天使で悪魔
惨殺の地
「はぁっ!」
剣が空気を切り裂く。素振りは大抵、真剣で行ってる。
危ない、確かに危ない。
しかし本物の刃を振るう事で、あたしの心はどこかし研ぎ澄まされ、感覚は鋭くなる、気がする。
ぶぅんっ!
この刃がいつか、いつか誰かを護る為に使われる事を祈ってる。
……物騒?
ううん。皇帝が暗殺され、後継者である三人の皇子殿下も全員暗殺、皇帝陛下の血筋は途絶えた。
今、政権は元老院のオカート総書記が受け持ち、滞りなく世界は動いている。
……まやかし。
世情は次第に混迷を迎えつつある。
ただの、それも戦士ギルド準構成員であるあたし、アイリス・グラスフィルにだってそれぐらいは分かる。
帝都軍は主無き軍隊。
各都市の領主も治安維持の名目で傘下の都市軍を強化している。
内乱が起きる、とは言わない。
しかし誰の眼にも世情がきな臭くなっているのは明白だ。
皇帝はもういない。
元老院が治世の権を握り、各都市の領主達も次第に統制から離れ独自の動きをしている風にも見える。
そう、独立しつつある。
平和を保つのに剣が必要、というのも物騒だけど……何かを護る為に戦う事もまた、必要なのだ。
あたしが護りたいモノと剣を振る理由。
それは……。
「熱心ね、アリス」
「ダル」
「さっきから見学してたの、気付いてなかったみたいね。はい、タオル。汗拭いて」
「ありがとう」
「アリスはどうして最近、そんなに熱心なの?」
「……」
あたしが護りたいモノと剣を振る理由。
それは……。
「ダルぅっ! あ、あたし貞操危ないのいずれアンヴィルから来るであろう同性愛者に弄ばれるぅーっ!」
「ア、アリス?」
アンヴィルから帰還して三日。
まだ夢見ますフォースティナのあのネトネトと絡みつくあの視線があたしを苛むのぉーっ!
あぅぅぅぅぅっ。
釈放され、あたしにお礼参りに来た時に返り討ちに出来るように剣の腕を磨いている真っ最中。
帝国の混乱?
あれは一般論よ、今のあたしはまず自分の貞操護るのが急務っ!
まず貞操護れなくては帝国護れないっ!
それにダンマーは基本的に帝国を尊貴だとは思ってない。平和を維持した云々言ったって、結局帝国は侵略戦争しまくり
だし皇帝はその絶対的支配者だ。もちろん観点の違いもある。善人も悪人も、天使も悪魔も見方次第だ。
あたしは別に皇帝も帝国も……嫌いじゃないけど、どうでもいい。
関わりないし。
あたしの急務。それはフォースティナを返り討ちに出来る実力を身につける事と正規ギルド員になることだ。
今のところ、それが最大の目的だ。
その後?
その後は……やっぱり英雄かな。いずれは大陸全土……とは言わないけどシロディールで勇名を馳せたい。
あっ、騎士というのもいいかも。
領主=騎士団、は小説ではよくあるけどシロディールでは、騎士団を有しているのはシェイディンハルだけ。
何故かは知らない。
衛兵よりも一等上だから維持にお金が掛かるのかもしれない。
まあ、それは将来の話。今は自分を磨こう。
「そう。アンヴィルでそんな事があったんだ」
「ダルぅ、どうしたらいいと思う?」
「それも人生」
「……と、友達甲斐のない奴……」
「あはははは。冗談よ、冗談」
ネズミ騒動、の件は叔父にも報告したしダルにも話した。が、フォースティナ達強盗団の事は言ってない。
ある意味で……触れられたくないし?
あぅぅぅぅぅっ。
「相談したら?」
「叔父さんにぃ?」
「そう」
「笑われる……より先に拳骨貰いかねないわね。勝手に仕事引き受けるなって」
「同性愛者に襲われるよりマシでしょ?」
「そ、そういう比べ方されるとそうなんだけど……」
その時、叔父が叫んだ。戦士ギルドの建物の方からだ。
「おい無駄飯ぐらい。さっさと来い。お前に相応しい酒場の皿洗いの仕事を受けてきたぞがっははははははっ!」
既に『戦士』ですらない仕事だし。
「アリス、お仕事頑張ってね」
「お仕事って……」
「花嫁修業だと思えばいいのよ。多分、そういうつもりだと思うわ」
「……絶対違うと思う。てかあたし、誰の花嫁なわけ?」
「フォースティナ♪」
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
ダル=マ。
あたしの親友です。幼馴染です。で、コロールのアイドル。
……でもね。
一番近しいであろうあたしから言わせてもらうと、まあ長い付き合いだからたろうと思うけど結構いい性格よ、うん。
あぅぅぅぅぅ。
「ほらアリス、来い。がっははははははっ! それとも犬の散歩がいいかゴブリン退治がいいかぁ?」
「はーい。皿洗……いっ!」
ゴブリン退治っ!
……ああ、とっても戦士っぽい響き……。
「アリス、今回は貴女にお願いしますね」
ギルドマスターの威厳と、賢母の慈愛を併せ持つヴィレナ・ドントン……おば様は、椅子に腰掛けながらそう言った。
おば様の傍らには叔父さんが立っている。
ヴァラス・オーディルさんからの依頼。彼はコロールに住んでいる、つまり地元の人の依頼。
……これも、皇帝が崩御した結末だ。
最近、衛兵達がだらけてる。
帝都軍もそうだけど、どこか投げやりだ。無理もない、最高指導者が死に今後の対策すらもない。ただ元老院のオカート総書
記が治世の権を暫定的に引き継ぎ、それがいつまでつづくのか、今後どうするのか、具体的な決定は何もない。
……まあ、だからといって衛兵が仕事投げるのはどうかと思うけど。
……給料はもらってるくせにね。
で、まあそんなわけで戦士ギルドに回ってきた。
「オレイン、説明を」
「はい。……いいかヒヨッコ、今回お前に頼むのはゴブリン退治。モノホンの、戦闘だ。何故頼むか分かるか?」
「あたしを信頼しての事、かな、叔父さん?」
「ここで叔父さんはよせ」
「はーい」
「お前を任命した理由、それは極めて簡単。取るに足らない新米以下の仕事だからだ、がっははははははははっ!」
「はっ?」
「先月、大規模なゴブリン討伐があったのは知ってるな」
知ってる。
ゴブリンは知能も高く、繁殖力も高い。コロール近辺の洞窟に異常に増えたゴブリンが危険であるとされ、戦士ギルドはその
討伐に乗り出した。あたしは関係してない。で、殲滅した。
「今回のゴブリンはその残党だ。依頼人ヴァラス・オーディルの農場に農作物を盗みに来るそうだ。でお前の出番だヒヨッコ」
「……」
「数は正確には分からんが……足跡の数、盗まれた農作物から推定するに十にも満たないだろう」
「……」
「分かってると思うが領主付きの衛兵は市内の警備しかしない。市外は自己責任。帝都巡察隊は街道を巡回しているがあまり
当てにはならん。で我らが戦士ギルドの出番だ。いいな、一匹残らず始末しろ」
叔父のその言葉を、おば様は引き継ぐ。
「大きな依頼ではない、かも知れません。しかし我々を必要としている者がいる、我々はその方達の手を握る。それが、戦士ギルド
の役割だと考えています。我々の剣は誰かの為に。そう、思いませんか、アリス?」
「……はい、そう思います。おば様」
「お行きなさい。愛しい娘」
アリスが任務に出た後、モドリン・オレインは呟く。
「あいつで大丈夫か?」
「彼女の剣の腕では既に戦士ギルドの中でも上位に位置しています。オレイン、姪が可愛いのは分かりますが……」
そこまで言って、ヴィレナ・ドントンは口を閉じた。
次男であるヴィラヌスに対して、一線から引かせたのは自分。オレインの事は言えない。
「ヴィレナ、確かに俺はアリスが傷つくのを恐れるあまり、危険な任務を宛がわなかった。今までな。しかし恐れてばかりでは何
も変わらないのだとも考える。自分で剣を取っているんだ、最悪の場合だって、覚悟せねばならん」
「……」
「結局、自分で選んだ生き方だ。誰が止められる? ……ヴィレナ、アリスもヴィラヌスも自分で選んだ道だ」
「貴方は何も知らないから言えるのです。家族を失う、この虚無感をっ!」
ヴィレナ・ドントンの長男は任務中に殉死。
その長男と共に任務についていたメンバーも全員、帰らぬ人となった。
それから、ヴィレナは変わった。
次男であるヴィラヌスを実戦から遠ざけ、他のメンバー達にも危険な仕事を割り振らなくなった。
怖いのだ。これ以上誰かが死ぬのが。
そして台頭してきたのがブラックウッド団。格安の料金で戦士ギルド以上の仕事をこなす彼らは現在勢力を伸ばしつつある。
結果、戦士ギルド内でも波紋が広がっている。
共存も可能と考えるヴィレナ・ドントンの穏健派。
排斥を掲げるモドリン・オレインの強硬派。
「ヴィレナ、このままその考えを引き摺ればギルドは崩壊する。ブラックウッド団に後れを取る」
「別にもう一つ似たような組織があっても不思議ではないでしょう」
「甘いよヴィレナ。あいつらは、血に飢えた傭兵が前身だ。いや今もそうだ。連中は我々とはそもそもの根本が違う」
「……」
「ただでさえ仕事はなくなりつつある。ギルドを去る者も少なくない。このままでは崩壊するっ!」
「……アリスには今回の任務に依頼人の息子達も参戦する事を告げるのを忘れましたね」
「ヴィレナっ!」
「話はここまでです。……私は、ヴィラヌスもアリスも愛しています。メンバーも息子であり娘、愛しているのです。これ以上危
険な目に合わせるぐらいなら自らギルドの幕を……」
「それは口にするな戯れでもなっ!」
「……では、私は仕事があります。貴方にも貴方の仕事がある。話はここまでです、それでは」
「……甘いぞヴィレナ。ブラックウッド団は帝国の混乱に乗じてる、連中はただの傭兵じゃあない。それは言い切れるよ」
「……」
「あたしはアイリス・グラスフィル。戦士ギルドの者です」
オーディル農場。
コロールの東に位置する、個人の農場。
コロール、帝国間の街道沿いにある農場で、街道からその姿は遠望できる。
この間の海賊騒ぎで帝都に行く際に眼には止まったけど、当然の事ながら農場に入ってはいない。
そこで二人の青年が待っていた。
アントゥス、ラルス。
依頼人であるヴァラス・オーディルさんの息子だ。
依頼内容はゴブリン退治。
本来ならあたし1人で受け持つはず……というか、その辺りはおば様からも叔父さんからも聞いてなかった。
しかしいざ着いて見ると、依頼人の息子さん達も参戦するらしい。
血気盛んな年頃。見た感じ、私より幼い。
そもそも農場を護る為に自分たちで戦おう、というのがこの兄弟の主張。父親にもそれを勧めた。
だけど父親はそれを暴挙とした。
自分達の農場を、自分達で護る。それはとても素晴しい事。
父親もそれを理解はするし共感は出来る、そしてきっと息子達を頼もしく思っただろうけど……やはり親だ。
可愛い子には旅をさせろとは言うけど、可愛い子に怪物に立ち向かわせよなどとは言わない。
それで戦士ギルドに依頼した。
場所が街の外だから衛兵は役に立たない。
本当なら戦士ギルドに丸投げしたかったのだろうけど、兄弟達はそれが認められず、自分達の力を過信し、怪物退治に出張って
きたのだ。彼らを見ているとおば様や叔父さんが、ヴィラヌスやあたしをどういう眼で見てるか分かる。
心配だから、無茶させたくない。
……少し反省。
あたし今まで、我侭だった。地道に頑張って、たくさんの人を救おう。そうすればいつかは英雄になれる。
……もしくは英雄っぽく、ね。
まずはコロールの英雄を目指そう。その為には、叔父さんの口癖である小さい事からこつこつとー、だね。
「それでここにゴブリンが現れるそうですけど」
弟の方、アントゥス君の方はかなりヒートアップしてる。父親を腰抜け呼ばわり。
少し、ムカ。
しかし兄の方、ラルス君は至って冷静。
弟に目で黙るように指示し、それからまずあたしに頭を下げた。謙虚な子。
「何の関わりもない我々の為に来てくださった貴女に感謝を」
「い、いえこちらこそ」
「父が戦士ギルドに依頼した真意も分かります。でも、ここは我々の農場。自らの手で護る価値もあるし、護りたい。もちろん我
々は戦闘とは今まで無縁です。ですから、ギルドや貴女の高潔なる援助、感謝します」
「い、いえご丁寧にどうも」
……あたしより年下?
弟は変にヤンチャ過ぎるけど、兄は兄でかなり老成してる。
ただ言えるのは、どちらも危ない事は他人任せ後ろで見ています、というタイプではない。もちろんそれが正しいとは言わない。
専門外の事を、専門家に委託するのは至極まともな事だ。
でも……。
「健気だなぁ」
あたしは嫌いじゃない。
そうか、おば様も叔父さんもこういう人達を護る為に、剣を振るっているのか。
……尊敬するなぁ。
「兄貴っ!」
アントゥス君が叫ぶ、と同時に抜刀。視線の先にはゴブリン。数は九匹。
来たか。
すらり。あたしも黒水の剣を抜く。ラルス君も。
この魔法剣である黒水の剣は、戦士ギルドの建物の隣にある魔術師ギルドコロール支部に持ち込んで鑑定してもらった結果、切り
つけた相手のスタミナを吸収し一時的に自分のものにする魔法がエンチャントされている、らしい。
つまり攻撃が当たり続ける限り、相手のスタミナを吸い続けあたしはスタミナが減らない。永遠にあたしのターン、なわけだ。
……まあ、永遠に斬られて死なない相手はいないだろうけど。
……それにあたしも永遠に誰かを斬り続ける気も更々ないし。
さて。
ゴブリン達は農場の柵を越え、いや一匹がそれを蹴破り、奇声を上げて突撃してくる。
手にしているのは錆びた武器。剣もある斧もある。
どこで手に入れた骨董品かは知らないけど、当たったところで死なない。……つまり即死はしないということだ、どこに当たっても。
まあ、それでも斬れるし痛い。一撃で致命傷にはならないだけ。何発かは耐えられる。
……。
……そ、そうか却ってその方が嫌かも。その方が痛いし。
「はぁっ!」
踊りかかってきたゴブリンを両断。
向こうには洗練された動き、訓練で裏打ちされた動きは皆無。ただ本能の赴くままに飛び掛り、武器を突き出してくる。
血飛沫。
剣を振るい、二匹を切り倒す。
ゴブリンは部族によってはかなり強い部類もいるけど、ここにいるのはそう強くない。
当然、駆け出しのあたしでも対処できる仕事だからこそ回したんだろうけどね。
「や、やぁっ!」
「アントゥス、力を抜けっ!」
兄弟は、やっぱり素人。畑仕事では熟練でも、戦士ではない。
それでも兄弟が息を合わせて三匹のゴブリン達を寄せ付けず、当面心配はないだろう。私は駆け……。
「斬っ!」
兄弟と交戦していた一匹を、背中から切り下げる。これで四匹目撃破。兄弟と交戦していた残り二匹虚を突かれ、あたしに振り
返り、そのまま地に倒れ伏す。絶好の機会と兄弟達の振るう剣の錆となったのだ。
残りは三匹。
……ああ、訂正。さらに三十匹ほど……は、はい?
な、なんでっ!
叔父さん達は多くても十匹とか言ってたけど、全然数違うじゃない。さ、さすがに『これも試練だ』的に黙ってたわけじゃないと思う。
つ、つまりこんなにいるのは完全にギルドも把握してなかった。
一斉に駆けて来るゴブリン軍団。
「下がって二人ともっ!」
1人で相手するわ、とは言わないけど二人は完全に素人だ。この数と乱戦だとまず死ぬ。
それは2人とも心得ているらしく素直に従った。
……かと言ってあたしが何とかできる数じゃない。
「やあっ!」
すれ違い様に一匹、さらに胴を払い一匹、飛び掛ってきたゴブリンの棍棒を黒水の剣で受け流し体勢を崩したそいつを切り捨てる。
連続で三匹。
……確かに黒水の剣は斬った相手のスタミナを奪ってる。
あれだけ立ち振る舞ってるのに、あたしは息切れ一つしていない。しかし無限に切れる刀はない。
斬れば斬っただけ、刃こぼれがして切れ味が悪くなる。
どこまでやれるか?
「どうしたの、掛かって来なさいっ!」
ゴブリン達は迂闊にあたしに飛び掛ってこない。ただの怪物ただの獣、と思うなかれ。
モンスターの中ではもっとも知能の高い連中だ。
命知らずに飛び掛り、自ら死のうとはしない。その辺はどこか人間臭い怪物どもだ。
キィー、キィー。
突然、二匹のゴブリンが奇声を上げと同時に首が宙を舞う。
のっしのっし。
ゴブリン軍団の間を掻き分けて、体格の明らかに違う大型のゴブリンがクレイモアを引っさげて進み出てきた。
ゴ、ゴブリンウォーロードっ!
ゴブリンは部族で暮らしている。その部族の中でトップに立つのがゴブリンシャーマン。そして実戦で指揮を取るのがこのゴブリンウ
ォーロード。かなり稀なタイプの亜種で、一説では突然変異。は、初めて見た。
その力はオーガともタメを張れる。
……ある意味、こいつゴブリンという種族の枠を超えてる。ゴブリンと名が付くけど舐めるとまず殺される。
じりじり。
あたしは正眼に構えながら、間合いを保つ。兄弟もゴブリン軍団も動く事が出来ず、まるで決闘者を見守るよう。
あたしは間合いを保つ。
間を。
間を。
もっと間を。
「……」
がああああああああああああああああああああああっ!
咆哮。ゴブリンウォーロードは叫びながら突っ込んでくる。振りかぶるクレイモア。持久戦はお嫌いらしい。
……掛かったっ!
今たこのチャンス、食らえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!
物言わず、あたしは必殺の突きをゴブリンウォーロードの隙だらけの腹部に突き刺した。それは貫通。血が吹き出る。
決定的な一撃を受けて堪らずにクレイモアを落とし、苦痛に力なく呻く。
やった。
あたしは思わず、口元に笑みがこぼれた。
がんっ!
「……あぅっ!」
何が起きたか分からなかった。あたしは横から来た強い衝撃を受け、その場に転ぶ。一瞬、記憶が飛ぶ。
その断片の間が命取りとなった。
倒れるあたしに向い、腹に剣を突き刺したままのゴブリンウォーロードが迫りつつある。
……こ、ここまでなの、あたしは……。
「裁きの天雷っ!」
バチバチバチィィィィィィィィィィィィィっ!
雷がゴブリンウォーロードを吹き飛ばし、消し炭にする。……えっ!
さらに電撃、電撃。
決闘を傍観していたゴブリン達はなす術もなく雷の洗礼の前に圧倒され、蹴散らされ、士気の低下し支離滅裂的に敗走をしつ
つあるその軍団はあっという間に逃がすつもりのない、乱入者に切り伏せられた。
30からなるゴブリンの軍団はあっさりと壊滅した。
たった一人の、女性に。
「……」
つ、強い。
う、ううん。強いというレベルじゃない。こ、これこそあたしが望む英雄のあり方そのものじゃない。
それに引き換え、あたしは?
……それを思うと、嫉妬と敗北感が程よくマイルドに混ざり合い、目の前の女性に対して反感を抱いていた。
……命の恩人なのにね。
「ダンマーちゃん。あまり無理はしない事ね。死んだら終わりなんだから。今、死に掛けたわよ?」
「……っ!」
女性は、ブレトンの女性は、あたしをからかうように言った。
自分でもムッとしたのが分かる。
「じゃあね」
「……」
嫉妬してる。彼女のその強さに。
絶望してる。自分のその弱さに。
でも一番嫌なのは、今のあたしの態度だ。命を救われたのに、この態度。自己嫌悪を感じていた。
「……アイリス・グラスフィル」
「んー?」
「あたしはアリス。……借りは、必ず返すから」
「また会えばね。まっ、期待しないで待ってるわ。……あー、私はフィッツガルド・エメラルダ。フィーでいいわ」
「……」
「じゃあねぇー」
悔しくはある。
でもあたしは忘れない。今のも恩も、彼女の強さも。そして、まだまだな私の実力も。
……あたしの目標、決まった。
まずは彼女の強さに追いつこう。そうでなきゃ英雄なんて夢のまた夢だ。
フィッツガルド・エメラルダさん。
……いつか必ず、貴女の背中を追い越してみせますから、あたし。
三時間後。
オーディル農場。アリスは戦士ギルドに報告に、オーディル兄弟はコロールで待機している父親の元に。
現在、無人。
あるのは累々と横たわるゴブリンの死体のみ。
……いや。
「なんだ全滅か」
黒いローブの男がそう呟く。口調には嘲り。
がん。
ゴブリンの頭を蹴り飛ばし、手にしている黒い球を天に翳す。何かを発している。その球は、禍々しいような何かを発している。
黒い煙のような、何かを。
「ふん。印石を使い進化させてやったのにこのザマか。憎い人間殺すかと思えば返り討ち。……ああ、いやただ農作物を盗み
に大挙して現れるだけとは……所詮は獣風情。駆逐されるだけの存在か」
「困りますよ若。また勝手に出歩かれるなんて」
「何故困る?」
「ブレイズに気付かれたらどうするんです。御身の大切さ、ご理解ください。それと……」
「それと?」
「印石をこんな無駄な事にお使いになると、マスターが怒りますよ」
「復讐に無駄はねぇよ。こいつらはこの間戦士ギルドに家族と仲間を殺された、だから俺が進化させ仇討ちの機会を与えてやっ
たんだ。だが、まあ無駄か。こいつらをお利口には、出来なかったのだからな」
「若、参りましょう。お供します」
「……ちっ」
「若、若だけに分かってください」
「つまらんなヴァルダーグ。まあ、いい。あわよくばゴブリンどもがコロールに住むジェフリーの爺に襲ってくれればと願ったが、無駄
に終わった。帰って寝るとする。行くぞ、ヴァルダーグ」
「はい、若」