天使で悪魔
旧時代の終わり
古代アイレイド文明。
現代の魔道を遥かに超越する文明だった。今なお当時の文明の恩恵の上に帝国は成り立っている。
そもそも帝都そのものがアイレイド文明の都市なのだから。
だが。
だが方法次第で、やり方次第で旧時代を超える。
決定的なのが旧時代は古い過去でありそれはもう2度と戻らない時代だという事。今を生きる者達は未来を紡げるが過去の者達は墓の下。
そしていつか越えるのだ。
それは旧時代の終わりの始まり。
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
邪神ソウルイーターはニベイ湾の水面ギリギリを飛び交い威嚇している。
ただいきなり襲っては来ないだろう。
ノル爺の魔法が効いているし盛大にニベイ湾に突撃したダメージもあるのだろう、飛んでいる姿はどこか弱々しい。
それに視線は南に向いている。
レヤウィンだ。
あの街がなんだというのだろう?
ともかく。
ともかくあたしには、あたし達には眼中もないという事だ。
羽蛇を視界の中に捉えつつ黒衣の女と向かい合う。
黒衣の女と。
「貴女は一体何者ですかっ!」
「さてさて。誰でしょうね」
油断なく黒衣の女と相対するあたし。
距離は10メートルは離れている。
黒衣の女はローブとフードを纏っており、腰には剣が二振り差してあった。二振りのショートソードだ。
ファシス・アレンの塔で見た際には何も帯びていなかったけど今は武装している。
ただ武器を手に身構えているのではなく悠然と腕組みをしながら黒衣の女は微笑を浮かべていた。フードを目深に被っているので女がどんな顔をして
いるかは分からないけど口元は見えるので種族は分かる。
ダンマーだ。
それも若い、と思う。
歳はあたしと同じぐらいだろうか。
「ふふふ」
「……」
油断なく魔剣ウンブラを構えるものの、これを振るう事には抵抗がある。
魂を食らうからだ。
魂がなければ人は転生できない。
つまりこの剣で斬られた者は存在そのものが抹消されてしまう。この世界が続く限り転生し続ける存在を全て消す事になる。さすがにそれは出来ない。
魂を奪う事に対しての抵抗はあるし、あたしの美徳がそれを許さない。
あたしは死霊術師ではない。
連中のような価値観は持ち合わせていない。
……。
……だけど、どうしよう?
魔剣ウンブラしか持ち合わせがない。
フィッガルドさんから貰った雷の魔力剣は一時的にマグリールさんに貸している。マグリールさんの武器では邪神には対抗出来ないと思っての配慮だ。
もちろん事が終われば返して貰うけどね。
あれはあたしの宝物だし。
「どうしたの、ダンマーのお嬢さん。……ああ、名乗らなくてもいいわよ。私も名乗るつもりはない。この場で関係は終わるのだからね」
「あたしを殺すという意味ですか?」
「さあ?」
「……」
「命のやり取りには絶対はないからね。あんたを殺せるかもしれないし私が死ぬかもしれない。どっちかは断言はしない」
「そうですか」
油断なく相対しながらあたしは焦っていた。
こいつ強い。
誰かは知らないけど強い。
黒衣の女から発せられるプレッシャーに気圧されそうになる。
あたしの手には魔剣ウンブラのみ。
雷の魔力剣はない、護身用のナイフは邪神ソウルイーターの背中に突き刺さったまま。……もちろんナイフでこの女とやり合えるはずがないけど。
こいつは強い。
強い。
何者かは知らないけど、どう考えてもファシス・アレンの仲間ではないのは確かだ。
この女は邪神復活の為に邪教集団を利用したに過ぎないのだろう。
何の為に?
その時……。
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
邪神ソウルイーターは威嚇の声を上げながら南に移動を開始する。
再びレヤウィン侵攻かっ!
「ちっ」
あたしは舌打ち。
黒衣の女に隙はない。切り結ぶにしてもこの場から離れるにしても威圧感ある女の側から動く事すら出来ない。
焦った行動をすればその場で斬り捨てられるからだ。
それは明白。
それは確実。
それは絶対。
「……」
「……」
無言の空気は真剣のようにあたしの首筋に突きつけられている感じだ。
能力の評価はああたしには出来ないしランク付けも出来ない。そんな腕も器量もないからだけど……黒衣の女は強い。フィッツガルドさんには及ばない
のかもしれないけど、あたしでは対応できないのは確かだ。
どうする?
どうしよう?
邪神はどんどんと南に向って移動している。
ダメージが大きいからかどこか頼りなくスピードはないけど確実にレヤウィンに近付いている。
「やめた」
「えっ?」
「旧時代の出来損ないを追うといい」
「どういうつもりですか」
「どういうつもり?」
「はい」
「どうでもいいからよ。あんたも、邪神も。それだけの事よ。それだけの事」
「……」
「今後の展開、あんたの好きになさいな」
そう呟いて黒衣の女は一歩後ろに下がる。
威圧感は瞬時に霧散した。
本気で戦う意思を捨てたようだ。それも唐突に。
……。
……まあ、そうじゃないか。本音はそうじゃないよね、きっと。
相手は面倒臭くなったのだ。
あたしと戦うのが。
悔しいけど殺す気も失せた、という事だろうか。
悔しいなぁ。
「……」
あたしは無言で一歩、一歩、一歩と下がる。そしてウンブラを鞘に戻して走り出した。
邪神を追って南に走り出す。
今の邪神の飛行速度なら途中で追いつくだろう。
もちろん追いついたところであたしは地上、邪神は空中、攻撃の手段はないだろうけどここで黒衣の女と向かい合ってても意味がない。少なくとも優先順位
としては邪神を何とかする方が上になる。
タタタタタタタタタタっ。
邪神を追う。
邪神を。
1人取り残された黒衣の女は溜息を吐いた。
「つまらない」
今回の任務も。
今のダンマーの女戦士も。
全てがつまらない。
元々今回の任務は主として尊敬する者からの勅命だから、という意味合いで受けたに過ぎない。黒衣の女は立場的に組織の中では上位に位置するので
任務を選り好み出来る。それが許されている。邪神復活の任務は乗り気ではなかったが主からの要請だ。
拒否も出来ないので引き受けたに過ぎない。
「さて、どうしようか」
先程まで相対していたダンマーの女戦士は邪神ソウルイーターを追って去った。
あの女に旧時代の出来損ないを倒せるとは思っていない。
邪神がレヤウィンに拘る理由は黒衣の女にも分からないものの、向かう先が限られているのであれば彼女にしてもやり易い。いずれにしても邪神をこの
まま放置するつもりはない。誰が倒しても問題はない。ダンマーの女戦士に倒せれるのであればそれでいい。
倒せれないのであれば?
「私が手を下すまでよ」
ふふふと含み笑い。
どう転がるにしてもレヤウィンに向かう必要はある。ゆっくりとした足取りで女はレヤウィンに足を進めた。
任務に疑問はない。
任務に問題はない。
ただ……。
「あのダンマーの女戦士の持つ剣、どこかで見た気がするけど……」
それと女戦士の容姿。
どこかで見た気がする。
名前だけは聞いておくべきだったと黒衣の女は思った。
ある事件で無人と化したウォーターズエッジであたしは邪神に追いついた。
ある事件?
よくは知らない。
ただ黒馬新聞や叔父さんから聞いた話によるとブラックウッド団の陰謀で村人は虐殺されたらしい。酷い話だ。もちろん当のブラックウッド団は天罰を受
けて本部は壊滅、支部は帝都軍に踏み込まれて全て潰された。構成員は全員捕殺された。
因果応報。
まあ、そこはいいか。
あたしはさらに南下しつつある邪神に手のひらを向ける。
「煉獄っ!」
ドカァァァァァァンっ!
元々あたしの煉獄はフィッツガルドさんの五分の一の威力しかない。そして魔法効かない相手である邪神ソウルイーターにしてみれば直撃しても
豆鉄砲程度の威力もないのだろう。
だが宣戦布告にはなった。
邪神は無人の村に佇むあたしを視認、村の上空に漂いながら留まる。
敵として認識してもらえたようだ。
すらり。
魔剣ウンブラを抜き放ち、構える。
何だかんだで邪神ソウルイーターはダメージを追っている。魂食らう邪神を魂食らう魔剣で倒すっ!
「さあ来なさいっ!」
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
咆哮。
ただダゲイルさんの魔力障壁のお陰で魂を奪う声は通用しない。あたしには届かない。
その能力さえ遮断出来れば空を飛ぶ巨大な蛇に過ぎない。
もちろん相手は空にいる。
特性上、まだ向こうに利があるけど邪神に遠距離攻撃の手段がないのであれば特に問題はないだろう。あたしを始末する為にはどうしても効果、接触
する必要があるからだ。接触の際に頭にウンブラを叩き込んでやるっ!
「……」
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
威嚇の声を発しながら邪神は宙を漂う。
あたしを邪魔な敵と見ているのだろう。
実に好都合。
ここで雌雄を決しましょうっ!
「来なさいっ!」
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
旧時代の邪神。
あれから何千年も経っているのに現代に復活した。
当時はアイレイドエルフの天下で他の者達は全て奴隷。しかし時代は変わった。旧時代の邪神に恐れる事はない。
……。
……考えてみれば邪神ソウルイーターが恐れられた理由は『魔法が効かない』というのが一番の理由だろう。
当時の特権階級はアイレイドエルフ。
そして魔法が使えるのも彼ら彼女らの特権だった。
だから。
だから邪神を恐れた。
唯一にして絶対的な力の行使が通用しないからだ。そして倒したのが人形姫だというのも理解出来る。アイレイドの人形姫は魂持たぬ人形の軍勢を
保有していた。邪神の魂を奪うという攻撃が効かないのだから、人形姫の軍勢に敗れ封印されのだ。
あたしは魔法とは無縁。
魔法に特化した存在じゃないから、あたしなら勝てる。
そう信じてる。
別に傲慢でも過信でもない。
戦いに挑む際に心で負けたらどうしようもない。
あたしはいつも自分の勝利を信じてる。
いつもだ。
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
一際高い咆哮を上げて矢の如くこちらに向かってくる。
急降下。
あの状態に斬り込むのは自殺に等しい。
接触した瞬間、吹っ飛ばされるのがオチだ。ギリギリで回避して横合いから頭をウンブラを叩き込む。
それしかない。
「邪神よっ! このあたし、アイリス・グラスフィルが相手をしますっ!」
「……アイリス・グラスフィル……お前が……?」
「……っ!」
あたしの啖呵に反応したのはゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる黒衣の女だった。
わずかな間合を保って女は止まる。
さっきの女だ。
女の口調はさっきとは異なっていた。
敵意と殺気に満ちている。
「お前がアリスだったのかぁっ! ふふふ、運命に感謝しないとねっ! ようやく巡り合えたわねっ!」
「……っ!」
思わず硬直する。
ここまで怨まれている理由が分からないからあたしは戸惑う。
だがその戸惑いはすぐに消えてなくなる。
正確には戸惑う『原因』が視界から消えたからだ。邪神は黒衣の女を標的に変え、そのまま黒衣の女に突っ込んだからだ。黒衣の女はそのまま吹っ飛
ばされて無人の家屋に突っ込んだ。壁を砕き屋内に。そしてそのまま家は崩れた。
次の瞬間、あたしは動いた。
魔剣ウンブラを邪神ソウルイーターの胴に突き立てる。
さらに素早く走って一枚の羽根を切り飛ばす。
翼を奪った。
空を奪った。
これでソウルイーターは巨大な蛇に過ぎない。
飛行能力を奪い、魂を奪う能力を遮断している以上、勝率は一気に跳ね上がる。
勝てるっ!
背に飛び乗る。すると蛇は巨大な体を振るってあたしを弾き飛ばそうとする。
「つっ!」
ヌメヌメする鱗。
揺れれば足場が不安定だからあたしは横転。何とかしがみ付こうとするものの、掴むところが……あっ、さっき刺したナイフっ!
突き刺さったナイフを掴む。
だが蛇の大きな動きはそれすらも許さない。ナイフが抜けてそのまま吹っ飛ばされた。
ドサ。
路肩に倒れた。
手にはナイフが収まっている。ナイフには血糊。それを見て確信した。魔法は効かないかもしれないけど武器なら殺せる。
そしてあたしの武器は魔剣ウンブラ。
勝てるっ!
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
苦悶と悲鳴の入り混じった絶叫で鎌首をもたげ、次の瞬間に巨大な顔をこちらに向ける。
鋭利な牙。
あたしを噛み砕くべく噛み付いてくる。あたしは咄嗟にナイフを投げた。
そのナイフは寸分違わずに邪神の右目に突き刺さる。
片目が潰れれば相手の視界の一部がなくなったという事。視界を失った右側にあたしは回り込む。邪神はあたしが消えたという錯覚に陥ったはず。
そして……。
「邪神ソウルイーターっ! 旧時代の邪神よ、消え去れっ!」
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
ザシュ。
魔剣ウンブラは邪神の首筋に突き刺さる。
その時、あたしは理解した。
魔剣が魂を食らってるという事を。魔剣ウンブラが邪神の魂を、命を吸い取っている。次第に邪神は力を失っていく。
決定的な一撃を魔剣ウンブラによって与えられた。
それにより決定的となった。
旧時代の邪神ソウルイーターの生命はここに潰える事になったのだ。
そして。
そして旧時代からの来訪者は果てた。