天使で悪魔





失われた遺産



  親子。
  兄弟。
  姉妹。
  まったく別の人間でありながら、同じ血と肉を持つ奇妙な間柄の者達。
  どこかで繋がった人達。
  人はこの奇妙な間柄を築きながら、継続させながら同じ時間を長く共有していく。

  人は1人では生きられるかもしれない。
  でも、絶対に1人では生まれられない。
  だからだろうか?
  家族との繋がりを人は大切にしていくのは。だからだろうか?

  ジェメイン兄弟。
  幼少時に生き別れた兄弟。
  今、その時間の空白という溝を絆と愛で埋めようとしている。
  そしてあたしはその手伝いを。

  人が美しいものなのかどうかは、あたしには分からない。
  それでも、想うのだ。
  それでも、思うのだ。
  絆は確かにあると。






  「ウェザーレア?」
  あたしは聞き返した。
  今いる場所は、レイナルド・ジェメインさんの自宅。空の酒瓶がゴロゴロ転がっている。
  何十年振りの兄弟再会を祝して呑んだからなのか?
  それとも普段からこんな感じの部屋なのか?
  ……多分、後者だと思うけど。
  「そう。ウェザーレアを取り戻す手伝いをしてもらいたい」

  ギルバートさんの依頼。
  それはウェザーレアに関する事。
  でもウェザーレアって何?

  「私達の家族は代々ウェザーレアに住んでいたんだ」
  「ウェザーレア?」
  聞いた事がない街……村……ああ、個人農場の名前かもしれない。
  ともかく家の名前なのだろう。
  「ある時、そこをオーガの群れが襲ったんだ。私達の家族はその時、離れ離れになってしまったんだ」
  「オーガ、ですか?」
  この世界で屈指の豪腕モンスターだ。
  ミノタウロスとどちらが強いかは知らないけど、個体数はオーガの方が多い。
  つまり、遭遇する確率はオーガの方が高いわけだ。
  それすなわちオーガの方が勢力が強いという事。能力的にミノの方が多少高いにしても、生殖率の高い方が総合的に強い。
  徒党を組めるからね。
  さて。

  「父は私を連れて逃げた。母は弟を。……その後会う事はなかった。それで、死んだものだと思い込んでいたんだ」
  「でも、生きていた」
  「その通りだ」
  ギルバートさんとレイナルドさんは再会した。
  それも奇跡的に。
  「でも、ずっと気付かなかったんですか? その、生死に関して」
  「幼い時に父に連れられウェザーレアに戻ったよ、一度ね。しかしオーガは人食いだ。遺体はなくても不思議じゃなかった。だから
  ずっと死んだと思ってたんだが、母はレイナルドと一緒に安全な場所に逃げていたんだね」
  「ああ、なるほど」
  オーガは人食い。
  食べられてしまえば痕跡など残らない。
  血の一滴。
  骨の一欠。
  肉の一片。
  全てが残らない。
  ウェザーレアに戻った時、誰もいない=オーガに食べられたと判断したのだろう、彼の父は。
  それは間違いじゃない。
  助かった事自体が稀に見る奇跡なのだ。
  そして再会した事も。
  2人は奇跡に愛された兄弟だ。

  「父はもう亡くなり、母ももういない。しかし私達兄弟は再会できた。それは素晴しい奇跡だ。君のお陰だ」
  「い、いえ、そんな、あたしはただ依頼をこなしただけですから」
  頭を下げるギルバートさん。
  ……律儀な人だなぁ。
  それに対して、レイナルドさんは酒瓶ごとお酒を飲んでいる。
  「ごっくごっく。ぷはぁー♪ ……兄貴に全て任せる、考えるのは全部兄貴が担当。俺呑む係♪」
  ……この人は完全に酒乱だなぁ。
  ま、まあいいけど。
  「ここに新たな依頼を結びたいと思ってる」
  「はい。なんでしょう?」
  「私達の家を、ウェザーレアを取り戻したいんだ」
  「取り戻す、と言いますと?」
  「安全かを確かめる必要がある。オーガは縄張り意識を持つ化け物。まだいる可能性がある。何十年も前の話だが……」
  「でもいないとも言い切れませんよね」
  「その通りだ」
  あたしは正式に依頼を交わした。
  戦士ギルドからこの件に関しては一任されている。
  つまり、新たな任務もレイナルドさんからの依頼の延長として受け持つ事が出来る。
  依頼内容はウェザーレアの奪還。
  場所を聞くとしよう。
  「それで、どこなんですか?」
  「問題なのはウェザーレアの場所なんだ」
  「危険なんですか?」
  「オーガがいる事を考えると、物騒な場所だろう。……しかし問題はそこじゃない。私は場所を知らないんだ」
  「はっ?」
  「あの時、私はまだ幼かった。場所は記憶していないんだ。ただ、コロールの南……それしか分からない」
  コロールの南かぁ。
  正確な場所が分からないのに、彷徨うのは馬鹿だ。
  叔父さんに聞いてみよう。



  コロールにある戦士ギルド会館。ここは戦士ギルドの本部だ。
  他の街にある支部よりも規模は大きい。
  建物の大きさだけでいけばアンヴィル支部よりも小さいものの、コロール本部には地下に広がる訓練施設がある。
  そしてその訓練施設に隣接した場所に鍛冶場。
  良質な武具をそこで生産しているのだ。
  「叔父さん」
  「何だひよっこ。俺は今、忙しい」
  ぶっきらぼう。
  モドリン・オレイン。戦士ギルドの幹部で、ギルドマスターのヴィレナおば様の腹心。
  あたしの叔父さんだ。
  ここは叔父さんの私室であり、集まった依頼を分配し、調整している執務室。
  「叔父さん」
  「何だ、暇なのか? じゃあギルド会館の拭き掃除でも頼もう……」
  「ち、違うよ叔父さん」
  「何だ違うのか」
  はぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ。
  適当にあしらわれてるよー。
  ま、まあいつもこんな感じだけど。
  ……。
  それでもハックダートの一件では誉められた。余計な事を独断でやりやがってと最初は怒られたけど、結果としてはあたしを
  心配しての言動だし、それに言葉の端々にあたしに対する労りがあった。
  ……と思うけど……どうだろ?
  「それでなんだ?」
  「ウェザーレアって知ってる?」
  「ウェザーレア?」
  「そう」
  「それはそうと、お前レイナルド・ジェメインの一件を担当してたんじゃないのか?」
  あたしと叔父さんは一緒に暮らしてる。
  つまり、兄弟を再会させた時点で昨日は家に戻ったわけだから、そこまでは報告した。フィッツガルドさんとシェイディンハルで
  別れた事も。
  ウェザーレア絡みはさっき発生したイベントだから、当然叔父さんは知る術もない。
  かいつまんで報告する。
  「なるほどな。それで、お前が引き続き受け持つんだな?」
  「うん」
  「分かった。その旨はヴィレナに上奏しておこう。で、ウェザーレア?」
  「うん」
  「知らん知らん。がっはっはっはっはっ!」
  「……」
  豪快に笑う叔父さん。
  でも、豪快に笑えばいいというもんでもないと思うけど。
  「サビンに聞くといい」
  「サビンさんに?」
  叔父さんが提示した名前。
  サビン・ラウル。
  戦士ギルド所属の、専属の鍛冶の女性。ギルドメンバー用に優れた鉄製武具を供給している人だ。
  多分地下で剣を打ってる時間帯だと思う。
  「おい、誰かいないかっ!」
  叔父さんが声を荒げる。
  すると廊下を歩いていた構成員の1人が部屋に入ってきた。
  「どうしました、オレインさん」
  「サピン・ラウルを呼んできてくれ。急ぎでな」
  「了解しました」
  わざわざ呼び出してくれるらしい。
  こういうさりげない優しさが、照れ屋の叔父さんの精一杯の愛情表現なのだ。
  もちろん、あたしはそれに感謝していつも生きてる。
  「それはそうとアリス、その剣か、フィッツガルドと交換した剣というのは」
  「えっ? あっ、そうだよ、叔父さん」
  そういえば話はしたけど、見せてないなぁ。
  昨晩は忙しかった。
  夕食作ったり(叔父さんと交代制。ちなみに叔父さんの方が料理が上手)ダルのお見舞い行ったりと忙しかった。
  ハックダートの一件でダル結構衰弱してたけど今は大事をとって休息しているだけとはいえ、やはり心配。
  「はい、叔父さん」
  「おう」
  腰の剣を外し、手渡す。
  叔父さんは剣を抜き放ち、その刀身を眺めながらポツリと呟いた。
  「お前本気で心配されてるんだな、あいつに」
  「えっ?」
  「この剣、凄いぞ。売ったら金貨2000枚は軽くするぞ。威力も当然高い。……お前の事を本気で想って、心配してるから
  わざわざ自分の剣をくれたんだろうな。誇りに思え、愛されていると」
  「……うん」
  叔父さんに言われるまでもない。
  フィッツガルドさんの度量と慈愛の深さは計り知れない。
  そ、それにしても金貨2000枚の価値?
  以前ダゲイルさんに貰った、つまりフィッツガルドさんと交換した炎上のロングソードの価値は金貨167枚。
  値段は武器の切れ味に影響する。
  少なくとも10倍の価値だ。
  今度会ったら、改めて感謝しなきゃ。
  ……。
  今のところ、まだ使ってないので威力の方は未知数。
  さて。
  コンコン。サビン・ラウルですが、扉の向こうから声がした。
  「おう。入れ」
  「はい」
  ガチャ。パタン。
  入ってきたのはサビン・ラウルさん。
  鍛冶師としての職務に就いているものの、剣の腕も高い。
  訓練場に誰もいない時は、木の人形に鋭い太刀筋を刻んでいる。
  「何か御用でしょうか?」
  「俺じゃねぇ。そいつが聞きたい事があるんだとよ」
  「おやアリス嬢が? それで、何?」
  「ウェザーレアって場所を知ってますか?」
  「ウェザーレア? ……ちょっと待ってよ……」
  しばし考え込む。
  「ああ、思い出したわ。コロールから真南に下った場所にある場所ね。地図貸してごらん。……ほら、ここだよ」
  地図を取り出すと、彼女はウェザーレアの場所を指で指した。
  位置としてはコロールの真南。
  さらにこの間行ったハックダート、南だ。距離は結構あるなぁ。
  「ただ気をつけた方がいいわね。大分前からオーガが徘徊してる。汚らわしい人食いのケダモノだよ」
  「はい。気をつけます」
  オーガか。
  予想通りだ。おそせくウェザーレア一体を縄張りにしてるのだろう。
  準備を整えて遠征しなきゃ。
  あたしはお礼を言い、頭を下げて執務室を後にした。







  鬱蒼と茂る森。
  この辺り一体はレヤウィン東に広がる未開地のほど未開ではないものの、密林もなければ亜熱帯ではないものの厳しい
  環境には違いない。
  コロール南には雄大な台地が広がっている。
  完全なる弱肉強食であり、例え文明人でだからと言ってここでは通用しない。
  強さこそが生きる術なのだ。
  「ふぅ」
  鉄の鎧を着込んで進む。
  鎧の重さは慣れているので気にならないものの、それでも体には確実に負担として残っている。
  腰の剣はいつでも抜ける体勢だ。
  地図に記してもらった場所は、もうそろそろだ。
  ウェザーレアは、何処だろう?
  この近辺はかなり物騒だ。
  弱肉強食の世界という意味もあるけど、それ以上にレッドガード渓谷に近過ぎる。
  渓谷とは名ばかりの洞穴ではあるもののそこは問題じゃない。
  問題なのはそこがオーガの巣窟だという事だ。
  ……。
  ああ、そうか。
  ウェザーレアを襲撃したのはそこから来たオーガどもか。
  それはありえるなぁ。
  でもどうしてジェメイン兄弟の両親はそんな場所の近くに居を構えたのだろう?
  普通なら誰も近づかない。
  冒険者だって、目的がなければ迂回する場所だ。
  だから、かな?
  人に近付かれたくないお尋ね者だったとか……まあ、詮索はいいか。
  今はジェメイン兄弟の為に家を取り戻す。
  その為に頑張ろう。
  「……あっ」
  森が開けた場所に、その家は立っていた。
  ウェザーレア。
  ……。
  名前を知っているからそう呼ぶだけであって、もしも知らなければこう呼んだだろう。
  廃屋と。
  完全に荒れ果てている。
  その時、悪意が満ちた。そして敵意も。
  廃屋の扉はない。
  扉のあった辺りの壁は崩れ落ち、巨体が通れるほどの穴となっている。そしてそこから巨体が這い出してくる。
  灰色の巨体。
  人じゃない。オーガだ。
  グォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォっ!
  「……っ!」
  オーガが吼えた。
  どうやらウェザーレアに住んでいるらしい。
  無数のオーガがそこから出てくる。そして森の中からも。
  数にして10。
  色々と実戦こなしてるから今更臆する数じゃないけど、油断できる数でもない。
  怪力の一撃を食らえば運が悪ければ死ぬし、運が良くても骨折はする。
  一体があたしとの間合いを一気に詰める。
  「やぁっ!」
  相手を怯ませる為に剣を振るう。
  何の抵抗もなかった。……なさ過ぎた。
  「……えっ……?」
  思わず、あたしは呆然とする。相対したオーガも、まるでそんな顔をしたかのようだった。
  牽制の為の一撃は簡単にオーガの胴体を切り裂いていた。
  「……嘘……」
  な、なんなのこの剣はっ!
  呆然とするあたしに果敢に突進して来る二匹のオーガ。
  ひらりと身を翻して回避。剣を振り上げて、振り下ろす。まるで吸い込まれるかのようにオーガの脳天を切り裂き、さらにもう一匹
  のオーガの首を落とす。
  今までの経験上、硬い骨や厚い筋肉組織の抵抗でこんなにあっさりは行かない。
  なのに、この剣は……この剣は……。
  「この剣はなんなのっ! 凄過ぎっ!」
  叫ぶ。
  叫びたくもなるっ!
  フィッツガルドさんの《加減間違えると相手簡単に死んじゃう》の意味が分かった気がする。
  込められた雷の力で、相手に肉と骨を焼き斬ってる。それが切れ味の凄まじい理由。
  炎上のロングソードとは比べ物にならない。
  これ凄い魔法剣だっ!
  怒りの咆哮を上げてオーガ達が向ってくる。
  恐るべき巨漢のモンスター達。
  それが群れた時、一流の重戦士が軍団として向ってくるより普通なら恐ろしいものだ。
  「……いける……あたし、いける……」
  それが今ではこんなにも冷静でいられる。
  レヤウィンでの白馬騎士としての経験もあるだろうけど……最大の自信の理由はこの剣だ。
  この剣があたしに自信を与えてくれる。
  過信は身を滅ぼすけど、適度な自信は能力を格段にアップさせると叔父さんも前に言ってた。
  迫り来るオーガ達。
  剣を正眼に構える。
  声を張り上げ、あたしは走った。
  「はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  そして無数の斬撃の作品を創り上げた。





  コロールに戻り、あたしはジェメイン兄弟に報告した。
  もちろん応対してくれたのはギルバートさん。相変わらずレイナルドさんはお酒に溺れていた。
  今回の飲む理由は生家を取り戻した祝杯だそうだ。
  まあ、いいけど。
  「それでは、ウェザーレアに住めるんだね?」
  「ええ」
  「全て君のお陰だっ!」
  「仕事ですから」
  「恥ずかしながら持ち合わせが少ないのでこれが私達兄弟の精一杯だ。受け取って欲しい」
  金貨の袋を受け取る。
  ミッション終了。
  ただ、問題はある。あのオーガ達がレッドガード渓谷からやって来た連中なら、元はまだ断ってない。
  再び襲ってくる可能性もある。
  オーガは知能の面ではゴブリンより劣るものの、ミノタウロスほど馬鹿ではない。意外に狡知で、徒党を組むぐらいはする。
  報復の概念があるかは知らないけど、再びの襲撃はありえる。
  その旨を伝えた。
  「なるほど。警戒は忘れるなという事か」
  「ええ。そういう事です」
  「本来なら戦士ギルドに討伐を頼むところだが……ウェザーレアの再建の為の資金しか残っていない。これに手を出すのは
  出来れば避けたい。それに襲ってこない可能性もある。それなら、無駄な殺生は避けるべきだ」
  「いずれにしても気をつけてくださいね」
  「私達は必ずウェザーレアを再建するよ。いつか是非遊びに来てくれ」
  ギルバートさんが差し出した手を握った。
  暖かい手だった。
  「君への感謝は忘れないよ」
  ウェザーレア。
  あたしが見た限りでは完全な廃屋だった。
  それでも、彼らにしてみれば生家であり大切な場所。人それぞれに大切な場所と価値がある。
  兄弟にとってどうしても取り戻したい居場所だ。
  あたしにもあるだろうか?
  ……いつか命を賭けてでも護りたい、そう思える場所がいつか……。