天使で悪魔
陰謀と殺戮
見捨てられし鉱山。
そこに巣食っているトロル達の排除が任務。深緑旅団の残党らしい。
そういう意味では白馬騎士のあたしにとっては因縁だ。
あたし達は気付かない。
あたし達は気付いていないのだ。
……忍び寄る悪意に。
「……んー……」
鎧の触れ合う金属の音で目を覚ます。
喧騒?
戦闘?
そういうわけではない。
ここは見捨てられし鉱山の地下に広がる天然の洞穴。このフロアにいたトロル達は一掃した。あたし達はここにベースキャンプを設営して
持久戦の構えを取っている。今日はぐっすり眠って、明日討伐。眠る事により体力全快大作戦というわけだ。
それでも。
それでもまさか全員就寝はありえない。
交代制で見張りに立っている。
その関係で鎧の音がするわけだ。戦闘により精神が昂ぶっているので神経質になっているようだ。
眠りが浅い。
「ふわぁぁぁぁぁぁっ」
欠伸をして毛布をどけて起き上がる。
半数以上は眠りに付いている。……なかなか皆さん神経がズボラ……いやいや、プロとして出来上がってるよねー。
あたし同様に経験の浅いヴィラヌスは何か記している。
声を掛ける。
「何してるの?」
「日記だ」
「日記?」
思わず吹き出す。
ヴィラヌスが日記?
なんかおかしい。
そんな繊細な神経じゃなかった気がする。ヴィラヌスと日記の組み合わせ。
くすくす♪
「何だよ」
気分を害したらしい。
幾分か不機嫌そうな口調だ。……意味は分かるなー。
日記を笑われたから?
もちろんそれもあるとは思うけど、初めての重責にイライラしているのも確かだ。いきなり隊長だもんね。神経質になるのは分かる。
あたしも副長で精神昂ぶってるし。
「笑うのかよ、ええ?」
「……」
やばい。
本気で怒ってる。
「ごめん」
「……いや、いい」
ちょっとイライラしてるな、ヴィラヌス。それでも何とか自分の感情と折り合いをつけて、微かに笑った。
その顔を見てあたしも微笑する。
「日記、いつからの習慣?」
「ん?」
「前はなかったでしょ、そういう習慣。いつからなの?」
「さてな、忘れたよ」
「内緒なの?」
「そうだ。……それより寝てろよ。命令する、就寝。まさか隊長に逆らうのか?」
「職権乱用」
「ははは」
あたし達は笑い合う。
幼馴染。
この間柄は永遠なものだと信じている。
この間柄は……。
ドカァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンっ!
「……っ!」
次に目が覚めたのは爆音だった。
それは突然だった。
あたしが爆音で目を覚ましたのと、見張り達が動き出したのは同時だった。
見張りの怠慢?
そんな事はないはず。
今回動員されているのは全て精鋭。見張りの全員が気を抜いていたわけではあるまい。見張り達は任務を怠っていなかったはず。
しかし。
しかしそれは前面への防備だけだ。
トロル達は奥に追い詰めた。
つまり背後からの攻撃は想定していない。防備は手薄だったのは確かだ。
あたしは剣を手に取り立ち上がる。
鎧は当然ながら身に付けていない。眠るのに鉄の鎧は邪魔過ぎる。いちいち着ている場合でもない。剣を抜き放ち闇に目を凝らす。
何も映らない。
「……」
次の攻撃に備える。
トロルに遠距離攻撃能力はない。特別なトロルなら?
それはあるかもしれない。
何しろここにいるトロルは深緑旅団の残党だ。ロキサーヌの制御を離れて野生化しているものの、もしかしたらその中にロキサーヌが何らかの
改造を施した特別なトロルがいてもおかしくない。
まあいい。
「被害状況を報告しろ」
あの爆発音。
当然ながら全員目が覚めている。しかし正体不明の攻撃の中でも誰も動じない。隊長のヴィラヌスの平静さが効果的でもある。
それになにより部下20名は戦士ギルドの精鋭揃い。
千軍万馬の勇者達。
全員が身構え次の攻撃に備えている。
まさに精鋭。
「散開、各自防御体勢っ!」
「散開、各自防御体勢っ!」
隊長のヴィラヌスの指示。次いであたしが復唱する。
全員が瞬時に反応する。
ヴィラヌスの指示は妥当だろう。
正体不明の攻撃は範囲攻撃だった。纏まっていれば全員吹き飛ばされかねない。それを防ぐ為の指示だ。
妥当だと思う。
『……』
全員、闇に目を凝らす。
神経を張り巡らされる。軽はずみな攻撃は誰もしない。プレッシャーに負けて怯みもしない。
まさに精鋭。
……。
ただそれは時に諸刃の刃でもある。
行くも退くも出来ない。
この場合はどうだろうか?
『……』
沈黙。
沈黙。
沈黙。
声を潜めていると聞こえてくるのは金属の音。
ガチャガチャ。
鎧を着込んだ集団が闇の方向にいる。少なくともトロルではないだろう。
鎧を着込んだモンスターを連想する。
……。
……何がいる?
ゴブリン、ドレモラ、あとは……なんだろう?
運悪くゴブリンの集団がここに移り住んできたとかドレモラがオブリビオンから侵攻して来たとか、確率的には低いだろう。少なくともしっくり来ない。
山賊とかだろうか?
「暗視を」
「了解しました」
冷静にヴィラヌスが魔法戦士の1人に指示をする。
暗視の魔法。
漆黒の闇の中でも視力を強化して見通せる為の魔法だ。昼間同様に見える、わけではないらしい。……まあ、あたしが使えるわけじゃないから
どういう風に映ってるのかは知らないけどさ。
「まさかっ!」
暗視で見通していた魔法戦士が叫ぶ。
驚きに満ちている。
「どうした?」
「……」
「おいっ!」
「……」
「しっかりしろっ!」
「……ほ、報告。闇の向こうには、敵はブラックウッド……」
「伏せてっ!」
あたしの絶叫が響き渡る。ヴィラヌスはその場に素早く身を伏せるものの、その魔法戦士は対応が遅れた。
次の瞬間。
「……っ!」
ドカァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンっ!
魔法戦士、爆音と同時に吹き飛ぶ。
爆発したっ!
炎の魔法?
「来るぞぉーっ!」
他の誰かが叫ぶ。
ひゅん。
ひゅん。
ひゅん。
ひゅん。
ひゅん。
ドカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンっ!
飛来したのは魔法、ではなかった。
矢。
矢だ。
それが何かに触れた途端に大爆発を起こした。
戦士達は精鋭だからこの一撃は凌いだものの、爆発と爆音、爆風が冷静と理性を吹き飛ばした。
「防御体勢っ!」
「防御体勢っ!」
隊長と副長の指示は届かない。
バラバラに動き出す。
精鋭過ぎたのも悪影響だ。つまり皆それぞれに自分の腕に自信がある。
協調性もあるだろうけど、戦士として腕一本でのし上がってきた面々だ。こういう状況に陥ると個人として動くようになる。己の能力を過信する
あまり個人技能へと傾いてしまう。今がそういう状況だ。
それにしても矢が爆発する?
「何なのよ」
岩陰に身を伏せながら機会を窺う。
隣にヴィラヌス、そしてフォースティナ。他の面々は指示を聞かずに闇の中に突っ込んだ。
「後退しろっ!」
ヴィラヌスは絶叫。
しかし指示は受け入れられず。
完全に指揮系統が麻痺している。これを鎮めるのは……無理だ。
「……聞いた事があるわ」
フォースティナが呟く。
さすがに顔色が良くない。元々は盗賊。しかし人殺しが本職ではない。盗賊としては血を流さないタイプなのだ。
戦闘は領分ではないのだろう。
「何を聞いた事があるの、フォースティナさん?」
「エンチャントよ」
「エンチャント?」
武器に魔法を付与する事をエンチャントと言う。
でもそれが何?
彼女は続ける。
「広範囲に効力を及ぼすエンチャントは禁止されているのよ。弓に広範囲の魔法をエンチャントすれば、矢にもその力が宿る。矢が何かにぶつ
かった瞬間、魔法が発動する。前にジグニーがそう言ってた。だけど魔道法で禁止されてる。あんな武器出回ってるはずないのに……」
「どうしてですか?」
「そんな武器が普通に出回ればどうなる?」
「あっ」
そうか。
そんな武器が出回れば、装備した奴は全員魔法使い並の能力を有する事になる。
少人数でも大軍を相手できるようになる。
出回ればどうなる?
治安が悪化する。
……。
それにそういう展開には一度遭遇した。
アンヴィルだ。
アンヴィルで密輸されていたのを阻止した事がある。
「アリス伏せろっ!」
「きゃっ!」
ひゅん。
ひゅん。
ひゅん。
ひゅん。
ひゅん。
ドカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンっ!
再び大爆発。
そして。
『突撃だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!』
闇の向こうから武器を手にして駆けて来る集団。
ブラックウッド団っ!
トカゲの集団だ。
……。
もちろんトカゲだけではない。
ブラックウッド団の主力は基本亜人。トカゲが大多数と次の比率はネコ。それ以外にもシロディールで徴募した人間、エルフもいる。
そいつらがこちらに向かってくる。
質としては戦士ギルドの精鋭たちの方が上だけど指揮系統がバラバラな以上、充分な威力は発揮出来ない。
「こいつら狂ったのかよ」
「……だよね」
ヴィラヌスが呟く。あたしは同意する。
ブラックウッド団は亜人版戦士ギルド。お互いにシェアの為に争っていた。
しかし向こうは実力行使もしてくる。
こういう行動に出る以上、あたし達を生かして返すつもりがないのは明白だ。ここまでする道理が分からない。ただの亜人版戦士ギルドではない?
それとも正気じゃないのか。
まともとは思えない。
「来る。行くぞアリス、戦士ギルドの為にっ!」
「うんっ!」
そして……。
勝敗は数分で決した。
指揮系統はバラバラ、相手の正確な数さえ掴み切れていないあたし達に勝ち目はなかった。
集団と集団。
その戦いに勝つ為に必要なのは勇者ではない。
指揮官だ。
あたし達集団には指揮が成り立っていなかった。勝ち目なんてあるはずがない。
数分で粉砕された。
それでも。
それでもあたし達は奮戦した。正確な数は不明ではあるものの向こうの数はこちらの倍以上。装備も魔力装備オンリー。各々の能力面では優れ
ていても数で武器の差の覆せなかった。敗北を喫した、それでも……。
「たああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
1人。
1人。
また1人。
あたしは斬り伏せた。
刃を振るう度に相手を確実に倒した。
フィッツガルドさんとの日々は無駄じゃない事を証明するかの如く、あたしは奮戦した。
ブラックウッド団が叫ぶ。
「何だあいつはっ!」
「1人物凄い奴がいるぞっ!」
「アジャム・カジン様、どうしますかっ!」
あたしは奮戦する。
しかし向こうの方に利があった。戦士ギルド側で生きているのはあたし、ヴィラヌス、フォースティナさん。3名だけだ。他は全員戦死。
優れていたが為に退くに退けなかった面々。
全員全滅。
「後はトロルどもが始末してくれるだろう、撤退するっ!」
『はっ!』
指揮官と思われる魔術師タイプのトカゲの指示で敵は撤退していく。
その際に倒れている自分の仲間達にトドメ。
助けるのではなく始末。
あたしは思う。
……ブラックウッド団は狂ってる……。
仄かに周囲を照らすのはあたしの雷の魔力剣だけ。
照明にも使える。
よかった。
あたし達には松明すらない。魔力剣は全てを照らすほどの光量では当然ながらないものの歩くには差支えがない。
完全なる闇の中を無意味に歩いているのであればあたし達はとうに死んでる。
「……」
「……」
「……」
あたし達は無言のまま洞穴内を彷徨う。
時折トロル達が迫ってくるものの、確実に撃退した。数は少ない。それでも安心は出来ない。洞穴内にどれだけの数のトロルがいるか分からない
からだ。洞穴内を進むしか道がない。引き返す事は自殺行為。ブラックウッド団は馬鹿ではない。
予想外の反撃で後退したものの完全撤退ではないはず。
おそらく出入り口付近で陣取ってる。
戻れない。
洞穴がどこか外に繋がっているのを信じて進むしかない。
「休憩だ」
「分かった、ヴィラヌス」
「……異論はないよ」
フォースティナさん、ぶっきらぼう。仕方ないか。
食料もない。
松明もない。
出口もない。
それにあの混戦だ。精神が昂ぶっていても不思議ではない。ヴィラヌスもまともな精神状態ではなかった。食って掛かる。
「お前盗賊上がりだよな?」
「……」
「まさかお前が……はっ、そういう流れもあるよな?」
「……はっきり言ったらどう?」
「いいのかよ、ズケズケ言っても」
「この母親の七光息子がっ!」
「なんだとっ!」
止める元気もない。
あたしは眼を閉じて一切の感覚を遮断した。
今日、たくさん死んだ。
今日、たくさん……。
休憩の後、あたし達は再び進む。
喉の渇きが激しい。
疲労もある。
それでも進むしか道がなかった。トロル達はあたし達が弱っているのを知っているのか遠巻きに見ているだけだ。
あまり気分の良い状況ではない。
ブラックウッド団が追撃してこないだけまだマシではあるものの、出口がなければ意味は同じだ。
2日で確実にあたし達は発狂する。
……。
……いやそれ以前に全滅するか。
トロルに食われるのも発狂して半狂乱になった上に死ぬのも嫌だ。
ポジティブに。
そう。
前向きに考えよう。
そうするしかあたし達に救われる道はないのだ。
この上はトロルを斬って斬って斬って、脱出するしかない。前門のトロル、後門のブラックウッド団。八方塞ではあるものの前門のトロルを選ぼう。
組織だっていないだけまだやり易い。
まあこの状況では組織だってないトロルも怖いけどさ。
「……」
「……」
「……」
足を止める。
何故?
何故なら行き止まりだからだ。
目の前には崖がある。
覗き込んで見るものの下は当然ながら見えない。漆黒の闇が広がっている。底がないわけじゃないけど、底がないような感覚に陥る。
「それでー……どうする、隊長さん」
「黙ってろ盗賊っ!」
「やめて2人とも」
静かに言う。
振り返る。
何か荒い息が聞こえる。それも無数に。
「どうしたアリス」
「何かいる」
剣を構える。
崖を背に戦う、理想的だ。背水の陣……背崖の陣……?
ともかく。
ともかくこれで背後から襲われることはない。前方からの攻撃に備えればいいのだから、やり易い。
「戦士ギルドの為にっ!」
ちょっ!
剣と盾を構えてヴィラヌスは突っ込む。闇の中から姿を現したトロルの群れに向って。
馬鹿っ!
乱戦になったら周囲敵だらけじゃないのっ!
「どうするのアリス」
「仕方ありません、行きますっ!」
2人でヴィラヌスの後を追う。
隊長として今回の失敗を悔いているのだろう、ヴィラヌスは躍起になっている。1人でトロルの群れを相手に大立ち回りしていた。すぐにあたし達
は包囲された。崖から離れた為に相手に背後に回られる事になった。
ヴィラヌスは強い。
だけどこの数相手にするほどの強さはない。
この重囲を脱せれるのはシロディールでも数少ないだろう。ヴィレナおば様や叔父さん、フィッツガルドさん……知ってる限りでは3人だけだ。
すぐにあたしとフォースティナさんの前にも立ち塞がる。
1人では勝てない。
1人では勝てないけど連携すれば決して負けないと自負している。
連携、それがあたし達の武器だ。
その時。
「あっ」
トロルの群れが音もなくヴィラヌスの背後から迫る。
ヴィラヌスは気付いていない。
敵の数が多過ぎるのもあるし疲労が蓄積されているのもあるだろう。いつもよりも感覚が鈍っている。
「ヴィラヌスっ!」
自分の目の前の一体を斬り伏せて、叫びながらダッシュする。
警告したところでヴィラヌスの対応では間に合わない。
現に今振り向いたところだ。
あたしは駆けて援護に入る。雷の魔力剣が唸りを上げてトロルの群れに襲いかかる。
「やあっ!」
貫く。一匹撃破っ!
「煉獄っ!」
ドカァァァァァァァァァァンっ!
炎上。一匹撃破っ!
死力を尽くして奮戦する。フォースティナさんは敏捷性を活かしてトロルを翻弄しつつ善戦している。盗賊時代のスキルかな、敏捷性。
「はあっ!」
ザシュ。
さらに一体屠る。
あたし達の周りにはトロルの屍が累々と横たわっている。
これが先程のブラックウッド団なら怖気付き撤退をしたかもしれない。しかし相手はトロル。蛮勇ではブラックウッド団を上回る。
数で相手が上回っている以上、退く事はありえない。
数で乗じている以上はね。
トロルの性質だ。
「アリス下がれっ!」
「まだ行けるっ!」
「アリスっ!」
ヴィラヌスが叫ぶ。
先鋒を務めてトロルの群れと相対している。自然あたしが一番多くのトロルを受け持っている。
大丈夫。まだ行ける。
チラリと振り返る。
「……っ!」
あたしを気遣うヴィラヌスに隙が生じた。
再び、再びヴィラヌスの背後からトロルが猛襲してくる。あたしは駆けてそのトロルを斬り伏せた。そして次の瞬間、あたしは大きく吹き飛んだ。
好機とばかりにトロル達が突撃して来たのだ。
大きく体が飛ぶ。
ゆっくり。
ゆっくり。
ゆっくり。
あたしの体は宙を舞い、そしてそのまま崖に……。
「アリスっ!」
「アリスっ!」
叫んだ声は2つ。
1つはヴィラヌス。叫んだもののトロルとの戦いで身動きが取れない。
1つはフォースティナ。彼女はあたしに向って駆け……。
奈落。
暗転。
衝撃。
……あたしの体は崖の下に叩きつけられた。