天使で悪魔




魚獲り



  戦士ギルド。
  俗に言うところの《何でも屋》。探し物からモンスター退治まで、手広くやっている。
  ただ原則的に犯罪行為には加担しない。
  また、犯罪に繋がると思われる依頼に関してはどんなに大金を積まれても行わない。
  それが絶対のルールだ。

  近年、ブラックウッド団の急速な成長によりそのシェアは奪われつつある。
  噂では犯罪行為も行っているらしい。
  ともかく、ブラックウッド団の台頭により戦士ギルドは多大なまでの損害を蒙っている。
  人材は流れる。
  足場は崩れる。

  それでも、あたしは戦士ギルドの仕事をしっかりとこなそう。
  依頼人の《願い》を聞き届け、それを的確に実行するのが第一だと考えている。
  それがあたしのルールなのだ。
  それがあたしの……。







  「久し振りの帝都だぁ」
  何度見てもやはり壮大で、雄大。
  タムリエル中心部であるシロディール地方。そのど真ん中、まさに世界の中心に存在する帝都の姿は圧巻だ。
  多種多様な種族。
  珍奇な品々。
  ありとあらゆるすべてのモノが集う、まさに中心だ。すべての坩堝だ。
  ……。
  まあ、あたしは帝都の中にはいない……けどね。
  あくまで遠望しているだけ。
  今回の目的地は《ウェイ》。帝都のすぐ西にある漁村だ。
  帝都の近隣にあるとはいえ、その様は長閑というか寂れているというか。

  向かいには《ウォーネット》という名の宿屋。
  女主人はワイン通として知られている。
  コンコン。
  あたしは漁村の一件の家の扉をノックする。これが今回の依頼人の家だ。
  ガチャ。
  扉が開く。中から初老の男性が、顔を出した。
  依頼人であるエイルウィン・メロウォルドさんだ。
  「誰だい?」
  「依頼を受けて参りました」
  「あんたが戦士ギルドの人かね」
  「はい。あたしはアイリス・グラスフィル。戦士ギルドから参りました。エイルウィン・メロウォルドさんですね?」
  「ああ、私がエイルウィンだ」
  「どうぞよろしく」
  差し出す手を、握り返す依頼人。
  その顔にはどこか困惑と怪訝が過ぎっているように見える。
  ……。
  無理もない、かなぁ。
  戦士ギルドのメンバーではあるものの、あたしはまだ見習いだし年齢は18。若い事が悪いとは思わないけど貫禄がないの
  もまた事実。少なくともあたしには経験も不足しているし、頼りなく見えるのは確かだ。
  「ご安心ください。こう見えてあたし、期待の新人ですから」
  「……」
  「それでどのようなご依頼でしょう」
  「……」
  相手はまだ戸惑っていたものの、それでも気を取り直して話を続ける。
  家に招き入れる事はしない。
  戸口で、会話。
  ……まあ、別にいいけど。
  「誰でも人生の中で負けを認めざるを得ない時が必ず来る。私も戦って負けた」
  「戦って……もっと詳しく」
  盗賊だろうか?
  海賊だろうか?
  この人は漁師だ。流れで行けば海賊だろうけど……漁業の利権を巡る争いかもしれない。大きな話になりそう。
  うふふふのふー♪
  ……。
  別に厄介が好きなのではない。
  ただ、話が大きくなればそれだけあたしの名は高まる。叔父さんもおば様もあたしをもっと信頼してくれるだろう。
  不謹慎ではあるものの、それはあたしが求めている事だ。
  別に嫌われてたり信頼されていないわけではないけど……仕事的な業績に乏しいあたしは、少なくとも戦士ギルドのメンバー
  としてはまだ立場が軽い。見習いメンバーだし。
  やっぱり《頼れる凄腕》と思われたいのは人間のサガだ。
  さて。
  「私を打ち倒したモノが何か知りたそうだな。笑わないでくれよ。……魚なんだよ、これが」
  「はっ?」
  「魚だ」
  「漁師なのに……魚に負けたんですかですよね……?」
  はぅぅぅぅぅぅぅぅっ。
  やっぱり見習いメンバーに回される仕事は、この程度なのかぁー。
  不謹慎。
  不謹慎だ。
  そりゃ彼は確かに困ってるけど……不謹慎なのは分かるけど……やっぱり気が滅入る小物の仕事だぁ。
  でも仕事は仕事だ。
  どんな仕事でも、あたしを信頼して叔父さんやおば様は任務を与えた。それには応える必要があるし、目の前で困っている人
  がいて助ける術があるのに見て見ぬ振りはあたしには出来ない。
  英雄を目指す者として、それは出来ない。
  「それであたしは何をすればいいんですか?」
  「ふん。そうやって笑えばいいさ……って、ええっ! 手を、手を貸してくれるのかいっ!」
  「はい。戦士ギルドは皆様の味方です」
  「……ありがとう」
  彼は頭を下げた。
  どうも望み薄だと思っていたらしい。戦士ギルドも内容を聞けば、キャンセルすると思ったらしい。
  あたしは、それはしたくない。
  任務があたしに回された時点で、遂行&放棄の自由はあたしにある。
  放棄はしない。遂行しよう。
  正しい事を馬鹿みたいに行う、弱き人々を護れる英雄になるのがあたしの夢だ。
  「それで、どういう事なんです?」
  「私は漁師だ。……ああ、元漁師だな。あの魚に足を食い千切られそうになるまでは、そうだった」
  「……魚……」
  魚か魚が今回の討伐対象か。
  ……受けるけど、任務としては小さいなぁやっぱり。
  「魚の鱗が目当てだったんだ。若い錬金術師と契約を結んでな、信じられないぐらいの高額で買い取ってもらう約束をしてい
  たんだ。だが魚の一匹に足を食われてな。一発で仕事出来ない体にされちまったよ」
  「大丈夫なんですか?」
  「生きるのには支障はないさ。漁師は、廃業だがな。歩けるが走れない、まあそんな程度の傷だ」
  「そう、ですか」
  「話を戻そう。錬金術師がな、すぐに鱗が欲しいとせかすんだよ。契約を破棄すればいいんだが、それも出来ない。私も
  そろそろ歳だからその金で楽隠居するつもりなんだ。だがこの足だ、漁にはもう出られない」
  「ですよね」
  「残り12匹分の鱗が欲しい。……この老いぼれに手を貸してくれないかね」
  「それでどんな魚なんです?」
  「スローターフィッシュだ」

  「スローターフィッシュかぁ」
  聞えないように、小さく呟く。
  内心で先程の評価は訂正。今回の依頼は、依頼として成立する。
  スローターフィッシュとは、その名の通り魚なんだけど極めて凶暴。雑食。
  テリトリーに入り込むモノは問答無用で食い尽す。

  他の魚だろうと蟹だろうと人間だろうと。
  基本的に、スローターフィッシュ=人食い、という認識が浸透している。物騒な魚。
  海賊達の言葉の一つの《スローターフィッシュによろしくな》は海に沈める際の脅し文句だ。

  「分かりました。戦士ギルドが、責任を持って遂行しましょう」
  「ありがたいっ! ……ただ気をつけてくれ」
  「ええ。分かってます」






  「はい準備体操終了ー」
  下着姿で、あたしは太陽の下で体操。水は冷たい。準備体操せずに飛び込んで心臓麻痺で死亡……そんな事になったら
  叔父さんはとりあえず笑うと思う。死んで笑われるのは、さすがに避けたい。

  はぅぅぅぅぅぅっ。
  本当なら水着で飛び込みたいものの、そんなモノは用意してない。
  さすがに全部脱ぐのは躊躇った。それで下着姿。
  ……。
  まあ、替えの下着はあるからいいけどね。
  「さて」
  炎上のロングソードは、服と一緒に一まとめにして……そのほかの荷物と一緒に、茂みの中に隠す。
  手にしている武器は護身用の、銀製のナイフ。
  じゃぶじゃぶ。
  水の中に足をつける。冷たい。体を瞬時に通り抜ける冷たさに、心臓が縮み上がる。
  ルマーレ湖。
  帝都は島の上に存在している。その島の周りに存在しているのがルマーレ湖だ。
  南にそのまま行けば湖を抜け、外洋に出る。
  スローターフィッシュは湖だろうが川だろうが海だろうが存在出来る、逞しいまでに貪欲な生命力を持つ魚だ。
  たまに妙な突然変異も生まれる。
  人を丸呑み出来るほどの巨大な個体も存在している。もちろん、そんなのは稀ではあるもののブラヴィル近海には出没する
  らしく、漁師にとってはまさに天敵だ。というのも小さな船ぐらい簡単に転覆させるほどに、でかいからだ。

  だから、エイルウィンさんが再起不能にされたのを聞いても正直納得できた。
  普通のサイズのスローターフィッシュでも、数匹揃えば人間を簡単に食い殺せる。
  鋭い歯。
  硬い鱗。

  そして水中を自在に動き回れる俊敏さ。
  まさに水中の悪魔。
  風貌も、悪魔に相応しい醜悪さ。それがスローターフィッシュだ。
  ……。
  反面、美味でもある。
  食材としては万能。つまりどのように調理してもおいしい。……あたしは嫌いだけどね。
  小さい頃はよく食べてた。
  おいしいおいしいって言って食べてたけど、最近は食べない。食べれない。食べたくない。
  だって人食いだよ?
  必ずしも人間食べた個体ばかりではないだろうけど、可能性としては人間食べてる。そんな魚を食べる。
  それだけでおぞましい。
  さて。
  「お魚退治、始めしょうか」








  「うひゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」







  「ぜえぜえっ!」
  びちゃびちゃ。
  滴る水をわずらわしげに振り払い、あたしは這い上がった岸辺に倒れた。
  ……。
  ……。
  ……。
  いや、死んじゃいない。
  ちゃんと生きてるけど、半分死んでる。薄暗い水の中に光る、金色。その金色が無数に迫ってくる光景。
  スローターフィッシュの群れだ。
  怖い。怖い。怖い。
  はぅぅぅぅぅぅっ。
  夢に出てきそうな、恐怖だったぁー。スローターフィッシュが夢に出演したら、完全に悪夢だ。
  「うー。よくあんなの相手してきたなぁ、あの人」
  漁師恐るべし。
  今回再起不能にされたものの、それまではスローターフィッシュと戦ってきたあのおじさんは何気に偉大だ。
  あたし?
  あたしは、遠慮しとく。
  例え負け犬と呼ばれてもこの先、スローターフィッシュの相手はしたくない。
  ……したくないけど、任務だからなぁ。
  「あ、あれ?」
  ナイフがないのに気付く。
  落としたらしい。
  「まあ、いいけど」
  投げやりな気分。
  正直、レヤウィンでの《深緑旅団戦争》や《盗賊ブラックボウとの抗争》云々で自分は強くなった、誰にも負けない、と自惚れ
  ていたのは確かだ。今回、一つの事実を受け入れよう。まだまだ世界は広い。
  魚にも、勝てないのだ。
  「はぁ」
  しばらくこうしていよう。
  水中で遭遇、群れが突進してきたから思わず逃げただけであり傷はない。泳ぎまくって全身だるいけど、傷がないのは幸いだ。
  しばらく休んだら帝都に行こう。作戦変更しないと、どうやっても勝てない。



  帝都商業地区。
  世界中の種族が集い、世界中の物品が集う場所だ。世界でもっとも、物資の溢れる場所。
  「安いよ安いよー」
  「激安魔法店に是非おいでくださいっ!」
  「さあさあ三割四割当たり前。是非手にとって、是非お買い求めください」
  あたしは今、商業地区を歩いている。
  今回受けている任務は、《ウェイでの任務》と《帝都商業地区での任務》。つまり今いる場所は、もう一つの任務の場所なのだ。
  概要はまだよく知らないけどジェンシーンという人の、依頼だ。

  別に、スローターフィッシュ退治が無理だから……という意味で、商業地区を歩いているわけではない。
  つまり次の任務を受けよう、という意味ではないのだ。
  「結構高くついたなぁ」
  ぼやく。
  財布が幾分か軽くなっている。
  それもそのはず、かなりの額の金貨が出費として消えた。
  今、ここにいる理由。
  それは《水中戦での不利》を補う為だ。
  魚は陸に上がれば無力でしかないものの、陸に生きる者も水中に入れば無力でしかない。
  水中呼吸出来るアルゴニアンならともかく、その他の種族はただのハンデでしかない。
  相手がたかが魚(肉食魚で凶暴ではあるものの)とはいえ普通に戦えばまず負けない。なのに勝てないのは何故か?
  簡単な話。
  連中の領域、連中の特性の元で戦う事自体が普通ではないのだ。

  あたしがコテンパンに倒された(……情けない限りです)のだって水中では呼吸出来ないから。
  結局、そこに行き着く。
  ……。
  まあ、それ以外の要因としては体の動きが鈍るところ、かな。
  水中では自由には動けない。
  水中での動作はどうしようもないものの、呼吸に関しては対策はある。それは今、背中に背負ったザックの中にある。
  一本の値段が金貨43枚のポーション《海探の薬》。それを合計で5本購入した。
  効力?
  飲み干せば一時的に水中でも呼吸が出来る薬。
  「あたしも魔法習おうかなぁ」
  喧騒。
  人込。

  それらをうまく避けながら通りを歩きつつ、あたしは呟いた。
  有史以前のアイレイドの時代ならともかく、今のご時世誰でも魔法が使える。……いや知識は必要だけど。
  素養や素質とかで魔力の絶対的な差はあるものの、魔法の使用は訓練さえ積めば習得は可能だ。
  水中呼吸の魔法が使えれば、ポーションに頼る必要もなかったし。
  ……。
  もっとも。
  どんなに経験積んだところで、フィッツガルドさんのレベルには到達出来ないとは思う。
  あの人は天才だ。
  剣術は訓練さえ積めば、経験さえ積めば生まれ持っての素質はそれほど関係ないものの魔法は才能が全て。
  どんなに経験を積んでも真の天才には叶わない。
  生まれ持っての魔力が、差となり壁となる。
  あの人は天才。
  ただの天才なら別にそれ以上のリアクションはしないけど、剣術もマスタークラス。凄過ぎる。
  憧れの人。
  英雄目指してるけど、ああいう人が本当の英雄かもしれない。
  少し、羨ましい。
  さて。
  「いらっしゃい」
  「こんにちわー」
  ファイト武具店に足を運ぶ。店内には所狭しと、様々な種類の武器が置かれている。
  オーソドックスな剣から、斧、メイス、弓、多種類の矢などなど。
  安物から高価なものまで。
  さすがは大都市、見た事のない武器まで置かれている。すごいなぁ。
  ……まあ、手が出せないほど高価なんだろうけど。
  「えーっと」
  大都市の名の売れた武器屋、という事もあり気圧されるものの(あたしの田舎者ーっ!)武器を探す。
  高価なものも欲しいけど、別に今は必要ない。
  探し物はショートソードだ。
  長くても駄目。
  短くても駄目。
  炎上のロングソードだと水中では振るっても動作が鈍って魚には避けられるし、逃げる際に水中でなくしたけど銀のナイフ
  だとリーチが短過ぎて対応できない。

  中間の長さ、ショートソードが妥当だ。出来れば槍とか銛があればいいんだけど、シロディールでは流通してないし。
  何でだろう?
  ……ダサいからかな?
  「何をお探しで?」
  「ショートソードを。材質は何でもいいんですけど、切っ先が鋭いやつ」
  「切っ先が、ですか」
  「はい」
  突きに特化。それが水中戦の極意とあたしは心得たわ悟ったのっ!
  斬りだと、どうしても水中では鈍る。相手は魚、ノロノロスピードでは撫で斬りには出来ない。突きで行こう。
  「上等な鉄製のショートソードでいかがですか?」
  「上等な?」
  「はい。とっても上等な鉄です。鋭さは当店が保証します。いかがされますか?」
  ただの鉄ではない。
  上等な鉄。
  精製法が違うのか、純度が違うのかは知らないけど上等の名に偽りなしの見事な剣だ。
  これにしよう。
  「これにします。お幾らですか?」



  「さて、始めようかな」
  すべての購入を済ませ、あたしは再び帝都を出てルマーレ湖に。
  すべての購入。
  それは上等な鉄製のショートソード、水探の薬5本、水着。
  ……。
  水着、ね。
  何度も何度も下着を水浸しにするのもどうかと思って、買って来た。金貨3枚。現在、水着着用中というか水着姿だ。
  色はピンク。
  「んー、派手かなぁ。でもお店の人のお勧めだしなぁ」
  別にピンクはあたしの趣味じゃない。
  お店の人のお勧め、という事を明言しておこう。
  曰く《お客様のお肌にはこの色が合いますよ》と言われたから、ああそうかなー……と買ったまでだ。
  まあ、可愛らしくて良い色だけど。
  あたしはダークエルフ。通称ダンマー。
  この種は基本的に……というか確実に、肌色はしていない。黒っぽい色とか青っぽいとか、そういう皮膚の色だ。
  薄い青色が、あたしの肌。
  目に痛くない、濃くない綺麗な薄い空色。爽やかなこの皮膚の色にはピンクの水着が似合うらしい。
  店員さんが、そう言ったのよ。
  ふふふ。あたし、可愛いかな?
  まっ、自己陶酔は置いといてー。
  すらり。
  ショートソードを鞘から抜き放つ。刀身が日光を弾き、反射。綺麗な刃。
  ゴクゴク。
  水中呼吸の効果のある薬も飲む。準備万端だ。
  さあ。スローターフィッシュ退治に行こう。今度は何の落ち度もない、完全なる準備と計画に基づきいざ出陣っ!
  「三枚に下ろしてやるわ、スローターフィッシュっ!」








  「うひゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」







  「ぜえぜえっ!」
  びちゃびちゃ。
  滴る水をわずらわしげに振り払い、あたしは這い上がった岸辺に倒れた。
  ……。
  ……。
  ……。

  いや。回想シーンにあらず。
  実際問題、現実に再び返り討ちにあったのだ。回想でない証拠に纏っているのはピンクの水着だ。
  「ああ、もうっ!」
  無様に空を仰ぎながら転がるあたしは、自分自身に毒づく。
  魚相手に二度に渡る惨敗。
  ……また武器落としたし。
  はぅぅぅぅぅぅっ。
  出費ばかりが山積みになっていくぅー。
  基本、必要経費は自分持ち。いかに経費を抑え、報酬を得るかがプロのギルドメンバーだけど……あたし、無様。
  「持ってきたお金、半分使っちゃったよぉー」

  白馬騎士団の支度金。
  お小遣い。
  叔父さんからもらった、旅費。
  おば様からの餞別。
  ……。
  これ以上、使うのは極力回避しよう。ただ武器を手にする必要がある。
  炎上のロングソードを手にし、鉄の鎧を纏って戦う。
  それが一番ベストだろうけど……水中ではただの的。はっきり言って無意味な武装でしかない。
  ついでに言うと水中呼吸の効果のある薬もそれほど役に立たなかった。
  持続時間が短過ぎるのだ。
  とてもじゃないけど、戦闘に適した時間ではない。そもそもあまり透明度がよくないこの水の中で、戦闘以前にスローター
  フィッシュを探しているだけで薬の効果は消えてしまう。探すのでは駄目だ。何とかして魚を集めないと。

  でも、どうやって?
  「……うー……」
  ぐぅぅぅぅぅっ。
  お腹が鳴る。とりあえず食事にしよう。食事しながら考えよう。
  宿屋であり酒場である《ウォーネット》に向う。




  「ああ、いらっしゃい」
  「よっと」
  カウンターに座る。
  お客は……1人だけ。それも客なのかどうかも不明。帝都兵だ。
  都市から離れた村の宿屋や、街道沿いの宿屋には大抵帝都兵が1人いる。駐在的な役割、らしい。
  店内を見渡すけど、他には誰もいないようだ。
  それほど汚くはない。
  ただ、ここは基本的に素通る宿だろうから当然かな。
  何故ならすぐ側に帝都があるのだ。
  中継地点としては、あまり機能しない。ウェイの漁村の人達の憩いの場所なのだろうけど、まだ日は高い。
  夜までは閑古鳥……だと思う。
  断定はしないけど。あくまで憶測だ。
  「はぁ」
  「どうしたの、ダンマーのお嬢さん。不景気そうな声出して。……何か飲む? こんな店だけど、ワインには自信があるのよ」
  あたしはどちらかというとビール党だ。
  普段は見知らぬ人に愚痴は洩らさない。それが例え世慣れた、人と接するのに慣れた宿の主人であってもだ。
  しかし魚に二度も負けたのだ。
  少し、やさぐれてる。
  ついつい、不満を口に出した。
  「……というわけです」
  「ああ、そういう事ね。なら良い手があるよ。丁度在庫あまってたしね」
  「在庫?」
  女主人、奥に引っ込む。数分後、一本のボトルを持ってきてあたしの目の前に置く。
  ラベルはない。
  「ワイン、ですか?」
  「そう、ワイン。……普通の人は飲まないけどね。人間でこれを飲む奴は、間違いなく頭がおかしい」
  「……?」
  「血酒よ」
  「血……」
  血で出来ているお酒……というか、普通のお酒に血を混ぜてあるのだ。
  今まで実物は見た事なかったけど、聞いた事はある。
  吸血鬼の飲み物だ。
  吸血鬼は化け物……と認識している人もいるけど、あくまでただの病人。吸血病の犠牲者であり感染者。
  自我をなくせば完全な化け物だけど、血の渇きを理性で抑えれる高位吸血鬼たちは意外に街の中で暮らしている。
  理性があるので、基本的に見分けは付かない。
  狡猾に吸血活動に勤しむ悪者タイプもいる反面、普通に紳士淑女として暮らしている善良タイプもいる。
  それでも、定期的な血の摂取は必要不可欠。
  その為の、血酒だ。
  酒場などにも置かれていたりするし、合法的なもの。

  一説では血酒の購買は通販が主流のらしい。
  本当かどうかは知らないけど。
  「スローターフィッシュを誘き出したいなら、これを水面に撒いたら?」
  「……なるほど」
  それはそれで有効、だろう。
  野生動物を狩って、湖に浮かべスローターフィッシュが食い付くのを待つという手があるものの死骸の陰に隠れて攻撃出来
  ないという可能性もありえるからだ。肉ではなく血なら、液体なら攻撃の妨げにはならない。

  ならば。
  ならば、得物は弓矢だ。
  弓矢なら水に潜る必要ないし、接近するリスクも負う必要はない。
  もちろんいくら水面近くに誘き出したとはいえ、野を駆け地を走る動物相手ではなく魚……それも生きた魚を射抜くのは鹿や狼
  を狩るよりも難しいだろう。しかしあたしは戦士。武具の取り扱いには慣れている。

  そうなるように、修行してきた。
  「常連の吸血鬼が前によく来てたの。ここ数年、来ないから死んだのか別の地に旅立ったのかは知らないけどね。在庫として
  あまってるのよ、普通の人は飲まないし。半額でいいわ、買う?」

  「お幾らですか?」
  女店主が提示した額を支払い、あたしは食事をせずに再び帝都に戻る。もちろん商業地区の、ファイト武具店だ。
  鉄製の、大量生産されている一番安価の弓と矢を購入。
  これで完全に資金は尽きた。
  でも、仕事の為だ。
  困っている人を助ける為の投資。やがてそれは《英雄の器》という見返りとして、あたしに宿るだろう。
  ルマーレ湖で、決戦だ。
  帝都とルマーレ湖の往復もこれで終わる。
  取って返したあたしは、鎧姿のまま湖面に血酒を撒いた。アルコールの匂いはほとんどしない。血が全てを打ち消し、覆い隠し、
  この場の匂いを支配した。なるほど、普通の人間はまず飲まない。

  どの程度の血の濃度かは知らないけどかなり濃い。
  赤く染まる湖面。
  あたしは湖から少し離れ、矢をつがえ、構える。
  ギリギリ。
  そのまま、弦を引いたまま待機。
  待機。
  待機。
  待機。

  バチャ。バチャ。バチャ。
  血の匂い……は水の中までは届かないにしても、その血の成分につられて金色の魚が集まり始めた。
  スローターフィッシュだ。
  さっきまでの敗因は連中の領域で、張り合ったから。
  同じ領域で争う必要はない。
  得意な領域に引き込めばいい。少なくとも、陸地にいる限り呼吸の心配はあたしにはない。
  勝負っ!

  「はぁっ!」
  ひゅん。ひゅん。ひゅん。
  短い気合とともに、矢を放つ。狙い逸れずに血酒につられて水面に現れたスローターフィッシュを射抜く。
  戦士たる者、武具の扱いには長けていなければならない。
  そういう価値観があたしにはあるので、一応一通りの武器は人並み以上には扱える。
  戦士の嗜みだ。

  もちろん、それ以上に《弓矢のプロ》に習った結果でもある。
  レヤウィンで白馬騎士で活動していた際に、騎士団長のオーレン卿に個人レッスンしてもらった賜物だ。
  ……。
  オーレン卿、マゾーガ卿、シシリー卿。
  皆、元気かなぁ。
  「はぁっ!」
  ひゅん。ひゅん。ひゅん。
  次々と水面に浮かぶ、射抜かれた死骸。黙々とその数を増やしていく。
  三度目の正直。
  「今度こそあたしの勝ちよ、魚っ!」

  そして……。



  「こいつは驚いた鱗を持ってきてくれたのかっ! ありがたやありがたや。まだこの世も捨てたもんじゃないなっ!」
  「えへへ」
  感謝されて嬉しかった。
  多分、英雄になりたいという純粋な動機は……これなんだと思う。
  感謝されたい、という以前に誰かの役に立ちたい。
  役に立てたら幸いです。でも感謝されて喜ばれるのはもっと嬉しい。あたしの動機、簡単だなぁ。
  「こいつを受け取ってくれ。私にはもう必要がないが、あんたのような稼業の人には便利な一品のはずだ」
  あたしの手の上に小さな指輪を置く。
  材質は金だろうか?

  「そいつはルマーレの飾りという名でな。水中呼吸が出来る魔法がエンチャントされている。それと身につける事によって体力
  も上昇する。冒険者には必要な代物だろう?」

  「ありがとうございます」
  「いや。こちらこそありがとう。のんびり楽隠居しながら、あんたの事を思い出すよ」

  ルマーレの飾り。
  魔法の装飾品で身につけた者に《水中呼吸》の効果と《体力上昇》の効果を与える。
  冒険者には、ぜひとも欲しい代物だ。
  ……。
  ……。
  ……。
  いやいやちょっと待て待て待て待てぇーっ!
  その指輪、貸してくれたらよかったじゃん最初から貸してくれたらこんなに面倒にはならなかったのにぃーっ!
  あたしのお小遣いがっ!
  今までの依頼(モグラ退治や皿洗い等も含む)や白馬騎士団加盟時の支度金などで貯めたお金がぁーっ!
  現在のあたしはむ・い・ち・も・んっ!
  まあ、借金ないだけマシかなぁ。でも、やっぱり納得できません。
  「本当にありがとう。明日からの隠居生活が楽しみだよ」
  「……」
  とりあえず投げ飛ばした事は明記しておく。
  はぅぅぅぅぅぅぅっ。