天使で悪魔





深緑旅団 〜レヤウィン膠着戦〜




  陥落の炎に燃えるレヤウィン。
  既に人影はなく、あるのは燃える街並みを我が物顔で蹂躙し徘徊する深緑旅団率いるトロルの軍勢のみ。
  レヤウィン都市軍は全面撤退。
  指揮系統は完全に混乱し、情報も錯綜。
  あるいは奪還の為に散発的に攻撃を繰り広げる部隊。
  あるいは避難民保護の名目に後方に撤退をした部隊。

  いずれにせよ連携など出来ておらず、イタズラに時間と兵力を消耗している。
  炎は留まる事を知らず、風に乗り街を焼き尽くす。
  灰燼と化すのも時間の問題。
  そして……。






  「やれやれ。厄介じゃのぅ」
  間延びした声で呟くボズマーの老人。
  知る人ぞ知る、ヴァレンウッドの英雄的軍人であり『白馬将軍』の異名を取った軍人。
  現在はレヤウィンで仕官し、白馬騎士団の騎士団長を務めるオーレン卿。
  弓矢の名手。
  「やれやれ」
  もう一度、呟く。
  ここに至るまで戦闘の連続であり、いつものオトボケ調子でいるものの顔には疲労が濃い。
  長椅子にそのまま倒れこむように転がった。
  「歳には堪えるのぅ」
  場所はレヤウィン市内である、聖堂。

  逃げ遅れた避難民達で一杯だ。
  聖堂の警備に就いているのはシーリア・ドラニコス隊長率いる部隊。
  城の放棄を提言した女性で本来ならば主力と共に撤退するはずが逃げ遅れた避難民の一団の保護の為に撤退が遅れ、
  トロルの群れと炎に阻まれ市外へ脱出する事が叶わず聖堂に立て籠もっている。

  白馬騎士団の使命は聖堂に取り残された民の救出。
  別にそれを命令されたわけではないものの、オーレン卿は市中警護は騎士団の任務の範疇であると語った。
  騎士団員もそれに従った。
  しかし……。
  「二人はまだ来ませんね。……心配です」
  「御意」
  数分前に遅れて聖堂に辿り着いたレノスとヴァトルゥスが心配する。
  心配が平静を越えている。
  その為、竪琴を奏でようともしない。……いやそれ以前に竪琴を所持していない。乱戦の中失くしたらしい。
  白馬騎士団はトロルの猛攻により分断された。
  長椅子に転がるオーレン卿と、柱を背に一冊の手帳を読み耽るシシリーは互いにペアを組んで一番乗り。
  遅れてレノスとヴァルトゥス。
  だが後の二人が来ない。
  アリスとマゾーガだ。
  二人はまだトロルの巣窟と化したレヤウィン市内にいるのだろうか?
  それを思うと平常ではいられない面々。
  寄せ集めの騎士団でしかないものの、数多の出来事と多くの時間により結束は固いものとなっていた。

  「オーレン卿」
  「なんじゃ?」
  「これからどうするんです? 炎は迫る、トロルはいる、撤退も出来ない状態。それにアリス達も……」
  レノスは心配そうに尋ねる。
  ここに至ると善後策が必要となる。状況は思っていたより最悪だ。
  トロルだけなら問題ない。
  ……普通のトロルなら。
  深緑旅団が兵力として操るトロル達は一糸乱れず恐怖すらなく突撃してくる。
  そこに本来ないはずの連携と陣形がある。
  指揮系統もバラバラ、伯爵不在のレヤウィン都市軍がなすすべもなく敗退した理由もそこにあった。
  それに炎。
  炎は街並みを舐めながら、覆いながら拡大していく。
  街が灰燼と化せば。
  街が完全に炎の海と化せば深緑旅団も壊滅する。しかし当然、行くも退くも出来ない聖堂に籠もる面々も焼け死ぬ。
  これからどうする。
  撤退するのか。
  それとも……。
  善後策は必要だった。それは誰の頭にもある事。
  「心配ない」
  動揺するレノスをなだめたのは、女性だった。
  レヤウィン都市軍の士官クラス用の鎧に身固めしたノルドの女性。
  シーリア・ドラニコス隊長。
  ここの指揮官だ。
  「風向きから察するに炎はここまでは届かない。それに先程窓の外から見たのだが雨雲がこちらに流れてきている。
  直に雨が来る。炎の方の問題なら、心配はない」
  「……」
  レノス、黙る。
  天候などの気象に知識のないものにしてみれば、眉唾物ではあったもののその自信に満ちた顔が安心へと繋がる。
  おそらく彼女も意識して威厳を保った顔をしているのだろう。
  「問題は兵力じゃな」
  トロルの血糊が付着した鎧を弄りながら、仰向けになっていた小柄なボズマーが呟いた。
  思わず渋い顔になる隊長。
  シーリア・ドラニコスはレヤウィンの隊長の中でも珍しい女性仕官であり、軍人気質な性格ではあるものの聡明な
  顔立ちと思慮に富んだその物腰から衛兵達の間に隠れファンが多い。
  その聡明な顔を歪ませる。
  頭が痛いところなのだ、その話題は。
  「オーレン卿」
  改まった口調で切り出す。
  オーレンは白馬騎士団長であり、ヴァレンウッドで名声を欲しいままにした将軍。
  レヤウィンに仕官してからも騎士団長という役職上、城に何度もやって来ては治安の状況などを衛兵隊長達と
  論じ合っており、シーリアとも面識はあり性格的にも馬が合うのか親交がある。
  「オーレン卿、現在戦える兵は全部で30。負傷して戦えぬ兵が20。民間人が50。ここには総勢で100名」
  「それにワシら白馬騎士団は6名」
  「6名? ……ここには4名しか……」
  「直に来る。なあにおチビちゃんや緑の嬢ちゃんは生きとる。一騎当千じゃからな」
  「はぁ、なるほど。信頼は素晴しいですね」
  「さて深緑旅団。正確な数は知らぬが200は越すじゃろうな。300はいるかもしれん。少なくとも喧嘩にはならんな」
  「……」
  そこがシーリアの頭の痛いところだった。
  数の上では3倍。
  しかしまともに戦闘出来るのは30。10倍の戦力差。
  深緑旅団のトロルは死を恐れないに対してこちらはどうだろう?
  何人が命を捨てて戦えるだろう?
  軍人とはいえ人間。
  どんなに忠誠心に篤く、どんなに勇猛でも人は弱い。どこかで心は崩れる。
  何人が死を顧みずに戦うだろう?
  問題なのは撤退すら容易ではない事。
  聖堂は堅牢であり、守り易いもののいざ入り口を封じられれば今度は閉じ込められる形になる。
  幸いトロル達は聖堂周辺を徘徊するだけでそこまで組織だった行動には移ってないものの、今までの連携された
  動きを見る限りそのような行動に移っても不思議ではない。
  数で力押しされても負ける。
  扉を破られれば終わりだ。しかし撤退も出来ない。ここで身動きが取れないのだ。
  前門の虎、後門の狼。
  動きを封じられたシーリア達にとって唯一の救いは、水と食糧が聖堂に備蓄されていた事だけ。
  少なくとも兵糧で全滅する事はないものの、八方塞ではある。
  「オーレン卿、何か策は?」
  「ワシらは立場は曖昧じゃ。指揮は任すよ」
  「いえ。既に伯爵閣下が落ち延びおられる現状では、私もさすがに弱気に……」
  「落ち延びた、というか敵前逃亡でしょう?」
  「……っ!」
  柱を背に今まで無言で手帳を読んでいたシシリーの無遠慮な言葉に、シーリアの瞳に殺気が奔る。
  しかし臆せずに続ける。
  「この日記には、伯爵は秘密の抜け道から逃げたと記されてるけど本当?」
  日記。
  それはシシリーが聖堂に駆け込む際に見つけた、死んだ衛兵が所持していたもの。
  後生大事に抱え込んだまま絶命していた。
  脈など取らずともシシリーには絶命しているのが分かった。いや、誰でも分かるだろう。
  その衛兵には頭がなかったのだから。
  「それとこの日記には、深緑旅団が城攻めをしたと書いてあるけど?」
  「……事実だ」
  自分との感情に折り合いをつけ、シーリアは呻くように答えた。
  衛兵隊長。
  実質、ここの最高指揮官。
  彼女が動揺し、逆上すればただでさえ厭戦ムードで士気が低下している兵士達の気力を殺ぐ。
  「ふぅん」
  「それが、どうした」
  感情を押し殺しながらも問いかける。
  事態は膠着している。
  もう逃げ遅れた人々の悲鳴も聞えない。
  聞えるのは聖堂内に非難している住人のすすり泣く声と、建物の外から聞えるトロルの唸り声と炎の音だけ。
  この先どうなるか?
  聡明なシーリアには分かっていた。
  どう動いたところで結末は……。
  「秘密の抜け道から城に潜入して、深緑旅団の頭を潰す。……それしかないわね」
  「なっ!」
  「おおシシリー、そんな無茶な……」
  「……いや」
  否定を口にしようとする者達を制し、オーレン卿は深く頷いた。
  「それしかないの」
  「オーレン卿っ!」
  「まあ、まずは聞かれよシーリア隊長殿。現状で判断するに、それしかないのじゃよ」
  「し、しかし援軍が来れば……」
  「援軍か。そんなものはまずない。少なくとも数日は放置されるの。その間にワシらは全滅じゃ。なあに造作もない
  事じゃよ。扉を破って侵入さえすればいいのじゃ。そうすれば奮戦の甲斐なくワシらは全滅」
  「しかしっ!」
  「地の利も数の理も向こうが上。増援は来ぬ。待っても意味はないし、待てるだけの余力もない」
  「しかし、しかしっ! 生き残った衛兵達が……っ!」
  「うむ、全部合わせれば奪還は出来るじゃろうな。しかし指揮系統が完全に混乱し、てんでバラバラじゃ。今のところ
  北にある村に集結しておる部隊が最大規模ではあるものの、おそらくは動くまい」
  「何故、断言できるのです?」
  「北じゃからじゃよ」
  「……? 意味が分かりかねますが……」
  「……」
  扉の向こうの音を聞き分けるように瞳を閉じる。
  今日、幾つの命が散ったのだろう?
  沈黙し数呼吸置いてから口を開く。
  「村は南西に行ったところが一番近い。名は忘れたが……そう、カジートの住まう村じゃ。そこに集結せずに北にある
  村に行く、つまりはブラヴィルからの援軍かインペリアルシティから帝都軍を呼び寄せるつもりかは知らんが、
  それと呼応する気じゃろうな。一番リスクが少ない」
  「……」
  「少なくとも、自分達の命が助かる公算は一番近いわけじゃ。ここは全滅するがの」
  「……」
  「軍人だからと言って誰でも彼でも命を捨てるとは限らんよ。打算を作戦という言葉で隠すものもおろう」
  「……」
  「どの道ワシらは追い込まれておる。一日生き延びれればいい方じゃな。ここが堅牢でも数で押されれば落ちるよ」
  「……」
  押し黙る。
  立て籠もる、それは二つの要素が始めて成り立ってこそ勝利に繋がる行為。
  一つは援軍が来る事。内外呼応して挟撃し、敵軍を叩く。
  一つは敵が退く事が前提。
  シーリアにしてみれば深緑旅団が退かないにしても、こちらの援軍が来る事を前提に、避難民達を連れたまま敵軍突破
  という無謀な策は取らずに聖堂に立て籠もったものの、援軍が来なければ壊滅するしかない。
  時間は解決しない。
  むしろ時間が経てば経つほど孤立し、潰される。
  むろんオーレンの言葉を机上の空論として跳ね除けるのは容易い。容易いが、真実味はある。
  どうしよう?
  勝気な彼女の心が、少し折れた。
  「深緑旅団の頭を潰す事。それしかないわね」
  何気ない口調でシシリーは断言する。
  「……それは何故?」
  「ボズマーは生まれながらに動物を従える能力がある。大抵は犬などの調教程度だし、大抵は懐かれる程度しかない
  けど先天的に知能の低い生物を自由自在に操れる者もいるにはいる。旅団の首領もその能力者ね。おそらくは」
  「ただロキサーヌは……」
  そこまで言って、オーレンは言葉を止めた。
  誰も深緑旅団の首領の名前は知らない。世間的には知られていない名前。
  何故知っているのか?
  その疑問が一瞬皆の顔に走ったものの、オーレンは黙殺した。言葉を続ける。
  「ロキサーヌは、群を抜いて類稀な能力者。天性なのか魔法で能力を増幅しているかは、知らん。しかし天才的な能力
  なのは違いないのぅ。奴の部下は数10単位で操るが、ロキサーヌは数100単位。つまり頭を潰せば……」
  「……なるほど」
  そこまで言われると理解出来る。
  つまりロキサーヌさえ倒せば組織的にはトロルどもは動かなくなる。制御を失い、本来の野生モンスターに戻る。
  確かにそれでは何の解決にはならないものの、統率さえ失い連携さえしなければ対処は出来る。
  そして今の状況。
  トロルは基本、炎を恐れるのだ。
  街が炎上しているものの、今現在はロキサーヌの制御で自我と本能が抑えられている。
  しかしロキサーヌが死ねば?
  制御を失い、野生に戻ったトロル達は炎にガクブルし掃討はそう難しくはないだろう。
  雨雲は近づいている。
  動くなら早急に。
  さもなくば勝機を失い、例えロキサーヌを倒したとしても雨で炎が消えれば野生に戻ったトロル達に殺されるだけ。
  はぁ。
  溜息を吐き、それからシーリア自分の頬を叩いた。
  勝算があめ唯一の行動ではあるにしても危険には違いない。危険さはどの行動を取っても変わらない。
  ただ違うのはわずかな、欠片ほどの勝算がある事だけ。
  決意が必要だ。
  「問題は秘密の抜け道じゃな」
  「それはここからでも行けます。下水と繋がっているんです。……ああ、もちろん外には出れませんよ。それが可能
  なら私達はとっくに逃げている。外に出るには特殊な鍵、伯爵がしている指輪が必要なので」
  「下水か。……ふむ……」
  腕組みをして考えるオーレン卿。
  その顔からは戦闘による疲れは消え、元々厭戦的な雰囲気にも毒されていなかった口元には不敵に歪む。
  「白馬騎士団だけで行こうかの」
  「し、しかしっ!」
  動揺したのは……シーリアだけだった。
  やれやれと呟き溜息を吐くシシリー。
  そう思いましたよ、というジェスチャーのレノス。
  無言で頷くヴァルトゥス。
  寄せ集めとしか認識されていないものの、少なくとも衛兵達よりも強く、ある意味で一騎当千の使い手達。
  「考えてみよ、シーリア殿。下水に紛れ込んでおるトロルどももおるじゃろう。まさか衛兵全部連れて避難民をここに
  置いて行く事も出来んし連れて行く事も出来ん。ワシらだけの方が身軽い」
  「しかしっ!」
  「それにトロルを従えながらもロキサーヌはトロルが嫌いでの。臭いが最悪じゃからなぁ。城にさえ潜入できれば問題
  はないよ。ただ問題なのがワシらのメンバーが足りん事だけじゃな」
  しかし。
  そう言おうとした矢先に、扉の警備……もちろん内側からだが、警備の衛兵が叫んだ。
  ドンドンドン。
  扉を叩く音。
  トロルか、一瞬緊張が走るものの声が聞こえてきた。
  その声を聞き口元を喜びに歪めたのは白馬騎士団のみ。
  「あの、開けてくださいっ! あたしアイリス・グラス・フィルっ! 白馬騎士団ですっ!」
  「早く開けろ馬鹿野郎っ!」
  声はアリスとマゾーガのもの。
  笑いながら、それでも笑いを抑えて真面目な顔を取り繕おうと懸命に努力しながら、極力威厳のある口調を保ちながら
  オーレン卿は宣言する。
  「これより我々白馬騎士団はレヤウィン城に潜入する。……異義はないかの?」
  「……はぁ。ないわ」
  「おおシシリー。君が行くなら僕も行くよ。君の残り香しかない場所は寂しすぎる。僕は君に同行しよう」
  「承知」
  ドンドンドン。
  「開けてーっ!」
  「開けろーっ!」
  聖堂の外で騒いでいる二人がオーレンの身内と分かり、開けてやれと目で指示するシーリア。
  騎士団長の決意が変わらない事を悟り、恭しく頭を下げる。
  「どうぞご随意に。我々はここを死守します」
  「よし、白馬騎士団、出るっ!」
  『おうっ!』