天使で悪魔





三つの願い 〜堕落の代償〜




  願い。
  人は誰しもが、願う。様々な夢を。
  恋人が欲しい。
  仕事で成功したい。
  家を新築したい。
  人は誰しもが夢を持ち、その夢を叶える為に生きている。夢があるから生きていける、それもまた真理だろう。


  努力が必ず報われるとは限らない。
  些細な事で夢を叶える者もいれば、懸命に生きていても叶わない場合も多々ある。
  世の中は不平等。
  必ずしも等価交換では成り立たない。

  それでも、程度の差はあれば夢を叶えるには努力が必要だ。
  もしも。
  もしも何の努力もせずに夢を叶えられる瞬間を与えられたらご注意を。
  そして思い出すべき。
  ……世の中、うまい話ほどリスクが高いのだから。





  バキィィィィィィィィィィィィィィっ!
  その場に倒れた。
  みすぼらしい服を着た男の、レッドガードのトゥエンスの拳が俺の頬を殴ったから、倒れた。
  「ぐぅっ!」
  倒れた時、岩場に頭をぶつけた。
  殴られたよりも痛い。
  額から血が垂れた。
  薄暗い坑道の中で俺を殴る蹴るする連中は、この鉱山で働いている連中だ。この俺もそうだ。
  フロンティアから程近い場所にある鉱山。
  主に鉄などの金属を産出している。
  「おい、これで懲りたかい、ベッツ君」
  からかうような口調。
  この俺、ベッツを呼び捨てにしやがって何様のつもりだっ!
  トゥエンスと取り巻き2人、そして俺。
  この鉱山にいるのは現在4名だ。
  事の発端はいつもの事だった。仕事を終えた他の連中が帰った後、俺らはここで博打をしてた。
  いつもの事だ。
  人数はいつもランダムで、もっと多くなる時もあるし、少ない時もある。これ以上少なければお開きだが。
  胴元は俺。
  博打を仕切ってるのも、俺。
  俺の両親は貧しい農民だった。貧しいのを美徳としてた、馬鹿な奴らだった。
  故郷を飛び出しフロンティアに。
  ここなら税金は安いし儲け放題だ。博打もその一環だった。
  今日、最初は大勝だった。
  だが……。
  「汚いぞ、イカサマしやがってっ!」
  俺は叫ぶ。
  そう、どうやったか知らないが……イカサマしたに違いないんだっ!
  俺が負けるはずなんてないんだっ!
  「ちっ、根拠もねぇくせにっ!」
  また殴られる。
  ……。
  い、いや。殴られてやってるんだ。
  俺はこいつらより一等上の、優秀な人間だ。だから殴られてやってるんだ。殴るしか能のないこの馬鹿どもに、寛大な気持ち
  で唯一の存在理由をさせてやってるんだ。殴るのやめたら、こいつらの存在は意味ないからな。
  「トゥエンス、もうやめて帰ろうぜ」
  「ああ、そうだな。ロッテルト、ベッツの財布取り出せや」
  「あいよ」
  財布を抜き取られる。
  抵抗した時、腹を蹴られた。
  「賭けの支払いは明瞭にな、ベッツ君。……おい、足りないぞ」
  「知るか」
  「てめぇっ!」
  「す、すいません必ず払いますからもう許してくださいお願いします許して、許して……」
  「けっ、白けたぜ。行こうぜ」
  背を受け、歩き出す。
  すかさず背後から飛び蹴り。ざまぁみろっ!
  この俺、ベッツは優秀な人間なんだ。お前らなんかに平伏すかよ馬鹿野郎っ!



  「……ちくしょう……」
  痛む体。
  あの後、再びフルボッコにされた。
  イカサマされた上に金を巻き上げられ全身を痛みつけられる……こんな事、許していいのか?
  いくら俺が選ばれた人間であるにしても、寛大過ぎないか?
  ……見返してやる。
  いつか俺は名を上げる。シロディールの連中が、俺を称えるようになるっ!
  その時あいつらは死刑だっ!
  残忍に殺してやるっ!
  「あっははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
  人気のない坑道を笑い声が支配する。
  俺は特別なんだ。
  そうさ、特別な人間なんだ。
  あんな奴ら、あんな奴ら、あんな奴らゴミ以下だっ!
  「くそ」
  立ち上がる。
  痛む体。
  よろけながらも、何とか立ち上がり歩き出す。
  いつか見てろ、いつか見返してやる。
  いつか……。
  「その気持ち、叶えてやろうか」
  「……っ!」
  女の声。
  冷たい、まるで暗い水の底から聞こえてくるような冷たい声。
  粘着質な粘りを含んだような声。
  「だ、誰だぁっ!」
  怯えが含んでいるように聞えたのは、気のせいだ。
  俺は生まれてから怯えた事はない。
  ともかく声の出元を探そう。俺は歩き出す。
  コツン。
  「……?」
  足に何か当たった。
  視線を下に向け、何か落ちている事を確認。かがんでそれを手に取る。小さな手鏡だった。
  何気なく自分を映す。
  「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
  「ほほほ。そんなに怯えるな」
  青白い女の顔。
  愉快そうに笑った。鏡の中に、入っているのか?
  でもどうやってっ!
  捨てようとするものの……僅かながらに思慮が働く。
  もしも祟られたら?
  「あ、あんた何なんだ?」
  「精霊」
  「精霊?」
  「昔、罪を犯した精霊。九大神により罰としてここに封印されました。鏡の中に山の中に。ずっと山に埋もれていたのですが人間達
  によって掘り出されました。まあ、鏡には気付かずにずっと放置されていましたが」
  「そ、それを俺が見つけた?」
  「ええ。私に気付いてくれました。恩人です。鏡が割れれば私は死ぬのです。見つけてくれてありがとう」
  「い、いや、別にいい」
  「謙遜する必要はないです。お礼に三つの願いを叶えてあげますよ」
  「三つの、願い?」
  「そう」
  「……そ、それはどんな願いでも叶うのか?」
  「私のレベルの範囲内で」
  「……?」
  「つまり、この世界の王にしろ……と言われてもそれは叶えられない。全ての事象を覆すほどの力はないのです。しかし王になる
  に見合う力を与える事は出来ます。国崩しの手伝いなら出来ますが、一足飛びに世界の王には出来ない」
  「そ、そうか」
  「どんな願いを叶えますか?」
  「そ、そうだな」
  いずれにしても願いを三つ叶えられる。
  この鏡の中の精霊の力量に見合う願いしか叶えられないらしいが、それでも凄い。
  ……。
  来たか?
  俺の時代が来たか?
  20歳の誕生日を迎えた記念に、神が俺にプレゼントをくれたとしか思えないぞ、この幸運っ!
  幸運の女神が微笑み掛けてるっ!
  そうさ俺はやっぱり特別な存在だったんだ。
  「あっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
  「ふふふ。幸運をおめでとう。それで何を願う?」
  「そうだな」
  何にしよう?
  金か、女か、いや……そうだな、貴族になるぐらいならこの精霊の力でも何とかなるだろう。
  貴族に……。
  ……。
  いや、待て。
  願いは三つあるんだ。まずはこの体の痛みをなんとかしよう。
  そう、痛みだ。
  「最初の願いだ。……トゥエンス達に罰を」
  「了解しました」
  カッ。
  手鏡は光る。
  あまりの眩しさに目を瞑る。数秒後、眼を開くと光は消えていた。
  ……。
  願いは叶ったのか?
  考えてみれば罰を与えるにしても本人が目の前にいない事には確かめようがない。ただ、鉱山を出てまだそれほど経ってない
  からフロンティアには着いてないだろう。おそらくまだ密林の中のはず。
  確かめよう。
  くくく。瀕死で倒れてたら、笑うぜ。……蹴っ飛ばしながらな。
  「本当に叶ったんだな」
  「私の力を疑ってますか?」
  「い、いや、そうは言ってない。ただ、聞いただけだ」
  「信用しているのであれば、信用してください。疑問など抱かずに」
  「す、すまん」
  「これは一応、サービスです」
  カッ。
  再び手鏡は光る。光が消えた時、痛みも消えた。額に触れてみる。血は付かない。そもそも額も割れていない。
  治った?
  しばらく満足に動けないほどの傷をいとも簡単に癒す……これは期待できるぞっ!
  この鏡は本物だっ!
  勇躍して坑道を出る。太陽の光は眩しく、俺を容赦なく照り付けるものの今日はいつもほど腹は立たない。
  世界は俺を中心に回っているんだっ!
  「あっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
  高笑いも心地良い。
  そしてトゥエンス達は今頃は生と死の境を彷徨ってるはずだ。
  ……。
  ただ、罰を与えろ……と願ったからな。
  もっと具体的な方がよかったか。
  どの程度の罰かが非常に曖昧だ。手鏡に聞いてるとしよう。
  「おい、トゥエンス達は生きてるのか? 死んだのか? どうせなら瀕死の方が楽しいんだが……」
  「何が楽しいって、この自己中野郎」
  ト、トゥエンスっ!
  取り巻きもいる。3人とも、五体満足だ。な、なんでっ!

  「い、生きてるじゃないかっ!」
  「はっ? 生きてたら何かまずいんですかねぇ。……どうなんだよ、てめぇっ!」
  抗議の声は無視された。
  鏡は何も喋らない。
  だ、騙された?
  「……おい、ベッツ。どうして傷が治ってる……まあ、いいか。それよりも手鏡に何喋ってるんだ? 頭の線切れた?」
  「……」
  ガッ。
  襟首を掴まれる。
  手鏡は何も喋らない。ち、ちくしょう、また殴られるのか。お、俺は何も悪い事してないのにっ!
  ちくしょうっ!
  「大体……あぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」
  ドサ。ドサ。ドサ。
  襟首を掴み掛かってきた苦悶の声を上げながらその場に倒れた。それに応えるように、残りの2人も。
  全身が麻痺しているのだろうか?
  痙攣しながら、その場に転がっている。
  「……へ、へへへ」
  自然、口元に笑みがこぼれる。
  そ、そうか。手鏡は俺の目の前で瀕死にしたかったのか。なかなか分かってるじゃないか。
  「お前ら、俺にさっき何した? ああんっ!」
  ゲシゲシ。
  蹴りまくる。気分いいぜ、最高の気分だっ!
  数分、蹴ったり殴ったり楽しむ。
  「あっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
  「楽しいそうですね」
  「ああ、最高さっ!」
  「しかしいいのですか?」
  「何が?」
  「こいつらを生かしておいて。願い全てを叶え終わった時に、貴方は万能ではなくなる。私の恩恵が終わるわけですから。残り二つ
  の願いで高い地位に就いたにしても、こいつらを生かしておけば禍根になりませんか?」
  「……」
  確かに。
  恨んで俺を狙ってくる可能性もある。
  闇の一党ダークブラザーフッドに依頼し、暗殺者をけし掛けて来るかも知れない。
  「だ、だが願いをここで消費したくない」
  「大丈夫。これはサービスです」
  グルルルルルル。
  唸り声が間近で聞えた。振り向き、俺は声もなく驚愕した。
  オーガだ。
  オーガが数匹、背後に立っていた。
  「ひぃっ!」
  グルルルルルル。
  しかし唸るだけで何をするでもなく、立っている。
  その時、これが手鏡のサービスなのだと気付いた。何するでもない……つまり、俺の命令で動くわけか?
  「その通りです」
  心を読んでるのか、こいつ?
  まあ、いい。
  「貴方の命令に従うオーガです。この者達を食い殺させるのも、全て貴方の自由。貴方の心を先読みしますよ、この子達は」
  「へへへ」
  トゥエンス達が眼で懇願する。
  助けて欲しいと。
  ……ああ、そうだ。
  「麻痺を解いてくれ。……トゥエンス、そうこいつだ。こいつの口だけでも利けるようにしてくれ」
  「分かりました。サービスです」
  カッ。
  手鏡が光った途端、トゥエンスが命乞いの言葉を並べた。
  しかし聞きたいのはそんなんじゃない。
  「お前イカサマしたよな?」
  「し、してないっ! あれは本当に、運がよかったんだっ!」
  「ああそうかい。だがそいつは聞きたい言葉じゃなーい。……おい、食っちまえ」
  「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」



  「ご満悦ね」
  「当たり前だ」
  オーガの胃袋に収まった元同僚。オーガの栄養になってくれ。
  ははは。死んで始めて役に立ったじゃないか。オーガも喜んでるぜ。
  「それで次の願いは?」
  「今、考えてる」
  冒険者の街フロンティア。
  イカサマをした同僚3人を始末した後に、戻ってきた。
  俺の背後にはオーガが一匹従ってる。もちろんリアルには見えていない。手鏡の力で透明化している。
  もちろん、願いとしてではなくサービスだ。
  オーガは俺の屈強の用心棒。
  他のオーガどもは街の外で待たせてある。モンスターの力を利用して戦争を起こすのもいいかも知れんな。
  そして俺がいつか帝国の皇帝になるんだっ!
  「決まった?」
  「急かすなよ。じっくり決めてるところだ」
  「それと、オーガは全て街の外に留めて置いたほうがよかったんじゃない? 無用な争いの元になると思いますけど」
  「俺は選ばれた者だぞ。従者を引き連れるのは当然の事だ。それも並の人間じゃ太刀打ち出来ないオーガ。くくく」
  「まあ、いいですけど」
  「だったら口答えするな。俺は、お前の恩人なんだぞ?」
  「はい。ご主人様」
  「そうだ。お前は大人しく、俺の願いを叶えればいいんだ」
  「はい」
  「さて、次は何にするかな。そろそろ今後の人生に影響する願いにしないとな」
  エスティアを俺のモノにするか?
  お高く留まったアルトマーのあの女を俺に跪かせるのも捨て難い。
  ああいうじゃじゃ馬を飼い慣らすのは、それはそれで男の夢だろう。くくくっ!
  しかし、願うほどか?
  わざわざ願いの一つとして叶えて貰うほどの事じゃあない。
  願いがもったいない。
  ……。
  地位だな。
  地位さえあればエスティアを手篭めにしても誰も文句が言えなくなる。エスティア本人もだ。
  しかし精霊、万能そうで万能ではない。
  どこまで叶うか疑問だ。
  それに中途半端な貴族になっても仕方ない。となると、金か。そうだな、金が湯水の如くあれば大貴族並の横暴が出来る。
  下手な下級貴族になるより全然いい。
  そろそろ今後に役立つ願いを叶えるべきだな。
  「おい、金が欲しい」
  「いくら?」
  「いくら……」
  言葉を詰まらせる。
  多ければ多いほどいいんだが……万が一、盗まれて無一文になったら……それはそれで、まずいな。
  それにいきなりここに金貨が数10万枚も具現化したら、それはそれでまずいか。
  ……。
  飲みながら考えるか。
  黒熊亭という酒場に入る。二階は宿だが、二階に用はない。
  「いらっしゃい」
  ノルドの店主が無愛想に言った。
  空いてる。
  時間的にまだ客が入る時刻ではないようだ。客は10にも満たない。全部冒険者だろう。
  ギシ、ギシ。
  床が軋んだ。ああ、そうか、透明化してたから忘れてたぜ。オーガが従ってたっけな。重みで床が軋むのか。
  一瞬、精霊の言い分が正しかったと後悔する。
  オーガは全て街の外に留めておくべきだったと、後悔する。
  ……。
  い、いやっ!
  選ばれた者の俺の選択は、全て正しい。そうさ、どの道オーガは透明化していて見えないんだ。
  何の問題がある?
  ギシ、ギシ。
  床が軋む。
  怪訝そうな顔をして、こちらを見る客。餓鬼だ。
  その餓鬼のいるテーブルには、一風変わった銀色のアルゴニアンに顔に妙な器具をつけてる優男。
  視線を黙殺し、俺はカウンターに座る。
  「ようベッツ。調子はどうだい? 鉱山の仕事はうまく行ってるのかい? そもそもこんな時間から酒飲んでていいのかい?」
  「エール酒」
  「……相変わらずだな。無愛想な奴だよ、お前は」
  白熊、という異名を持つノルドは苦笑しながら酒を出した。
  鉱夫として働き、この街に住んでる俺の事をこの親父は知ってる。しかしそれは既に過去形だ。
  俺は既に選ばれた人間なんだからな。
  くくく。
  「白熊さん、料理まだですか? フォルトナさんが農民一揆を扇動しそうなまでに、腹ペコで荒れてますよ」
  「シャルルさん何言ってるんですかっ! ……まだ、あと10分は我慢出来ます」
  「若造、マスターに謝れっ!」
  騒がしい連中だ。
  ノルドの店主は、冒険者のテーブルに行く。
  ……都合良い。
  ゴクゴク。
  酒を飲みながら、俺は次の願いを頭の中で纏め、そして口にする。
  「二つ目の願いだ」
  「はい」
  ……考えてみたら手鏡の声って、俺以外に聞こえているのか?
  「はい。聞えています」
  「そ、そうか」
  心読むんじゃない。
  まあ、いい。気を取り直す。
  「次の願いは、今後の人生俺が指を鳴らしたら宝石が手のひらに生じる。……どうだ?」
  「期限は?」
  「俺が生きている限りだ」
  「宝石の種類は?」
  「ダイヤモンドだ。それも大粒のな」
  「……欲張りね」
  「悪いか」
  「いいえ」
  ダイヤモンド。
  宝石の王様だ。今後一生、俺の人生はダイヤに彩られるんだっ!
  手鏡は、しばらく沈黙。
  「おい、どうした、願いを叶えたのか?」
  指を鳴らしてみる。
  しかしダイヤは、手のひらに生まれない。具現化する気配すら感じられない。
  まだ叶えられてないのか?
  「おいっ! 叶えろよ、ご主人様の命令だぞっ!」
  「ここで叶えてもいいの?」
  「……?」
  「願いを叶える時、私は光る。いきなり室内に光が満ちたら他の人達が驚く……」
  「知った事かっ! 選ばれた者のする事は全て正しいんだっ!」
  「では願いを叶えて……」
  「待てっ!」
  「……?」
  「指がなくなった場合も考慮して、心で思い浮かべたら具現化する事にする。それでいいぞ、叶えろ。俺って頭いいぜぇーっ!」
  「……了解しました」
  カッ。
  手鏡が光る。
  これで今後の人生、金で苦労する事もない。それに金さえあれば何でもできる。
  この街の領主であるベルウィック卿も、元を正せばただの冒険者。ただ冒険で得た財産の一部を帝国元老院に献上したのが
  きっかけで爵位を得た。子爵となり、この街の領主になった。
  金さえあればっ!
  「あっ!」
  餓鬼が叫んだ。
  一斉に餓鬼を見る酒場の客達。何が注意を引いた?
  「どうしました、フォルトナさん」
  「今、そこにオーガっぽい影が。もしかしたらオーガとは違うかもしれませんけど、巨大なモンスターの影が」
  「確かですか、マスター」
  「うん」
  ざわり。
  餓鬼の発言でその他大勢の冒険者度もが騒ぎ出し、虚空を見つめる。そこにオーガが、いる。
  な、何で気付いた?
  「光」
  手鏡が喋る。
  「何? 光が、どうしたって?」
  「今、願いを叶える際に光った。おそらくオーガを光が照らし、巨大な影が床や壁に映った。それを他の人達は見た」
  「な、何? 消えてるんじゃないのか?」
  「消えてるけど、いなくなったわけじゃない。強烈な光で、影は浮かび上がる」
  「な、何?」
  「だから警告したじゃないですか。オーガを引き連れるな、願いを叶える時光る、と」
  「う、うるさいっ! お前の説明の仕方が悪いんだっ!」
  「すいませんでした」
  視線が集中してる。
  確実にオーガが店内にいる事に気付いている。そして手鏡の手落ちで俺が騒いだのがまずかった。
  ……。
  いや、手鏡の手落ちだ。
  俺が騒いだ云々より精霊の方が悪いんだ。
  ともかく、騒いだのが目を引いたのだろう。オーガは俺の所有物である事が冒険者どもは気付いてる。
  だがあんな一瞬でオーガの位置に気付くか?
  普通は光で眼を覆うだけだろうが。何なんだ、あの餓鬼は。
  ど、どうする?
  ……ここで全員殺すべきか、それとも……。
  
ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!
  雄叫びを上げるオーガ。
  ……えっ?
  「貴方の心を先読みすると言ったはずです」
  動揺する俺とは対照的に、鏡の声は冷静そのものだった。
  ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!
  1人の冒険者が突然吹っ飛んだ。そのまま俺のすぐ近くのカウンター席に直撃。動かない。ボズマーの冒険者だ。
  一斉に武器を抜き放つ冒険者達。
  透明化したオーガが、その透明化現象を利用して暴れているのだ。オーガにしては頭がいい。
  ステルスを生かした動き。
  心の中で呟く。
  やめろ。
  やめろ。
  やめろ。
  
ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!
  しかしオーガは止まらない。
  何故?
  「貴方が本心で願ってないから」
  「えっ?」
  「貴方は知ってる。これだけの騒ぎ起こしたら、無罪じゃないと。そう、影で葬るののとは訳が違うと認識してる。だからここで全員
  殺して目撃者を防ごうと思ってる。店にいる者全て消したら、目撃者を全て消せば言い逃れ出来ると」
  「う、嘘だっ! そんな、怖い事……」
  「同僚3人をオーガの餌にした貴方の言葉とは思えない」
  「うるせぇっ!」
  喧騒は加速していく。
  ステルスを生かすだけの知能があるオーガに対して、見えない敵を相手にする冒険者達は苦戦していた。
  何人か魔法を使える奴もいるものの、冒険者仲間に当たる事を危惧しているので広範囲攻撃は出来ないらしい。
  ふと、外にいる連中がこの喧騒に気付かない事が不思議に思えた。
  ……まさか……。
  「サービスです」
  「お、お前かぁっ!」
  「何を怒るのです? ここに至れば、ここにいる連中は全て処刑でしょう? 外には声が届いていませんよ。争う姿もね。しかし隔離
  はサービスでは出来ません。新たに客が来る可能性もある。エンドレスの殺戮。さあ、次の願いは?」
  「……ぐっ!」
  言葉に詰まる。
  ここで願えば、騒ぎは収まるが……おそらく、俺は犯罪者だ。
  精霊との会話は聞かれてる。
  これが普通の街なら言い逃れ出来るだろうが、ここは冒険者の街。
  治世者であるベルウィック卿自身が冒険者であり、冒険王と称された人物。ベルウィック卿も、街にいる冒険者も世の中の不思議
  をたくさん見てきたはず。
  全てを偶然と判断はしないはずだ。
  そして鏡との会話が聞かれているのであれば、俺が犯人と断定されてもおかしくない。
  無罪だとしても、だ。
  精神的に問題があるとか判断されてどっかに収容されるのはごめんだっ!
  俺はベッツっ!
  いずれは全てを支配する、選ばれた者なんだっ!
  人が何人死のうが、俺の人生を護る為なら仕方ないだろうが。冒険者どもには尊い犠牲になってもらうっ!
  「どうしますか? 最後の願いを、オーガの鎮圧に使用しますか?」
  「いやっ!」
  「では、どうなさいますか?」
  「街の外にいるオーガも、街に突っ込ませろっ! もちろん透明化したままでなっ! この酒場に突入させて、全員殺しちまえっ!」
  「この店に? それはやめた方が……」
  「つべこべ言うなっ!」
  「了解しました。では最後の願いを叶え……」
  「違うっ!」
  「……?」
  「オーガの使役は、最初の願いの範疇だろうが。サービスで何とかしろよっ! 最後の願いとは、別物だっ!」
  「了解しました」
  カッ。
  手鏡が光る。
  これでオーが軍団が酒場の連中を皆殺しにするだろう。
  なぁに、冒険者といえどもただの雑魚。
  今まではもっと凄い連中かと思ってたが姿が見えないだけの理由でオーガに圧倒されるんだからな。軍団さえ来れば問題……。
  「はぁっ!」
  餓鬼の鋭い気合が響く。
  何だ、まだ生きてたのか、いの一番に死ぬタイプに見えたけどな、あのフォルトナとか呼ばれてた餓鬼。
  ドォォォォォォォォォォォォォンっ!
  地響きを立てて、何かが倒れた。
  「光」
  「何?」
  「ですから、光。また、私は光りましたよね? オーガの影が浮かび上がった。その一瞬で、あの少女はオーガを屠った」
  「な、なにぃっ!」
  一体どうやってっ!
  「古代の業を使うようですね、彼女」
  「そんな冷静な判断はどうでもいいんだよっ! オーガ軍団はいつ来るっ! ……あっ……」
  冒険者達の視線が集中する。
  自らも武器を手にしていた、元冒険者で現在はこの店の店主である白熊が詰るように俺に吐き捨てた。
  「ベッツ、お前の仕業かっ!」
  「ひっ! ち、違う、俺は、俺は……っ!」
  
ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!
  その時、オーガ軍団が咆哮をあげた。
  「よし来たぁーっ! はははーっ! 白熊、生意気言ったな、お前? 死刑決定だぜ、やっちまえオーガ軍団っ!」
  「ベッツ、貴様ぁーっ!」
  皆殺しタイムの始まりだぜっ!
  そして、開始から数分で呆気なく沈黙していく。
  特にあの餓鬼、そして同じテーブルにいた変な器具を顔に付けた男と変なアルゴニアンは強かった。
  俺の軍団が消されていく?
  ドォォォォォォォォォォォンっ!
  地響きを立てて、オーガ達は倒れていく。
  「な、何故っ!」
  「だからやめた方がいいと警告したじゃないですか。オーガは巨体、いくら広い店とはいえ限度がありますよ」
  「……」
  「要は扉からは侵入してくるのを防げばいいんです。オーガの巨体では必ず一体ずつしか入れないんですから、オーガは常に
  冒険者達のフルボッコ状態。一体ずつ性格に倒していけば、常に優位に立てる。それだけの理屈です」
  「冷静に解説してるんじゃねぇよっ! お前の所為だぞっ!」
  「私の?」
  「そ、そうさっ! お前が変な願いしか叶えないからっ!」
  「……」
  「おい、何とか言えよっ!」
  「それより逃げた方がよろしいのでは? どうせ最後の願いは、別に使うんでしょう? なら自分の足でお逃げなさいな」
  軍団は呆気なく壊滅した。
  冒険者の1人が外に出て行った。おそらく、触れ回っているのだろう。
  オーガを街に引き込んだ俺の事を。
  ……ま、まずい。
  「お前ら、いつか見てろよっ! 俺は凄い人間なんだ、いつか必ず跪かせてやるからなっ!」
  絶叫しながら俺は逃げた。
  白熊が叫ぶ。
  他の冒険者達も追ってくる。
  ちくしょうっ!
  俺は何もしてない、そうさ、俺は悪くない。全部鏡が勝手にやっただけだ。俺の所為じゃないっ!



  どこをどう逃げたのか、よく覚えていない。
  気付けば密林の中だ。
  「……いてぇ……」
  右腕は、ほとんど動かない。
  あの餓鬼がどんな業を使ってるかは知らんが、右腕は切り裂かれほとんど死んでる状態だ。まるで動かない。
  何でこんな事に?
  何で?
  「自業自得です」
  「違うっ!」
  「貴方は自分だけが優れていると思った。だから他の者の感情や存在を無視してきた。それは否定しませんが、突飛過ぎた。
  私は願いを叶えているだけに過ぎません。貴方の欲望を忠実に」
  「ちくしょうっ!」
  賞金は掛けられたのか?
  いずれにしても街には戻れない。あの街は、法に厳しい。
  婦女暴行を犯した貴族2人は帝都の地下監獄に送られたって話だからな。普通なら、罪に問われないはずの貴族がだ。
  捕まったら最後だ。
  逃げなきゃ。
  「お、おい、今日の事をなかった事には……」
  「無理です。私の願いを叶える力は、あくまで貴方1人にしか効力を発揮しません。つまり、他者の感情や既に起こっている事象
  を覆すほどの力はないのです。つまり、平和的に解決はもう無理にという事です」
  「……くそ」
  「それより傷が痛そうですね。治しますか、最後の願いで」
  「サ、サービスで何とかしろよっ!」
  「無理です。しかし放って置くと貴方は三時間で死にます。もちろん、治したところでいずれ逮捕されるだけでしょうが」
  「……」
  それが問題だ。
  今日の出来事をなかった事に出来ない以上、傷を治すのでは意味がない。
  死にたくはないけど、逮捕されるのも嫌だ。監獄で腐りたくはないっ!
  願いを有効に使わなければ。
  そう、傷を治しつつも、もっと効率的な願いを。
  これが最後の願い。
  叶えたら最後、手鏡の恩恵はもう得られない。後悔のない、効率のいい、今後の人生すらも左右する願いを。
  何がある?
  何が……。
  「フォルトナさん、こっちを探してみましょう。不自然な魔力の歪みを感じます」
  「あたしは何も感じませんけど」
  「それは不感症だからです。僕は敏感ですよ? ははは♪」
  「はぅぅぅぅぅぅぅっ!」
  「マスター、いちいち反応して甘やかしてはなりませぬ。若造はただ構って欲しいだけなのですから」
  ひぃっ!
  密林を掻き分け、誰かが向ってくる。
  声から察するに餓鬼どもだ。
  もう時間がない。
  何か願いを。
  何か……。
  何か……。
  「そ、そうだっ! 俺を無敵にしろっ! 無敵の力をっ!」
  「無敵、と定義されましても……断っておきますが、私の力量の範囲内での無敵という意味でしたら叶えてあげれますが」
  「何でもいいから無敵の力をよこせっ! 早くっ!」
  「了解しました。では、最後の願いを叶え……」
  「待てぇーっ!」
  「まだ、何か?」
  「姿は形はこのままでだからな。化け物は嫌だからな、人間のままで、強くしろっ!」
  「仰せのままにご主人様」
  カッ。
  手鏡は光る。
  そう、これが一番最適な願いだ。強ければ脱獄も出来るし、何でも出来る。そうさ、これが一番の願いだ。
  冒険者も圧倒出来るっ!
  ……いやいやぁ。帝都軍もだな。そしていつか俺が皇帝になるんだっ!
  光を見て、冒険者達が走ってくる。
  ビンゴぉーっ!
  あの餓鬼と、その取り巻き2人だ。推測したとおりだぜ。
  「貴方、どうしてこんな事をするんですっ!」
  「うるせぇ餓鬼っ!」
  「餓鬼って……ともかく、あたし達は冒険者チーム《フラガリア》。抵抗しないなら危害は加えません。罪を償ってください」
  「オーガ連れ込んだのがそんなに罪か? 今からお前らを嬲り殺すのに比べたら微罪だろうがっ!」
  「マスター、我輩にお任せを。小僧の無礼、我輩が裁いてあげましょうぞ」
  トカゲ野郎がメイスを構える。
  ……へっ、馬鹿が。
  最後の願いを叶えた俺には、力が湧き上がってるんだぜ?
  無限の、無敵の力がなぁっ!
  「マスターに無礼を詫びるがいい。はぁっ!」
  「……トカゲ野郎、この程度かい?
  「なっ!」
  「はっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
  高笑いは止まらない。
  トカゲ野郎の渾身であろう一撃を片手で止めた。
  すげぇっ!
  力が溢れてくるっ!
  俺は最強だ、最強の存在だ。こいつらが最近有名なフラガリアか。……こいつらが有名?
  「はっはははははははははははははははははははははははははははははははははっ! 俺の方が全然強いぜぇっ!」
  「……っ!」
  ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!
  トカゲ野郎をそのまま大木に投げ飛ばす。
  盛大な音を立てて大木は砕け、その場に倒れた。トカゲ野郎はしぶとく生きてはいるものの、すぐに動けない。
  勝てる、勝てるぞっ!
  その時、餓鬼が鋭い気合を発する。
  「はぁっ!」
  「……っ!」
  全身に痛みが走った。
  さっき俺の腕を落とした、見えない攻撃だ。
  「……くふふふふ、効かん効かん効かんーっ!」
  「えっ!」
  驚愕の表情の餓鬼。
  痛みこそ走ったものの、全身を無数に切り裂かれはしたものの薄皮一枚。肉体は確実に強化されている。
  すぅぅぅぅぅっ。
  その傷も、すぐに消えた。
  すげぇっ!
  鏡の女に願った、最後の願いはまさに究極。
  「はっははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
  最初からこの願いをするべきだったか。
  俺は無敵。
  俺は最強。
  俺は絶対。
  まさに至高の存在。
  どんな攻撃もさほど効果を発しない。傷付けられても瞬時に回復する。
  さらに……。
  「餓鬼っ!」
  手を突き出す。
  ドン。
  「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  見えない衝撃波が忌々しい餓鬼を吹き飛ばした。
  絶叫とともに大地に叩きつけられる。
  勝てるっ!
  「アーケイよ、力を。聖雷っ!」
  バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
  電撃を放つ顔に妙な器具を付けてる男。
  ……この程度かい?
  「俺に勝てるかよ、世界最強のこの俺にそんな攻撃が通じるか。お前も俺の力の偉大さを知れよ」
  手を突き出す。衝撃波。
  ドン。
  「アーケイよ、盾を。……神なる息吹っ!」
  「なにっ!」
  耐えた?
  何をしたんだ、今?
  「物理障壁ね、あれは」
  鏡が呟く。
  ……舐めやがって。舐めやがって舐めやがって舐めやがって舐めやがって舐めやがって舐めやがって舐めやがってっ!
  「俺の攻撃を止めるなんて舐めやがってぇーっ!」
  タッ。
  地を蹴り、奴に迫る。
  「シャルルさんっ!」
  「世話の焼ける奴だな、若造っ!」
  餓鬼の見えない攻撃が俺の全身を切り裂く。
  俺の背中にトカゲ野郎が口から放った火の玉が直撃。
  しかしこんな攻撃程度で俺が止められるかっ!
  「てめぇらもすぐに殺してやるから首を洗って待ってやがれぇっ!」
  俺の速度は落ちない。
  シャルルとか呼ばれた野郎は完全に死神を待つ身だぜ。
  「聖雷っ!」
  バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィっ!
  「効かねぇーっ!」
  「……っ!」
  ガッ。
  奴の首を絞める。そのまま大木に叩きつけた。背後には大木、逃げ場はない。
  「このまま首絞められたいか? それとも、この状況で衝撃波を浴びたいか? なあ、どっちがいい?」
  「……」
  「おいおい絞められ過ぎて喋れないってか? 命乞いぐらいしたらどうだよ?」
  「……」
  その間にも餓鬼とトカゲ野郎の攻撃が俺の背中を襲っているものの、無視しても問題ない。
  無視しても?
  ……。
  はっははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!
  戦闘なんて初めての俺が、プロの冒険者を無視出来るだけの能力を保持している。
  努力なんて無意味だ。
  そう、俺は努力なんて必要ない天才の高みにいるんだ。
  無敵無敵無敵ぃーっ!
  「よお、シャルルだっけ? なあお前自分が死なないとか思ってないか? 頭良さそうだよな、お前。だから理解しろよ」
  「……」
  「今から首千切られて死ぬんだよ、お前」
  「……」
  「じゃあな」
  ぐぐぐぐぐぐぐっ。
  力を込める。
  首を絞められ、次第に酸素の供給が出来なくなっていく男は苦しげに喘いだ。半ば諦めたのか、目を瞑っている。
  なかなか楽しいな、こういう殺し方って。
  衝撃波で殺るより楽しめる。
  ぐぐぐぐぐぐぐっ。
  力を込める。
  「おーい、苦しいかー? まだ生きてるかー? ははは、生きてるなら眼を開けろよー?」
  「……」
  男は、ゆっくりと眼を開いた。
  そして見る。
  俺の顔を。俺の……俺の……俺の……。
  「ひ、ひぃっ!」
  「……」
  静かな戦慄が体を走る。
  冷たい目。
  冷酷で、冷徹な目。
  それは死を確定された者の瞳じゃない。
  視線だけで血すら凍りつかせる雰囲気を持った男の冷血な目に俺は萎縮し、恐怖し、手を離して数歩後ろに下がった。
  「げっほげほっ!」
  解放され、咳き込む男。
  な、なんだったんだ、あいつの目は。
  「く、くそぅっ!」
  恐怖した事を恥じ、己を奮い立たせる。殺してやる、殺してやるぅっ!
  「動かないでください」
  「な、なに?」
  静かに宣言する餓鬼。
  首の骨をポキポキと鳴らしながらトカゲ野郎も構えている。
  「今更なんだ? てめぇらは俺に勝てないんだっ!」
  「はい、勝てません」
  馬鹿正直に、餓鬼は頷いた。
  「勝てない。でも、殺せます。……抵抗するなら、あたし達は殺すつもりで戦います」
  「……い、今まで手加減してたとでも言うつもりかっ!」
  「手加減はしてません。勝つ為と殺す為では、戦い方が違うと言いたいだけです」
  「ほざくじゃねぇかっ! 俺を怒らせたなっ! 餓鬼、お前は泣いて命乞いする事になるぜぇーっ!」
  タッ。
  力強く大地を走り、餓鬼に肉薄する。
  瞬間、機敏な動きで俺の視界から消えた。
  「な、なにぃっ!」
  「マスターを舐めん事だな。マスターはフラガリアの主戦力。お前風情が相手出来るものではないわ。降伏しろ、小僧」
  「舐めやがってぇーっ!」
  視界から消えた餓鬼なぞ知った事かっ!
  悠々と立っているトカゲ野郎に拳を振り上げ……。
  「うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  密林に響いたのは、俺の声だった。
  「いてぇっ! いてぇよーっ!」
  「あたしの糸は切り裂くだけじゃありません。貫けるんです」
  何かが全身を貫通している。
  それも無数にっ!
  ごふっ。
  口から血が吹き出す。
  肉体を切り裂くと、貫通するでは意味が違う。貫通した何かは内臓を傷つけ、確実に俺の命を縮めている。
  瞬時に回復しているものの、今だ貫通している以上、完治ではない。
  餓鬼が能力の行使をやめない限り、俺の苦痛は続く。
  「あたし達はあなたを殺す術なら持っています」
  「まっ、そういう事ですね。殺さなきゃいけないのであれば、そのつもりで排除するだけですよ。……僕達を舐めない事です」
  「小僧、気兼ねなく抵抗しろ。そうすれば合法的に始末出来るからな」
  な、なんなんだよこいつらっ!
  無敵の俺に勝てるだと?
  「おい、おかしいじゃないか、約束と違うぞっ! 俺は無敵になったんじゃないのかよっ!」
  「……フォルトナさん、糸を消してください。奴はどうやらただの駒のようですね」
  痛みが消える。
  糸、とは何の事かは知らんが餓鬼が能力の行使をやめたのだろう。
  俺は手鏡を取り出し、罵る。
  「どういう事なんだ、ペテン師めっ!」
  「最初に言ったはずです。私のレベルの範囲内での、願いであると。向こうが私の力よりも強かった。それだけの事」
  「あ、あいつらを何とかしろっ!」
  「願いは全て叶えました」
  「違うっ! 無敵になってないっ! だから、反故にしたんだお前は最後の願いをっ! つ、つまり無敵にしろと言った願いは取り
  消された事になり、お前は新たに願いを叶えなくちゃならんだろうがっ!」
  「……ほほほ。面白い理屈」
  「な、なにっ!」
  一瞬、割ってやろうかと思うもののそれでは意味がない。
  この場を切り抜けるには鏡の力が必要だ。
  「ああ、なるほど。悪魔に魅入られてたんですか」
  シャルルとかいう男が納得したように呟く。
  悪魔?
  「な、何の事だ?」
  「おやご存じない? それは悪魔ですよ。誰かが鏡に封じたんですね。しかし貴方が魅入られ、悪魔に欲望を食わした。気付きま
  せんか、願いを叶えて貰うたびに悪魔が欲望を吸収して魔力を増し、そこから出ようとしている事に。そしてお前を食う」
  「……えっ?」
  「ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほっ!」
  手鏡が笑う。
  しゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ。
  黒煙が迸り、俺は思わず捨てた。しかし変化は終わらない。
  手鏡から黒いモノが無数に出てくる。
  それは8本あった。
  それは巨大で、とても鏡から出てきたものとは思えない。
  「な、なんだぁ?」
  俺は怯え、後退りした。
  こんなのが手鏡の中に入ってたのか?
  「ひぃ」
  小さな叫びは、掻き消される。
  ガッ。
  8本の足は、大地をしっかりと踏みしめ、それを支えにさらに手鏡の中から巨大な何かが這い出てくる。
  冒険者の3人は身動ぎせずに、構えている。
  その中の1人、顔に何かの器具を付けている男が呟いた。
  「なるほど、スパイダー・デイドラですね」
  「デ、デイドラっ!」
  わずかな囁きを聞き取った俺は、取り乱して叫んだ。
  デイドラ。
  それは、オブリビオンに住む悪魔達の総称だ。
  手鏡の中にいたのが、今まで俺の願いを叶えていたのが……悪魔だったなんて……。
  「お、おい、お前ら何とかしろよ冒険者だろっ!」
  「何とかって、何がだぇ?」
  「ひぃっ!」
  完全に、手鏡の中から這い出してきた女はからかうように囁いた。
  悪意の囁き。
  上半身は女性、下半身は蜘蛛。
  異質で異形な異界の怪物、悪魔。女性の顔立ちが意外に美しいがゆえに、その異質な外見がかえって不気味だった。
  顔に器具を付けた男が物怖じせずに悪魔に詰問する。
  「それで、どうするつもりですか?」
  「どうする、とは?」
  「いつどこで誰にかは知りませんけど手鏡に封じられていたのでしょう?」
  「100年ほどになるねぇ」
  「その男の欲望を食らって手鏡の中から抜け出した。封印を破った。……それで? 選択は二つですかね。僕達を殺すか、オブ
  リビオンに帰るのか。それで一体どちらを選択するのですか?」
  「ほほほ。……お主はどちらに付く?」
  「お、俺?」
  視線が集中する。
  「俺は、関係ないだろ?」
  「貴様関係ないという事はないだろうが。お前が全ての責任だぞ。だからマスターがここまで出張る破目に……」
  ブツブツと非難するトカゲ野郎。
  俺の所為?
  ……違うっ!
  「俺は被害者だっ! そ、そうさ、俺は何も関係ないし悪くないっ! 勝手にその悪魔が関わって来ただけだっ!」
  視線は集中する。
  しかし、幾分かその視線に非難が込められている事に気付いた。
  俺は悪くない。
  俺は悪くない。
  俺は悪くない。
  「ほう、お前は悪くないとな?」
  「ああ、当たり前さっ! 全部お前の姦計だろうがっ!」
  「気付かなんだか?」
  「な、何が?」
  「重要な場面ではお前に全ての選択権を与えた。3人をオーガに食わせたのは、お前の指示じゃろうが。私は選択を与えた
  に過ぎんよ。決めたのはお前、仕向けたのもお前、私は下地を与えたに過ぎん」
  「俺は悪くないっ!」
  「ほほほ」
  悪魔は楽しそうに笑った。
  「まあ、よいわ。久方振りの血肉を味わおうとするか。……お前らのなぁっ!」
  蜘蛛女は機敏に動く。
  カサカサカサカサカサカサカサカサっ!
  8本の足を器用に使い、3人の冒険者に迫る。気付いた時には間合、その動きは目を見張るものがあった。
  ……。
  あの3人が殺されたら、次は俺か?
  嫌だっ!
  そんなの嫌だっ!
  「お前ら何とかしろよっ! 人の役に立たなくちゃならんのが、冒険者だろうがっ!」
  「ほほほっ!」
  蜘蛛女、体が肥大化する。
  ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!
  巨体から繰り出す攻撃は、大地を抉り、土煙が上がる。
  冒険者は飛び退き、回避。
  「貴方やめなさいっ! 貴方の欲望が、こいつを強くするっ! 既に貴方と悪魔は繋がっているんですっ!」
  「お、俺?」
  シャルルとかいう男が叫ぶ。
  俺の所為?
  俺の……?
  「ち、違うっ! お前らがトロイから、悪魔に後れを取ってるんだろうがっ! 人の所為にするなよっ!」
  「……勝手な事を」
  後退り。そして俺は距離を取る。
  こんな茶番劇に付き合えるかよっ!
  俺は関係ないんだからなっ!
  俺は善良な人間だ、悪魔なんて知らなかった、それだけだ。悪魔と知った以上、この事態に付き合えるか。
  後は勝手にやってろよ、冒険者と悪魔で勝手にやってくれっ!
  「ほほほ。人とはかくも愚かとは。ほほほ、お前らの血肉を食らい、魔力を増強し、いずれは他の悪魔どもを圧倒してやろうぞっ!」
  高らかに勝利宣言。
  はぁ。シャルルとかいう奴は溜息。
  「どうします、フォルトナさん。……こいつ殺せば、魂がリンクしてる彼もタダではすまないですけど……どうします?」
  お、俺もタダではすまない?
  えっ?
  「仕方ありません。悪魔は、放置できない」
  ちょっ、ちょっと待てよっ!
  「決まりですな」
  お、おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいっ!
  俺は関係ないだろうっ!
  俺は……っ!
  「シャルルさん、チャッピー、行くよっ!」
  「了解です」
  「御意」



  悪魔は果てた。消え去った。
  あっさりと。

  冒険者達は強かった。敵に反撃の機会を与えなかった。
  並外れた力量。
  それに関しては、悪魔自身驚いていた。

  しかし悪魔は笑った、蜘蛛女は死ぬ瞬間に俺を見て笑ったんだ。
  そしてこう嘲笑う。
  「……願いを叶えた代償に、お前の人生の全てを頂くぞ……ほほほ、お前も道連れじゃ……」
  「嫌だ、嫌だぁーっ!」
  そして……。










  「結局、何だったんだろうなぁ」
  冒険者の街フロンティア。
  あたし達フラガリアが宿泊している宿《優しき聖女》の、あたしが借りている一室。
  シャルルさん、チャッピーと共に夕食を食べながら誰にでもなく呟いた。
  今日、ベッツという人と戦った。
  その人はオブリビオンの悪魔に騙された、というか唆された人だった。
  そしてあの結末。
  少し、後味が悪かった。
  「どうしました、フォルトナさん?」
  「あの、シャルルさん。あの人は結局、何だったんです? よく理解できないんですけど……」
  「今日のあの馬鹿の事ですか? あれはただの馬鹿ですよ」
  「馬鹿、ですか?」
  チキンソテーを頬張りながら、あたしは聞き返した。
  ……。
  ちなみに、後味が悪い結末だったけど、それは食欲とは別。
  食欲はいつも通り。
  んー、おいしー♪
  アーサン・ロシュさんの料理って、飾らない感じの料理が多いけど家庭的でおいしい♪
  カチャカチャ。
  シャルルさんは付け合せのニンジンをナイフとフォークを使って、神経質そうに取り除いている。ニンジンが嫌いらしい。
  「ニンジン食べなきゃ駄目ですよ」
  「大丈夫。僕はもう育ち盛り終わってますから」
  「はあ、そうですか」
  「それで……ああ、そうそう、今日の顛末を聞きたいんですよね。もちろん推測ですけど、聞きたいですか?」
  「はい」
  シャルルさんは冒険者チーム《フラガリア》の頼れる参謀だ。
  ……より純粋に金庫番?
  「あの男はスパイダー・デイドラに願いを叶えて貰った。願いを叶える云々は、別に問題ではない」
  「そう、なんですか?」
  シャルルさんの話は相変わらず難しい。
  チャッピーは、そもそもシャルルさんの話に絡むつもりがないらしく黙々と食事をし、ビールを喉に流し込む。
  豪快な食べっぷりだ。
  「願いを叶えるのが重要ではないのです。要は、欲望を満たそうとする行為が堕落に繋がる」
  「……?」
  「欲望を満たせば、次の欲望が生まれる。特に今回のように何の努力もなく欲望という名の願いを次々と叶えられたから欲望に
  際限がなくなった。何でも叶う、努力もなく何でも叶う。それが彼を堕落させ、その欲望をスパイダー・デイドラが食った」
  「そして鏡から出てきた、ですか?」
  「正解です。お利口さんですねぇ」
  「もう、からかってるでしょ」
  「ははは」
  ナプキンで口元を拭いながらシャルルさんは笑った。
  欲望を満たそうとする行為が堕落に繋がる、か。
  ……分かる気がする。
  ベッツさんは、何の努力もなしに願いを叶え続けた。その結果、傲慢になり尊大になった。妙な自信が付いた。
  しかしその自信はメッキ。
  あたし達に追い込まれ、簡単に剥げた。
  自信を取り戻す為に願った。強力な力を。力を得て欲望を満たし、さらにあたし達を倒したいという欲望が生まれた。
  際限ない欲望。
  しかも利己的な願い。
  鏡の中の悪魔はそれを巧みに操作し、煽り、欲望を食らい魔力を増強し、封印を破って鏡の中から這い出してきた。
  ……怖い話。
  「スパイダー……えっと」
  「スパイダー・デイドラ」
  「そう、それ。それって、あんなに強いんですか? 願いを叶えたり、かなり万能な力があるみたいですけど」
  「あれは異例ですね。特殊です。本来はそんなに強くないですよ。悪魔の中でも中級ぐらいでしょうか。それにオブリビオンの軍勢
  の中核であるドレモラでもありませんし。あれは一応、魔獣の類ですね」
  「ドレモラ? えっと、デイドラとは違うんですか?」
  「デイドラは悪魔全ての総称。ドレモラは魔人を指します。オブリビオンの軍勢の中核です」
  「はあ、そうなんですか」
  「……意味分かってないでしょう?」
  「は、はい、実は」
  「詳しく説明します? 魔人にも色々階級があったりしますけど」
  「い、いえ、遠慮しておきます」
  難しい話。
  聞けばきっと混乱するのは必至。
  もちろん理解できれば面白いんだろうけど……今のあたしの勉学のスキルじゃ楽しむのは程遠い。
  勉強って奥が深くて、先が長いなぁ。
  「おやフォルトナさんエビフライ食べないんですかでは僕がいただきます」
  「あーっ!」
  「もぐもぐ。んー、美味ですねぇー♪」
  「ひ、酷い一番最後に残しておいたのにーっ!」
  「若造貴様ぁっ!」
  「トカゲさんが自分のをあげればいいじゃないですか」
  「うっ! ……マスター、明日はきっと良い事ありますよ」
  あっ。くれないんだ。
  そこまで忠義は尽くさないんだ。ドラゴニアンの忠義の定義も、結構曖昧だなぁ。
  はぅぅぅぅぅぅぅっ。
  「そんなに瞳潤ませないでくださいよ。……じゃあ、デザートあげますよ。それでいいでしょう?」
  「ほんとですかっ!」
  「……相変わらず食い意地張ってますねぇ」
  「人のエビフライ食べたシャルルさんには言われたくありませんっ!」
  穏やかに夜は過ぎていく。












  フロンティアにある、診療所。
  看護婦達の会話。
  「今日新しく入院して来たあの80ぐらいのおじいさん……えっと、何て名前だっけ?」
  「ベッツって人の事?」
  「そうそう。あの人ボケてるのよねー。自分の事、まだ20歳だってさ。笑っちゃう」
  「聞いた聞いたあたしも聞いた。何かの間違いだ自分はまだ20歳なんだって、呟いてるのよね。可哀想に、ボケてるんだ」
  「さて休憩お終い。お仕事お仕事」
  「ふぅ。あのおじいさん、呟きだしたらしつこいんだよなぁ。あーあ、憂鬱」