天使で悪魔
後日談
動乱は去った。
旧時代に、アイレイド文明時代に恐れられた邪神はこの世界から永久に退場した。
永遠に。
動乱は去った。
だけど手放しでは喜べない。
今回の動乱はそもそも誰が画策した事なのだろう?
レヤウィン領主マリアス・カロ伯爵に対する今回の騒動の最終報告。
被害総数。
衛兵の被害者数30名。
市民の被害者数13名。
合計43名。
家屋への被害。
特になし。
支出。
殉職した衛兵達の遺族に対する補償。合計で金貨6000枚。
死亡した市民達の遺族に対する補償。合計で金貨2800枚。
今回の動乱の際に協力を要請した戦士ギルド、魔術師ギルドに対する報奨金。合計で金貨10000枚。
徴発した流れの戦士、魔術師、傭兵、冒険者に対する必要経費。合計で金貨13000枚。
総額31800枚。
なお支出に関してはシーリア・ドラニコス隊長の独断であり、責任は全て彼女にあるとして伯爵閣下の指示通り解任させました。
その事をご報告しておきます。
邪神ソウルイーターのゴタゴタから3日。
街は復興しつつあった。
……。
……まあ、前々回の深緑旅団との戦いの後始末よりは楽だとは思う。街は無傷だから。
それでも死者が出たのは確かだ。
冥福を祈ろう。
さて。
「たあっ!」
戦士ギルドのレヤウィン支部。
そこの支部長でありガーディアンの地位のあたしは今、正念場を迎えていた。
的確に。
明確に。
そして美しく繰り出される右手の一撃。
手にしているのは魔剣ウンブラ?
いいえ。
今回の敵にもっとも必要な、そして強力な武器。今回の敵の天敵たる最強の武器だ。それはトイレ用タワシっ!
敵はしつこい汚れっ!
毎度お馴染みのトイレ掃除だ。
……。
……てか誰なんだーっ!
詰まらせてる奴も不明だし。
補佐役のルベウスに調べさせているけど、まったく判明していない。
「これで完了っと」
ピカピカなトイレになった。
うんうん。
トイレはこうじゃないとね。まさに完璧。綺麗好きなあたしとしては満足な出来だ。
戦士ギルドの幹部のあたしがトイレ掃除をする理由?
人手が足りないから。
レヤウィン都市軍は深緑旅団、ブラックウッド団、邪神ソウルイーターの騒動で殉職したり退役したりで人数が激減している。
衛兵の数が三分の一にまで低下している。
そんなわけで戦士ギルドは大忙し。
支部長といえども椅子にふんぞり返っているだけでは成り立たない。
結局あたしが雑用担当。任務しているメンバーが気持ちよく働けるような環境作りが任されてるってわけ。
その時、苦情の声。
「支部長っ! 目玉焼き半熟って言ったでしょっ! これ完熟よっ! 作り直してっ!」
「すいませんっ!」
「支部長っ! 俺のパンツどこっ!」
「すいません今すぐにっ!」
「支部長っ! ……ええっと……忘れちゃったぜ。僕が何考えてたか思い出してくれっ!」
「すいません。あの、それは無理じゃあ……」
あたしは支部長。
1つの支部が任されてるってわけだ。……まあ、そのまんまだよね。
戦士ギルドの階級としてガーディアンに任命されている。ガーディアンは三番目の階級。現在のところガーディアンの階級にあるのはわずか三名のみ。
アンヴィルのアーザンさん、シェイディンハルのバーズさん、そしてレヤウィンのあたしだ。あたしはガーディアンの三席目に位置する。
つまりは戦士ギルドでナンバー5に位置してる。
……。
……ただの雑用係かなぁ。
うーん。
だけど雑用は雑用で大切な事だし、雑用の為にわざわざ人を雇うのはどうかと思うし。
今の戦士ギルドは再建途中。
省ける経費は省かないと。だから結局あたしに雑用が……うにゃあああああああああああああああああああああああああやっぱりただの雑用係だーっ!
はぅぅぅぅぅぅっ。
「支部長っ! 肩凝ったから早く揉んでーっ!」
「直ちにーっ!」
「以上が報告です。いかがなさいますか、支部長」
「ルベウスさん」
「はい」
「貴方の提案した通りに。……それで問題ないと思います。ではお願いします」
「直ちに」
様々な雑用……いえいえメンバーの心のケアを終えて執務室に戻る。あたし専用の部屋だ。机も椅子も特注。ここに座ると支部長って感じする☆
当然あたしは支部長として椅子に座り報告を聞いている。
報告しているのはルベウスさん。
叔父さんがあたし付きにしてくれた補佐官。事務的な事を全て請け負ってくれている。
任務の斡旋と管理。
全てだ。
メンバーの能力に応じて任務を振り分けるのも彼だ。
ある意味で叔父さんみたいに事務能力に長けている。ルベウスさんがいてこそ、ここの支部は成り立ってるともいえる。
自分の能力は分かってる。
あたしにない能力は補ってもらおう。
もちろん支部長としての威厳を発動すべき時は発動するけど、別に独裁者でいる必要はない。
……。
……ま、まあ、雑用係でいる必要もないんだけどね。
だけど性分というのもある。
コロールにいた頃は叔父さんから皿洗いやモグラ退治ばっかりさせられてたし。
特にモグラ退治。
あれってなかなかコツがいるんだよね。
長年畑の天敵たるモグラ退治をしてきた結果『コロール随一のモグラ女王』とまで呼ばれてたんだから。農家の英雄として有名だった。
懐かしいなぁ。
さて。
「ではお願い」
「了解です、支部長」
報告書を持ってルベウスさんは退室。
別にわざわざ報告する必要はないんだけどね。ルベウスさんが眼を通した時点で成り立ってる。報告は特に必要ない。
律儀な人だなぁ。
多分その人柄も、叔父さんが補佐官に任命した理由なんだろうけど。
ルベウスさんが退室してあたしは1人?
いいえ。
「報告は終わったようじゃのぅ」
「アリス待ってたんだから時給を払ってくれっ! 俺には家族がいるんだよっ!」
ノル爺。
マグリールさん。
邪神ソウルイーター退治に貢献してくれた2人……じゃないか。約1名はお荷物でしたっ!
ていうか若干1名はあたしをバルコニーから突き落としたんですけどねっ!
もちろん根になんて持ってない。
持ってませんとも。
この2人を呼んだのは他でもないあたしだ。
邪神騒動から3日。
色々とゴタゴタがあって打ち上げが出来なかった。今日は丁度落ち着いたので打ち上げする為に呼んだってわけ。ノル爺はノル爺で忙しかったみたい
だしね。あの後魔術師ギルドもゴタゴタしてたみたい。
本部であるアルケイン大学は事態が『こうなる予想は出来ていたのに放置した』として世間から叩かれてる。
フィッツガルドさんも色々と大変なんだろうなぁ。
……。
……ま、まあ、若干1名暇過ぎてる人もいるんだけどさ。
誰?
名前言わなくても分かるかと思います。
「アリス金くれーっ!」
この人、段々と露骨になってくるなー。
守銭奴?
うーん。
ただの『うざい☆』だけかも。
はぅぅぅぅぅぅっ。
「それにしてもアリス」
「何、マグリールさん?」
「お前良いように使われてるだけじゃないか? どうだ俺と一緒に傭兵やらないか? 傭兵で得た儲けは俺が九割だぜ。俺には家族がいるんだよっ!」
「……」
何なの?
何なのこいつはーっ!
ある意味戦士ギルドから脱退してくれてよかったのかも。
はぅぅぅぅぅぅっ。
「だけどアリスよ」
「何?」
「お前、まさかメンバーの連中に求められれば応じてるんじゃないよな?」
「求められる?」
「へへへ。分かるだろ?」
マグリールさんは下品な笑みを浮かべる。老カジートの魔術師はやれやれと言いたそうだ。
求められる?
何を?
……。
……ああ、もしかしてあの事かな。
きっとそうだ。
求められるのって嬉しいよなぁ。あたしもついつい調子に乗って時間を忘れて楽しんじゃう。
「求められれば誰だろうと何人だろうとどんな場所だろうとあたしは応じてるよ。支部長としての務めだもん。ふふふ☆」
「なんだとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「性別も関係なく応じてるし」
「マジかっ!」
「何回でも満足するまでね」
「最近の戦士ギルドは凄いなそんなサービス付きかよっ!」
「……?」
マグリールさんは何を驚いているんだろ?
訓練を求められれば応じるのが支部長としての務めなんだけど……何かおかしいかなぁ。
うーん。
「でけぇ蛇だな」
「ああ。まったくだ」
衛兵達はぼやきながら邪神ソウルイーターの死骸を片付けている。
場所はウォーターズエッジ。
マリアス・カロの命令で派遣された衛兵の一隊だ。
20名編成の部隊。
片付けを指示されているもののどう片付けていいのか分からないのが現状だ。巨大な蛇は20名で片付けられるものではない。方法が分からない。
解体すればいいのか、燃やせばいいのか。
「どうすんだこれ?」
「さあな」
「実際問題、魔術師ギルドに引き渡した方がいいんじゃないのか? 実験とかするかもしれないじゃないか」
「知った事か」
口々に文句を呟く。
無理もない。
世の中正しい事をしても必ずしも報われるわけではないという事を見せ付けられたからだ。
敵前逃亡したマリアス・カロ伯爵はお咎めなし。
にも拘らず最善を尽くしたシーリア・ドラニコスは衛兵隊長を解任された。それを屈辱と感じた彼女はレヤウィン都市軍から退役した。
衛兵達にしてみれば面白くない。
命を懸けた者が報われない、それはリアルに自分達にも影響してくる。
それを感じ取った衛兵達の中には同じように退役した者も多い。深緑旅団戦争からの犠牲者を含めると現在レヤウィン都市軍の兵力はは三分の一に
まで落ち込んでいた。
少ない兵力では治安は維持できない。
結局戦士ギルドが治安維持を代行しているのが現状だ。
さて。
「お前達っ! とっとと働けっ!」
『了解でありますっ!』
隊長が叫ぶ。
衛兵達は形だけは返事をするもののすぐに陰口を始める。
「あいつ随分と張り切ってるじゃないか」
「筆頭衛兵隊長を狙ってるんだろ」
「なるほどな」
「シーリア隊長の後釜狙いか」
「陰険なあいつらしいぜ」
陰口。
レヤウィン都市軍は深緑旅団、ブラックウッド団、邪神ソウルイーターと連続しての強制イベントに嫌気を感じていた。殉職率が高いのも嫌気を感じる1つ
の原因だ。そして原因には領主の無能も影響している。
ブラックウッド団の陰謀で住人すべてが死滅したウォーターズエッジの再興すらもままならないのだ。
その時……。
「ぎゃっ!」
「がぁっ!」
「……っ!」
命が三つ、脈絡もなく消える。
衛兵達が身構えるよりも先にさらに二つの命が消えた。一斉に抜刀する衛兵隊ではあるものの、その視線は恐怖に彩られていた。
瞬時に五つの命を奪ったのは黒衣の女。
たった1人。
軍人たるもの精強でなければならない。正式な訓練を積んでいる。
そこらの盗賊や山賊よりも強いのが普通だ。
そんな衛兵があっさりと殺される。
いかに不意打ちとはいえ敵の能力が高過ぎるのは明白。衛兵達は数で圧倒的に勝りながらも怖気付いていた。
そして……。
むせ返る血の臭い。
無数に転がる死骸の真ん中で女は溜息を吐いた。
黒衣の女。
それはファシス・アレンを唆し、邪神を復活させ、アリスを敵視した黒衣の女。両手には血塗られたショートソード。彼女は双剣の遣い手だった。
訓練を積んだ衛兵達を皆殺しにした技量は只者ではない。
「ふん」
衛兵達の死骸を見て、それから邪神の死骸を見る。
復活を唆したものの別段邪神には興味はなかった。復活させたのはある意味では気まぐれに過ぎない。
上層部の気まぐれ。
邪神の事は彼女の頭から既に締め出されていた。
不敵な笑みを浮かべながら呟く。
「まさかあの女がアイリス・グラスフィルだったとはね。……ようやく見つけたよ、アリス」