天使で悪魔





神はいない




  神様。
  人は誰しもが、神様の存在を一度は信じる。
  しかしその神様は現実の神様とは違う。
  そう。その神様は人が誰しもが思い描く、万能の神様。優しくて、優れていて、全ての人々を救う。
  でも現実は……?

  信じる者は救われる。
  そんな言葉がある。
  でも、それは裏を返せば信じない者には一切の救いがないという事だ。
  自らを信奉する者以外を斬り捨てる。
  それが正しい神様の姿?
  それが……。

  九大神。
  オブリビオン16体の魔王。
  闇の神シシス。
  世界には様々な神様がいる。しかしその中には、万人が望む理想の神様像は1人たりともいない。
  神はこの世界にいるのだろうか?





  「んー。疲れた。皆、お疲れ様」
  「いやぁ今日も稼ぎましたねー」
  「お疲れ様でございます、マスター」

  黄金帝の遺産探しをするローヴァー家族の補給物資を届け、フロンティアに帰還。
  これで今日の仕事は終わりだ。
  ……。
  ローヴァー家族。
  レッドガードの親子で、父親、長男、次男、長女の4名。
  密林の中にアイレイド時代にこの辺りに君臨した黄金帝の遺産を探し続けている。
  補給物資の運搬は、あたし達フラガリアの基本収入。
  週に3日、運んでいる。
  運ぶのは主に食料、水はもちろんだけど……それ以上にツルハシとか、掘削用の道具が多い。この辺の地盤は堅いらしく、
  ツルハシがどんどん使い物にならないものになるらしい。
  さて。
  「それで今日はどうするんです?」
  「そうですねぇ。お昼御飯にはまだ早いですけどねぇ。……次の依頼、探してきましょうか?」
  「は、ははは」
  「生きるにはお金が掛かるんです」
  自信満々に言うシャルルさん。
  この街に来て、冒険者チーム《フラガリア》としての名は上がり、収入は増えた。
  名声を得ると冒険者ギルド側が報酬に色をつけてくれるからだ。
  結構、稼いでると思う。
  けれどもここ冒険者の街は、冒険者の落とすお金で成り立っている。
  大抵は冒険者に限り、割増料金。
  一回の冒険で、一般人の一か月分の給料以上を簡単に稼げてしまうので冒険者達はあまり気にしていないけど。
  「あの、シャルルさん。あたし達、結構稼ぎましたよね?」
  「すいません悪女に全てつぎ込みました。巨乳がいけないんですよ巨乳が。僕の理性を狂わせる」
  「……」
  「いやいや冗談ですよ。……そうですねぇ、三ヶ月は何もしなくても、ここで生きていけますよ」
  「なら別にそんなに仕事をしなくても……」
  「いえ、貯金は必要です。それに遠征にはどれだけ掛かるか分からないですしね」
  「あっ、なるほど」
  納得。
  黄金帝の秘宝探しに費やす、軍資金というわけだ。
  千里眼の水晶と呼ばれるサヴィラの石。どんな遠方でも映し出す、魔道アイテム。
  それさえあればフィフスを探す事も容易だ。
  あたしはそれが欲しい。シャルルさんは、黄金帝の秘宝コレクションの中の、別のモノが欲しいらしい。何かは知らないけど。
  秘宝探しをあたしは了承した。
  チャッピーも、納得……はしてないかもしれないけど、あたしがその話に乗ったから、それに従ってる。
  「おっと、危ないですね」
  ドン。
  走ってきた子供が、シャルルさんにぶつかる。
  白い、綺麗な洋服を着た女の子だ。ブレトンの、可愛らしい女の子。見た感じ、歳は二桁ではなさそう。
  8歳か、9歳ぐらいかな。
  「ごめんなさい」
  ぺこりと頭を下げる。
  冒険者の街、とはいえ当然一般の住人もいる。
  この街は密林の中にある。ど真ん中。
  他の街からの物資の補給はままならないし、密林を越えるというリスクがある以上、その値段は跳ね上がる。
  領主であるベルウィック卿はそれを考慮し住人に対して特権を与えている。自給率の向上の為に優遇政策を実行しているのだ。
  住人は、概ね(完全にではない)税が免除されている。
  なおこの街の住人は冒険者相手の商売か、農作業のどちらかの仕事に就くのが普通だ。
  さて。
  「あの、お兄ちゃん痛かった?」
  「大丈夫ですよ。でもね、僕の事はお義兄ちゃんと呼んでください。はあはあ♪」
  ……怖いです怖いですからー。
  冗談なのは分かるけど、シャルルさん悪趣味だよー。
  はぅぅぅぅぅぅっ。
  「若造、貴様まさかマスターも変な目で見てはないだろうな?」
  「僕はロリコンではないですからね。範囲外です」
  「ならば、よい。……マスター、ご安堵あれ。若造の毒牙に掛かる心配がございませぬぞ」
  ……そ、それはあたしがロリロリしているって事?
  はぅぅぅぅぅぅっ。
  何気にチャッピーの言葉が一番傷付くかもーっ!
  「くすくす♪ 面白ーい♪」
  あっ。受けてる。
  他の街では冒険者はいかがわしい、ヤクザな商売だと認識されてる節があるけどここは冒険者の街。
  珍しい存在ではないので、別に子供も恐れない。
  屈託のない笑顔を浮かべる女の子。
  ……。
  もう一つ、冒険者が恐れられない理由。
  大体この街の冒険者は冒険王と称され、現在はこの街の創設者であり領主であるベルウィック卿を尊敬している。
  ベルウィック卿は冒険者とはこうあるべきだー、という理想論を持っておりそれを法律にしている。
  高潔な冒険者、それが彼の持論だ。
  だから法律がなかなか厳しい。有言実行の人物として、ベルウィック卿は認識されているので誰も法を犯さない。だから住人達も
  冒険者は安全だと認識し、恐れない。それにこの街を潤す、一番お金を落とす、最大の顧客だし。
  「わたしね、わたしね、今新しい服を見せて回ってるのー」
  「そうなんだ」
  くるくると回って、白い服を自慢げに見せる少女。
  あっ、可愛いなぁ。
  「いいでしょ、ママに買ってもらった新しい服なんだよ?」
  にっこりと微笑んだ。
  少女はシンシアと名乗った。あたし達はそれぞれ、名を名乗る。
  「えっと、フォルトナお姉ちゃんに、シャルルお兄ちゃんに、チャッピーお兄ちゃん……間違ってない? 当たり?」
  「うん、当たり」
  「やったぁー♪」
  あたし達は広場に移動し、長椅子に腰を下ろす。
  すぐに仲良くなった。
  この街で冒険者は珍しくない、当たり前の存在。シンシアちゃんも別に恐れてなかった。
  「わたしね、わたしね、いつかお金持ちになるんだぁー♪」
  「そうなの?」
  「うん。そしたらね、ママに楽させてあげるの♪」
  「優しいんだねー」
  「えへへ♪」
  こほん。照れ臭そうに、チャッピーは咳払いをする。
  「ひ、暇なら我輩達が遊んでやるぞ」
  「ほんとっ! やったぁー♪」
  「ふ、ふん」
  ドラゴニアンは表情が読み取れない。
  でも赤くなってるような……。
  「トカゲさん、あなたこそロリコンじゃないんですか?」
  「な、なんだと若造っ!」
  「……な、何して遊ぼうか、シンシアちゃん。あっ、あの人たちは無視しようね。何したい?」
  「鬼ごっこ♪」





  シンシアちゃんと別れ、あたし達はお昼御飯を食べに。
  最近、御飯が楽しい。
  味わって食べれるのも楽しいけど、こうやって色々と喋りながら食べるのがまた楽しい。マナーとしては、駄目かもしれないけど。
  気付けば一時間以上、お昼に費やしてた。
  店を出て、街をぶらぶら。
  結局宿に帰り着いたのは、午後二時を過ぎていた。
  「お帰りなさい」
  そう言ったのは、アーサン・ロシュさん。
  ここ《優しき聖女》という名の宿の女主人。元々はブラヴィルに住んでいたらしいものの、旦那さんが亡くなったのを契機に
  ブラヴィルを離れ、この街に越してきて宿を始めた。
  世話好きの優しい人でこの宿は一番人気だ。
  「ただいま戻りました」
  「聞きました、怖い事件」
  「事件?」
  アーサン・ロシュさんは、忌々しそうに顔を歪めた。
  こんな顔するなんて珍しい。
  「事件ですか? それお金になります? ははは、幾らぐらいになる事件ですかね?」
  食いつく守銭奴。
  ……。
  ……あー、失礼。シャルルさんです。
  お金になる事なら大好き人間だと、最近は認識してるけど……間違いじゃないのが怖いよなぁ……。
  「暴行事件なのよ」
  「暴行……ははぁん、暴力事件ですね。仲介、拘束、どっちにしてもお金に……」
  「……婦女暴行。それも、まだ8歳の女の子よ」
  「……っ!」
  黙るシャルルさん。
  あたし達も息を飲んだ。事件自体、生臭くて、吐き気がするけど……8歳の女の子……?
  ……えっ……?
  「それは、シンシアという女の子ですか?」
  「名前まではちょっと。ただ、冒険者ギルドが犯人を追っているそうです。……あっ、シャルルさんっ!」
  走り去るシャルルさん。
  あたしはアーサン・ロシュさんに頭を下げ、後を追う。チャッピーも続く。
  間違いであって欲しい。
  間違いで……。





  方々に尋ねたので家はすぐに見つかった。
  シンシアちゃんの母親は、メイラーナさんと言った。
  元々は帝都に住んでいたらしい。
  しかし旦那さんが亡くなってからは物価の高い……それも皇帝の崩御による世情不安で高騰中の物価にはメイラーナさんの
  稼ぎでは対応出来なくなり、家を売り払ってフロンティアに移住したらしい。
  この街では、雑貨商の手伝いをしているらしい。
  帝都での収入よりも半額になったものの、住人に対する税率が極端に低いこの街ではそれほど苦ではないらしい。
  小さな家ではあるものの、子供部屋も作れるだけの優遇政策がこの街にはあった。
  家を買い、子供部屋を特注し、慎ましくも平和に親子2人で暮らしていた。
  ……なのに……。
  無言のまま、あたし達は座っていた。
  事件の事を聞いてすぐに飛んで来たのだ。別に何が出来るでもない。
  それでも、心配で、来た。
  「わざわざご親切に、どうも」
  「いえ」
  代表して、シャルルさんが口を開く。
  あたし達が、あたし達が家まで送っていればこんな事にはっ!
  ……あたし達が……。
  「お医者さんに看て貰ったら、子供は産めないだろうって……ううう……」
  「……」
  何でこんな事に?
  何で……?
  あの子が何をしたんだろう、神様の気に障る事でもしたのだろうか?
  どうして?
  どうしてっ!

  「……ママ……?」
  シンシアちゃんは静かに眼を覚まし、母親の姿を探した。小さな家だ、囁きも聞える。
  涙を拭き、あたし達に一礼して子供部屋に走っていく。
  ……聞きたくない。
  ……聞きたくないけど、会話が聞えてくる。
  感情的になっちゃ駄目なのに。
  あたしは暗殺者。
  あたしも、人から恨まれる事をたくさんしてきた。たくさん殺してきた。だから、あたしは救われちゃ駄目な人間。
  本当は今回の犯人のように、憎まなければならない。
  ……あたしは今まで……。
  子供部屋から話し声が聞えてくる。
  「ごめんね、ママ。新しいお洋服、駄目にしちゃって……」
  「いいのよっ! そんなのいいのよっ!」
  「何か、体だるい」
  「……ううう……」
  「どうして泣いてるの、ママ? わたしがお洋服駄目にしたから? ……ごめんなさい……」
  「どうして、どうしてぇっ!」
  「ママ? ママ?」
  「どうしてぇ……どうしてなのぉ……」
  ガンっ!
  無言で拳をテーブルに叩きつけたのは、シャルルさんだった。
  思わず声が掛けれなかった。
  チャッピーですら躊躇った。
  ……怖い顔……。
  ガタン。
  荒々しく立ち上がり、無言で背を向けて出て行く。思わず顔を見合わせるあたしとチャッピー。
  やろうとしている事は何となく分かる。
  それは……。
  「マスター。いけ好かぬ奴ですが、やろうとしている事は犯罪です。止めねば」
  「分かってる。行こうっ!」
  「御意」



  街は既に騒然としていた。
  冒険者ギルドは、この街の公的機関でもある。この街に警備兵はいないけど、依頼という形で冒険者を一時的に衛兵に抜擢
  している。それがこの街の、特殊な運営方法だ。
  相手は犯罪者。
  だから、冒険者ギルドが逮捕の為にすぐに動ける冒険者達を掻き集め、街には犯人逮捕の依頼を受けた冒険者達が慌しく動き、
  または鋭く目を光らせていた。
  「はあはあ。どこ?」
  「マスター、手分けしますか?」
  「それは、やめよう」
  「それは何故?」
  「シャルルさんを止めるには、2人いなきゃ」
  「御意」
  止めるのには2人必要。
  殺すのには……1人で充分だけど……そんなの、出来るわけないっ!
  「ベルウィック卿の指示で街に戒厳令を敷きます」
  「こら、そこの子供とアルゴニアン。君達も屋内に戻りたまえ」
  「我々は犯罪者を追っている。協力を」
  戒厳令。
  街の往来は封鎖されつつある。
  厳しい監視の眼があちこちにある。あたし達の手詰まりは、犯人の顔を知らない事だ。
  わざわざ街を封鎖する以上、冒険者ギルドは素性を知っているのだろう。闇雲に閉鎖しているわけがない。
  ウロウロしているあたし達を取り囲む冒険者達。
  その時……。
  「やめなっ!」
  「エスレナさんっ!」
  「やあ元気かい、フォルトナ。……この子らは同業者だ。フラガリア、知ってるだろ?」
  フラガリアの名を出され、納得する冒険者達。
  少し有名になったみたい。
  「エスレナさん、何してるんです?」
  「暇だった。だから強制的に仕事を押し付けられた。……ともかく、冒険者ギルドから警備を依頼という形で受けていないあんたら
  は街を出歩いてちゃ困る。宿に戻った方がいい」
  「シャルルさん見ませんでした?」
  「あの眼鏡かい? いや、見てない」
  「そう、ですか」
  「何か訳あり?」
  「その、エスレナさん達が捜している犯人、シャルルさんも探してるんです。その、知り合いの女の子襲った犯人なんです」
  「……そうかい」
  一瞬、考え込む。
  鼻の頭を掻き、頭を荒々しく掻き、それから口を開いた。
  「部外者には言うなって言われたけど、まあいいか。犯人は貴族のボンクラだよ。インペリアルで、豪奢な装備をしてる。この街には
  狩りを楽しみに来たんだと。それも飽きたからって年端もいかない女の子襲うなんざ……」
  言い過ぎた事に気付いたのか、頭を下げた。
  それから事務的に内容を告げる。
  「ロウェン卿とザビィラゥス卿の子息らしい。公爵様の息子さ。多分見たら分かるよ、装備が無駄に豪華だから。貴族の特権で何でも
  許されると思ってる傲慢どもさ。それで眼鏡、何するつもりだい?」
  「それは……」
  殺すつもり。
  そう。きっと殺すつもり。
  内心を察したのか、エスレナさんは手を振った。
  こんなところで話している場合じゃないだろ、という事だろう。
  「あたいらは一応、法律で動いてる。どんな外道でも殺せば殺人だ。そいつを忘れない事だね」



  「くそ、分かり辛い性格だな、若造め」
  ぼやくチャッピー。
  その意味も、分かる。
  いつもは冷静すぎるほど冷静で、たまに冷酷に見えるのに……今回は、すごく激情家で。
  「次はどっちに行きますか、マスター」
  「こっちに」
  「御意」
  街を走る。
  戒厳令が敷かれているので、往来は完全に警備に駆り出されている冒険者達が封鎖していた。
  何回か引っ掛かったものの、すんなり通れた。
  理由はきっと二つ。
  一つは冒険者チーム《フラガリア》としてそれなりに名が売れたから。同業という事もあるだろう。
  一つは、犯人の顔を向こうが知ってるから。
  あたし達が犯人ではない事が分かってるから、それに同業だから警備をかいくぐれたわけだ。
  でもそれはきっと、シャルルさんも同じだ。
  出会う冒険者に何度も聞いてみるものの、見なかったそうだ。
  「はあはあ。どこにいるの?」
  「マスター」
  「大丈夫、まだ走れる。行こう」
  「御意」
  眼鏡。
  シャルルさんは眼鏡をしている。シロディールでは珍しい器具だ。
  相当目立つはず。
  どこかで会えば印象にも残るはず。
  なのに誰もシャルルさんを見てないだなんて……どこにいるのだろう?

  「マスター、その貴族の宿泊している宿に踏み込んでは?」
  「宿に?」
  「揉み消せると思ってるなら、悠々としているかもしれませぬ」
  「でも真っ先に冒険者ギルドもそこに踏み込んだと思う」
  「まあ、確かに」
  考えなきゃ。
  考えなきゃ。
  考えなきゃ。
  犯人殺す事に異義はないけど、次の瞬間にシャルルさんが殺人犯になる。そして冒険者ギルドは今度はシャルルさんを逮捕する
  為に躍起になるだろう。街は閉鎖されてる。万が一にも逃げれる場所はない。
  それじゃあ駄目だ。
  それじゃあ……。
  「あっ」
  そうか。街は閉鎖されてる。
  宿にはいない。
  冒険者ギルドに駆り出されている冒険者達は、往来に出回ってる。その他大勢の冒険者は屋内に押し込まれ、多分酒場でお酒
  でも呑んで時間を潰しているに違いない。
  冒険者=同志。
  だから、警備に駆り出されている冒険者達は酒場の類は見回ってないはず。
  何故なら酒場には冒険者が溢れているから。
  でもその実、そこにいる冒険者達は行われた犯罪について知ってても、犯人についての情報はないはず。
  ……そうか。
  そもそもの視点が間違ってたんだ。探す場所は外じゃない。
  「チャッピー、酒場を探そう」
  「酒場?」
  「酒場っ!」
  「御意」



  エスレナさんの受け持ちの場所まで戻り、エスレナさんにもその旨を報告。
  あたしの考えを聞き入れ、酒場を探して回ってる。
  あたし達はあたし達で独立して探してる。
  シャルルさん、どこなの?
  おそらく彼の姿を誰も見掛けていないのは、脇道から脇道へと抜けては酒場の類をくまなく調べているからではないだろうか?
  だとしたら見られてない理由も分かる。
  キィィィィっ。
  扉を開き、五件目の酒場に足を踏み入れる。
  客でごった返していた。
  大半はだらしなく酔い潰れている。
  「いる?」
  「見当たりませんな」
  シャルルさんは、いないみたい。
  犯人達も、いないみたい。顔は知らないけど豪華な装備……らしい。見れば分かるとか。
  酒場は宿も兼ねている事もあるものの、借りるには方法がある。
  一つはこの街の住人になる事。その手続きをする事。
  一つは冒険者になる事。冒険者台帳に記入し、登録する必要がある。
  この街は冒険者には全てにおいて割増料金が請求される。住人と冒険者の区別の為に、登録が必要となる。
  狩りに来た、つまりハンティング目的でも泊まる際には冒険者登録が必要。
  泊まる事は出来ないはず。
  既に2人の姓名は出回ってる。台帳に記入した時点で、ばれる。
  だとしたら酒場で飲んでるはず。
  飲むのには、登録は必要ない。もう一度見渡す。しかし見つからない。
  「次行こう、次」
  「御意」
  店を出て、走る。
  今日は走ってばっかりだ。
  走りながらあたしは考える。犯人を捕えたとして、あたしは冷静でいられるだろうか?
  こういう考えはきっとおかしいんだろうけど、闇の一党ダークブラザーフッドは必要悪だったのかもしれない。
  弱者が復讐する為の組織。
  ……。
  ううん、違うっ!
  あれは悲しみを連鎖させるだけの組織だった。あたし自身悲しみほ彩ってきた。
  きっと死んだら地獄に落ちる。
  でも、でも死ぬまでは少しでも良い事がしたい。
  それがあたしの罪滅ぼし。
  それが……。



  さらに二軒、訪れるものの収穫はなかった。
  ふと気付くと宿泊している宿の近くまで来ていた。
  この近辺にある酒場は、あたし達が宿泊している《優しき聖女》の隣にある《黒熊亭》だけだ。白熊という意味を持つノルドのオーナー
  が経営する酒場兼宿屋。
  ギィィィィィっ。
  扉を開けて、中に入る。白熊さんはあたし達の姿を見つけると、手を振った。もう顔馴染み。
  今日は大繁盛らしい。
  一つのテーブルを囲んで、大いに盛り上がっていた。
  「……あっ」
  「……連中のようですな」
  豪奢な装備。
  なるほど、派手な色彩の鎧。要所要所に宝石が散りばめられている。
  無駄に悪趣味だ。
  種族はインペリアルで、驕りの見える表情。二人連れ。
  全てにヒットする。こいつらで間違いない。
  2人は楽しそうにはしゃいでいる。自慢話だ。酔っている冒険者達は、本当なのか作り話なのかの判断をしないまま一緒になって
  盛り上がっていた。多分、お酒も奢りなんだろう。だからこそ盛り上がりに拍車をかけている。
  話の内容は吐き気がした。
  「いやいや、やはり女は若いのに限るよなっ!」
  「若過ぎだが、まあ、なかなかでしたなぁ。あっはははははははっ!」
  コツ、コツ、コツ。
  早足であたし達を追い越し、誰かが貴族2人のテーブルに近付いていく。シャルルさんだ。
  あたしが声をかける間もなく……。
  ガチャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンっ!
  テーブルを蹴倒す。
  談義に華を咲かせていた、多分奢って貰って良い気分になっていた冒険者が抗議の声を上げるものの地べたに突っ伏した。
  何をどうやってるのか。
  シャルルさんはバタバタと、向ってくる冒険者達を投げ飛ばしている。
  5人倒されると、誰も恐れて近寄らない。
  「お、おいシャルルお前……」
  「ご心配なくミスターオーナー。色をつけて弁償しますのでご勘弁を」
  白熊さんを黙らせる。
  誰もが固唾を呑んで見守った。ここに至ると、多分制止しても聞かないだろう。どうしよう?
  「さてお二方、外に出てもらえますか?」
  「何だお前は?」
  「死神ですよ」
  「はっ! 楽しいギャグだぜっ! 俺達は貴族様だぞ? お前を殺しても、誰も俺達を罰せないっ!」
  驕り昂ぶった一言に、誰もが不快感を感じていた。
  ただ、薄く微笑むシャルルさんの顔は……。



  路上に出ての決闘は、大人と子供の差があった。
  「おらぁっ!」
  「でりゃっ!」
  白刃を抜き放って襲い掛かる貴族の2人を相手に、シャルルさんは素手で相手をしていた。体が交差した瞬間、貴族達は無様に
  投げ飛ばされ、突っ伏し、血反吐を吐き、苦悶に呻く。
  「どうしました?」
  「ぐ、ぐぞぅ!」
  からかうように微笑。
  一切の情けを掛けないつもりらしい。
  一方的な戦いは、とかく嬲り殺しにも見えるものだ。力量の差は歴然。
  相手を殴り、蹴り飛ばし、首を絞め、地面に叩きつけ、そこでやめる。トドメは刺さない。じわじわと弱らせていく。
  「こ、このぉっ!」
  「……ふん」
  無謀にも突きを繰り出してきた貴族の1人の顔に裏拳を叩き込み、肘打ちを鳩尾に。
  呻いて蹲る。
  鎧は軽量化され過ぎていて、ほとんどの攻撃を防げない。体術すらも。どうやら鎧は鉄ですらないらしい。鎧を着込むだけの
  体力もない脆弱な彼らは、情け容赦ないシャルルさんに追い詰められていく。
  倒れている貴族の手から剣を奪い取り、その貴族の首筋に当てた。
  「……」
  それだけだった。
  殺す価値がないと判断したのか、とりあえずは殺さなかった。ホッと安堵。
  殺したら最後、冒険者が全て的に回る。
  残った1人の貴族はじりじりと後退りをしながら卑屈を笑みを浮かべた。
  「な、何が欲しい?」
  「……」
  「俺の親父はロウェン卿だ。そ、そいつの親父はザビィラゥス卿。公爵だぞ、帝国の貴族だ。何が欲しい? 金か? 女か? それ
  とも地位か名誉かお前の望むものをやるぞ。だ、だからこっちに来るんじゃないっ!」
  「……」
  「おいっ!」
  「……」
  無言で間合いを詰める。
  そのまま刃を振るい、貴族の剣を跳ね飛ばした。貴族は尻餅をついて倒れた。
  「望むのは命。お前を殺す」
  「う、嘘だろ?」
  「いいえ。リアルな本音ですよ」
  「俺は貴族の息子だぞっ! 何してもいいんだ、何しても許されるんだっ! おかしいだろそんな俺に刃向けるなんてっ!」
  「これは正当ですよ。お前はここで死ね」

  「ひぃっ!」
  刃を振り上げるシャルルさん。
  その瞳には情けなんてない。容赦もない。ただ、乾いた瞳で冷酷に若者を見据えていた。
  そしてその手は冷徹に刃を振り下ろした。
  キィィィィィィィィィィィィィィンっ!
  瞬間、刃が弾けた。
  刀身が半ば失われた剣は、2人の若者には届かない。
  「何故邪魔をするんですっ!」
  「殺しちゃ駄目ですっ!」
  批判するように、あたしを見る。
  刀身がなくなったのはあたしが魔力の糸で切断したから。批判するようにあたしを睨みながら、刀身が半ばなくなった剣を捨てて
  手のひらを若者達に向けた。魔法で殺す気だっ!
  いくらなんでもシャルルさんの腕を落とすわけにも行かない。
  ……。
  あたしだって、あの二人は許せない。
  死んだ方がいい。
  悦楽と快楽だけで、それだけの為に8歳の女の子を乱暴するなんて……生かしておく価値がないと思う。
  あたしは元々暗殺者だ。殺す事に躊躇いはない。
  でも、ここは街の往来だ。
  こんなところで相手を殺せば、あたし達に同情的な感情が働くであろうものの、この街の冒険者達が敵に回る。この街には正規
  の警備兵がいない、冒険者ギルドからの依頼という形で冒険者がその代わりになっている。
  つまり冒険者の数=潜在的な警備兵の数。
  どれだけの冒険者がいるかは知らないけど、100は軽くいるだろう。200ぐらい?
  それ全部を敵に回してこの街から出られる保証はない。
  手を向けたまま、シャルルさんは止まった。
  「フォルトナさんはこいつらを生かしておけと?」
  「そうは言いません。でも……」
  「でも、僕達が人生を棒に振る必要はない? ……そういうつもりなら残念ですよ、正直ね。そんな正論、保身の詭弁です」
  「……」
  「それとも殺すのは生温い? だとしたら甘いですね、こいつらは貴族の生まれ。罪なんて揉み消せるんですよっ!」
  「それでも、それでもっ!」
  「言いたい事は分かりますよ」
  疲れたように、溜息。
  冒険者達は、隙あらばシャルルさんを取り押さえようと間合いを詰めている。
  静かに、確実に。
  状況は確実に不利だ。
  シャルルさんの行いが正しいにしても、同調できるにしても法律は法律だ。
  法律で行けば暴挙は現在、シャルルさんになる。
  ……。
  あたしだって、許せないよ、あんな奴ら。
  あの子、もう子供産めないだなんて……そんなの酷すぎるよ……。
  貴族の2人は抱き合ってガタガタ震えている。
  「若造、殺せ」
  「チャッピーっ!」
  「いいえマスター。今回のは奴が正論です。殺せ、惨たらしく。そして満足しろ。これは結局若造の自己満足。……だろう?」
  「……」
  「お前のやってる事はあの子の報復じゃない。自分の中に湧き上がった殺意の、発散だ」
  「……ふふふ。まさかトカゲさんに説教されるとはね」
  「ふん」
  ふっと力を抜くシャルルさん。一歩下がる。
  若者2人はニヤリと笑った。
  その笑いには驕りがある。シャルルさんの言ったように、揉み消せるだけの力があるのだろう。
  バキィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
  次の瞬間、シャルルさんが1人を殴った。
  冒険者が間に入って、シャルルさんを羽交い絞めにして引き離す。
  駆けつけたエスレナさんが呟いた。
  「後はこっちでやる。だから下がんな」
  きつい口調ではあったものの、どこか同調めいた響きもあった。
  黙って下がる。
  憮然として表情で、シャルルさんは引き立てられようとしている二人の若者を見ていた。チャッピーが自然に、シャルルさんの
  隣に並ぶ。万が一の場合に、止める為だ。
  「……こんな事が平然と許されるのか」
  「……シャルルさん……」
  「愚痴です、すいません。それとさっきは少し言い過ぎました。すいません」
  「いいです。あたしも、同じ気持ちでしたから」
  「そうなんですか?」
  「はい」
  「そうですかぁ。フォルトナさんも裸踊りした気分だったんですか。ははは、僕と同じですね♪」
  「……」
  そ、そうだった。
  しんみりとしているものの、こういう性格の人だった。
  はぅぅぅぅぅぅっ。
  「ふぅ。監獄で腐ればいいんですよ、あんな奴ら。まあ、無駄でしょうが。帝国の腐った方針では連中裁けない」
  「そうでもないぞ」
  答えたのは、あたしでもチャッピーでもなかった。
  ノルドの男性だ。
  マントを羽織り、まだら馬に乗っている。顔には無数の傷跡。冒険者達の顔に畏敬の念が浮かぶ。
  馬から下り、引き立てられていく若者2人に近付いた。
  2人、顔に喜色。
  「ベルウィック卿、何とかしてくださいよ。こいつらが横暴にも……はぐぅっ!」
  「子爵である貴方は、公爵の息子である我々に忠誠を尽くすのが筋でしょう? だったら……ぐはぁっ!」
  2人は同時に口々に喋り、同時に悲鳴を上げ、同時に倒れた。
  そのまま動かない。
  口から泡吹いて気絶している。ベルウィック卿が殴り倒したのだ。
  「この街で貴族の特権は通用しないぞボンクラども。街にはそれぞれ法律があり、その法律は領主が定めている。ここでは貴族
  も等しく罰を受けてもらう。私の街で問題を起こした以上、私の定めた法律で裁く」
  『
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!
  高らかに宣言するベルウィック卿。
  その心意気に打たれ、雄叫びを上げる冒険者達。
  この人がベルウィック卿?
  冒険王と称され、様々な武勇伝と冒険譚を持つ生きながら伝説と化した人で、この街の創設者。
  ……この人が……。
  「お前さんの行動は、不問だ。……私も容疑者殴ったからな。胸糞悪かったな、こいつら」
  片目を瞑って、茶目っ気を含んだ仕草。
  なるほどなぁ。
  冒険者に慕われるのは、その業績だけではないらしい。
  その動作一つ一つがあたかも冗談を言っているような、どこか面白い。
  少し、意外だ。もっといかめしい人だと思ってた。
  つられてシャルルさんは笑った。
  「んっ? 子供連れ?」
  「マスターは子供ではない」
  「ほぅドラゴニアン。……ああそうか。お前さん達がフラガリアか。最近名を上げているのは聞いている。そうか今回の事件を解決
  したのはお前さん達か。礼を言うぞ。この2人のボケどもは帝都の地下監獄にでも送っておく」
  「約束、してくれるんですか?」
  シャルルさんは疑うように、彼を睨みすえた。
  帝都の地下監獄。
  長期囚人用の、凶悪犯用の監獄だ。
  貴族の息子で、それも公爵の息子なのに投獄できるのか……そういう疑念もあるのだろう。
  しかしいとも簡単に頷き、ベルウィック卿は豪快に自分の首の付け根を叩いた。
  「私の首を懸けてもいい」
  「……人格者ですね貴方は。信用しますよ」
  「それは結構」
  この街が栄えた理由が何となく分かる気がする。
  どの街の領主よりフレンドリーで、頼もしいし。有言実行するような雰囲気を醸し出している。おそらく、有言実行するのだろうね。
  それに飾らない性格みたい。
  普通、貴族なら見映えの良い馬を選ぶ。
  能力より見映え。
  白馬とか気品のある外観の馬を選ぶのが普通だけど、ベルウィック卿はまだら馬。
  素敵な領主様かも。
  ふふふ。
  「何か困った事があったら、私のところに来なさいお嬢さん。……まあ、冒険しか能のないから、情報提供程度しか出来ないだろう
  がそれでもこの街では役立つ男のつもりだ。それではな、フラガリアの諸君」





  メイラーナさんの家。
  今回の依頼の、結末を報告しに行った。
  奥さんは終始無言だった。
  それもそうだろう。
  例え犯人が捕まっても、ベルウィック卿の心強い確約であの2人が地下監獄行きになっても娘さんはよくならない。
  この先、子供が産めないなんて……。
  ……そんなの、酷過ぎる……。
  報告が終わると全員無言。言葉なんてない。掛ける言葉なんて、あるわけがない。
  重苦しい雰囲気。
  沈黙。
  沈黙。
  ……沈黙。
  「ああ、くそっ!」
  叫び立ち上がったのは、シャルルさんだった。
  みんな感情的だった今回の依頼。
  それでも、シャルルさんの感情の起伏が今回は一番激しかった。重苦しい雰囲気を振り払うが如く、叫んだ。
  驚くあたしチャッピー。
  しかし奥さんは驚く感情もないのか、コーヒーのカップを両手で持っていた動かない。

  「……リスクを負う覚悟はありますか?」
  「……えっ?」
  静かに。
  静かに、シャルルさんはそう呟いた。
  目が充血してる。
  表情も、苦悶と憂悶の中間のような、感じだ。声を押し殺して母親に尋ねる。
  「娘さんを助けたいですか?」
  「……」
  コクン。
  何度も頭を、激しく縦に振る。
  あたしには、母親の記憶がないから分からない。全てを投げ打ってでも、子供を助けたいと思うかどうかは分からない。
  でもこの人は娘を助けたいと必死だ。
  娘を助けたいと……。
  「娘さんを元通りにする事は可能です。しかし等価交換、それに相応しい代償を支払ってもらいます」
  「助けてっ!」
  縋りつく。
  シャルルさんに縋りつき、頭を垂れた。
  ポト。
  何かが床に落ちた。それは母親の涙。必死に縋りつき、声を殺して泣いている。
  シャルルさんはさらに念を押す。
  「あとから娘さんを恨みませんね? ……貴女が支払う代価はとてつもなく高い。あとから恨みませんね?」
  「何でもしますいくらでも払います足りない分は……私が何でもしますから……」
  「後悔はしませんね?」
  「……あの子はまだ八つなの……こんな人生、酷すぎる……」
  嗚咽。
  あたしは思わず、眼を覆った。涙が出てきた。
  ……そうだ、こんなの酷すぎる。
  ……こんなの……。
  「結構。では、代価を貰いましょうか。隣の部屋に来てください」
  「おい若造っ!」
  チャッピーが吼えた。
  彼が何を連想し、何に憤怒しているかは分かる。
  あたしだって、そこまで子供じゃない。チャッピーが連想した、生臭い行いも、あたしには想像出来てる。
  「貴様、人の弱みに付け込んで……っ!」
  「黙りなさい」
  「……っ!」
  「あなたには用がない。……下がれ」
  「……くっ」
  気圧されて、よろけながら後ろに倒れる。
  怒気を含んだ、それでいて冷静な声に圧倒されチャッピーは黙った。
  本気で怒ってるシャルルさんを始めて見た。
  普段、お茶目な感じが強いからかえって不気味なほどに冷静で、怖かった。
  「奥さん」
  「は、はい」
  「本当に後悔はないですね?」
  「……はい」
  「結構。その覚悟が聞きたかった。……では娘さんの病室まで案内してください」
  「……えっ?」
  「代価は支払ってもらいますよ。今後一生、娘さんには肉を一切れ食べてもらいます。一日一切れ、よろしいですね?」
  「……?」
  「貴女はどんなに生活が苦しくても、何の肉でもいいの食べさせてください。娘さんが肉が嫌いでも無理に食べさせてください。
  食べるのをやめた時、僕が治療を施す前の状態に戻ります。……それが、代償です」
  「……は、はいっ!」
  ぱぁっと表情が明るくなる奥さん。
  意味が分からないみたいだけど。
  あたしだってそうだ。
  どうして肉なんだろう、よく意味が分からない。
  「フォルトナさん、トカゲさん、30分ほど待っていてください。すぐに終わりますから」
  そう言うとにっこりと笑った。




  「何をしたんですっ! 一体どうやってっ! まったくの、健康体ですよっ!」
  あの後、娘さんの様子を心配して看に来たお医者さんは驚愕した。
  健康体。
  その言葉を聞いて奥さんは泣き叫んだ。
  あたしも、泣いた。
  ……よかった。本当に。
  「ふふふ」
  夕暮れ。
  あたし達3人は夕暮れの下を歩き、宿に戻っている。
  喜びで半ば半狂乱になってた奥さんに感謝され、泣かれ、抱き締められ、今回の仕事は後味が悪かったものの、それでも救いが
  あった事にあたしは喜びを感じていた。
  ……それでも、心に傷は確実に、深く深く残ってはいるものの。
  「ふふふ」
  「何がおかしいんです、フォルトナさん?」
  「だってシンシアちゃん、健康になったから」
  シャルルさんが何をしたのか、よく分からない。別室で治療を施してたから。
  まあ、たぶん近くで見てても分からなかっただろうけど。
  ……。
  ただしつこく念を押してたな。
  毎日一切れの肉を食べさせる事。等価交換って、そんな程度なの?
  法則がよく分からない。
  「でもどうして肉なんです?」
  「別に何でもよかったんですけどね。肉なら有り難味があると思っただけですよ。どの肉でも、結構高いし。あれだけ脅せば僕の
  警告を無視する事もないでしょう。家計が少し苦しくなるかもしれませんが、奥さん、その程度の覚悟は出来てるようですしね」
  「はっ?」
  「誓約ですよ」
  「……?」
  「僕は一生涯、あの親子……正確には娘さんですけどね。救う代償に、一生肉を食べるという誓約で縛った。今後の人生を代価
  に支払ったわけです。等価交換は、得る物と代価がつり合わないといけません。今回の誓約はそれに見合うものでした」
  「はあ、そんなものですか」
  「よく分かってないでしょう、フォルトナさん」
  「はい、実はさっぱり」
  「それでいいんです。僕もわざわざ説明する気にはならない」
  「おい若造、そこまで意味深に言って置いて……っ!」
  「僕は説明する気にはならない、と言っているんです」
  静かな口調ではあるものの有無を言わさない、強さを秘めている。
  今回チャッピーはシャルルさんにやり込められてばっかりだ。
  正直、説明はよく分からない。
  でも別にいい。
  「救えたんだから、別にいいですよ。うん。救えたんだから、説明なんてあたしはいいです」
  「救い、か」
  「……?」
  「人は救われればどんなものの加護でもありがたく受け取るんですね。救いの出元は一切見ない。……まあ、いいですけど」
  「……? 今回、シャルルさんって凄いミステリアスですよね」
  「ははは。謎めいている方がもてますからね」
  「えー?」
  「ははは」
  ふん、チャッピーは鼻を鳴らした。
  専門の医者ですら治せなかったのに、シャルルさんはいとも簡単に治してしまった。
  魔法かな?
  ああ、そうかもしれない。きっとそうだ。
  魔法って万能みたいだし。
  あっ、神様の魔法かも。
  「さっきのってアーケイの魔法ですか? さすがは神様の魔法ですね。どんな病気や怪我でも治せるんですね」
  「……」
  「シャルルさん?」
  「……神はいない」
  「……えっ?」
  「神は座したまま決して動かない。天上で我々を見るだけ。必死に跪き、願う者達を上から見下し嘲笑う。神がいるならこんな世界
  にはならない、神がいるなら悪がのさばるはずがない。しかし現実は? ……そうですね、神はいるかもしれない。でも……」
  「……」
  「物言わぬ、何もしない神ならば必要ない。それはいないと同じ。そうです。この世界に、神はいない」
  天を仰ぎ、眼を閉じて呟く。
  口から出るのは否定の言葉。神に対する、否定。
  否定。
  否定。
  否定。
  それから自嘲気味に笑い、高く笑い、哄笑に変わり……笑いが止まった時、静かな笑みを浮かべてあたし達を見た。
  いつものシャルルさんの、柔らかな微笑の表情で。
  「さあ帰りましょうか。さて、今夜の宿の食事は何ですかねぇ」
  「……」
  あたしとチャッピーは、無言で顔を見合わせる。
  シャルルさんは歩き始めていた。
  その後姿を見て、あたしは彼が不気味に思えていた。





  ……神は、いない……?










  帝都随一の情報量を誇る黒馬新聞から一部抜粋。


  『冒険者の街と称されるフロンティアの治世の権を振るうベルウィック卿の独断専行が、帝都の貴族達の間で不満の種と
  なっている事が我々の独占調査の結果、判明しました』

  『帝都の名門貴族の出身であるロウェン卿とザビィラゥス卿のご子息を逮捕。長期囚人用の帝都地下監獄に移送、投獄していた
  事が判明しました。逮捕、留置された子息の両父親はこれは違法逮捕であり、拘束は理不尽だと主張』

  『ベルウィック卿は、違法逮捕に当たらないと主張。さらに元老院の裁可も得ていると強気な発言です』

  『しかし帝都の貴族達は猛反発。直ちに保釈するよう、元老院に迫っています』

  『当新聞社の独占スクープによりますと逮捕された貴族の若者2人は婦女暴行の容疑の模様。暴行された少女は重症のようです。
  以下は我々のインタビューに答えてくださったベルウィック卿のコメントです』

  『あの若者2人は無思慮で、軽率で、愚かでしかない。犯罪を犯した以上、罪は償うべきだ。罪が重いのでは、という声が帝都の方
  で高いようだが私の管轄の街で起こった犯罪は、私に裁く権利がある。罪科の程度も私の権限で決めれるものであり、合法だ』

  『以上がベルウィック卿のコメントでした』

  『帝都の貴族連は元老院に働き掛け、貴族の若者2人は近く保釈の運びになるだろうと発言しています』

  『しかし市民の間には貴族の横暴に対する不満の声もあり、ベルウィック卿の処置を支持する動きもあるようです。しばらくの間、この
  件は紛糾の種となるのは必至のようです』