天使で悪魔





冒険稼業始めました 〜救出と偽装〜





  人は順応性の強い生き物。
  最初は戸惑った異世界生活ではあったものの、今ではそれが馴染んでいる。
  ……前にフロンティアでも同じ事を考えた気が……。
  まあ、いっかぁ。

  異世界カザルトを統治するのはリーヴァラナ女王陛下。
  その統治に反旗を翻し、タムリエル侵攻を目論む渇きの王の一派。
  建前的には臣下ではあるものの実質的には反目を続ける特権階級である三貴族。

  ファウストの存在も忘れてはいけない。
  何を企んでいるのか、分かったものではない。
  そして……。





  玩具が乱雑に置かれている部屋……いや、片付けてないだけ?
  子供用の小さなベッドが置かれている。
  「姉ちゃん姉ちゃん」
  「はいはい。何?」
  ルクェ君の子供部屋。
  そこであたしは、彼の話相手をしていた。仲間はいない。あたしだけ。
  「姉ちゃん」
  「何?」
  「洗濯板の姉ちゃん。挙式はいつにする? どこでする? 何人呼ぶ? 俺、姉ちゃん大事にするからなー」
  「……」
  前回知り合ったルクェ君の暴言……い、いえ、他愛もない冗談が続く。
  冗談、だよね?
  本気だったら色々と嫌な事を言われてるよーっ!
  はぅぅぅぅぅっ。
  「姉ちゃんは俺の事好きか?」
  「ま、まあ」
  「俺はおっきな胸が好きだけど、特別に洗濯板の姉ちゃんの事を好きになってやったぜ。姉ちゃんは幸せ者だなー」
  「そ、そう」
  「ははははははは」
  「……」
  生意気ながきんちょだぁ。
  あたしも子供だけど、ルクェ君はあたしの半分にも満たない歳だろう。
  あたしは年長。
  あたしは年長。
  あたしは年長。
  ……怒らない怒らない怒らない……。
  ……。
  でもやっぱり腹が立つよーっ!
  はぅぅぅぅぅぅっ。
  「ごめんなさいねうちの子供の相手の依頼をしちゃって」
  お母さんがジュースを持って来てくれる。
  「母ちゃん入ってくるなよー。今口説いてる最中なんだから」
  「はいはい」
  笑いながら母親は部屋を出て行く。
  口説かれてるの、あたし?
  ……せめてもう少し年長の人に口説かれたいなぁ……。
  「はぁ」
  「なんだよ溜息なんて吐いて。俺といるのがつまらないのかよー」
  「そうじゃないけど。……疲れる」
  「疲れるってなんだよー」
  「はぁ」
  この間のスラム街に遊びに来た。
  遊びに来た、というか仕事。
  遊び相手になってくれという依頼がフラガリアに来た。ルクェ君がお母さんに頼んだそうな。妙にあたしは好かれているらしい。
  まあ、いいけど。
  報酬は野菜盛りだくさん。
  結構な量で、当面は野菜三昧な日々だ。
  「なあなあ」
  「何?」
  「姉ちゃん強いんだなぁ。バルバトスも姉ちゃん達の前ではただの腰抜けなんだなぁ。格好よかったぜ」
  「ありがとう」
  この間。
  コーウェン家の管轄である東の門にあたし達は突入した。拉致されたスラム街の男性達を救う為に。
  死者を出さないように(相手側の)戦ったので、死者は出なかったものの戦闘は戦闘。
  相手は特権階級の貴族。
  この世界では争いに関して与えられる刑は極めて重いものの、女王は不問にしてくれた。
  当然バルバトスは抗議した。
  だがその抗議もすぐに止んだ。口を噤むしかなくなった。
  あの一件で教育係であり護衛のドレモラ・ケイテフ(ケイティー♪)は彼の元を離れ、カザルト最強と自称していた魔術師シェーラ
  もバルバトスに愛想尽かして女王直轄の宮廷魔術師に移籍してしまうし、身辺が寒々とした為かバルバトスは黙った。
  ルワール家が滅亡したのも関係しているみたい。
  三貴族の一角が崩れた。
  それが弱気になった原因の一つだろうとシスティナさんは言ってた。
  まあ、政治はあたしには関係ない。
  「姉ちゃん」
  「何?」
  ムニュムニュ。
  ……。
  ……。
  ……。
  あっはははははははははははは♪
  ルクェ君があたしの胸が大きくなるようにムニュムニュしてくれてる。優しいなー♪
  ……なーんて……。
  「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  思えるかボケーっ!
  はぅぅぅぅぅぅっ。
  揉まれたっ!
  揉まれたよーっ!
  「これで姉ちゃんは俺の女だからなー」
  ……この餓鬼ぃー……。


  ……その後、ルクェ君はお尻が真っ赤に腫れ上がるまでお母さんに叩かれてた……。



  ルクェ君の家を辞去して、あたしは家に帰るべく大通りを歩いていた。
  「助かりました」
  「いいって事さ」
  隣を歩くのはエスレナさん。
  たまたま会った。
  だけど、会えてよかったぁ。
  箱一杯に野菜を貰ったのはいいけど、運ぶのに難儀していた。エスレナさんに会えてよかったぁ。
  魔法も使うけど基本的に戦士のエスレナさんは力が強い。
  あたしが苦労していた野菜の箱詰めも彼女にしてみれば手頃な重量らしく一人で軽々と持っていた。
  「こりゃうまそうな野菜……だね?」
  「本当においしそうな野菜……ですよね?」
  お互いに曖昧な口調。
  この世界の野菜はシロディールのものとまるで違う。
  太陽がない世界だから、それに相応しいように品種改良したりしたらしい。だから基本、見た事ない形状であり色。
  食べれるんだろうけど現物見ると食欲が失せるものが多々ある。
  一番苦労しているのがシャルルさんだ。
  この世界にイチゴが存在しない。
  シャルルさんはイチゴ大好き人間だから、代わりにレタスを齧ってる。
  ……。
  いえ、ヤケになってるわけじゃない。
  それにレタスと言っても赤い色のレタス。ここまで言えば分かると思うけど、レタスなんだけどイチゴ味。
  シャルルさんは毎日丸齧りしているものの表情はどこか悲しそうだ。
  レタスだもんなぁ見た目。
  イチゴ食べている気にはならないだろう。
  例え味がイチゴだろうと。
  「いつ頃帰れるんでしょうね」
  「眼鏡任せだねぇ」
  「頑張ってもらわないと」
  「だけど帰るとなるとスカーテイルが駄々こねる……いや、あいつこの世界に居残るかもね。女出来たみたいだしねぇ」
  「へー」
  彼女かぁ。
  あたしはまだ見た事ないけど、アルゴニアンらしい。つまりは同族。
  この街は結構シロディールから来た人達が多い。一通りの種族は揃っている。珍しいのではフェザリアン達を通りで見かけた。
  フェザリアン。
  有翼人で空を飛べる。それが帝国には脅威に映った。フェザリアンが敵対した場合、城壁の意味がなくなるからだ。
  だから皇帝はフェザリアンの殲滅政策を取った。
  最近崩御した皇帝の数代前の皇帝の時代だ。組織的に根絶やしにされ、フェザリアンは絶滅した。
  しかしこの世界では存在している。
  探せばドラゴニアンもいるかもしれない。
  「あっ」
  「どうしたんだい?」
  「あれを見てください」
  指差した方向。
  みすぼらしい老人が派手な衣装の軽薄そうな青年に難癖をつけられている。
  通りには人が多いものの、誰も助けに入らない。
  足早に立ち去り、青年と老人を迂回して走り去る。それもそのはずだ。青年の周りに武装した兵士が5名いる。
  暗愚な貴族バルバトスだ。
  「なんだいあいつ」
  「バルバトスです」
  「ああ。あいつがねぇ。……なるほど。ありゃ暗愚さね」
  エスレナさんはバルバトスを見ていない。
  前回の一件に関わったものの、直接はバルバトスに会っていない。
  「で? どうすんだい?」
  「助けます」
  「それでこそフォルトナさね」
  気風の良い姉御肌のエスレナさんは豪快に笑った。
  さっぱりした性格な彼女とあたしは気が合う。
  ……。
  その反面、エスレナさんはシャルルさんを敬遠している節がある。
  吸血鬼もどきというのをカミングアウトしてからだ。
  やっぱりシコリなのかなぁ。
  さて。
  「クソ爺ぃっ!」
  ゲシゲシ。
  バルバトスはすがり付いてくる老人を蹴り飛ばす。
  老人……といってもそれほどの歳ではないだろう。初老という感じかな。ただ瞳が金色だった。
  まあ、瞳の色は関係ないけど。
  助けに入る前に少し状況を確認しよう。
  一応はどっちが悪いのかを判断しないと助けようがない。老人がスリの場合もあるだろうし。
  会話を聞き入る。
  「侘しいのぅ侘しいのぅ。最近は腹を空かせた者を救う事もせぬのか。ワシは寂しい、侘しいぞ」
  「クソ爺っ!」
  「貴族は老いぼれたワシを見捨てるのかの?」
  「そんなに腹が減ってるなら道端の草でも食いやがれっ!」
  「草? ワシは肉食じゃ、草など食わぬ。牛肉豚肉鶏肉魚肉……あと何があったかの? おお、人肉じゃ。あれはよい。腐肉もよいな」
  ……はっ?
  人肉って……今凄い事を言ったなぁ……。
  その場のノリ?
  「クソ爺っ! 施しして欲しいのか? ならば俺様の靴でも舐めてろっ!」
  「舐めるのはいかん。舐められるのは好きだがのぅ」
  「俺様を誰だと思ってやがるっ!」
  「虚栄に縋り惨めに死んで行く男じゃな」
  「な、なにぃっ!」
  すらり。
  バルバトスは剣を抜く。
  とても剣術に長けているとは思えないけど、目の前の無抵抗な老人を斬るぐらいはバルバトスでも出来るだろう。
  「お前らも抜けっ!」
  兵士達も抜刀。
  バルバトスは剣を、豪奢な装飾が施された柄を持つ剣を老人の首筋に当てた。
  「それで? 俺様が何だって?」
  「貴族とその取り巻きどもよ。ワシをフルボッコする気か。何ともまあ荒々しい事じゃ。荒々しいの大好き、もっとぶって♪」
  ……。
  こ、この老人って会話に脈絡がないなぁ。
  ボケてるのかな?
  「おい貴様、貴族の俺様を馬鹿にしてるのかっ!」
  その瞬間、刃が飛んだ。
  剣の刃が切断された。兵士達の剣も次々に切り落され、ただのガラクタに変わる。驚愕する一同。
  あたしは叫ぶ。
  「そこまでですっ!」
  「また、また貴様かぁーっ!」
  「抵抗する気なら首を落としますがいいですか?」
  眼を細めてバルバトスを見据える。
  「ひぃっ!」
  小さく悲鳴。
  前回の一件であたしの戦闘能力は理解しているはず。
  無体を押し通すだけの根性もない。
  「お、お、覚えてろっ!」
  「忘れます」
  後ろを見ずに走って逃げ去る。
  今までば誰も逆らわなかった。だから、兵士達にしても民衆にしてもバルバトスの腰抜けぶりに一瞬唖然となる。
  我に返った兵士達もその場から去った。
  喧騒は終わった。
  ざわついているものの、人々の視線の中には賞賛が籠もっていた。
  もちろん賞賛だけではない。
  厄介ごとに関わらないように足早に立ち去る者達もいる。
  まあ、何でもいいけど。
  「大丈夫ですか?」
  老人に駆け寄る。
  「助けてくれるとは優しい心の持ち主じゃのぅ。しかしそれは善意か偽善かはワシには分からぬ。しかし心はどこにあるのじゃろうな。
  胸を裂けば心も取り出せるのじゃろうか。脳を抉ればよいのか。まあ、どっちか探せば心があろうな」
  「はっ?」
  意味不明。
  脈絡なさ過ぎ。やっぱりボケてるのかもしれない。
  「お家まで送っていきましょうか?」
  「お家? 家には帰らんぞ小うるさい執事がワシのする事なす事にケチをつけるのでな」
  「はっ?」
  「それにワシは呼ばれたのじゃよ」
  「呼ばれた? 誰にです?」
  「それは知らん。ワシが誰かも、ワシは知らん。ワシ誰じゃ? ……おお、ワシは鷲じゃな。鷹ではないな」
  「はっ?」
  ポン。
  エスレナさんがあたしの肩を叩き、首を横に振った。
  確かに。
  確かに無意味だ。
  会話が成り立ってない。きっとボケてるんだ。どうしようかな、この人。放ってはおけないし。
  どうしよ?
  「この世界には狂気が満ちておる」
  「狂気?」
  「人間風情にしてはなかなかな狂気じゃ。体現するのに苦労したろうな。だから見届けに来た介入に来た。ワシも参戦するぞ?」
  「はっ?」
  「それにしても腹が減ったな。サチコさん飯はまだかの? てかサチコさんって誰じゃ? ワシは誰?」
  「……」
  堂々巡りだーっ!
  完全にエンドレス。まさに無意味、まさに意味がナッシングっ!
  バルバトスがいなければ絶対に関わらなかったよー。
  はぅぅぅぅぅぅっ。
  「あ、あの、これよかったら」
  とりあえずお腹が空いてるのは確かみたい。
  野菜を半分手渡す。
  半分と言ってもかなりの量だ。一応、生でも食べれる奴を渡した。バルバトスに空腹を訴えるぐらいだからよっぽどお腹が空いてい
  るのだろう。だから、生でも食べれる野菜を渡したのだ。味気ないだろうけど、お腹は満たされるはず。
  老人は破顔した。
  「おお野菜じゃ野菜じゃ。カジートの肉の付け合わせとしては最適じゃな♪」
  「はっ?」
  「ともかくお礼に名を名乗るとしよう。ワシは……」
  「……」
  「ワシは誰じゃったかの?」
  「……知りません」
  はぅぅぅぅぅぅっ。



  「ただいま帰りました」
  「やれやれ。妙な爺さんに関わったお陰で時間食ったねぇ」
  お爺さんと別れあたし達は家に帰りついた。
  ……ようやくね。
  ……あの後、お爺さんの戯言長かったなぁ。
  はぅぅぅぅぅっ。
  野菜を今にあるテーブルの上に置くと、エスレナさんは二階にある自室で食事まで寝てると言い残して上がっていった。
  何だかんだでこの世界に馴染んでるあたし達。
  結構、ここでの生活を堪能してたりする。
  永住する気はないけどね。
  「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  「うひゃっ!」
  び、びっくりしたぁ。
  地下室から声が響いてくる。
  あっ。この家には地下もある。安全性の為に、シャルルさんは地下で次元を超える為の魔法を研究している。
  声は地下室から。
  声の主はシャルルさん。
  今の悲鳴、何なの?
  「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  「……」
  今度はあたしはびっくりしなかった。
  地下からこんなにも響く声出すなんて、よっぽどの大声なんだな。
  何なのだろう?
  「よっと」
  椅子に座り、伸び。
  今日は疲れたー。
  ……胸を年下の、年齢一桁台の少年に弄ばれたし……。
  はぅぅぅぅぅっ。
  「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  「ふぅ。ご飯まだかなぁ」
  お腹空いた。
  だけど夕飯までにはまだ少しある。
  何して時間過そう?
  「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  「ふぅ」
  悲鳴は気にしないのかって?
  別に。
  だってシャルルさんって印象とは違って結構騒がしい人だと分かってるもん、既に。
  いちいち気にしてられません。
  その時、談笑の声が聞える。
  浴室の方だ。
  声の主はチャッピーとケイティーだった。
  「はっはははははっ。さすがはドレモラ、剛毅ですな」
  「いや。高潔なるドラゴニアンには及ばぬ。我こそ感嘆した」
  2人は気が合う。
  同じ気質のタイプらしく、気が合う。
  約束を重んじる性格が合うのかな。チャッピーはまあ、今更言うまでもないけど……ケイティーもまた契約を重んじる性格。
  何気にあたしを《主》と言って持ち上げてくれるけど主従結んだ覚えはないけどなぁ。
  仲間のつもりなのに。
  まあ、いいけど。
  浴室の会話を聞き入る。
  「しかしさすがはドレモラですな。なんかこう、悪魔的な形状ですな。いや剛毅剛毅。はっはっはっはっ!」
  「何を言われる。ドラゴニアンと風呂に入るのは……まあ、風呂自体初めてではあるが……まさにドラゴン並みのスケールですぞ」
  はっはっはっはっ。
  そう言って笑いあう二人。
  ……。
  すいません悪魔的な形状とかドラゴン並みのスケールの意味が分かりません。
  それってセクハラ用語ですか?
  はぅぅぅぅぅぅぅっ。
  これが漢(おとこ、と読むっ!)の友情なのだろうか?
  あたしには分からないなぁ。
  まあ、女の子だし。
  さて。
  「ただいま」
  「あっ。お帰りなさい」
  スカーテイルさん帰宅。1人のアルゴニアンを連れている。
  あたしにはアルゴニアンの性別は見た目では分からない。……そもそも分かる人は少ないと思うけど……。
  あたしは基本的に服装で判断しているだけ。
  オチーヴァさんとテイナーヴァさんの見分けは不思議とつくけど。
  ……。
  うーん。
  過した日々で、心を許し合ったかどうかで見分けがつくようになるのかなぁ。
  「紹介するよ。俺の彼女だ」
  「初めまして」
  「あっ。どうも。初めまして。あの、フォルトナと言います」
  ぺこり。
  頭を下げる。
  「どうだい? 俺の彼女、優しい顔立ちしてるだろ? 何かこう、包み込まれるような優しさを湛えた感じするだろ?」
  「そ、そうですね」
  見分けつきません。
  とりあえず曖昧に頷く。
  咎められるかと思ったものの、スカーテイルさんは……というか2人はお互いしか眼に入ってないらしく、談笑しながら二階に
  上がって行った。
  愛は奇跡?
  愛は盲目?
  まあ、何でもいいけど……あたしにはまだ難しすぎる事柄らしい。
  「やれやれ」
  二階から降りてくるのはエスレナさん。
  狭いながら部屋はそれぞれ個室。追い出されたってことはないと思うけど……。
  「どうしたんです?」
  「いちゃつく声を子守唄に寝る趣味はないのさ」
  「なるほど」
  「それより、眼鏡が叫んでる声がさっきからするけど何なのさ?」
  「さあ」
  「まさか吸血鬼の本性目覚めたのかねぇ? ……自我が崩壊した吸血鬼ならただの獣、あたいが消してやるさね」
  「駄目ですっ!」
  「……冗談さ。いやまあ、自我が崩壊したら殺すのは本当だけどね。自我がなければただのモンスターさ」
  「それは、そうですけど」
  「だろ?」
  「でもシャルルさんは大丈夫ですっ!」
  「あんたの仲間意識には脱帽するよ」
  ドサっ。
  椅子に座るエスレナさん。
  どこまで本気で冗談かは知らないけど……エスレナさんは吸血鬼が本当にお嫌いらしい。
  生粋の吸血鬼ハンターだからかな?
  まあいいけど。
  どうせ杞憂だもん。
  シャルルさんが吸血鬼になるなんてありえない。
  根拠?
  そんな食べ物は知りません(ペルソナのクマ風味)。
  「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  また叫んでる。
  研究が不調なのだろうか?
  眉を潜めるエスレナさん。
  「うるさいんだよ。まったく」
  「仕方ないですよ」
  「何が?」
  「だってあたし達が帰る為の手段、模索してるんですから」
  「まあ、そうだけど」
  スランプで荒れていても、あたし達は感謝こそしても文句を言うべきではない。1人で全てを背負ってるんだから。
  そう思っていると、地下からシャルルさんが上がってくる。
  顔色が蒼褪めていた。
  ブツブツと1人で呟いている。
  絶不調?
  「……僕の頭にあるのはスポンジだ脳なんかじゃないスポンジなんだそうさ僕はシャルルじゃない今日から僕はスポンジボブ……」
  「はっ?」
  「フォルトナさぁんっ!」
  「うひゃっ! ……あー、びっくりした……」
  突然あたしの名を大声で叫ぶので思わず動揺。
  怪訝そうな顔をするあたし達。
  何なのだろう?
  「僕は今まで自分がお利口だと思ってました。他の皆さんを脳筋だと蔑んでたのに……僕もまた、馬鹿だったようです」
  「……」
  冗談だろう。
  えっと、冗談だよね?
  冗談だと言ってー。
  はぅぅぅぅぅぅっ。
  「それで何なのさ?」
  少々苛立った声で先を促す。
  豪快な姉御肌のエスレナさんにしてみれば、長々と話されるのはお嫌いらしい。
  簡潔。
  それがエスレナさんの信条のようだ。
  「帰り方です」
  「帰り方?」
  「僕は気付いてしまいました。僕らでは次元の壁を超えては帰れない。しかしこちら側には入れる。つまりは一方通行」
  「それで?」
  これは重大な話だ。
  何に気付いたのだろう?
  見た感じ、あまり良い話ではなさそうだけど。
  「しかし僕達は歪んだ次元を通ってこちらに来たわけではない。そうでしょう?」
  「そう、でしたっけ?」
  「ベルモントとか言うヴァンピールに引きずり込まれただけに過ぎません」
  「はあ。そうですか」
  話が見えてこない。
  「つまりヴァンピールは僕達と違って特別で、歪みを通って行き来できるわけではないのです」
  「……えっと……」
  「簡潔に言います。連中は次元の門を開いているんです。……もっと分かりやすく言うのであれば、連中は自由自在に次元を行き
  来出来るのではないかという事です。つまりヴァンピールは自らの意思でタムリエルに行ける」
  「はあ。なるほど?」
  噛み砕いて説明してくれてるのは分かるけど、分かりづらい。
  エスレナさんも同じらしい。
  しかしシャルルさんは気にせずに話をどんどんと進める。
  「えっと、どういう事なんですか?
  「ヴァンピールに頼めば帰れるのではないかという事ですよ。……はぁ。研究は全て無駄な方向ですか……」
  


  黒牙の塔。謁見の間。
  この世界を統治する女王の住まう主城でありこの世界の象徴。
  気軽に会いに来なさい。
  その女王の言葉通り、訪ねたその日に謁見の運びになった。
  まあ、一時間ほど待たされたけど。
  それにしても何かあったのかな?
  兵士達が慌しく行ったり来たりしていた。ともかくあたし達は謁見の間で女王に会った。深々と一礼。
  「何用か。申せ」
  「恐れながら申し上げます。女王陛下、単刀直入に申しますがヴァンピールの力で元の世界に戻れるのでは?」
  シャルルさんが疑問を口にすると……。
  「おやおや気付きましたか」
  愉快そうに笑う。
  少々ムッとしたのかエスレナさんは顔を歪める。
  女王の脇に控えるシスティナさんが無礼を叱咤しようとするものの、女王が制した。
  「よい」
  露骨に怒りを露にしないものの、あたしも内心では面白くない。
  騙されてた?
  仲間達の怒りは当然だろう。
  ……。
  ちなみにケイティーは家に居残った。
  悪魔の身を気にしているらしい。別に気にする必要ないと思うけどなぁ。
  女王もそれほど気にしないと思うし。
  スカーテイルさんも居残った……というか彼女と過ごす時間の方が大切みたい。本当にこの世界に残るのかな?
  結構ありえるかも。
  さて。
  「女王様、あたし達に嘘ついたんですか?」
  「嘘?」
  「違うんですか?」
  「嘘ではないな。戻る方法はあるかと問われたから、ないと答えた。戻るとは引き返すという事。送り返す事とは意味が違う。……少し
  だけね。つまり言葉の遊び。許せ。人口増加はこの世界の急務だ。だから少し嬲っただけ」
  「……」
  沈黙する。
  最初から騙されてたのか。
  これは誤解とか受け止め方とは違う。騙されてた。
  「騙されたと思っているようだけど……少し違う。まあ、限りなく嘘ではあるけどね」
  「女王様」
  「どうぞ人形姫」
  「一番最初にここで会った農夫の人も帰れないって……」
  「この国の住人の義務ですからね。異世界から来た者に対してそう言うのは。……しかし義務と言ったはずですけどね」
  「……ああ。なるほどぉ」
  シャルルさんがやられたと言う顔をして呟いた。
  義務?
  本当の事とは違うの?
  「つまり女王陛下。最初から皆グルだったわけですね。義務=真実ではない。義務はあくまで国の決まりごとです」
  「ふふふ」
  あっ。
  そうか。言う事が義務なだけで、その言う事の内容が真実とは限らないんだ。
  言葉の遊び。
  「まあ許せ。どうしても帰りたがっている者は帰している。今、この世界にいる者は皆自発的に残った者達ばかりだ。その方達は
  どうする? このまま帰るか、残るか。いつでもいいから申せ。……ただ急いだ方がいいかもしれんな」
  「えっ?」
  「反乱分子に敗れれば私は首を刎ねられるだろう。連中はきっとお前達を親切には帰してくれんぞ?」
  「女王陛下っ!」
  その言葉にシスティナさんが抗議する。
  縁起でもないのは確かだ。
  「それよりも女王陛下。例の死体はいかがいたしましょう?」
  「焼き払え」
  「御意」
  一礼し、システィナさんは謁見の間を出て行った。
  死体?
  「何かあったのかい? 妙に騒がしいし、血の臭いがするんだが……」
  「ファウストの強化生物に襲撃されましてね。ファウストの奪還が目的でした。反乱分子とは連動していないようですね。ともかく
  一掃しました。ファウストは逃げ損なったわけです。あの男には地下に末永く暮らし、腐ってもらわねば」
  「どうやって侵入したのですか?」
  礼儀正しいシャルルさん。
  口調も物腰も柔らか。
  いつもこんな感じなら紳士なのに……中身は結構エロエロだもんなぁ……。
  だけど本当、どうやって侵入したのだろう?
  ……。
  あっ。西の門か。
  あそこに詰めていたルワール家が滅亡し、魔力障壁張れる人いなくなったからか。
  「城壁を登ってきました」
  ……なんだ普通の理由。
  でも意味は分かる。
  城壁は果てしなく高い。普通なら登れない……いや普通じゃなくても登れない。だから街を囲っている城壁を越えてくるという発想
  はなく、盲点だったわけだ。
  どうやって越えたんだろ?
  手に何か粘着的なものが付着してる生物だったのかな?
  「従軍の件は考えてくれましたか?」
  「あの、この街を守る事には協力しますけど……」
  「なるほど。それだけでも心強い。かつては我らを追い詰め、根絶やしにとした人形姫が味方とは心強い限り」
  「……」
  少し嫌味な言い方だ。
  反論のしようがないけど。
  あたしには過去がない。本当に人形姫かどうかも分からない。
  「そなた達はウンブラを探していましたね。私には所在が分からぬが彼なら知っているかもしれませんね。百年は会ってませんが」
  「誰です?」
  「深緑湖の賢者です」



  「……」
  「どうしたんです?」
  黒牙の塔を出て以来、終始無言を貫き通すシャルルさん。
  怪訝そうにあたしは問う。
  怪訝そうなのはシャルルさんも同じだった。表情に疑惑が浮かんでいる。
  何を考えているのだろう?
  「どうしたんです?」
  「いや。ファウストの事を考えていました」
  「ファウストの?」
  聞き返しながら、街灯のウェルキンド石に覆いを被せている兵士が眼に入る。時刻的にはそろそろ夜らしい。
  夜の時間帯になると全てのウェルキンド石の光を遮る為に覆いを掛けられる。
  そして街は闇に包まれる。
  それがこの世界の、昼夜だった。
  さて。
  「ファウストの何が気になるんですか?」
  「あの余裕です」
  「余裕?」
  謁見の後。
  あたし達は牢に行ってファウストの様子を見た。
  自身の救出作戦が失敗して気落ちしている風はなかった。ニヤニヤと薄笑いを浮かべていた。
  ただ、ニヤニヤと。
  「若造。あいつは元々プッツンしているだけだろうが。狂人に常識など通用するか」
  「トカゲさんは一を知って二を知らない」
  「な、なんだと若造っ!」
  「確かにファウストは狂人ですが頭は良い。少なくともあいつは冷静に狂っている。勘違いしてはいけませんよ、ファウストの場合は
  発想の観点や善悪判断が違うだけ。怜悧で明晰は頭脳は健在です。ただの無秩序な狂人とはわけが違う」
  「おい若造。擁護してるのか?」
  「……はぁ」
  溜息。
  やれやれと小声で呟いた後、さらに自論を述べる。
  「いいですか。奴は馬鹿じゃない。ある意味で天才です。先を二つ三つは読んでいるはずです。もちろん逆境には弱いでしょうね。
  計画していた、計算していた事が失敗した時は瞬時に挽回策は思い浮かばないタイプの天才も多い。問題はそこなんです」
  「何が言いたい?」
  「あの余裕の態度に終始しますよ、結論はね。何故余裕なのか。何故失敗したのに動じないのか」
  「あっ」
  あたしは思わず声を上げた。
  ファウストは救出作戦の失敗を見越していた?
  だとすると……。
  「失敗も計算の内なんですかっ!」
  「その可能性は大いにありますね」







  黒牙の塔。地下にある牢獄。
  檻の中は特殊な力場で形成されており能力が封じられる。
  鉄格子自体も強固であり収容されたら最後自力では脱出できない。
  看守達は信じ切っている。
  収容されているファウストは絶対に逃げ出せないと。厄介を起こす事もない。自力では逃げ出せない。
  看守達は信じ切っている。
  「……」
  コツン。コツン。コツン。
  ファウストは相変わらず壁に背を預けてもたれ掛かり、壁を叩いていた。
  「……」
  コツン。コツン。コツン。
  今日、自身が創造した強化生物が黒牙の塔を襲った。
  一時は牢獄にまで迫ったものの結局は返り討ちに合って全滅。
  ファウストは逃げ損なった。……それが、女王を含めて全ての者が抱いた感想だった。
  自然、油断する。
  相手の油断や隙を衝き、裏を掻くのが策略の前提。
  ファウストは待っている。
  時期が到来するのを。
  「……ふふふ」
  ただ、静かに待っている。
  コツン。コツン。コツン。









  カザルト市内。
  場末な酒場。
  薄暗い奥のテーブルに座る男女。どちらも美しい顔立ち。
  男性はジェラス。
  女性は……。
  「シ……」
  「名で呼ぶ名と言ったはず」
  「失礼」
  「それでジェラス。何の為に呼び出した?」
  ジェラスはコップを口元で傾けながら静かに微笑んだ。
  一気にコップの中の安酒を飲み干す。
  「ふぅ。美形の君を前に呑む酒は、どんな安酒でも芳醇な美酒に変わるようだ」
  「下らぬ」
  「相変わらずつれないねぇ」
  「用件を言え」
  「あの異界の軍隊は役に立つのかい? たかだか100名程度の部隊など取るに足らない。しかもそれを援助しろ?」
  「不服?」
  「大いに」
  女性はこちら側に、帝国軍の部隊を引きずり込んだ。
  言葉巧みに女王に敵対するように持ち込んだ。
  純粋に第三勢力となった帝国軍に対して女性は物資の援助をするように求めている。
  それがジェラスには気に食わない。
  あくまで帝国軍は第三勢力……つまり、同胞ではない。立場としては敵に相応する。援助する義理はない。つもりもない。
  「渇きの王が援助はしないと仰られた。悪いけどね」
  「渇きの王に伝言を」
  「いいとも」
  「この世界の掌握がしたくないのであれば私は降りる。そう伝えておいて。……私なしで女王を打ち破れるかしら?」
  「……人間風情が……」
  脅された事に対して不満を露にするジェラス。
  立場は同等ではなかった。
  女性の方が有利に立っている。彼女が協力的だからこそ、女王を出し抜けるのだ。
  ジェラスは足元を見透かされている。
  不快ではあるものの、返すべき言葉がない為に沈黙。
  「……」
  「攻城兵器の類、食料、水、軍を維持する為に必要なもの全てを用意する事。……いいわね?」
  「……主に伝えておく」
  「結構」
  「しかし教えてくれ。あの軍勢をどう使う気だい? あの数では門すら落とせまい」
  「落とす必要はない。前例を作るだけ」
  「前例?」
  「前例」