は山野を横断
  する必要がある。わざわざそんなコースを選ぶはずがない。
  ……。
  そもそも衛兵隊長達(衛兵隊長+衛兵2人+ユニオ)は一昨日村を出たのだ。今頃はブラヴィルにいるはずだから、こんな場所を
  ウロウロしているわけないか。考えてみれば、そうだよな。
  「このままブラヴィルまで足を伸ばしてみるか」
  「いいんですかマラカティさん」
  「たまにはいいだろ」
  「ひゃっほー♪」
  カイリアスが喜ぶ理由。それはブラヴィルにユニオを探しに行くという名目で羽を伸ばす、という意味だ。カイリアスは村での生活が
  退屈らしく日々鬱屈している。それに気候的にレヤウィン近辺はカイリアスには合わないらしい。
  私?
  私は別に、亜熱帯は嫌いではない。
  「いいよな、アイスマン」
  「村長の判断なら……おや……?」
  「どうした?」
  「あれはなんでしょう?」
  「……?」
  アイスマンが指差す。
  何かが転がっている。モンスターか野生動物の死体。もしくは人かもしれない。……別に人であっても驚かない。帝国の治世により
  太平の世ではあるものの、それはあくまで帝国上層部の甘い判断だ。
  街の外に出れば人の生き死になんて無数に転がっている。
  その良い例がヴァレンウッドでの我々だ。
  死体があるからといって我々は走って近付いたりはしなかった。どのみち進行方向だ。
  死体は鎧を着込んでいる。
  それも立派な鎧だ。
  その顔は……。
  「おいっ!」
  カイリアスが叫んだ。
  その意味はすぐに分かった。死体はブラヴィル衛兵隊長のものだった。さすがに慌てて駆け寄る。
  アイスマンが死体に屈み込み、脈を取る。

  「死んでます」
  「見りゃ分かるぜ。……それより問題は、何だってこいつが死んでるかだ」
  カイリアスの言い分は正しい。
  衛兵隊長の死体。
  衛兵が2人付いていた、そいつらはどこに?
  ……。
  もしかしたら逃げたのかもしれない。
  そうだな、それはありえるだろう。
  衛兵隊長の死因は刃物による損傷が原因。賊か何かに襲われて一刀両断、衛兵2人はびびって逃げた。なるほど、それはありえる。
  だがユニオはどこに?
  「マラカティさん。こうは考えられませんか? 実はユニオさんは殺人者」
  アイスマンの言葉にカイリアスも頷いた。
  「そりゃありえるかもな。あいつはそもそも謎過ぎる奴だし」
  「私も謎ばかりだ。自分の過去が分からないんだからな」
  「そりゃそうだが大将はとりあえずアリバイあるだろ? それに、そもそもユニオの野郎の様子はおかしかった」
  「……」
  確かに。
  衛兵隊長達をブラヴィルまで送って行くと率先して発言したのは、ユニオ自身だ。
  あの日のユニオはいつもと違っていた。
  いつもの醒めている表情ではなかった。どうしても自分がブラヴィルまで行く、そんな顔だった。それは何故だ?
  そう考えればユニオは衛兵隊長に明言した。それがそもそもおかしいのではないか。

  『マルヴァは元老院議員の娘に手を出そうとして終身刑ですよ。今じゃあ地下監獄で腐ってますよ』


  何故ユニオがそれを知っていたのか。
  考えてみればおかしい点はたくさんある。しかし私は疑う事をやめた。
  少なくとも昨日今日の仲ではないのだ。
  常に自ら孤立し、醒めた表情と言葉で飄々と生きていたユニオではあるものの、三年も同じ村で過ごしているのだ。
  疑うべきではない。
  「アイスマン」
  「はい」
  「私の危惧が間違いなら言ってくれ。……衛兵隊長が意図的に殺されたのであれば、村は潰される。違うか?」
  「いいえ」
  「……」
  「マラカティさんが力で追い返して衛兵達はとっくにブラヴィルに帰還している。衛兵隊長が延々と戻ってこなければ殺されたと
  判断し、事実上の反乱として都市軍を派遣してくるはずです。そして実際に衛兵隊長は死んでいます」
  「……」
  「手を下したのが我々ではないにしても、面倒な事になります」
  「……」
  そうなのだ。
  このまま行けば確実にブラヴィルは報復の為に都市軍を繰り出してくる。この村はレヤウィンの領土内だからレヤウィン都市軍は
  ブラヴィル都市軍の介入に嫌な顔をするだろうが、結局は黙認するだろう。
  非は我々にあるからだ。……このまま行けば確実に。
  「ど、どうすんだよ、大将」
  「うろたえるなカイリアス」
  「だ、だが……」
  「死体はここにある。衛兵2人が見殺しにして逃げたにしても、もしかしたら別の場所に死体になっているにしても、証拠の衛兵隊長
  の死体は我々の目の前にある。とりあえずどこかに埋葬しよう。犯人を見つけるまで、証拠はない方がいい」
  「さすがは大将だぜ」
  犯人は誰なのか?
  賊ではないのは確かだ。もう、甘い推察はやめよう。
  賊なら装備を奪っていく。なのに何も盗られた形跡はない。では、人を斬って腕を磨いている辻斬りか?
  それもないだろう。衛兵隊長は衛兵よりも装備が上等。見れば階級は分かるはず。だから、辻斬りにも衛兵隊長だと分かった
  はずだ。隊長クラスを殺せば腕を磨くだけではすまなくなる。追討はどこまでも続く。
  辻斬りではない。
  だとしたら、何者だ?
  ユニオの所在も気になる。
  とりあえずこの件は村人には知らせるべきではないだろう。2人に堅く命じる。
  「まずは村に戻ろう。それから、考えよう」
  「あまり時間はありませんよ」
  「……分かってる」
  疲れた口調で私は答えた。
  事態は深刻だ。
  だが、結果として私の価値観は甘過ぎた。現実は私の予想よりもはるかに重く、はるかに残酷だった。
  ……残酷。


  「……これは……」
  それ以上、言葉にならなかった。
  目の前には深紅。
  その色は瞼の裏にも焼き付くほどの、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤。
  赤は何の色?
  赤は血の色。
  赤は火の色。
  赤は……。
  「何でだ? 一体何でっ!」
  燃えている。
  燃えている。
  燃えている。
  私達が育て上げた村が燃えている。
  悲鳴が聞える。
  悲鳴が……。
  それは私の悲鳴であり、血煙を上げて倒れる村人の悲鳴。
  「マラカティさんっ!」
  呆然と立ち尽くす私を必死に揺り起こすアイスマン。
  瞬間、我に返る。
  「マラカティさんっ!」
  「……聞えてる。大丈夫だ。……ああ。大丈夫だ」
  すらり。
  アカヴィリ刀を抜く。
  「大丈夫かよ、大将」
  「心配ない」
  「だがよ。顔色が……」
  「心配ないと言った。行くぞ、アイスマン、カイリアス」
  「了解」
  「くそ。誰がこんな事をしやがったんだぁっ!」
  燃える村に突入。
  濃い血の臭いと燃え盛る炎の熱を、嫌でも私は感じていた。



  「……」
  「これは……」
  「こいつはひでぇぜ」
  私は無言。
  アイスマンは絶句し、カイリアスは吐き捨てるような口調で村の惨状を評価した。
  炎が村を舐める。
  死者も多数だ。村人が容赦なく倒れ伏している。
  生きているようには到底見えない。
  ただ、断言出来る事。それは炎で死んだわけではないという事だ。斬殺されている。だとするとこの火事も人為的か?
  だが何の為に?
  「行こう」
  促し、先に進む。
  剣は既に抜き身だ。炎が進行方向を塞いでいるので、我々は迂回を余儀なくされる。
  走ると炎に巻かれる可能性がある。
  我々は足早に、歩く。
  悪意の大元に次第に近付くのが感じる。剣戟と悲鳴、奇声が聞えてきたからだ。
  カイリアスが悪態をついた。
  「おいアイスマン。てめぇが反乱推奨の……」
  「至門院は関係していませんっ!」
  サマーセット島にある学術機関『至門院』。様々な知識を、それを望む者に惜しみなく与える集団。どんな知識でも与える。
  それが例え反乱に関係する知識であってもだ。
  だから。
  だから、至門院は反乱推奨組織として見る者も多い。
  事実かどうかは知らない。
  各地の反乱を裏で指示しているとの裏さもある。
  いずれにしても……。
  「そんな事はどうでもいい、カイリアス。……どの道、我々の過去にも問題ありだろ?」
  「……ま、まあ、そりゃそうだがよ、大将」
  反乱の過去は我々全員にある。
  帝国がそれを知った可能性があるが……だが、いくらなんでもいきなり焼き討ちするだろうか?
  いずれにしても足を進めるわけには行かない。
  助けれる命は救わなければ。
  助けれる命……。
  「行くぞ」
  立ち止まる事は許されない。
  進む。
  進む。
  進む。
  その度に死体が増えていく。死屍累々。全てこの村の住人だ。
  誰がこんな事を……。
  「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  誰かが泣いている。
  男性だ。
  それがすぐに誰か分かった。
  カジートの男性が、同じくカジートを抱き締めて泣いている。泣いているのはクレメンテだ。
  そして抱き締めているのはマデリーン・ダール。クレメンテの姉だ。
  ざっ。
  私の足音にびくんと体を震わせ、こちらを向くクレメンテ。
  一瞬呆けた顔。
  しかしすぐに私だと気付くと彼は叫んだ。
  「兄貴っ! 姉貴が、姉貴がっ!」
  「……ああ。分かってる」
  「仇を取ってくれよっ! 姉貴の、村の皆の仇を取ってくれよっ!」



  そして惨劇はやって来る。










  小高い丘の上から燃え盛る村を見つめる三人組がいる。
  三人組。
  黒衣を纏ったブレイズだ。
  ブレイズとは帝国最強の組織であり、皇帝直属の親衛隊であると同時に諜報機関。モロウウィンドでの暗躍は有名な話だ。
  「いささかやり過ぎたのではないでしょうか?」
  「馬鹿か貴様は。むしろ生温い」
  「同意する。だが、これでレヴァンタンはお終いだな」
  一番目の声の主。新米ブレイズのマディス。
  二番目の声の主。このメンツの中でリーダー格のキルレイン。
  三番目の声の主。ノルドを思わせる巨漢の体躯を持つリディアス。
  キルレインが冷たく笑う。
  「馬鹿な奴だレヴァンタン。死ぬべきお前が、生きようと願うから余計な道連れが増える。まあ、仲良く一緒に死ねばいいさ」
  くくくと笑い、3人は闇の中に消えた。




  そして。
  そして、闇はさらに色濃くなる。全ての人生を黒く塗り潰すかのように、黒く、黒く、闇は増していく。
  夜はまだ始まったばかりだ。