天使で悪魔




そして伝説は始まった






  伝説。
  伝承された説話。
  史実として信じられてきた言い伝え。

  だけどこれは説話でもなければ言い伝えでもない。リアルな現実。
  虫の王マニマルコはついに滅びた。

  そう。
  今ここにリアルな伝説が始まる。
  今ここに……。





  ついに虫の王マニマルコを滅ぼす事に成功した。
  圧倒的な雷撃。
  絶対的な炎撃。
  魂を食らう魔剣ウンブラの一撃。
  全てが決定的な一撃。
  誰もが虫の王マニマルコが滅びたと確信した。
  ……。
  ……だけどそれは軽率だった。
  伝説の死霊術師、無敵のリッチマスター、虫の王、様々な称号と伝説を強大な魔力と無限の魂の持ち主である虫の王は復活した。
  それは想定外の出来事。
  心に暗い影が落ちた。本当に勝てるのかと疑うのに充分だった。
  何より消耗が激し過ぎる。
  その時、フィーさんは虫の王の前に立ってこう告げた。

  「虫の王、決着を付けましょう、2人きりでね」
  「決着を決しようぞ、希代の魔術師よっ!」

  フィーさんの目には絶望なんてなかった。
  ただただまっすぐ見ていた。
  脱帽です。
  虫の王を相手に一度も心が挫けなかったのきっとフィーさんだけに違いない。
  あたし達は彼女に勧められて洞穴の外に。
  外は外でまだ激戦が続いているだろう、だけど虫の王の相手をするよりは温いのは確かだ。消耗激しいあたし達は洞穴の外に出る。
  洞穴の外に。





  「魔力の糸よっ!」
  山彦の洞穴、出入り口付近。
  虫の王との対決をフィーさんに任せてあたし、アリスさん、アルラさんは外に出た。
  麓では魔術師ギルド連合と黒蟲教団の軍勢が激戦を繰り広げている……と思う。よく分からない。何故ならあたし達のいる場所からでは麓の状況は
  見えないし見えたとしてもそんな余裕はない。まるで待ち構えていたかのようにアンデッドの軍団が出入り口付近に布陣していたのだ。
  布陣……うーん、正確には乱戦。
  誰と誰が?
  スキングラードの暗殺家族とアンデッド軍団が乱戦してた。
  何故ヴィンセンテさん達がいるのか。
  よく分からない。
  もしかしたらフィーさんが参戦を頼んだのか、自主的なのか。どっちにしても家族愛に深い人達だと思う。あたしもクヴァッチ聖域ではなくシェイディンハル
  聖域に配属されていたらもっと幸せに生きられたんだろうなぁとたまに夢想する。もちろん今はあたしも華族の一員だから言う事はないんだけど。
  「そこーっ!」
  アントワネッタさんが鋭い剣戟でゾンビを屠る。
  全員、善戦してる。
  疲労と消耗の激しいあたし達洞穴突入組も敵を圧倒してる。
  アンデッドは障害?
  うーん。
  髪の壁みたいなものだと思う。
  数が多いから手こずってるけど戦力としてはお粗末。
  アンデッド軍団はゾンビとスケルトンで構成されている。完全なる物理攻撃しか出来ないタイプのアンデッド。ここにゴースト系、さらにアンデッド最強
  のリッチがいれば苦戦を強いられるんだろうけど純粋な物理攻撃要員のみのアンデッドなんて怖くない。
  スケルトンは武器と防具を使うけど、使いこなしているわけではない。雑魚。
  ゾンビは耐久力は高いけどあたし達が苦戦するほど頑強ではない。もしろ脆い。
  敵にはならない。
  あたし達の敵にはならない。
  「魔力の糸よっ!」
  指を振るう。
  瞬間、紡がれた魔力の糸が周囲を駆け巡る。放つには指を振るう必要があるけど、一度放たれれば意思1つで自在に動く。軌道修正も意思1つ。
  ゾンビとスケルトンの群れを次々と屠る。
  肉は肉に。
  骨は骨に。
  本来あるべき姿にしていく。
  どんなに消耗していようともこの程度のアンデッドなら容易い。
  次の敵の群れを見据える。
  数だけは揃ってるから大暴れするには事欠かない。
  魔力の糸を紡ごうと指を……。
  「……っ!」

  突然、蒼い光が地面を這う。
  あたしは硬直。
  その光は瞬時に地面に広がる。あたしの足元はもちろん、みんなの足元、そしてアンデッドどもの足元に広がる。留まる事無く広がっていく。
  魔法?
  魔法なの?
  あたしにはよく分からない。ただ光は山彦の洞穴から広がってきた。
  つまりフィーさんか虫の王の力だと仮定するのが筋か。
  ……。
  ……でもあたし達はなんともない。特にだるいわけでもなければ痛みもない。虫の王の魔法であればあたし達は死ぬとかするだろう。
  それとも遅効性の呪いか何か?
  だとしたら嫌だなぁ(泣)。

  ドサ。ドサ。ドサ。ドサ。ドサ。ドサ。

  異変は唐突に訪れた。
  崩れ落ちたのだ。
  誰が?
  何が?
  アンデッド達が崩れ落ちた。
  ゾンビは死体に戻り、スケルトンは白骨に戻った。そこには何の力も存在しない、本来のあるべき姿。一瞬何らかの策略かと思ったけど、そうでもなさそうだ。
  これはつまり蒼い光の力で憑依していた魂が消失した?
  そうかもしれない。
  もしもその憶測が正しいのであれば、あたし達は何ともない理由が確立出来る。あの蒼い光はアンデッドにのみ効果がある、多分そうなんだろう。
  虫の王がそんな効果の魔法を発動させるわけがない。
  それはつまり……。

  「行くわよっ!」

  フィーさんの声がした。
  そう。
  フィーさんの力の効果だ、アンデッドの全滅はフィーさんが及ばした何らかの効果の証。そしてそのフィーさんがここにいる。
  つまり虫の王に勝ったんだっ!
  走り出すフィーさん。
  アルラさんだけ見せ場を取られたからなのか不服そうだったけど、あたし達と一緒にフィーさんの後に続く。
  走る。
  その先は見晴らしの良い場所だった。雪原の大地が見渡せる、見晴らしの良い場所。
  あたし達は見る。
  眼下の風景。
  そこには今回の戦いの全てが凝縮されていた。
  「……」
  沈黙。
  あたしは思わずその光景を沈黙して見ていた。
  勝敗が決した雪原の大地。
  先程の蒼い光の効果が眼下にも及んだのだろう、アンデッド軍団は全滅していた。黒蟲教団の主力は不死の兵団、つまりはアンデッド。それ故に
  勝敗が決したのだ。蒼い光によって全滅したアンデッド軍団。それはつまり主力の消失を意味する。
  死霊術師はまだ大勢いるみたいだけど士気の低下はどうしようもない。
  今さらこの状況を覆すほどのガッツは死霊術師にはないだろう。
  何故?
  死霊術師は結局のところ魔術師。
  強みとして存在していた雲霞の数の死霊兵団は消失。壁の消失、と言ってもいい。つまり魔術師ギルド連合軍の攻撃を遮る壁がなくなった。魔術師
  ギルド連合の陣容、いつの間にか都市軍が加わっていた。ブルーマ、シェイディンハル、スキングラード。衛兵の強みは接近戦。
  壁としてのアンデッドがない今、衛兵の突撃を遮るのは不可能。
  戦士ギルドもいる。
  接近を遮るだけの戦力と状況が黒蟲教団にはもうなかった。接近を阻む為に遠距離から魔法攻撃をするにしても魔術師ギルドは魔術に特化した存在。
  魔法の撃ち合いをしたところで、その間に衛兵や戦士に白兵戦に持ち込まれるのは必至。
  要は兵種の差だ。
  魔術師だけになった黒蟲教団に勝てる要素なんてどこにもない。
  何より連中の首脳部は完全に壊滅した。
  黒蟲教団は瓦解した組織。
  あたし達の勝ちだっ!

  「霊峰の指っ!」
  バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!

  アピールなのかな?
  突然アルラさんが天に向って雷撃を放った。雷鳴が空気を裂いて眼下にも届く。
  双方の軍勢は一斉にこちらを見た。
  さらに。

  
ごおおおおおおおおおおっ!

  後方で突然凄い音。
  振り向く。
  山彦の洞穴があったであろう場所の方向から1本の蒼い閃光が天に向って柱のように立ち昇っていた。
  綺麗だ。
  「綺麗ですね。アリスさん」
  「そうだね。フォルトナちゃん」
  囁き合う。
  何の意味がある蒼い柱かは分からない。ただ死霊術師達はそれが自分達の敗北だと知ったようだ。虫の王の敗北を知ったようだ。
  1人が武器を捨てる。
  それが合図となって次々と武器を捨てた。
  黒蟲教団に既に戦意はなかった。
  武装蜂起。
  フィーさんが剣を天高く掲げるとどよめきが広がる。それは次第に1つになる、大歓声だ。
  今ここに1つの伝説が終わった。
  無敵のリッチマスターは滅びた、虫の王マニマルコが滅したのだ。
  そしてそれはすなわち1つの新たなる伝説の始まりを意味していた。古い伝説を終わらせた新しい覇者の誕生。
  フィーさんが勝った。
  あたし達が勝ったんだっ!


  今日この日、新たな歴史が綴られた。
  そして伝説は始まったっ!