天使で悪魔
勝敗の行方
事態は急展開を迎える。
反乱分子のカザルト攻撃、女王の誘拐、死霊術師ファウストの脱走。
カエル師匠の言葉を信じファウストの屋敷に向ってみればそこにいたのは渇きの王。ファウストは言う。全ては画策されていたと。
結局、ファウストは力の源を失いつつもシェイディンハルに逃亡。渇きの王撃破。
ここに反乱分子はの中心は落ちた。
しかしまだ終わらない。
異世界で起こった全ての元凶との最終決戦。
これがカザルトでの最後の戦い。
……最後……。
「話のおさらいをしましょうか」
何事もなかったかのように、彼女はあたし達を前にして悠々と語り始める。とても首謀者とは思えない。
女王の補佐官システィナ。
カザルトの治世を実質的に実行してきた人物。
女王の崇拝者。
女王の信奉者。
それだけではなく女王自身も彼女には全幅の信頼を置いていた。
なのに何故?
「ジェラス達は元々女王陛下に対して不満を抱いていたわ。アイレイドの栄光を踏みにじる者として、女王を見ていた。彼らは信じて
いた、アイレイドの力を持ってすれば再びシロディールの覇者に戻れると。それが可能かどうかは私には分からない」
「……」
「でもこれだけは言えるわ。女王陛下に対しての不満は、罪」
「だから……」
「だから? 少し待ちなさい人形姫。……いや、その絞りカス。順番に説明してあげるわ」
油断なく身構えるあたし達。
彼女はカミングアウトした。自分がマリオネットだと。
人格を有する《12ナンバーズ》の一体である《フォース》。当然名前通り四番目。順番が若い方が強い。
強さからの自負か、システィナさんはあたし達の構えを見て鼻で笑う。
……。
違う。
今までのシスティナさんじゃない。冷たい視線を感じる。
わざわざマリオネットであるとカミングアウトした理由は分からないけど、ここであたし達を殺すつもりなのは確かだ。
システィナさんは続ける。
「私はファウストと組んだ。そして渇きの王シディアスという人物を創り上げたわ。偶像としてね。案の定ジェラス達は渇きの王の
旗印の下に集まった。全ては計画。全てはシナリオ。女王に不満を持つ者全てを一掃する、それが目的よ」
「それだけの為に……」
「それだけの為にたくさん死んだ? ……だから何? だから?」
「えっ?」
「不満を燻り続けさせる方が危険だった。それに女王陛下の心痛を何としてでも取り除きたかった。それだけよ」
「……」
言葉を失った。
確かに。
確かに意味は分かる。元々叛意を持っていたジェラス達を炙り出す為の計略というのは分かる。
でも大勢死んだ。敵も味方も。
この犠牲は何?
冷たく微笑む人形。
「私にとって女王陛下は全て。あのお方の為ならば、他の命など塵芥に等しい」
「面白い価値観ですね。実に面白い」
シャルルさんが口を挟む。
本当に面白そうに微笑している。
この場合は痛罵されるのを想定していたのだろう、心底面白そうに微笑するシャルルさんに呆気に取られる。
「何が面白い?」
「価値観ですよ。拾われたから、だから恩返しなわけですよね? 叛意を持つ者達皆殺しプランは」
「そうよ」
「女王は知らなかった?」
「当然。私の一存よ。ただ、女王陛下からジェラス達に対するご不満を聞いた。だから、計画し、煽り、排除した。あの方は誰も見向
きもされなかった私を見つけ、拾って下された。だからこそ忠誠を誓ったのよ」
「貴女は無垢の子供のような純粋さをお持ちですね」
「……何?」
「盲目的に言い付けを護る。……いいや。それ以上の事もする。誉められると信じてね」
「言ってくれるわね。例え子供っぽいとしても分かり易い行動ではあるでしょう? 単純にして明快な私の行動、問題はある?」
「いいえ」
首を横に振る。
おそらくはシャルルさんは本当に理解している。理解し、共鳴した上で喋っている。
しかし。
しかしだ。
例え理解して共鳴出来ても立場が違う。シャルルさんがシスティナさんに付くはずがないし、システィナさんもあたし達を見逃すと
は思えない。どっちにしても戦闘になるのは明白だ。なのにどうして彼女はこんなにも饒舌なのだろう?
よく、分からない。
ただ推察ではあるものの、システィナさんは分かって欲しいのかもしれない。
自分の忠実を。
自分の忠誠を。
分かって欲しいのかもしれない。
そして理解してもらう事で、自分の行動が正しいのだと思いたいのかもしれない。
「つまり貴女が黒幕だと、言いたいのですね?」
「言いたいのですね? ……回りくどいのね。私が、黒幕だと断言しているのよ」
「それは失礼」
「今頃はバルバトスが玉座にふんぞり返っているでしょうね。簒奪者として奴を殺しに舞い戻る。そして女王陛下は全ての敵、全て
の雑事から解放される。もちろん陛下がそれを望まないのであるならば。この国、バルバトスにくれてやる」
「ほう? もっと詳しく」
「私が望むのは陛下の心の平穏。国などではない。陛下がこの国にいたくないのであれば、別の場所にお連れして安息の日々を
お過ごしいただく所存。お世話が私がする。生涯ね」
「馬鹿な感情ですね」
「……何だと……?」
「馬鹿です」
「……貴様」
恍惚な表情で語っていたシスティナさんは突然の否定の台詞に表情を一転。鬼女の如くに変じる。
思わずあたし達はその苛烈な表情に怯えるものの当のシャルルさんは動じない。
さすがは元フラガリアの参謀。
巧みな話術はシスティナさんにも劣らない。
「それで? 何故わざわざ自分がマリオネットだと明かしたんですか?」
「そうねぇ」
思わせぶりな視線をあたしに向ける。
危険な視線。
思わず2人の従者があたしを庇うように寄り添う。
「大丈夫だよ」
「マスター」
「主」
2人は会釈して離れる。
「システィナさん。あたしが、嫌いなんですか?」
視線からそう読み取った。
マリオネット12ナンバーズの四番目フォース。順番が若いほど強力。……その半面、人間臭かったり不安定だったりするけど。
あたしはどうやら人形姫らしいし、多分フォース……あー、システィナさんとも会ってる。
あたしは覚えてないけど。
もっとも、向こうは覚えてるわけだ。何があったんだろ?
「覚えてないの?」
「……はい」
「ふん。いい気なものね。私をルレンツェア作戦で見殺しにしたくせに。お陰で私は異世界を彷徨った。そして女王陛下に拾われた」
「……」
ルレンツェア作戦?
どんな作戦なんだろ?
当然ながら覚えてない。そもそもルレンツェアって何だろ?
じー。
痛い視線を感じる。
「う、うわっ!」
シャルルさんが凄い視線で睨んでる。……何故に?
「貴女鬼畜ですね」
「はっ?」
「この麗しいシスティナさんに……そんな破廉恥な格好させる作戦なんて……この外道っ! 死ねっ!」
「……」
うわぁ死ねって言われたー。
露骨に言われたよすっごく沈むー。
他の2人は意味が分からないようだから、ルレンツェアというのはアイレイド語か何かなのかも。
反論すると……。
ドゴォォォォォォォォンっ!
「な、何っ!」
「援軍よ」
くすくすとシスティナさんは笑う。
壁が崩れた。濛々と立ち昇る煙の中から足音が響き渡る。
それも無数に。
そして……。
「マリオネットっ!」
居並ぶ人形。マリオネット。その数はざっと100はいるだろう。にやりとシスティナさんは笑う。
長々とした話はこの為の時間稼ぎか。
多分このマリオネット、黒牙の塔に保管されていた人形だ。
反乱分子の討伐の為にあたしを組み込みたい、それが女王の考え。その考えの根本は人形姫であるあたしに人形を支配&稼動させ
る事だった。
そしてこの人形を支配&稼動させているのはシスティナさん。
……。
前に聞いた覚えがある。
下位タイプのマリオネットは人形遣い、もしくは上位タイプである《12ナンバーズ》が支配出来るという。つまりシスティナさんには下位
マリオネットを動かすだけの能力があるのだ。
たけど、それならどうして自分でマリオネットを指揮し、自作自演ではあるものの反乱分子を討伐しなかったのだろう。
もしかしたら自分がマリオネットである事を女王に知られたくなかったのかもしれない。
それが何故かは分からない。
少なくともシスティナさんは人間で通してた。インペリアルで通してた。
反乱分子も死霊術師ファウストも知らなかった節がある。
「ふふふ」
ともかく。
ともかく、事態は最悪な方向へと移行した。
連戦続きのあたし達にとってこの数は痛い。今の能力的に総合すれば下位マリオネットは敵ではないものの、問題は数だ。
正直勝てる気はしない。
それだけ今はきつい。
それでも逃げるわけにはいかないし逃がしてもくれないだろう。
「さあ。終わらせましょう。……全てね」
システィナさんは人形の軍隊に合図を出す。
ゴーサイン。
決戦だ。
「はあっ!」
迫り来る者達を切り伏せる。
首。
胴。
腕。
魔力の糸が容赦なく斬り飛ばす。いかに強力無比なマリオネットといえども魔力の糸の前には一溜まりもない。
色々とあたしも強化されてるしね。
黄金帝との戦い。
魔剣ウンブラに支配されたレンウィンとの戦い。
頭の中でワイワイと騒ぐあの女(人形姫)が、あたしが追い込まれるたびに能力を強化してくれた。……厳密には本来あたしの中に
秘められている能力の一部を解禁してくれた、なんだけどね。
ともかく今のあたしにしてみれば下位マリオネットなんか怖くない。
「聖雷っ!」
「おらぁーっ!」
「ばっ!」
シャルルさん、チャッピー、ケイティーも善戦してる。
三者とも魔法に長けてる(純粋にはチャッピーは炎の息)。マリオネットは魔法に対する耐性がない。元々当時は魔法が扱えるの
はアイレイドエルフだけであり、奴隷鎮圧用のマリオネットに魔法耐性を付加する必要がなかった。
奴隷は魔法使えないわけだし。
そんな関係でマリオネットは魔法が弱い。
蹴散らすのは簡単だ。
……ただ。
「くっ!」
ひゅん。
1体の胴を切断、床に転がる。だが次から次に敵は飛び掛ってくる。
マリオネット100体。
連戦に次ぐ連戦であたしは消耗している。善戦しているシャルルさん達ではあるものの、彼らもまた当然ながら消耗している。いつま
でもこのペースを保てるわけがない。
オブリ無双は正直きつい。
気が付けばあたしは肩で息をしていた。
「はあはあ」
足元に転がるマリオネットの残骸。
だが残りは半分以上も残っている。正直な話、まずい。
「お終い?」
「はあはあ」
「本当に人形姫の人格がないのね。……無様なものね。かつては支配したマリオネットに殺されるんだから」
「あたしは……」
「……?」
「あたしはフォルトナですっ!」
「だから人形姫じゃないって言うの? そんな言い分通じるものか。昔の恨みは返させてもらうわ」
「はあっ!」
魔力の糸を放つ。
一直線に不可視の糸は伸びシスティナさんに到達、貫通した。
「可哀想に。限界のようね」
「そんなっ!」
到達したと思った。
貫通したと思った。
だけどそれは間違い。魔力の糸はシスティナさんに到達すらしてなかった。当然貫通もしていない。魔力が、尽きつつある。
ガクガク。
足が震える。恐怖じゃない。全身が疲労している。
すーはーすーはー。
息を整える。
体力はともかく魔力は時間と共に回復する。魔力の回復には個人差があるけど、あたしは結構早い。一分もあれば魔力の糸を
振るえる程度には回復する。
……。
ふぅ。ある程度は回復したかな?
「終わりにしましょうか」
「まだ、終わっていませんっ!」
「しぶとい」
ガクガク。
足が震える。疲れが蓄積されている。そりゃそうだ。だって連戦だもの。
黒牙の塔の地下監獄でファウストの魔物と戦ったし、ファウストの屋敷の前では黒の派閥(阿片の手下)と戦うし、ファウストの屋敷に
入ったら入ったで屋敷の当主の歪んだ価値観によって創造された強化生物達の群れとの激戦。
トドメにヴィヴィララ&渇きの王と戦い、死霊術師ファウストへの戦いに移行。
そして今現在に至る。
……。
……はあ。出来ればセーブして安全を確保したいんですけど。
「はあはあ」
体の疲れは、魔力の糸には影響しない。
魔力の糸の大元は当然魔力。
体力は関係ない。
だから。
だから、魔力の糸を振るうのには何の影響もない。ただ体力が低下していると、疲れていると当然ながら反応速度も鈍るし集中も
途切れる。体力の要素が低いと後れを取るのは明白だ。
敵がシスティナさんだけならいい。
それならいい。
「はあはあ」
視線を周囲に巡らせる。
魂なき下位タイプのマリオネットがあたしを包囲している。こいつらが問題。一対多数をするにはあたしは連戦し過ぎてる。
正直きつい。
システィナさんを含めてマリオネットは等しく魔法に弱い。
魔力の糸も魔法の類に位置するから、対マリオネットの能力としては申し分ない。……敵の数が少なければね。
あー。疲れるー。
「システィナさん。どうして、どうしてなんです?」
「何が?」
「どうして、あたし達と敵対するんです?」
「口封じね」
「口封じ」
「渇きの王どもが女王陛下を誘拐しなければあのまま《反逆》の罪で連中を一網打尽にした。なのに連中は誘拐した、そこでシナリオ
は狂った。ファウストの脱獄も想定外ね。貴女達も例外よ。ここに来なければ、こんな事にはならなかったのに。残念ね」
「どういう事です?」
「頭悪いのね、人形姫。理解出来ないの?」
「……悪かったですね」
「まあいいわ。ここで死ぬのだからね。……まあ、これはこれでよかったと思うわ。かつての主の人形姫を殺す事により、名実共に私は
女王陛下の臣下になれる気がする。ここで終わりにしましょう。いいですか?」
「望むところです」
「殺せ」
バッ。
飛び掛って来るマリオネット達。
「はあっ!」
放たれる魔力の糸。
意思1つで自在に動く魔力の糸は、指さえ触れれば放てる。そして一度放てば意識的に消失させない限りは永続する。
……ああ。あとは魔力がなくならない限りはね。
ともかく、魔力の糸は飛び掛ってくるマリオネット達を次々と屠る。
その時、女王様が意識を取り戻す。
悲痛な叫び。
「システィナもうやめなさいっ!」
「お待ちください時期に終わりますので。この者達を始末したら、黒牙の塔に戻りましょう。今頃はバルバトスが簒奪者として君臨して
いる事でしょう。シェーラはおそらく旧主であるバルバトスに転び、引き入れているはずですから」
「システィナっ!」
「戻りたくないのであればそれはそれでよろしいかと思われます。バルバトスがカザルトを支配します。政権に空白は生じません。私
は何があっても陛下の臣下。全ての雑事から貴女様が解放され心の平穏を得るのが、私の望みであります」
「……システィナ。そうではないのですよ。そうでは……」
「お待ちください。すぐに終わります」
そのまま視線をあたしに戻す。
女王の言葉は届かない。
女王の意思を彼女は間違えている。それが悲劇を生み出す。
そして、その悲劇はフィナーレ。
紡がなきゃ。
この戦いの終わりを、紡がなきゃ。
「はあっ!」
「……しぶとい」
ぎり。
マリオネットの群れを薙ぎ倒すあたしを見てシスティナさんは歯軋り。彼女が戦いに介入して来ない限りは問題ない。
他の皆も自分達の戦いに没頭している。とても援護出来る状況じゃない。あたしだってそうだ。
早く終わらせなきゃ。
「お前達っ! 人形姫を足止めしろっ! 私が始末するっ!」
マリオネット12ナンバーズであるシスティナさん。正式名はフォース。フィフスの上位に立つ人格を有する高位マリオネット。下位を
支配する権限を持つ。
ナンバーズを支配できるのは人形姫のみ。その人格を欠いたあたしでは、無理だ。
ダダダダダダダッ。
マリオネット達が飛び掛ってくる。システィナさんも動いた。
足止めさせ、自分の手であたしを殺す気だろう。
まずいっ!
「ここで終わりね、人形姫っ! 過去の栄光とともに果てろっ! 全ては女王陛下の為っ! それ以外の者は全て敵だっ!」
その思想は間違ってる。
悲劇の連鎖が生むばかりだ。女王様の為なんかじゃない。
こんなのただの我侭だ。
そう。システィナさんの我侭であり、エゴだ。
このままじゃ……。
「終われないっ!」
バッ。
マリオネット達が体に纏わり付く。
動けない。動けるはずがない。驚愕と物理的な拘束。動きが止まった。……システィナさんが、だ。
あたしも驚いた。
あたしの思念でマリオネット達が動いている。
ともかくっ!
「はあっ!」
この状況は見過ごせない。あたしは魔力の糸を放つ。
鋭い一撃。
風を裂き、システィナさんの胸元を貫いた。
心臓を貫いた。
「……こんな、馬鹿な……」
「システィナさん」
「……油断したわ」
「これで終わりです」
魔力の糸は確実にシスティナさんの左胸を貫いている。
フッ。
意識を解くと魔力の糸は消失。
ガク。彼女はその場に膝を付く。息も絶え絶え。見る限り、そう長くはない。マリオネットといえどもは心臓はある。生身の心臓ではなく、
そこも機械なんだろうけど心臓と脳を中心に体は構成されているはず。
「人形姫としての能力がないから、私は操れない。……なるほど。これは油断というわけね」
「あたしも、こんな事が出来るとは思ってませんでした」
「人形姫じゃないにしても、人形遣いではあるわけか」
そう。
システィナさんやフィフス、イレブンスのような人格を有する《12ナンバーズ》は人形姫でないと操れない。しかし人格を有さない、つまり
この場に多数いる下位マリオネットは人形遣いには操れる。
……まあ、あたしに出来るとは思ってなかったけど。
完全に無意識だ。
ともかく。
ともかく、下位マリオネットを操る際の思念がシスティナさんを上回ったので、あたしが今下位タイプを支配している。
だからこそシスティナさんに襲い掛かったのだ。
その隙が命取り。
魔力の糸が致命的な一撃を与えた。
もうすぐ彼女は死ぬ。
「最後の最後でこんな結末とはね。……貴女達は利用出来たけど、役立ったけど……最後の最後で、祟る事になるとはね」
「……」
「……抜かったわ……」
「さよなら。システィナさん」
バタリ。
倒れる。
そしてそのままもう動こうとはしなかった。
マリオネットだから死ぬという表現は妥当ではなく、機能停止が正しいんだろうけど……あたしは彼女は逝ったのだと表現したい。
色んな誤解が積み重なった結果。
彼女の本心はあくまで女王様に対する忠誠だけだったのだろう。
そこは、否定しない。
そこは……。
「……システィナ……」
女王も複雑そうな顔だ。
それはそうだ。
そもそもは彼女の愚痴から始まった。もちろん女王様にしてみればシスティナさんを信用していたからこそ愚痴ったに過ぎない。
システィナさんはそれを誤解した。
密命だと思った。
不満を抱く者達を一掃する計画に至ったのは、その誤解からだ。
さらにシスティナさんが無垢すぎたから。
子供のような無垢さで彼女は女王の不安と不快を取り除くべく画策した。女王の苦悩は終わらない。
「失礼」
シャルルさんが女王の拘束を解く。
彼女は足元をふらつかせながらも立ち上がり、システィナさんの側に腰を屈める。
「……」
無言のまま瞳を閉じた。冥福を祈っているのだろう。
あたしもだ。
皆、一様に瞳を閉じる。
行った事が正しいとは言わないし思わないけど、純粋だったのは確かだと思う。
システィナさんに冥福を。
……おやすみなさい。
「やばいぜやばいぜーっ!」
「うひゃっ!」
突然声が響いた。
この場にいる者の声ではない。皆一斉に反応したので、皆にも聞こえている声なのだろう。
……あれ?
前もこんな事あったような……。
ゴソゴソ。
おもむろにポッケの中に手を突っ込む。異質な感触。……ああ、これかー……。
「パーパスっ!」
「よおまた会ったな。元気してたか飯食ったか? んん? 人間は寿命少ないんだ、毎日を謳歌してるか?」
あたしの手の中に収まっている犬の置物。
パーパスだ。
ただの置物にはあらず。こう見えて悪魔だ。
「な、何ですそれは?」
女王様は初めて見るわけだから当然戸惑っている。まあ、戸惑うよね。
「それで何の用ですか? ……あっ、またウンブラ……」
「そうだったぜっ! それだよそれっ! まずいんだよっ!」
「はっ?」
「だから……っ!」
「主っ!」
珍しくケイティーが焦った声を発する。
それは警告。
勢いよく黒い物体が飛び込んでくる。それも無数に。眼で素早く数える。それだけの余裕はあった。10。
鋭い牙。
鋭い爪。
漆黒の犬。……ただしヒツジ程の大きさがある。
「はあっ!」
魔力の糸を紡ぐ。
シャルルさんは雷の魔法で、ケイティーはロングソードで、チャッピーは炎の息吹でそれぞれ撃破。いかに消耗しているとはいえ
犬程度に後れを取る事はない。
数も大した事なかったし。
さぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ。
死骸は数秒で黒い霧となって消える。
「えっ?」
犬じゃない?
見た感じは犬だったけど……まあ、でか過ぎたけどね。それに普通の犬がこのタイミングで襲ってくるだろうか?
考えられるとしたら……。
「ファウスト」
「それはありえませんね」
シャルルさんが即座に否定した。
ファウストの実験生物が襲ってきたのかと思ったけど違うらしい。
「おい若造。マスターの考えが違うと言うのかっ! マスターが黒だと言えば白でも黒なんだっ!」
……それは違うと思うよチャッピー。
シャルルさんは気にせずに続ける。舌打ちしたものの、チャッピーは黙った。
「パーパスが現れたタイミングにファウストの実験生物はおかしいでしょう。これはパーパスが出張って来たのと関係ある。そう見た方
がより自然ですよ」
「なるほど」
相変わらず頭が良いなぁ。
……もう、敵だけどね。今更元には戻らないとあたしは思ってる。
ともかく。
「パーパス、そうなの?」
「ああ。俺様は警告に来たのさ。とてもじゃないけどクラヴィカスの旦那にはもう付いて行けねぇ」
「ちょっと待ちなさい」
再びシャルルさんが口を挟む。
どこか顔は蒼褪めていた。
「あの犬はクラヴィカス・ヴァイルの刺客なのですか?」
「刺客じゃねぇよ」
「つまり」
「つまり、護衛だ」
「くっ! 何故早く言わないんですっ! ……ああ、いや、対処の時間はどちらにしてもなかったですか。くそっ!」
「シャルルさん? どうしたんです?」
ヴヴヴヴヴヴヴヴ。
羽虫が飛ぶような音が響く。数百数千の羽虫が飛び交うような音。
「一体何なのですっ!」
女王が叫んだ。
状況を掴めていないのは皆同じだ。……いや。ケイティーが呟いた。
「これはまさか……」
「ケイティー?」
「降臨されます」
「降臨?」
ヴヴヴヴヴヴヴヴ。
黒い霧が収束していく。目の前の空間に、まるで墨汁を垂らしたかのように広がる黒い染み。
「ケイティーっ!」
「魔王クラヴィカス・ヴァイル殿です」
「……っ!」
「完全に具現化するには数分でしょう」
「……」
誰もが言葉がなかった。
何なのよっ!
このタイミングで魔王が降臨するなんてっ!
「クラヴィカスの旦那はウンブラが欲しいんだよ。ウンブラが欲しくて欲しくてプッツンしたのさ。ありゃ正気じゃないぜ」
魔剣ウンブラ。
かつて魔王クラヴィカス・ヴァイルと互角に渡り合った英雄の魂が封じられた魔剣。この魔剣に支配されるとマオウすら迂闊に手
が出せない剣士に変じる。かつてのレンウィンのように。
魔王が欲する理由は分からない。
他の魔王を牽制する為か?
いずれにしてもウンブラを渡してそのままで終わるとは思っていない。平和的解決はありえないだろう。
「若造っ! 魔王がこちらに来れるわけ……っ!」
「自身の魔力を犠牲にすれば飛んで来れるんですよ、実際にはね。この世界は次元が不安定。特にファウストの屋敷のある迷いの森
は一番不安定地帯なんですよ。無理すればこちら側に介入出来るわけです。魔力は低下していますが我々では決して勝てない」
「……」
沈黙した。
それはそうだろう。相手は魔王だ。いかに消耗しているとはいえ勝てるはずがない。
魔剣ウンブラはシャルルさんの手にあるけど、レンウィンほどの威力はないはず。何故ならシャルルさんは魔剣に支配されていない。
支配されていない以上、対悪魔用最強能力者にはなれない。
万事休すなの?
「貴女達をタムリエルに飛ばしますっ!」
女王は叫んだ。
タムリエルとオブリビオンの間には魔力障壁がある。魔王といえど手が出せない。ヴァンピールである女王様にはあたし達を転送す
る力があるものの、そこに不安は感じていないものの、わざわざ出張ってきたのにウンブラ入手出来なかった魔王の対応は?
この世界を滅ぼすのかは分からない。
ただきっと女王様を殺すだろう。
そんなのは……。
「出来るわけないのぅ」
このトボけた間延びした声。
気が付くと1人の老人が立っていた。手には黒魂石と呼ばれる石を先端に嵌め込んだ杖を手にしている。
あの石の中には人形姫の人格が封じ込められている。
「シェオゴラスっ!」
「また会ったの、ハイジ」
「誰がハイジですかっ!」
「もう諦めよ。今この瞬間にもお前の声はハイジの声として脳内変換されている事じゃろう。ほっほっほっ」
「はあ」
訳分かんない。
こんな感じではあるもののこれでもこいつも魔王だもんなぁ。
「何をしに来たんですか」
ウンブラの切っ先を向けつつシャルルさんが問う。
「そんなもの下ろさんかい。魔剣に支配されていない以上、怖くもなんともないわい」
「……」
チャッ。
虚勢でしかない。シャルルさんは大人しく剣を下げた。満足そうにシェオゴラスは笑い、あっちへ行けと言わんばかりに手を振る。
「ここは引き受ける。お主らは邪魔じゃ」
「えっ?」
一瞬意味が分からなかった。
一番最初に反応したのはパーパス。
「そいつはいいぜ。とっととずらかろうぜっ! ……さすがのあんたも魔王2人相手にはしたかないだろ?」
「まあ、ね」
苦笑しつつあたしは頷く。
半ば顔が強張った苦笑。魔王2人を相手にするつもりもないし、魔王同士の相対を見るのもごめんだ。
「フラガリア撤退します」
「待てっ! 逃がさんぞっ!」
ポゥっ。
収束していた黒い霧の中から無数の黒い犬達が這い出てくる。クラヴィカス・ヴァイルの従える悪魔達だ。
本来の姿は四つの角を持つ禍々しい化け物なのだが、人の眼には犬にしか映らない。
走り出す犬達。
次の瞬間、消え失せた。
「無駄じゃよ」
「何のつもりだシェオゴラスっ! 何故邪魔をするっ!」
「暇潰しじゃ」
「老いぼれめっ!」
「この間わざわざ警告したはずじゃな。あの小娘はワシの玩具じゃ。手を出すなとのぅ。……どうやら言葉が通じていないらしい。
ワシに正気で勝てると思うてか、小僧。これはお仕置きじゃな」
「滅びろ爺っ!」
狂気を司る魔王シェオゴラス。
契約を司る魔王クラヴィカス・ヴァイル。
2人の魔王は激突する。
そして……。