天使で悪魔





迷いの森




  ヴァンピールに誘拐されたチャッピーを追って、あたし達は異世界にやって来た。
  そこはヴァンピールの女王が統治する世界。
  秩序ある平和な世界。

  しかし全てには表と裏がある。
  平和と思われたこの世界にも、実は内乱の兆しがあるらしい。
  反乱分子を従えるのは《渇きの王》と呼ばれる存在。女王に不満を持つ者達を従え、虎視眈々と機会を窺っているらしい。
  内乱を嫌うは女王。
  この閉鎖世界で互いに争えば、後に続くのは全てが死に絶えるまで続く戦争だと頭を悩ませている。

  確かに大事。
  でも、今のあたし達フラガリアの最優先事項はチャッピーを救出する事。
  チャッピーを攫ったのは反乱分子との繋がりもあると言われている死霊術師ファウスト。
  あたし達フラガリアは《堕落と奈落の森》にあるファウストの研究施設を目指して進む事にした。

  ……この時のあたし達はまだ、これが謀略だとは気付いていなかった……。





  カザルト。
  かつての黄金帝の都は、現在はリーヴァラナ女王が統治する国家だ。
  カザルトは首都の名前であり国家の名前だ。
  「食料はどの程度持って行きます?」
  「悪食のフォルトナさんがいますから、多いに越した事はないですねぇ」
  「悪食って……あたしは別に……」
  「悪食です」
  「……」
  言い切られて、あたしは黙った。
  ただ、毎日おいしく食事を楽しんで味わって食べてるだけなのにー。
  はぅぅぅぅぅぅっ。
  「あんたら喋ってないで遠征の用意しな。まあ、難を言えば資金が根本的に足りないのが厄介だねぇ」
  「俺のガイド料まで注ぎ込むほどに不足してるよな。……もちろん後でガイド料は払ってくれるんだろうな?」
  あたし達は遠征の用意をしていた。
  謁見から数時間後。
  レーランドストリートに宛がわれた家の中で、用意の為に慌しく動き回っている。
  問題は悲しいほどに資金が不足している事だ。
  そもそもこんな街があるなんて想像してなかった。
  だから、ここまで物入りになる展開は誰も予測していなかったのだ。
  ……。
  ま、まあシャルルさんがほぼ全財産をベルウィック卿に《市民の救済》という名目で寄付してしまったので、あたしとシャルルさんは
  無一文。エスレナさんはフロンティアにお金置いてきてるし、スカーテイルさんは先払いしたガイド料のみ。
  お金なっしんぐ。
  この街にも仕事はたくさんあるけど、悠長にアルバイトしてる場合でもない。
  あたし達はチャッピーを救いに来たのだ。
  コンコン。
  「僕が出ましょう」
  「お願いします」
  扉がノックされた。応対にはシャルルさんが当たった。
  その間、あたし達は遠征の用意を続けた。
  向かう先は《堕落と奈落の森》で通称《迷いの森》。そこに居を構える死霊術師ファウストがチャッピー誘拐の犯人らしい。
  聞く限りでは反乱分子のヴァンピール達に誘拐を依頼した、らしい。
  今のところ一番の情報だ。
  待っててね、チャッピー。すぐに行くから。
  「エスレナさん、どれだけあります?」
  食料の量を聞くと、彼女はにやりと笑った。
  「食欲旺盛の育ち盛りな悪食フォルトナの一番の危惧は、食料かい?」
  「もうっ!」
  「ははははははははは」
  高らかに笑う。
  姉御肌のエスレナさんの笑いは、どこか心強い。一緒に冒険出来て、心底頼りになる。
  「エスレナさんはどうして今回、付き合ってくれたんですか?」
  「同じ冒険者仲間だからさ。困ってたら助ける、それは当たり前の事だろ?」
  何気ない口調。
  そこも頼もしい。驕らず、恩着せがましくもない。頼れるお姉さんだ。
  「吸血鬼ハンターとしてヴァンピールと戦ってみたい、ってのもあるけどね。吸血鬼ハンターのサガってやつかねぇ」
  「そういうものなんですか?」
  「あたいの家系は吸血鬼ハンターの家系だからね。吸血鬼、と呼ばれるモノには挑戦したくなるのさ」
  「へー」
  「俺は聞くまでもないだろ」
  スカーテイルさんは隣の家のノルドの男性から借りた毛布の類を小さく纏めようと悪戦苦闘していた。
  ノルドの男性はフロンティアの冒険者でこちら側に迷い込んだらしい。この世界には意外にあたし達側の世界の住人も多い。
  そもそもこの地区は、そういう人達が密集している地区だ。
  「スカーテイルはどうして関わったんだい?」
  あたしは知ってる。
  お金の為だ。
  たくさん貯めて畑を買う為に、ガイドの仕事をしている。何も知らないエスレナさんは興味があるらしく、訊ねている。
  「スカーテイルはどうして関わってるんだい?」
  「そんなに興味津々そうに二回も聞くなよ。大した理由じゃないさ」
  「気になるじゃないのさ。教えなよ」
  「俺はだな」
  一緒に行動して結構日が経つので、お互いに随分打ち解けている。
  あたしはそんな様を微笑ましく見ていた。
  「フォルトナさん、ちょっと来てください」
  突然、シャルルさんに呼ばれた。
  玄関の方からだ。姿を見せずに、玄関の方から呼んでいる。
  あたしは玄関に向かう。
  「何ですか?」
  「ああ、フォルトナさん。トカゲさんの捜索に関して、彼女が援助してくれるそうですよ」
  「あっ」
  訪ねて来たのはシスティナさんだった。
  女王の側近で、あたし達の世界からやって来た女性。この世界の生まれではなく、インペリアルだ。
  ……綺麗だなぁ、顔立ち。
  「こんにちわ」
  「あら人形姫、こんにちわ」
  「やめてくださいよー」
  「あはははは」
  可愛らしく笑う。
  綺麗だし、胸も……お、大きいし。大人の女の人。いいなぁ。
  「フォルトナさん、援助してくれるそうです」
  「援助?」
  バッ。
  システィナさんは書状をあたし達に見れるように広げて見せた。
  ……?
  ……読めない。
  「あの、あたしまだ難しい文字は……」
  「僕にも読めませんね。アイレイド文字ですから」
  アイレイド文字かぁ。
  あたしには読めなくて当然だね、うん。……今の字ですらまだ難しいのは読めないのに。
  ……。
  あれ?
  「シャルルさん、アイレイド文字読めませんでしたっけ?」
  ヴァータセンでは読めたのに。
  「これは僕の読める文字よりもさらに古いタイプですから。この世界は、過去が鮮明に生きているようですね」
  「ふーん」
  分かったようなよからないような。
  システィナさんは少し笑った。
  「読めなくても仕方ないかもしれませんね。……この書状には貴女達を援助する旨が書かれています。女王の署名もあります」
  「えっと、その、ありがとうございます」
  具体的には分からない。
  援助って?
  「貴女達は堕落と奈落の森に行くのですよね?」
  「はい」
  チャッピー助けないといけない。
  一番、有力な場所だ。
  死霊術師ファウストに誘拐されている可能性が高い。ジェラスは、多分依頼されたのだろう。システィナさんに聞く限りでは反乱に
  必要な戦力をファウストと提携する形で得ているらしい。だから誘拐を手伝った。
  まあ、そこはいい。
  今のところこの国の状況はあたし達には関係ない。
  チャッピーを助けに来たのだから。
  「女王はファウストの拘束を望んでいます。その為の援助は惜しまないと」
  「ありがとうございます」
  「もっとも、人員は提供できません」
  「はい?」
  「迷いの森は、次元が完全に歪んだ森。ヴァンピールですらその森から出る事は無理でしょう。そんな場所に衛兵を派遣出来ないと
  言うのが女王の真意です。物資や情報の面での援助は惜しみませんが、兵士はお貸しできません」
  「別にいいです」
  申し訳なさそうに言うシスティナさんに、あたしは事も無げに断言した。
  兵士なんて要らない。
  別に当てにもしてないし。
  「いやぁそれにしても助かりますよ。食料が慢性的に不足しているのですよ。……悪食なお子様がいるので」
  「はい? 悪食?」
  不思議そうに聞き返す。
  ……あたしは聞き返しません。誰の事かは……聞かなくても分かるものー。
  はぅぅぅぅぅっ。
  でも、とりあえず助かったなぁ。
  食料3日分しかなかったもの。システィナさんに援助してもらった。一週間分の食料を今すぐ手配してくれるらしい。
  2時間ほどで出発が出来そうだ。
  よかったぁ。
  「いやぁ助かりましたね悪食さん♪」
  「やめてくださいよシャルルさん」
  「ははは。……さて、システィナさん。その森はヴァンピールですら困難な場所とか。しかしファウストは健在だ。何故です?」
  「それは彼が次元を解析できるからです。それが何か?」
  次元を解析できる?
  ……?
  「へぇ。それはそれは」
  微笑。
  そのまま、微笑のままあたしの顔を見てシャルルさんは確信したように言った。
  「元の世界に帰れる目処が少しは立ちましたねぇ」
  「……?」
  「ファウストなら、次元を解析できるファウストなら帰る手段を知っているかもしれないという事ですよ」





  堕落と奈落の森。
  迷いの森とも呼ばれるこの森は、確かに迷いの森だった。
  「ふぁぁぁ」
  あたしは欠伸を噛み殺し、毛布から這い出した。
  この森に足を踏み入れて何日経ったのだろう?
  この世界には夜しかない。
  まだ街なら鐘の音、ウェルキンド石の明かりで昼夜が分かるけど、この森にはあいにく鐘の音は届かないし明かりもない。
  ただ、食事の回数で換算すると現在2日経った。
  実際には何日経過しているのかは不明。
  「シャルルさん、おはようございます」
  「……」
  「シャルルさん?」
  「……」
  背を向けてブツブツと呟いている。
  目覚めは悪い方じゃないと思ったけど、今日は期限悪いのかな?
  グツグツ。
  エスレナさんとスカーテイルさんは食事の支度をしていた。煮えるスープの香りが食欲をそそる。
  「おはようございます。エスレナさん。スカーテイルさん」
  「おはようフォルトナ」
  「ははは。実際にはおはようの時間なのかおやすみなのかは、分からんがな。ともかく、おはよう、お嬢さん」
  新しい朝(かな?)が始まった。
  それにしても……。
  「ここ、どの辺だろう?」
  「さてねぇ」
  「まったく見当もつかんよな。……一番頭の良いシャルルの旦那も、今日は朝からあんな調子だから聞けないし」
  はぁ。溜息。
  本当にここはどこ?
  森に踏み込む前に、ちゃんと確認した。この世界にやって来た時、一番最初にいたあの小高い丘の上から森の様子を見た。
  歩いて半日ぐらいの場所に屋敷があったのを確認した。ファウストの屋敷だろう。きっと。
  ……。
  なのに2日も経つのに一向に到着しない。
  何故だろう?
  「シャルルさん、あのー?」
  「……やられました」
  「はっ?」
  「……やられましたよ」
  幾分か蒼褪めた顔。
  何がやられたんだろう?
  「気付くべきでした。連中の思惑を」
  「思惑?」
  「僕達はトカゲさんを救う事だけに気を取られていた。迷いの森とも呼ばれるこの森を、ちょっと深い程度の森と甘く考えていた。
  その程度に考えていた。迂闊でしたよ。連中は最初からそれを見越していたようです」
  「何を、言ってるんです?」
  意味が分からないけど、重大なのは間違いない。
  いつの間にかエスレナさん達も固唾を飲んで、次の言葉を、そして結論を待っていた。
  「連中って誰です?」
  「女王の差し金なのかは、知りません」
  「システィナさんの事を言ってるんですか?」
  「それは知りません。しかし女王サイドは当然知っていたはずです。この森は、踏み込んだら最後絶対に出られないと」
  「えっ?」
  「出られないのを知りながら僕達を送り出した。どこから出た命令かは知りませんよ。女王かもしれないし、女王を案じるシスティナ
  さんかもしれない、別の誰かの独断かもしれない。そこは、でも今はどうでもいい。大切なのはここから出られないという事です」
  「……」
  「つまり、こういう概要です。僕達が森を踏破しファウストを拘束出来れば儲けモノ。失敗しても、永遠に厄介払いできる」
  「……」
  確かに。
  確かに女王は、人形姫に対して極端なまでに恐れを抱いていた。
  厄介払いしたいという気持ちはないとは言えない。
  「それで眼鏡、出られないってどういう意味だい?」
  「そのままの意味です。この森を甘く見てました。このまま進んでも……」
  「目的地には到着しない?」
  「空間が不規則に捻れています。すなわち、その法則を読まない限りは目的地には着かない。しかし運が良ければ、目的地に着くし
  森の外にも出れるでしょう。しかし確実性はないですね。運が良ければ何とかなる、悪ければ死ぬだけです」
  「……ストレートに言うんじゃないよ、まったく」
  右手を額に当て、ぼやく。
  スカーテイルさんは溜息を吐き、その場に座った。
  「末路は餓死か狂い死にだな」
  「いやぁスカーテイルさんの発言もストレートですねぇ」
  「ど、どういう意味です?」
  「そのまんまの意味ですよフォルトナさん。気付きませんか? この森には、生き物はいないんですよ」
  「えっ?」
  耳を澄ます。
  そういえば何も聞えない。虫の声すら聞こえない。
  「ど、どうして?」
  「お嬢さん。空間云々は俺には分からんよ。しかしこんな場所で生き物が生きていけるか?」
  「……」
  そ、そうか。
  動物だってこんな迷ってしまう場所では生きられない。
  つまり食料が尽きればあたし達は全滅?
  ……。
  木の実とかはあるみたいだけど……無理だ。
  ここがシロディールならともかく、まったく別の世界だ。夜の世界に適応する為に全ての植物も変性してしまっている。
  まったく見た事のない果物や木の実。
  食べれるのかすら怪しい。
  「ど、どうすればいいんです?」
  「簡単です。空間を直結すればいい」
  「空間?」
  また訳が分からない。
  シャルルさんは頭が良いから分かるのだろうけど、あたしにはチンプンカンプンだ。
  「この森はね、空間が歪んでいるんです」
  「それは聞きました」
  「つまり……そう、隣にあるモノは遠くにある、遠くにあるモノは隣にある。一定性がない、不安定な空間なんです」
  「……?」
  「……簡単に言うと強大な魔力で、空間に干渉するんですよ」
  「……よく分かりません」
  「ふぅ。やれやれです」
  自分が頭悪いのは知ってるけど、そこまで言われると腹が立つなぁ。
  どーせ頭悪いですよーだ。
  ふんっ!
  「眼鏡。質問があるんだが」
  「エスレナさん、どうぞ」
  「ヴァンピールが……チャッピーだっけ? ともかく、フォルトナの仲間を誘拐したんだろ?」
  「ええ。そうです」
  「そして仮定では、ファウストに渡した。奴が誘拐を頼んだ、奴の実験の為にね。まあ、仮定だけど。……ともかく、ヴァンピールは
  この森に来た、システィナの話ではヴァンピールですら迷うこの森にさ」
  「それはファウストが空間を解析出来るからでしょうね」
  「どういう意味だい?」
  「さっき僕が言った通りですよ。つまり、捻れた空間の法則を読めるのでしょう。反乱分子のヴァンピール達が迷わないのは、おそ
  らくはファウストに誘導してもらっているからではないですか?」
  「誘導ねぇ。何かの画期的なアイテムの力かもしれないじゃないか、ファウストとか言う奴の作った次元を読むアイテム」
  「それはないでしょう」
  「何故だい?」
  「安全性を保てない」
  「……?」
  「つまり、そんなアイテム作ってヴァンピールどもに渡せばファウストは無駄に危険になります。ヴァンピールすら踏破出来ない森
  に住まうからこそ、孤高に中立を保てるのですよ。多分、僕の推測に間違いはないでしょう」
  「そうだね。確かに、正しいかもね」
  そこで一度、話を打ち切った。
  ぐぅぅぅぅぅっ。
  打ち切ったのは、あたしのお腹の音だった。
  み、みんなの視線が冷たい。
  「悪食ですねぇ」
  「悪食だねフォルトナ」
  「悪食」
  「あ、悪食じゃないもんっ! 育ち盛りなだけだもんっ!」
  はぅぅぅぅぅぅっ。



  朝食後。
  あたし達は森の奥へと進む。
  変に空間が捻れているので、実際には進んでるのかどうかは知らないけど……あの場にいたところでどうしようもない。
  後戻りしたところで出れるわけではない。
  不規則な法則で成り立つ森の中。来た道を戻っても、出れるわけではないのだ。
  戻って出れるのは安定した空間のみ。
  この森は、不安定な空間。
  ……闇雲に進むしか手がない。少なくとも、今のところは。
  「シャ、シャルルさん」
  「何です?」
  「あ、あたしが早くチャッピーを助けに行きたいって駄々こねたから、下調べも出来なくて、つ、つまりあたしの所為……」
  「貴女リーダーでしょう?」
  「は、はい」
  「決定事項をウジウジ言うのをやめなさい。貴女に従うと決めた以上、貴女に決定を委ねている。つまり信頼しているんです。貴女
  が今その決定を否定すれば、信じて行動している僕達はただの馬鹿じゃないですか」
  「……」
  「仲間なんですから、気にしないことです。それに……」
  「……?」
  「それに、トカゲさんがいないと、暇ですからね」
  「ふふふ」
  ほんとはチャッピーとは仲が良いのかも。
  喧嘩友達?
  男の人って、素直じゃないなぁ。
  「眼鏡」
  「何です、エスレナさん」
  「この道で正しいのかい?」
  「勘です」
  「……勘かい」
  「そこは僕に言われても困りますよ。空間読めるほどの解析能力はないのでね」
  「あんた元の世界への帰り方が分かったって言ったよね、確か」
  「ええ。以前破壊大帝が開いた《門》の要領で帰れますよ。要は繋げる先をオブリビオンではなく、タムリエルにすればいいんです。
  空間解析能力があるファウストなら、その類の書物もあるでしょう。それを読んで、研究すればおそらく」
  「……」
  シャルルさんは断定しなかった。
  それでも。
  それでも、帰れ目処が立っただけでも安心する。
  ……最低条件でファウストの屋敷に到達する事が前提だけど。
  「迷いの森というより死の森だな。気が滅入るぜ」
  「ならあんたは何で来たんだい? そもそもガイドとして黄金帝の都までの同行だろう? この世界に来て一緒に行動する必要……」
  「この世界の中で誰を信頼出来る? ……俺としては、一緒にこの世界に来たあんたらしか信用出来ないよ」
  「なるほど。そりゃ道理だわね」
  「だろ?」
  どこまで信頼できるか、か。
  確かにそれは言えるかもしれない。
  女王もシスティナさんも、どこまで信頼できるかは疑問だ。でも、あたしは信じたいな。
  「ところでシャルルさん。疲れを紛らわせるために質問があるんですけど」
  「何です?」
  「眼鏡って、結局なんですか?」

  「……仕方ありませんね。とうとうこの眼鏡の秘密を語る時が来ましたね」
  「長かったです。真相聞けるまで」
  わくわく。
  「この眼鏡はカモフラージュなんですよ」
  「カモフラージュ?」
  よく意味が分からない。
  ……?
  「実は世間を欺く為に、眼鏡をしているんですよ。これを掛けていると世間が油断する。それを利用して秘密を暴く為に暗躍する」
  「はっ?」
  「僕は出来ない男、情けない男を演じてきました。しかしそれは演技っ! 眼鏡を外した時、野性の本性が目覚めるのですっ!」
  「はっ?」
  「そう、僕は特命係長なんですっ!」
  「……」
  スタスタスタ。
  シャルルさん放って置いて、あたし達3人は早足で歩く。
  ……真面目に聞いて損した。
  「ここまで語らせて置きながらフォルトナさんそれは酷いんじゃないですか?」
  何を言ってるんです……そう言おうとした時、殺意が膨れ上がったのを感じた。
  警告の声は上げない。
  「はぁっ!」
  あたしは魔力の糸を振るい、殺意の元に放つ。
  ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!
  大木を両断した。
  上がる土煙。
  その土煙の中から何かが飛び出してくる。ヴァンピールのベラモントだ。
  あたし達をこちら側の世界に引き込んだ張本人。
  「ファウストがお前達を所望している。わざわざやってくるとは手間が省けたぜっ! ふはははははははははははははははっ!」
  「アーケイよ、力を。聖雷っ!」
  「無駄だっ!」
  ぶわぁっ!
  霧化する。電撃は無効化される。あの能力が正直、面倒臭い。
  「効かないのが分かった……」
  「炎の魔法その@っ!」
  「……っ! 小癪っ!」
  ドカァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンっ!
  エスレナさんが放った炎の魔法は森を焼き払ったに過ぎなかった。直撃する寸前で霧化けした為、炎の球は霧の中を通り過ぎ
  ただけ。それにしても魔法の名前、安易過ぎます。
  ……。
  ふと思ったんだけど、最悪の場合全ての森の木を薙ぎ倒すのも手だよね。
  視界さえ開ければ迷いようないし。
  次元や空間云々の複雑な話が絡んでるから、そういう方法じゃあ無理なのかなぁ?
  「おいおいおい。あいつどこ行ったんだ?」
  剣を手にしたままスカーテイルさんが周囲を窺う。ベラモントは姿を消した。透明化も出来るのだろうか?
  あたしは目を閉じて気配を研ぎ澄ませる。
  ……。
  ……。
  ……。
  ……あっ!
  「エスレナさん、後ろっ!」
  気配が生まれた。
  眼を開き、見る。擬態化している何かがエスレナさんを背後から抱きついているのが分かった。ベルモントだっ!
  魔力の糸を振るおうと……。
  「炎の魔法そのAっ!」
  「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  ごぅっ!
  触れた対象を炎に包ませる、炎のゼロ距離魔法。
  ヴァンピールは吸血鬼の親玉。吸血鬼の弱点である炎は、ヴァンピールにも弱点らしい。
  情けない声を上げながら逃走を開始する。
  「聖雷っ!」
  バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
  背に雷の洗礼を受け、倒れる。
  「ぐ、ぐぞぅっ!」
  倒れたのも一瞬で、意外にも素早い動きで森の中に消えようとする。
  逃がさないっ!
  「はぁっ!」
  放つ魔力の糸。
  森の中に消える際に奴に直撃したはずなんだけど……手応えがない。どうやら霧化して逃げたようだ。
  ふぅ。
  一息付く。

  「ふん。始祖吸血鬼と言ったって、そう大した相手じゃないねぇ」
  エスレナさんは淡々と呟いた。
  ヴァンピールは強くない?
  ……。
  ううん。強い。
  あたし達なら絶対に勝てない相手ではないだけ。
  普通の冒険者なら今のような展開にはまずならないだろう。ヴァンピールは強い。陽光(この世界に太陽はないけど)に制限はなく、
  血への渇望などのデメリットは何もない。
  始祖吸血鬼としての能力は、誇大広告なしに有している。
  ならば何故勝てたか?
  それは自画自賛になるけど、あたし達が強過ぎるからだ。……べ、別に自画自賛じゃないからね。あくまで冷静に見ての評価だ。
  さて。
  「そんじゃあまあ、先に進むとしようぜ」
  「はい。スカーテイルさん。……でもどっちに?」
  「それが、問題だよなぁ」
  「……ですよね」
  ここは通称《迷いの森》と呼ばれる場所。
  理屈はよく分からないけど、空間が変な風に捻じ曲がっているらしく、進んでも進んでも変にループしている可能性もある。
  エンドレスにループ、してないよね?
  こ、ここで餓死したくはないよー。
  はぅぅぅぅぅっ。
  「まっ。大丈夫ですよ。僕に任せてください」
  「シャルルさん、何か策でもあるんですか?」
  「正義は必ず勝ちます。僕らは正義、必ず神様が助けてくれますよ。ははは」
  「……」
  な、なんと乾いた笑い。
  そ、それにシャルルさんは実は神様嫌いじゃないですかそう公言もしたし明言もしたじゃないですかなのに神様頼みですか?
  ……。
  だ、駄目だ。
  完全にこの状況を投げてるよシャルルさん。
  はぅぅぅぅぅっ。
  「そうそう、エスレナさん」
  「なんだい眼鏡」
  「炎の魔法その@、そのAという魔法の名前は安易過ぎませんかねぇ。適当? 僕はそこが気になるのですっ!」
  「……熱弁振るってる場合じゃないだろうが」
  「何故ですっ! 気にしちゃいけないんですか僕が間違ってるとでもっ!」
  「……あんた実は逆境に弱いタイプかい」
  わぁわぁと口論するシャルルさんとエスレナさん。
  だ、駄目だ。
  対策もないし秘策もない。
  シャルルさんは完全に現実逃避状態だし。エスレナさんの言うとおり、冷静沈着そうに見えるけど逆境に弱いらしい。
  フラガリアの参謀、逆境の前に撃沈っ!
  はぅぅぅぅぅぅっ。
  「……あっ」
  何かを感じた。
  何かを。
  あらぬ方向をあたしは見る。何かを感じた方向だ。
  方角は分からない。この森は方角すらも狂わせるから、自分が向いている方角が分からないけど……ともかく、何かを感じた方向
  を見る。ただ鬱蒼と森が続くだけだ。でも何かを感じる。何かを。
  「……」
  目を凝らす。
  ここに何かがある気がする。
  ここに何かが……。


  《繋げよ》
  《繋げよ》
  《繋げよ》
  《この森に距離は関係ない。歪んだ空間により形成されているに過ぎない》
  《直結せよ》
  《今立つ場所と、目的の場所を直結せよ》
  《黄金帝との一件でお前の扱える力を増強してやった。ならば、直結できるだろう》
  《お前は我が仮初》
  《この程度の事、出来ぬようでは困るな》


  「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
  頭を押さえ、蹲りながら、あたしは叫んだ。
  驚く一同。
  「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
  何かが弾ける。
  あたしの中の何かが弾けるっ!
  「フォルトナさんっ! 何をっ!」
  駆け寄り、心配するエスレナさんとスカーテイルさんとは違ってシャルルさんはあたしを見ていなかった。
  そう、あたしと同じ方向を見ている。
  「フォルトナさんっ! 魔力が、空間が歪んでいるっ! ……貴女がしているんですか……?」
  視界が歪む。
  視界が歪む。
  視界が歪む。
  仲間達の姿はそのままで、あたしの視線の方向にある森が歪んでいく。
  そして……。
  「……これは、館……?」
  シャルルさんは呟いた。
  振り向く一同。
  森は消え……いや、背景として森そのものは残ってるけど、あたし達がいる場所がいつの間にか開けた場所に変わっていた。
  そして眼前にある不気味な洋館。
  ツタが壁に張り巡らされ、窓は全て外から板で打ち付けられた館。
  不気味な館。
  「な、なんだか知らないけどここが目的の場所かい? なら、入るとしようかねぇ」
  「トカゲの親類さんを助けに行くとしようか」
  扉に向かう。
  よく分からないけど、ここがファウストの屋敷だろう。
  ……関係ない屋敷?
  それは、判断のしようがないけど……とりあえず入るしかないと思う。油断や過信は禁物。用心して、足を踏み入れよう。
  扉に向かう。
  シャルルさんがあたしに並ぶ。そして、呟いた。
  「空間を直結させたんですか?」
  「はっ?」
  「……」
  「あのー……?」
  「無意識にやったんですか。まあ、いいです」
  「……?」
  そのまま会話をシャルルさんは一方的に打ち切った。










  「あの小娘ども、覚えてやがれっ!」
  森の中を絶叫が木霊する。
  堕落と奈落の森。通称《迷いの森》。
  異空間への遷都の際にこの森一帯の空間は歪んでおり、それ故に一度迷い込むと容易に出る事は叶わない。
  「ちくしょうっ!」
  叫ぶ男。
  ヴァンピールのベルモントだ。
  フォルトナ一行に完膚なきまでに叩きのめされながらも撤退。
  現在は森の中を延々と彷徨っていた。
  次元を渡れる能力を有するヴァンピールといえども、この森は容易ではないらしい。
  彷徨って既に二時間。
  顔には焦燥の色が濃い。
  敗北の疲労も大きい。
  「くそっ!」
  ドサ。
  その場に座り込んだ。
  周囲には鬱蒼と茂る黒い森ばかり。
  出口は見つからない。
  ベルモントは脱出を諦めた。何も無理して出る必要はないのだ。向こうから探されるのを待てばいい。
  向こうから……。
  「あの人間ども、舐めやがってっ!」
  ヴァンピールはアイレイドエルフを改造した存在。
  元々が支配階級のアイレイドエルフ出身であるベルモントにしてみれば、人間は奴隷でしかない。それにアイレイドエルフは長命
  ではあるとはいえ寿命には限りがある。この国の住民のほぼ大半は代替わりしている。
  しかしヴァンピールは不老不死。少なくとも寿命では死なない。
  ベルモントはアイレイド時代から存在し続けている。
  だから、人間に対する偏見の傾向が強い。
  必ず報復する。そう決めている。そうでなければヴァンピールとしての立場がないからだ。
  ガサ。
  「……?」
  茂みを掻き分ける音。
  ガサ。
  ガサ。
  ガサ。
  次第に近付いてくる。ベラモントは立ち上がり、音の方を見た。
  心当たりはある。
  ガサ。
  「おいおい、遅かったな、人間」
  「……」
  「あの連中、相当な使い手だぞ。油断したとはいえ、この俺が負けたんだからな。……油断しなきゃ勝てたがな」
  「……」
  「おい、何とか言えよ」
  「……この雑魚野郎」
  「な、なんだと人間風情がっ!」
  ぶわぁっ!
  霧化し、我を忘れて襲い掛かる。
  来訪者は大きく跳躍。茂みの中に消えた。霧化を解き、周囲を見渡すベルモント。
  「出て来やがれっ! 渇きの王の寵愛を受けてるからって対等じゃないんだよ、お前と俺達はなっ!」
  「……馬鹿」
  「な、なんだとっ!」
  「こちらももうお前に用などない。人形姫の能力の片鱗を計測できた。お前程度では、あれ以上の手の内は見れまい」
  「そいつはどういう意味だ? お前、まさか裏切ってるのかっ!」
  「裏切り? そもそも協定を結ぶ間柄でしかない。仲間じゃないよ、お前達とはね。それともお前は仲間と思ってたか?」
  「くっ!」
  周囲を睨むものの、気配が読めない。
  ベルモントは内心で焦っていた。この協力者の人間の強さを甘く見ていた。
  まるで森全体が声を発しているようで、位置が特定できない。
  「話はもういいっ! それより、お前は俺に暴言を吐いたんだぞ。ヴァンピールの俺にだ。さすが主も不快がるだろうぜっ!」
  「だから何?」
  「お、お前不遜にも程がある……っ!」
  「死ね。ここで死ね」
  「……っ!」
  ここで少し、ベルモントは自分を抑えた。
  森を出るにはこの人間の力がいる。ここで口論をすれば、自分の方が分が悪い。
  そう判断し、ニヤニヤと笑う。
  「ま、待てよ。なあ、待てよ。少し聞けって、へへへ」
  「……なに?」
  「お前の暴言を渇きの王やジェラス様に報告はしないよ。だから、その、一緒に戻ろうじゃないか、本拠地に」
  「……断る」
  「き、貴様付け上がるんじゃねぇよっ! 全部チクってもいいんだぜっ!」
  「……ご自由に。ここから帰れるならね」
  「ちょ、ちょっと待てよ」
  「ここで死ぬまで迷い続けるがいい。……ふふふ。寿命や空腹で死ねないから、永遠だね。くすくす♪」
  「う、嘘だろ?」
  「渇きの王やジェラスにはお前が尊い戦死をしたと報告しておいてやるよ。じゃあね」
  「おいっ!」
  ……。
  声は途絶えた。
  森は再び静けさを取り戻す。
  ……不気味な静けさを。
  「お、おい、嘘だろ? 冗談なんだろ? そ、そこにいるんだよな、なあ?」
  声はない。
  「待ってくれ頼むよっ! 頼むから置いてかないでくれっ!」
  声はない。
  「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

  声はない。
  誰もいない。他にはもう誰も……。