天使で悪魔






立てた誓い





  夢を見てた。
  夢を。
  昔の夢だ。あたし、ヴィラヌス、ダル・マと一緒に遊んだ小さい頃の夢を見てた。
  あの頃は楽しかった。
  怖い事なんて何もなくて。3人が揃えばどんな事でも出来ると思ってた。

  だけどあたしは知ってる。
  世の中にはどうにもならない事があるのだというのを。
  今は知ってる。
  今は……。






  見捨てられし鉱山。
  鉱山ギルドからそこに巣食う深緑旅団残党のトロルの掃討を依頼された。
  久し振りの大口の依頼。
  しかもブラックウッド団にではなく、戦士ギルドに対して直々のご使命。鉱山ギルドの創設者は元老院議員。世間に戦士ギルド今だ健在を示す
  良い機会。ギルドマスターであるヴィレナおば様とチャンピオンの叔父さんの直々の指示であたし達は討伐に出向いた。
  隊長にヴィラヌス。
  副長にあたし。
  さらにその指揮下に精鋭20名の戦士。
  最高の顔ぶれであり編成。
  この陣容で任務失敗なんてありえない。
  ……。
  ……その、はずだった。


  トロルの掃討は手間取ったものの順調だった。
  ほぼ大半のトロルは討ち取られた。
  あたし達は決戦を明日とし、ベースキャンプを設営。休息を取る事にした。
  油断はなかった。
  この時、あたし達に油断はなかったはずだ。
  トロル達に遅れを取る事はなかった。
  そう。
  トロル達には遅れを取る事は絶対になかった。あたし達はトロルの逃げ込んだ洞穴の奥に対する備えを万全にしていた。
  油断はなかったのだ。トロルに対しては。


  突然背後を襲われた。
  ブラックウッド団だ。
  連中は完全に狂ったみたいだった。容赦なく殺戮の刃を振るう。あたし達は精一杯奮戦したものの結局戦況を覆す事が出来なかった。
  質の面では戦士ギルドが勝っていた。
  量の面ではブラックウッド団が圧倒的に勝っていた。
  しかし数で負けたんじゃない。
  残虐性だ。
  連中は動けなくなった自分達の団員すらも殺した。大勢があの不意打ちで命を落とした。
  あたしは思う。
  ……ブラックウッド団は狂ってる……。



  それでも。
  それでもあたし達は死力を尽くして奮戦した。結局あたし、ヴィラヌス、フォースティナの3人しか生き残らなかったもののブラックウッド団の被害も
  甚大だった。連中は不意打ちして来た時と同じように、迅速に撤退した。しかし油断は出来ない。きっと出入り口で待ち構えている。
  戻るのは自殺行為。
  洞穴の奥にあたし達は進んで別の出口を探す。
  その後の事はよく覚えていない。



  後は、人に聞いた。
  眼が覚めた時あたしは魔術師ギルドのレヤウィン支部にいた。そこのベッドで眼が覚めた。
  フィッツガルドさんが助けてくれたらしい。
  ここにいるのもフィッツガルドさんの好意だ。魔術師ギルドを敵に回すほど馬鹿ではないというのがフィッツガルドさんの理論のようだ。
  ……。
  ……それはどうだろうか?
  あたしは少し甘いと思った。
  見識が甘いとかそういう事じゃない。普通なら戦士ギルドと魔術師ギルド、双方を敵に回す事はしない。
  その認識は正しい。
  しかしブラックウッド団は普通ではない。
  常識が通じるだろうか?
  常識が……。



  「……ん……」
  ゆっくりとあたしは目を開いた。
  ずっと意識不明だったようだけど2日ほど前に意識を取り戻した。
  傷はない。
  しかし痛みだけはある。
  強力過ぎる治癒魔法の代償で痛覚が過敏になっているらしい。傷こそないものの、まるで傷があるような痛みだ。身動きは取れるもののまるで
  両足が折れているような痛み。実際に折れていたようだけど今は癒えている。痛みだけがしつこく残っている。
  「……?」
  人の気配がした。
  ダゲイルさんかアガタさんだろうか?
  ダゲイルさんは支部長で、アガタさんはその補佐で実務的な雑事を一手に引き受けている才女。
  深緑旅団戦争の際に一度面識はある。
  さて。
  「あっ」
  首だけを動かして人物を見る。思わず小さく驚きの声を上げた。
  そこにいるのは年配の女性。
  ダゲイルさん?
  アガタさん?
  どちらも違う。フィッツガルドさんでもない。
  そこにいたのはヴィレナおば様。戦士ギルドのギルドマスターであるヴィレナ・ドントンその人だった。
  起き上がろうとする。
  「つっ!」
  痛みが全身を駆け巡る。
  彼女は手で制した。
  「貴女は怪我人です。寝てなさい」
  「でも……」
  「ここは病室です。貴女は病人であり私はお見舞いに来た。礼節など不要でしょう。寝ていなさい」
  「はい」
  優しい微笑。
  あたしは言われるがままに横になる。
  おば様はあたしにとって母親同然の人だ。おば様もあたしを娘のように接してくれる。
  叔父さんは父親のような人。
  そういう意味で戦士ギルドはあたしにとって家族であり家なのだ。
  それにしても……。
  「おば様、どうしてここに?」
  「貴女のお見舞いに来たのですよ」
  「あたしの?」
  「ええ」
  「でも戦士ギルドの仕事は……」
  「心配ありません。貴女は私の娘のような存在です。その娘を見舞う、どこに問題がありますか?」
  「ありがとうございます」
  心が温かくなる微笑。
  おば様はその笑みを崩さずに次の言葉を口にした。

  「アリス」
  「はい」
  「お前が死ねばよかったのに」
  「……っ!」












  「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  悲鳴。
  悲鳴。
  悲鳴。
  あたしは自分の悲鳴で目が覚めた。
  「はあはあっ!」
  ドキドキする。
  心臓が破裂するかもしれないと思うほど鼓動を繰り返している。
  息が上手く吸えない。
  呼吸が出来ない。
  あたしは額の汗を拭った。脂汗であり冷汗。
  「はあはあっ!」
  知ってる。
  知ってるのよあたしはもう。
  ヴィラヌスがこの世の人ではない事を。意識を取り戻した時にそう聞いた。伝えてくれたのはこの街に残った戦士ギルドの人。あたしの護衛の為
  に叔父さんが残してくれた人がストレートに教えてくれた。ストレートでよかったと思う。
  回りくどく言われた方が辛かったから。
  ……。
  その際に叔父さんは追放された事。フィッツガルドさんがガーディアンを解任、降格された事も聞いた。
  フォースティナさんがあたしを庇って死んだ事も聞いた。
  ヴィレナおば様が既に意欲を完全に失って戦士ギルドを閉めたがってる事も。
  全部知ってる。
  全部っ!
  「はあはあ」
  息が落ち着いてくる。
  体の傷は治っても心の傷は魔法では癒えない。強力な魔法を用いれば嫌な記憶を心の奥に封じ込める事が出来るそうだけど……それはあたしが
  求めている解決策ではない。
  「ご機嫌はいかがですか?」
  「あっ、はい」
  ダゲイルさんが病室に入ってくる。
  今度は現実……だと思う。
  心の傷が深くて少し現実と妄想の世界を行ったり来たりしてる。今のあたし少し危ない。
  「治癒の時間です」
  「はい」
  強力な魔法で傷は癒えた。しかしまだ痛みがそこに追いついていない。傷は癒えたけど痛みは消えていない。ダゲイルさんはその痛みを鎮める為
  に定期的に回復魔法を施してくれている。
  「手を」
  「はい」
  腕を伸ばす。
  ピタ。
  ダゲイルさんの冷たい手があたしの腕を掴んだ。まっすぐとあたしの目を見つめたままダゲイルさんは口を開いた。
  「辛いですか?」
  「……」
  答えなかった。
  体の痛みの事ではないだろう。心の痛みの方の事だ。

  「辛いですか?」
  「……」
  「辛いですか?」
  「……はい」
  無神経かと思われるダゲイルさんの言葉。あんまり答えたくはなかったけど多分答えるまで延々と同じ事を言われそうな感じがしたから答えた。
  ぽぅっ。
  治癒魔法を施しながら彼女は続ける。
  魔術師ギルドのレヤウィン支部長であると同時にシロディールで有名な預言者。
  何を視たのだろう?
  あたしに向ける視線は、治癒に専念する者の目ではなかった。
  あたしにどんな未来を視た?
  「別離は必然?」
  「……」
  「別離は悲劇?」
  「……」
  「別離は必然であり悲劇。しかし必ずしもそうは言い切れない」
  「……」
  「全ての事象は陰と陽からなる」
  「……」
  「全ての事象は黒と白からなる」
  「……何が言いたいんですか?」
  謎掛けは今欲しくない。
  魔術師としては有能なのかもしれないけど、少なくともデリカシーはないと思う。あたしは最愛の幼馴染を失ったばかり。今はとてもじゃないけど
  ダゲイルさんの言葉を聞く気分ではない。しかしダゲイルさんはまるで気にも留めていないようだ。
  ……。
  ……良い性格してると思う。
  彼女は気にせず続ける。
  「全ての事象は表裏で成り立っている。必然は必然ではなく、悲劇は悲劇ではない。また逆もある。別離は永遠であり永遠ではない。貴女の苦悩
  の旅は始まったのかもしれないけれどいつかは必ず終わる。全ての理には必ず対がある。どんな事にも必ず対がある」
  「……」
  「私には視えます。貴女の幼馴染が」
  「……えっ?」
  「いつかまた会える。いつかまたどこかで」
  「……」
  ぽぅっ。
  ダゲイルさんの手から別の光が灯る。回復ではない別の魔法。
  何の魔法か聞くまでもなかった。
  次第に眠気が襲ってくる。
  そしてあたしの意識は眠りに落ちて行き……。
  「いつかまた会える」
  「……」
  「私のその言葉を信じて生きなさい。いつかまたどこかで会える」
  ……。
  ……いつかまたどこかで……。





  数日後。
  来る日も来る日もあたしはベッドの上。ダゲイルさんの言葉の意味は結局分からない。
  昨晩は大雨だった。
  雨の音がうるさくてまるで眠れなかったけど全然眠たくない。朝からずっと天井だけを見つめている。今日は良い天気みたい。

  「……」
  あれから色々と考えた。
  あれから色々と。
  しなければならない事がある。それはかつてマゾーガから教わった事だ。騎士たる者は剣に自らの誓いを立てる。
  そう聞いた。
  マゾーガは自らの剣に亡き友人の無念を晴らすと誓ったそうだ。
  今しなければならない事。
  それは……。
  「くっ」
  身を起こす。
  体が痛む。
  激痛が走るものの、あたしは痛みを押し殺して体を起こした。
  「何してるんですっ!」
  鋭い声。
  アガタさんの声だ。
  慌ててあたしを寝かす。抵抗するものの痛みには勝てない。あたしは静かに横になった。
  「駄目ですよ動いちゃ」
  「……」
  「傷は癒えていますが痛みだけは残っている。ある意味では高度な治癒魔法の副作用です。最初に言いましたが痛覚だけが今、一時的に倍加さ
  れているんです。フィッツガルド・エメラルダの蘇生処置がなければ死んでいましたよ確実にね。そうでなければ師の回復魔法でも手遅れだった」
  「……」
  「動くのは得策ではありません」
  「……」
  「安静にするのが最善。そうすれば痛みは直に治まります。……そう、長くとも数日中には」
  「……」
  無言で天井を見詰めている。
  アガタさんの好意はありがたい。それを無下にしている自分には腹が立つ。だけど今のあたしには好意が届かない。
  それだけの余裕がないからだ。
  考えるのはただ1つ。ヴィラヌスの事だけだ。
  「アガタさん」
  「はい?」
  「剣を取ってくれませんか?」
  「剣を?」
  一瞬眉を潜めるアガタさん。何を考えているのか分かったからだ。
  あたしは無理に笑う。
  「自害なんてしませんよ」
  「……」
  今度はアガタさんが黙る番だった。
  躊躇うものの棚の上にあった剣を取ってあたしに手渡す。フィッツガルドさんがくれた雷の魔力剣だ。
  すらり。
  転んだまま剣を抜き放つ。
  強力な雷の魔法が込められた剣で首を落とすのも容易い。
  ……。
  でもあたしは自害が目的じゃない。
  そんなの逃げだ。
  ヴィラヌスの為にもならない。
  あたしは生きなきゃいけない。きっと辛い事とかたくさんあるけど、全ての明日を生きられないヴィラヌスの為にもあたしは生きなきゃいけない。
  あたしは生きなきゃ。
  「我が剣に誓う」
  チャッ。
  胸元に剣を寄せる。
  「我が剣に誓う。あたしアイリス・グラスフィルはこの先も騎士として生きる事をここに誓う。だから……」
  だから?
  「どうかご加護を。神にでも魔王でもなくあたしは乞う。あたしの最愛の幼馴染よ。どうかあたしに加護を」
  立てた誓い。


  生きなきゃ。
  生きなきゃ。
  生きなきゃ。
  戦士として生きているあたしは、たくさんの命の上に成り立っている。今まで失われた命の上に。
  逃げる事は許されない。
  何故ならそれは全ての命を否定する事になるからだ。
  フォースティナやヴィラヌスの命の上に成り立つ今日という日。
  あたしはそれを懸命に生きていこう。
  あたしはそれを賢明に生きていこう。
  全ては命の上に成り立つ。
  全ては。

  ここに誓う。
  あたしアイリス・グラスフィルは生き抜く事を。懸命に賢明に生きて行くのだとここに誓おう。
  それが明日を生きられない皆への手向けだから。
  だから。
  「皆、いつかまた会おう」

  それまではさよならだね。
  いつかあたしはそっちに行くから。懸命に賢明に生きた後、精一杯生き抜いた後に必ず行くから。向こうで待っててねヴィラヌス。
  自分の人生を生き抜いてから行くから。
  それまではバイバイ。

  だけど。
  やっぱりだけど……。
  「……寂しいよヴィラヌス。やっぱり辛いよ……」