天使で悪魔





黒い悪魔




  事態は刻々と動いていた。
  これから起こる、長い一日は後の『帝国の危機』への伏線となる。
  しかし今のあたしにはそんなの関係ない。
  ただ、日々を生きるだけだ。
  黒い悪魔。
  その男に、私は出会う。
  事態は刻々と動いていた。
  誰にも気付かれずに、闇に潜み、這い寄って来る。それは這い寄りし混沌であり、絶望。
  ……長い一日が、幕を開ける。






  「戦士ギルドの人間?」
  白馬山荘。
  既に今日の仕事を終え、全員で夕食。
  食事は当番制で、今日の当番はあたしとマゾーガ。
  あたしはよく戦士ギルドの仕事で老人介護(戦士ギルドの仕事か?)とかしてたし保母さんの真似事とかも
  これまた仕事でしてたから料理は得意。
  特に煮物系はあたしの得意技。
  マゾーガもかなりの達人で、揚げ物はあたしでは敵わない。
  まあ、料理で張り合うライバルでもある。
  白馬騎士団にあまり予算を掛けるつもりないのか、それともブラックボウ壊滅が目前なのでお払い箱にするつもり
  なのか知らないけど白馬騎士団は基本的に自給自足。
  食事の給仕の為の小者もいないし、洗濯だって自分達でしてる。
  でもそんな生活を、それなりに満喫はしてる。
  さて。
  「まさかアリスがブラックウッド団の監視の為にいるとはのぅ」
  つい、口が滑った。
  あたしの目的。
  あたしは叔父さんの命令で、白馬騎士団に加盟した。
  目的は亜人版戦士ギルドのブラックウッド団の監視。戦士ギルドレヤウィン支部への出向という形を取るより、ただの
  冒険者装うより確実だと叔父さんが判断したから。
  あたしもそう思う。
  街中の巡察も、白馬騎士団の任務の一つ。ごく自然に監視出来る。
  気を許しているのか。
  つい、食事中に口にしてしまったのだ。世間話の流れから。
  あぅぅぅぅぅっ。
  ……まずいよなぁ。
  「まさかおチビちゃんが密偵とはのぅ」
  「あら、犬の方がいいと思うけど」
  「シシリー、それは犬に失礼だろうが。私はコソコソ嗅ぎ回るドブネズミと言いたいな」
  ……こ、こいつら……。
  「おおシシリー。密偵はともかく僕と君は密会、今夜も会ってくれるかい……?」
  ぽろろーん。
  「あらでも私は悪女よ?」
  「おお僕は没落貴族。全てを失った愚か者。……あるのは君への愛だけさ」
  「そう。ならそれは預けておくわ。精々大事になさい」
  最近、二人の関係を理解してきました。
  ま、まさかラブラブだったなんてっ!
  ……ずっと性別を越えた親友だと思ってたあたしは鈍感なのかなぁー……?
  はぅぅぅぅぅぅっ。
  ズズズズっ。
  1人黙々とスープを啜り、食事を愉しんでいるのはヴァルトゥスさん。
  まともに会話したのはこの間の雪山でだけ。
  寡黙なのかただ愛想ないだけなのか。
  まあ、いいけど。
  「皆黙っててよ。その、あたしが戦士ギルドの密偵だって事」
  「私がばらしたら、きっとアリスは殺されるかさらわれて拷問だなぁ。可哀想可哀想」
  「マ、マゾーガぁっ!」
  ニヤニヤ顔であたしをイジる真の友のオーク。
  バラす気はないと思う。
  ……多分。
  いずれにせよあたしが戦士ギルドの密偵だとブラックウッド団が気付けば、任務は失敗。
  あたしはコロールに戻る事を余儀なくされる。
  ブラックウッド団、今のところただの亜人版戦士ギルド。あたしが見るところではね。
  叔父さんの言うように陰謀企ててるような物騒な連中には見えないから……バレても殺される事はないと思う。
  ……もちろん陰謀は人に知られないように勧めるものだからあたしが気付いていないだけかも知れないけれども。
  「拷問か、いいわね」
  ポツリと呟いたのはシシリーさん。
  いつも通りクールでドライ。
  顔が紅潮し、興奮している……という事はない。淡々拷問を語りだす。
  ……危ない人……?
  「拷問で大切なのは相手を殺さない事。それと、冷徹に徹する事だけど多少の譲歩は必要ね。顔は冷徹冷酷に徹しても
  相手の言い分も気付かれない程度には聞いてあげる度量も必要。飴と鞭ね。でも甘えは駄目、鞭の方を強くするの」
  「あのー、シシリーさん?」
  「効率的な拷問方法?」
  「いえ、そうじゃなくて……」
  「まず相手を縛り付けて両足に針を突き刺してくのが私の中では一番かな。針で死ぬ事ないけど痛いには違いない。
  血は出るけど死にはしない。プチプチと刺す。何度もやると痛みが麻痺するから次は腕。そして……うふふ……」
  怖い怖い。
  かなぁり危ない色が浮かんでいるんですけど?
  はぅぅぅぅぅぅぅっ。
  周囲の引いた空気を読み取ったのか、薄く笑いながら呟いた。
  「仕方ないじゃない。私は隠れ死霊術師だもの」
  隠れ死霊術師。
  魔術師ギルドにおいて禁術となった死霊術を今現在も研究している面々。人の良心を剥ぎ取った連中が多い。
  何故?
  死体を弄るから。
  特に一部の連中は生きてる人間も殺して死体にし、ゾンビに仕立て上げたりもする。
  「幻滅した? 私は悪女なの」
  レノスさんにそう問いかける。
  自嘲気味、でもなくあくまでいつも通りの冷静な顔の彼女の心中はあたしには分からない。
  「おおシシリー。君のその冷酷な仮面の下の素顔、僕しか知らないなんて……僕は幸せ者だよ♪」
  ぽろろーん。
  「あら? 貴女を殺せば私の素顔は誰にも気付かれないわけ?」
  くすくすと笑う。
  二人の関係、大人過ぎて分からないけど仲良いなぁ。
  場の空気が再び温まったのを感じ、マゾーガがあたしをからかう。
  「シシリー、あまり怖い話をしない方がいいぞ? アリスの奴、小心者だからあんなに真っ青になっちまった」
  「あたしはダンマーっ! この色が普通なのっ! 何よマゾーガなんて光合成してる緑色のくせにっ!」
  「お前に分かるか日中は酸素を吐く行為が如何に苦痛かをっ!」
  「……あっ、あくまで光合成してると言い張るんですか、そうですかー……」
  オーク族すげぇっ!
  オーク族、地球に優しい種族です。
  はぅぅぅぅぅぅっ。
  「それでオーレン卿はどうして白馬騎士団に?」
  「ワシか? ワシは……内緒じゃ♪」
  ニコニコして言うオーレン卿に、それ以上問い掛けれない。
  確か『深緑旅団』『ロキサーヌ』がキーワードなんだけど、それは聞いてはいけない気がする。
  プライバシーだからだ。
  「マゾーガは……」
  聞くまでないか。
  盗賊に殺された友人の敵討ち。騎士になるのは、その手向けとして。
  それは知ってるけど、あたしは意地悪くからかう。
  「マゾーガはレヤウィンで光合成する為だよねー。森林多いし」
  「ちっ。そんな事言うとお前の側ではマイナスイオンは出してやらん。……後悔しろ」
  「……」
  すげぇ事言うなぁ。
  唯我独尊女は、意外にお茶目だったりする。可愛い性格だし。
  レノスさんは没落貴族。
  騎士として名声を高め、かつての暮らしを取り戻すのが最大の目的らしいし、ヴァルトゥスさんはレノスさんの
  元用心棒。
  騎士として名を馳せて後に何を求めるかは知らないけど、忠誠と功名の板ばさみ?
  「私は隠れ死霊術師」
  両手でエール酒が満たされたカップを大事そうに抱きながら、シシリーさんは照れたように告白した。
  ある意味で重大な発言。
  魔術師ギルド内では、排除すべき敵でしかないのだから。
  そして法的に見ても罪を犯している可能性が高い。
  墓暴き等も含まれる。
  「今回、白馬騎士団に加盟したのはある意味でアリスと同じね。私はレヤウィンの魔術師ギルド支部乗っ取りの為にここ
  に来た。正確には乗っ取ろうとしているカルタールの援助の為にね」
  一同、黙る。
  趣旨は同じでもあたしは根本的に違うのは、ある意味で実力行使の為に来ている。
  内部抗争の為に。
  「カルタールはたまたま来ていたエメラルダに殺されたみたいだし、乗っ取りは失敗だけどね」
  聞き覚えのある名前。
  「フィッツガルドさんですか?」
  「貴女からその名前聞くの二度目。……どんな知り合い?」
  「戦士ギルドです。叔父さんにスカウトされて、フィッツガルドさんは幹部なんですよ?」
  「……ふん、あの八方美人のエセ善人。よくやるわ」
  あまり好きじゃないらしい。
  あんまり言葉交わしてないけど、良い人だと思うけどなぁ。
  「話も尽きぬがそろそろお開きとするかの。明日も早いしの」
  そう、オーレン卿は締め括った。
  ……。
  結局、皆が加盟理由をカミングアウトしたもののオーレン卿だけ黙して語らない。
  理由、なんだろうな。
  やっぱり少し気になる。
  ……少しだけね。
  「マゾーガ、片付けちゃお」
  「うむ。頼りにしているぞ、アリス」
  「な、何よその大儀そうに『全て任す』みたいな態度は。貴女も、手伝うのっ! ……作るだけじゃなくて片付けまで
  当番でしょうが。そんなんだからマゾーガは緑色なんだからね。ブロッコリーみたいな色してるくせに」
  「ブロッコリーは体にいいんだぞっ!」
  「……あっ、そこで怒るんですかそーですか……」
  意味不明なあたしのからかいに、真顔で吼えるマゾーガ。
  楽しい性格ですこと。
  さて、片付けちゃおっと。









  「だ、誰か助けてくれぇーっ!」
  ドンドンドン。
  深夜未明。
  あたし達は一日の仕事を終え、心地良い疲れを感じながら一日を終えた。
  ベッドの温かさが心地良い。
  「だ、誰かぁーっ!」
  ドンドンドン。
  誰かが白馬山荘の扉を叩いている。安らかな眠りは、妨げられる。
  「まったく、誰じゃ?」
  不機嫌そうにオーレン卿は呟き、扉を開ける。もちろんこの辺りには盗賊ブラックボウの本拠地のロックミルク洞穴がある。
  剣を手にし、慎重に開けたのは言うまでもない。
  「た、助けてくれぇっ!」
  ダンマーの、皮の鎧を着込んだ人物が飛び込んでくる。
  この時、あたし達も寝床から出てきていた。
  さすがにうるさくて目が覚めたし。
  「何用じゃ?」
  オーレン卿の声は冷たい。
  冷やかし程度に出てきたあたし達も、手近にある武器になりそうなものを手に取る。
  ダンマーの男性は、黒い弓を背負っていた。
  盗賊ブラックボウの構成員だ。
  「……アリス、そのスプーンで何するつもりだ?」
  「……マゾーガこそ杓文字で何するの?」
  とっさに手に取ったもの、武器にはなりません。
  一応、戦闘のプロの自覚を皆持っているものの寝ぼけた頭はどうにもならない様子。
  シシリーさんは箒。
  レノスさんは観葉植物。
  ヴァルトゥスさんはゴミ箱。
  白馬騎士団、全員武装。いざ進め、盗賊殲滅大作戦っ!
  ……ああ、この状態でどう戦えと……?
  皆、素晴しいまでに間抜けかも。
  はぅぅぅぅぅっ。
  「あ、あんた達が白馬騎士団なんだろう? 皆を助けてくれよっ!」
  必死の懇願。
  盗賊ブラックボウの首領ブラック・ブルーゴがあたし達に倒されて以来、レヤウィン周辺の盗賊達の抗争は激化した。
  弱体化したブラックボウに取って代わる為だ。
  その関連だろうか?
  つまり、他の盗賊団に本拠地を攻められてる?
  しかしわざわざ公的機関である白馬騎士団に駆け込むだろうか。駆け込んだところで、自身も逮捕されるだけなのに。
  「盗賊同士の抗争かの?」
  「ト、トロルだっ!」
  「トロル?」
  「トロルが仲間を食い殺してるんだっ! 頼むよ、助けてくれぇっ!」
  「……まさか……」
  蒼褪めた顔でオーレン卿は呟き、そのまま奥に引っ込む。
  ガチャガチャとさせている。
  すぐに分かった。鎧を着込んでいる。背に愛用の弓矢を背負い、腰にショートソード。
  「オ、オーレンさん?」
  「ワシは行く。おチビちゃん達は、ここに留まった方が良いな。レヤウィンへの報告も忘れずにの」
  あたし達の答えを聞かずにオーレンさんは出て行った。
  顔を見合わせる一同。
  「どうします?」
  沈黙を破ったのは、レノスさん。
  ともかく行ってみるしかない。盗賊を助けるのは、皮肉ではあるもののモンスターに襲われているのであれば仕方ない。
  「アリス、それでこいつはどうする?」
  盗賊を指差すマゾーガ。
  拘束して転がしておく方が一番かもしれないけど、人数が足りない。
  「レヤウィンに報告に行ってもらえばいいんじゃない?」
  「なるほど」
  トロルの数によるけど、レヤウィンとしてもあまり数が多いようでは捨て置けないだろう。報告は必要。
  しかしあたし達はわざわざレヤウィンに行ってる暇はない。
  オーレン卿が先に行ってしまったからだ。
  あたし達は今すぐにロックミルク洞穴に行く必要がある。
  この盗賊もわざわざ逮捕されるのを承知で白馬山荘にまで来たんだから、このままレヤウィンに行ってもらおう。
  「ふぅ。厄介」
  溜息。シシリーさんだ。
  「おそらく、深緑旅団ね」
  「あのー」
  「何?」
  「結局、深緑旅団って何です?」





  深緑旅団。
  ボズマーの出身地である、ヴァレンウッドを荒らし回る組織。
  首領を含め全てボズマー。
  総勢で10名にも満たないものの、数百に及ぶトロルを軍勢として従えている為にヴァレンウッドでは無敵を誇り、
  民衆達の間では絶対的な悪夢として浸透していた。
  旅団は集落を襲う。
  最大の理由は、軍勢であるトロルの腹を満たす為。
  集落は餌場。
  ヴァレンウッドは殲滅を不可能と判断。
  罪科の抹消と引き換えに、追放。
  穏便に追放された深緑旅団はシロディールに移動し、レヤウィン近隣に出没している。
  そして今……。





  風に乗り、漂う。
  その匂いは鼻に付き、咀嚼する音は不快げに響き渡る。
  血だ。
  まともにこの空気の中に入り込めるのは、殺人狂いか吸血鬼ぐらいだろう。あたしは不快な気分を感じていた。
  累々と転がる、肉塊。
  ……肉塊。
  既に人ですらない、人だったモノ。
  肉を食い千切り、骨を噛み砕き、血を啜る。
  緑色の、三つ目のモンスター。トロルだ。
  そしてトロルの餌と化しているのは、おそらくは盗賊ブラックボウの面々。
  ……遅かった。
  全滅している。
  少しは逃げたのかもしれないけど、意外な形で盗賊ブラックボウは壊滅した。
  本当に、意外な形。
  「囲まれたぞ、アリス」
  「みたいだね」
  完全武装してロックミルク洞穴に来たあたし達白馬騎士団。
  餌時に邪魔されたのが気に入らないらしく、トロル達は新手の餌達を包囲する。数にして、30。
  圧倒的な数ではない。
  ……?
  少し、疑問が湧く。
  不意打ちしたにしても、この数でブラックボウを潰せるだろうか?
  ロックミルク洞穴に潜んでいた盗賊は約30名前後。
  何が起きたのだろう?
  ひゅん。
  突然、トロルの一体が倒れ伏す。頭に矢。オーレン卿だ。
  「すまんの、わざわざ助けに来てくれて」
  「オーレン卿っ!」
  「ロキサーヌは、おらんようじゃな。……蹴散らすぞ、白馬騎士団っ!」
  『おうっ!』
  あたし達はそれぞれの武器を抜き、円陣を組んでトロル達を迎え撃つ。
  黒水の剣。
  相手の体力を奪う魔法剣。攻撃がヒットする限り、永遠にあたしのターンだ。
  「やあっ!」
  異常に発達した両腕が最大の武器であるトロルが襲い掛かってくる。私は俊敏に回避し、横に一閃。
  苦悶の声を上げて交代するその一匹をさらに踏み込み、踏み込み、踏み込み、三度目に脳天から叩き割る。
  絶叫と同時に血煙の中に倒れるトロル。
  当初陣形を組んでいたものの、次第に乱戦へと移行。
  トロルは強い。
  タムリエルに生息するモンスターの中では、大体中の上に位置する。
  しかしあたし達は一騎当千。
  ……まあ、そこまで恰好良い事は言わないけど、よっぽどの数でない限り、そうそう圧倒される事はない。
  コロールでモグラ退治とかしていたあたしが、トロルと戦う。
  あたしも成長しているらしい。
  「はあっ!」
  トロルの腕力は、あたしの首を簡単に折るだろう。
  しかし戦闘は腕力だけじゃない。攻撃力だけでは、戦闘は優位には進まない。
  黒水の剣が閃く。
  ザシュッ。
  トロルの首が宙を待った。背後を突く形で突撃して来たトロルは、しかしマゾーガの豪剣の元に斬り捨てられる。
  連携が出来ているあたし達と、連携が出来ていないトロル達。
  徒党を組んだ方が強いに決まってる。
  それにトロル達の弱みは、その防御力だ。
  確かに脂肪が厚く、打たれ強いという感はあるものの研ぎ澄まされた剣に敵う筈がない。
  簡単に切り裂ける。
  ……勝てるっ!
  「そこっ!」
  胸元を貫き、剣を抜いた時には既に絶命。そのまま迫ってきたトロルを横薙ぎに斬った。
  あたし達が剣を振るう度にトロル達は数を減らしていく。
  ……。
  だけどおかしい。
  ブラックボウは弓矢に長けた盗賊団だ。
  いくら不意を受けたにしても、次第に態勢を立て直せるだろうし、連携の面でもトロル達に劣るはずもない。
  数にしてもほぼ同数。
  何故負けたのだろう?
  「はははぁっ! なかなか楽しい連中がいるじゃねぇかっ!」
  「若、言っておきますが……」
  「黙れヴァルダーグ。俺は少し遊ぶ。異論はないな」
  「……ふぅ。手短に頼みます」
  黒いローブの二人。
  野性味溢れる……というか、邪悪な笑みを浮かべる『若』と呼ばれた男。
  その脇に控える『ヴァルダーグ』と呼ばれた男は、フードを目深に被っていて顔が見えなかった。
  他の皆はトロル達と戦闘中。
  自然、あたしが対峙する事になった。
  「くくく」
  「……」
  一つだけ、分かった事があった。
  あの『若』と呼ばれた男は血刀を下げている。血の滴る剣、おそらくはブラックボウの血だ。
  あの男が盗賊達を斬り殺した?
  混乱する盗賊たちにトドメを刺したのがトロル達?
  ……そうかもしれない。
  どういう原理かは知らないけど、トロル達はあの二人を襲わない。近づいても、背後から襲うような事はしない。
  トロルを従えてる?
  「俺の名はデュオス。……ダンマーの小娘、少しは愉しませてもらおうか」
  「命のやり取りで、愉しむなんてしませんっ!」
  剣を手に、あたしは飛ぶ。
  デュオスは口の端で笑う。嘲笑。
  キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
  キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
  キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
  三合、切り結ぶもののデュオスは片手で剣を振るい、あたしを軽くあしらう。よく見ると腰には別の剣が差している。
  今振るっている剣は、おそらく盗賊のもの。
  ……自分の剣を使うまでもないという事か。舐めないで欲しいわねっ!
  「はぁっ!」
  「くくく。その程度か。……逝け」
  ……嫌な予感がした。
  まるで何かに引っ張られるように、あたしの体は無意識に後に傾いた。首すれすれを空気が薙ぐ。
  そのまま、あたしは後に一歩一歩飛ぶように下がる。
  その度にデュオスの一撃が襲ってくる。
  気付けばあたしは全身、血塗れになっていた。完全には避けれていないのだ。
  「小娘。……俺の剣の太刀筋が見えているのか?」
  「はあはあ。見えてるように見える?」
  荒い息を抑えながら、何とか答える。
  致命傷はないものの軽く何度も斬られている。薄皮一枚。
  でも痛いし血は出る。
  「はあはあ。でも正直なところ、何となく分かる程度よ」
  「……ふむ」
  黒い剣士は何か考え込むように一歩下がり、また一歩、一歩と下がる。立ち止まり、剣を投げ捨てた。
  あたしは油断なく構える。
  ちらりと周囲を見るけど、他の皆は加勢してくれるほどの余裕はない。
  ……もっとも何人がかりならデュオスが倒せるのか不明だけど。下手すると六人がかりでも勝てない。
  ……はあ。
  つまり、サシで勝負してるあたしは一番危ないわけか。
  あぅぅぅぅぅぅっ。
  「3分」
  「……?」
  「それだけの時間、耐えたのはお前が久し振りだ。……それに敬意を表して、少し本気を出してやろう」
  自分の腰に差してある剣を抜く。
  ……あっ。アカヴィリ刀?
  ブレイズ御用達の刀だ。しかし普通の刀身とは違う。そう、黒く禍々しいものが立ち昇っている。
  魔法剣かっ!
  身構える。黒いオーラを纏った刀を見ているだけで気圧されそうになる。
  その時、傍観を決めていたヴァルダーグが吼えた。
  「なりません殿下っ!」
  殿下?
  「口を出すなヴァルダーグ。安定している」
  「し、しかし万が一という事もあります。それにわざわざご自分のお命を縮める……っ!」
  「ヴァルダーグ」
  びくっ。
  従者は体を震わせ、黙る。
  「さて小娘。……死んでみるか」
  「……えっ……?」
  キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
  乾いた音が響いた。
  ……嘘。
  「くくく」
  デュオスは笑いながら、アカヴィリ刀を鞘に戻していた。あたしは呆然と立っている。ただ、立っている。
  まるで見えなかった。
  まるで……。
  「アリスっ!」
  その時、マゾーガが援護に現れる。
  マゾーガだけではない。オーレン卿を初め、他の白馬騎士もトロル達を撃破していた。
  しかし誰一人間合いを詰めようとはしない。
  デュオスの力を恐れているのだ。
  「くくく」
  当の本人は愉快そうに笑っている。その眼は語っている。
  ……殺そうと思えば簡単に殺せる、と。
  「はぅ」
  神経が磨り減りすぎたのか、あたしは急に気が抜けてその場に倒れた。
  外傷はない。
  ……少なくとも今の一撃はあたしの体に触れてない。
  震える手で握っている、柄を捨てた。
  黒水の剣の柄。
  刀身、と呼ばれるべき場所が完全に切り落とされている。寸分違わずに。……正直、怖い。
  それは他の皆にもある感情らしい。
  魔法が使えるシシリーさん&レノスさん、弓矢の名手のオーレン卿。この三人は遠距離攻撃が出来、剣で戦うあたし達
  と違って怪我のリスクは少ないものの、それでも攻撃を仕掛けられないでいる。
  「くくく。どうした、掛かってこないのか?」
  「くっ!」
  その余裕の笑みを、侮蔑の言葉を跳ね返すだけの文句が言えなかった。
  悔しい。
  バサ。バサ。バサ。
  ……?
  羽音がする。鳥が羽ばたく音。
  鳥の影が地を這う。大きい。す、すっごい大きい影。
  慌てて上を見るけどもう通り過ぎた後。
  ……ああ、鳥見てる場合じゃないか。
  「あれ?」
  何か変。
  何か変。
  何か変。
  あの空の色は、なんだろう。あの立ち昇る煙は……山火事……?
  「あれは何じゃ?」
  オーレン卿も気付いた。デュオスの哄笑は高くなる。
  既にデュオスは背を向け、あたし達には何の興味がないと言いたげで、しかも戦意は感じられない。
  こいつ何考えてるの?
  「くくく。よく燃えてるようだな。お前達ここで遊んでいていいのか?」
  「どういう事だっ!」
  「おーおーさすがは緑色の狂戦士と呼ばれるオーク族だ。ガン飛ばしがうまいもんだ」
  「質問に答えろっ!」
  珍しく興奮しているレノスさんもマゾーガに続いて叫ぶ。
  その時、シシリーさんが何かに気付く。
  「あの方向……それに煙の距離からして……まさかっ!」
  「そのまさかだよ。くくく。燃えているのはレヤウィンだ」
  「くうっ! ロキサーヌめ、向こうに行きおったかっ!」
  「くくく。あっははははははっ! 急げ急げ、深緑旅団はレヤウィンを潰すぞ。……ああいや、俺が頼んだのは半壊にして
  くれだったな。ロキーサヌという女は融通効きそうもないから、どうなるかは知らんがな。だが俺の知った事じゃない」
  「あ、貴方が画策したんでしょっ!」
  震える体を、何とか立ち上がらせる。
  震えは止まらない。
  人間、指令は全て脳が出してるみたいだけど……肝心なところで持ち主の指示を受け付けないから困る。
  「俺が? 画策? ……くくく。ダンマーの小娘、俺は仲介人だ。望んだのはトカゲの親玉だ」
  「トカゲの親玉?」
  「俺はそのトカゲの親玉の不要になった駒を頼まれて消した、それだけの事さ。くくく、はっははははぁっ!」
  叔父さんのいう『トカゲの親玉』の意味だとすると……ブラックウッド団?
  でも、まさかそんな事までするはずないと思うけど。
  「そんな事よりっ!」
  マゾーガが促す。
  既にデュオスに戦う意思はない。あるのは高みの見物。
  ここで後々の事を考慮すると雌雄を決したいけど、あたし達ではまず勝てなさそうなのは明白。
  こちらは無理攻めしない。
  向こうも戦い意思はない。
  ならば答えは簡単。向うのだ、レヤウィンに。
  「全員行くぞっ! 白馬騎士団、レヤウィンに向けて進軍するっ!」
  『おうっ!』
















  「よろしいのですか、若。……あの者達、消さなくても」
  「別にどうでもいいさ」
  「レヤウィン攻略の参戦はしますか?」
  「爺が止めてるのは知ってるよ。……それにうるさい目付が頭上を飛び回ってるからな。まあいいさ」
  「ロキサーヌ、役目を果たすでしょうか?」
  「さてな。ただ俺達はトカゲどもの依頼を果たした。報酬のヒストをもらえればそれでいい。……だろう?」
  「御意」