天使で悪魔





冒険稼業始めました 〜妖蟲〜





  カザルト。
  それはこの世界の名であり、都市の名であり、国家の名。
  この世界を統べるのはリーヴァラナ女王陛下。
  
  元々、この都市は黄金帝のもの。
  リーヴァラナ女王はその当時は宰相であり、国家の危機を回避する為に都市を異世界に遷都した。
  救国の女性として称えられてそのまま女王に就任。
  どういう経緯かは不明ではあるものの、黄金帝はそのままシロディールで黄金に魅入られていた。袂を分かったと言ってもいい。

  女王は元々は黄金帝の臣下。
  それに不満を持つ者も多い。特に黄金帝の血筋の者達は蛇蝎の如く彼女を嫌っている。
  黄金帝の血筋は存在している。

  三貴族。
  そう呼ばれる、カザルト唯一の特権階級達だ。
  カザルトの街は城壁に囲まれており、その出入り口になるのが三つの門。門といっても砦の形を取っている為に高い防御力を
  誇っている。だから反乱分子も戦力としては正規軍の十倍を有しながらも攻められずにいる。

  しかし。
  しかし情勢は変わったのだ。
  死霊術師ファウストが捕えられた。シロディールからやって来た冒険者達によって。
  ……世界の均衡は崩れつつあった。







  「……」
  「どうしたんです、シャルルさん? そんなに仏頂面で」
  チャッピー救出から3日。
  あたし達はレーランドストリートに宛がわれている建物で寝起きしている。二階建て。
  この国の政策の一つとして、迷い込んできた者達に無料に家屋を提供するのが通例となっている。
  女王に純粋に感謝したいと思う。
  お陰で路頭に迷う必要がないからだ。
  ちなみにレーランドストリートは異界から……つまり、あたし達の側の世界から迷い込んできた者達が多く住む区画。
  別に元からの住人であるアイレイドエルフと区別や差別しているわけではない。
  住宅進呈の政策の為に、自然この区画に集まったに過ぎない。
  基本的にアイレイドエルフは寛容。
  伝説で聞くほど横暴でもなければ支配階級として君臨していない。
  程よく住民は混ざり合い、生きている。
  さて。
  「どうしたんです?」
  「……」
  もう一度シャルルさんに聞く。
  やはり無言のままだ。
  この世界に来た最大の理由は完了した。しかし帰る手段がない。一応、シャルルさんがファウストの日記を女王には提出せず(その
  存在も告げずに)に保持したまま。そこには時空を越える術も書かれていた。
  だから。
  だから、そこから色々と推察し、試行錯誤して帰る手段を開発するつもりではいる。
  まだうまくは行ってないけど。
  もちろんそれでいい。
  帰る手段は急務だけど、まだ目的は終わってないからだ。
  あたしはサヴィラの石。
  シャルルさんはウンブラ。
  その二つの秘宝のゲットも、ここに来た理由。
  サヴィラの石は反乱分子が所有し、ウンブラがあった宝物殿は都とはまったく別の場所に具現化しているらしい。
  さて。
  「……最悪です」
  「はい?」
  「……出費ですよ出費。完全にゼロ。ナッシング。皆無」
  「ああ。それで落ち込んでるんですか」
  「何ですそのお気楽な発言は今まさに僕達は人生負け犬なんですよこうなったら保険金殺人でもやっちゃいますよオレオレ悪い
  けどお金振り込んでよ三百万ってやっちゃいますよーっ!」
  「す、すいませんでしたっ!」
  今不明ではあるものの、剣幕に押されて謝るあたし。
  フラガリアのリーダーなのにー。
  はぅぅぅぅぅぅっ。
  「……はあ。せめてフォルトナさんが巨乳なら心の支えになるんですけどねぇ」
  「……すいませんそこは巨乳関係ありますか?」
  「……はあ」
  「……」
  すっごく失礼な事を口走るシャルルさん。
  腹立たしくはあるものの、敢えて何も言わない。
  ……反論すればするほど惨めになるし。
  それに、財政難を一番真摯に悩んでいるのはシャルルさんだけだ。あたし達にはその概念がそもそも希薄。
  欲がないからいい?
  ううん。そうじゃない。
  少人数とはいえ団体を維持するには当然ながらお金が掛かる。
  団体云々関係なく考えてもお金が必要。
  大義も名分も思想も、生活が成り立ってこそ。それがシャルルさんの持論だ。
  フラガリアの参謀であり会計係でもあるシャルルさんの懊悩は続く。
  「あの」
  「何です?」
  「褒賞は使っちゃったんですか?」
  ファウスト捕縛の賞金だ。
  女王から下賜された。
  「あんなのフォルトナさんの3日分の食費ですよ。貴女がいなければ一ヶ月は生きれるでしょうね」
  「……」
  哀れむような目であたしを見る。
  あ、哀れみ?
  「あんなに食べても太らないのはまあいいんですが……胸に栄養が行かないとは不憫」
  「そ、それは酷いですっ!」
  「いずれにしても今日衣類を買ったのが痛かったですね」
  衣類。
  そう。長袖などの類をたくさん買い込んだ。
  この世界には太陽がないので基本的に冷える。
  あたし達が来た場所は冒険者の街フロンティア。つまり亜熱帯の場所。カザルトは凍えるほどではないものの、フロンティア一帯
  の気候を考慮した薄着だったので、どうにも寒かった。それで大量に衣服を買い込んだ。
  あと、食料や生活日用品もね。
  「そんなに高かったですか、洋服」
  「まあユニクロのようにリーズナブルでしたけど、それでも量買い込めばかなりの額になりますよ」
  「ユニクロって何です?」
  「リアルな世界の例えです」
  「リアル? それってシロディール?」
  「リアルはリアルです」
  「……?」
  意味は分からないものの、ともかく蓄えが尽きた事は理解した。
  仕事?
  仕事は、ちゃんとしてる。
  ここでも冒険家業を始めた。
  ……。
  ……ただね、仕事がない。
  この世界は基本的に不安定なものらしく、街から離れれば離れるほど次元が歪んでいるらしい。
  だから冒険も怖くて出来ない。
  冒険者という仕事はこの世界にもあるものの基本的には仕事がない状態。
  現在冒険者として活動しているのは何気にあたし達フラガリアだけ。
  どうしよう?
  このままじゃ干上がっちゃうよー。
  「マスターっ! 朗報ですぞっ!」
  仕事を探しに行っていたチャッピーとエスレナさん、スカーテイルさんが帰ってくる。
  どの顔にも喜色満面。
  「仕事が見つかりましたぞ。我輩の手腕の成果だとお考えください」
  「やれやれ大袈裟ですねトカゲさんは。脱皮するしか取り得のない分際で」
  「若造貴様殺すぞ吸血鬼の成り損ないめっ!」
  「……決着をつけましょうかね。トカゲの刺身にして皆で夕飯として食べてあげるからそう覚悟なさいっ!」
  「表を出ろぉーっ!」
  無視無視。
  キリないもん。
  「それでどんな仕事なんです? エスレナさん。スカーテイルさん」






  ルワール家。
  黄金帝に連なる血筋の貴族達で、この世界で唯一の特権階級。
  女王は元々は黄金帝の摂政であり、立場的に言えば黄金帝の血を受け継ぐ貴族達の臣下。
  ルワール家は三貴族の一つで西の門を受け持っている。

  三貴族の当主は魔術師。
  それぞれが門を魔術的に防御し、維持している。ある意味では結界を張っている。
  その結界がある限り反乱分子は手も足も出ない。
  突破できないのだ。
  魔術に阻まれ、門を超える間もなく壊滅するだろうというのがこの街の者達の常識論。
  そして……。






  「……」
  「……」
  「……」
  「……」
  「……」
  あたし達5人は沈黙した。
  ルワール家が守護し、屋敷としているのは門。しかしその門は城砦と一体化しており、広大だ。
  兵士達も大勢いる。
  女王の配下は100名ではあるものの、それはあくまで女王の親衛隊。
  貴族は貴族でそれぞれに兵士を抱えているそうだ。
  「さて。調査を始めますかねぇ」
  「えっ? あっ。はい」
  今回の依頼はルワール家からのモノ。
  最近立続けに一族の者が殺害されているらしい。この城砦の中で。
  既に3名殺されている。
  あたし達は歩き、指定されていた部屋に入った。
  そこには先日殺された貴族の遺体がある。
  遺体を検分し、犯人を捜す。
  それが任務だ。
  女王はこの件を知らないらしい。つまりルワール家の貴族達が内々に事件を隠蔽するつもりなのだろう。
  発覚すると色々と不利らしい。
  そこはどうでもいい。
  あたし達は関知しない。この世界の状況を、いちいち口だそうとは思わない。
  プロとして仕事をこなすだけだ。
  遺体の側ににしゃがみ込む一同。立会人は誰もいない。
  あたし達だけだ。
  「妙な殺され方ですねぇ」
  「確かにそうさね。全身に穴が開いてるけどこりゃ刺殺じゃないねぇ。元シャドウスケイルの暗殺者のご意見は?」
  「嫌な言い方はやめろよ。まあいいけどさ。……こりゃ刃物じゃないな。見当もつかないぜ」
  遺体は若いアイレイドエルフ。
  当主の息子で次男らしい。
  全身が穴だらけ。死因は心臓がなくなっている事。つまり、何かに射抜かれたみたいだ。全身の穴もそんな感じかな。
  一瞬、マリオネットが思い浮かぶ。
  「シャルルさん。これって……」
  「違います」
  「えっ?」
  「ブラヴィルの近海に浮いてたウンバカノの船での一件ですよね考えているのは」
  「はい」
  「なら違いますよ。鉄の小さな塊を打ち出すマリオネットの傷ではないですね。あれは小指程度の傷穴ですがこれは拳程度の穴
  が開いている。もちろん別のバージョンがいるのかは知りませんけどね。それに……」
  「それに?」
  「殺された貴族達はこの城砦から出ていない。いくらなんでもマリオネットが潜める警備の隙間はないでしょう」
  「なるほど」
  第一に目立つ。
  マリオネットが徘徊してたら誰かが気付くだろう。それにここには基本的に窓がない。
  殺して、姿を隠す為に窓の外に出る……というのが出来ない。
  悲鳴を聞きつけた衛兵達が来たのはわずか数分後。
  少なくとも逃げる時間はないはずだ。どんなに俊敏でも誰かの眼には付くはず。目撃情報がないのはおかしい。
  もっとも。
  必ずターゲットが1人の時に狙っているのは確かみたい。
  「マスター。暗殺者でしょうか」
  「うーん」
  どうなんだろ?
  貴族達しか狙われていない。魔力的に門を守備しているのは確かにここの貴族達。
  全員死ねば門の魔力は消え、ただの門になる。
  ただの門になれば戦力で圧倒出来る反乱分子が強行に門を突破する可能性も出てくる。その可能性は否定出来ない。
  でもそこで疑問が出る。
  マリオネットだと仮定した場合と同じだ。暗殺者はどこに潜める?
  「少し臭いな」
  死体に屈み込んで、鼻を近づけて傷跡を嗅ぐスカーテイルさん。
  元シャドウスケイルの暗殺者。
  あたしも元闇の一党ダークブラザーフッドの暗殺者ではあるものの、そこまで大それた事は出来ない。
  ……多分。
  「臭い、ですか?」
  「甘酸っぱいような臭いがする。それにこれは……多分唾液だろう。何の生物かは知らんがな」
  ぬちゃり。
  傷跡付近に付着していたヌメる透明な液体を手にして、呟いた。
  生物?
  この世界の事は知らないけど、ファウストは危険な生物を創造していた。あいつは今拘束され、捕えられているとはいえ野良と
  なっている生物が徘徊していてもおかしくない。そしてそれがここにいてもおかしくない。
  可能性としてはゼロではないのだ。
  「少し話を戻ろうじゃないのさ」
  「エスレナさん?」
  「あたいらは外部の犯行と決め付けてる。反乱分子と内通している奴の仕業かもしれないじゃないか?」
  それはそれであるだろう。
  しかし断定する材料がない。
  あたし達は異邦人。
  結局、この世界の状況は完全には把握していないし理解も出来ていない。
  部屋の外に出て聞いてみるとしよう。


  パァン。
  部屋を出た途端、盛大な音を立てて頬を叩かれる女性。
  ドサ。
  そのまま倒れた。
  倒れながら、女性は叩いた相手を睨む。
  「長男の嫁なのに子供も産めないなんて価値がないのにその眼はなんだいっ!」
  「私は悪く……っ!」
  「それじゃあ何かい? 息子に問題があるって言うのかい? ええ? この無駄飯ぐらいっ!」
  ゲシゲシ。
  殴る蹴る。どうやら無体を働いているのは当主の奥さんらしい。
  そして虐げられているのが長男のお嫁さん。
  止めようとすると……。
  「おやめなさい。無駄だから」
  「えっ?」
  そう耳打ちしたのは、いつの間にか側にいた女性だった。お腹の大きな女性。妊婦さんだ。
  あたし達を部屋に連れ込む。
  死体のある部屋に。
  「私はルッティラ。次男の嫁」
  「えっ!」
  つまり、この部屋にいる死体の奥さんっ!
  機敏に動いたのはスカーテイルさんだった。せめて顔だけは布で覆ってあげようと動くと……。
  「いいわ別に。好きでも何でもなかったから」
  「……」
  「気にしないで」
  椅子にどうぞ。
  そう勧めて、彼女はソファに身を沈めた。あたし達は座る。
  しばらく無言。
  ただ、何かを叩く音と蹴る音だけが断続的に響いてきた。
  「この家はね、血族間での結婚が多いの。元々閉鎖的な世界だし、仕方ないんだろうけどね。それでも血族間の結婚ばかり続けて
  いるとどうしても血が濃くなる。血が濃いと人はまともには育たないのよ。どこかにシワ寄せが来る」
  「ふぅん。つまり貴女は貴族ではないんですね?」
  「眼鏡の殿方。なかなかに鋭いのね。一緒に温泉でもどう? ここの地下にあるのよ?」
  「ははは♪」
  ニヤデレするシャルルさん。
  あ、あたしにはそんな顔しないくせにーっ!
  ……。
  ……そんなにあたしは魅力ないのかな?
  はぅぅぅぅぅっ。
  「そう。私は貴族でも何でもない。ただ子供を産む為に養われている……ううん、飼われているだけ。彼女もそうよ。今切諌されてい
  る娘もね。向こうの側の遺伝子がおかしいくせに私達の所為になる。嫌になるわ」
  「で、でもルッティラさん、赤ちゃんいるんですよね?」
  「それは……」
  そう言おうとした瞬間、扉の外で悲鳴が起きた。
  慌てて掛け出るあたし達。
  「た、た、た、た、た、たしゅけてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
  恥も外聞も泣き叫ぶのは名門貴族の誇りを第一にする女主人。
  側に長男のお嫁さんはいない。
  つまり逆上して襲い掛かっているわけではない。
  「な、何こいつ?」
  襲い掛かっているのは化け物だった。
  一瞬の油断は命を一つ奪う。
  女主人の口から入ったその化け物はそのまま後頭部に抜けた。頭に拳程度の風穴を開けた化け物は悠々と宙を舞う。
  バタリ。
  死骸が倒れる。
  そりを合図にして化け物はあたし達に襲いかかり……。
  「はぁっ!」
  「フォルトナさん。原形を留めてくださいよっ!」






  「牢には触れないように。また、ファウストにも触れないように」
  「はい」
  黒牙の塔の地下にある、牢。
  特殊な牢らしく収容者は能力が発揮できない。また、破壊も不可能。
  「……」
  コン。コン。コン。
  死霊術師ファウストは何の拘束もなく、ただ壁を背に座りながら壁を叩いていた。収容以来こんな感じらしい。
  牢の中では能力が封じられる。
  だから何の拘束も必要ないのだろうけど……やはり不気味なものがあった。
  ファウストの顔には焦燥はない。
  ただ、淡々と壁を叩きながら冷笑を浮かべていた。
  ただ、冷笑を。
  「もう一度言います。決して、触れないように。牢にも奴にも」
  「はい。ありがとうございます」
  立ち会ってくれるのはシスティナさん。
  女王の側近。
  元々はシロディール出身のインペリアルの、綺麗な女性。ある意味で綺麗過ぎる。もちろん、誉め言葉だ。
  美人だなぁ。
  ……胸も大きいし。
  「僕が詰問しましょう」
  シャルルさんが、そう言った。
  生物を弄るという事は、生物を知り尽くしている事。そう断言したシャルルさんも、あたしに同行してファウストに会いに来た。
  その他の面々は引き続き居残って調査。
  立ち会っているのはシスティナさんだけではなく、衛兵も3人いる。
  さて。
  「やあ」
  「ああ。君か、シャルル」
  まるで旧友に会ったかのように、2人は話し出した。
  話は任せるとしよう。
  「これ何か知ってますか?」
  シャルルさんが右手に持っているのは、例の化け物だ。
  衛兵達は視線を背けている。
  蛇のように細長い生物は、ピンク色の体で無数の環節を持っている。そう。ある意味でミミズに似ている。
  しかし非常に太い。
  あたしの腕ほどの太さはあるだろう。
  眼はない。
  鼻はない。
  ただ口がある。
  その口には無数の牙がびっしりと生えている。シャルルさんももしかしたらファウストと同質なのかもしれない。
  その生物への嫌悪感すらなさそうだった。
  まあ、別にいいけど。
  「これに見覚えはありませんか?」
  「……」
  「ファウスト。君なら知っていると思うんですけどね」
  「何故、私が知っていると?」
  「君ほど生物に精通しているものはいないと思ってね。システィナさんに訊ねてみたところ、この世界の生物ではないと言う」
  「だから私が作ったものだと?」
  「そうです」
  「見返りは? 私をここから出してくれるとでも?」
  「見返りは君の善意に対して、僕が感謝するところですかね」
  「……くくく。食えない奴だね、シャルル」
  「ふふふ」
  天才達は笑い合う。
  不快そうにシスティナさんは眉を潜めるものの、あたしは無関心だった。今、気にすべき問題ではない。
  知りたいのは生物の正体だ。
  そして……。
  「その生物には見覚えがある。確か廃棄処分したやつだ。容器に入れて捨てたはずだが」
  「ほう。それで?」
  「その後の事は私の知った事ではない。そもそも……」
  そこでファウストは言葉を止めた。
  身動き一つしない。
  「聞きたいのはそんな事じゃないんです」
  あたしは冷たく言い放った。
  ファウストの首には魔力の糸を絡めてる。鉄格子と鉄格子の間を通り抜け、ファウストの首にも直接は触れていない。
  「人形姫っ! ……ああ、いえ、失礼しました。フォルトナさん。それでは約束が違うっ!」
  「システィナさんとの約束は護ってます。牢にも奴にも触れていない」
  「しかしっ!」
  「言いなさい。ファウスト」
  今、この瞬間にも事態は進展しているはず。
  悪い方に。
  悪い方に。
  悪い方に。
  辛抱強く話し合う趣味はあたしにはない。
  事は急を要する。
  下らない社交辞令や遠回しな説明などは省かせていただこう。
  「ファウスト」
  「……ああ分かった分かった。だが説明はさっき言ったとおりだ。それ以上は知らない」
  「それでは説明にはなりません」
  「説明にはならない? それは君の感じ方の問題……」
  「言え」
  「……強談が人形姫の流儀か? しかし私は知らない。容器に収めて捨てた。何かの拍子に開放されたのだろうけど、すぐに死滅
  する。温かい場所でしか生きられないんだよ。それでも生きているのであれば温水か何かに住み着いたかのだろう」
  「温水?」
  「そう。あの実験生物は温かい水の中で繁殖して生きる。そこで体温を一定に保ち、その体温が失われるまでは空気中でも存在
  出来る。しかし全てモノの例えだ。どこに住み着いたか私は知らんよ」
  「……」
  温かいところでしか生きられない?
  この世界には太陽がない。
  どの程度の温度の低下で死滅するのかは不明だけど……ファウストが死滅しているはずだと断言するのを信じるのであれば、この
  世界の常温では低すぎて存在できないはず。
  温水か。
  ……温水……?
  「あ、あれ? 確か……」
  「戻りましょうフォルトナさん。どうやら居場所が分かりましたね」





  西の門に戻る。
  西の門の城砦に入ってみると、血の臭いが充満していた。
  「……これは……」
  事態の重大性を感じ、兵士5名を引き連れて同行したシスティナさんが血の臭いに呻き、口を覆った。
  全滅している。
  ルワール家が要する兵士達は死に絶えていた。
  まだ誰か生き残りがいるのだろうか?
  「チャッピー達は?」
  「問題はないはずですけどね。あの面々は殺しても死にませんから」
  「……」
  確かに皆強い。
  それでもあたしは沈黙した。適さない表現だと悟ったのか、シャルルさんが頭を下げた。
  奥に進まなきゃ。
  「フォルトナさん、来ますよっ!」
  宙を彷徨いながらこちらに向かってくるミミズの化け物達。
  ひぃ。兵士の1人が怖じける。
  あたし達はそれを黙殺し、構える。
  「はぁっ!」
  「アーケイよ、力を。聖雷っ!」
  魔力の糸と雷がミミズの化け物達を次々と撃墜。迎撃。敵を沈黙させるのに一分も掛からなかった。
  不意さえ衝かれなければどうにでもなる。
  「お前達。進みますよ」
  システィナさんが兵士達に指示するものの、シャルルさんがそれを断った。
  あたしもそう思う。
  動き辛くなる。
  兵士達が弱いとは言わないけど(そもそも力量を知らないけど)あたし達が存分に動くには邪魔。
  それに兵士の持ち場はここじゃあない。
  「ここは僕達に任せてもらいましょうか」
  「し、しかしっ!」
  「化け物が街に流れ込まれたら面倒でしょう? 通さないように、出さないようにここを死守してください」
  「……」
  「殲滅するだけなら僕達だけで充分ですから」
  「……分かりました。御武運を」


  兵士達を哨戒に回してもらい、あたし達は奥に進む。
  いたるところ死体だらけ。
  壁には血が塗りたくったように振り撒かれており、死体は通路に折り重なっていた。兵士もいるし使用人もいる。
  区別する頭を当然ながら化け物達は持っていない。
  虐殺だ。
  目に付く者は全て殺しているのだろう。
  目に付く者は全て……。
  「……」
  「……」
  ぺちゃ。ぺちゃ。めきゃ。
  あまり気持ちの良い光景ではない。
  化け物達の関心は殺す事と食らう事しか興味がないようだ。死体に無数に取り付き、肉を食らい血を啜っている。
  「はぁっ!」
  ひゅん。ひゅん。ひゅん。
  魔力の糸が猛威を振るう。化け物を的確に切り裂く事なんて容易。死体に取り付く化け物達を一掃。
  こちらに気付いたのか、通路の奥からさらに現れる。
  「僕がやりましょう。聖雷っ!」
  バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
  電撃が通路を駆け巡る。
  感電し、黒焦げとなり、ボトボトと床に落ちた。それを免れた化け物は魔力の糸で屠る。鎧袖一触。
  雑魚でしかない。
  「こんな雑魚にトカゲさん達が遅れを取るとは思えませんね」
  「あたしもそう思います」
  「なのに姿が見えない」
  「……」
  「つまりは逃げ遅れた者達を引率している可能性がありますね。雑魚ですが数が多い。引き連れている者達を護って戦うには分
  が悪いですからね。どこかに立て籠もっている可能性があります」
  「ああ。なるほど」
  やっぱりシャルルさんは頭が良いなぁ。
  さすがはフラガリアの参謀。
  「だけどシャルルさん、化け物の数多いですよね」
  「確かに」
  「ファウスト、こんなに大量に捨てたんでしょうか?」
  「それはないでしょう。恐らく地下で大量に繁殖している。例の温水……えっと……温泉でしたっけ?」
  「そんな響きだったと思います」
  「そこが繁殖地でしょうね。行くとしましょうか」
  「はい」


  「はあっ! ……キリがない」
  「聖雷っ!」
  群がる生物を蹴散らしながらあたし達は地下に。
  むわっとする空気。
  湯気を帯びている地下。凄い湿気だ。
  非常に広い地下には、一面液体が満ちていた。恐る恐る触れてみると、お湯だった。これが温泉?
  お風呂とは違うのかなぁ?
  「……暑いですねぇ」
  「……ええ。蒸し暑いですね」
  ムシムシする。
  だけど当てが外れたなぁ。ここには何もいない。
  地下で薄暗い?
  ううん。そうでもない。
  温泉の中は、滑らかに磨き上げられた大理石だ。その大理石には一定の間隔でウェルキンド石が埋め込まれていた。
  これも加工しており、表面は滑らかそうだ。
  ウェルキンド石はマリンブルーの輝きを発するアイレイド文明に精製された、魔力を秘めた石で永遠の光を発し続けるらしい。
  この世界では主な照明。
  太陽のないこの世界では、大通りに無数に街灯があり、そこにはウェルキンド石が光を称えている。時刻的に夜半になると黒い布が
  掛けられて街に闇に落ちる。これがこの世界の昼夜だ。
  さて。
  「いませんねぇ」
  「おかしいなぁ。ここだと思ったのに」
  ウェルキンド石は光を称えている。
  お湯の中も見えている。
  妖蟲はいない。
  湯気などで視界は鮮明ではないものの、お湯の中にはいない。温水……と聞いて真っ先にここを思い浮かべたんだけど……。
  いない。
  いない。
  いない。
  やっぱり、いない。
  「見た感じはいませんねぇ。やはり中に入って探してみるのがベターですね」
  「そうですね」
  「では、フォルトナさん。服を脱いでください」
  「はっ?」
  「大丈夫。僕はロリコンではないので興味ないです。そして恥かしがる必要もない。さあ、オールヌードにっ!」
  「……」
  こ、こんな人なのかフラガリアの参謀の正体はーっ!
  はぅぅぅぅぅぅっ。
  言い返そうとした時……。
  「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  悲鳴が響く。
  上からだっ!
  「行きましょう、シャルルさんっ!」
  「やれやれ。まっ、ツルペタ見ても何の足しにもなりませんからね。入浴シーンはやめておくとしましょう」
  「……」
  胸がないのは罪ですか劣等感抱かなきゃ駄目ですか?
  はぅぅぅぅぅぅっ!


  「はあはあ」
  悲鳴を聞きつけ、あたし達は上に。
  どこからの悲鳴だろう?
  ただ、少なくともエスレナさんの声ではなかった。不謹慎だけど、そこは安心。
  ……不謹慎だけど。
  「おかしいですね」
  「おかしい?」
  「蟲がいません」
  「あっ」
  確かにいない。
  出くわし次第、蟲を殲滅してきたけどしつこいぐらい現れた。この通路にいた化け物も全部殲滅したけど、また群がっていてもおかしく
  はないのに、いない。
  ……。
  まあ、純粋にこの近辺のを全て始末したのかもしれないけど。
  でも確かにおかしい気もする。
  「たす、助け……っ!」
  女性が走ってくる。
  子供が出来なくて、跡継ぎの子供が出来なくて苛められていた女性だった。
  駆け寄るよりも早く。
  「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  背後から胸を蟲に貫かれる。
  口をパクパクさせながらそのまま盛大な音を立てて倒れた。
  無数の妖虫が群がってくる。
  血と肉を貪る気だ。
  「聖雷」
  バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
  死体ごと蟲を焼き尽くす。
  「シャルルさんっ!」
  「死んでます。ですから、問題ない。食われる方が冒涜です」
  「そうかもしれませんけど……っ!」
  非難を軽く受け流される。
  意味は分かる。
  意味は分かるけど……今の振る舞いもあたしには冒涜にも思えた。口論する気はない。そこは価値観の問題だ。違いだ。
  でもやっぱりあたしには納得出来ない。
  ……。
  もちろん、あたしは元暗殺者。
  口出しできるほど立派な生き方はしていない。
  「誰かまだ来ます」
  「あっ」
  足を引き摺るように歩いてくる、お腹の大きな女の人。ルッティラさんだ。
  確かルワール家の次男のお嫁さん。
  「大丈夫ですか?」
  「貴女達は……」
  妊婦さん。
  あのお腹の中には生命が宿ってる。ルッティラさんにあたし達は駆け寄った。
  無事でよかった。
  「大丈夫ですか?」
  「ええ。皆殺しましたから。もう、心配はないです。……子供子供子供っ! うざいったらありゃしないっ!」
  「えっ?」
  服を捲り上げて、何かを捨てた。
  布の塊だ。
  腹部は普通の女性のウエストだ。つまりは妊娠していなかった?
  「ど、どうして?」
  「餓鬼には分からないだろうね。子供宿さないだけでどれだけ人間以下の扱いを受けた事かっ! ……私の所為? ふん、笑わせ
  るわね。自分達の遺伝子に問題あるとは考えないの? 格式も貴族もクソ食らえっ!」
  「……」
  「布を入れて偽装したのは、長男の嫁を見たから。そう、今の女よ。子供宿せないからあんな目に合う。だから私は偽装した。でも偽装
  は偽装。いつかはばれる。だから皆を殺したの。ひひひひひひひっ! 私の力でねぇーっ!」
  「……」
  バッ。
  あたし達は大きく飛び下がり、間合を保つ。
  瞳には狂気が宿っていた。
  この人、正気じゃないっ!
  「どうやって妖蟲を操っているんですか? そこが僕には見当がつかないんですけどね」
  「見た事ないでしょう? あんな蟲」
  「ええ」
  「私もよ。いひひひひ。今日の今日まで気付かなかった。あんな蟲、見た事なかったものぉーっ!」
  温泉にはいなかった。
  暖かい場所に潜み、そこで体温を一定まで高め、その体温が低下しきるまでは宙を彷徨い行動出来る。
  温泉にはいなかった。
  ならどこに潜入?
  ならどこで繁殖?
  それはどこ?
  それは……。
  「最初は驚いたわ。まさかあんな蟲がいるなんてね。でも今は驚かない。だって……」
  「……」
  「だってあの蟲は、私の体の中にいるんですもの」
  「えっ?」
  ぐわぁっ!
  口を大きく開き、妙な異音をとともに蟲が這い出てくる。
  「げほげほっ! ……いっひひひひひひひひっ! さあ私の可愛い子供。そいつらを食い殺しなぁーっ!」
  「フォルトナさん」
  「で、でもっ!」
  「フォルトナさん」
  「……はい。分かってますよ。これは、もう手が施しようがないですもんね」
  構えるあたし達。
  無数の蟲を口から吐き出しながら、狂気を宿らせたルッティラさんは哄笑した。もう正気じゃない。そして人ですら。
  これはもう倒すしかない。
  これはもう……。
  「いひ、いひひ、いひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひぃーっ!」
  「さよなら。ルッティラさん」
  そして……。









  事件は終息した。
  チャッピー達は別室で生き残りの兵士達とともに、使用人達と立て籠もっていた。
  宿主の死と同時に全ての妖蟲は死滅。

  しかし犠牲者は多く、当主や一族は全員死亡。
  ルワール家はここに滅亡した。
  西の門を守備を司る魔術師であり指導者であるルワール家当主の死は、門の守備力の霧消を意味する。
  魔力による防御が消えたのだ。
  残っているのは基本的な防御力だけ。つまり、純粋に普通の門としての機能しか残していない。
  反乱分子はそこに付け入るだろう。

  疑問は残る。
  妖蟲を投棄したのはファウスト。
  しかしどうしてルワール家に持ち込まれたのだろう。拾ったのか、それともファウストが画策していた?
  ……。
  ファウストの性格上、政治的な思想は持ち合わせていないようにも思える。
  もちろんただの嫌がらせの可能性もあるけど。
  反乱分子の画策?
  そうかもしれないしそうじゃないかもしれない。
  事実は闇の中……。









  「乾杯」
  銀髪の青年は気障な仕草で銀のカップを掲げた。相対する女性は、それを黙殺する。
  苦笑しつつも、どこか上機嫌の青年はカップの中身を口に含む。
  「門が一つ崩れた。君のお陰ですよ、人間」
  「……」
  「渇きの王も喜んでおられます。貴女のお陰だ。貴女の策謀が今回の成功の証。これからも良い関係でいたいものですね」
  「……」
  綺麗過ぎる顔立ちの女性は、フードを被っている。
  どこか秘密めいた服装だ。
  「乾杯」
  「……」
  会合の場所はカザルトにある、場末な酒場。経営者はノルドの、初老の男性。
  お世辞にも綺麗と言えない酒場の中ではあるものの、この2人のテーブルだけは華やかな美しい雰囲気を醸し出していた。
  2人の顔立ちはどちらも美しい。
  青年の名はジェラス。
  渇きの王に仕える、反乱分子の参謀格の青年。
  お尋ね者ではあるものの、街中とはいえ隠れれる場所はどこにでもある。大通りに出ない限りは露見する事はない。
  さて。
  「門の一つが落ちたのは嬉しい限り。……しかし門一つ落としても革命は出来ない」
  「……」
  「一つの門では突入時の被害が大きい。数では圧倒できても、女王の指揮によっては都市に侵入する事すら敵わない。突破したと
  しても被害は甚大。ヴァンピールの数は6倍ではあるものの、塔の中では力は消される」
  「……」
  女王の生活空間であり、この国のシンボルであり城である黒牙の塔の内部ではヴァンピールの能力は消滅する。
  つまり普通の人間と大差なくなる。
  だから。
  だから、ファウストから買い揃えた強化生物の数が勝敗を分けるのだ。
  可能な限りは被害を抑え、塔の中に突っ込ませたい。
  それが渇きの王の戦略だった。
  「人間よ。何か策はありませんか? 貴女は塔の内部に精通している」
  「……案ずる事はないわ」
  「つまり手引きしてくれると?」
  「それは無理。しかし門のもう一つを落とす策は成り立っている。ファウストの拘束も計画の範囲内。むしろ女王陛下を欺ける材料。
  私に任せてもらいましょう。全てはシナリオ通りに進んでいる。フラガリアのお陰でね」
  「フラガリア? ……ああ、あの連中ですか。つまり、貴女の手駒だと?」
  「利用出来る手駒。必要な情報だけ与えて利用しているに過ぎないわ。あの連中はこの世界の均衡を崩すには最適」
  「さすがだよ。シ……」
  「……名を呼ぶな」
  「それは失礼」
  ガタン。
  席を立ち、ジェラスは代金をテーブルに置く。
  「長居は無用だ。私はこれでも、お尋ね者なのでね。それに、主への報告が必要。期待しているよ。ふふふ」
  「……」
  「ああ。そうだ」
  そこで不意に思い出したように、ジェラスは呟いた。
  「手駒が欲しいと言うから貸し与えていたベルモントはどうしました?」
  「フラガリアに敗れて迷いの森で死んだ」
  「そうですか。まあ、いいでしょう。では、また」
  ジェラスは立ち去った。
  俯きながら女性は低く笑う。満足そうに。
  「全ては私のシナリオ通りに。……リーヴァラナ女王陛下。貴女の苦難、私が排除して見せましょう……」